経済の現状

日本経済の現状について

1980年~1990年


80年代の分岐点


80年代は、バブル形成の時代と言える。

80年代は、冷戦の終焉の始まりの時代だった。
1985年、ゴルバチョフがソ連の書記長に就任。ソビエト体制の解体が始まった。
89年ベルリンの壁崩壊。

冷戦の終焉は、90年代、2000年代の伏線となる。
冷戦の終焉は、同時多発テロや湾岸戦争などを用意したともいえる。

1980年代は、1985年プラザ合意によってバブルの原因が形成された時代と言っていい。
プラザ合意が成立する直前の9月21日には、1ドル241円70銭だったドル円が1週間もたたないうちに210円台まで値を下げ、1986年1月には、200円の大台を割り込みその後、1988年に120円台で小康状態に至った。
プラザ合意に基づく急激な円高によって、日本は、円高デフレ、円高不況に陥った。
この円高が何をもたらしたのかを正しく検証する必要がある。

80年代前史



80年代の前提となるのは、また、80年代を準備したのは、70年代である。70年代は、71年8月15日のニクソンショックに始まり、73年10月の第一次オイルショックが起こり高度成長時代は止めを刺された。

戦後、大きく成長率を下げている事が3回ある。
オイルショックとバブル崩壊とリーマンショックである。そのうち、ニクソンショックとオイルショック、バブル崩壊は、経済そのものを根底から覆したと言える。

オイルショックというと石油高騰ばかりに眼を奪われるが、世界経済に与える影響は、石油価格の高騰だけでなく、オイルマネーの成立という側面を見落としてはならない。オイルマネーは、バブルの発生や新興国の発展、金融危機、イスラム勢力の台頭などの背景として働いているからである。

オイルショックを契機に世界は、74年、75年不況に陥る。先進国では、消費者物価の上昇率が10%を超えた。日本では卸売ぶっが31.3%上昇し、消費者物価が24.5%上昇した。

アメリカは、74年、75年不況の後、81年にレーガン大統領が登場するまで、物価の上昇、失業率の増大、成長率の低下の三重苦にあえいでいる。

78年12月イラン革命がおこる。78年12月26日~79年3月5日まで輸出5日までイラン原油が輸出停止となる。
イラン原油の輸出停止をキッカケにして79年第二次オイルショックが起きる。

80年代


80年は日本の経済の地殻変動の時代ともいえる。
70年代の出来事によって引き起こされた構造的変化がいよいよ経済全体に影響を及ぼし始めた時代と言える。それは、バブルという異様な高揚感とともに終焉するのである。
70年代に起きたニクソンショック、オイルショックなどによって準備された市場の変化が第二次オイルショック、そして、プラザ合意などによって地表に現れ、バブルとバブル崩壊を誘発したのである。しかし、実際の変化の兆しは、より深淵部にあると言える。
実際の危機は、「お金」の価値や「お金」の流れにかかわる部分にあったのである。

為替の変動やエネルギー価格、金利、国債、資産価値(地価等)は市場の底辺にあって景気の変動に影響を与え続けている。

80年代は、第二次オイルショックを契機とした80年~82年までの世界同時不況に始まる。
第二次オイルショックをピークにして原油価格も下落に転じそれをきっかけにして第一次産品の価格も下降し、81年~82年世界同時不況に陥る。

第二次オイルショックによる金融引き締めで債券相場が下げ足を速める。結果、3月発行した国債の表面利率は、8.0%に引き上げられた。

また、80年は、行財政改革、臨調の時代でもある。
その成果として国鉄分割民営化、日本電信電話公社民営化、日本専売公社の民営化がある。

80年9月22日イラク軍がイランに侵攻。8年にわたるイランイラク戦争が始まる。

81年1月レーガンが大統領に就任。レ-ガノミクスが始まる。
レーガノミックスによって物価の上昇も83年3月頃まで安定し、失業率も徐々に改善に向かい、成長率の6.8%まで改善されるが、双子の赤字が深刻化する。

81年3月16日第二次臨時行政調査会が初会合を開き「小さい政府」「増税なき財政再建」を目指す。

82年には、アメリカの失業率は、10.1%、1,130万人まで上昇する。

82年8月20日、メキシコ米欧日民間企業に公的債務の返済繰り延べを要請。(メキシコ危機)

82年、83年は、逆オイルショック状態に陥る。

地価の高騰は、83年に始まり90年まで続く。

85年3月ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任する。
85年4月、NTT民営化。
85年6月、労働者派遣事業法が制定される。

85年9月にプラザ合意。そして、プラザ合意を契機にして円相場が、1ドル240円から、1年後に円相場が1ドル150円台前半まで上昇し、86年1~3月期はマイナス成長と円高不況に陥る。

公定歩合が85年末5%だったのが、86年に入ってから4回連続利下げが行われ、2月27日には、2.5%を記録した。そして、本格的な低金利時代へと突入した。

86年4月には、前川レポートが提出される。
また、チェルノブイリ原発事故が起きたのも86年4月である。

86年12月から景気は拡大をはじめバブル景気へと発展していく。

87年2月にルーブル合意。
87年4月に、第2臨調で、国鉄が分割、民営化され、JR各社が発足する。
また、87年10月19日、ニューヨーク株式の大暴落によるブラックマンデーが起こる。

88年6月リクルート事件発覚。

89年1月昭和天皇崩御
89年4月消費税導入。
89年11月ベルリンの壁崩壊。
89年12月三重野康氏、日銀総裁に就任。
89年12月2,3日マルタ会談。

89年12月25日東証平均株価、大納会で3万8915円を記録する。

参考資料 「現代本経済史年表」 矢部洋三 代表編者 日本経済評論社

右肩上がり


バブルの発生とバブル崩壊後の日本経済を考察する場合、80年代をどう位置づけるかがカギを握っている。
経済現象というのは、個々の時代や現象が独立しているのではない。経済的事象は、時間的にも空間的にも連続した事象である。それ故に、経済現象を考えていくうえでは、時間的、空間的に近接した部分との関係性、連続性を見て取る必要がある。

その意味では、80年代は、バブルの序章、あるいは、バブルを準備した時代と位置付ける事ができる。
80年代は、バブルの前提条件を構成した時代と言える。

その一つの要素が右肩上がりである。戦後、高度成長を経て日本国民は、経済を右肩上がりの現象だと広く認識するようになった。つまり、物価も地価も常に将来必ず上がるものであって下がる事はないという思い込みである。特に地価に対する思い込みは強く、土地神話を形成し、土地本位制度のような状態を作り上げた。それは担保主義であり、土地を担保に取っておけば間違いないという発想である。それが含み経営を成り立たせていた。土地の含み益によって再投資を繰り返す。過小資本でも、赤字経営でも、含み益があれば、資金調達が可能だという思想である。これは地価が高騰した時、過剰投資、過剰融資を引き起こす誘因となったのである。
右肩上がりの土地神話は、バブルを引き起こす要因の一つとなった。

そして、土地神話は、相続税対策と合併して地価の高騰の時に過剰融資、過剰投資、過剰負債を引き起こすのである。そして、バブル崩壊後、過剰投資、過剰融資、過剰負債は、資金の流れを逆流させる原因の一つとなるのである。

80年代は、国内総生産、売上、売上原価ともに右肩上がりである。

国内総生産は、基本的な傾向、右肩上がりという傾向は変化がない。

 

80年代は、常に、実質国内総生産が、名目総生産を上回っているのがわかる。ただ、その差が縮まってきている事も同時に読み取れる。



ただ注目すべき事は、売上高が85年1059兆円、86年1057兆円、売上原価が85年867兆円、86年864兆円と横ばいというより売上で2兆円下げたという点である。ただ、それ以上に売上原価も下がっている。つまり、円高によって粗利益は向上したのである。



地価と有利子負債は、同じように右肩上がりをしていて大きくかい離する気配はない。


国民経済計算書   内閣府 単位 一兆円

ただ、地価が、85年を境に急速に上がっていることがわかる。



地価と固定資産


地価と固定資産の相関関係は、1974年から1989年まで概ね強い正の相関関係があった。それが90年代に入ると一転して逆相関関係に陥る。そして、2000年代に入ると今度は相関関係そのものが失われるのである。

1974年~1989年
長期借入金 減価償却費計 固定資産 土地 公示47住宅指数 公示47商業指数
長期借入金 1.00
減価償却費計 0.99 1.00
固定資産 1.00 1.00 1.00
土地 1.00 0.98 0.99 1.00
公示47住宅指数 0.98 0.96 0.98 0.99 1.00
公示47商業指数 0.95 0.90 0.93 0.96 0.98 1.00

減価償却費と土地の簿価とは正の相関関係をかろうじて保っているように見えるが、地価の実勢関係とは、逆相関関係に陥っている。これは、簿価と時価と乖離が急速に進んだことを意味している。ただ借入金と土地の簿価との相関関係は保たれている。

1990~1999年
長期借入金 減価償却費計 固定資産 土地 公示47住宅指数 公示47商業指数
長期借入金 1.00
減価償却費計 0.90 1.00
固定資産 0.88 0.92 1.00
土地 0.86 0.91 0.99 1.00
公示47住宅指数 -0.77 -0.73 -0.91 -0.91 1.00
公示47商業指数 -0.74 -0.68 -0.89 -0.88 1.00 1.00

2000年代になると土地の簿価と時価との相関関係は失われ、固定資産、土地と減価償却費との相関関係も失われる。ただ、固定資産と土地の簿価との相関関係はかろうじて保たれている。また、長期借入金と簿価との結びつきも基本的には保たれていると考えられる。

2000~2013年
長期借入金 減価償却費計 固定資産 土地 公示47住宅指数 公示47商業指数
長期借入金 1.00
減価償却費計 -0.47 1.00
固定資産 0.57 -0.57 1.00
土地 0.77 -0.67 0.88 1.00
公示47住宅指数 0.43 0.15 -0.26 0.00 1.00
公示47商業指数 0.58 0.03 0.25 0.36 0.81 1.00


資金需給から見た投資と借入金の相関関係


長期的に見ると一見、投資と借入金の間の資金需給に相関関係がないように見える。しかし、期間を1961年~1989年、1990年~1999年、2000年~2013年と区切ってみて見ると、徐々に相関関係が失われてきたのが見て取れる。

1961~2013
ソフトウェアを除く設備投資 土地資金需給 長期金融機関借入金増減
ソフトウェアを除く設備投資 1.00
土地資金需給 0.63 1.00
長期金融機関借入金増減 0.26 0.71 1.00

1961年~1989年の間は、設備投資、土地に対する資金需給、長期借入金の増減には、相関関係がみられる。投資と土地、長期借入金は、関連付けられていたことがわかる。

1961~1989
ソフトウェアを除く設備投資 土地資金需給 長期金融機関借入金増減
ソフトウェアを除く設備投資 1.00
土地資金需給 0.94 1.00
長期金融機関借入金増減 0.86 0.96 1.00

90年代に入ると徐々に長期借入金と設備投資、土地取引の関連が弱くなってきたことがわかる。

1990~1999
ソフトウェアを除く設備投資 土地資金需給 長期金融機関借入金増減
ソフトウェアを除く設備投資 1.00
土地資金需給 0.86 1.00
長期金融機関借入金増減 0.70 0.78 1.00

2000年代に入ると緩やかだった変化が急激な変化に替わる。土地に対する資金需給と設備投資の関係は、失われ、むしろ逆相関関係の兆候すら見られる。

2000~2013
ソフトウェアを除く設備投資 土地資金需給 長期金融機関借入金増減
ソフトウェアを除く設備投資 1.00
土地資金需給 -0.37 1.00
長期金融機関借入金増減 -0.10 0.32 1.00



利益構造


全般的に相関関係がバブル崩壊後失われていくのに対して逆に強まる傾向があるのが、利益率と営業利益の関係である。
それは売り上げや総資本に占める営業利益が安定してきたことを意味する。すなわち、収益が伸び悩む中で利益が占める比率が一定している事を意味している。

営業利益と利益率の相関関係
売上高経常利益率 売上高営業利益率 総資本経常利益率 総資本営業利益率
1961~1989 -0.28 -0.68 -0.36 -0.67
1990~1999 0.52 0.88 0.82 0.92
2000~2013 0.78 0.83 0.97 0.88

60年代、70年代、80年代と拡大志向だったのが、円高により総所得が伸び悩み、上限が500兆円で天井をついた結果、成長志向から利益率を重視した経営に転換した事がうかがえる。

利益構造は、売上高経常利益率より売上高営業利益率の方がいい。これは、金融費用が正常にかかっていることを意味している。
営業利益率と経常利益率の差は年々狭まってきていることが見て取れる。

 

総資本回転率は、80年代を通じて低下し続けている。80年代は、まだ売り上げの上昇が続いているから、売り上げの伸び以上に総資産、総資本の拡大が大きかったことを意味する。



費用構造


費用は基本的に右肩上がりに上昇している。
一般管理、人件費、減価償却費も右肩上がりである。

 

80年代を通じて減価償却費は右肩上がりに伸びている。それは、設備投資が拡大している事を意味している。



80年に9%まで上昇した利息は、89年まで下がり続けた。
しかも、85年のプラザ合意の時は、7%あった86年には6%、88年には、5%まで下落した。
この低金利がバブルの用意したともいわれている。

ただ特徴的なのは、金利は下がっているのに、支払利息は上昇していたという点である。




欠損率



不況と言われるが欠損率は、80年代は、90年代、2000年代に比べ高くない。
83年、84年に55%あった欠損率が85年54%、86年52%、87年51%と下げているくらいである。
円高不況と言われても4%台の成長率は保っていたのである。

企業の欠損率は、幾度かの波はあるが傾向的に右肩上がりである。ただ、それでも幾度かの景気があり、その都度、一段上昇している。70年代では、70年のニクソンショック、74年75年にかけて第一次、78年の第二次オイルショック等である。80年代になると85年にプラザ合意があり、円高不況と言われているが、70年代から見て一段高くなったという事はない。


国税庁

また、80年代は、またまだ特別損益は、さほど計上されていなかった。特別損益が目立って計上されるようになるのは、90年代後半ぐらいからである。
この点を考えると円高不況というのは実体があったのか疑問である。

表面的に見るととニクソンショックとか、オイルショック、又、円高不況と騒がれたが騒がれたほどの影響はなく。むしろ、その対策として立てられた「日本列島改造」とか円高対策の方が、後々の経済に重大な影響を及ぼしたように思える。特に、プラザ合意後にとられた円高対策が、後のバブルを引き起こす要因となったと考えられる。


企業法人統計

80年代のキャッシュフロー



キャッシュフローを見てみると60年代には、対称的な動きを見せていた投資キャッシュフローと財務キャシュフローが、70年代に入ると対称性に乱れが生じ、破綻している。
特に、71年のニクソンショックでマイナスに転じ、73年に1兆円程度プラスになったが翌年には再びマイナスに転じ、以後、プラスになる事はない。73年は、第一次オイルショックがあった年である。オイルショックの際は、営業キャッシュフローは、大幅に減少している。

80年代に入ると85年のプラザ合意までは、比較的順調な均衡を保っていた。しかし、プラザ合意後の円高不況によって財務キャッシュフローが営業キャッシュフローを一時的に上回る。そして、バブル崩壊まで財務キャッシュフローが営業キャッシュフローの収入を上回るのである。

79年~81年のオイルショック時と85年~90年にかけて営業キャッシュフロー財務キャッシュフローが上回るようになっている。



営業キャッシュフロー


営業キャッシュフローは、85年のプラザ合意後の円高不況によって86年には、大幅に下げたが、よく87年には、回復している。



運転資金は、80年代は、強い正の相関関係らあったのが、90年代には、急激に弱まり、2000年代に入ると相関関係は失われてしまう。

運転資金と短期借入金の相関関係
1975~1989 1990~1999 2000~2013
金融機関借入金 0.98 0.64 -0.05
短期借入金 0.98 0.66 0.02



財務キャッシュフロー


80年代は、財務キャッシュフローも右肩上がりに上がっている。
よく見ると、円高不況の際は、横ばい状態になる。しかし、それでも横ばい状態で減少するまでには至っていないし、期間も一年と短い。



投資キャッシュフロー


投資は、基本的には、支出行動だという事を念頭に置いておいてほしい。故に、投資が実行された場合は負の値として現れる。
負の値というのは、資金の不足を表してといる。

投資キャッシュフローがマイナスというのは、投資が増加していることを意味している。
投資は、円高不況の際も衰えていない事を示している。

80年代は、投資は右肩上がりに上昇してきたのが投資キャッシュフローに現れている。それが90年代は、一転して下げへ転じる。
特に、バブルが膨らんでいる88年~89年にかけては投資有価証券の増加も顕著である。

 


資金需給



1980年~1990年においては、民間金融機関の間では、平均43兆円、民間金融機関から民間企業に設備投資資金等で平均41兆円が貸出等で運用され家計には15兆円、海外には、13兆円の資金が毎年流れていた。
又、民間企業間では、株式の待合や企業間信用などで27兆円の資金が運用され、また、民間企業全体では、52兆円の資金が運用されていた。
それがバブル崩壊後、1990年から2000年には、民間金融機関間での運用は、-1、14兆円とマイナスになり、更に、民間企業間の資金の流れも-7,23兆円と負債の返済に向けられている。逆に、民間金融機関が最も資金を運用している先は政府部門で22兆円に上る。
民間金融機関の運用合計を1980年と1990年を比較すると年平均、120兆円から22兆円と六分の一にまで縮小している。(「金融経済」吉野直行・山下秀文著 慶應義塾大学出版会)



 

家計消費支出


支出と所得は裏腹の関係にある。
80年代は、右肩上がりに支出が増加している。
これは、80年代を通じて消費が拡大し、市場が成長している事を意味している。




80年代の総括



この時代では、消費は、右肩上がりに増え続けるのが当たり前だと考えられていた。
右肩上がりというのは、物価も、地価も一方的に上昇し続けるという意識である。
つまり、インフレーションを前提としたものの考え方で、バブル以前の土地神話の下地となる意識である。
土地神話というのは、土地に投資しておけば、間違いない。
土地は、株に比べて流動性は乏しいが、安全かつ確実な投資であり、銀行預金と変わりはない。
土地投資は、決して投機ではない。
また、土地を担保として資金を融資する担保主義の基礎となる思想である。
金融機関は、土地を担保に果て融資を決める。
土地さえ担保とっておけば元本が保証されているのと同じである。
逆に土地という担保物件がなければ融資が受けられない。あたかも土地本位制どの様な事態にもなる。
また、土地の簿価と時価との差が含み益となり、決算書上表面に現れない企業価値となり、長期借入金の返済と減価償却と時間差からくる資金不足を補ってきた。また、投資資金を調達する際の担保となってもきたのである。
それが含み経営と言われる由縁である。

その意識は、バブル経済を引き起こす前兆となる。
バブルが発生する以前は、それでも地価の8掛け程度だったのが、バブルが発生すると時価を上回る融資が横行するようになる。

そして、バブルが崩壊し地価が下落すると一転して担保不足を引き起こし、不良債権、更に、資金の引き揚げ、俗にいう貸し剥がし問題を引き起こすと同時に、新規投資の抑制、貸し渋りなどの原因となるのである。

80年代は、地価と有利子負債の散布図をみると極めて強い相関関係があった事がわかる。分散も多項式に当てはめると驚くほど収まりがいい。
ところがバブルがはじけると見事なほどに墜落し、地上にたたきつけられ、地面に強い力で押し付けられているようにも見える。
これでは景気は浮揚しようがないのである。しかし、これは人災であって、天災でも神の仕業でもない。自業自得なのである。

  


  


       

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