相対主義


相対的認識と経済


 経済的現象があることを前提とする。経済的現象は、認識上の問題である。故に、経済的価値は、相対的価値であり、絶対的価値ではない。意識が生み出しものである。観念的なものである。

 現代経済は、土地本位制度的なところがある。

 地代と利子、収益は、経済に時間的価値をもたらした。地代と利子、収益が成立したが故に、経済は、成長を始めた。そして、成長を前提としなければならなくなった。
 そう言う意味では、現在のゼロ金利下の日本は、革命的な実験を進行させていると言っても良い。ただ、無意識にではあるが・・・。

 地代と利子は、常に、金融制度の根幹をなしてきた。地代と、利子は、原因と結果の関係にある。

 土地と利子とは、相関関係にある。土地は、債務の担保になる。債務は、利子の原資となる。

 市場経済に構成するのは、取り引きである。現在の市場取り引きを経済的現象として認識する基準は、会計制度である。会計制度の文法は、複式簿記である。複式簿記の根本思想は、実現主義である。実現主義における基本は、取り引きの実現したとする認識である。取り引きが成立したと認識された時点で同量の貨幣価値を有する債権と債務が生じる。同時に、貨幣価値が示現する。それを象徴した物が現金である。現金と財との交換が成立した時点で取り引きは決済され完了する。

 取り引きは、財と貨幣との交換よって成立する。
 市場取り引きを成立する財には、名目的価値と実質的価値がある。名目的価値は、貨幣価値であり、実質的価値とは、財、そのものの価値を指して言う。財そのものの価値とは、財の使用価値であり、時価である。
 実体的な経済は、実質的価値に根ざしている。
 現金は、名目的に表される。故に、現金の裏付けは債務である。

 貨幣は投入した以上には増えない。貨幣価値を増殖するのは、時間と信用である。時間とは、時間価値である。時間価値と信用は、負債によって生じる。負債は、債務と債権からなる。

 実物貨幣の時代は、貨幣は、その時点その時点の決済の手段であった。しかし、信用貨幣の時代になると、貨幣価値には、時間軸が加わり、信用を創造するようになった。信用を創造することによって貨幣価値を何倍にも増殖することが可能となったのである。

 債権と債務は、認識の問題である。債権が生じると債務が生じる。債権が生じると債権が生じる。即ち、債権と債務は、作用反作用の関係にある。

 企業経営は、債務と債権の水準の均衡を前提としている。債権の水準が債務に対して相対的に低下すると経営は、不均衡になる。
 債権価値が低下すると債権の時間的な価値が期待できなくなると、債務の返済圧力が経営に覆い被さってくる。

 債権の対極にあるのは、債務である。債務の返済能力を保証しているのは、債権である。債権の価値が確定している流動性の高い財が良い事になる。そうなると一番良いのは、現金、及び、現金同等物であり、次ぎに、金融商品となる。
 不動産や実物のような債権は、不動産市場や実物市場の水準によって変化する。不動産市場や実物市場の動向によって不安定になる。また、価値を確定するのに時間が掛かる上、費用も掛かる。そうなると、なるべく実物資産は、持たない方が良いとなり、資産が圧縮される。
 債権者にとっては、債務者の返済能力が問題なのである。

 結局収益に不安があると金融機関は、貸し渋りをはじめる。余剰の資金があっても、実物経済には廻らなくなる。金融市場におけるバブル現象は、実物市場から資金を金融市場に吸い上げてしまう。その悪循環が、実物市場を奈落の底に突き落としていくのである。

 地価は、あらゆる経済の根源である。
 坪六千万円もする東京の銀座の土地は、収益還元法では、とても、採算がとれない。ビルを建てて賃貸しても、分譲にしても地価が高すぎて収支が合わないのである。(「日本経済 タブーの教科書」別冊宝島編集部編 宝島社)だとしたら、土地を転売するしかない。しかし、土地を転売しても土地の活用にはならない。要するに、土地が高すぎるが故に、土地を活用することができないのである。
 この様な現象が、事業にも起こりつつある。
 事業収益が、初期投資が大きくて収支が合わなくなってきているのである。しかし、金融的価値が発生する。

 土地の量には限りがある。それが債務を抑制する。不動産市場の限界と債務の圧力が相場の限界をもたらす。上昇し続ける相場はない。必ず逆方向の力が働いている。そうでなければ、それは異常であって市場の暴走である。
 
 土地は、無限にある物ではない。有限な物である。更に、市場に流通する土地は、限定される。この市場に流通する土地の量が最終的には、市場を規制する。
 土地は、現金をもたらすと同時に、債務と債権を同時に発生させる。この債権は、流動化されると債務と現金を創造する。また、債務には、金利が付き、時間価値が発生する。それが、バブルを発生させ、またバブルを崩壊させる。
 土地が取り引きされなければ、この様な現金や債権、債務は派生しない。ただ、潜在的にこれらの価値を蔵している。

 所得の水準が利益の水準を左右する。所得の水準は、市場の環境によって決まる。市場の環境は常に揺れ動いている。

 かつては、資産は財産であり、所有するだけで価値があった。しかし、現在は、債務の塊である。資産価値が下落すると債務の返済圧力が増す。

 貨幣価値というのは、認識によって成立する価値である。貨幣価値は意識の上に形成される。故に、貨幣価値には、時として残像を作る。貨幣に依らない経済は、物的空間の運に成り立つ。物と物との関係を基盤とする。故に、経済関係は、物が失われれば終了する。それに対して、貨幣価値は、物的な裏付けがなくても価値が残ることがある。その残像として残った価値が経済に重大な影響を及ぼすことがある。
 例えば地価である。バブル期に地価は高騰した。バブルが弾けると地価は下落したにもかかわらず、債務は残った。それが不良債権を形成したのである。ここにバブル崩壊後の価値の構造がある。即ち、地価の時価と地価の高騰時に残した債務残高、そして、不良債権である。時価と債務と債権、これがバブル崩壊が残した要素である。

 債務は名目的なもので変動がないのに対し、実質的価値である時価は、変動的なもので、その時点の相場に基づき激しく変動する。その為、バブル時に形成された地価は、債務として残され、時価と債務の乖離が資金の回収圧力として働いている。この圧力は、相場がバブル時の価格まで上昇するか、債務の返済が終了するまで働くことになる。
 それが景気に対する下降圧力になるのである。景気に対する下降圧力が働いているときは、収益は、圧迫される。かといって上昇圧力が強くなりすぎると景気は過熱し、インフレ懸念が高まる。要は、力の均衡が大切なのである。そして、景気を決定付ける圧力は、認識によって生まれる働きであることに注意する必要がある。景気は人間の意識が生み出す状態なのである。

 残像は、企業の利益にも重大な影響を与える。利益は、認識の問題である。収益は、変動的であるのに対して、費用は固定的である。そして、常に収益は、上昇することが期待されている。そして、費用は硬直的である。それに対して、現実の収益は、高下を繰り返している。高収益の時は、利益から分配されるが、収益が減少しても補填される部分は、小さい。しかも、市場は常に均衡を目指している。経営主体は、放置しておけば安定した収益があげられなくなる。経営は、利益が平準化することを望む。しかし、実際には、利益は不安定であり、利益が不安定だから景気も不安定になるのである。なぜならば、負債の返済は一定だからである。

 名目的価値と実質的価値の乖離も残像の原因となる。名目的価値と実質的価値の差は、認識の差によって生まれる。いずれにしても認識の問題である。しかし、認識の差であるが、意識の上にいろいろな錯覚を生み出す原因となる。例えば、インフレーションやデフレーションの中には、名目的な物価上昇率と実質的な物価上昇率に対する認識の違いによって生み出されるものもある。

 この様に、貨幣価値の残像はいろいろな経済的現象を引き起こす原因となる。
 景気は、人々の意識によって左右される部分や要素があることに注意する必要がある。







                    


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