61、給与体制



給与改正などの話をする際もいきなり、職能資格制度がどうたらこうたらとか。
職群がどうとか。派遣がどうの、年功給がどうのと言われても、専門家以外よく理解できない。

なぜ、歴史を学ぶのか。
歴史を学ぶのは、大元にある考えや議論が今の状態に重要な影響を与えているからである。
その事を今の学校教育は教えようとしない。
だから、今は今でしかないのである。
歴史で重要なのは過程である。

給与に対してもどんな議論がされたかを知る必要がある。
給与体系というのは思想なのである。
どんな会社にしたいのか、どんな社会にしたいのかを実体化するのは給与体系に対する考え方なのである。

第一に、人事体系は分配のための仕組みだという事である。
つまり、誰に、どの様な基準で成果物を分配するかを実体化するのが給与体系なのである。

人事制度の話なんていくらでも難しくすることはできる。
しかし、そこにあるのは、成果の配分、分け前をどう決めるかの話なのである。
それは普段日常的に話している生々しい話、切実な話なのである。
生々しく切実だから分け前をめぐって絶えず争いが起こるのである。

根本にあるのは、生活を重視するか、仕事を重視するか、能力を重視するか、実績を重視するかである。
何を中心とするかの問題である。だからこれはもう思想なのである。
その根本理念が理解できなければ給与体系をどう設計するかの意味も解らない。

給与体系に対する考え方には、第一に属人給、第二に、職務給、第三に、職能給、第四に、実績給の別がある。
第一の属人給とは、年齢や家族構成、住所といった人に属す要素によって決められる給与である。第二に、職務給とは、職種、職務内容といった仕事に係る要素によって決められる給与体系である。第三の職能給とは、技術、知識、経験といった仕事に対する能力に基づく給与体系である。第四の実績給とは、実績に基づいて決められる給与体系である。

属人給からは、年金や退職金、福利厚生、社会保険制度等が派生した。属人給の性格から共同体思想を下敷きにしている。

純粋の属人給、職務給、職能給、実績給というのは、成り立たない。それぞれの特徴を組み合わせながら給与体系というのは、構成される。

また、それぞれの給与体系からいろいろな要素が派生している。例えば、職能給からは、職能資格制度等が形成され。
職務給から職務分掌や職種別給などである。また、職務給の考え方の根底には、単一労働単一賃金の思想が流れており、その根源は、産業別組合にある。
教職員は、職務において身分保障がされている。

実績給には、歩合制度や出来高制等がある。

また、実際の給与は、基本給と手当が組み合わさって給与体系は構築される。
基本給の働きと手当の働きをよく熟知したうえで、基本給部分と手当部分の構成比率や案分どうするかを決めて給与体系を構築していくのである。

終身雇用、年功序列型雇用体制では、属人給が重んじられた。敗戦直後の混乱期には、社会主義や共同体主義が横行した事に由来する。
また、高度成長時代は、ベース、基本給が基礎としていたため、それが低成長時代になると退職金が巨額になり、退職金倒産などが懸念された。そのために、民間企業では、基本給以外の部分、手当てに重点が置かれるようになり、正規雇用から派遣、アルバイトのような不正規雇用へと比重が移っていった。
それに対して、官公庁では、属人給、職務給が残存し、それが等級制度や試験制度と結びついていった。

また、給与制度の骨格を作る際には、統計的発想、すなわち、平均値、中心値、最頻値、偏差等が必要とされる。




私は、人事を理解するためには、土台で、どんな議論がされてきたかを明らかにする事だと思うのです。
人事は、やっぱり思想だと思うのです。
最近は、その点がないがしろにされているきらいがありますが、そのために人事制度の本質が失われつつある気がします。
我々は、今日の人事制度を築くためにいろいろな試行錯誤を繰り返し、それぞれの立場から議論を繰り返してきましたので、その辺のいきさつを自然に身につけておりますが、何も知らない世代の人たちは、その間の事情が呑み込めていないのだと思います。
やっぱり人事は思想です。また、人事こそ思想だと思います。
要するに、生活に重きを置くか、仕事に重きを置くか、能力に重きを置くか、実績に重きを置くか。
我々が子供の頃は生活するのがやっとで生活を維持する事に重きを置きました。故に、属人給的な性格が濃厚となりました。
それが高度成長期になると競争が激化し、能力給的色彩が強くなり、また、組織の成長とともに分業がより深化する事によって、専門職の処遇が問題となり職務給が要求されるようになりました。そこから職能給か、職務給かの議論を生みだしました。
この職能給か、職務給かの議論の背景には、企業内組合か、産業別組合か議論が隠されていたと考えます。産業別組合の論拠の一つが単一労働単一賃金という思想です。つまり、作業、賃金の単位化、標準化、平準化の議論です。
また、オイルショックにより高度成長が終焉し、低成長時代に入ると属人給的性格が負担となり、退職金倒産などが懸念されるようになりました。そこから、属人給的性格が民間の給与体系から削られ派遣といった実績給に特化した雇用体制へと移行してきたのだと思います。
しかし、官公庁の給与体系は、属人給、職務給的色彩が強く、それが、資格等級制度や試験制度と結びつくことで硬直的となり、財政問題の一因ともなってきた気がします。
人々の生活が豊かになり、また、社会が多様化してきた現在、能力か生活かの議論から抜け出し、より人それぞれの生き方に立脚した給与体系が求められています。
こうした背景の中で、給与から生活給、属人的性格が失われ、給与所得の持つ適正な分配という機能に偏りが生じたのだと考えられます。それが総所得の低下をもたらし、企業のもつ、共同体的性格の喪失の原因ともなっているのだと思います。
今日、純粋な形での属人給や職能給のようなものはプロスポーツのような例を除いて見られません。要は、何に重点を置くかという事と、どう組み合わせるのかの問題だと考えます。それを決めるのは、思想だと考えています。
これらの事を考えて見ると、よりライフサイクルに密着した給与体系へと移行していかないとこれからの変化の時代に対応する事が困難になると考えています。





       

このホームページはリンク・フリーです
ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2016.9.16 Keiichirou Koyano