四つの要素

 近代という時代を形作った要素には、四つの代表的なものがある。その第一が、近代科学である。第二が、近代会計制度である。第三が、近代民主主義である。そして、第四番目が、近代スポーツである。

 ただ、経済体制は、今だに、確立していない。この事が、近代社会の混乱を引き起こしている。

 四つの事柄に共通している要素を理解すると、未来社会や経済のあるべき姿が浮き上がってくる。

 四つの事柄に共通している要素は、次の事柄である。
 
第一、数学である。定量主義である
 数学の特徴は、視覚性と操作性、論理性にある。目に見えて、操作ができて、論理的であるという事が、数学を発展させた、大きな要素である。同時に、論理的構造が万国共通であるという事が、大事なのである。
 定性的な体系を基礎にした場合、解釈が分かれる。数字を基礎とすることによって、了解可能点を低くすることができたのである。
第二が、形而下主義である。
 形而上的問題を排し、現象として現れた対象の背後にある法則を割り出す事が基本なのである。故に、根本は、実物主義・唯物主義である。勘違いしてはならないのは、形而上的問題を軽視しているとか、否定しているのではないという事である。尊重しているし、重視しているから、とりあえず、保留していると言うだけである。遵法精神を前提としているから法は、成り立っている。しかし、遵法精神を成文化しても意味がない。ただ、前提とするしかないのである。
第三が、現実主義である。
 立脚しているところは、常に、現実であり、事実でなければならない。形而上的存在は、肯定も否定もしない。
 ただ、論理的根拠、推論の根拠として観念的な実体を否定しているのである。 その結果、観察や実験に基づく帰納法的手法が重要な役割を持つ。
第四に、論理実証主義である。
 論理実証主義において前提となる命題は、任意な仮定である。仮説に基づいて実験を行い、結果を出し。その結果で、仮説を証明するという手続きが必要となる。
 この様な論理実証主義においては、手続きや過程が、重要なのである。このことは、民主主義も同様である。また、スポーツは、手続きの競い合いとも言える。
第五に、相対主義である。
 任意に、相対的空間を設定する。任意という事が前提である。任意と言う事は、意志が働いているという事である。意志のないところに、何も成立しない。それが相対主義の本質である。
 物理学的単位は、相対的固定的基準である。それに対し、経済的単位である、貨幣単位は、相対的変動的基準である。それが、経済法則を複雑なものにしている。しかし、貨幣単位は、線形的なものでもある。
第六に、法理・法則主義である。任意なルールを前提として近代は、成立している。。
 法則が、一旦、立証されると今度は、演繹的に結論が導き出される。
 問題は、法則間の無矛盾性である。数学的論理は、この無矛盾性が数学的に立証できるが、人為的空間である社会では、この無矛盾性が保てない場合が生じる。そこに、政治の介在する理由がある。
 スポーツや会計学的な世界では、ある程度、この無矛盾性が保たれている。それ故に、スポーツや会計制度は、堅固な基盤を持ちうるのである。
第七に、契約の理念である。
 契約という概念は、民主主義の根本的概念である。ここで言う契約と言う概念は、単に、人間対人間との間で交わされるものを指すのではなく。何等かの普遍的存在を仲介にして成り立つ概念を指して言う。また、契約とは、それに伴う手続を前提として成り立っている。つまり、手続が重要となる。
 契約とは、合意を成文化することが前提となる。科学で言えば仮説主義である。つまり、合意というのは、了解の可能性の問題であり、科学は、その根拠を実在と立証性においている。契約は、それを合意と手続に置いているのである。また、合議主義でもある。議会と手続に最初の一致がある。
第八に、場の理念である。
 任意の空間に一定の法則によって力が満たされると場が形成される。現実の空間は、これらの場が重層的になって形成される。重なり合う、一つ一つの場は、独立しており、物質や自己が媒体となって結合している。故に、個々の場の法則を明らかにすれば、現象の背後にある法則が解明できる。
 これは、民主主義社会を考える時、非常に重要な要素である。
第九に構造主義である。
 構造と言う概念は、近代を考える上で重要な要素である。民主主義は、特に、構造的、制度的思想である。そして、組織、制度を前提とすると、必然的に、機能主義的になる。
 また、論理も構造をもっている。そして、この論理的構造が、思想を表現する重要な要素の一つとなるのである。弁証法が好例である。ただ、弁証法は、近代化とは、相容れない。なぜなら、無矛盾性が立証できないからである。無矛盾性が立証できない以上、神秘主義の一種とならざるを得ない。
第十に、機能主義である。
 重要なのは、機能である。機能によって構造は、ダイナミックになるのである。構造は、安定を求め、機能は、安定を望まない。スポーツは機能である。スポーツは働きである。
第十一に、情報化である。
 近代を考える時見落とせないのが、情報化の流れである。情報化の流れは、貨幣経済の本質を変えようとしている。近代は、情報革命によって新たな局面を迎えようとしている。
第十二に、普遍主義、一般化である。
 科学の本質は、一般化にある。一般化することによって、科学は、普遍的なものになりえたのである。共産主義国を飛ぶ飛行機も自由主義国を飛ぶ飛行機も同じ原理で飛んでいる。キリスト教国を飛ぶ飛行機もイスラム教国を飛ぶ飛行機も同様である。現代人は、これを当たり前なことだと思っている。しかし、これが当たり前だと思っていない時代があったのである。同じ人間でも、生まれた家や人種、信じる神によって別の生き物であるように思われた時代があったのである。
第十三に、標準化である。
 標準化することによってスポーツは成立した。標準化すればするほど、個人の能力は、際だつのである。
第十四に、開放主義である。
 開放主義というのは、大衆主義でもある。誰にでも関わり合うことができる。開かれた社会、体系であることが、近代を大きく飛躍させた。知識や情報、技術の共有化によってはじめて、人類は、共通の地盤を手に入れることができたのである。
第十五に、自由主義ある。
 自由は、法則によってもたらされる。ルールによって作られた人工的な空間でこそ、スポーツの自由は保証されているのである。
 無法な社会に自由はない。
第十六に、個人主義である。
 科学も、民主主義も、会計学も、スポーツも個人の名前に代表されるものはない。個人の自由な研究と権利が保証されることによって科学技術は、飛躍的に進歩した。そして、技術革新の成果によって産業は発展し、今日の繁栄を築いた。その根本は、個人主義である。
第十七に、時間の概念である。
 何らかの形で時間の概念定義を持っている。時間は、変化の単位である。会計にしても、スポーツにしても一定の時間・変化の単位が定義されている。例えば、会計期間とか、スポーツの回(ラウンド)、カウント、セット、タイムとかという形でである。また、時間に対する定義が重要な働きをしている。
 時間の問題とは、不可逆的変化をいかに刻むかの問題である。日常的な時間は、一見普遍的であるように思えるが、時間ほど相対的なものはない。スポーツが好例であるが、スポーツのルールが有効である時間は、限られている。しかも、個別的である。止めることもできる。ただ、不可逆的変化であることは共通している。その時間の定義をいかにするのかが、時空間を特定しているのである。
 時間は、変化の単位だと定義する。
 不可逆的変化とは、一方通行的な変化であり、生起する事象に過去、現在、未来の時間的順序があり、それが逆流できない変化を指す。一度生起した事は否定する事ができない変化である。スポーツで言えば、一度したプレーは、否定できないことを意味し、会計であれば、一度発生した取引は否定できないことを意味する。
 つまり、順序のある事象をどの様に展開、構成するかの問題という意味である。
 野球が好例で、九回を基本とし、一回ごとに攻守を交代し、スリーアウトチェンジと言う具合に、不可逆的な事象を組み立てることを言う。
 通常の時間の概念は、時計的概念で、一定の間隔の変化をさすが、ここで言う時間の概念は、間隔を限定せずに、生起する事象の不可逆的順番を言う。
 つまり、変化の単位を一定の間隔だけに限定せずに、事象に置き換えることも可能だと考える。
第十八に、平等主義である。
 徹底した属性の排除と抽象化が特徴である。その結果としての平等主義、実力主義である。ただ、ここで言う平等主義というのは、同等主義ではない。ハンディキャップをかしたスポーツの存在が、好例である。スポーツにおいては、スポーツに関係したこと以外の属性は、排除される。極端な場合、性的な差も無視される。そして、実績や実力によって評価される。これは、論理的な意味でも平等を意味する。つまり、理論に序列や権威を認めないのである。況や家柄や人種、社会的地位などは斟酌されない。それが平等なのである。
 今の資本主義は、成熟したとたん衰退を始める構造になっている。それは、不可逆的な構造を資本主義は内包しているからである。

 任意に相対的経済空間を設定し、法を定めて経済的場を確立する。そして、経済的場に
制度的構造を構築することによって経済の機能を制御する。それが構造経済である。
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