「お金」のアルゴリズム


「お金」とは


「お金」と言うと札束や小判、金貨を思い浮かべる。しかし、「お金」の本質は、働きである。表象貨幣が中心になってからお金は、物としての使用価値は失った。今は、単なる情報、電算機の中の信号でしかなくなりつつある。
お金の本質は情報である。

我々は、経済的価値を「お金」に換算して考えるのが当たり前のようになってしまっている。それが経済的価値、即、貨幣価値だと受け取りがちである。
しかし、本来、経済的価値と貨幣価値は一体なものではないし、「お金」その物に価値があるわけではない。「お金」は、「お金」単体で成り立つわけではない。「お金」の価値を裏付ける何らかの実体がなければ成り立たないし、「お金」を「お金」として人々が認知しなければ成り立たない。
それ故に、貨幣価値を一般に受け入れるのには、それ相応の時間と手間暇がかかっているのである。

まず第一に、一万円と言う価値を認めなければ為せない。次に一万円が何と交換できるか。つまり、一万円で何が買えるのかが問題とされる。なぜならは、一万円で買える物の価値は一定していないからである。要するに一万円は、一万円と言う交換価値を表象しているが、一万円と言う価値が確定するのは、何らかの財と交換した時なのである。「お金」は、使用された時はじめて価値が確定する。
「お金」が表象しているのは、交換と言う働きなのである。

現代経済の仕組みを動かしているのは、「お金」である。「お金」といっても現在の「お金」の主たる部分は表象貨幣、即ち紙幣が占めている。故に、現在「お金」と言った場合、表象貨幣を指していると言っていい。

現在の経済では「お金」の動きが鍵を握っている。

現在の経済の仕組みを制御する為には、経済を動かしている「お金」の貨幣経済の仕組みを知る必要がある。
貨幣経済の仕組みを知るためには、「お金」の生成アルゴリズムを明らかにする必要がある。

「お金」は、取引に依って市場に供給され、循環し、効力を発揮する。
外部取引は等価交換を前提として成り立ち、利益は、内部取引より生じる。
一般に取引と言うと「お金」の動きばかりを注目し、財の流れが見落とされる。その為に、双方向の働きが認識されない場合が多い。

「お金」の価値は交換にある。つまり、どれだけの財と交換できるかによって「お金」の効用は測られる。
本来、自分が何を欲しいか、どの様な生活をしたいかによってどれくらいの「お金」を稼ぐかを考える。「お金」があって使い道を考えるわけではない。食べる物もなければ兎に角「お金」を稼ぐことを考える。それが経済である。

「お金」の目的


「お金」は、道具・手段である。故に、「お金」の目的は、道具・手段としての目的である。包丁を殺人や強盗に使う事はできる。しかし、包丁の目的は、料理を作る事である。なぜならば、包丁は、料理を作る道具・手段だからである。包丁が犯罪に使われたとしても、包丁は、犯罪のためにあるのではない。包丁は、犯罪の為の手段ではないからである。この点をわきまえないと「お金」本来の役割を画定する事はできない。

「お金」は、分配の手段である。故に、「お金」の目的は、財の分配を促す事にある。
「お金」の目的を理解する為には、分配に対して「お金」がどのように活用されるかを明らかにする必要がある。
まず「お金」の目的は、経済的価値の一元化がある。

「お金」の単位を掛け合わせる事で一旦全ての経済的価値を貨幣価値に還元する。それが分配の為の前処理である。「お金」は、媒体である。
「お金」は、何らかの財と掛け合わさる事で財の経済的価値を貨幣価値に還元する媒体である。

貨幣価値に還元される事で、全ての経済的価値が一元化される。
時間の経済的価値も、労働の価値も、権利の価値も、物の価値も同一の基準で測れるようになる。

第二番目に、「お金」の目的は、経済的価値を数値化する事である。「お金」は、財を貨幣価値に還元する事で経済的価値を数値化し、演算や比較を可能とする事を可能とする。

三番目に、「お金」の目的は、取引を完結させる事である。「お金」は、財と「お金」とを交換する事で一つひとつの取引を完結させる働きがある。

四番目に、「お金」の目的は、経済的価値を普遍化する事である。財を貨幣価値に還元する事で、財の価値を普遍化する。

そして、五番目の「お金」の目的は、交換価値を純化する事である。「お金」は、交換価値に特化する事によって交換価値を純化する。純化されることによって交換価値は情報化される。最終的には、物質性から乖離し、純粋の情報となる。「お金」は、価値尺度に過ぎない。「お金」その物が価値を持っているわけではない。その事を忘れると「お金」の変化に振り回される事になる。「お金」は、交換価値を純化したものにすぎない。

「お金」の目的は、分配と言う働きから成立している。そして、「お金」の働きによって「お金」の目的が純化されると「お金」の仕様も明確になる。

「お金」は、働きに応じて分配され、必要に応じて市場から財を調達する為に使用される。
これが「お金」の最終的な目的である。

「お金」の目的は、所得と収益に要約される。

所得は、第一に、労働等生産手段に対するの対価。第二に、生活費。第三に、評価。第四に、費用の等の働きがある。
収益は、第一に、生産財の売上。第二に、費用の資金源。第三に、投資資金の回収。第四に、借入金の返済資金減。第五に、利益(配当)の源。第六に、運転資本の担保である。
この働きを裏返すと「お金」の目的が明らかになる。所得や収益が減少すればこれらの働きも弱まる。

現代経済の停滞の原因は、適正な収益を維持的なくなった事による。つまり、適正な費用を維持できなくなったからである。現在求められているのは、費用の削減ではなく。適正な価格によって費用を維持する事である。
金融業界が活力を失ったのは、低金利ではなく。利幅がとれなくなったことであり、適正な収益が見込める投資先がなくなったことである。いずれも、適正な収益が維持されていないことが原因である。

経済主体は、「お金」の収支、即ち、入金と出金によって動かされている。要するに入り口と出口が、問題なのである。入り口を構成するのは、収益であり、出口は、支出である。入力と出力の関係が経済の動きを定めている。つまり、収益対費用、所得対支出の関係によって景気の方向は定まるのである。

「お金」を集めたり、貯めたりする事は目的とならない。なぜならば、「お金」は分配の手段であり、交換価値を純化したものだからである。「お金」は、使用されないと効用を発揮しない。
「お金」の目的は、市場取引を通じて財の貨幣価値を確定する事である。

「お金」の初期条件・前提



現実の「お金」は、歴史的産物であり、各々の通貨が成立する過程は、一定ではない。ただ、紙幣が成立する為の、要件、アルゴリズムには一定の法則がなければ成り立たない。それは紙幣は一定の共通した要件を満たす必要があるからである。

今日の紙幣の本質は、紙幣の成立過程に隠されている。紙幣は、歴史的産物である。最初から、明確な理論に基づいた仮定、設計図の上に建てられたものではない。むしろ、経験やその時々の状況に合わせて形成されたものである。
紙幣は、何によって生産されるのか。紙幣を生産するのは信用である。紙幣が成立するのは、紙幣が「お金」として信認される事である。つまり、「お金」は、信用が生み出すものなのである。紙幣は、預かり証や借用証書から発達したものである。預かり証も借用証書も信用の上に成り立っている。これは紙幣が信用を基に作られている事を象徴している。

「お金」は、歴史的産物である。それを前提として現在の紙幣の初期設定をする。
「お金」に関しては、全ての経済主体の初期設定は、基本的にゼロである事が前提である。つまり、経済主体は、始まりには「お金」を所持していない。「お金」は創作されるのである。一般政府も金融機関も、全ての経済主体は、所持金はゼロに初期設定されている。
どの様にしてゼロから「お金」は、生じるのか。それを明らかにする必要がある。

実際の市場は歴史的出来事の支配下にある。故に、過去の仕組みの残像を引き摺っている。しかし、表象貨幣の機能だけ見ると初期条件はゼロと設定せざるを得ない。
まず、市場経済は、「お金」がなければ始まらないから経済主体は、「お金」を調達する必要がある。
初期の段階では、政府は、借金によって「お金」を調達し、歳出と公共投資によって「お金」を市場に供給する。
中央銀行は、国債や金を担保に紙幣を発行する。金融機関は、資産や預金を担保に中央銀行から「お金」を借りて、企業や政府、家計に「お金」を貸出する。
初期前提をゼロに設定したからと言って実際は、それまで蓄積されてきた資産がゼロになるわけではない。過去の遺産を担保しながら新たな制度に取り込んでいくのである。
紙幣は、信用によって生み出される。これが一番の核心なのである。経済的価値と貨幣価値は一体なものではないし、「お金」その物に価値があるわけではない。「お金」は、「お金」単体で成り立つわけではない。「お金」の価値を裏付ける何らかの実体がなければ成り立たないし、「お金」を「お金」として人々が認知しなければ成り立たない。人々か「お金」として認知しなければ「お金」は成立しない。
先ず「お金」として認知される事である。更に、「お金」の価値を確定する必要がある。
例えば一万円と言うお札を一万円の「お金」だと認知する事である。しかし、一万円として認知されたからと言って一万円と言う価値が確定するわけではない。一万円で食事したり、カバンを買った時、一万円札は、一万円としての価値が確定するのである。なぜならば、「お金」の価値は、交換価値だからである。経済的価値は一定ではなく、前提条件や状況によって変化するからである。一万円と言う価値が実体を伴って存在するわけではないのである。
以上の事が、「お金」の働きを象徴している。「お金」の価値は絶対的価値ではなく。相対的価値である。

「お金」を裏付けているのは、信用である。「お金」の価値は、額面に書かれた金額であるが「お金」その物には額面に書かれた価値はない。要は、額面に書かれた価値があると人々が信じているから価値があるのである。しかも、「お金」の価値は相対的である。市場取引て確定した価格が貨幣価値である。価格は、財の値段であり、財があって成り立つ。財の対価と言う働きが貨幣の価値なのである。「お金」には、実体がない。
故に、「お金」の働きに信用を付けにければならない。贋金を厳しく取り締まるのは、貨幣に対する信用が失われるからである。紙幣から信用が失われればただの紙切れになる。しかし、一般に使用されている紙幣に希少性はない。要するにに経済的価値がないのである。

紙幣の価値を裏付けているのは、債権と債務である。紙幣の価値は、法に依って債権・債務を担保として保証されている。債権と債務は、手続きに依って確定する。故に、紙幣は手続きによって作られる。
債権、債務の実体とは何か、それは貸し借りである。貸し借りによって生じる信用が「お金」の信用の根拠となる。しかし、貸し借りによって発生するのは借金である。要するに、借金が「お金」の信用を担保しているのである。

紙幣は、政府と発券機関(中央銀行)との貸し借りから始まる。貸し借りは、債権と債務を生み出す。債権と債務の証券が国債と紙幣の本となるのである。
紙幣の始まりは、国が国家資産と徴税権を担保として国債を発行し、金融機関から紙幣を借り、公共投資や行政費用として使用する。中央銀行は、金等の実物資産を担保に紙幣を発行し、金融機関に貸し出す。金融機関は、最初は何らかの資産を担保に紙幣を借りる。金融機関は、政府からは徴税権や国家資産を担保に。民間企業に対しては資産か、将来の収益を担保として資金を貸し出す。
政府と発券機関との関係は、発券機関は、自らの信用によって紙幣を発券し、貨幣の価値は政府が保証するという関係である。故に、貨幣の流通に対して、翻っていうと物価に対して発券機関は責任をもつ。
政府と発券機関の間で直接的な交換をしているだけでは、紙幣は、市場の信認を受ける事が出来ない。発券機関以外の金融機関が介在する事によって紙幣は、市場の信認を取り付ける事が出来る。
金融機関から政府や家計、民間企業などに「お金」が貸し出され、貸し出された「お金」と財とが交換(譲渡)、即ち、売買が成立した時、「お金」の効力は発行する。売買取引を完了させる事を決済とする。つまり、「お金」は、売買取引に依って決済の機能が付与されるのである。

「お金」を調達する手段は、政府は、発券機関と組んで「お金」を発行すればいい。他の部門は、手持ちの資産を売るか、「お金」を借りるか、「お金」を貰うかである。
「お金」を借りる場合、担保が必要となる。担保できるのは、資産(無形の権利も含まれる。)か将来の収入である。実物と貸し借りが結び付けられることで貨幣価値が実体を持つ。
家計部門が担保できる限度は、手持ち資産か生涯所得である。企業が担保するのは、資本と将来の収入である。政府が担保するのは、国家資産と徴税権である。海外に対しては、外貨準備と徴税権である。貸出と担保の相互牽制によって資金の流通量の上限は設定される。

全ての家計に、一定水準以上の「お金」が配分されないと市場経済は始まらない。
生産部門である民間企業は、金融機関からの借入金と他の経済主体からの投資によって資金を調達する。
生産手段は、担保される事で資産価値が形成する。



「お金」の性格


貨幣価値は、債権と債務によって作られる。貨幣価値が債権と債務によって作られる事は、「お金」の形成、および性格に決定的な影響を及ぼしている。

貨幣価値が債権と債務によって作られるという事は、「お金」の生成過程、特に、紙幣に決定的な働きをしている。
要は、貨幣の本質は貸し借りであって売買ではない。この点が国債と紙幣の関係を暗示している。
貸し借りだけでは、貨幣の効用は発揮はできない。売買取引に活用される事で貨幣は効用を発揮する事が出来るのである。
この事が貸し借りと売り買いの関係の前提となる。貸し借りと売り買いは表裏の関係にあるのである。

貨幣制度の基礎は債権と債務の関係によって成り立っている。つまり、「お金」は債権であり債務、その根底にあるのは、貸し借りなのである。紙幣自体が債権証書、債券が発展したものである。
つまり、紙幣の発行は、負債の増加、ストックの増加を意味する。この点を理解しないと国債と紙幣の関係は理解できない。フローは、売買によって成立する。「お金」の働きは、売買によって発揮される。即ち、「お金」の効用は、売買取引によって実現する。この貸借と売買取引の関係から、フローとストックの働きは形成される。
ストックは、フローとの均衡によって安定する。ストックの拡大は、フローを圧迫する。

「お金」は、循環する事によって効力を発揮する。「お金」の働きは、「お金」が流れる事で発揮される。「お金」の働きを規制しているのが貨幣制度である。
経済主体は、「お金」の出入りによって動く。「お金」の出入りは、現金収支を意味する。現金収支を表しているのがキャッシュフローである。

「お金」の出し入れによって経済主体も市場は動く。「お金」の出し入れは現金収支となる。「お金」の出し入れは出金と入金である。出金は、支出であり、入金は、所得である。
「お金」の働きは、出し入れによる。故に、働きの根本は、二進数であり、離散数(デジタル)である。

「お金」が使用されると余剰資金が派生する。余剰資金を金融機関に預ける事で預金が形成される。預金は、現金と同様の働きをする事がある。国民経済計算書では、現金と預金の和が市場に流通する総量と見なす。

「お金」は観念的所産である。つまり、人間の意識が生み出したものである。「お金」は、合意によって成り立つ。故に、「お金」は、信認がなければ成立しない。
「お金」の価値は認識の問題であって存在の問題ではない。故に、相対的なのである。

「お金」は、象徴であり、情報である。
「お金」は、あなたが「お金」だというから「お金」なのである。ある意味で「お金」は錯覚の所産である。
「お金」は、市場で信認されてはじめて効力を発揮する。紙幣は、市場の信用によって成立する。
信用は、仕組みによって作られる。それが信用制度である。

また、「お金」は、取引によって成立している。「お金」は、使わなければ効用は発揮できない。
交換を基本とする「お金」は、単独では成立しない。故に、紙幣を成立させる為には、単一機関では不可能である。行政府だけでは、紙幣は、発行できない。故に、紙幣を成立させる為には、政府とは別に独立した機関がなければならない。

「お金」は、税金によって循環する。納税を金納にする事によって「お金」の価値と働きは、政府によって信認され、保証される。納税期間が一定化させることで、「お金」の単位期間が画定され、「お金」に時間価値が付与される。

「お金」は、消費できない。

「お金」の働き

「お金」は観念的所産である。つまり、人間の意識が生み出したものである。「お金」は、合意によって成り立つ。故に、「お金」は、信認がなければ成立しない。
合意に基づく「お金」は単体では生み出せない。
必ず相手がいる。自他の取引、やり取りが全ての始まりである。買う者がいれば売る者がいる。借りる者がいれば貸す者がいる。この関係は対称している。
男と女がいて子孫が残せるように、「お金」を生み出す仕組みにも雄と雌がある。これは一つの摂理を表している。

「お金」は、取引によって成立している。「お金」は、使わなければ効用は発揮できない。
貯蓄は、支払準備であって効用が発揮されているわけではない。
「お金」は、働きである。
働きである「お金」は、作用するものと作用されるものがあって働きは成立するからである。

紙幣は、象徴(名目性)、交換(取引)、信用、価値の尺度(市場価値の確定)、名目的価値の不変性(価値の保存)、支払準備、匿名性、数値情報の八つの要件を満たさなければならない。
「お金」は、分配の手段である。
「お金」は、循環する事によって効力を発揮する。翻っていうと循環させる必要があるという事である。
紙幣は、貸借によって成立し、売買によって実現する。

「お金」の価値は、交換価値である。
今日の「お金」には、実体はない、交換と言う働きに価値がある。「お金」の働きは、生産でも消費でもない。交換なのである。

「お金」は、消費されない。「お金」は、交換と言う働きであり、故に、「お金」の名目的価値は保存されるのである。名目的価値が保存されるから、「お金」は、循環するのである。

交換が意味するのは、貨幣の働きが双方向性を持つという点である。

一つ重要なのは、交換価値は、市場取引に依って確定する相対的な値である。故に、交換価値は、変動する。つまり、変数である。

「お金」は、象徴であり、情報である。交換価値の象徴である「お金」は、貸借取引によって生み出される。直接物と物とが交換できるならば「お金」は必要とされない。「お金」が必要とされるのは、物と物との間に貸し借りが介在するからである。
「お金」は、象徴的行為、手続きによって生産される。その行為は、貸借取引を象徴している。
貸し借りにせよ、売り買いにせよ、市場取引は、単体では成り立たない。何らかの相手が必要とされる。取引主体と取引相手との間の反対取引に依って市場は成り立っている。
これは、「お金」を生産する上で重要な要素となる。そこに金融機関の本質的役割がある。金融機関は、市場取引の鏡なのである。

金融機関の企業のアルゴリズムは、貨幣の創造だけでなく。信用を創造する過程でもある。

「お金」は、あなたが「お金」だというから「お金」なのである。

「お金」の信用を確立する。「お金」の信用は、初期の段階では、金の様な何らかの資産によって保証される。それが兌換紙幣である。しかし、実物による保証は、市場の拡大に伴って限界に達する。一定程度経済規模に至ったら実物による保証から発券量による管理へと切り替える。それが管理通貨制度である。
管理通貨制度は、基本的に相互保証制度によって成り立っている。
経済主体間が相互に保証し、牽制し合う事で、市場規模は抑制され、経済は、制御されるのである。相互けん制機能が働かなくなったら仕組みそのものが成り立たなくなる。経済は、双方向の働きがあるから相互牽制がきくのであり、単一方向の作用しか働かなくなったら仕組みそのものを維持する事が出来なくなる。

注意しなければならないのは、「お金」の働きである。
「お金」は、分配の手段である。分配である「お金」が機能を発揮する為には、「お金」の流通総量は、上に閉じている必要がある。「お金」が有限であることが「お金」が信任されるための必要条件である。これは仮想貨幣も同じである。
なぜならば、「お金」は必要量と生産量を調節する手段だからである。市場価格は、人と物と「お金」の量の均衡点によって定まる。
問題なのは、貨幣価値は、何の制約もしなければ上に開いている。故に、貨幣の流通量の上限に対して何らかの制約を設ける必要がある。キャプを被せるのである。

「お金」は分配の手段である。
「お金」は、市場取引の媒体である。

「お金」は、媒体であって「お金」の量の変化によって経済の実体的な部分は動いているわけではない。「お金」の流通量を増やせば見かけ上は、変わるかもしれないが、景気の実体がよくなるわけではない。価格は、物と「お金」の需給によって決まる。「お金」の流通量は価格を決める時の基準となる。しかし、それは尺度の問題であって実体の問題ではない。供給量を調節すれば価格は上下するが、それによって経済の実体が変わるわけではない。

「お金」の働には、長期的働きと短期的な働きがある。
長期的働き、生産手段を構築し、短期的働きは、消費として現れる。
長期的働きは、貸借によって、短期的働きは、売買によって実現する。「お金」の効用は、売買、決済によって完了する。売買に対して貸借は単なる資金転移と見なされる。
貸借は、債権と債務を生み出し、債権と債務は証券を派生する。この証券が紙幣の原型となる。貸しは、「お金」を預けることを意味し、借りは、「お金」を預かることを意味する。故に、預金の本質は貸借である。資本も貸借関係の一種とする事が出来る
生産手段は、固定資産と負債・資本を形成する。負債と資本、資産がストックを形成する。


部門における金利の働き


加速装置だけで、変速装置も、制動装置も、操縦装置ももたない自動車は制御できない。経済もただ加速すればいいという訳にはいかない。
金利は、変速装置であり、制動装置でもある。クラッチやブレーキの役割をマイナスだとばかり考えていたら車は、制御できないのである。金利をただ下げ、ゼロにすれば景気がよくなると考えるのは短絡的である。

金利は、「お金」を動かす動因・動機である。金利があるから、「お金」を貸し出す動機が生じ、「お金」は、流れるのである。金利がなければ、「お金」を預かった者は、「お金」を預けた者に責任が持てる。金利がなければ、金融機関は、預金者に対しても、出資者に対しても、投資家に対しても、国に対しても責任を果たせないのである。
金利の働きで一番大切なのは、「お金」の流れを作り出す事、「お金」を動かす事なのである。

金利の働きは、これまで正当に評価された事がない。
多くの宗教は、金利をとる事は悪徳としていた。
しかし、金利は、時間価値を生み出し、資金を循環させる働きがある。ゼロ金利が現在経済を停滞させる大きな原因の一つである。

経済の仕組みは、「お金」の流れによって動かされている。分配は、「お金」が循環する事で成就する。
それでは、何が「お金」の流れを作り、何が「お金」を循環させる原動力となるのか。それが問題なのである。
「お金」の流れを作り、「お金」を循環させる力は、差によって生じる。では何が差を作り出すか。それは、空間と時間である。そして、時間差は、時間価値を生み出す。そして、「お金」を動かす主たる原動力は時間差である。そして、時間差は時間価値を形成する元となる。
時間差から生じる時間価値には、利益、金利、含み損益(未実現損益)、所得等がある。
利息があるから貸付の動機がある。利息がなければ貸借は生じない。なぜならば、貸し手側が一方的にリスクを負う事になるからである。つまり、貸し手には何も得する事がない。それでは「お金」は、動かない。
金利は、貸し手側だけに働くのではない。借り手側にも得になる。第一に、借り手は事業を始めてくても資金がないのである。貸し手は資金があっても利益を上げる手段がない。お互いにとって得になるからそれぞれが資金と手段を出し合うのである。そこに金利がなければお互いにとって共通の利益を上げる術がない。
のた、借りたものは、金利が働くから慎重にも、計画的にもなる。一定期間、収益があげられるように計画するのである。金利がなければ投資資金は、無制限になり、それだけ、リスクも無制限になる。要は無責任になるのである。
今日のゼロ金利にしてしまえば国債も無制限になり、財政リスクも無制限となる。
それは、利益にも言える事で、儲からないのもいけないが、儲かり過ぎるのも余剰な資金を生み出し、その分不確実な要素を増やすのである。
借り手は、利息以上の利益を上げなければならない。この利息と利益の関係が投資の勢いを決めるのである。金利は、悪ではなく。経済の原動力である。

経済の仕組みは、資金の過不足によって動いている。資金の過不足は、資金の流れを作る。
そして、資金の過不足は、経済主体や部門間の貸し借りによって補われ、残高は部門間に累積する。部門間の過不足の総和は、ゼロになる。

金利は、基本的に貸借・資本取引から生じる。即ち、支払いを準備する事である。

金利には、短期金利と長期金利がある。短期金利は、日常生活、企業では、営業の過程、即ち、フローによって生じる金利であり、長期金利は、ストックから生じる金利である。
また、金利には、生産金利と消費金利がある。

また、金利は、働きによって預金金利と貸出金利がある。金融機関は、預金金利と貸出金利の利鞘が収益源である。

金利の働きは、部門によって違う。
金融機関では、金利は、収益の源である。つまり、金利は、「お金」を融通する為の動因である。金融機関は、金利によって時間価値を生み出している。

それに対して非金融法人企業では、投資によって生じるのが長期金利であり。運転資本から生じるのが短期金利である。金利は、生産手段を獲得する事から派生する費用である。
運転資本は、市場取引から派生している。即ち、売買と貸借の時間差から派生する。

金利は利益の基準である。金利は損益の中から、元本の返済は、利益の中の範囲内で実行される。

家計の金利は、消費者金融が元にある。
消費投資は、住宅ローンなどで、生産手段に対する投資とは違い、基本的に収益に結びつかず、一方的な支出と言う性格がある。
住宅ローンの返済は、月々の収入が基礎になる。消費投資は、投資した対象は生産手段ではなく消費手段なのである。当然、収入が中断したり、途絶えると滞る性格のものなのである。

一般政府では、国債金利である。国債金利は、税によって清算される。また、国債金利は、長期金利の基準となる。
財政収支が合わなければ、国債は、際限なく拡大するのである。それは、支払準備を際限ないものにしてしまう。

海外部門では、内外金利差が重要となる。金利差は、為替を変動させ、国際市場の資本の流れを生み出す。
国家の存亡にかかわるような経済変動の多くは、海外部門に関わる、即ち、海外からやってくる。
石油危機、円高不況とバブル、リーマンショックこれらの出来事は、外的要因によって発生し、国内の経済に対して壊滅的な影響を与えた。
金融工学は、海外を原因とした不確実性(リスク)に対応する事で発達してきた事である。即ち、為替の変動、原材料費の変動、金利の変動等に対応した結果、発達してきたのである。
日本は長い間、鎖国していた。鎖国とは、海外との交易を遮断した状態で、自給自足を原則とする。自給自足体制は、経済規模のみならず、社会の規模も自給自足できる範囲を限界とする。それを超えると飢餓状態に陥るのである。日本は、国民の生活を成り立たせる為の多くの資源を海外に依存している。
現在の日本は、海外との交易をしないで成り立つ事はできない。海外交易は、将に、国家の生命線を握っている。戦争の多くは、海外交易の破綻を原因として起こる。戦争の主因は経済である。

海外における金利の働きは、多様であり、かつ、決定的な働きをする。バブルも実際のところ海外事情に振り回されて引き締め策がおくれた事に起因すると言われている。

また、海外交易は、その国の通貨価値を制約し、確定する。

部門間の貸借が金利の幅を決める。ストックとフローの関係によって率は計算される。つまり、部門間の貸借関係が金利の制約となるのである。

経済は、現実である。人々の生活が成り立たなくなったら経済は、破綻するのである。


「お金」の要件定義


「お金」は、分配の手段である。

貨幣制度は、「お金」の循環によって財を分配する仕組みを基礎として成り立っている。
貨幣制度の要諦は、いかにして「お金」を市場の隅々まで行渡らせ、そして、循環させるかである。

経済の仕組みは、「お金」の流れによって動かされている。
「お金」の流れは、経済主体に対する「お金」の出入りによって引き起こされる。

「お金」は、価値を一元化する。

「お金」は、貨幣価値を生み出す。
貨幣価値と言うのは、その時点その時点の交換価値を意味し、数量と価格の積を意味する。
数量は、有限であり、価格は、無限である。販売数量は、単位当たり消費量と消費人口の積であり、有限である。故に、経済変動は、貨幣的現象である。この点を注意する必要があり、人や物と言った経済の実体には限りがあるのである。物、固定資産は、相場を構成する。変動するのは、価格であり、経済を制御する為には、価格を抑える必要がある。物や人は、価格形成を制約するが、しかし、価格を変動させている直接的な因子は、交換価値である。価格変動は、基本的に貨幣的現象である。貨幣価値は、名目的価値を形成する。

「お金」の効用は、財との交換である。財と交換する事で分配を実現するのが「お金」の目的である。それは、貨幣価値が「お金」の効用を表しているからである。
「お金」の効用は、市場取引に依って発揮される。
「お金」は、経済主体に対する出入りによって効力を発揮する。効力は、入金、出金の量で測られる。

「お金」の働きを促すのは差である。差には、時間差、空間的差、物的差、個人差、質的差等がある。

財は、消費される事を目的としている。しかし、「お金」は、消費されない。交換されるだけである。消費されないから、名目的価値を保存して、循環するのである。

経済主体が「お金」を出金する事で外部から何らかの効用を受け取る事で経済の仕組みは動いている。
経済主体は、「お金」を使う、即ち、出金すれば手持ち資金の残高は減少する。残高がなくなれば経済主体は、経済活動が継続できなくなる。故に、「お金」を常に補給し続けなければならない。「お金」を獲得する手段と「お金」によって獲得する財の働きによって「お金」は、循環している。
「お金」を獲得すれば余剰の資金ができ、「お金」を使えば資金の残高が不足する。この資金の過不足が「お金」の流れを生み出すのである。

生産財の分配は、「お金」を予め、消費単位全てに配分しておき、消費単位が必要に応じて財を市場から購入する。即ち、二段階で実現する。経済主体にとって第一段階は、収入として現れ、第二段階は、支出として現れる。
故に、消費単位では、収入は支出であり、支出は家計である。つまり、分配の基準は、所得の基準を意味し、物価の水準によって変化する。
分配の目的は、所得を一定の基準で満遍なくどの様にして配分するかの問題である。

また、物価が安定しないと消費が成り立たなくなる。経済の仕組みに求められるのは物価の安定である。

それに対して生産は、最小の投資で最大の効用を得る事である。生産と分配は、違う論理で動いている。
だから、生産と消費の均衡を保つのが難しいのである。

生産上で生じる偏りを是正するのが金融機関の役割で、所得上で生じる偏りを是正するのが一般政府の役割である。

一般政府は、税によって収入の一部を回収し、それを、行政費用や公共事業によって市場に還流する事で「お金」を循環させている。この過程で所得の再配分も併せて行っている。

経済主体の働きだけでは、「お金」の流れに偏りが生じる。経済主体の働きによる入出金は、不確実であり、空間的にも時間的にも偏りが生じるからである。この偏りを補正する働きが金融である。そして、法人企業は、経済活動を通じて「お金」の流れを整流する。
資金の時間的な偏りを補正し、損益を安定させるのが金融の働きである。注意しなければならないのは、収益によって貸借の均衡を保つという点である。つまり、借入金の返済を収益に中から賄えなければ、貸借の均衡は保てなくなるのである。

経済主体を正常に機能させるためには、資産、負債、資本、収益、費用、利益の働きを理解して適正な価格が実現できるように市場を規制する事である。無原則な規制緩和程、経済の仕組みを危うくする政策はない。規制緩和は、適正な価格を実現し、経済活動を活発にするために実施するものであり、絶対的原理ではない。必要に応じて行うべき事である。

生産主体には、不確かで不安定な収入を貸借によって整え、賃金を一定化させることによって従業員の定収を確立する働きがある。生産主体は、収支の整流器でもある。

経済の目的は、生活に必要な資源を調達、生産し、公平に分配して、人々の生活を豊かにする事であるが、そもそも、産地や収獲にばらつきがあり一定しているわけではないのである。
土台に安定しておらず、偏りがあるのだから、何らかの働きによって収入や生産を一定にしないと生活は不安定なものになる。放置すれば生活の格差は拡大する。経済的な偏りや格差を矯正するのが経済の仕組みの重要な役割の一つである。

全ての経済主体の活動は、資金調達に始まる。
生産主体の資金調達の手段は、資本的手段、貸借的手段、損益的手段である。
消費主体の資金の調達手段は、稼ぐ、借りる、貰うである。
いずれにしても経済主体は、先ず資金を調達する処から始まる。これは一般政府も同じである。

経済の仕組みは、利益を上げる事や金儲けではない。必要な財を調達・生産し、それを公平に分配して、人々の豊かな生活を実現する事である。

経済の仕組みは、「お金」を循環させる。満遍なく全ての消費主体に「お金」を供給する。常に、新鮮な「お金」を全ての消費主体に供給し続けるという三つの機能を備える事が求められている。

「お金」のアルゴリズム



「お金」のアルゴリズムは、少し複雑である。まず「お金」を金融機関が生産する必要がある。生産した「お金」を経済主体に貸し出す事によって供給する。「お金」を手に入れた経済主体は、市場取引に依って市場から生きていくために必要な資源を手に入れる。

「お金」も、生産、分配、使用、貯蓄、再利用と流れがある。そして、物とお金の決定的な違いは、財が消費されることによって完結しているのに対して「お金」は、消費されずに循環する事である。

経済の仕組みを成立させるためには、まず「お金」を生み出し、社会に承認させ、市場に供給させ、流通させる必要がある。
「お金」の価値は、交換価値である。
今日の「お金」には、実体はない、交換と言う働きに価値がある。「お金」の働きは、生産でも消費でもない。交換なのである。

「お金」が生産されれば、次に、市場経済は、各経済主体が、「お金」を調達す事から始まる。

紙幣は、第一段階として紙幣の生成、第二段階として紙幣の信認を確立させ、第三段階として紙幣を流通させ、第四段階として紙幣を循環させ、第五段階として紙幣の流通量の上限を制約すると言う五段階によって市場に浸透させる事が出来る。

紙幣は、政府と金融機関との貸し借りで生産される。金融機関の中心に位置するのが発券機関であり、一般に中央銀行である。他の金融機関は、中央銀行から手持ちの資産を担保に「お金」を借り、それを民間企業や家計に貸し付ける。金融機関から「お金」を借りた企業や家計は、売買取引を通じて「お金」を市場に循環させるのである。
経済は、歴史的産物である。「お金」も歴史的産物であり、過去の遺産を引き継いでいる。故に、ゼロからのスタートと言っても完全にゼロという訳ではない。
近代的な金融制度が成立する過程で過去の負債、たとえば、藩札や旧貨幣、そして、家禄を源資とした金禄公債証書等を集めて担保などとした。

「お金」の流れは、収入と支出が組み合わさって形成される。
収益の本質は、社会的効用である。必然的に社会的責任が伴う。

よく財政はデフォルトをしないとか、ハイパーインフレーションになるはずがないとか言う人がいる。そういう人の多くは、木を見て森を見ないと言うタイプである。経済の問題は、財政のデフォルトとか、ハイパーインフレーションだけではない。金融危機も不況もある。それよりももっと深刻なのは格差の拡大である。そして、今一番懸念されるのは金融危機である。ハイパーインフレにならなければいいとか、デフォルトなんかしないといった短絡的な問題ではない。経済の仕組みが正常に機能しなくなることが問題なのである。

国家が無制限に「お金」を発行していったら何時かは「お金」の働きを制御できなくなる。なぜなら相互牽制が聞かなくなるからである。
故に、「お金」がある程度市場に流通したら、「お金」の流通量の上限を制約する必要がある。なぜならば、「お金」は、分配の手段であり、貨幣価値は相対的な値だからである。



       

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