経済の現状

日本経済の現状について

6 マネー



お金は、量に制約があるから価値が保てるのである。お金が無尽蔵にあるとなったらお金の価値は失われてしまう。

貨幣価値は、制限があって発揮される。制限がなければ価値は確定できなくなる。
貨幣価値の総量は、制限によって範囲が特定される。
貨幣価値は、人工的観念の所産である。所与の存在物ではない。
貨幣価値は、物としての実体をもたない。
それを実体化したのが貨幣である。
貨幣には、実物貨幣と表象貨幣の二種類がある。
小判や銀貨のような実物貨幣は物としての実体をもっているが、紙幣のような表象貨幣は、物としての価値を持たない。表象貨幣は、純粋に名目価値を表している。
表象貨幣は、貸し借りによって制約される。
故に、貨幣価値の総量は、貸借によって特定される。
所得は、貨幣価値の総量に制約される。
所得は支払いを準備する。
所得の総量は、貨幣が流れる過程で拡大する。それが信用創造である。
所得の拡大は、生産手段の稼働率に依っている。
生産手段の拡大は生産手段に対する投資による。
故に、最終消費者である家計や一般政府が所得の拡大の担い手ではない。
所得の拡大の担い手は、非金融法人である。

民間、企業の設備投資が活性化しないと所得は拡大しない。
貨幣の流通量を増やすのは貸し借りだからである。
流通速度は消費,即ち、売買によって決まる。
所得を制約、拡大するのは、消費、即ち、生産財ではなく、生産、即ち、生産手段であるなぜなら、所得は、生産量に制約され、消費量に制約は受けないからである。

貨幣,つまり、お金は分配の手段だという事である。
分配は、生産から消費の過程で為される。
故に、実際の分配は、最終消費者でなく、中間過程にある。
即ち、お金が流れる過程で分配は実現されるのである。

中抜き、中抜きと言って安売りばかりを求め中間や過程を軽視するから分配が滞るようになるのである。分配の働きは最終消費にあるだけでなく、むしろ過程にあるのである。川が流れるように物と金の流れがあるから周辺部分は潤うのである。

お金が経済の仕組みを動かす原動力である。
お金の流れによっ、所得、生産、支出の働きの均衡はたもたれている。お金の流れる量や速度だけでなくお金が流れる方向にも注意しなければならない。お金の流れにも順逆があるのである。お金の流れの順逆はお金の流れる方向によって定まる。お金が実物市場の側に向かって流れるのが順で回収の側に流れるのが逆である。お金が純な方向に流れた場合、貸し借りや売り買いという働きが生じる。貸し借りによって市場の側にお金が流れると同量の債権と債務が生じる。逆方向に流れると債権と債務は清算されるのである。現在の日本で問題なのは、お金の流れが逆流している事である。

債権と債務の価値の不均衡が回収圧力となり、尚且つ、過当競争によって企業の収益力が低下した結果、本来実物市場に流れるべき資金が実物市場から排除されているのである。

その結果、今の日本は、お金が実物市場に流れずに逆流し、行き場を失ったお金が、金融市場に滞留している状態なのである。

今日の貨幣制度では、正式にお金を供給しているのは、貨幣の発行、発券機関である。日本では、政府並びに中央銀行である。硬貨に関しては、政府機関が発行し、紙幣に関しては、中央銀行が発券している。多くの人は、中尾銀行だけがお金を供給していると錯覚しているが、実際は、政府も一部貨幣を直接市場に供給しているのである。
ただ、発券機関は、無原則に貨幣を市場に供給するわけにはいかない。故に、政府は、かつては、準備金によって今日では、国債を発行する事によって貨幣の発行の上限を制約している。

貨幣価値の総量を規制するのは、お金の発行残高である。
お金の総量を規制するのは、発券機関と政府機関である。
政府は、国債を発行し、公共事業、公共投資をする事で貨幣を市場に供給する。中央銀行は、以前は、金を担保する事で、今日では、日銀の当座預金、国債を担保する事で紙幣の流通量を制約しているのである。

日本銀行の国債の保有残高は、2015年2月1日現在で271兆円、うち長期国債219兆円。銀行券の発行残高は、89兆円である。国債残高が銀行券の発行残高を上回ったのは、2011年5月1日国債残高が80兆円で、銀行券の発行残高が79兆円である。長期国債残高も2012年8月に長期国債残高83兆円、銀行券発行残高81兆円と上回った。しかもそれが、4年足らず3倍にまで膨らんでいる。

日本銀行には、2001年(平成13年)3月の金融政策決定会合で決定された、「金融調節上の必要から行う国債買入れ」を通じて日本銀行が保有する長期国債の残高について銀行券発行残高を上限とするという銀行券ルールがある。この日銀ルールは、現在停止されている。

黒田総裁による新たな金融緩和策では「資産買い入れ基金」を廃止し、国債の買い入れの枠組みを一本化する。国債の大胆な買い増しも考慮し、銀行券ルールの「一時適用停止」方針を決めた。(2013年4月5日 日本経済新聞より)

国債残高は、2014年9月末には、1,039兆円を超える。財政赤字の目処が立たないまま、時間ばかりが過ぎていく。放置すれば、赤字の解消手段は、ハイパーインフレか、恐慌、戦争、革命いずれにしても暴力的な手段を使って土台から破壊しなければならなくなる。しかし、それ以前にお金が流れなくなってしまう。

冒頭に書いたように、お金は量が有限である事が前提となって成立している。お金を際限なく印刷できるとなったら忽ちお金の価値は失せてしまうのである。

量的緩和をし、通貨を市場に大量に供給しても市場に通貨が回らなければ意味がない。
信用乗数は、量的緩和をする度に倍率が低下している。2001年、量的規制緩和政策を施行し、2010年に包括的緩和策を施行、そして、異次元の量的緩和をする度に低下した。低下したというのは、信用乗数から見た結果であるが、実際は、量的緩和をした事でマネタリーベースは劇的に増えたが、マネーストック(M2)に影響があまりなかった結果だと言える。(図6-1)ベースマネーが増えた分、倍率が低下したのである。2001年量的緩和を施行する以前は、10倍以上、1995年頃は12倍あった信用乗数が、2001年の量的緩和を導入する(図6-2)と9倍程度に低下し、更に包括的緩和策で7倍まで低下し、異次元の緩和をした後は、3倍と急速に低下をしている。

資金の働きは、量と回転によって計られる。結局、市場に流れる通貨の総量が変化しないから量を増やしても回転数が低下する、と言うよりも、お金が実物市場に流れていかないのである。金融市場の出口、実物市場の入り口が閉められているのである。
いくら量的緩和をしても入り口から金が溢れて実物市場に流れず金融市場に逆流しているのである。それがバブルを引き起こす原因となっている。

現在の経済の仕組みは、お金が環流する事で成立している。つまりは、お金を如何に制御するかが、財政をはじめ経済の仕組みを制御する唯一の手段なのである。だからこそ、日銀ルールのようなお金の流れを制御するための規約が必要なのである。

ただ便宜主義的にルールを外していくのでは、お金の働きが制御できなくなるのは、時間の問題である。

経済の仕組みは、お金が動かしている。つまり、現在生起している経済的事象の多くはお金に起因している。
お金の働きは、お金の流通量と回転数に規制される。つまり、実質的にどれくらいの量のお金が市場に出回っているかが、基本となる。

注意して欲しいのは、マネーは、負の働きだと言う事である。正の働きは、実体にある。生きる為の資源の生産と分配がなければ経済は成り立たない。お金を食べる事も着る事も出来ないのである。生きていく為に必要な食糧や資源があるからお金は役に立つのである。この事を忘れたらお金の意味はなくなる。
実物経済がなければマネーは機能しないのである。そのマネーが実物から乖離した所で威力を発揮しているそれが問題なのである。
お金は、陰で働いている。表で働くのは、物である。物の生産と分配の手段、道具としてお金がある。お金が主役なのではない。金融機関も裏で機能する仕組みである。
いくら金融機関が収益を上げてもそれだけでは、経済は成り立たない。
お金の働きが過剰になった時バブルは興るのである。

借金は、何が何でも悪いという考え方に凝り固まり、逆に一度、箍が外れてしまうと際限がなくなる。オール・オア・ナッシング的な考え方ではなく。借金の意味や働きを認めた上で借金の水準を定めて管理する手法を導入すべきなのである。その一手段が会計的手法である。

実物市場と金融市場の働きが何らかの理由で乖離し、実物市場に対する資金供給が断たれ、その結果、資金が金融市場に滞留し、金融市場の内部で貨幣価値自体が実体の裏付けがないままに自己増殖をする。それがバブル現象である。

現在のお金、現金の主たる部分は、紙幣によって形成されている。紙幣とは本来、借用証書や預り書である。つまり、根本が負債なのである。その為に、紙幣には負債の性格がある。こくさいと同質な部分があるのである。
その証拠に銀行券は日銀において負債勘定である。
言うなれば、銀行券と国債は、融通手形のような性格を持つ。

この様な紙幣は、以前は、兌換紙幣として金の裏付けによって総量を規制していた。経済規模の拡大に従って金とといった有限な資源では自ずと限界があり、現在は、管理通貨制度に移行している。
金本位制度から離れたからと言って野放図に紙幣を発行して良いというわけではない。問題は、どこに境界線を引くかである。

資金不足の量と資金余剰の量は、同量存在する事が前提なのである。資金不足と資金余剰によって生じる歪みを時間差によって調節しているのである。

負の値を否定的に見るが、実際は、赤字幅と言った負の値が重要な意味を持つ事がある。負債というのは是非善悪の問題ではない。水準の問題である。ゼロ和である限り赤字は構造的に生じるのである。
何が何でも赤字は悪いという発想は改めるべきなのである。無論だからといって赤字がいいなどと言う気持ちは更々ない。
要は、適度、均衡、状況なのである。





図6-1


日本銀行 単位一兆円

図6-2

熊本大学 日本銀行




       

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