構造とは何かを、検討するのに、近代スポーツほど格好な材料はない。

 近代スポーツを形成する要素は、次の五つがあげられる。即ち、第一にフィールドである。第二に、プレーヤーがいる。第三に、ルールがある。第四に、ジャッジがいる。第五に数字に還元される。

 スポーツは、競技である。ゲームである。複数のプレーヤーで成り立つ。
 スポーツは、第一に、決闘型、第二に、競争型、第三に、チーム型・団体競技型の三つに大別されると思う。更に、用具面から見ると球技か、否かの二つに分類される。
 構造という面から見ると最も端的に構造の性格を現しているのは、チーム型・団体競技型で、かつ、球技だと思われる。
 しかし、前段で述べた近代スポーツを特徴付ける五つの要素は、基本的には、変わらない。

 第一のフィールドにかんして。
 フィールドとは、ある一定の境界線に区切られた範囲、ドメインを持つ人為的時空間である。
 ここで重要なのは、フィールドは、人為的時空間だという点である。つまり、人間によって区切られた空間であるという性格と、時間的、また物理的空間だという性格の二面性を持つと言う事である。
 これは、近代という時代を特徴付ける要素でもある。人為的、即ち、契約的空間であり、明らかに物理学的空間と性格を異にしているという事である。
 また、空間は、物理的空間軸だけでなく、時間的空間軸を併せ持っているという点である。
 そして、ルールである。このルールは、フィールド内だけに働く力である。つまり、フィールドというのは、非日常的、人為的場だと言う事である。

 ルール
 ルールとは、人為的法則・規則である。故に、ルールは、必然的に契約的性格を持つ法則、規則である。
 無法な空間に自由はない。

 ドメイン
 近代スポーツには、ある一定の範囲が設定されている。その範囲内に作られる空間内部でしか、そのスポーツのルールは、有効ではない。
 範囲は、時空間的でものある。時間の範囲は、時間(例えばピリオド)を指すこともあれば、一定の要件を満たした場合(例えばスリーアウトチェンジ、セットカウント)もある。これは、時間の概念に一定の示唆を与える。
 空間は、何らかの境界線を以て設定される。境界線の内部であれば、当該スポーツのルールは有効である。

 試合は、宣言以て始まり、宣言を以て終わる。スポーツには、始まりと終わりがある。始まりと終わりは、コール・宣言によって為される。フィールドは、この始まりと終わりのコールによって仕切られた空間である。

 プレーヤー、チーム、チーム・ワーク
 スポーツは、必ず、複数のプレーヤーがいて、ルールに基づいて成績を競う競技である。更に、団体競技では、予め決められた同数のプレーヤー間で競われる。つまり、一人で行われるヨガや修業・瞑想のようなものとは違うと言う事である。
 そして、それぞれのプレーヤーの位置と運動と関係がルールを決める重要な要素であると言う点である。

 ジャッジ
 また、公正な判定、ジャッジをプレーヤー以外の審判に委ねるという点である。また、予め定められたルールに従って主体的に、責任を持って判定を下す。そのうえ、審判は、独立した地位が保たれ、それ自体が一つの自律した機能と構造を持っている。 

 スコア
 全ての基準、評価、判定は数字に還元される。スポーツの勝敗の判定基準は予め決められており、それは数字に還元される。

 プレーヤーに、監督やコーチ、控えの選手から成るチームが一つの単位として成立している。そして、複数の対戦チームからなるリーグが上位の組織・構造を構成している。

 また、フィールドの外では、チーム内に監督、コーチが、マネージメントを担当するフロント、スポンサーであるオーナー、ルールの改廃を担うコミッショナーがそれぞれの機能を果たして全体を構成している。

 制度は、論理的な作られると言うよりも、歴史的に作られるものである。

 この様なスポーツの在り方は、近代社会の一つの在り方を示している。

 日本人、特に、戦後の日本人は、法や法則は、普遍的なものであり、自明、所与のものだと決めつけている傾向がある。しかし、法は話し合いで決めるものであり、科学の法則は、仮説に過ぎない。ゲームが始まってから、ルールを決めようとしても決着は付かない。決着がつくとしたら、それは、武力か、政治力か、経済力によってである。だから、ルールに対する取り決めは、ゲーム、会議のルールならば会議が始まる前に取り決めておかなければならない。ところが日本人は、この原則が解っていない。会議の前に決める事と言ったら、ルールでなくて会議する内容だと勘違いしている。そのくせ、会議のルールは、予め決められていると錯覚している。だから、日本人は、国際会議で力を発揮することができない。ルールを決める席では沈黙して、会議の席では、予め決めた事を繰り返すだけで終わってしまう。会議というのは、ルールに従って話し合いをし、最後に、ルールに基づいて決着する場なのである。そして、話し合う前に、話し合いのルール、結論の出し方、決め方を決め、確認をしておく必要があるのである。

 これは、スポーツの在り方も同様である。スポーツのルールを決める時は、何も言わないで、後で、不公平だというのは、民主主義を理解していない証拠である。

参考文献 「スポーツルールは、なぜ、不公平か」 生島 淳著 新潮社
       「スポーツルールの社会学」 中村敏雄著 朝日選書
       「オフサイドはなぜ反則か」  中村敏雄著 平凡社


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