相対主義


作用反作用


 自己は、主体的存在であると同時に、間接的認識対象であるから、認識は、自己の内部と外部に同時に働きかける。これが認識の作用反作用である。

 相対的な認識は、認識上における作用反作用を起こす。
 借入と貸出、預金と借入、売りと買い、売掛金と買掛金、受取手形と支払手形、先渡しと先受け、前渡しと前受け、収入と支出、所得と費用これらは、作用反作用の関係にある。そして、この様な作用は、自と他の関係より生じる。自と他の関係は、内と外との関係にもなる。
 自分からみれば、借入は、他からみれば、貸出である。自分からみると預金は、金融機関からみると借入であり、自分からみれば所得は、他からみれば、費用である。自分からみると費用でも相手からみると所得である。
 そして、これらが自己の内部で均衡しているかどうかが問題なのである。

 作用には、同時に、方向の逆方向の作用が働いている。そして、その力の強い方に運動をするとみなすのである。ただし、運動は、常に安定、即ち、均衡を求めているとみなすのである。それを前提として、経済運動を見ると経済は、一定の波をうつのが認識される。

 相対的な認識が端的に現れるのは、為替の動きである。そして、この為替の動きは、市場の貨幣価値に影響を及ぼす。即ち、輸入品、輸出品の単価の変数を変動させるのである。それによって国内物価を変動させ、輸入量に影響を及ぼす。
 円がドルに対して上昇すれば円高、ドル安であり。下降すれば、円安ドル高である。円とドルとは作用反作用の関係にある。
 つまり、為替の変動は、輸出と輸入の各要素に対して作用、反作用の効果をもたらすのである。
 円高になれば輸入物価は下降し、輸出品は安くなる。円安になれば、輸入物価は、上昇し、輸出品は高くなる。上がれば下がり、下がれば上がる。しかし、物には変わりはない。それを高いと感じるか、安いと感じるかは、人それぞれである。つまり、認識の問題である。認識の問題であるが、それが価格に転嫁されることによって実際の企業や経済の好不況が決定的になるのである。

 収支を基本とせずに損益を基本とすべきである。利益と損失は、相反する作用である。利益がなければ損失が生じ、損失がなければ利益が生じる。利益と損失が均衡すると利益も損失も消える。故に、利益も損失も相対的な概念である。損したと思うか、得したと思うかは、その人次第。それが経済の源である。

 所得と費用は、作用反作用の関係にある。つまり、認識の問題である。視点によって費用は、所得となり、所得は費用となる。費用を削減することは、所得を削減することであり、所得を削減することは費用を削減することである。故に、ある企業が費用を削減することは、外部の所得を減らすことになる。費用を増やすことは、所得を増やすことになる。人を雇うことは、人件費を増加させるが、所得を増やすことでもある。

 所得と費用は、作用反作用の関係にある。つまり、表裏の関係にある。故に、社会全体として所得と費用は、等しい。という事は、社会全体では、所得と費用は、均衡して利益が出なくなる。では利益は、どの様にして生じるのかというと、費用を将来に繰延、収益をその取引が実現したところで認識することによって生じる。即ち、借金、負債によって生じるのである。
 債務は、支払、即ち、費用の将来への繰延に過ぎない。故に、債務の増大は、過去の支払、即ち、返済の累積を招くことを意味する。それは、必然的に可処分所得を圧迫する。

 税は、反対給付を必要としていない。

 税以外で、反対給付のない収入は、神へのお布施、寄進と略奪、強奪である。
 強奪、略奪なとどというと何か、異常なことのように感じるが、帝国主義時代、植民地主義時代には、別に特別なことではなかった。奴隷制度も然りである。国家による山賊行為や海賊行為は、極有り触れたことだったのである。

 税以外で反対給付のない収入がお布施か略奪というのは、税の本質を表している。税は、慈悲にも、暴虐にも変じるのである。そして、その在り方が国家の在り方を明らかにする。国家は、神の慈悲を表すものなのか、それとも、暴虐な存在となるかなのである。
 それは、税は、反対給付を期待せずに、その使い道にこそ、国家の理念が現れるからである。国民の福利のために税が使われるのか、ただ、ひたすら軍事力に使われるのか、それによって国家の命運は定まる。むろん、国家、国民を護ることを否定しているわけではない。しかし、何が目的で何が手段かを正しく見極める必要があるという事である。

 税は、反対給付を必要としていない。
 故に、過大な出費がなければ、財政は、企業収益と違って負債を生じない。ただ、法貨は、公的債務を生じさせる。ただ、法貨は、金利と返済という義務を持たない、債務であるから、実質的な支払義務を持たない。法貨による公的債務は、信用枠の拡大を意味する。故に、財政制度そのものから負債は生じない。負債が生じるのは、財政の規模によってである。財政の規模による。
 国家の債務は、同時に国内の公的機関や企業、家計の債権、又は、外国の公的機関や企業、家計の債権となる。債務は、将来の支払、返済を伴うものであるから、財政の機能を制約し、規律を失わせる。故に、闇雲に膨張させるわけには行かない。

 財政を構成する働きは、軍事、行政、社会資本、所得の再分配、そして、景気対策である。しかし、この中の景気対策は、二義的な目的である。景気対策は、税制の仕組み、金融政策、公共事業を活用して通貨の流量や分配を調整する事によって行う。

 古来、財政を破綻する原因は、軍事と濫費であることを忘れてはならない。






                    


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