経済の現状

日本経済の現状について



貨幣経済の仕組みは、「お金」が回る事で動いている


貨幣経済の仕組みは、「お金」が循環する事で機能を発揮する。資金が不足している主体に余剰資金を持っている主体から融通する事で「お金」を循環させているのが金融機関であり。「お金」、資金を循環させる働きが財務である。つまり、財務の働きは、資金を回す事にある。
基本的に「お金」は、「お金」を融通してもらう、即ち、借金をする事で市場に供給される。

資金を循環する事は、「お金」を遣り繰りする事である。そして、それが財務の主たる働きとなる。つまり、資金繰りが財務の仕事の核となるのである。

資金の遣り繰りによって財務内容が左右されるという事は、資金がどれくらい回転したか、そして、資金の総量の増減はあったかどうかが効率を測る基準となる。これは、企業だけでなく、家計も、一般政府も、一国としても同じである。
残高だけてなく資金の増減が基準となる。この事は、財政の性格を象徴している。
つまり、財政は、資金の回転、流通量、資金の総量の増減が鍵を握り、経済主体の財務内容を表しているのである。

大局、全体的に見ると資金を市場や社会に循環させる事が、金融の働きである。その延長線上に財務の役割がある。
財務の役割は、資金を調達し、運用して、返済する事である。
どこから、どの様な手段で資金を調達してきたか。そして、調達した資金をどこに、どの様な手段で流したか、それを追跡する事によって経済の実態は、明らかになる。

故に、財務で最も重視されるのが資金の調達手段と調達先である。
調達手段としては、直接金融と間接金融がある。

資金調達は、内部資金調達と、外部資金調達がある。
日本の民間企業は、2000年を境にして資金調達比重を外部から内部へと移している。

財務の働きは、金融活動を通じて資金を市場や経済主体に循環させる事である。
貨幣経済体制においては、資金が回っている限り、経済を継続する事が出来る。逆にいえば資金が循環しなくなったら、流動性が失われたら経済は、破綻するのである。
その好例がリーマンショックである。

キャッシュフロー上でいうと財務キャッシュフローは、貸借対照表の総資本の部分、投資キャッシュフローは、総資産の部分、営業キャッシュフローは、損益の部分に相当する。
キャッシュフローの中でバブル崩壊後最も顕著な動きをしたのは、財務キャッシュフローである。バブル崩壊が持つ意味や働きを理解しようとした時、この財務キャッシュフローの動きをどの様に解釈するかが、重要な鍵を握っている。

金融には、間接金融と直接金融がある。直間比率も金融の構造を表す指標の一つである。
間接金融は、銀行などの金融機関に一度資金を集積し、金融機関を通じて資金不足主体に貸しつけることを言い。直接金融とは、株式市場などを通じて直接的に資金余剰主体が資金不足主体に貸しつける、あるいは、投資することを言う。直接金融の傾向が強くなると金融センターとしての金融機関の力が弱まる事になる。

金融とは、負の空間を構成する。金融は、市場を反映する鏡である。つまり、家計、民間企業、一般政府が作る空間が正の空間ならば、金融が作り出す空間は、負の空間なのである。

取引の対称性は、市場や会計の枠組みの不変性を保証する。

資金を融通する事が金融本来の働きであるから、金融の効率を表す代表指標は預貸率である。
その預貸率がバブル崩壊後急速に悪化している。信用金庫、信用組合は、50%を切る勢いである。



国民経済統計

預貸率の低下は、金融機関が金融仲介機能を果たせなくなっていることを意味している。
預貸率の歪は、資金の流れそのものを歪めてしまっている。

余剰資金が溢れているのに、優良な貸付先が見いだせないでいるのがわかる。
金利をいくら下げても資金需要が枯れているのである。つまり、金詰り状態なのである。それが金利を押し下げてもいる。
こうなると金融機関は身動きが取れなくなる。

不良債権、不良債権と言うが、債権と債務は一体なのである。不良債権を処理する場合は、同時に、対極にある不良債務も処理しなければならない。不良債権を処理しても、償却できない資産の債務は、資産価値の上昇分を担保として資金調達をしてきた。
バブルが崩壊し、資産価値が下落し債権が不良化した時、債務も不良化したのである。その債務の処理を債権の上昇を期待して先送りした事がバブル崩壊の傷を深くした。その不良債務は、2018年現在でも重く日本経済にのしかかっているのである。

バブルの発生とバブル崩壊後の悲劇は、今日の財務の問題を象徴している。バブル期は、誰もが一種の昂揚感に囚われ、バブル崩壊後は、よかれと思ってやったことが裏目に出た。これはリーマンショックの時にも言える。しかも、間違いを犯したのは、素人だけでなく、その道の専門家やベテラン、プロである。
彼等の多くは、資産価格の動向を読み間違ったのである。そして、塩漬けにすればいつかは、株価も地価も回復すると信じていたのである。それが底なしの不良債権を作った。
1997年の山一証券の自主廃業は、それを象徴している。
実際、地価は、戦後の一時期を除いて右肩上がりだったのである。バブル崩壊後、多くの人は、地価の値下がりも一時的な現象として捉え、そして、不良債権の処理を誤ったのである。その行きつく先が山一証券の自主廃業や住専ま破綻である。
それは、一部の経営者の判断の間違いと言い切れるのか。個人の失敗、犯罪として処理していい問題なのか。故意なのか、過失なのか。この点を見極めないと同じ過ちを繰り返す。否、出口の見えない経済の停滞からぬけだすことができなくなるのである。

問題の背景には、長期資金の動向、債権と債務の乖離、資金調達の裏付けの問題が隠されている。これらはいずれも表面には現れてこない。

多くの場合、収益が悪化し、資金繰りに困ると会計操作によって乗り切ろうとする。しかし、会計操作をしても生産性が向上するわけでも収益が上がるわけでも、キャッシュフローが改善するわけでも、資金の調達力がよくなるわけでもない。見かけ上の体裁はよくなるかもしれないが、所詮、評価の変更や配分(金利か配当か)の変更である。朝三暮四の類に過ぎないのである。
この様な事は、財務の本質ではない。バブル崩壊後、日本の企業は、会計操作に明け暮れて財務本来の仕事を見失ってしまった。
そして、それは、財政も、家計も同じである。財政の悪化は、財政本来の在り方を人々から忘れさせてしまっている。今や国債は、最大の不良債権となりつつある。
働いて得るべき収入を借金で補おうとした人たちが、バブルやリーマンショックを引き起こしたのである。本業の収入が期待できなければ、借金を返済する目処など立たないのである。結局、騙し騙しして問題を先送りしているのに過ぎない。
山一証券がした飛ばしなどがその典型である。

財務とは何か。企業はいかにして資金調達をしてきたのか、そこに、この問題を解く鍵がある。
そもそも、財務の働きは、損益上には現れてこない。なぜならは、財務は、貸借・資本取引の結果だからである。
では、貸借・資本取引上に表れるかと言うと残高として現れるだけである。単位期間中の増減や移動は、結果としてしか表現されない。
かろうじて今日、財務キャッシュフロー上に認識する事が出来るだけである。それも、資金調達の結果であって原因や動機は示されない。
肝心なのは、資金調達の根拠であり、長期資金の動向なのである。そして、それが経済を停滞させている根本的な原因なのである。

財務とは


財務の核となる目的は、初期投資、および、再投資のための資金調達、資金繰り、そして、借入金の返済にある。
そこから、資金運用、リスクヘッジ等が生じた。ファイナンスと言うと資金運用を指すように言われるが、本来、資金の調達と資金繰りの必要性から資金運用は、生まれたのであり、あくまでも二次的な事である。

財務の重要な働きは、会計上、損益上表面に現れてこない。その為に、長期資金の働きを補足するのが難しい。
財務キャッシュフローを作成する目的は、長期資金の働きを明らかにする事である。

貸借・資本取引は、損益上に表れてこない。投資資金の調達や借入金の返済資金の動きは、貸借対照表上の増減、即ち、差額でしかとらえる事が出来ない。また、基本的に利益や資本は、差額勘定なのである。
また、例え、増減によって総額は、把握できたとしてもむどの様な目的、投資なのか、繋ぎなのか、不良債権の清算なのかと言った調達目的やどの様な手段で、どこから資金が調達されたか詳細まで精査しないと掴めない。
基本的に費用勘定のような、借金の返済や投資を意味する勘定そのものがないのである。

財務は、資金調達が主たる働きであるが、もう一つ重要な働きとして繋ぎ資金の調達と借入金の返済がある。繋ぎ資金が調達できず借入金の返済が滞ったり、不渡り手形を出すと経営主体は、経営を継続できなくなり破産する。
つまり、財務こそ企業の存亡の鍵を握っているのである。

財務の役割、必要性は、会計制度の構造から生じた。
財務の流れは、先ず、初期投資の資金調達から始まる。そして、資金は、調達した瞬間から回収、返済が始まる。返済と返済のための原資を考えずに資金調達や投資は行うべきではない。これは、企業会計のみならず家計も財政も同じである。回収と返済と言う両輪がなければ、設備投資であろうと、住宅投資であろうと、在庫投資であろうと、公共投資であろうと投資は成り立たないのである。
資金の回収計画が営業の流れを生み、資金の返済が財務の流れを生む。それ故に、キャッシュフローは、投資キャッシュフローを要として営業キャッシュフローと財務キャッシュフローが生じるのである。

回収計画と資金計画(返済計画)は、事業の両輪であり、経済を動かす動機でもある。問題は、回収と返済に時間差がある事である。しかも、回収は不確かであるのに対して、返済は、確定しているという性格の違いがある。そして、回収と返済の性格の違いが時間差を生み出す要因でもある。

貸借・資本取引で生じた収入も支出も損益上は現れない。要するのに勘定としては計上されないのである。
それが利益操作の温床になる。つまり、資産勘定を操作したり、純資産を操作する事で利益を変動できるのである。典型的なのは、在庫である。在庫の評価基準を変えただけで利益に差が生じる。

投資した資金を回収する手段は、企業経営は、収益、売上、財政は、歳入、家計は所得であるである。しかし、売上、歳入、所得は不確かである。しかし、借金の返済は待ったなしで来る。回収と返済が一致していない処から財務の働きは派生する。
それが財務の本来の働きである。

予定通り、計画通り、売上は上がらないのである。また、売上は一定ではない。それに対して支出は、確定的である。この収入と支出の不均衡が資金の過不足を生み、財務を派生されるのである。
つまり、財務の主たる働きは、資金の過不足の平準化にある。

もう一つの理由は、資金の返済上の資金収支と損益上のズレである。つまり、貸借・資本取引は、損益計上されないために、貸借・資本取引上の収支は、損益に現れてこない。つまり、投資した資金や借入金の返済(利息分を除いた)は、資金の出入ではなく増減でしかないのである。
投資した資金のうち、費用として支出が認められるのは減価償却費の部分でしかない。減価償却費として計上される部分も借金の返済額と一致していない。不足部分は、借り換えに依らなければならないが借り換えのために担保されてきたのが、不動産などの含み益である。
資産価値の下落は、担保力を低下させ、著しく資金調達力を企業から奪ったのである。その為に、民間企業は投資に資金がまわせなくなり、市場の流通する資金を減退させたのである。それがデフレーションの主たる原因である。

貸し渋り、貸し剥がしと言うのは、何も新規投資や運転資金だけを指すわけではない。借り換え資金こそ経営を継続するための生命線なのである。担保力が低下したからと言って借り換え資金が調達できなければ、企業は経営が成り立たなくなる。実質的に貸し剥がし、貸し渋りになるのである。

バブル崩壊は、財務の仕組みを直撃し、財務の働きを変質してしまったのである。



法人企業統計 ソフトウェアを除く設備投資を除く設備投資は、資金需要である。

上のグラフは、投資と資金繰りを長期借入金を基礎として見た場合であるが、投資と資金繰りを減価償却費を基礎に見ると以下のようになる。


法人企業統計 ソフトウェアを除く設備投資は、資金需要による。

資金の調達力を失った企業は、つなぎ資金を得る為に、いろいろの借金の技術を開発した。
借金の技術として開発されたのが、債権の証券化や金融工学、デリバティブなどである。

財務(ファイナンス)を資産運用だと誤解している人が増えている。無論、財務活動に資産運用は含まれる。しかし、それが財務活動の本筋ではない。財務活動の本筋は、本業に必要な資金を効率よく調達し、されを返済する事で純資産を充実させることにある。
バブル期に財テクが流行り、本業よりも資産運用で稼ぐ金の方が多いと豪語していた経営者がいたが、その多くは、バブル崩壊後、そのつけを払わされる事になる。
財テクはあくまでも補助的な手段であり、本業を凌ぐようになったら本末転倒である。むしろ、企業体質を脆弱にしてしまう。

一番の問題は、高度成長が終焉し、ニクソンショックと二度の石油危機と日本経済が曲がり角に立った時、プラザ合意がなされ急速に円高になった事で、資産運用によってしか本業の収益不足を補えなくなったことなのである。まず根本的に日本の経済の在り方を変えるべきだったのである。その時に安易に財テクに走った。その結果、バブルが起こり、そしてバブルは崩壊したのである。バブル崩壊後の財務は、不良債権処理に終われ、本来の財務が働かなくなったのである。その結果、投資活動が停滞しているのである。
拡大再投資の準備こそ本来の財務の使命である。また、いざという時の資金を準備するのも財務の仕事である。
財政再建に成功した藩が幕末維新に活躍をした。財政が健全でないと成長拡大の芽は摘まれてしまう。

経済の仕組みは、必要最小限なだけ生産し、それを適正な価格で販売し、必要とする者が必要とするだけ消費する事が出来るようにする。それに尽きるのです。その為には、密度が感じであり、所得と支出の均衡を保つ事が鍵を握っている。そこに金融の働きがあるのである。資金不足の主体に余剰の資金を持つ主体から融通する。だからこそ、金融は縁の下の力持ちに徹しなければならない。金融が生産的主体に代わって市場を主導したら忽ち経済は、金塗れになってしまう。

本来の財務は黒子であり、保守的な存在である。この点は、国家においても同じである。一国の経済が財務活動によってしか成り立たなくなったなら、経済は、生産と分配、消費と言う本道を失う事になる。
経済の根本要素は、生産、分配、消費である。

貨幣経済の仕組みを動かしているのは、資金の過不足と資金移動である。
資金の過不足を補う働きをしているのが金融である。この金融の働きを制御しているのが財務である。
そして、資金の過不足と資金移動を表しているのが財務キャッシュフローである。

財務活動は、資金繰り活動と言っていい。経営を継続する為に必要な資金には、初期投資資金、運転資金、更新投資資金などがある。資金調達と返済に関わる業務を資金繰りと言う。

財務とは、資金の調達と運用、利益処分である。そして、主として資金の調達が財務の働きである。
財務の始点は、資金調達にある。資金調達の手段は、貸借的手段と資本的な手段がある。
ただ、資金調達をするためには、裏付けが必要である。
何を担保として、また、元手として資金を調達するのか。そして、どの様にして担保する者を保証するのか。それが問題なのである。
一つは、手持ち資産である。もう一つは、将来の収入である。

資金の調達は、資金の不足を補う事である。
財務の目的は、いかにして資金調達力を高めるかにある。
更に、財務の働きには、資金運用がある。資金の運用は、余剰資金の活用である。
即ち、財務は、資金の過不足を補う事が主たる目的となる。

資金調達は、収入を計る事を意味する。収入の手段には、収益的手段、貸借的手段、資本的手段がある。
損益は、基本的に売買取引を主とする。それに対して、貸借的手段や資本的手段は貸借取引、資本取引による。
貸借取引や資本取引の結果は、損益上に計上されない。

財務は資金調達の手段として金融的な手段、資本的な手段を用いる。
故に、財務は、主として貸借取引、資本取引によって機能するから、財務の動きは、損益上に表れてこない。
この点が重要なのである。貸借上の資金の動きは、損益上ではとらえきれない。かといって貸借対照表には、増減としか表現されないのである。その為に、財務上の資金の流れと投資の資金の流れとの相関関係は、見えてこないし、期間損益における在庫や信用取引の変化も見えてこない。

資金調達は、資金の調達力が必要となる。資金の調達力は、収益力と資本力、経済主体の持つ資産の担保力による。
収益力とは、経済主体が将来どれくらいの収益を上げる事が見込めるかである。資本力とは、どれくらい内部留保を蓄えているかであり、担保力とは含み益がどれくら見積もれるかである。

財務にも短期的資金の働きと長期的資金の働きがある。
短期的資金の動きは、運転資本に、長期的資金の流れは、投資に反映される。

長期借入金は、投資と表裏の関係にある。投資が増えた時は、即ち、投資資金が借入金によって賄われると投資キャッシュフローは、負の値をとり、長期借入金は、正の値をとる。
減価償却費と借入金の返済額、固定資産の減少、支払利息の相関関係を理解しないと財務キャッシュフローの働きは見えてこない。

財務と、財務キャッシュフローは、根本が違う。この点を正しく理解しておかないと財務と財務キャッシュフローの見分けがつかなくなる。財務は、経営に必要な資金を調達する事に目的がある。長中期な的展望や事業計画を下敷きにしなければ成り立たない。また、財務は、実際的な資金の不足を補い、資金繰りを意味している。
財務キャッシュフローは、負債や資本の増減を表しているのであり、資金の状態を表しているわけではない。借入金を増やしても財務キャッシュフローは増える。しかし、それによって資金繰りが改善されたとは限らないのである。フリーキャッシュフローの範囲内で投資を行えばいいと投資を制約したら、投資本来の意義を見失う。キャッシュフロー経営の危うさがそこにある。
根本的な資金不足が解消できたかどうかは、財務キャッシュフローと営業キャッシュフローや投資キャッシュフローとの関係から明らかにされる事である。
また、利益は、費用対効果を表す指標であって資金の状態を表す指標ではない。資金の過不足は、最終的には、現金残高として表される。
財務で一番注意しなければならないのは、現金収支と期間損益の違いである。投資資金を借金で賄った場合、その借入金の元本の返済は、損益上計上されない。
それは、利益にも関係してくる。非減価償却資産は、費用化されないからである。
投資した分で費用とされるのは、金利と減価償却費だけであり、減価償却費に計上されない部分、即ち、土地などの非減価償却資産は、費用化されないのである。非減価償却資産は、清算された時、費用化される。借入金の返済は、本来利益の中から支払われなければならないが、利益には、借入金の返済は計上されない。故に、借入金の返済は、内部留保によらなければならなくなる。利益をすべて配当に回せば、借入金の返済の原資がなくなる。

利益が上がっているからといって資金が潤沢にあるとは限らないし、損失が出ているから資金が不足しているとも限らない。赤字倒産という例も多くあるのである。

この辺の絡繰りが見えてこないと経済の実像は理解できない。資金の過不足を利益や純資産は表しているわけではない。利益や純資産だけをみて現金収支を判断するのは間違っている。

資本主義というのは、一定の負債を維持しながら応分の費用を負担し続ける事で財の分配をしていく仕組みなのである。
それは、継続企業を前提とした時点から前提とされた事である。

財務は、金融でもある。故に、財務には、金融固有の技術がある。単に、長短の借入金の増減だけでは判断できない。
金融資産は、金融資産の働き、運用しだいで利益をもたらす場合があるからである。




部門別の財務構造











財務と原点は資本である。


財務の原点は、資本である。
財務の始まりは、資金集め、即ち、資金の調達であり、資金を調達する手段が資本の性格を決め、資金を調達する過程で資本は形成される。
資金を調達する手段と過程が財務の起点である。故に、財務の原点は資本である。

資金調達の基本は、収入である。
家計の収入の基礎は所得である。補助的手段として蓄えを取り崩す事や借り入れ、贈与がある。財政の収入は、税収と事業所得、借金である。

企業における基幹となる収入手段は収益的手段である。負債や資本は、補助的手段である。
負債からは、返済義務が生じる。返済する義務を債務とし、返済金を受け取る権利を債権という。
即ち、貸し借りによって資金が貸し手から借り手の側に資金が流れると同額の債権と債務が生じる。借り手から貸し手の側に流れると同額の債権と債務が解消する。
企業の資金調達の基本は、収益的手段である。
ただ、収益は、財を生産し、販売する事が前提となる。生産準備が整うまで収益的手段は、講じられない。生産手段が整うまで資金不足が生じるので、その状態を解決する手段として金融的手段、資本的手段が必要とされる。それが財務の起点となる。

事業の準備期間における資金調達の手段と過程が資本を形成する。資本は、負債の根拠となるからである。
故に、財務の本質は、資本である。

資本は形式である。

資本は、民間企業だけでなく、家計にも、財政にも必要である。ただ家計や財政では、資本は、いまだに未成熟な概念であり、家計は、私的な範囲に限定される傾向がある。また、家計も財政も現金主義の範囲でしか機能していない。故に、民間企業を基本として財務の働きを明らかにする事が妥当だと考える。

財務は、対局に投資がある。その意味では家計上の財務の対極の主たる部分は、住宅投資である。
住宅投資と設備投資の違いは、住宅投資には反対給付がない。つまり、家計の主たる資金調達の手段は、所得であり、それは、労働力の提供によって得られる。労働が資本だというのは、一般に家計で資金を調達するための手段が労働だからである。

資本は、特定の個人や機関から調達する形式と一般から資金を調達する形式がある。また、非公開で調達する形式と公開して調達する形式がある。経営と資本が一体となっている形式と経営と資本が分離している形式がある。また、出資者が事業の結果に対して無限の責任を持つ形式と有限の責任を持つ形式がある。

財務は、基本的に資金不足を補う事である。余剰資金の運用は、本来の業務ではない。しかし、本業で思うように収益が上がらなくなると資金運用によって資金調達を計るようになる。そうなると負の部分が拡大し、経済全体に余計な負荷がかかるようになる。また、資金が金融市場に滞留し、実物市場に流れなくなる危険性がある。

自由主義経済の基本は、収益にある。収益以外の資金調達の手段はあくまでも補助的な手段であり、そのために、損益上に表れてこない。この点を理解しておかないと財務の働きは理解できない。
資本主義というのは、一定の負債を維持しながら応分の費用を負担し続ける事で財の分配をしていく仕組みなのである。
それは、継続企業を前提とした時点から前提とされた事である。
つまり、負債も資本も永続的なものであり、当座企業みたいに一回、一回、区切りのついたところで負債や資本が清算される事を前提としていない。
貸借上の働きが財務の基本であるから、継続事業を前提としたことで財務の在り様も大きく変化したのである。

財務には、短期的資金の働きに対する活動と長期的資金の働きに対する活動がある。短期的資金の働きは、運転資金から派生し、長期的資金の働きは、投資から派生する。


資金を担保するのは


財務は資金調達である。その財務の性格づけるものの一つに資金に何を担保、保証させるかがある。
資金を担保するとは、資金を裏付けるものである。

一つは、その時点における資産価値、主として地価等によって担保させるやり方と、もう一つは、将来の収入によって担保させる手段がある。
金融機関が融資をする際とられる手段は、資産によって担保する手段である。それ対して投資家は、将来見込める収入を担保する事で投資をする。融資と投資の性格的違いでもある。

担保として資産を抑えるのは、貸し手からするとある確実性があるが自ずと限界がある。それに対して、将来の収入を担保する事は、事業計画がしっかりしていれば、限度額を超えて投資する事も可能である。

担保価値を設定する場合、担保にとられるのが不動産である事が多い。その場合、担保価値は、不動産の評価に基づく。不動産価値に対する評価基準としては、原価法や取引事例比較法、収益還元法の三つがある。

収益に対する評価法としては、回収期間法、正味現在価値法、内部収益率法などがある。

バブルの最中は、取引事例比較法や原価法が主として用いられたが、バブルが崩壊し地価が大幅に下落した苦い経験から、最近では、収益還元法が用いられるようになる。元来は、地価は右肩上がりだと考えられてきたから土地を担保にとれば無難だと考えられてきたのである。

ただ、バブル崩壊後の長い低迷は、土地に対する担保主義の影響による事は否めない。土地神話が崩れても、土地に対する呪縛から逃れられないでいるのである。

何を担保するかは、資金の性格を決める。資産を担保すればどうしても保守的になるし、収益を担保すれば事業に対して甘くなりがちである。

バブルが形成された際は、資産価値の値上がりを想定して担保価値を設定し、バブルが崩壊するとそれが裏目にでて多額の不良債権を抱え込むことになる。それでありながら現在に至るまで担保主義に固執しているのが、実状である。

本来、投資とは、事業に対してなされる事であり、事業適正に評価する目が必要となる。資産価値を査定して担保とするのは安易である。しかし、金融機関は、融資した「お金」を確実に回収する事が求められる。故に、現物による保証を何らかの価値で求めざるを得ないのである。

明治時代や敗戦直後の日本は、資産と言えるものは何もなかったから、人々は、事業に対して投資をしてきた。それが今日の我が国の繁栄を築いたことを忘れてはならない。
何を担保とするかではなくて、次の時代に対する明確な展望があるかないか、しっかりとした事業観があるか、計画があるかといった根本を忘れて目先の利益を追っていたらバブルの再燃は防げない。

担保というのは、本来、事業主や経営者と言った人の資質に求めるべき事なのである。

かつては、事業や産業を金融機関や投資家、国家が育ててきた。今は、目先の利益ばかりを追って事業や産業の育成を忘れてしまったかの如くである。それが、財政を悪化させ、景気を低迷させている原因である。
どの様な産業にするのか、どの様な国にするのか、どの様な地域社会を築こうとしているのか、「殖産興業」、それこそが資金調達の本旨である。

経済の目的は、金儲けにあるわけではなく、人々の生活を豊かにする事にある事を忘れてはならない。


財務の変質


財務は本来、資金調達と資金繰りであり、資金運用は二義的、余技的だった。
その財務の変質し、資金運用が前面に表れてきたのは、高度成長がニクソンショックによって終焉した以降、二度の石油危機、プラザ合意による円高不況などで思うように本業で収益が上げられなくなった事による。

その先鞭をつけたのが石油会社だと言われる。石油元売りは、ニクソンショックによる為替の変動、そして、原油価格の高騰などによって収益が大きく左右された。在庫の評価や為替のヘッジなどによってなんとか急場を凌いできた。その経験から金融工学、デリバティブ等の技術が発達し財務部門にもヘッジ会計等の従来になかった技術が要求される様になった。

そして、プラザ合意後の円高不況で本業の収益が低下する中で、財テクが流行り、更に、IT産業の進化やインターネットの発達等によって財務の役割が変質してきたのである。

また、経済もグローバリズムによて国際化が促進された。この様な環境変化に対応するように、会計ビックバン、即ち、会計制度改革が断行され、それまでの守りの財務から攻めの財務、直接利益が計上できるような財務へと変化する事が求められてきたのである。

また、バブルの発生や崩壊は、新たな資金調達を開発させた。その一つが証券化(Securitization)である。

この様に財務の働きは、従前の働きと大きく変わったのである。

しかし、財務は、あくまでも裏方である事には変わらないのである。
事業主体の存在意義や根本的目的は、事業経営にある事は間違いない。バブル時代、本業そっちのけで財テクに励み、バブルが崩壊するとそれが裏目に出て本業その物が成り立たなくなってしまった企業や産業を私は沢山見てきた。

財務は、あくまでも資金不足を補い、事業目的を裏から支える働きである事を忘れたら本末転倒になってしまう。ただ、財務の働きを分析する際は、今までの様にはいかない事を念頭に置いておく必要がある。

財務キャッシュフローとは


財務キャッシュフローは、資金調達から、投資、そして、経常的な資金の貸し借り、余剰資金の運用などによって作られる資金の流れである。
財務キャッシュフローを見れば、事業を開始するにあたり、どの様に資金を調達し、それを何に対してどの様に投資し、また、余剰資金を何に、どの様に運用したかが資金の貸し借り、融資状況からわかる様でなければ意味がない。

なぜならば、財務キャッシュフローは、資金の過不足を何によってどの様に補ったかを表しているからである。
資金調達の基本は、経常的な営業に求められる。投資にかかる資金は、利益を上げるための前提であり、財務は、資金の不足を補填するために働いているからである。つまり、財務キャッシュフローは、裏方であり、従属的資金の流れである。

一般に財務キャッシュフローは、複式簿記、会計原則が適用されている経済主体を対象としているが、財務キャッシュフロー自体は、財政にも家計にもそして海外部門にもある。

経済活動の基本は、民間企業であれば、売上収入と経常支出、家計であれば、所得と消費支出、財政であれば、歳入と歳出、海外部門であれは、輸出と輸入である。この部分は、民間企業であれば、営業キャッシュフロー、家計であれば、生計、海外部門では経常収支として表される。

基本的に現金収支は、民間企業の場合は、売上収入と経常支出の差、家計は、所得と消費支出(生計、生活費)の差、財政は、歳入と歳出の差、海外部門は、輸出と輸入の差(経常収支)を言う。
この他に、一時的な支出による資金不足が生じる。一時的な支出には、投資に基づく支出、災害や事故、戦争等によって生じる支出、教育や娯楽、冠婚葬祭、祭礼等によって生じる支出がある。

経済は、資金の過不足によって動かされている。資金の過不足を生むのは、資金移動である。

資金の過不足と言っても資金が余っている時は、問題はない。しかし、資金が不足した場合、どこからか資金を調達してこなければならない。どこから、どの様に、どれくらいの資金を調達してきたのか、それを現しているのが財務キャッシュフローである。

高度成長が終焉し、市場が成熟してくると収益力が衰えてくる。市場の拡大による売り上げの上昇が見込めなくなるからである。市場の拡大が期待できなくなると経費を削減し、あるいは、余剰資金の運用によって資金を調達しようとするようになる。しかし、そこに落とし穴があるのである。市場の拡大時と同じように資金の運用をしていると損益と現金収支の均衡がとれなくなる。損益の動きと現金収支の動きは一致していないからである。景気の動向も資金の動きと合わせてみるように心がける必要がある。

資金の不足は、手持ち資金より予定されている支出が多い場合生じる。手持ち資金は、過去の蓄積と収入からなる。
資金が不足すると経済活動を継続する事が出来なくなる。故に、資金調達は、経営主体の死活問題である。この事は、民間企業のみならず、家計も、財政も、国家も同じである。
売上なくても、利益が計上されなくても資金が回っていれば、経営主体は、経済活動を継続する事が出来る。逆にいえば、資金が回らなくなれば、家計も、企業も、財政も、国家も経済的に破綻してしまう。
水面下にあって目立たない項目ではあるが財務は、経営主体の生命線を握っていると言える。

資金不足を補うための資金調達の手段には、損益による手段、貸借による手段、資本による手段がある。そして、投機的な手段がある。
収支を均衡させるための基本的手段は、損益に基づく手段である。なぜならば、貸借や資本は、ストック、即ち、支払準備金を増やす事になるからである。支払準備金とは、決済が完結されていない、未完成な状態である。つまり、過程でしかない。支払準備金が蓄えられる事は、経営主体に余分に負担を蓄積させることになる。それ故に、極力避けなければならない事態である。

全業種・全規模のキャッシュフローの動向を見てわかるのは、バブル崩壊後の財務キャッシュフローの異常な動きである。
特徴的なのは、フリーキャッシュフローと財務キャッシュフローの関係がバブル期とバブル崩壊期では正反対の動きをしていると言う点である。

財務キャッシュフローが急速に低下しているのに合わせてフリーキャッシュフローも急上昇している。フリーキャッシュフローは投資余力を表しているとみられるから、財務キャッシュフローが低下する事で投資余力が上昇しているとも、逆に、投資余力が上昇しているのに、財務キャッシュフローは低下しているともいえる。

いずれにしても資金調達の質、考え方がが変化した結果と言える。



法人企業統計

財務キャッシュフローの異常な動きがバブル崩壊後の長期的な景気の停滞と何らかの関係がある事が窺える。
財務キャッシュフローの異常な動きの背後に、どの様な事が隠されているのかを解明する事が、財政問題や景気問題を解決するためには、不可欠な事である。

プラザ合意後急速に上昇した財務キャッシュフローは、バブルが崩壊すると、急速に減少しマイナスまで落ち込む。財務キャッシュフローのポジションが正から負へと転換する。それに伴って投資キャッシュフローを不安定な動きを見せる。経済の基盤が変質したのである。


財務キャッシュフローから何がわかるのか


財務キャッシュフローからは、負債の増減と損益上に表れない金融資金の流れがわかる。
そもそも、財務は、資金調達と運用にかかわる仕事である。故に、財務キャッシュフローから資金調達の手段と資金運用先が見えてこなければ意味がない。

財務キャッシュフローは、資金の調達状態を表す。資金調達は、資金不足から生じる。
調達と不足は表裏の関係にあるからである。故に、財務キャッシュフロー資金の過不足の状態と資金の調達状態を知る事が出来る。

経済主体は、資金の過不足によって動かされている。その資金の過不足を補う働きをするのか金融であり、金融の流れを表したのが財務キャシュフローである。
故に、財務キャッシュフローからわかるのは、資金の過不足の状態と資金の過不足をどの様に調節したかである。

特に重要となるのは、資金の調達目的、資金源、調達手段である。
財務キャッシュフローは、言い換えると金融の動きである。つまり、資金の働きを表している。

資金調達は、資金不足に基づく。根本にあるのは、資金不足の原因である。
原因次第では、資金調達にも支障が生じる。

資金不足は、日々の営みの中で生じる事と一時的な事に分かれる。一時的な資金不足には、投資のようにあらかじめ予測できる支出と災害や事故の様に不足な事態の二つがある。この事は、事前の蓄えに対する考え方にも影響する。

資金の働きには、長期的働きと短期的働きがある。
財務キャシュフローは、資金の短期的働きと長期的働きを制御し、経営主体の資金の過不足を調節している。

長期的資金の働きは、ストックの部分から発生する。短期的資金の働きは、フローの部分から生じる。

日々の営みから生じる資金不足は、売上収入と経常支出、家計であれば、所得と消費支出、財政であれば、歳入と歳出、海外部門であれは、輸出と輸入である。この部分は、民間企業であれば、営業キャッシュフロー、家計であれば、生計、海外部門では経常収支として表される。

民間企業の短期的働きは、営業キャシュフローの働きと連動している。
企業が日々の営業で資金不足になる原因は、第一に、売上収入の不足である。第二に、原材料や原油価格の高騰など経常支出の高騰である。第三に、市場の拡大や経済主体の成長に資金繰りが追い付かない事である。第四に、仕入支出と売上収入との時間差から生じる。第五に季節変動による。第六に、突発的な自己や災害による一時的支出である。

資金不足を引き起こす一番の問題は、売上収入の不足であり、次に、経常支出、即ち、過剰な支出、費用である。故に、資金不足を解消するための根本的手段は、収益の改善にある。この点を忘れて投機的な手段で資金不足を解消しようとする事は邪道である。

経済活動は基本的に支出が先でしかも確定的なのである。支出は確定的でありながら収入は不確実それが経済を複雑にしている。そして、この時間差が運転資本を構成する事になる。商業でいえば、商品を仕入れ、それを販売し、決済をするまで一定の時間がかかる。また、製造業では、原材料を仕入れ、それを加工して製品を製造し、それを販売して、代金を回収するまでには、相当の時間がかかる。さらに、開発、設計、生産設備の整えるまでの時間を加味すると結構な時間がかかる。この間収入がないのだから必然的に資金不足が生じる。基本的に経済活動は、収入に対して支出が先行するものなのである。収入に対して先行する支出が投資を形成する。
経済で重要となるのは、認識の問題である。いつ、どの時点で売り上げや費用を認識するのか。財の受払と現金の収支は、同時に行われるとはかぎらない。むしろ別々の時点で成立する方が多い。だから財務キャッシュフローが生じるのである。

資金不足を引き起こす原因の中で特に問題となるのは、経営主体が自分の力で対処できないような事象、為替や金利の変動、原油価格の高騰、戦争や災害などによって原材料が高騰すると言った事象である。

資金の過不足とその対策を立てるためには、何が外生変数か、何が内生変数かを見極める必要がある。

長期的働きは、投資キャッシュフローと表裏をなしている。
長期的資金の働きであらかじめ予測がつき、予算化できる部分は、投資に係る部分である。
予算は、事業の資金の流れの基本的部分を構成する。問題は、予測がつかない部分であり、怏々として経営主体を破綻させる原因となる。この部分は、蓄えによるか蓄えで足りない部分は、何らかの保険をかけておく必要がある。

故に、財務キャッシュフローからわかるのは、資金の過不足とそれを何によってどの様に補っているかである。
財務キャッシュフローが担保しているのは、経済主体の資金調達力、即ち、純資産と含み益である。含み益は、未実現利益であり、資産価値の相場である。

資金調達の先には、内部資金と外部資金がある。内部資金は、減価償却費と内部留保からなる。内部資金は、借入金の返済の原資でもある。
外部資金には、損益的手段によるものと貸借的資金によるものと資本的手段によるものがある。
財務キャッシュフローで補足できるのは、主として外部資金調達した部分である。

適切な経済政策を施行するためには、資金不足の原因を正しく認識する必要がある。資金不足を起こす原因は何によってどの様な意味で何に対して作用しているかを正しく見極めないと経済的な障害を改善するどころか事態を悪化させてしまう。

経済的障害をどうすれば改善できるか、どの部分にどの様な働きかけ、あるいは施策、改良すればいいのかは、その原因を明らかにする事にかかっている。

熱が上げれば熱さまし、腹が痛ければ痛み止めの様な対処療法では病を根治する事はできない。病の原因を正しく診断してから処方し、治療を開始すべきなのである。
現代の経済政策は、対処療法的な事が多い。それが経済を深刻な状態に堕とし込んでいるのである。


財務キャッシュフローの構成


財務とは、資金調達を言う。
資金調達というのは、資金、即ち、「お金」を作る事である。
「お金」は、他の財同様、生産されるものである。ただ、財と「お金」の違いは、「お金」は、財の様な実態を持たず、名目的に作られるという事である。名目的に作られるというのは、市場の合意と信用に基づいて生産される事を意味する。財務は、資金を生産する過程に関わっている。

経営主体は、資金が不足すると破綻する。逆にいえば資金が回っている間は、経営を持続する事が出来る。
「お金」は、経営主体の生命線である。

問題は、経済が発展する段階、過程、または、経済の状態によって財務の質が変わる事である。
資金は、資金を何に、どの様に使うかによっても性格が変わる。

短期的資金は、流動性が求められるし、長期的資金は、安定性が求められる。ただいずれにしても資金が一時的でも不足したら、経済は成り立たなくなる。

経営主体が成り立たなくなるのは、借金があるからである。借金の返済が滞ったり、不渡り手形を出せば、取引が停止され、経済主体は事実上破たんする。これは民間企業に限らず家計も財政も同じである。だったら、借金をしなければいいではないかと考えがちだが、多額の資金を一時的に必要とする投資を自己資金だけで賄うのには、限界がある。投資は、いかに多くの資金を最初に調達できるかにかかっている。
現在経済は、借金の上に成り立っている事を忘れてはならない。紙幣そのものが借用収書を基本としているのである。つまり、貨幣の本質そのものが借金なのである。



投資キャッシュフローを構成する要素は、長期借入金の増減、短期借入金の増減、社債の増減、資本の増減である。
基本的に貸借の資金需給は、前期当期の増減によって損益上の資金需給は、実数で表される。
これは、損益が売買取引に基づいて当期で決済されるのに対して貸借は、貸し借り取引によって生じ決済は、投機以降にされる事による。
これは資金移動を考える時重要となる。






資本の変動


資本は、経営主体の元金である。
会社の種類は、資本の性格によって定義される。

資本について一般に重大な誤解があると考えられる。
その一つは、資本は、自己資本だから返済する義務がないという事である。
それは、出資の意味を理解していないからである。かつては、経営体というのは、当座企業を指していた。例えば、貿易は、一回いっかいの航海ごとに成果はを配分してきた。出資と負債の根本の違いは、元本と利息が事前に決められているかいないかの違いである。
負債は、事前に元本と利息が決められており、その返済と支払は法的に義務付けられていると言う点である。出資は、返済義務がないのではなく、元本が保証されていないという事である。投資かは、利益を、出資に応じて配分を得る権利がある。
また、負債は、金利を支払う必要があるが、資本にはコストがかからないというのも誤解である。投資家は、利益から出資に応じて配当を受ける権利がある。今日のように低金利時代ではむしろ資本から生じるコストの負担の方が大きくなる。
利益配分は、投資家だけでなく、税として一般政府に、そして、経営者に分配されるが、利益は、負債の元本の返済の原資である事も忘れてはならない。繰越金が計上できないと借り換えなどによって返済資金を調達しなければならなくなる。

財務の主たる働きは、資金調達にある。

故に、財務の働きを性格づけるのは、資金の調達手段と、調達先である。
経営主体の資金調達には、四つの手段がある。第一に、収益に基づく手段であり、損益の期間を成している。第二に、「お金」を金融機関から借りる事である。第三に、人や金融機関を除いた機関から借りる事である。第四に、株式を発行する事である。
資金の調達先、第一に、金融機関、第二に、一般投資家、第三に、一般政府、第四に、民間企業、第五に、海外部門、第六に、従業員、社員である。

投資家にも、「特定個人」、「家族、ないし、一族」、「特定少数」、「不特定多数」の別がある。

株式会社の意義は、不特定多数の投資家、あるいは、機関から株式化する事で資金を調達する事を可能としたことである。株式化というのを資本金を予め定めてそれを株単位の有価証券に分割する事を言う。

株式会社が成立するためには、資本と経営が分離されていなければならない。資本主義の特徴は、資本と経営の分離にある。そして、主として資金調達、即ち、資本の形成を担っているのが財務の働きである。

ただ、資金調達の手段は、株式だけではない。
資本の性格は、資金の調達手段、投資家と経営者の責任範囲、資金の調達先などによって変わる。

例えば、株式形式で一般政府から資本全額を調達し、経営責任を一般政府が負った場合は、国営企業に分類される。しかし、これも資本の形の一つである。

資本とは、事業主体の核心を言う。事業主体が何でどのような性格を持っているか、それを先ず定義する必要がある。

今日、事業主体の形には、株式会社、合同会社、合名会社、合資会社、社団法人、財団法人、NPO法人、国営企業などがあり、各々資本の性格が違う。必然的に財務の在り様も変わる。




資本の動きで顕著なのは、小泉内閣が発足した後、大きく毀損している事である。
2000年以降、資本の資金需給はマイナスしており、現在もその状態を抜けきっていない。それは、民間企業が資本を食いつぶしている事を意味している。資本を食いつぶさなければならない状態だという事である。

資本金の前期末、当期末の推移を比較してみると2000年以降、増減資を繰り返して不良債権処理をしてきた事が窺える。

名目的に見れば当期末資本金は、バブル崩壊後も順調に上昇しているように見える。しかし、資金需給をみると2000年前後に大きく減少している。実質的には、大きく資本を毀損している。
リーマンショック時には、資本の嵩上げが計られた形跡がある。


法人企業統計

地価が下落し、資産価値が大幅に下がったとして一斉に含み損の生産に走ると地価や資産価値がさらに下落するという鼬ごっこになり、悪循環に嵌る。また、資産価値が下落して資金調達力が低下している時に担保主義的な政策をとると更に資金調達力が窄んでしまう。担保力が低下している時は、不景気と重なりがちで収益力が低下して更に体力が落ちている事が多い。そんな時に、無原則に規制を緩和して競争をしいれば企業経営は、続かなくなる。
反対に景気が好転している時も資金不足に陥りがちなのだから、融資の条件を担保力から収益に重点を移しつつ、市場の規律を取り戻すような施策をとらなければならない。担保ではなく、事業内容、収益力をどの様に評価するか。また、荒廃した市場をいかに立て直すか、物事を杓子定規にとらえていたら本質は見えてこない。角を矯めて牛を殺すような政策は愚かである。
かつては、市場が荒廃し、規律が乱れたら、法的に不況カルテルを結ぶことも容認したのである。
とるべく政策の正反対の政策をとれば市場の底を割って回復できないほどの打撃を与えてしまう。

不良債権処理をなぜしなければならないのか。それは、企業が不良債権を放置していると企業の資金調達力がいつまでも改善できないから底値を確定して含み損を一斉したかったからである。しかし、強引に不良債権を表に出して清算させようとすれば地価や資産価値がさらに下落してしまう事は明らかだった。それ故に金融の現場では、不良債権を先送りしても市場の規律を取り戻して収益力を回復しようとしたのである。資産価値よりも事業内容へと発想の転換を計ろうとしたのである。それは、事実を隠ぺいする事ではない。たとえ含み損が生じてたとしても十分に採算がとれる設備は、清算する必要がないのである。
更に、担保主義の影響が運転資本にも及ぶと資金繰りが窮屈になり、最悪の場合、将来性のある企業の息の根をも止めてしまう。実業に資金が流れなくなるのである。

不良債権というのは、不良債務の意味でもある。資産を取り除いても残債はなくならない。将来の収入を見込める資産を一時的に価値が下がったからと言って清算したら、将来の収入も見込めなくなる。
重要なのは、事業観であり、将来に対する展望である。
経済は生き物なのである。資産の変動よりも事業内容こそ重視すべきなのである。

景気が停滞し、収益力が低下した時、採るべき政策は何か。その答えは現実にある。観念的な事ではない。
間違いをいつまでも認めなければ、事態を改善する余地はなくなるのである。





小泉内閣が発足後純資産は、増加している。資本金が減少しているのに対して対照的な動きを示している。

純資産は、資本金だけでなく、資本準備金や利益準備金等が含まれる。つまり、当期利益の部分が加算されるのである。
利益が加算されても負債の返済に充てられれば、実質的な資本が増えるわけではない。利益として得た資金を何に運用したかが重要なのであり、不良債権の処理に使われたとすれば、含み益の増加を意味するわけではない。




経済は相対的であるから、純資産の推移ばかり見ていても働きは見えてこない。




一般に、経済主体は、純資産の比率が高ければ高いほど経済状態はいいという思い込みがある。しかし、全業種、全規模で見ると高度成長期は、純資産の比率が小さく、流動負債の比率が大きいのに対して、高度成長が終わり、低成長時代になると固定し負債の占める比率が相対的に高くなり、バブル崩壊後は、純資産の比率が高まる。純資産の比率が高まるから見た目は財務内容が改善されているように見えるが、内実は、外部から資金調達ができないから結果的に純資産の比率が高まっているのに過ぎない。

成長期には、流動し負債の比率が高くなり、成長が鈍化するにつれて相対的に流動負債の比率が低下し、その分、固定負債の比率が高まるが、再投資を控えるようになると今度は償却が進んで純資産の割合が高くなるのは理にかなっている。ただ、成長が止まり、再投資もされなければいくら純資産の割合が増えても経済活動からするといい状態とは言えない。



社債の変動と働き


財務の基本は資金調達である。

社債は債券である。債権は、証券の一種である。
社債は、株と同じ証券である。
ただ社債と株式の違いは、社債は、債券であるのに対して株は、所有権、経営権に関わる証券だと言う点である。国債も債権の一種である。

債券とは、資金を貸し借りする際に作製される証書である。即ち、債券とは、約定に従って利息を支払い、元本を返済する義務を証明するための契約書である。

資金調達には、四つの手段がある。第一に、収益に基づく手段であり、損益の期間を成している。第二に、「お金」を金融機関から借りる事である。第三に、人や金融機関を除いた機関から借りる事である。第四に、株式を発行する事である。

社債の種類には、
性質による分類として第一に、 普通社債。第二に、転換社債型新株予約権付社債(転換社債、取得請求権付株式)。第三に、新株予約権付社債(ワラント債、新株予約権を付した社債)。第四に、劣後債がある。

債権者名義の管理の有無による区別として、 記名社債と無記名社債がある。
募集の仕方による分類は、 公募社債、私募社債がある。
担保の有無に担保付社債(担保付社債信託法の適用を受ける。)と無担保社債がある。
利払方式には、利付債と割引債があり。利付債には、固定利付債と変動利付債がある。

会社法上の社債と類似するものとして、特定目的会社が発行するものを、特定社債といい、資産の流動化に関する法律の適用を受ける。投資法人が発行するものは投資法人債といい、投信法の適用を受ける。その他にも、業種によっては、社債発行に当たり、各業法規制の影響を受けることがある。 また、非居住者である外国の発行体が日本国内で円建てで発行する債券をサムライ債、外貨建てで発行する債券をショーグン債という。(ウィキペディア)

社債は、長期借入金の一種だと考えていいが、株式の性格も併せ持っている。
株式の性格とは、不特定多数から資金を調達するという性格である。
普通社債のみの時代では、負債と資本は明確に区分できたが転換社債や新株予約権付社債等が発行されるようになると社債のはたらきの一部に株式の要素が入り込み負債と資本の区分が不明瞭になった。転換社債は株式に転換されると負債から資本に組み入れられて増資になるからである。

しかし、この事は、資本の本質的性格によると考えられる。即ち、資本の働きは、負債の働きの延長線上にあるからである。
社債のこのような性格は、国債にも見られる。超長期国債や永久債は、資本化してしまう。

社債の残高見るとバブル崩壊後も一定の水準を保っているように見える。
しかし、社債に対する資金需給は、バブルの形成期に一気の増加し、バブルの崩壊と同時に一気に暴落した。



社債需給



財務の働きを難しくしているのは、資金調達の手段の選択肢が広がった事がある。
財務は、本来、黒子であったが、財務が直接的に収益を上げるようになると本業以上に役割が期待されるようになった。
特に、プラザ合意後、円高不況になると財テクが持て囃され、結果的にバブルを準備する事となる。

社債は、証券の一種である。
証券化というのは、資産を流動化する手段である。資産を流動化するというのは、資産を決算手段に転換し、市場に流通できるようにする事である。
決済手段というのは、現金、および、現金同等物を言う。
証券化の対象は、流動化できる物であればなんでもいい。例えば、売掛金でも、在庫でも、債券でも、預金でもいい。

財務の本来の仕事は資金調達であり、資金繰りだった。資金繰りの根幹は、収益である。これは、今も変わらない。故に、収益力が低下すれば、すぐに資金繰りが難しくなる。
プラザ合意後、本業の収益だけでは資金が回らなくなった。また、急激な原油価格の高騰や為替の変動は、財務に何らかの保険を掛ける事が求められてきた。

単なる資金調達、資金繰り部門から資金を運用して財務は財務で利益を上げる事が要求されるようになってきた。
また、バブルが崩壊するとそれまでの含み益を頼った資金繰りが効かなくなってきた。そこで編み出されたのが、手法の一つが証券化(Securitization)である。そして、このような技法が財務の在り方そのものを変えてしまった。従前の受け身の財務では、対応できなくなったのである。

長期借入金の変動


財務キャッシュフローで重要となるのは、損益上に表れてこない借入金に係る資金の流れを表に現わす事である。特に長期借入金の借入と返済は、景気変動に深く関わっている。

借入金は、元本の部分と利息の部分から成る。利息の部分は、費用として損益上に計上される。元本の部分は、約定に従って定められた期間で返済しなければならない。この元本の返済部分は、損益上には計上されない。

長期資金の働きで損益上に計上されるのは、減価償却費である。しかし、減価償却計画と返済計画は必ずしも一致していない上、減価償却費で負担できる範囲は投資資金の一部でしかない。

ただし、単に、長期借入金の増減としてしかとらえていないと、長期資金の働きは、見えてこない。長期借入金は、投資資金の返済と回収に関わっており、また、償却費と資金繰りにも影響を与える。また、税と現金収支、利益の関係にもかかわってくる。
これらの要素を複合的に見ないと財務キャッシュフローの意義はわからない。

期間損益ばかりを問題とするが、実際の事業は、投資と資金の回収、そして清算の流れの中で捉える必要がある。期間損益は、途中経過を表しているのであり、事業の始まりと更新については、資金の流れに沿ってみていかないと判読できないのである。事業の始まりを資金調達からとらえる事に、財務キャッシュフローの真骨頂がある。だからこそ資本と負債の関係や割合が重視されるのである。総資本の構図が財務キャッシュフローの下地となっている。

長期借入金は、長期資金の不足を補う事によって発生する。長期資金は、基本的に投資に対する資金不足に対応している。


法人企業統計

長期資金需給

法人企業統計

長期資金の流れは、投資対効果の流れに対応している。長期借入金は、固定的資金支出を形成する。
故に資金計画の基礎を構成する。

長期借入金の働きは、固定的資金支出と固定費の関係によって形成される。固定費とは、主として減価償却費を指して言う。

借入金の効用を測る指標で重要なのは、借入金限度額であるが、何を基準として借入金の限度額を設定すべきかは、むずしい。思想の違いでもある。第一に言えるのは、投資対効果によるものである。第二に、返済力である。第一の投資対効果で見られるのは、投資に対して収益が見合っているかであり、、第二の返済力というのは、担保力、つまり、返済を保証する資産があるかという事になる。収益は、不確かであり、担保は必ずしも将来の収入を保証しているわけではない。
現在経済の問題点は、長期的展望をもって見なければわからない事を短期的な視点で判断しようとする事である。

投資対効果という観点から見ると長期借入金の残高と減価償却費、税引き後利益との関係が重要となる。





短期借入金の変動


短期借入金は、単位期間内の資金不足を解消する目的で実行される事が基本である。主として運転資本の不足に対する対応である。
資金が、一円でも不足すると経営主体は、経済的に破綻する。ゆえに、資金残高をギリギリにしておくと不測の事態に対応する事が出来なくなる。
短期資金は、季節変動、業容の拡大などから生じる一時的な資金不足に対する手当である。投資のように一時的に多額の資金が必要とされる事態を想定していないが、それだけでに安定的な資金の供給先を確保しておかないと経営破綻に至る危険性があり、甘く見る事はできない。
黒字倒産の主たる原因となるのが、短期資金の不足だからである。



短期借入金の残高は、バブル崩壊後、すぐに減少したように見えないが、資金需給から見ると違って見える。


短期資金需給



短期借入金の資金需給は、バブル崩壊後急速に減少している。

長期資金が投資から発し、投資キャッシュフローの原資が長期借入金の増加と減価償却費に基づいているのに対して、短期借入金は、営業キャッシュフローの動向に影響を受けている。営業キャッシュフローの原資は、売上収入と短期負債である。営業キャッシュフローの中で投資に関わっているのは、固定資産の減少部分と長期借入金の減少部分であるが、会計上は、投資キャッシュフローに仕分けられている。
この点を理解しないと財務と財務キャッシュフローの関係は見えてこない。

短期借入金は、運転資本の資金重要を色濃く反映している。運転資金は、つなぎ資金でもあり、一円でも不足すると経営が成り立たなくなる。
貸し渋りとか、貸し剥がしというが金融機関は、表立って資金を回収しなくても短期資金の貸し渋りをすれば、経営は追いつめられる。短期の借入が細る事は、経営主体にとって死活問題である。そして、短期資金の裏付けが含み益だから、資産価値の下落は、中小企業を直撃したのである。

事業の基本は収益にある。事業収益に対する評価が融資に結び付かない事が景気を停滞させた要因の一つである。

運転資本は、景気の状態を最も反映している。在庫は、景気の代表的な先行指標でもある。

バブル崩壊後急速に運転資本が窮屈になったのが見て取れる。バブル形成期は、短期借入金に頼らないで資金調達が出来たのがバブル崩壊後は、短期借入金に頼らざるを得なくなっている。

注意すべきなのは、第二次石油危機後は、運転資本を短期借入金が上回っている事である。





営業キャッシュフローと運転資本の関係を見てみる。
プラザ合意後運転資本は、減少しているのに、営業キャッシュフローは増加している。



経済は、資金の過不足によって動いている。


経済を動かしているのは、資金の過不足である。
資金の過不足を補うように資金を融通しているのが金融機関である。
財務キャッシュフローは、資金の過不足を何によってどの様に補っているかを表している。

そして、財務キャッシュフローから経済の動きを知るためには、金融機関の決算の内容、キャッシュフローが鍵を握っている。
銀行の貸借対照表では、一般企業の資産である預金が負債であり、貸付金が資産となる。収益は預金金利と貸付金金利の利鞘から導き出される。金融機関は、資金の過不足を調節する事が専ら役割であって何らかの財を生産しているわけではない。
つまり、金融機関は、預金者と貸付先との仲介役でその財務は鏡なのである。

金融機関の預金量と貸付量の関係、預金元と貸付先、速度、貸付金利と預金金利の利鞘から市場の状態は明らかになる。

資金の過不足を補うのが金融機関の働きであるから、預貸率が重要となる。
家計、企業、財政のどの部門が資金不足でどの部門が資金超過かは、銀行の決算に現れる。
資金の需給関係も銀行の決算を見ればわかる。資金の需給は、預貸率に現れる。今日の日本経済は、資金需要が弱く、優良な貸付先が見つけられない状態にある。バブル崩壊後預貸率は低下し、2000年以降貸付金が預金を下回るようになる。
民間企業の資金需要が減退した分、財政に対する依存度が高まり、国債の比率が高まっている。国債は、中央政府への貸付金を意味する。

民間企業の資金需要が弱まった主たる理由は、資金調達力の低下と収益が見込める事業が少なくなったことが原因である。収益が見込めなくなったのは、過当競争による利益率の低下である。


銀行協会


預金と貸付金の割合は、資金の流れの状態を表す。また、家計、企業、財政、預金の部門ごとの割合、貸付金の部門ごとの割合は、それぞれの部門の資金の過不足を現している。国債は、財政に対する貸付金を意味する。
重要なのは、貸付金の使途であり、家計は、住宅ローン、企業は、設備投資、財政は、公共投資などに向けられる。そして、貸付先と預金との均衡、関係が経済に対してどの様に作用しているかを追跡する事である。

貸付先は、民間企業と家計が中心となる。国債は、中央政府への貸し付けを意味するが、貸付金からは除外されている。貸付金は、個人と企業が主たる先であるが、企業に対する貸付金の割合は、2000年以降2017年現在まで一貫して低下している。
つまり、銀行の貸付先が企業から家計へと移行しているのである。


  
日本銀行

設備投資に対する貸付金もバブル崩壊後急速に減退していたが2013年以降緩やかに回復基調にある。


日本銀行

中小企業絵の貸し付けは、バブル崩壊後大きく落ち込んだ後、横ばい状態だったのが、2013年以降やや持ち直している。ただ、設備投資ほどの力強さは感じられない。中小企業が活力を取り戻すためには、市場の環境が整う必要がある。とにかく収益の回復が見込めない限り中小企業は活力を回復できないでいる。


日本銀行

自由主義経済において経済主体を動かしているのは、「お金」の流れである。経済主体は、「お金」が回っている間は、破綻する事はない。逆に経済主体は、「お金」が回っていれば破産する事はない。「お金」が全てと言われる由縁である。

資金の過不足を補い、資金を回すのが財務の働きであり、主として資金の調達と運用を担っている。経済主体は、極端な話、何もしなくても「お金」が回っていさえすれば経営が継続できる。本業をそっちのけにして投機によって利益を上げている企業さえあるくらいである。特に、プラザ合意後の円高不況時は財テク企業として持て囃された。
しかし、財務だけで経営は成り立っているわけではない。財務はあくまでも裏方である事を忘れてはならない。
資金の効用は、調達と運用によって発揮される。資金の運用は投資的キャッシュフローに表現される。

財務は、資金の調達を主とする。
資金の調達先は、経営主体の外と内がある。財務キャッシュフローが扱うのは外部取引である。
内部資金には、内部留保と減価償却費がある。
外部から資金の調達手段には収益的手段、貸借的手段、資本的手段がある。収益的手段は、主として営業キャッシュフローで扱う。財務キャッシュフローが扱うのは、貸借的手段と資本的手段である。
貸借的手段には、金融機関からの借入や社債などがある。また、売買取引から派生する債権債務の関係がある。ただ、売買取引から生じる貸借関係は、営業キャッシュフローで処理されている。資本的手段には、増資などがある。

資金調達には、資金を担保する物や権利が必要である。担保する物は、手持ちの資産か投資対象、あるいは、将来獲得するであろう収益に求められる。
財務キャッシュフローは、調達手段と担保する物や権利とによって成り立っている。即ち、財務キャッシュフローの背後には、担保力が隠されている。ただ、資金の調達力は財務キャッシュフローからは検証できない。この点は注意しておかなければならない。つまり、資金が動いたらその背後において何を担保としているかを見極める事が必要なのである。
担保不足に陥ると経済主体の資金調達力は低下する。現在の民間企業が陥っているのは、資産価値の下落による資金の調達力の低下である。担保する物や権利を手持ち資産から投資する対象や将来獲得する収益に置くかえないと民間企業の資金調達力は回復せず、結果的に投資が抑制されてしまう。この関係を理解しないと財務キャッシュフローの真の働きを分析する事はできない。

財務キャッシュフローは、資金の過不足を補う事を意味しているという事は、貸し借りが主たる項目となる。それに、資本的項目が加わる。貸し借りとは、長期資金の流れや働きの調整を意味する。
長期資金の流れは、資金の流れの底流を形成している。しかし、長期資金の流れは、損益上には現れてこない。
それが、経済の動向を理解するうえで最大の障害となっているのである。

経済を動かす資金の流れや働きの核となる部分が表面に現れてこないのである。

財務キャッシュフローは、この長期資金の働きを主として扱っている。
この点をよく理解しておかないと財務キャッシュフローを作成する意義と目的は理解できない。

また、近年では、先物取引やスワップ取引、オプション取引等のデリバティブが財務において重要な役割を果たすようになり、財務の幅が広がっている。デリバティブは、本来表面に現れてこない未実現損益に関した勘定である。この扱いが経営を評価するうえで重大な意味を持つようになってきている。
また、デリバティブを金融取引とみるか、投資とみるか、運転資本の一貫してみるかによってキャッシュフローの扱いも変わってくる。この点をよく理解しないと財務キャッシュフローの役割も見えてこない。
同様な事は、為替損益の扱いにもある。為替損益も、第一に、営業活動から生じる損益と第二に、投資活動及び財務活動から生じる損益、第三に、外貨建てのキャッシュから生じる損益があり、各々取り扱い方も項目も違う。この様な動きが財務活動にどのような影響を与えるのかを検討しないと財務キャッシュフローの働きは見えてこない。

財務キャシュフローは、長期資金の流れと短期資金の流れからなる。
長期資金は、主として投資に係る資金の流れと働きを表し、短期資金は、単位期間内の資金の流れと働きを表している。
単位期間内の働きと流れは、運転資本の資金の裏付けや減価償却費と実際の借入金の返済との間に生じる資金の過不足を補っている。
財務キャッシュフローは、実際の現金収支と期間損益の間に生じる歪を補正する働きをしている。
ただ金利は、営業キャッシュフローに表示されるため、金利の動きは、含まれていない。つまり、付加価値を生まない資金の流れを表している。

短期資金と長期資金の関係は、財務の働きを象徴している。
短期資金が調節するのは、基本的に営業に係る資金の過不足の調節であり、売上債権、在庫、仕入れ債務である。それに対して長期資金は、長期負債の動きや減価償却のようなと投資に係る資金の過不足を調節している。長期資金の動きを検証すると投資の実態が明らかになる。

  
法人企業統計

長期資金の働きと短期資金の働きは違う。ただ、いずれにしても借入金の動きは、損益上に直接現れてこない。借入金の働きは貸借上から導き出す以外にない。
貸借の動きは、表面に現れてこないが、経済の持続性を占う上で重要な意味を持つ。なぜならば、長期短期の資金の働きは、資金繰りを意味しているからである。経済主体が破綻するのは、損失を出す事によるわけではない。資金が続かなくなることが直接的な原因となるる。
営業上の資金繰りは短期資金の働きによる。短期資金は流動性が重要となる。そして、企業経営がたちいかなくなる原因は流動性を失う事が一番の原因となる。
バブル崩壊後は、短期借入金から長期借入金に借り換える事で企業は経営の安定をはかった事が窺える。



財務キャッシュフローの中軸を成すのは、長期借入金と短期借入金である。
借入金以外に金融資産、金融投資も財務の中に含まれる。要するに金融活動の働きや動きを表しているのが財務キャッシュフローである。

財務キャッシュフローは、資金の調達と返済を表している。
資金の調達には、外部資金調達と内部資金調達がある。
内部資金調達の手段には、内部留保の取り崩しと減価償却費がある。
外部資金調達の手段には、借入や社債、増資等がある。

総資本が増加すれば、外部から資金を調達した事を意味する。減少すれば、外部から調達した資金を返済した事を意味する。
外部資金は、借入か、増資か、収益である。

財務キャッシュフローは、調達された資金が何に使われ、どの様に返済されたかを合わせてみないとその働きを評価する事はできない。
その意味で財務キャッシュフロー、投資キャッシュフローは裏腹の関係にある。
貸付金や現金・預金、金融商品の残高との関係も重要となる。



資金繰りの流れ


「お金」は、使われることで効用を発揮する。
所持金の残高は、使えば減る。それだから、常に「お金」を補充し続けなければならない。
それが「お金」の循環を生むのである。
問題は、お金をどこに使い、どこから補充・調達をするかである。

経済全体から見ると「お金」の内、紙幣は、発券銀行の借金として発生する。「硬貨」は、政府の借金として発生する。
つまり、「お金」の本は、借金なのである。
中央銀行では、紙幣は、負債であり、政府の借用証書の国債は、資産である。
普通銀行では、預金は、負債であり、貸付金は、資産である。
つまり、貨幣制度の根本には貸し借りがある。

財務キャッシュフローは、「お金」の過不足を調節する働きを示し、投資キャッシュフローと同様、貸し借りに基づいている。
「お金」の過不足は、一つは、運転資本によって生じる。
もう一つは、投資に基づく支出、費用にかかわる支出と収益に基づく収入との時間差によって生じる。

基本的には投資のための資金は、主として長期資金によって調達し、運転資金は、短期資金によってい補填する。
資金調達は、主として収益、借入、そして資本的手段である。収益よって調達された部分は、利益として計上される。利益は、営業キャッシュフローに計上される。

営業キャッシュフローは売上収入を元としているが売り上げと収入は必ずしも一致していない。一つは、受取手形や売掛金のような売上債権の存在である。反対に、買掛金のような仕入れ債務もある。また、売上が成立するまでの棚卸資産、在庫もある。
この様な入金と支出の実際的な時間差を調節するのが運転資本である。
予定通り売上が上がらない、あるいは、売上が上がっても利益が思うように取れないといった場合は、投資資金と回収との間にズレが生じる。この様な現金収支のズレを補正するのが財務キャッシュフローの働きである。

営業キャッシュフローは、日常の現金収支、すなわち、短期的「お金」の働きを表し、売買取引を基本としている。言い換えると営業キャッシュフローは付加価値の増減を表している。
それに対して投資キャッシュフローは、生産手段に対する現金収支を表し、長期的「お金」の働きを示し、基本的には貸し借りに基づいている。財務キャッシュフローは、長期的資金と短期的資金を調節するような働きがある。
経済全体から見て営業キャッシュフローそのものは、「お金」の供給量を増やしたり、減らしたりはしない。なぜならば、営業キャッシュフローは、売買取引を基礎としているからである。
「お金」の流通量は、「お金」の供給量と回転数の積である。つまり、「お金」の流通量を増やすためには、供給量を増やすか、回転数を増やすかしかない。供給量を増やす取引が貸し借りであり、回転数を増やす取引が売り買いである。
投資キャッシュフローは、長期的資金計画の基づいて管理されているのに対して、財務キャッシュフローは短期資金によって状況に合わせて運用される傾向がある。

財務キャシュフローでは、借入金の増加は、正であり、減少は負である。
社債発行による入金は正であり、償還は負である。
株式発行による収入は、正で、配当金の支払いは負である。また、自己株式の取得による支出は、負である。

貸し借りの総量は、ゼロ和である。
売り買いの総量も、ゼロ和である。
貸し借りの循環運動が売り買いの循環運動を生み出す。

売り買いの総量は、回転数と供給量の積として求められる。
故に、供給量が増えると回転数が減少する。
貨幣の供給量は、紙幣と貨幣の発行残高と国債残高の関係によって定まる。

市場取引で派生する貨幣価値の総量は、常に、ゼロ和である。
貨幣価値は、市場で取引される財の総量と対応している。
市場で取引される財の取引量と生産された財の生産量とは、同量ではない。

生産原価がすべて消費に向けられるわけではない。

「お金」は使えばなくなるのにである。故に、絶えず補給し続けなければならない。しかし、だからと言ってやみくもに「お金」を供給すればいいという訳ではない。
問題は、どの時点で、どの様な手段によって「お金」を補給するかなのである。
重要なのは、供給量が少ないのか。回転数が悪いのかを見極める必要がある。

お金は幻である。無駄に費やせば無駄になる。
無駄なことは、世の中の害になることが多い。


金融の役割は、資金の過不足を補う事である。


金融は、資金の過不足を補うのが役割であり、財務キャッシュフローは、金融の役割に基づく資金の動きである。
故に、主として「お金」の貸し借りを表している。
「お金」を借りるためには、物的、あるいは権利等の裏付けがいる。
物的裏付けとは、担保力である。
そして、最も担保力があるとされてきたのが土地である。バブルが崩壊するまでは、土地は、右肩上がりに上がる事を前提として見られる。
地価の値上がりを前提に組み立てられてきた日本的含み経営は、バブル崩壊とともに音を立てて崩れ去ったのである。
本来事業計画は、収益を基礎として建てられるべきものである。
借り入り金の返済は、収益の中から賄われるべきものである。
しかし、地価の値上がりを資金源としていると地価が下落すると資金の調達力を失ってしまう。

問題は、何を根拠として資金を調達するかにかかっている。
投資は、投資自体の資金計画に基づかなければならないのである。

地価の実勢価格と土地の相関関係は、失われた。簿価は、地価の実勢価格を反映しなくなった。また、ある程度、反映するようになったとしても地価が、上昇しない限り土地の時間価値は働かない。土地は、非償却資産である。
故に、収益によって不良資産を清算することは許されない。厳密に言えば、不良債権を回収する手段は、土地を売却した時である。しかし、不良資産の中には事業を継続していくうえで欠かせない資産もある。即ち、生産する事の出来ない資産が含まれているのである。企業は、投機のためだけに資金を調達したわけではない。
そうなると民間企業は含み損を抱え込んで不足資金を調達しなければならない。
不足資金は、単に新規投資のみに限られているわけではなく、むしろ、運転資金の不足の方が、企業経営では深刻な事態を引き起こす。
民間企業は新規投資だけでなく、更新投資の資金も事欠くようになった。それが、市場に資金が回らない要因ともなっている。

外部から資金を調達せず収益を専ら借入金の返済に充てている事から見かけ上の財務体質は改善しているように見える。
しかし、企業本来の生産力、開発力といった基礎体力は確実に奪われているのである。経費節減による人材の流失も深刻である。

担保主義の悪弊である。何を根拠に資金を融資するのか、それは金融機関に勤める者は心しなければならない。
金融機関の働きは、資金の過不足を調整し資金の円滑な循環を促す事にある。事業や人を見ずにただ担保ばかりを見ていたら経済は機能しなくなるのである。




財務キャッシュフローは、資金の過不足をどの様な手段によって融通を付けたかを表している。
資金の過不足をいかに補うかは、時系列分析こそカギを握っているのである。
すなわち、どの様な時点で、何を原因として、どれくらいの資金不足が発生するかを正確に予測し、どれくらいの資金をどの様な手段によって補填していくのかを見極める事が金融マンに要求される事なのである。
今金融機関に求められているのは、担保価値を計る事ではなく、事業価値や経営者の実力を計る事なのである。


自由主義経済は、所得中心の経済である。


市場経済を動かしているのは、「お金」の出入りである。つまり、入金と出金が経済を動かしているのである。
そして、本源的な入金は、所得である。所得がなければ、何もできない。それが現代社会である。すなわち、今日の市場経済は、所得を根源として成り立っている。

「お金」は、使う事で効能を発揮する。「お金」は、使わないと何の働きも発揮しない。「お金」は、使えばなくなってしまうのである。故に、「お金」は、絶え間なく補充し続けなければならない。「お金」を補充するための手段が所得なのである。故に、所得は、本源的な収入である。

自由主義経済は所得が中心にある。所得によって他の要素の働きは定まる。
所得を上回る支出があれば、借金をして投資する事になる。また、取得を支出が下回れば、その分は貯蓄となる。資金調達と資金運用は、実体経済の投資、貯蓄行動と表裏の関係にある。(「バランスシートで読み解く日本経済」辻村和佑編著 東洋経済新報社)
全体は、全体で部分を構成する個々の要素は個々の要素でこの関係が成り立っている。

所得が改善しないと生活は向上しない。では所得とはどの様にして決まるのか。手取り資金が増えたら、所得は向上したと言えるかと言うと、それ程簡単な話ではない。名目的な所得が上がったとしても実質的な所得が上がったとは言えないからである。
所得の量は、収入だけで決まるのではなく、支出にも影響を受けるからである。所得の上昇以上に物価が上昇したら、所得は上がったどころか相対的に下がってしまっているのである。

総所得が限定的になると限られたパイを奪い合う為に格差が硬直的となり拡大する。それは社会的地位も同様である。
会社の成長が止まると役職者の数が限定されて昇進する機会が少なくなるのと同じである。

所得が横ばいで総量に限りがある場合は、所得の分散や偏差は拡大する。

また、所得が横ばい状態になると負債の比重が高まる。
なぜならば、負債は名目的価値であり、下方硬直的である上に、借入金の元本の返済部分が会計上表面に現れてこないからである。つまり、目に見えない支出としてキャッシュフローに働くからである。

市場が成熟すると



成熟した市場と言うのは、過飽和な市場を言う。ある製品の市場が拡大を続けても人や物は、有限だから、拡大にも限りがある。ある一定の境界線を越えると急速に市場は満たされてしまう。例えば、掃除機や洗濯機のような耐久消費財は、一世帯に一つあれば十分用が足りる。全世帯に普及すると急速に市場は萎んでしまう。それが過飽和な状態という事になる。
ただ、現実には変え変え需要などが起き一遍に収束するという事はあまりない。
この様な市場の成熟度は、製品の性格、特に、ライフサイクルに依存している。

日本は、高度成長時代には、右肩上がりを前提としてきた。しかし、低成長時代に入ると企業の成長にも陰りが見えてくる。成長市場では、ひたすら前進あるのみ、前へ前へ進んでいればよかったが、市場が成熟し、停滞、低成長時代になると前へ進もうとすると同業者と衝突するようになる。募り、競争から闘争へと市場の様相は変化してくるのである。行政の仕事は、このような市場の変化に合わせて市場の仕組みや規則を変えていくことなのである。

市場が成熟してくると成長にも陰り、限界が見えてくる。収益も頭打ちになり、よくて横ばい、悪くすると下降し始める。それに伴って、設備や雇用などが過剰となり、供給や負債も過剰になる。
一方で、少子高齢化問題は、生産労働人口を引き下げることになる。
この様な事を考え合わせると実体的市場は、縮小均衡へと向かう。収益を前提とし、所得の拡大を前提とした経済体制では成り立たなくなる。

所得が横ばいという事は、総所得はゼロ和にある事を意味する。
ゼロ和という事は、勝敗がはっきりする事を意味する。

収益が横ばいか下落しているのに利益が上昇するのは、費用が削減されている事を意味する。費用の減少は、市場全体では収入の減少を意味する。収益は、単位期間の収入の元となる。収益がよくならないがり所得は改善しない。結局、奪い合いになる。

全体の所得が横ばいになると個々の所得の格差は拡大する傾向がある。
全体の所得が変わらなければ取り分の奪い合いになるからである。

市場が成熟するに従って資金調達の流れは、外部資金から内部資金へと移行する。

成熟期に入ると次に重要になるのは資金を循環させる事である。
投資は、更新投資や再投資と言う形をとるようになり、市場に流通する資金の量は、一定に保たれるように制御する事が求められるようになる。この段階では、雇用の確保と雇用の質が重要になる。


収入が横ばいになることの意味



所得が横ばいというのは、家計で言えば、父親の給料が横ばいで上がらない状態を言う。
お父さんの所得が上がらないで過去の借入金、ローンの支払いに追われる事になる。
お父さんの所得が上がらないで過去の借入金、ローンの支払いに追われる事になる。
収入が増えないのに、過去のつけ、借金、家のローンの返済等が重くのし掛かってくるのである。その上、バブル崩壊後は、家の資産価値は上がるどころか下がっていて売っても借金だけが残ると言う状態なのである。
それでなくとも、育ち盛りの子供がいれば、将来の出費が拡大する事も予測される。また、失業や病気などによって収入が途絶えたり、減少すると即家計が破綻してしまう。
お爺さんは、定年退職をしていて収入がない。働きたくても働けない。過去の蓄えと年金で何とか家計を支えていると言う状態。それは、とりもなおさず、社会全体から見ると生産年齢労働者の減少を意味し、被扶養者層を拡大させることとなる。社会全体の効用も低下する。
また、企業の側では、収益が横ばい状態では、経費の削減と借入金の返済の追われ。新規投資ができなくなる。また、人件費を上げる事ができなくなる。その為にリストラや派遣、パート、アルバイトと言った不定期雇用へと雇用も変質していく。つまり、定収入を基礎とした社会の根本が変質しつつあるのである。
ここで重要なのは、若い世代は、借金をしたくても資産がなく、高齢者は過去の蓄えを当てにして働いていないという点である。
個々の経済主体の場合は、内部で完結しているが、全体の場合は、全体の所得が変わらなければ、特定の部分が拡大した場合、他の部分は圧迫され縮小される。その結果格差を広げることとなる。
所得が横ばいというのは要するに現金収支の頭を抑えられている状態を指す。
所得を改善する手立ては、収益し負債の均衡を保ちながら費用と収益、資産と負債のバランスを保つことである。それが支出と投資を促し結果的に収入を増やすからである。

適正な所得を維持する為には、適正な費用、適正な借入金、適正な利益を上げ続ける事が重要となる。適正というのは、質と量両面から求められる。肝心なのは費用対効果である。安ければいいという発想は短絡的なのである。

やってもやっても、やったなりの成果が現れてこない。
それは市場が成熟し、総所得が増えないからである。
だからといって何もしなければ、じり貧となり淘汰されてしまう。
それは、現状が力の均衡の上に成り立っているからである。
何もやらなければ、使えるお金が減っていく。それは、過去のつけを払わなければならないからである。

日本は、そういう状況に20年間おかれている。
この様な状態では、経済は、物質的と言うよりも精神的な問題なのである。
いくら努力しても向かわれない。結果が現れてこないから、成果や成長を実感できなくなる。しかもこう言う逼塞した、状況の中で経済は縮小均衡へと移行していくと精神的に参ってしまう。
モチベーションやモラルが保てなくなり、組織の統制がとれなくなり、内側に潰れてしまう。

実際に使えるお金の量



第一に、生産現場では、所得が均一化されていく。なぜならばやってもやっても成果に結びついていかないからである。必然的に費用対効果の関係が薄れていく。
次にいえるのは、持てる者は富を蓄積し、持たざる者は、富を放出する。この事が社会的格差を拡大する。

縮小均衡となると、高給取りが冷遇され、若年層は、実績が重んじられるようになる。
それは働いている者の所得を平準化する。
また、属人的な要素、年齢や経験、扶養家族等の要素が過小評価されるようになる。

総所得が一定であっても社会的変化は継続してといる。とくに情報技術の進化は、経費削減効果が大きいからである。それは、個人所得、雇用に一番大きな影響を与える。
こうなるとやる気のある人間からやる気がなくなり腐っていく。この様な事が経済から活力を奪っていくのである

高度成長時代は、競争すればよかった。それに対して市場が成熟した今日では、格闘になる。競争は差を競うが格闘は奪い合い。勝敗ではなくて勝負の世界になる。
我々はこの現実を受け入れる必要がある。
時代は変わったのである。成長だけを追い求める時代ではない。

支出が所得を上回れば、不足した分を借りる事になるし、余れば貯金する事になる。
民間企業では、収益が費用を上回れば、利益が上がって、負債が減少し、内部留保、資本が増加する。逆に、費用が収益を上回れば、損失が出て、資本が減少し、負債が増える。
この関係が資金運用の基となる。余剰な資本や資金をどの様に活用するかが、資金運用なのである。
余剰な資金は、収益の過不足を補うように運用される。

家計でいえば、経済が成長し、所得の増加が見込める時にローンや月賦で買い物をしても将来の負担になる事は少ない。しかし、経済成長が止まり、所得の増加が望めなくなると借金の返済は重くのしかかる。
また返済額が所得の範囲内で収まっている時は、支払いに支障はきたさないが、所得の範囲を少しでも超えれば、支払いはたちまち滞り、借金は、雪だるま的に膨れあがる。
借金も働いて返せるうちはいいが、いくら働いても返せない額になったら破産するしかない。
実質的な可処分所得というのは、借金の返済とか、税金の支払い、家賃といった予め確定している支出を取り除いた部分である。つまり、実質的に使えるお金をいう。
所得に占める可処分所得率の低下は、国際的競争力を低下させる。資金効率を低下させるからである。有効に使える所得が総所得に占める割合が低下する事は、総費用の上昇を意味するからである。
重要なのは資金効率なのである。

資金効率という観点に立つと総所得に占める可処分所得の割合が重要となる。つまり、実際に使える「お金」の量である。

貸し借りと売り買いは均衡している。



貸し借りで「お金」を供給し、売り買いで「お金」を活用する。これが原則である。
収入と収支は一致しているわけではない。収益によらない収入があり、収入のない収益もあるからである。また、支出のない費用もあれば、費用に計上されない支出もある。「お金」の効用は、貸し借りでは発揮されない。「お金」の効用は、売り買いによって発揮されるのである。
貸し借りは、支払い準備を意味する。「お金」は、財の対価として支払われて、即ち、売買取引によって効用を発揮する。
負債が支払い準備ならば、貯蓄も支払い準備である。

経済主体間における貸し借り、売り買いは、均衡している。
経済主体は、「国民経済計算書」、或いは、「金融資産・負債残高表」では、第一に、金融機関、第二に、非金融法人企業、第三に、一般政府、第四に、家計、第五に、対家計民間非営利団体、第六に、海外の六つに区分される。また、資金循環勘定では、中央銀行、民間金融機関、郵便貯金、政府系金融機関、民間企業、公共企業、政府部門、家計、海外の九つに区分している。

資本主義体制とは、資金の過不足を短期、長期の時間を組み合わせる事で均衡させるような仕組みの上に成り立っている。
その為に、現金主義的な勘定を期間損益主義に基づく勘定に変換するが複式簿記を土台とした近代会計制度である。

全体を一とし、分散をゼロ和とする。一は全体でもあり、単位でもある。何をゼロとするかは、基準の設定の仕方で決まる。ゼロと一との間は無限に分割できる。

キャッシュフローが意味するもの



キャッシュフロートは何かを明らかにする為には、第一に、収入でない収益。第二に、収益でない収入。第三に、支出のない費用。第四に、費用に計上されない支出の四点が意味する事を理解する事が肝心なのである。
第一の収入のない収益とは、売上債権や未実現利益である。
損益には、実現損益と、未実現損益がある。実現利益は、損益が確定した取引といえる。
未実現損益とは、単位期間内に損益が確定していない取引を言う。
未実現利益とは、取引が実現していない為に利益が確定していない取引を言う。未実現利益は、貸し借りを構成する。
いくら手持ちの株や土地が値上がりしても実際に売買されない限り、収益はあっても収入にはならない。これは損失も同じである。
第二の、収益でない収入の代表は借入金である。
第三の支出のない費用は、減価償却費や引当金である。引当金は、負債勘定の対極にある。
第四の費用に計上されていない支出とは、借入金の返済を言う。多くの人は、費用に計上されていない支出である彼入れ禁の元本の返済を考慮していない。しかし、キャッシュフローの根本は資金計画であり、借入金の元本の動きである。なぜなら、それが負債の働きを制約するからである。

税制度はキャッシュフローを土台としたものにならざるをえない。なぜならば、税制度は資金の循環と回収を目的として成り立っているからである。

仕入れ債務は、物的借入金の一種。棚卸し資産は、未実現利益の一種と考えられる。
仕入れ債務の仕分けは、負債と費用性資産(棚卸し)に分解される。

キャッシュフローは資金の一局面を現している。



現金主義は収入と支出の均衡点をゼロとし、期間損益では、収益と費用の均衡点をゼロに設定する。現金主義は、資金の流れを表し、期間損益主義は、単位期間における資金の働きを表すように設定されていおり。収益と費用とは、単位期間内における資金の働きを意味する。収益と費用は、売り買いの結果を資産、負債、資本は、貸し借りの結果を表している。売り買いは、実際の市場の直接的働きを貸し借りは、単位期間を超える間接的働きを表している。売り買いは、市場の物のフローを貸し借りは、物のストックを形成する。

一億円で買った土地を六千万円で売ったとする。六千万円は、負債の返済に当たられ。四千万円損失として計上され、利益、すなわち、資本の減少となる。しかし、単に資本の減少としてでなく、キャッシュフロー上は、節税され、資金の流出をその分減らす事になる。
この様な事例が意味する、負債、利益、資本、費用、税、現金残高の関わりが解らないと資本主義の実際を理解する事はできない。

キャッシュフローは、資金の流れの局面を表している。資金の流れは、資金調達から資金運用へと流れていく。その根底には資金需要がある。
資金調達から資金運用の流れがキャッシュフローの一側面を表しているとすれば、財務キャッシュフローは、この資金の一断面を表している。

資産価値は、キャッシュフローより生じる。キャッシュフローによって資産は形成される。新たなキャッシュフローを産み出さない取引は、消費である。故に、キャッシュフローを産みださない支出は投資とは言えない。それは消費である。
例えば、不動産に対する支出である。収益を目的とした不動産に対する支出と、住居用の支出とでは、本質が違う。賃貸住宅を作って収入を得ようとするのと、自分が住む為の住居では金のかけ方に差が出る。
収益用の不動産は、収益を目的とした支出は必然的に損益を基本とした設定になるのに対し、住居用の不動産に対する支出は損益を度外視したもの成るからである。収益を目的とした支出は、投資であるが、住む事を目的とした不動産に対する支出は、消費である。
消費は、収益も、費用も、キャッシュフローも関係ない、単なる支出である。この様な支出を消費という。消費は、取引の最終的帰結である。
公共投資もキャッシュフローを産み出さなければ、投資ではなく消費になる。

消費は、交換であり、マネーストックはならない。
マネーストックが成立しなければ、資金の流れ、即ち、マネーフローは起こらない。
キャッシュフローを生み出さなければ所得は増えない。

その意味では、補助金はキャッシュフローを生まない。生産手段に結びついていないからである。

不景気になった時に、企業経営を手助けする為に、補助金を出すが、補助金は資金繰りを楽にはするが収益を改善するわけではない。つまり、いくら補助金を出してもそれが利益には直接には結びつかないのである。むしろ赤字企業を延命しているに過ぎない結果になる危険性がある。その様な企業は、補助金を打ち切られた瞬間に破綻してしまう。

経済施策で補助金をだしても、それは、資金繰りに貢献しても収益には貢献していない。
収益に貢献するように工夫しなければ利益には反映しないのである。

収支計画は、一次元的なものではなく多次元なものである。
収支にせよ、資金計画にせよ多分に人、物、「お金」が絡んでくる。更にそれに時間軸が加わるのである。
周囲の状況や環境に合わせて前提となる方程式を変える必要が出てくる。

財務キャッシュフローはストック部分を構成する。



総資本の働きは、負債の増減+払込資本の増減+当期利益として現れる。内部資金を活用すれば総資本は圧縮されるし、外部資金を活用すれば、総資本は、増加する。また、外部資金を導入する事は、市場全体の資金量を増加させる。逆に内部資金に頼れば市場全体の資金量は減少する。資金量の増減は、市場の拡大縮小に影響する。すなわち資金量が増えれば市場は拡大し、減れば市場は、縮小する。

日本は、総資本を圧縮する政策をとりながら物価を上昇させようとしている。総資本を圧縮させることは、結果的に投資を抑制することとなり。市場の出回る資金の量を制約することにもなる。必然的に所得、収入は伸び悩む事となる。物価の上昇を誘発する事は、費用の上昇を促す事となる。
要は、総体としての収入が伸び悩む中、費用だけが上昇するという事態に陥りかねない。

国と中央銀行が借金をする事で、市場全体の総資本の減少を補おうとしているが、それは出口を塞いで資金を注入しているような事で破裂でもしたら目も当てられない事態になりかねない事が想定できる。
いくら「お金」を供給しても市場に「お金」が流れるようにしない限り、効果は限定的となり、弊害ばかりが生じてしまう。

総資本を拡大させる政策をとらない限り、総所得の上昇は見込めない。しかし、総資本を拡大させる政策は金利の上昇を前提とせざるを得ない。
いずれにしてもリスクをとらざるを得ない。
総資産の上昇がなければ総所得の上昇は望めない。ただ資産価値が上昇すればいいというわけではない。資産価値が上昇するだけでは社会的効用が増すわけではないからである。
生産手段に結びついて付加価値を生み出さない限り社会的効用は増えないのである。
その意味では内部資金を取り崩しているだけでは経済の発展は期待できないのである。

内部資金から資金調達をするという事は、蓄えを取り崩すという事を意味している。
それは、預金を取り崩して生活費に充てたり、年金を頼って生活する事に等しい。

財務キャッシュフローは長期金融機関借入金(当期末資金需給)と短期金融機関借入金(当期末資金需給)、社債(当期末資金需給)、資本金(当期末資金需給)の和を用いている。


企業法人統計 財務省

1991年にバブルが崩壊すると急速に財務キャッシュフローは減少し、1993年にはマイナスまで落ち込んでいる。


高齢化社会になると



高齢化社会が社会問題になりつつある。
高齢化社会で何が問題なのかというと不労所得者が増えるという事である。
つまり、自力で自分が生きていくために、必要な収入を獲得できない人口の全人口に占める割合が、拡大する事が深刻なのである。

2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて、200万人以上と年齢人口の多い団塊の世代のサラリーマンが一斉に定年退職を迎えた。

現代のサラリーマンは、定年退職を迎えると基本的に半強制的に労働から離れる。
かつては、人は、基本的に死ぬまで働けるものという想定の上に人生設計をしてきた。
しかし、今日のように資本主義経済が定着をし、ほとんどの人、自営業者も含め賃金労働者になるとサラリーマンの再就職の先は限られてくる。
そうなると彼らは、生産活動から遠ざけられて年金生活に入る事になる。
同時に、医療、介護の費用が増大する。高齢者は、収入の頭を押さえられているうえに、支出が上昇するのである。
また、核家族化は、制度的にも家計を世代間で独立させてしまった。さらに将来は、男女も個々独立した会計、さらに個別化されていく傾向が高まることが予測される。そうなると高齢者は、自分の蓄えと年金の範囲内でしか生活ができなくなる。

収入が増えない上に蓄えを取り崩していく世代が確実に増加する。それは、総所得の拡大を抑制し、貯蓄の残高を減少させる事になる。それでいて確実に支出は増えていく。その負担は、次の世代に重くのしかかる事となる。社会全体が逼塞していく事は目に見えている。

高齢化社会になると多くの高齢者は、年金、預金を取り崩して生活する事になる。
年金預金を取り崩して生活費に充てている限り所得は増えない。現在のままでは高齢化社会では総所得は増えないのである。高齢者が自分たちの経験を生かして適度な仕事ができる社会にしないと総所得は増えない。
これは、民間企業が内部留保を取り崩して資金を調達しているのも同じである。

預金を取り崩して生活するのも、年金だけで生活するのも資金の移動に過ぎない。資金が移動するだけでは付加価値は生まれない。年金をもらって生活したり、預金を取りくずして生活しただけでは付加価値は生まれないのである。
付加価値は生産活動によって生まれる。生産活動が消費活動に結びつく事によって社会全体の効用は増える。資金移動だけでは、単に消費が増えるだけである。

年金のみでなく、社会保険制度も総所得を増やさない。補助金も然りである。

表に現れない資金の動き



問題は、表に現れてこない、資金の動きである。

財務というのは、言い換えれば資金繰りの流れである。
期間損益主義において、一番問題なのは、財務による資金の流れが捕捉できない点にある。
損益上は順調に機能しているように見えても、財務に齟齬が生じると経済は破綻してしまう。

では、資金繰りと何か。資金繰りは、日々の資金の過不足を補う行為である。そして、実質的に経営主体を動かしている。資金繰りというと企業会計のみに限定的な行為だと錯覚する人が多くいるが、現実には、家計も財政も日々資金繰りに追われているのが実体である。
給料日前にお金を使い果たして親からお金を借りてくるか、それとも貯金を取り崩すか、これも歴とした資金繰りであり、安易に高利貸しから金を借りたりすると人生を破滅させてしまうことだってある。
国家もしかりである。財政問題の本質は資金繰りなのである。
だから、資金繰りの流れが重要となる。

ところがこの資金繰りの流れは、会計の表面にはなかなか現れてこない。
なぜなら、資金繰りの流れの主筋を作っている借入金の返済が会計上、計上されないからである。

会計上、捕捉しきれない資金の流れが経済に与える影響が問題なのである。
特に、所得と借金の関係が鍵を握っている。

資産を購入したり、また、会社買収しようとした時、その経済的価値を測定する必要がある。
経済的価値を測定する考え方には、基本的に原価法、取引事例比較法、収益還元法の三つがある。
三つの手法は、それぞれ、原価法は原価計算に、取引事例比較法はマーケッティングに、収益還元法は、キャッシュフローに基づいているといえる。
これは、象徴的な事である。

現在、収益還元法が多く用いられるようになってきた。原価法に基づいても原価というのは生産者の都合であり、必ずしも消費者の欲求を反映してものではない。また、一般に取引事例比較法は、多くの場面で使われているが、たとえばバブルが発生したような場合必ずしも経済の実体を反映した価格とはいいきれないばあいがある。
資産を購入、働きは資産が生み出すキャッシュフローに還元するのが妥当だといえる。そういう意味もあって収益還元法が重視されるようになってきたのである。

新築の家を建てる資金をの全てを預金でまかなう事を想定する。
二、三十年かけてこつこつとお金を貯めて全額手持ち資金で家を買った場合がいい例である。第一に、借金して、家を建てた場合は、すぐに家を利用する事が可能だが、お金をが貯まってから家を買ったらお金が貯まるまでの間は、家を活用する事はできない。
また、一見、金利分を得をしたように見えるが、
お金が貯まるまでの間の物価の上昇分も家の価格に上乗せされている。物価と金利は基本的には連動しているから、金利の分得をしたとは言い切れない。さらに、金が貯まるまでの間、家賃もかかる。また、せっかく家を建てても、人間には寿命がある。家を活用する時間が短い事になる。
重要なのは、家の資産価値である。新築の家は、確かに資産価値が大きいが、土地だけに関して言えば、借金をした家を買った場合は、地価の値上がり分が加算されるが、金を貯めて家を買った場合は、地価の値上がり分が加算されない。
借家が得なのは、デフレが予測されていて、地価が下落している時だけである。
なぜ、それでも賃貸住まいをするのか。それは月々の支払いが相対的に家を借りた場合の方が安いからである。

それでは、なぜ、家賃が月々の返済額より安いのか。
地主が、自前の土地の上に家を建てていたから地代に相当する分を安くできた事に起因する。


負債は、直接的には損益に影響しない。



借入金の元本は、固定的であり、負債勘定である為に、会計上、表面には現れない。損益には直接影響を与えないのである。しかし、キャッシュフローでは重大な影響を与える。金利は、変動的であり、表面に表れ、損益に直接関わってくる。
借金の構造が景気の変動に深く関わっているのである。

収益は、費用に対応し、負債は、資産に対応する。
収益と負債の均衡を保ちつつ、資産形成や経費を効率的に活用する事が肝要なのである。
これは家計も企業も財政も同じである。

収入は、所得と借入金の和である。
借金も収入の一種である。その点が、収益と収入の差にもなる。
収益には、借入金は含まれない。
収益に借金は、含まれないから借金の返済金も費用には計上されない。
故に、貸し借りによる資金の流れは捕捉が難しくなるのである。

ミンスキーは、金融には、ヘッジ金融、投機的金融、ポンジー金融がある。借入金は、元本部分と金利部分に別れている。ヘッジ金融は、所得で金利と元本の返済ができるものを言う。投機的金融は、金利部分だけ所得で支払う事は可能だが、元本部分は、返済する事ができず借り換えに頼らなければならないものを言う。ポンジー金融は、金利も元本も返済する事ができずに、資産の売却益による以外に清算手段がない。

会計上、負債の元本の部分が表面に現れてこない。それが、経済を不安定にする要因ともなっている。

金利は、損益に影響を及ぼすが元本は、損益に影響を与えない。しかし、元本は、貸借やキャッシュフローに決定的な影響を与える。いずれにしても会計上の表面には現れてこない。

また、会計上表面に現れてこない事の一つに未実現損益がある。しかし、この未実現損益は資金調達上重要な働きをしている。この未実現利益の働きを見ないで資金の動きを予測する事はできない。なぜならば、未実現利益は、含み損益の素でもあるからである。含み損益は、担保力にも影響する。

資金の調達と運用にかかわる部分



財務の基礎は、資金運用だと考える事もできる。

財務キャッシュフローというのは、有り体に言えば資金繰りの部分を言う。
資金繰りを理解する為には、金融を理解しなければならない。特に財務の部分は、会計の表面に現れてこない部分だけに十分に注意する必要がある。
俗に、黒字倒産がなぜ起こるのか。それを知る為には財務キャッシュフローを理解する必要がある。

資金繰りは、資金の需給状況によって定まる。

資金の需給関係は、資金調達と資金の運用状況によって関係によって決まる。
資金調達は、外部調達と内部調達からなる。

財務キャッシュフローは、この資金の調達と運用に係わる部分を言う。

外部資金の調達手段には、資本的手段と金融的手段がある。
資本的手段は、増資があり、金融的手段には、社債と長期借入、短期借入がある。
外部資金は、基本的には外部から資金を調達する事で、外部から影響を受ける事になり、経営主体の安定さは欠くきらいがある。しかし、経営主体を拡大、成長させる為には有効な手段であり、経済を活性化させる。
資本的手段と金融的手段の違いは、資本的手段は、返済義務を負わず。また、金利負担もない。反面に、利益の取り分に対する請求権と経営に対する発言権、経営者の選任権が与えられる。

故に、資本的手段と金融的手段の違いは、返済義務と金利負担の有無にある。

内部調達資金



内部調達は内部留保と減価償却費からなる。内部留保は、利益留保、引当金、特別法上の準備金、その他の負債(未払金等)の期中の増減額の集計したものを言う。利益留保は、その他の資本剰余金、利益剰余金、その他(土地の再評価差額金、金融商品に係わる時価評価差額金等)、自己株式の年度の増減額を言う。
資金需要は、固定資産投資と運転資金からなる。
資金調達に対して資金需要の過不足は、資金運用によって補われる。

資本というのは、資金の源である。つまり、内部調達資金の源となるのが資金的観点から資本である。資金的な資本を構成するのは、実質的内部留保と減価償却である。

資金とは、貨幣的資源をいう。
資本は、収入の不足時に対応する為に資金の源泉を蓄えた物である。ただし、必ずしも現金で蓄えているわけではない。現金が必要な時にどれくらいの速度で換金することが可能かを流動性という。すなわち、資源の換金可能の程度によって流動性ははかられる。

資本には、外部資本と内部資本がある。
内部資本は、払い込み株式と内部留保からなる。ただし資金の源泉としては、減価償却費も含まれる。


企業法人統計

バブルが崩壊すると外部資金調達から、内部資金調達へと資金の流れが変わった。
それは、単に企業が外部から資金を調達しなくなったというより、調達できなくなったという方が正しい。
政策の問題である。


内部留保とは何か。



内部留保というと何か利益を貯め込んでいるように聞こえる。
また、内部留保に対して為政者や経済学者、政治家といった専門家でもすら利益を貯め込んでいると誤解している人が多くいる。
そういう人達から、内部留保があるのだから、投資をしたらどうとか、課税をしたらどうかといった見当違いの意見が出る。
見当違いなだけならいいがそれを実行しようとする風潮までで来る。間違った認識でそんな見当違いな事がされたら、無用に経済を混乱させる事となる。

この様誤解が生じるのは、複式簿記の原則を知らないからである。この事は、複式簿記が理解できない者は、現在の経済の実体を理解出来ていない事の証左を示している。

内部留保とは何か。
内部留保というのは、名目勘定であり、差額勘定である。
会計上の内部留保は、利益剰余金を言う。会計上の内部留保は公表された、名目的、額面上の内部留保を指す。

実質的な内部留保というのは、実質的な内的資金源、たとえば含み損益等を言う。

資本金に対し、何らかの資金的な実体があるような誤解があるがこれも同様である。

内部留保とか、資本というのは、資金の調達手段を言っているので資金そのものを言っているわけではない。

まず第一に、厳密にいうと内部留保という勘定科目はない。内部留保というのは、純利益から役員賞与とか、配当金とか、法人税等の社外流出分を除いた残りを言う。

親から頭金を出してもらって残りをローンで家を買った場合、その頭金の部分を資本というのである。
負債とか資本とかいうのは、お金の出どころを指すのであり、借りた金か、もらった金か、稼いだ金かの違いを表しているのである。
内部留保というのは、自分で稼いだ金を基にしているという意味である。もらった金に税をかけるというのなら意味がわかるが、稼いだ金は、稼いだ時点で税金が課せられているのである。
また、親からもらった金があるだろうと言われても、その金を頭金にして家を買ってしまったのだから、手元に現金があるわけではない。

また、フローとストックの意味も取り違えている。手元に現金があっても、それを投資や賃金として支払えば費用が発生し、ただでさえ赤字な時は、赤字幅を広げるだけなのである。

複式簿記では、現金は資産として計上され、その資産を手に入れるための調達資金を負債、資本、収益として対極に表すのが複式簿記なのである。つまり、資金の調達と資金の運用を併記するのが複式簿記の決まりである。

150万円の自動車を自分の預金から50万円を取り崩して後ローンで支払うとして自分が出したお金50万円は、返す必要がないので、そのまま記載し、後のローンは、返済した分だけ減っていくという事を意味しているのである。そして、返済分は、自分の稼ぎの中から生活費を引いた残りで支払う事になる。つまり、内部留保の中には、借金の返済部分が含まれている事を忘れてはならない。ところが、会計上、この借金の返済部分は計上されない。借金の返済の源資は、内部留保と減価償却費なのである。この内部留保と減価償却費が内部資金を構成している。

負債の減少と内部留保の減少は、対極にある資産の減少を伴っている。

資金運用は、貯蓄の活用と金融資産の活用がある。貯蓄の活用は、現金・預金と有価証券、その他の活用からなる。有価証券には、一時保有の物と長期的、固定的な物からなる。その他は、長期貸付金と投資不動産等からなる。

資金繰りの基礎は、経常的現金収支である。経常的な資金の流れから生じる資金需給の関係を資金繰りは陰で支えているのである。
その上に長期資金の収支の流れがある。


企業法人統計

営業の資金の流れは運転資金に表れる。
投資の流れは、固定資産への投資とその償却として表れる。資本は、増資や借入金として調達され、利益に蓄えられる。蓄えられた余剰資金は、設備投資、即ち固定資産以外の物に運用される。

営業キャシュフローが不足し出すと短期借入によって不足分を補おうとする。それでも足りないと長期借入金を営業キャッシュフローの不足分に補填する事になる。現代の日本の経済がこれに相当する。将来の収入を当てにするのではなく、借入によって資金を回そうとすれば際限なく負債は増大していく。故に、金融機関は、借金の使い道に神経質なになるのである。
問題は、財政である。財政を監視するの国民である。税金の使い道を誤ると税金は、当てもなく流出する事になる。

運転資本は、流動負債と流動資産の関係を意味し、更に、細かく見ると売上債権と仕入れ債務の部分と在庫の部分からなる。そして、どちらの部分も基本的に時間価値が関係する。時間価値が関係していながら、無利子債権、債務でもある。
売上債権と仕入れ債務との関係は、どちらが大きいかと言う事が重要な意味を持つ。

産業構造や経営方針によって売上債権と仕入れ債務の大きさには差が生じる為、必ずしも、仕入れ債務が多い方が安全とは言い切れないが、運転資金は、ある程度ゆとりがある萌芽資金繰りは楽である。

突発的、一時的な事象による現金収支が重要な働きをする。その為に、一定の流動性を保つ必要がある。
この一時的、突発的事象が資金繰りの土台を切り崩してしまうことがあるから十分注意しておかなければならない。
資金運用の巧拙は、本業に重大な影響を与える。
余剰資金の運用部分にこそ、その主体の政策や思想、信条、行動規範がよく現れてくるのである。
企業は、一定の利益を継続的に上げる事が義務付けられている。赤字が続くと資金調達に支障をきたすからである。
収入や収益は一定しておらず変動な事、不確かな事である。それに対して支出、費用は固定的な部分、確定した部分があり下方硬直的である。
それ故に収支は一定しておらず、それを緩和する働きをさせる為に期間損益が導入された。現金収支よりも期間損益の方が時間的に平準化されたとはいえ、不安定である事に変わりはない。その不安定な部分を補っているのが資金運用の部分なのである。


法人企業統計


見かけ上の内部留保がよくみえるのは、縮小均衡しているからである。
収益が横ばいか低下している時に利益が上がるのは、費用を削減しているからである。
費用の削減は、市場全体では所得を減少させる。

資金繰りがつかないから潰れるのである。



企業は、赤字だから倒産するのではない。借金の返済期日を守れないから倒産するのである。
借金の返済か1分でも遅れれば、企業は、債務不履行と見なされ、取引停止の処分を受ける。
逆に言えば、借金がなければ企業は倒産する事はない。
では、借金をすることは間違いなのか。
それは短絡的である。市場経済を構成する取引の根本要素は、売り買いと貸し借りしかない。
売り買いだけでは、貨幣を土台とした市場取引は成り立たないのである。
貸し借りは、借金を意味する。

財務キャッシュフローは、1978年に谷があり、1979年には、一旦持ち直してはいるが、その後横ばい状態だったのが、1985年のプラザ合意後急速に上昇し、1990年にピークを向かえた後、急落している。1998年~2000年前後、一時、負の値になるなど落ち込んだ後、乱高下を繰り返す荒っぽい展開が続いている。

戦後は、家計が金融は機関に貯蓄した余剰資金を資金不足の民間企業が借りて事業に投資するという図式が成り立っていた。その図式が、1995年を境に根底が変わった。民間企業が資金余剰のグループに加わり、その分、財政が赤字となったのである。
財政赤字を問題とする時、財政だけを見ていたら本質は見抜けない。財政は、財政単独で存在するのではなく。家計や民間企業との関連を良く吟味する必要がある。

財政は、家計や民間企業の働きとの関係の延長線上にある。背後の環境を無視しては財政は語れない。
財政、家計、民間企業、経常収支はゼロ和関係にあり、全ての経済主体を黒字にも赤字にもできない。

何処を黒字にし、何処を赤字にするかは、経済戦略の一環として考えなければならない。

借金とは、将来の収入を担保して資金を先取りする取引である。担保するものとして、資産、及び、将来の所得、利益等である。
借入金の返済は、収入の中からか、担保している資産を売却して清算する。
彼に予め定められた約定が履行できない場合は、担保している資産の所有権は、貸し手側に転移する。
即ち、予定した収入が継続的に確保されているか、資産価値は安定しているかが借金の価値を定める。
故に、資産価値の上昇を伴うインフレーションは、担保力を上昇させることで借り手側の資金の調達力を高め、資金繰りを楽にする。

借金は、借り手側からすると前受金であり、繰延金である。貸し手側からすると前渡し金である。
借金は、金利が働く分、通常では値上げになり、値下げにはならない。故に、所得の増加には結びつかずに、可処分所得を減少させる。

借金は、元本と金利の部分からなる。費用となるのは、金利の部分に限られ元本の部分は損益勘定に計上することはできない。

元本は、表面ではなく水面下で働いていることを見落としてはならない。

家計、即ち、現金主義に基づくと金利と元本の区別はなく、収入から差し引かれる。それに対して、期間損益では、金利は費用となり、収益の中から返済する。元本部分は、原則として内部留保と減価償却費によって工面するが正式には、会計上、計上されない。
期間損益状は、元本の返済は、減価償却費と税引き後利益の利益処分で充当するが、税引き後利益には、借入金の返済という科目はない。また、土地のように非減価償却資産もある。その為に、収益によって賄えない部分に関しては、資産の上昇分を担保として借り換えによって対応し、資産の最終処分によって清算することを前提としている。

この事は、収入や所得、収益が減少し、金利部分が返済できなくなるとつなぎ資金が必要となる事を意味している。
損益取引の時間差によって生じるつなぎ資金を運転資金という。

収入、収益が減ると借入金の返済が滞る事になる。又、資産価値が減少するとつなぎ資金の調達も困難になる。

経済主体の資金の調達力は、収益力か、資産の上昇力によって定まる。

資金が不足する原因


資金不足は、単に、収益が悪いという理由だけで起こるわけではない。

資金不足を起こす原因は、第一に、収益の悪化がある。第二に、逆に急激に売り上げが伸びた時にも起こる。第三に、投資による資金不足である。第四に、市場や企業が成長段階にある場合も資金不足は起こる。第五に、収益が何らかの周期性、例えば季節変動がある場合、つなぎ資金が必要となる。
これは単に一企業の問題ではなく。経済全般や個々の産業にも言える。為政者や金融機関は、産業や市場の特性を見ながら資金需給を測る必要がある。

収益が悪化してくると当たり前に資金繰りが難しくなってくる。この様な場合、何が原因で収益が悪化しているのかを見極める必要がある。収益が悪化している原因が為替の変動や原材料の高騰、市場の縮小、過当競争等のような外的要因によるのか。過剰投資や安売りといった内部の要因によるのか。また、一過性の要因か持続的な要因が出とるべき対策は違ってくる。中には、一企業や一産業の力では回復する事ができない要因や構造不況業種のような構造的要因によるものもある。

業績が悪化しているだけでなく。売り上げが急速に伸びた時にも、運転資金不足を引き起こす事がある。この様な場合は、営業利益は、上がっているのに、営業キャッシュフローが悪化している場合がある。この様な事も一企業だけでなく。産業全体が陥る事がある。

また、投資をするときは、資金不足に陥る。それが過剰であるか否かは、一定の期間たたないと判明しない。減価償却費と長期借入金の返済との均衡を見ないと一概に評価できないが、長期借入金の返済は表に現れず、利益には反映されない。また、減価償却費は恣意性があるために、過剰投資による資金不足はなかなか表面に現れてこない。

第四の成長期における資金不足は、売り上げが急伸した時に起こる資金不足同様の要因による。支払資金が準備できないと黒字倒産という事態も引き起こされる。また、売上債権や在庫の動向をよく見る必要がある。

季節変動による資金不足は文字通り、収益に波があり、収益が谷間に陥った時に、発生するつなぎ資金である。

経済は、「お金」で動いている。収益が上がるような環境仕組みを作るのは、行政の役割であり、資金の過不足発調整するのは金融機関の働きである。行政や金融機関がこの道理を忘れると途端に経済は円滑に動かなくなる。

また、資金の調達手段は、収益、資本、借入金がある。しかし、経営の継続性を考えた場合、収入に基づく資金調達ができるように図るべきなのである。

企業経営というのは単純に金儲けにあるわけではなく。一企業や一産業の力だけでは、持続的に利益を上げる事は難しいのである。

 



近代は、借金から始まる



近代経済は、借金から始まっている。なぜならば、借金はお金の元だからである。
ただ、現代人には、借金に対する錯覚がある。その第一が、借金を返さなければならないという思い込みである。第二に、借金に実体があるように思う事である。
借金を何に使うのかが大切なのである。借金は、何に使うかによって実体をもつ。その実体がある限り、借金は必ずしも返す必要がない。しかし、借金を使った物に実体がなくなれば借金は働いて返さすしかない。
借金をすると金を手にする。金を手にすると金持ちになった錯覚をする。そして、気が大きくなって虚しく使ってしまう。そうすると借金は、負荷となって重くのし掛かかり、返済圧力が強まるのである。
借金は実体をもたない、虚である。そのままで負の価値にしかならない。

お金は、無駄遣いをすれば無駄になる。

金はあるから使うのではない。必要だから使うのである。金がいくらあっても必要でなければお金は使わない。必要な物や事があるからお金を使うのである。お金は使わなければ溜まる。
問題は、何を、いつ、なぜ、必要とするかである。そして、お金をどの様にして使うかである。
物も必要もないのにあったところで使ったりはしない。ところが現在の経済は、不必要に物や金を生産し、供給し続けている。

借金をすれば取り敢えず「お金」は回る。「お金」が回っている間は何とか事業は継続できる。だから資金繰りは、借金をする事だと思い込んでいる経営者が中に入る。
資金繰りとは、資金の調達から運用までの過程で資金の過不足を調整する事である。

借金は「お金」である。「お金」は何にでも化けると言われている。しかし、そこが曲者なのである。「お金」には、実体はない。
「お金」を手にすると人は変わる。何か特別な力を手にしたような錯覚に陥るからである。
しかし、借金は特別な事ではなく。虚しい事なのである。借金を実体のない事に使えば虚しくなる。


貨幣価値は虚構である。



1990年代後半、サラリーマン金融、バブル崩壊後は、消費者金融が社会問題化した。いずれも高利貸しの問題である。サラ金地獄なんて言う言葉も生まれ、夜逃げや自殺が相次ぎ映画化もされた。
サブプライム問題の背後にも金融の問題が隠されている。資産価値の値上がりを前提とし自転車操業のように借金を繰り返すのである。
時折社会を騒がす出資法違反も然りです。投資話に引っ掛けて実際は金だけ集め何の投資もしていない詐欺である。ただ、お金が回っているうちはこの様な詐欺も露見しない。
ネズミ講も然りである。なぜこんな事ができるのか。それは借金の持つ本質を理解していないからである。

借金を問題にする場合、借金だけを取り上げて問題とする場合が多い。しかし、借金は、借入金だけで成り立っているわけではない。借金を成り立たせている構図が重要なのである。

ただ、消費だけ、使う事だけを目的としてお金を借りることは虚しく、自滅的行為である。それは強盗と同じ効果しかもたらさない。

借金が成り立つ為には、お金がなければならない。次に貸し手と借り手の存在である。その上で返済を保証する、担保する物である。
お金を借りる為には、返済を担保する物が必要となる。担保する物がなければ金は借りられない。担保する物が成立する為には、私的所有権が確立されていなければならない。つまり、自分の物でしか担保する事はできない。返済の保証は他人がする事はできるが、その場合も保証した人が持つ物を担保する必要がある。
何らかの裏付けがなければ金は借りられない。
担保する事が可能な物は、将来の収入か、資産である。

借金は、支払い準備である。借金は、前受金でもある。本来の支払は後回しにされる。
借金はあくまでも借り物である。実体があれば返済はできるが、実体がなくなれば返済ができなくなる。

現在問題となっているのは、総所得が横ばいだと言う事である。
所得が横ばいだと過去の借金のツケが実質所得に重くのし掛かる。即ち、可処分所得を減らすのである。それは物価の上昇と同じ効果を所得にもたらす。

それ故に、所得が横ばいだと実質的可処分所得が所得に占める割合が低下する。

所得の上昇が物価の上昇を上回っている場合は、物価が上昇しても所得によって物価の上昇分を吸収することができる。お金の現在価値を低下させるから金利負担も軽減される。
資産価値が上昇している場合は、名目的価値である負債の実質的価値は下がる為、元本の

所得が上昇することで、負債の軽減を前提としていると所得が横ばいになると実質収入は減少するのである。
返済は軽減される。又、未実現利益も派生する。

貸し手側にとっても資産価値の上昇は逆鞘が派生しないかぎり悪い事ではない。なぜならば、貸し手側にとっても元本は、金融資産であり、裏返してみれば有利子負債だからである。

逆に資産が下降し始めると資産の担保価値が低下し、つなぎ資金の裏付けが失われ、マイナス投資が生じる。マイナス投資とは、資金の調達源を内部資金に求めることを意味し、経費の削減、主として人件費や雇用の削減、遊休資産の取り崩し、借入金の返済などを指す。

資金調達を多くの企業が内部に求めるようになると経済は、拡大均衡から縮小均衡へと向かう。




借金に鈍感になることが怖い



借金で怖いのは、借金に対する感覚が麻痺することである。そして、借金と実物が乖離する事にある。
借金と実物が乖離するとお金が勝手な動きをする。
借金の実体が失われれば虚しくお金が舞い上がる。

それは、国の借金も同じである。
国債は、国の借金である。
国の借金は、2016年6月末で1057兆円。
一般会計予算は、歳入は、96兆円うち収入は、59兆円、37円は、借金で穴埋めをしている。歳出は、ほぼ100兆円、うち24兆円が国債の債務償還費・利払いに消えている。

国家が他の経済主体と違うのは、国は、「お金」を生産することができると言う事である。しかし、借金の本質は、国家といえども変わりない。
借金を増やせば増やす程「お金」の価値は下がるのである。

借金をして得たお金を虚しい事に使えば借金しか残らない。その様な借金は、働いて返す以外に手はない。
借金というのは返さなければならないというのではなく。虚しい事なのである。
なぜ、借金をする必要があったのか。借金の目的を忘れたら借金は、抑制できなくなる。

少し余剰な「お金」があるから借金を返したいと思っても、相手は約定以上の「お金」を受け取ってくれない。負債というのはそういう事なのである。

財政生産や金融政策は、市場に資金が循環しないかぎり、効果を発揮することはできない。
市場に資金を循環させる為には、市場を経由して資金を供給する事が最も効果的な手段である。
公共投資は、拡大再生産に結びついているかぎり有効であるが、ただ需要を喚起する為にだけならば効果に限りがある。

借金というと借金の事ばかり考えてしまう。しかし、経済全体から見ると必ず反対の働きが働いている。すなわち、借りには貸しが、売りには買いがである。そして、全体としては、常に均衡するようにセットされている。

国の借金を問題にする場合は、必ず相手を考えなければならない。借り手が存在するという事は貸し手が存在するからである。そして、貸し手と借り手は、同じ運命を背負っている。借り手が返せなくなれば貸しても損をすることになるのである。だから、借金を問題にする場合は、貸し手は誰でどれくらい借りているのかが問題なのである。また、貸し手と借り手の関係も確認をしておく必要がある。つまり、国の借金を問題とするならば、誰から国は、どれくらい借金をしていて、貸し手と国とはどのような関係にあるのかを確認する必要があるのである。

金融機関では、預り金は借金であり、貸付金は資産である。他の経済主体、民間企業、一般政府、家計、海外部門と金融機関は鏡像関係にある。この事が重要で、金融機関と他の経済主体との関係によって通貨の流通は制御されているのである。
金がなくなれば借金をすればいいというのは、安易な考え方で、むやみに借金をすれば、全体との調和を失う危険性が高い。それがインフレーションやデフレーションの最大の原因となるのである。


財政は家政の延長線にある。


財政は、家政の延長線上にある。家政は、所得の範囲内で支出を抑えないと蓄えを取り崩すか、蓄えが底を尽きたら、どこからか借金をしなければ、生活が成り立たなくなる。

財政は、宮廷官房から発達している。官房というのは家政である。財政学は、家政学の延長線上にある。
家計と財政とは、根本的なところで結びついている。

そして、家計と財政の根源は、財務にある。
家計にせよ、財政にせよ基本は、いかにして資金を調達し、それをどの様に運用するかである。

そして、家計、財政、企業、海外部門の資金の過不足を足すとゼロになる事が原則なのである。

一般に、お金は、どれくらい手持ち資金があるか、どれくらいお金を持っているかが問題となる。しかし、実際は、いつどれくらいをどこからどの様に調達したか。それを何処に、どの程度、どの様に使ったか。つまり、運用したかが重要となるのである。
財政の根本も変わりはない。大体、財政は、家政の延長線上に発達してきたのである。

財政も家計も蓄えと消費が基礎になければならない。つまり、フローとストックである。なかでも蓄えの多寡がいざという時に重要になる。ところが現在の財政は、この蓄えを頭から否定している。それが財政の根本的な問題なのである。蓄えを持つ事が許されないから官僚は四苦八苦するのである。

自由経済の基幹は、収入と支出にある。収入の主たるものには、所得と借入がある。所得と借入以外には、贈与と徴収、給付があるがいずれも会計上は所得か借入に振り分ける事を原則としている。

収入は不確かで支出は確実に発生する。収入と支出の整合性をいかに保つかが、経済の最大の課題である。収入は不確かで波がある事を前提としたら、蓄えが必要となる。あたかも収入は確かで、安定しているかのように予算を組めば、資金に過不足が生じるのは、当然の理である。

今の財政に欠けているのは、財務的発想である。

家計でどの様にして収入を得て、それをどの様に活用するかを考えるように、いかにして資金を調達し、どの様に運用をすべきなのかを考えるのが財政なのである。
単に、資金調達を徴税と国債に頼っているから、資金不足をいつまでも解消できずに、資金が回らなくなるのである。

経済政策に過度に依存するのは危険である。
経済状態や環境が問題なのであるから、状況や環境作り出している仕組みや構造を変えなければ抜本的な解決にならないからである。

所得は、本来、不安定なものである。つまり、所得や収益、収入は不確かな事である。不確かな事というのはリスクがある事を意味する。
企業は、リスクを軽減するために、収入を収益に変換する事で平準化し、平準化した上で、賃金という形で定収入化する機関だと言える。
利益は、収益を平準化する為の目安、指標である。

経営主体とは、資金の流れの整流装置のような働きをしている事を忘れてはならない。ただ利益ばかりを追求しているとこの重要な働きが見えなくなる。資金の流れを整流する際、重要な働きをしているのが貸し借りなのである。
定収入化、安定した収入が一定期間保証される事によって借金の技術が発達し、信用制度が確立されたのである。

現代の経済は、借金の上に成り立っている事を忘れてはならない。
借金の裏側には、収入の平準化と安定化、一定化がある。




付加価値のない所得は、実質経済を向上させない



資金需給とキャッシュフローは相互に関連している。

経済的効用を生み出さないお金の流れは所得の拡大に結びつかない。貨幣経済では経済的効用はお金の流れによって生み出される。故に、貨幣経済は、供給される貨幣の量よりも経路に依存する。経済的効用は、貨幣の経路の長さと質、速度が問題となるのである。

経済的効用が所得を生み出すのは、経済的効用は、付加価値を意味するからである。所得の源泉は、付加価値である。資金の流れによってどのような価値が付加されるかが重要なのである。

注意しなければならないのは、金融商品の需要には、実体がない。故に、際限がなく制御が効かなくなる恐れがある。金融商品には物理的限界がないのである。

現代人は、生産物や環境は無限だと思い込んでいる節がある。
しかし、経済的効用には限界がある。限界があるから経済的な価値が生じる。無限にある物は経済的な価値が生じないのである。
人の寿命がある。日本人の平均寿命は、昭和三十年の時点で男が63.6、女が、67.75歳である。それが平成25年には、男80.21歳、女86.61歳、実に20歳近く寿命が延びているのである。それによって必然的に生活も変わってきている。ただ、死という現実から逃れられたわけではない。人間の一生には限界があるのである。
人間の寿命に限界がある以上、人間が一生の内に所有できる物も有限である。そして、その限界が価値を生み出すのである。
市場にも物理的な限界があり、その制約こそが市場を機能させているのである。
市場が物理的に飽和状態になると市場の状態は貨幣の流量に左右される。

エネルギーを例に考えてみる。
石油が本格的に使われ出したのは、1859年、ドレークが油田を掘り当ててからだ。江戸時代には、電気はこんなに発達していなかった。ガスもなかった。せいぜい言って薪と炭、石炭である。エネルギーと言っても水力や風力ぐらいしか知られていない。昔はいたってシンプルだったのである。
石油や電気が活用されていないのだから、当然、自動車も飛行機も電化製品もない。それが百年足らずの間に、世界を席巻したのである。必然的に自動車や飛行機、電気製品に関連した産業も勃興する。
私が生まれた頃は、電気冷蔵庫も洗濯機もない。テレビもない。それが瞬く間に電気冷蔵庫、掃除機は家庭の中に入り込み、テレビは白黒から、カラー、そしてデジタルへと目まぐるしく変化した。
これらの発展には、経済的効用が伴う。故に、総所得の増加には寄与したのである。

高度成長の限界



高度成長期に発達してきた産業がある一方で伝統的な産業、仕事や分野の多くが消えていったのである。

高度成長期は、新しい効用が生まれ続けていたのである。生産性の向上に結びついしていた市場は黙っていても成長した。
しかし、市場が飽和状態になると市場は新たな付加価値を生み出せなくなる。市場が成熟すると実質的な所得は一定となり、総所得は横ばいになる。そうなると名目的な所得によって市場の状態は定まるように変質する。量的拡大は質的変化をもたらす。

今日、エネルギー市場は、飽和状態にある。そうするとエネルギー市場に流れ込む資金の量によって価格は、エネルギーの効用に関係なく乱高下する事になる。

2000年に価値が付加が生み出せなくなり内部に資金調達を求めるようになった。それが日本経済の構造を根底から覆したのである。

公共投資も単に消費するだけの公共投資は効果が薄い。
補助金や年金は、総所得を増やさない。

ある意味で資金の需給関係は、資金の流れに沿って、キャシュフローは資金の働きに沿っていると見る事もできる。
資金需給は、複式簿記を下地にし、キャッシュフローは損益を下地にしていると考えられる。
その意味では、資金は、資金需要に基づいて調達された資金と資金の過不足を補う運用と捉える事ができる。また、営業キャシュフローを損益になぞらえ投資と財務を貸借になぞらえる事もできる。
資金は、需要、調達、運用という流れがあり、働きには収益と費用がある。

資金は、資金需要を賄うように調達され、過不足分は運用される。
資金調達の手段としては、内部資金を活用する手段と外部資金を活用する手段がある。
内部資金を活用する手段は、資産を圧縮する事で、資金を絞り出す事で、既存の資産を効率化し、財務体質を健全化する事で安定性を増す反面、経済活動は、不活性化させられる。外部資金を活用する事は、総資本を拡大する事で資金を調達する。不足分は資産を運用する事で捻出する。余剰部分も運用する事で資金効率を保つ。

景気回復のカギは家計にある。



家計の貯蓄が直接、政府支出に向けられているかぎりは、総所得を増やす、すなわち、経済成長には結びつかないのである。資金が民間に流れ、実物市場に供給され、それが資本ストックとなり、生産に結びつき、雇用を増やすから総所得を増やすのである。財政赤字を補填するために、家計の貯蓄が使われる。それが、財政赤字の最大の問題なのである。

また、失業保険や年金、補助金のような支出は、再生産的なキャッシュフローを生み出さない。
生産的な労働に結びつくからこそキャッシュフローは生まれるのである。所得の再分配だけでは、総所得の増加にはならないのである。そこに高齢化社会の問題点が隠されている。

単なる消費は、資金の流れは産み出さない。

経済政策の目的は、金融機関以外の企業が本来の働きを、即ち、拡大再生産を繰り返しながら、資源の配分ができるように市場環境を整える事である。それは、経済の民主化を促すことである。

市場経済というのは、適度な格差と私的所有権を前提としている。
市場経済は、極端な格差や硬直的な格差は嫌う。しかし、何もかも均等にすればいいという思想も受け付けない。
全てを均等に分配できれば平等が実現できるというのは、幻想に過ぎない。第一に、均等というのは、量的なことを言うのであり、質的な部分は含まれない。含めない。なぜなら、質というのは主観的なことだからである。そして、主観的だからこそ平等を実現する為に決定的な働きをしている。平等とは認識であり、認識は主体的な事だからである。

人生は借り物に過ぎない。死ねば何もかも全てを神様等お返ししなればならない。
どんなに地位や名誉や富を得てもあの世には持って行けない。
大切なのは、自分の真実である。
経済とは、生きる為の活動である。
所詮この世の物は神からの借り物に過ぎない。
その事を忘れた時、人は、真実から遠ざかるのである。



いかにして経済を健全するのか


全業種、全規模の投資キャッシュフローをみて際立つのは、財務キャッシュフローの異常な動きである。投資キャッシュフローに若干の乱れはありが、フリーキャッシュフローも、営業キャッシュフローも、極端な動きは見られない。むしろ、フリーキャッシュフローは順調に増加しているようにも見える。
それに対して財務キャッシュフローは、バブル崩壊後一気にマイナスまで急落し、1994年から97年にかけて一旦小康状態に陥った後、1998年から2005年にかけて急落した。この段階で市場の本質が変わったと見ていい。

この様な変化は、偶然でも、故意によることでもなく、何らかの構造的要因が働いている。現象背後に潜んでいる構造を変えない限り、経済の抜本的な解決はできない。
問題は、いつどのような条件によってこのような変化が生じ、その結果、どの様な状態、良い面も悪い面も含めて起こったかを検証する必要がある。
バブル崩壊直後と2000年前後にとられた政策を見直す必要がある。

背景にあるのは、バブルであり、バブルを引き起こした要因である。バブルを引き起こした前提条件は、高度成長の終焉、石油ショック、円高不況といった要因による収益力の低下、そして、収益力の低下を脱出しようとして行われた財テク、そして、低金利策、財政赤字、経常黒字に対する外圧である。

財テクが地価や株と言った資産価値の異常な上昇を招いた。それがバブルである。そのバブル潰しとして地価や株の抑制政策、高金利政策、不良債権処理、規制緩和である。これらの政策によって資産価値が急速に下落し、民間企業は、資金の調達力を失った。それが投資を抑制している最大の原因である。
更に財政再建策として消費税が導入されましたが、財政はいまだに好転していない。

景気低迷によって高金利策から一転して低金利、ゼロ金利、金融緩和策がとられましたが、既に遅く、かえって時間価値を喪失する結果を招いている。

留意しなければならないのは、バブル期に財政が黒字化したと言う点である。今日、バブルの負の面ばかりが強調される傾向があるが、バブルによって財政が黒字化したという事は見落とされがちである。この事は、財政を健全化するうえで重要なヒントになる。

財政を健全化し、長期的低迷を抜けるためには、を脱却するためには、前提条件を変える必要がある。
また、国家ビジョンを明確にする必要がある。
国家ビジョンを構築するための前提条件は、第一に、高齢化社会に向かうと言う点です。第二に、人口の減少です。第三に、高度情報化時代になる。第四に、環境問題が深刻化してくる。第五に、エネルギー戦略が国家の命運を左右する。
まず、第一に言えるのは、収益力の低下をどの様に回復させるかである。今日、競争を原理化してしまい、規制を緩和すれば万事解決という風な傾向に支配されている事である。

第一に、競争は、合目的的な手段であって目的でも原理でもない。手段である競争は、相対的な事であって目的に応じて競争を促したり、抑制するのは悪い事ではない。
第二に、規制があって競争は成り立つのであって、規制をなくしてしまうと、公正な競争は成りたたない。幼児と成人を同じ条件で競わせたら、成人が勝つに決まっている。自動車と人間が競争すれば自動車が勝つ事は最初からわかっている。
この様な競争を公正とは言わない。ルールを定めずに無原則に競わせる事は、競争ではなくて闘争である。
規制があってはじめて市場の規律は保てるのである。
規制緩和ではなく、新しい時代や環境の変化に合わせて規制を改める事である。規制をただなくせと言うのは、乱暴な話である。それは、自由主義ではなく無政府主義である。

企業の収益を回復するためには、市場の規律を取り戻す事である。価格競争、過当競争で荒廃した市場を養生する必要がある。
重要なのは、企業が適正な収益を上げられるようになる事である。そして、企業が適正な利益を上げられるようになるためには、一企業だけでは解決できない問題がある。この点だけは忘れてはならない。

次に、取り組まなければならないのは、資産価値の回復である。現在地価は、負債と資産の関係から見て相対的に異常に低い状態にある。それを一定の水準にまで引き上げる必要がある。
資産価値が異常に低い水準にあるために、企業は、資金調達力を失い、再投資ができない状態にある。それが財務キャッシュフローは如実に表している。企業が資金の調達力を失い再投資ができなくなったために、金融機関は、健全な貸付先を見いだせないでいる。このような状態が続けは、金融機関はもたない。
地価を上昇させる為には、土地や不動産の流動化を計る事です。

資産価値の上昇を計る必要があるからと言って闇雲に地価を上げてしまえと言うのは乱暴である。闇雲に地価を引き上げてしまうとバブルの再燃を招くことになる。資産価値をどの様にして回復するか、それこそが肝心要なのである。
空き家、空室が激増している今日、地価の上昇だけを目的にした政策は、亡国的施策である。
将来に対する何の展望、構想もなく資産価値の上昇を計るのは破滅を招くだけである。

資産価値の水準を回復するためには、次の時代に対する国家ビジョンが要求される。その時、前提となるのが、第一に、高齢化社会、第二に、人口の減少、第三に、高度情報化時代、第四に省エネルギー社会、第五に低成長、市場の成熟である。

これらの要件が指し示しているのは、量から質への転換である。
第一に言えるのは、住環境の改善。第二に言えるのは、地方都市の再建。第三に、個人事業の再建である。

住環境を整備し、量から質へと変化させるためのは、地価を上昇させる目的で乱開発を許せば、かえって経済を荒廃させてしまいます。高齢化社会に向けて環境を整備する事が求められている。
何でもかんでも新しくすればいいというのではない。住む馴れた家をいかに住みやすい家に改造していくか、中古住宅市場やリホーム市場の整備充実にある。

戦後の住宅難から始まった高度成長が終焉した今住まいの質が問われるようになってきた。住宅難の時代には、ひたすら量産されてきた家をより高齢化社会、少子化社会に適合した家に変えていく。
粗製乱造から高齢者が安心して住める家に、その延長線上に安心して住める街づくりがある。
高齢者が安心して住める家や街づくり。その根本は、都市計画にある。
高齢化社会、人口減少に適合した年のインフラ作りである。
シャッター街とかした地方の商店街をいかに再生するのか。それは、個人事業の再建にもつながる。
かつて、個人事業者、個人商店は、大企業の隙間を埋め、職場を創造してきた。また、市民の中核もなしてきたのである。雇用を多様化しても来たのである。その個人事業、個人商店が大資本によって淘汰され、死滅しつつある。失業者は行き場を失いつつある。
給与所得者ばかりが増えたら景気が停滞した時、働く場がなくなってしまう。かつては、脱サラとか、定年退職しても働く先があったが、個人事業や個人商店が成り立たなくなると、給与所得者ばかりでは逃げ場を失うのである。

地方都市の再建の原点は、都市計画にあり、都市計画の根源は、財政である。人々の暮らしがあってこそ国は成り立つのである。人々の生活を犠牲にしたら経済は成り立たない。

それから、製造業を立て直す事である。製造業の問題は、適正な収益が上げられなくなっている事である。何か、金儲けは悪であり、利益を上げる事は、人を誑かす行為であるがごとき、偏見に満ちているように思われる。企業は、消費者や労働者から搾取して私腹を肥やしていると言った色眼鏡で企業業績を見ている。半面、投資家は、常に増収増益を求めて、利益を上げられない経営者は無能だと責める。

経済の目的は、金儲けにあるわけではない。生きるために必要な資源を国民に配分する事である。配分は、所得によって実現される。所得は、基本的に労働の対価として配られる。だとしたら、人々に働く機会を作る、所得を得る機会を作るのが経済政策の主目的だと考えられる。金儲けは手段にすぎない。ところが、いつの間にか金儲けが目的化し、お金が回りさえいいというような風潮が支配している。人々に豊かな生活をさせるためには、どうしたらいいのか、その根本を忘れたら経済は成り立たなくなるのである。
肝心なのは、事業目的であり、企業理念である。ところが今の風潮は、企業は、人々を欺く詐欺師、ペテン師と蔑みながら、その一方で、価格だけで企業の社会的責任を評価しよとする。それではまともな経営などできるはずがない。

企業経営で重要なのは、その企業がどのようなところで社会貢献をしているかである。社会貢献の手段は、単に価格だけではない。価格は一つの指標である。企業の貢献を測る基準の重要な要素が費用である。価格は、費用対効果を測る指標の一つである。価格は、密度を表している。密度とは、質と量の積である。安ければいいのではなく。適正な費用と利益で成り立っているかが重要なのであり、消費者は、商品の価値を見極める目を要求されるのである。良い産業を育てるのは、消費者の責任でもある。

現代経済は、生産にばかり重きを置いて財の配分を疎かにしているように思える。いくら大量に製品を生産してもそれが適切に分配されなければ意味がない。一方において多くの食料が浪費され、廃棄されているというのに、他方で栄養失調に苦しみ、飢え死にしていく人々がいるとしたら、それは、経済の仕組みに欠陥があるのである。重要なのは、所得を公平に分配する事であり、そのために働きを生み出す事なのである。
技術革新は新規事業ばかりを重視し伝統的産業を蔑ろにしたら経済は衰退する。農業とか、製造業と言った伝統的な産業こそ雇用にとって重要な役割を果たしてきた事を忘れてはならない。ただ生産効率ばかりを追い求め、経済の目的を金儲けだと錯覚したら、経済は衰弱してしまう。

財務は、民間企業だけに限った事ではない。家計にも財政にもある。家計も、財政も資金不足に陥れば経済的に破綻する。
ただ財務は、部門間の資金の過不足を補正する事で成り立っている。つまり、経済全体では、資金余剰の部門があれば、資金不足の部門があり、全体では、資金の過不足の和はゼロになる。今日、財政の資金不足が累積し、市場全体の歪を大きくしている。この様な歪を是正するためには、累積した部門間の資金の歪を是正する必要がある。つまり、債務が累積した部門の負債を他の部門に付け替えるのも一つの解決策である。
例えば、年金や医療保険などの負債を民営化などによって民間部門に付け替える事である。財政赤字は、部門間の資金の過不足の歪から生じている事を忘れてはならない。部門間の歪を是正しない限り、抜本的な解決に気ならない。赤字の問題は、赤字の部門だけの問題ではない。

もう一つ重要な事は、官僚虐めをいい加減止める事である。政財官の結びつきを否定してきたのは、革命世代です。革命世代は、何でもかんでもぶっ壊せばいいと思っている。
自分達も革命世代の末端に位置していました。だから、痛感するのである。
先輩に僕は、強く抗議した。あなた方は、古い秩序をぶち壊したけど、新しい秩序を何一つ創造してこなかったではないかと…。
その為に苦しんでいるのは、後輩達である。革命世代は、革命的状態を造り出そうとしてきた。革命的状態とは、無秩序で無規律、無統制な社会、無法な社会、無政府主義である。暴力の支配する社会状態です。そうなれば反体制的風潮が高まり、革命が成就する。
だから、彼等は、学校を荒廃させ、政財官の結束を断ち切ろうとしたのである。
体制側に立っても彼等は反体制である。
だから日本は、無秩序な状態に向かっているのである。
もう一度、政財官の秩序ある関係を取り戻す必要がある。

61 62 63 64 65 66 67 68 69 70
配当金計(当期末) 402 482 549 590 607 670 774 916 1104 1213
社債(当期末資金需給) 182 78 171 64 183 81 297 275 259 360
長期金融機関借入金(当期末資金需給) 867 888 834 776 1364 855 1840 3565 3375 4080
短期金融機関借入金(当期末資金需給) 614 1967 1727 2331 2580 1951 3083 5602 4407 5424
資本金(当期末資金需給) 880 883 689 727 537 518 496 1137 983 1043
財務CF 2141 3333 2872 3308 4056 2735 4942 9663 7921 9694
71 72 73 74 75 76 77 78 79 80
配当金計(当期末) 1247 1363 1749 1752 1615 1766 1765 1921 2091 2373
社債(当期末資金需給) 217 288 281 478 1549 869 680 1097 1382 530
長期金融機関借入金(当期末資金需給) 4619 5489 5485 4663 6720 4308 1455 -8 3815 6555
短期金融機関借入金(当期末資金需給) 4366 6473 8635 7397 7096 7224 7620 5243 14143 9274
資本金(当期末資金需給) 602 643 666 825 1177 704 742 733 672 784
財務CF 8558 11531 13319 11612 14927 11339 8732 5144 17921 14769
81 82 83 84 85 86 87 88 89 90
配当金計(当期末) 2504 2413 2508 2617 2809 2924 3182 3546 4169 4227
社債(当期末資金需給) 941 1127 1353 1893 2062 3543 4266 3130 9642 3635
長期金融機関借入金(当期末資金需給) 8177 6864 5096 5299 7777 11698 19987 17929 31363 36139
短期金融機関借入金(当期末資金需給) 8179 9694 9061 13376 11458 10897 11847 14636 7169 13139
資本金(当期末資金需給) 996 779 1102 1312 1219 1409 2397 3651 6020 2676
財務CF 15789 16050 14104 19263 19707 24622 35314 35800 50025 51362
91 92 93 94 95 96 97 98 99 0
配当金計(当期末) 4530 4008 3771 3833 4125 4180 4231 4381 4221 4832
社債(当期末資金需給) 4684 -135 2578 -270 -2095 -1140 43 3617 -1134 -3397
長期金融機関借入金(当期末資金需給) 13120 12454 10634 -3545 451 -2334 -408 3886 -3106 -12430
短期金融機関借入金(当期末資金需給) 11047 4411 -3738 4905 2561 548 1584 -8543 -9006 -3186
資本金(当期末資金需給) 1228 817 738 621 1223 1776 1403 401 1223 1789
財務CF 25548 13540 6441 -2122 -1985 -5330 -1608 -5020 -16243 -22057
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
配当金計(当期末) 4496 6509 7233 8585 12529 16217 14039 12210 12285 10357
社債(当期末資金需給) -2252 -1830 40 -1578 -1090 -133 73 608 1524 698
長期金融機関借入金(当期末資金需給) -6099 -11347 -4621 -5392 -6739 727 583 6695 5457 -6123
短期金融機関借入金(当期末資金需給) -3208 -11251 -11906 -8119 -7196 -2295 3489 6314 -9784 -3976
資本金(当期末資金需給) -531 -2321 -8518 -21358 -12335 -12426 -10722 -4687 -3789 -6209
財務CF -16585 -33258 -32239 -45032 -39889 -30344 -20616 -3279 -18878 -25967
11 12 13
配当金計(当期末) 11900 13957 14400
社債(当期末資金需給) -2833 -1911 303
長期金融機関借入金(当期末資金需給) 1044 2702 3742
短期金融機関借入金(当期末資金需給) -2508 747 -2713
資本金(当期末資金需給) -6990 -3700 -4796
財務CF -23187 -16119 -17863





       

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