64、負の効用



我々は、成長や拡大といった表面に現れた変化に目を奪われがちだが、実際に全体を動かしているのは、表面には現れてこない仕組みの働きである。
例えば、市場の働きは、成長や拡大にあるわけではない。成長や拡大をしなくても必要な資源を生産し分配しているのならば、本来問題はないのである。
ところが、現代人は、成長や拡大にしか経済の意義を見出さない。そのため無理な成長や拡大を促す事で市場の本来の機能を損ない、経済を衰退させてしまっている。

表に現れてこない働きの中で特に重要な要素は、負債の働きである。
負債の元は借金である。

借金とか、負債というと何か悪い事のように考えている人が結構いる。
お金を借りる事は、犯罪であるかのように思っている人さえいる。
確かに、世の中には、借金だらけになって身を持ち崩す人が溢れている。
テレビでも過払い金請求の広告が連日流されている。
街金、高利貸というのは悪の権化のように思われているし、時代劇の悪党は高利貸というのが通り相場である。
しかし、本当に借金というのは悪い事なのであろうか。

お酒だって飲みすぎれば体を壊す。スポーツだっやる過ぎれば体に良くない。
薬も決められた以上呑めばかえって毒になる。
なんだって限度を越せば何らかの問題を起こす。
問題は限度を知る事なのである。

一般に借金は悪い事だという認識に立っているように私には思える。しかし、本当に借金は悪い事なのであろうか。
現代社会は、借金によって成り立っている事を忘れてはならない。なぜなら、貨幣の本質は借金だからである。
借金を悪役にせずに借金の効能をよく知ることが為政者に求められている事である。

「お金」は便利なものである。
大金を手にするとついつい気が大きくなる。そこに落とし穴が潜んでいるのである。
借りた金は、いつか返さなければならないと知りながら、お金を手にすると無駄な使い方をしてしまい。
返す当てがあって借りた「金」も返さなければならない段になると、返済に汲々となり四苦八苦する事になる。
そこで後悔しても後悔先に立たずである。

現代の「お金」は、表象貨幣である。表象貨幣の根源は、借金である。

現代社会は、借金によって成り立っていると言っていい。
借金なしでは貨幣経済は、成り立たないのである。
ただ、借金という事にそれなりのリスクが伴うのも事実である。
しかし、そのリスクは借金や負債の効用、存在意義をよく知らないことが原因で発生するリスクなのである。
借金や負債は悪い事だと決めづけずに借金や負債の働きを正しく認識する事が大切なのである。

市場は、過剰な部分を認識する事ができなくなると歪が生じ、暴走する。

市場経済は、人、物、金の過不足を原動力として成り立っている。
「お金」過剰な部分から不足している部分に融通され。その「お金」の流れによって生産物を流通させ分配する仕組みが市場なのである。
故に、市場には常に、人、物、金が過剰な部分と不足している部分が混在していなければならない。
この様な、人、物、金の過不足は、差によって生じる。差が均衡している時は、人、物、金は円滑に循環するが、差が不均衡になり、市場に偏りが生じると市場は傾き、構造を維持的なくなる。
経済の根本は本来必要性に置くべきなのである。市場の過不足は、必ずしも、人々の必要性を反映したものではない。
故に、過不足だけに市場の動きを任せていると市場には歪が生じる。その歪みが市場経済にさまざまに障害を引き起こすのである。
計画性というのは、生産や分配に直接介入する事を意味するのではなく。仕組みを計画的に動かす、あるいは変化させることで市場の均衡を保つ事を意味する。

市場は何らかの形で常に余剰な部分を抱えている。
余剰な部分は、金銭的な部分だけではない。人や物にも余剰な部分がある。
人手も、財も余剰な部分と不足の部分が常にある。そして、不足している部分へ余剰な部分から融通する事によって経済の仕組みは稼働しているのである。
人は、労働力と需要、消費を担い、財は、雇用と供給、生産を担い、「お金」は、所得と支出、投資を担っている。
そして、これらは各々の要素の過不足によって機能している。
所得には、労働力と雇用が、支出には、消費と在庫が、投資には、需要と供給が対応している。
労働力の過不足を調節する為に財政投融資と所得の再分配があり、財の量の過不足を調節するために投資と在庫があり、「お金」の過不足を調節するために金融がある。そして、必要な資源が経済圏の内部で調達できない場合、経済圏の外から交易によって調達をして補う事になる。金融は、貯金と借金によって構成される。
需要と供給、労働と所得、生産と消費には偏りがある為に過不足が不均衡になる場合がある。
例えば労働力が余剰な地域に仕事(雇用)がない。過剰に家があるのに、買手がないといった事が往々に起こる。
余剰な部分と不足している部分を市場が適切に認知し、それに対する調節する機能が迅速に働けば問題はないが。
不足した資源を生産するのに、時間がかかったり、また、生産そのものが必要量を大幅に下回ったりすると市場は本来の働きを維持できなくなる。
金融は、基本的に人、物、金の過不足を調節する事を目的としている。この目的が失われると金融は、本来の働きができなくなり、「お金」の流通が制御不能に陥る。

金融は、「お金」の過不足を補う事を通じて市場に「お金」を循環する役割を担っている。そして、この過不足を補う為に必要な手段が所得と借金なのである。

問題は、市場を動かしている過不足は、必ずしも人々の必要を反映したものではないという事である。
経済の根本は本来必要性に置くべきなのである。
しかし、市場の過不足は、必ずしも、人々の必要性を反映したものではない。

故に、過不足だけに市場の動きを任せていると市場には歪が生じる。その歪みが市場経済にさまざまに障害を引き起こすのである。
計画性というのは、生産や分配に直接介入する事を意味するのではなく。
仕組みを計画的に動かす、あるいは変化させることで市場の均衡を保つ事を意味する。「お金」の過不足だけを問題にしていたら、物や人の過不足を解決する事がおろそかになる。その結果、人口が減少に向かっているのに、家が過剰に立てられたり、市場が過飽和状態なのに、大量に生産された商品が供給され続け値崩れを起こしたりするのである。

人、物、金の過不足は、差によって生じる。差が均衡している時は、人、物、金は円滑に循環するが、差が不均衡になり、市場に偏りが生じると市場は傾き、構造を維持的なくなる。

市場経済を考える時、借金がいいかどうかを問題にすべきではない。借金が正常に働いているかどうかを見るべきなのである。

借金が正常に機能しているかどうかを判断するためには、借金の働きとは何か。負債の効用とは何か。
それを明らかにする必要がある。

借金には、「お金」の過不足を調整する機能がある。

また「お金」は、貨幣価値、時間価値、付加価値の基となる。
借金によって貨幣価値が生み出され貨幣が市場に供給される。

「お金」の元は借金である。
借金は、金利によって時間価値を付加する働きがある。
時間価値によって付加価値が生まれる。

故に、「お金」の貨幣価値、時間価値、付加価値の源泉は、借金である。

「お金」は天下の回り物である。
経済的な仕組みというのは、「お金」の循環によって動いている。
「お金」の循環を起こすのはお金の過不足である。

基本的に市場における貨幣価値の総量は、ゼロ和に設定されている。故に、資金の過不足は均衡しているのである。
この過不足は、貸し借りという形で市場に現れる。借りる者がいれば、貸す者がいて借入金の総量と貸出金の総量は常に均衡しているのである。この貸し借りが資金流れを生み出している。
そして、この貸し借りによって引き起こされるお金の流れが物流を促すのである。

「お金」は、最初、経済的機関に貸出、経済機関から見ると借入という形で供給される。投資というのも一種に借入金である。
借りてきた資金、元手によって何らかの価値を生み出し、その対価としてのして収入を受け、借入金の返済に充てる。
この循環の過程で所得という形で「お金」を分配するのである。
貸し借りによって作り出されたお金の流れは、収入と支出によって生産物の分配を実現する。

つまり、借金という形で「お金」は現物市場に供給されるのである。言い換えると借金がなくなれば資金は市場に供給されなくなる。

「お金」の働きを測定するためには、「お金」の過不足の幅を測る必要がある。
ただ、「お金」の過不足の総和は、ゼロ和に設定されているため、「お金」の出入りによる働きの総和は、市場全体では解消されてしまう。
故に、単位期間に特定し、その期間の「お金」の流れとストックを測定し、「お金」の働きを制御しようというのが期間損益である。
気を付けなければならないのは、何がゼロ和に設定され、何がゼロ和に設定されていないかである。利益は、ゼロ和に設定されていない。利益をゼロ和に設定してしまうと全体の働きが解消されてしまうからである。
ゼロ和に設定されている部分は、均衡しようとする圧力が働く。この圧力は、利益を限りなくゼロにしようという働きになる。それが景気の活力を削ぐのである。

生産量(供給)と分配量(需要)によって通貨量(お金)は調整される。

インフレーションにせよデフレーションにせよ市場の表面に現れる景気は、貨幣的現象である。
しかし、貨幣は、経済の仕組みを動かす動力に過ぎない。
経済の主役は生産財と人である。すなわち、経済の主たる働きは、生産と分配である。「お金」は、従に過ぎない。

住宅を例にとれば、住民により良い生活環境を提供するのが経済の仕組みの役割であって景気を良くすることや金儲けが主たる目的ではない。

一方で住む家がない人が増加し、その一方で空き家が増殖している。これは明らかに分配の仕組み、経済のシステムがおかしいのである。

人口が減れば家も少なくていいことになる。家の戸数は人口の合わせて家の質を向上させるのが本来の経済の仕組みのあるべき姿である。
つまり、量より質への転換が経済の仕組みに求められている事である。そして、量から質への転換によって雇用を増やせる仕組みこそ今求められている仕組みなのである。

景気を良くしたり、金を儲けるのは二義的な目的である。景気を良くするとか、金儲けのために住宅を必要としている消費者に必要としている住宅を必要としているだけ提供できなくなったらそれは本末転倒である。

経済は金儲けが主なのではないと言う点に気が付かない限り、景気は良くならない。

経済の仕組みは、「お金」の過不足による振動によって動いているのである。個々の経済主体は、「お金」の入りと出によって動いている。
貨幣を動力とした経済の仕組みは、お金の出入りによって動かされている。故に、経済の動きは、事前残高、出入り、事後残高で測られる。
経済の仕組みの働きを正常に保つするためには、「お金」の出入りを制御する必要がある。
「お金」は貸し借りによって経済主体に供給され、売り買いによって活用される。
貸し借りはストックの部分を形成し、売り買いは、フローの部分を形成する。
ストックは、支払い準備の量を示し、フローは、お金の働きの量を現す。
「お金」の働きは、「お金」の出と入りによって生じる振幅の幅と周期が重要となる。「お金」の出入りによる振幅は、「お金」の貸し借り、売り買いの量を測ればわかる。

貸し借りは、ストックを形成する。ストックは、負の働きをする。
ストックとフローの関係が「お金」の循環を促してもいるのである。

今は、日銀が借金をしてまで「お金」をジャブジャブ流しているし、金利も極限まで下げついにはマイナス金利にまで落ちてしまったというのに、貸付金は一向に増えない。民間企業が「お金」を借りようとしていないのである。
金融を緩和して資金の流通を増やし、金利を低くしているというのに、なぜ、貸付金が増えないのか。
それは、「お金」を集められても使い道がないからであり、使えば、回収できなくなるからである。

金融機関自体が借金を嫌っている。それでは「お金」は市場に循環しない。

利益とは何か。
利益を生み出している構造を見なければ利益の意味は理解できにないのである。
利益ばかりを追求しても利益の持つ働きや意味を解明することはできない。
なぜなせば、利益の持つ働きや意味は、利益を生みだと仕組み、システムによるからである。
借金の働きを知るためには、返済と償却、税金の関係を知る必要がある。

価格は、安いか高いかが問題なのではない。適正な価格か否かが問題なのである。適正な価格か否かが問題なのである。適正な価格より高ければ競争を促して価格に下げ圧力をかければいい。しかし、過当競争によって価格が下げ過ぎたら、競争を抑制する政策をとる必要がある。
価格が適正か否かは、費用対効果の問題である。

ハイパーインフレや恐慌、デフレーションなど市場の表層に現れる貨幣的現象、景気を引き起こす原因は、構造的要因、システムの問題である。
会計は、このようなシステム、構造的要因に対応しきれていない。

例えば、多額の初期投資をして20年かけて定額償却をし、30年かけて返済をする予定で投資を実行したとしよう。
それがある意味でうれしい誤算で、初年度に爆発的な売り上げ。初期投資以上の収益をを記録しとしたと仮定する。ところが次年度急激に売り上げを下げ、ついに三年目にまったく売れなくなったとする。
この様なケースでは、一年目に過剰な税金をとられ二年目には、損益上赤字となるっても資金の補てんがされないため、借金の借り換えができなければ、このままではこの企業は資金繰りに窮して倒産してしまう。
なんとか急場を凌いで細々と経営を続けたとしても現金の流出は、費用に対して資金の流出は、20年間費用を下回り、21年目から支出が費用を上回る。

注意しなければならないのは、複式簿記で表されるのは、二枚貝の裏表のように、必ず、相手がいるという事である。
二つの取引を合わせるとその総和はゼロになるように設定されている。
複式簿記の働きは、全体から見ると四式簿記なのである。

景気や経済状態にかかわりなく、債務者は一定額の返済をし続けなければならない。これが市場の底辺で常に働いている。

期間損益は、単位期間内におけるお金の働きを表している。
収益や収入、支出は、単位期間内の働きである。
それに対して借金の働き、資産の働き、費用、特に償却は、長時間持続的なお金の働きである。

格差というが、格差にも二種類ある。一つは、フローが生み出す格差である。もう一つはストックが生み出す格差である。
フローによる格差というのは、消費に反映される。しかし、ストックによる格差は、負債と資産に反映される。
この差が景気に決定的な差を生じさせるのである。


       

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