経済の現状

日本経済の現状について

1990年~2000年


90年代、世紀末


90年代は、バブル崩壊の時代、「失われた10年、20年」と言われた時代である。

90年代は、世紀末という言葉当てはまるような時代だった。
20世紀は、思想の時代と言われ、冷戦が象徴するように、左右両陣営が対立し、その緊張関係の上に世界は成り立っていた。

冷戦が終結し、アメリカの一極支配がはじまると予想された時代である。
その淡い幻想が2001年9月11日の同時多発テロによって打ち破られ、新しい世界秩序の模索が始まった時代なのである。
新たなる時代の胎動それが90年代の特徴と言えば特徴である。

90年代は、長期停滞の時代だと言ってもいい。
90年代は、バブル崩壊に始まり、バブル崩壊の後始末で終わると言ってもいい。

90年代は、89年11月ベルリンの壁の崩壊し、翌90年10月3日に政治的統合を成し遂げた。また、東証12月大納会で株価が最高値をつけた後、株価の下落が始まる。この様な事は、90年代を象徴している。

98年には、成長率もマイナスへと転じている。

90年代は、世紀末という言葉がピッタリとはまるような時代である。

すなわち、20世紀という一つの世紀が終わり、新しい世紀が始まろうとしていた時代。それが90年代という時代である。


90年代の背景


東証株価は、89年12月25日大納会で、史上最高の高値3万8915円をつけ、それを頂点にして年が明けると90年1月の大発会から株価は下げ始める。2~4月にかけて債券、円相場も下げはじめ「トリプル安」の様相を呈し始める。
4月には、当時の大蔵省が金融機関に「不動産の総量規制」を通達する。6月には、地価は早くも下げ始める。

90年3月に大蔵省は、不動産融資の総量規制を通達する。

8月にイラクがクウェートに侵攻し、湾岸戦争が始まる。

10月、東西ドイツ統一。

91年11月湾岸戦争勃発。

92年5月から実体面において日本経済は、不況に突入したとみられる。(「現代本経済史年表」 矢部洋三 代表編者 日本経済評論社)

93年7月第40回衆院総選挙で自民党が過半数割れをし、日本新党の細川政権が成立する。
これによって自民党による「55年体制」が終止符を打たれる。
93年11月にマーストリヒト条約が発効し、正式にEUが発足する。

93年、緊急経済対策、94年行政改革大綱で規制緩和が盛り込まれる。95年「規制緩和推進計画」によって11分野1000項目にわたる規制が緩和される。

95年阪神大震災。

96年に橋本内閣が誕生し、97年1月財政構造改革会議が発足する。
96年の通常国会は、住専国会と言われ「特定住宅金融専門会社の債権債務の処理の促進等に関する特別措置法(住専法)」が成立した。これにより、破綻した特定住宅金融専門会社に7000億円の税金が投入されることになり。2011年に「預金保険法」が改正され、最終的な二次損失は1兆4017億円にのぼった。

97年タイのバーツがドル連動から変動相場制へ移行し、大幅に下落した。これをキッカケにしてアジア通貨危機が起こる。
アジア通貨危機は、フィリピン、マレーシア、インドネシア、韓国にまで波及した。

97年11月17日北海道拓殖銀行、24日山一証券と相次いで破綻する。

98年8月、ロシア通貨切り下げ。ロシア通貨危機に発展する。

98年10月23日日本長期信用銀行、12月13日に日本債権銀行が相次いで経営破たんし、特別公的管理に移される。

99年1月EU通貨統合。

3月3日実質的に短期金利が「ゼロ金利」状態になる。

90年代の成長は横ばい



総所得は、450兆円から500兆円を超えてから以後横ばい状態に陥る。
80年代の右肩上がり状態と比較するとその差は歴然としている。
それは、冒頭にあげた成長率を見るとより鮮明になる。
90年代に、経済は、急ブレーキを踏まれたのである。
総所得が20年以上も横ばい状態なのである。2000年代に入ると横ばいどころか下降しているようにも見える。

又、回転率も徐々に低下しはじめ限りなく1回転に近づいている。
問題は、それが何を意味するかである。

  

90年には、営業キャッシュフローを上回っていた財務キャッシュフローが急速に減少して92年には、営業キャッシュフローを下回るようになる。



財務キャッシュフローが減少しているというのは、金融からの資金調達よりも回収速度の方が上回っている事を意味する。
このころから資金の流れの方向が、市場への供給から回収の方向へと大きく変わってきたのである。それに伴って金融機関の預貸率も低下している。

民間企業の設備投資が抑制され、資金が金融市場に滞留し、それによって金融商品が多様化しまた進化した。金融商品の技術革新が起こり、金融工学を発展させた。投資先を見失った事で金融的手段によって資金を運用を謀ったのである。しかし、金融投資は実物市場、実質的投資ではなく名目的な投資に過ぎない。非生産的投資、虚業なのである。
安易に金融的手段によって利益を上げようとして実物市場への資金の供給が細くなってしまった。
それは、後のリーマンショックの用意をしたのである。

キャッシュフローの中で最も顕著な動きを見せたのは、財務キャッシュフローであり。この事は、後になると重要な意味があることが判明する。資金の流れる方向が変わったのである。


90年代に日本経済の本質が変化した



1990年から2000年にかけて日本経済は本質的が変化したといえる。

何が本質的に変わったのか。それは、拡大均衡型経済から、縮小均衡型経済へと構造が変わった事である。
この点を理解しないとバブル崩壊後の不況、景気低迷、デフレーションの原因を解明する事はできない。

1985年のプラザ合意のよってその兆候は現れていたが、90年代になると日本経済の体質が変化した事が明確に現れてくる。それは、資金構造の変化が背景にある。つまり、実物経済では収益が上げられなくなり、名目的に利益を上げざるを得なくなった事に起因する。そして、所得が横ばい状態になっていくのである。

決定的なのは、ニクソンショックによる円高基調がプラザ合意によって市場に浸透した事である。円高によって国際競争力を失い国内の市場には常にデフレ圧力が働くようになり、その上で本業で儲からなくなり、地価が下落した事である。
それまで、外に開かれていた市場が円高によって国際競争力を失い閉められ、産業の空洞化も徐々に進行していった。国内市場が成熟して成長に陰りが見えた事である。国内的には、円高や過剰供給により収益力が低下し、本業で利益を上げる事が難しくなったのである。
繊維といったコモディティ商品から国際的競争力を失っていったのである。


90年代に資金の流れが変わった


90年代は、資金の流れが変わった分岐点の時代だと言える。

バブル全盛時代、最も、ハプルがよかった業種は不動産業である。それがバブル崩壊後一転して、長い不況にあえいでいる。
その不動産業を例にとると地価の値上がりを当て込んで、貸しビルを建てる。地価が想定以上の値上がりをしたら、想定以上の含み益を持ち、その含み益を担保に新たな投資をする。バブルが形成される間は、地価は右肩上がりに上昇するために、際限なく担保力は上昇する。投資が投資を呼ぶという状況が現出する。そして、地価の高騰は、相続税を上昇させる要因でもある。それがまた、投資を呼ぶ。相続税対策は、負債によって相殺されるという性格があるからである。この事は後々地価が下落すると深刻な問題を引き起こす事になる。
地価が上昇しているうちは正に働いていた要素が地価が下落し始めると負の要因となって螺旋的に地価の下落を加速していく。
それまで積極的に新規投資を後押ししてきた金融機関が、反転して新規融資に消極的に成り、資金の回収を計るようになる。そうなると新規投資が止まり、借入金の返済に専念するようになる。
地価が下落しているうちは、バブル期に購入した土地を売れば損が確定し、買ったもキャピタルゲインが見込めないからである。
また、賃貸業者からすれば、とかが上昇している時は、それなりに中古物件の需要も見込めたのが、相場が横ばいになる事で、中古物件と新規物件との格差がなくなり、結果的に中古物件の収益力が低下する。
さらにまた、地価の下落は、含み益が含み損に変質し担保力を低め、企業の資金調達力を弱める。
それに追い打ちをかけたのが規制緩和による競争の激化であり、その結果としてのデフレーションである。
かつてバブルを煽った行政やメディアは、今度はこぞって規制緩和、過当競争、安売りを奨励し、民間企業の収益力を低下させその結果としての経費削減、人件費の削減を余儀なくさせる。
この様な情勢下でも借入金の元本の返済は、待ったなしに迫られる。しかも、借入金の返済による資金流出は、会計上表には現れないから経営実態は、周囲から窺い知る事が出来ない。
それでも、見かけ上は総資産が圧縮され利益率が上昇する為、財務体質が強化されているかのような錯覚を起こさせる。しかし、民間企業の基礎体力、潜在力、開発力は確実に低下している。なぜならば、未来への投資がしたくてもできないからである。
この様にして資金の流れは、実物市場から排除される。
また、減価償却と返済計画の差から費用と元本の返済に差が生じて収支以上の利益が上がる事により課税額が手取りを圧迫するといった事態も起こる。
この様な状態では、いくら金利を下げ、資金を市場に供給しても民間企業は、金融機関から資金を調達できる余力がない。
貸出先を失った資金は金融機関に滞留し、金融機関は、投機的な取引によって利益を上げるようになる。それが破綻したのがリーマンショックである。

市場から民間企業が借り手としていなくなった為、一般政府が借り手となる。

そして、90年代を通じ欠損企業は、50%から70%へと大幅に上昇したのである。


国税庁

流動性の変化


流動資産と流動負債の相関関係を見てみる。

1960~2013


流動資産・流動負債も1990年を過ぎるころから複雑な動きを見せるようになる。



流動比率は、ほぼ相関関係は守られているように見える。考えようによっては、多くの要素が相対的関係が失われたのに、流動性資産と流動性負債が相関関係を保ったことが注目される。

地価の動向


80年代右肩上がりだった地価は、バブル崩壊後一転して下落していく。




80年代は、地価の上昇に併せるように有利子負債の残高も上昇してきたのに90年にバブルが崩壊すると地価の下落に反比例するように有利子負債が上昇する。そして、2000年代に入り地価の上昇落ち着き横ばいをはじめると有利子負債も落ち着きを取り戻す。
重要なのは、名目的価値と実質的価値の乖離の幅拡大している点である。


国民経済計算書 内閣府

実体的裏付けのあった負債が金融資産という名目的資産に置き換わり、その結果、通貨が実物市場に出回らなくなったのである。
その結果、貨幣経済が拡大する中で、実物市場が圧縮される原因になっているのである。
「お金」は余っているのに、実物投資に回らず、景気が上向きにならない。
見かけ上の所得は変わらないのに、実質的な所得が目減りする.デフレ下の不況という現象を引き起こしているのである。

名目的資金が拡大した後、資金の回転が急速に悪くなったことが見て取れる。資金が回収の側に吸収されて、市場の側に流れず。それが金余り減少となって現れているのである。その結果、金融資産、有利子負債が企業や金融機関に積み上がっていると考えられる。
それが地価という実体価値と有利子負債という名目的価値の乖離として現れているのである。
お金があると言うだけでは豊かになったとは言い切れない。実体が伴ってこそ豊かさは実感できるのである。

 

預金は、金融機関にとっては負債である。株式以外の証券というのは、公債、国債を指して言う。つまり、公の負債である。
借入金というのは民間のすなわち、家計と企業の負債である。

負債は経済主体間の貸し借りによって成立する。経済主体間の貸し借りを相殺するとゼロである。
注意してほしいのは、経済主体間の貸し借りを総計したらゼロになる。すなわち、ゼロ和だという事である。

借入金は、横ばいである。それに対して現金・預金、そして、株式以外の証券が増加している。借入金が、全体に占める割合は、低下している。これは何を意味するのか、金融機関と公的機関の負債の全体に占める割合が相対的に増えていることを意味している。

注目してほしいのは、90年代を通じて地価と借入金が接近している事である。それだけ、地価と借入金のかい離の是正が計られたことを意味している。


収益構造


売上、売上原価は、横ばいで極端な変化がない。
問題は、数量的要因と貨幣的要因に変化がないかである。
なければ、収益の基盤は変わっていない事を意味する。

  
法人企業統計      財務省

収益が横ばいというのは、時間の働きが陰である事を意味する。収益が横ばいという以上に売上総利益が横ばいだと言う点が重要である。売上総利益は、付加価値の基礎となるからである。

収益が上昇局面や下降局面では、時間の働きが陽になっているから、時間の作用を計算に入れる必要がある。時間によるバイアスにフィルターをかける事が求められる。
しかし、収益が横ばいだという事は、時間の働きが弱まっている事を意味する。
ある意味で統計的手法を活用する絶好の機会だともいえる。

問題は何が、収益を横ばいにしているかである。

費用構造


バブル崩壊後一般管理、人件費は、上昇速度は、徐々に衰え、96年には、若干だが減少した。

 

減価償却費は、90年代を通じて横ばい状態だった。
減価償却費が一定しているという事は、減価償却費の増減がないという事であり、投資の増減がない事であり、営業キャッシュフローの核となる部分である償却費が安定しているという事である。



89年5%だった金利は、バブル潰しのために90年には、7%まで引き上げられた。しかし、それも長くは続かず91年以降金利は下げ続け最終的には2パーセントまで下落する。
99年(平成11年)2月、日本銀行は短期金利の指標である無担保コール翌日物金利を史上最低の0.15%に誘導することを決定し、実質ゼロ金利時代に突入する。

91年を境に企業の支払利息は、急速に下落している。支払利息を主たる収入源としている金融機関にとって死活問題である事は松がいなく。何らかの構造変革がなされたと考えるべきである。




利益構造


利益は、経営の状態を計る最も重要な指標の一つである。ある意味で利益は最終目的である。
しかし、その割に利益の意味は正しく理解されていない。
利益は、儲かっているか、いないか、赤字か黒字かの問題に過ぎないと思われている。

利益は、キャッシュフローの中でも核となる部分である。
収益が横ばいなのに対して利益、特に営業利益は、下降している。
これは利益が圧迫を受けている証拠である。営業利益は、率で50%あったものが98年には25%にまで落ち額も半分近くまで落ち込んでいる。
ここで注意してほしいのは、収益が横ばい状態だったから率と額がだいたい同じような動きをしている。これは時間が陰に作用している事を意味している。

際立っているのは、営業利益と経常利益が接近している事である。この事は、支払利息のところでも明らかになったが、金融費用が大きく削減した事による。


 
法人企業統計      財務省

金融損益が圧迫することによって営業利益と経常利益の幅が縮まったのである。


貸借構造


総資本の構成だけを見ると財務体質が健全化されているように見える。しかし、それは縮小均衡を前提としているという点を見逃さないでほしい。
財務体質を改善しているというよりも結果的に財務体質が改善されたという方が正しいのかもしれない。
第一に言えるのは、地価の下落によって企業の与信力、担保力、即ち、資金の調達能力が低下した事によって新たな借り入れが抑制され、収益の大部分が負債の返済に向けられた事で借入金の比率が相対的に低下した。そして、長引きデフレに対応するために、経費の削減が極限にまで進められた。特に人件費が削減され、雇用も正規採用から派遣といった臨時採用に切り替えられ、人件費の変動費化がすすめられた。その結果、個人の所得が不安定化し、個人の投資行為が抑制された。
この様な要素が重なる事で結果的に財務体質が強化されたのである。

 

しかし、それは、産業の基礎体力を奪い、将来への投資が忘れられ、ひたすら守りの経営に向かわせることになった。それは産業の空洞化も招いている。国内に投資するよりも海外に投資する方が有利だからである。

1900年代のキャッシュフロー


1900年代のキャッシュフローは、急速に財務キャッシュフローが低下し、94年には、マイナスにまでおちている。財務キャッシュフローと投資キャッシュフローがマイナスで営業キャッシュフローによって賄われる形は、成熟期にある企業と同じ形を示している。

財務キャッシュフローが急速に下落し、マイナスにまで落ち込むことで、キャッシュフローは、成長型から成熟型へと変貌した。
この事によって資金の流れが変わってしまったのである。
この点を見落とすとバブル崩壊後の失われた10年、更に、20年という空白が生じた原因を正しく理解する事はできない。
キャッシュフローが成熟型に変わったのは、市場の構造が変わったことを意味する。そして、外部資金を活用したダイナミックな投資資金の流れが内部資金の範囲内の投資に重点を移し、それが拡大型経済を縮小型経済へと変質させたのである。



財務キャッシュフローが急速に低下しているのは、資金の流れる方向が変わってきている事を意味している。
この流れの変化が90年代を決定的にしている。
営業キャッシュフローのほとんどを借入金の返済に充てられているのがわかる。営業キャッシュフローをいくら稼いでも資金が市場に流れていかないのである。それが総所得を圧迫する結果を招いている。

営業キャッシュフロー



営業キャッシュフローも視点を変えると違って見えてくる。

営業純益を基礎にして営業キャッシュフローを算出してみる。
営業キャッシュフロー=営業純益(営業利益-支払利息)-運転資金+減価償却費+支払利息+租税公課とした場合、構成要素の構成比をみてみる。

営業キャッシュフローは、バブル崩壊後大きく減少している。営業キャッシュフローは減少している事だけが問題なのではなくその構成にも問題がある。

90年代は、減価償却費が横ばい状態であるが、構成比率は徐々に上昇しているのが読み取れる。
また、支払利息も急速に減少している。
91年は、バブル崩壊の年だが、運転資金が大幅に不足しているのが読み取れる。

支払利息が減少し、その分、営業純益が上昇している。一見、費用対効果が改善しているように見えるが、結局支出を伴わない費用が増えているのである。収益が横ばいだとすると縮小均衡な状態にある事が推測できる。

  

運転資本と短期借入金は対称的な動きを見せている。



財務キャッシュフロー


90年代、財務キャッシュフローは、他のキャッシュフローに対して顕著な動きを見せている。90年代、それ以後の日本経済の性格を財務キャッシュフローが決定づけている。

90年代、財務キャッシュフローは一貫して低下し、94年には、マイナスにまで落ちている。
要するに、資金効率が低下し、最期には、消失している事を意味する。
企業が外部、金融機関から資金を調達しなくなった。調達できなくなったことを表している。

財務キャッシュフローがマイナスにまで低下した原因は、経営者が意図して低下しているのか、それとも、意図せず低下しているのか、それが重大なのである。
メディアや行政は、事業家の投資意欲が低下している事を嘆くが、本当に投資意欲はなくなったとだろうか。
実際は、お金を借りて投資をしようという意欲が失われたのではなく。資金を借りたくても借りられないのである。それが経営者の本音であり、それこそが最大の問題である。
結局、守りに入ったのは、事業家ではなく金融機関であってバブル崩壊後、事業に対して資金を提供するのではなく。やはり土地を担保に投資する担保主義から脱することができないでいる。脱出するどころかバブル崩壊後より保守的に成りますます土地に執着してきたのである。




バブルの発生期は、やれ財テクだ、土地投機だと煽り、バブル崩壊後は、貸し渋り、貸しはがし。いずれにしても極端から極端、オール・オア・ナッシングである。
国家構想や長期的展望に立ち志を以て産業や社会基盤を再構築しない限り、日本は底なしの奈落へと落ちいてくことになる。
日本は、どちらに向いて進んだらいいのか。腹を据えて見極めなければならない時なのである。


投資キャッシュフロー


投資キャッシュフローも財務キャッシュフローに呼応するように低下している。

80年代右肩上がりに上昇してきた投資キャッシュフローが90年代は、下落に転じてしまう。
特に、有形固定資産、すなわち、設備投資に向けられる資金が92年頃より減少に転じている。バブルが崩壊するまでは、投資有価証券の額も多い。

 

投資の減少は、必然的に調達資金の減少を招く。
長期金融機関借入金がどんどん減って終いにはマイナスにまで転じてしまう。
営業キャッシュフローが横ばい、ないし、減少しているのに、財務キャッシュフローは大幅に減少している。
しかも、投資キャッシュフローから見て投資が減少しているのが歴然としている。
これでは所得が拡大する余地は生れないのである。

それを裏付けるように長期借入金が減少し、減価償却費は高止まりし、内部留保は減少している。

1997年暮れには、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券、徳陽シティ銀行と立て続けに破たんした。


法人企業統計      財務省

特別利益は伸び悩むのに、特別損失が突出してくる。
これは不良債権処理が加速している事を表していると思われる。


法人企業統計      財務省

90年代の資金需給



また、戦後、家計は、一貫して資金余剰主体だが、一般政府は、1993年度から資金不足主体に転じた。それに対して非金融法人企業は、1998年以降、資金余剰主体に転じている。(「資金循環」 日本銀行 調査統計局経済統計課 東洋経済新報社)

生産年齢人口は、1995年、8717万人をピークに減少へと転じている。

そして、2000年に非金融法人の資金調達が内部調達からではなく外部調達へと転じた事である。資金調達の手段が外部調達から内部調達に転じたことにより、日本経済の基盤構造が変化したのである。この点を理解しないと経済の実体は理解できない。(「企業法人統計」 財務省)

 

バブル崩壊後急速に外部資金の調達が減少しているのがよくわかる。
92年以降は、資金需要と資金運用がほぼ拮抗するようになった。
資金の使い方が内向きになってきた証拠である。





家計の構成


家計を構成は収入と支出から構成される。家計は基本的に現金主義に基づいている。
家計を構成するのは、収入と支出と貯蓄である。
収入の手段で根幹をなすのが所得である。収入の手段には、所得以外に一時収入と借金がある。
所得は、基本的に定収を前提としている。

近代というのは、給与制度によって一定の収入が保証されている事を前提として成り立っている。一定の収入が一定期間保証されることによって長期借入が可能になったからである。定収と長期借入金は一対になって成り立っている。現代経済は、ある意味で借金によって成り立っている。それが貨幣制度の特徴でもある。
親兄弟、家族が信じられなくなっても、金さえあれば何とかなるのである。逆にいえば金の切れ目が縁の切れ目という人間関係にもなる。

支出は、消費支出と借入金の返済、貯蓄からなる。

人が生きていくために必要な物は、衣食住を基本としている。さらに今日では、通信費と光熱費が含まれる。
衣食住の中で投資に係るのは、住である。住宅投資は、家計で固定費を構成する。住宅は、借家と持ち家がある。借家であれば、住宅費も変動費である。
しかし、持ち家は投資である。持ち家が普及するのは、個人向けの長期的借り入れが可能になったからである。
定収入が個人の長期的借入を可能とした。

先ず家計を構成するのは、借入金の返済である。その次に、納税や社会保険である。そして、その他の保険金を除いた後自由に使える金が残り、それが可処分所得である。通常は、この可処分所得の範囲で支出されたお金の残金が預金に回される。
自由に使える金というのは、借金の返済と税金を除いた後のお金と預金の残高である。この構成が、経済の大枠を構成する。

市場に出回るお金の量は、可処分所得の範囲内だからである。市場全体では、借入金の返済と消費支出の比率が景気を左右するのである。

住宅に対する支出は、借入金の返済額と家賃との比較によって決まる。
将来の安定収入が期待できなくなり、同時に資産価値、地価が低下しキャピタルゲインが見込めなくなると持ち家より貸家の方に需要は流れる。

資産を圧縮して借金を返そうという動機が働くからである。これは、個人も法人も同じである。

金利がいくら低下しても雇用が不安定で将来の収入の確保が覚束なければ、借金をしてまで住宅を買おうという意欲が持てない。

家計消費支出


90年代を通してみると90年代には二つの山がある事が見て取れる。
順調に伸びてきた家計消費支出も93年頂点にして下落していく。



今の経済は金の儲け方ばかりを問題とし、金の使い方なんてどうでもいい。とにかく大量に作ったものがはければ経済は回ると思い込んでいる。
だから消費の質が劣化するのである。

好例が住宅である。終戦直後は一面の焼け野原で圧倒的に住宅が不足していた。国民は、あばら家で雨露をしのぐ有様であった。それが高度成長期になると公団アパート、団地と規格の定まった住宅が大量に供給され、住宅専門金融が持て囃された。
本来、市場が成熟したら量から質へと転換すべきなのに、バブルが発生し、地価の高騰が庶民の手の届かないところまで住宅価格を押し上げた。バブルがはじけたら、今度は資産価値が下落し、持ち家の魅力が薄れてしまった。今は、少子高齢化で空き家、空き室が増加しているというのに、金余り現象を背景にタワーマンション、高層マンションの建設ラッシュが続いている。
我々は、いつの間にか、家の持つ働き、役割を蔑ろにするようになってしまった。
家は、本来家族を育むところ。人生の舞台。終の棲家。生まれて育って、愛を育み、子を産んで育て死んでいく場。将に生病老死のドラマがある。
その家から人間臭さが失われようとしている。金の使い方が貧しくなってしまったのである。


家計の貸し借り



投資というと、政府の公共投資や企業の設備投資といった大規模投資を思い浮かべがちである。
しかし、投資活動の中でも家計の投資活動を軽視すべきではない。

家計の投資活動の主要な事は、一つは、住宅投資である。次に、教育投資、第三に、老後投資の三つであるが、この他にも最近は、自動車や家具、通信なども加わっている。

家計の投資は、住宅を購入するのが好例であるが、最初に一定の比率の頭金を支払ったうえでローンを組むのが一般的である。そして、この資金の流れは、最初に、巨額の支出が発生しそれを長時間かけて返済していくというのが定型である。つまり、ローンは、一度組むと長期間にわたって一定の返済、即ち、支出が固定的な派生する事を意味する。
この借入金の返済は、家賃と違って実物市場に供給されることなく、金融市場に滞留することになる。

つまり、長期借入金と預金がストックの部分を構成し、消費支出がフローを形成するのである。

また、家計は、預金を通して貸し手としても大きな役割を果たしている。
預金は、金融機関にとって負債である。家計の金融資産は、2016年末、1800兆円(日本経済新聞 2017/3/17)となる。
預金と貸出金は、強い相関関係にある。バブル期に貸出金は、ピークを迎える。リーマンショック後貸出金は預金に対し相対的に減少しているのが見て取れる。




民間金融機関の貸出先は、民間非金融法人企業、家計、金融機関の比率が圧迫され。海外、一般政府は増加傾向にある。



90年代の総括


91年、バブル崩壊後、地価は、急速に値を下げている。地価が急速に値を下げているのに、有利子負債、即ち金融機関からの借入金は、1995年まで増え続けている。
1995年は、住専問題が政治問題化した年である。
住専問題とは、1995年8月には大蔵省の住専立ち入り調査が行われ、農林系1社を除く全体で、総資産の半分に達する6.4兆円の損失があることが判明した事を言う。
そこから、金融機関の貸し渋り、貸し剥がしが社会問題化したのである。

地価が暴落した事で土地の担保価値が下がり、それまで、地価の値上がりを当てにした含み経営が破たんした。利益が上がった時に将来の地価の値上がりを前提として不動産を買いそれを担保に更に資産を買い増しするといった経営が一転して裏目に出るようになる。地価の暴落によってそれまで優良資産であったものが一転して不良資産となる。不良資産、不良資産というが、その実態は不良債務である。
こうなると不動産を買ってキャピタルゲインを求めるというビジネスモデルが通用しなくなり、地価の下落に拍車をかける事になる。
行政は、バブルの後始末に懲りて今度は地価の上昇を徹底的に抑え込むようになる。
それまで、土地を担保にした融資に積極的というか、強引な融資までしてきた金融機関が掌を返したように、貸し渋り、貸し剥がしに走る。

金の融資先がないと金融機関が嘆き、財政が破綻したと行政が頭を抱えるが、今更の感が否めない。
民間企業は資金を借りないのではない。いまだに借りられないのである。
借り手のいなくなった市場の穴を埋めるように公共機関が金を借りる。

健全な負債が健全な社会を維持している事を忘れてはならない。



資産価値地価が下落したからと言ってそく負債が減少に向かったわけではない。負債は地価が下落した後も4年間は増加し続け1995年から減少に転じた。1998年までは一定水準を確保していたのが1998年から急転直下真っ逆さまに落ちたのである。何が有利子負債の下落を誘ったのかそこが問題なのである。

何が起きたのか


経済は歴史的産物である。歴史は、いくつかの事象の時間的、空間的、相互作用、連鎖反応によって形成される。
辿れば、ニクソンショック、第一次、第二次石油ショックといくらでも遡っていくことができる。しかし、それではきりがないのでとりあえず、プラザ合意による円高不況を発端として考えてみよう。
プラザ合意に端を発する円高不況のよって本業の収益が圧迫された民間企業は、財テクに活路を見出そうとした。そして、財テクによる資産価値の急激な上昇は、相続税対策に拍車をかける。折からのブッラクマンデーで金融引き締めの機会を逃す。その為に、資産価値の上昇は歯止めを失った。
これがバブルの伏線である。
資産価値の上昇によって多額の未実現利益を企業は蓄える事になる。その事が企業のオーバーローンを生み出す。バブル現象の始まりである。

バブルがはじけるとオーバーローン気味だった多くの企業は、新規の融資が受けられなくな。その為に市場から借り手がいなくなった。民間企業に替わって借り手として台頭するのが一般政府である。
そして、金融を緩和することで市場に資金を供給しようと画策するも担保力を失った民間企業に金融機関は、融資を渋り続けるのである。故にいくら笛吹けども市場には資金が流れてこなかったのである。

しかも、同時に規制緩和が並行した進んだことで、企業の収益力が低下し、市場は、縮小均衡へと進むことになる。
市場が縮小均衡に向かい実物市場に資金が流れなくなった事によって経済成長は止まる。
更に付け加えれば、強引な不良債権潰しで市場の底を踏み抜き。土地が回復しかけた時、リーマンショックが水をかけたとも言える。

自業自得ともいえるが、借り手がいなくなり、金利が低下した事で金融機関の業績は急速に悪化する。金利をいくら低くしても借り手が表れない。それは資産価値が下落した事で担保価値が低下した事によるのと、金融機関が極端な保守主義に陥った事に起因している。中小金融機関の預担は、急速に低下し2017年現在、中小金融機関は50%を切るまでに至っている。
この様な状態は、資産価値の下落がもたらした事であって民間企業や金融機関の経営の仕方が悪かったからではない。資産価値の下落が、過剰投資、過剰負債、過剰雇用の状態を招いたのである。この点を錯覚してはならない。経済的状態というのは、その経済的状態を成立させている状態とその状態を引き起こした要因の二つから検証すべきであり、結果だけから判断すると物事の本質を見誤り、適切な対策が立てられなくなる。病気で体力を失っている時に、更に体力を奪う行為を強要すれば病気は改善せずに悪化するだけである。

また、市場から借り手がいなくなったことに対応して政府が借り手となり、財政赤字に悪化すると同時、大量の資金が金融市場に供給される。
資金は金融市場に滞留して金余り現象を引き起こす。金余り現象を解消するために日銀が大量の国債を購入せざるを得なくなるのである。日銀は、資金を市場に循環させるために、金利を下げゼロ金利、マイナス金利状態にあちいる。それでも資金が流れないから量的緩和にまで踏み込んだ。
それでも、資金は、市場に供給されない。それが現状である。

ここまで来ると何らかのキッカケで資金が急激に市場に供給されるような事態になれば、市場は制御不能な状態に陥る危険性もある。また、長期金利が上昇すると金融機関が対処しきれなくなることも想定される。進むにせよ、退くせよ、余程の展望がなければ結果に責任を持つ事は出ない。

何のための規制緩和なのか。その目的がよくわからない。首をかしげたくなる。
規制を緩和することで得られる利点は何か。新規参入がしやすくなる。経費削減を促せる。むろん、価格を下げる事が出来る。
しかし、反面過当競争が激化し、収益力が圧迫される。雇用が減る。労働環境が悪化する。寡占化、独占化を促す。商品の標準化が進む。
価格が下がるという事が適正価格になるというのならばいいが、えてして、無理して、強引に下げる場合が多い。その場合、皺寄せは弱者に行くがそういうことはマスコミは見ない。安くなったからいいだろうという事になる。
量から質へ転換しなければならない時に、逆に量を追求することで質を低下させることになりかねない。
かつては何でもかんでも規制をすればいいという時代もあった。確かに、その時代に作られた規制の内の多くは時代の変化に適合しなくなっている。要は、既成をするにせよ、緩和するにせよ。その目的を明らかにすることである。競争は原理だから競争を阻害する規制は何が何でもなくしてしまえと言うのは、一種の新興宗教の部類に属す。大体、規制のない競争はない。規制があって競争は成り立っているのであり、規制のない競争というのは競争ではなくて闘争である。歯止めが利かなくなる。

景気が悪化するきっかけは時間を追ってみればわかる。不動産規制の強化と金融引き締めによって資産価値が下落し、同時に規制緩和によって収益が低下した時、また、円高によって民間企業が本業の収益が圧迫を受け、思うように利益を上げられなくなった時から国民総所得は横ばい状態に陥り、資金は内向きになったのである。後から金融緩和をいくらしても収益は回復せず、第一地価が下がり続けるかぎりで企業の資金調達力は回復しないのである。逆に金利の低下は、金融機関を直撃することになる。
そして、その結果財政の悪化は、止まらないのである。
市場に借り手を見いだせなくなった金融機関は、国債によってその穴埋めをする。
中央銀行は、金融機関が貯め込んだ、国債を買い取る事で市中に資金を回そうとしているのが、現在の姿である。
企業が資金不足主体となって外部から資金調達ができる体制、仕組みを作らないかぎり、「お金」の流れは変わらない。

規制緩和と金融引き締め、不良債権の強引な処理、これらが引き金を引いたのが明らかなのに、いまだに規制緩和、地価の流動化に対する規制などを変えようとしない。金融引き締めは、放棄されたが、今度は、引き締めができない状態に陥ってしまった。市場の機能を破壊してしまったからである。市場を再構築しない限り景気を制御する事はできない。
金利がゼロという事が常態化しつつある。ゼロ金利というのは異常な事なのである。ところがゼロ金利というのは、異常な事態だという認識が薄れつつある。それ自体が危険な事なのである。

今の経済政策は、個々の要素に働きかけて強引に経済を変えようとする政策が多すぎる。
大切なのは、仕組みなのである。

市場の基礎的条件の変化は、経営環境を激変させる。市場の基礎的条件とは、為替や金利の変化、石油価格の高騰や下落、規制強化・規制緩和、資産価値の高騰と下落、物価の上昇・下落、技術革新、株価の乱高下、金融・会計制度の変更、新規参入による競争の激化、雇用環境の変化、行政制度の改革、地震や事故といった災害等である。
この様な市場環境の変化に個々の企業が対応する事には限界がある。個々の企業が取り組むべき事と、行政や金融機関がなすべき事を明確にして組織的に対応する必要があるのである。重要なのは仕組みである。それも単純に市場の仕組みだけでなく、会計の仕組みや産業の仕組みなどが複雑に入り組んで市場環境は形成されているのである。

景気対策も強引すぎると逆効果になる。直接、賃上げを強要したり、競争を強要したり、価格を弄(いじく)ろうとするのは、最初から無理がある。電力とガスを争わせることにどれくらいの利点があるのかわからない。何でもかんでも安くすれば文句はないだろう式の施策は、乱暴すぎる。

脇の下に手を突っ込んで笑わせるような事は、邪道であり、品性に欠けると落語家が言っていたのを覚えている。
土足で人の家に入るような事は避けるべきである。
強引に不良債権を処理しようとしたり、市場の状況を無視したり、総ての産業、企業を一律の政策で変えようとしたりするのは乱暴すぎる。
企業が資金を調達できない事が一番問題なのである。企業が安心して資金を調達できるような仕組み、状況を作り出さない限り景気は好転しない。

今の経済は、金のための経済に成り下がっている。
本来の経済は、人々が生きていくために必要な資源を生産、あるいは、調達して、必要なだけ、必要な人に分配する事を目的としている。
ところが現在の経済は、金儲けのために、金儲けに必要な物を金儲けに必要なだけ生産し、あるいは、調達し、金儲けに成功した者だけに分配している。だから、金を儲けるためには手段を択ばなくなり、金儲けの巧拙で人格まで判断されるのである。
これは、金のための経済であって人のための経済ではない。




       

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