経済の現状

日本経済の現状について

全産業1980年~2013年



問題点は何か。


現代の日本経済の一番の問題は、1990年を境にして経済の連続性が断絶している事である。
それは、バブルの発生とバブル崩壊、そして、その時とられた政策が重大な影響を及ぼしていることは明らかである。
なにが、日本経済を断絶させてしまったのか。その原因を明らかにしない限り、日本経済の連続性を回復することはできない。

ニクソンショックから数えて半世紀近くたとうとしている。この半世紀の経済に決定的な影響を与えた事柄は何か。
それ、第一に、為替。第二に、石油価格。第三に金利。第四に地価である。

これらの要因がどのように経済に影響を及ぼしたのかを明らかにする為には、バブルの崩壊を境にして何が異常に変化したのか知る必要がある。

為替は、1971年のドルショックを契機として円高へと向かっている。
円高も一直線に進んだのではなく、何段階かに分かれて進行した。
90年代半ばまで大体50年おきに30%程度円高が進んだ。
特に、73年の第1次、78年の第2次、85年のプラザ合意を契機とした第3次、そして、93年2月から94年、95年にかけてた第4次円高というようにである。(「現代本経済史年表」 矢部洋三 代表編者 日本経済評論社)

オイルショックは、第一次オイルショック、第二次オイルショック以外に、91年の湾岸戦争、99年~リーマンショックまで高騰を続ける。そして、2010年から値を上げはじめ2015年に急落している。
世間では、原油価格の高騰ばかりに目を奪われがちだか、それと同じくらい、考えようによっては、逆オイルショックという現象も怖いのである。

戦後、地価の高騰は、2回あり、バブルを引き起こした地価の高騰は、71年から73年にかけての日本列島改造につぐ第二次地価高騰である。

何らかの経済現象の背後には、それを引き起こした原因がある。

では、バブル崩壊に何が変わったか。バブルは、2000年を頂点として崩壊してといる。
1990年を境にして顕著に変わったことは、第一に、有利子負債と地価の関係である。第二に、資金の調達源が外部から内部へと移ったことである。第三に金利の動向である。
そして、バブル崩壊の引き金を引いたのは、資産、特に、土地取引に対する規制の強化と金利の引き上げである。
もう一つ見落としてならないのは、収益に関連した部分の規制緩和である。

地価と有利子負債の関係



1990年を境にして、地価と有利子負債は、鰐が口を開けたような形になっている。
口を開いた幅だけ企業は、与信力を失い、担保不足が存在していると考えられる。



ちなみにこの様に鰐が口を開けたような構図は、バブル崩壊後いたるところで見られる。
例えば、金融機関の貸付金と預貯金の関係、財政の一般歳入と歳出などである。

バブル潰しのために、強硬に高金利政策を日銀がとり、その結果バブルが崩壊した。
しかし、バブルがいったん崩壊した後は、金利は下がり続け、実質ゼロ金利状態が10年以上も続くという、歴史的に見ても異常な状態が続いている。これも、否、これこそがバブル崩壊の後遺症だといえばいえない事もない。

有利子負債は、国民経済計算書では、借入金だけを指すわけではない。現金・預金も有利子負債として見られる。
全業種合計の有利子負債の総額が地価の下落に反して上昇している。しかし、借入金は横ばいである。伸びているのは、現金・預金と国債などの債権である。特に2000年代に入ると株式以外の証券の比率が急速に高まってくる。

 

注意してほしいのは、預金は、金融機関の借金、負債であり、株式以外の証券は、国債や交際を意味し、公的借金、負債だという点である。民間の負債が減って金融機関と公的機関の負債が増えているのである。

2016年2月16日、日本銀行は、実質ゼロ金利どころかマイナス金利が導入された。実質ゼロ金利とは、限りなく0%に近い政策金利のことをいう。
日本銀行がが1999年2月の金融政策決定会合で短期金利(無担保コールレート翌日物金利)を0.15%前後に誘導することを決定したことで、実質ゼロ金利は、翌2000年8月まで続いた。
また、2001年3月から2008年3月までの間、量的緩和政策による実質的なゼロ金利状態が続いた後、政策金利をおおむね0%に誘導するゼロ金利政策に移行したこともある。

バブルの崩壊に伴って民間企業の資金の調達源が外部資金から内部資金へと移ってきた。
それと合わせて、金融機関の預貸率は、急速に悪化をし、中小金融機関は、50%を切るまで至っている。その穴を埋める形で国債の比率が上昇している。そして、それだけ財政が悪化し、金融業界の再編が進み三大メガバンク体制が誕生した。
こうなると独占禁止法などどこ吹く風である。保険業界も、証券業界も、再編されつつある。石油業界も3つのグループに集約された。
また、金利の低下と合わさって企業の支払金利は、急速に低下した。企業の支払利息は金融機関の業務純益、すなわち、利益であるから、金融機関の収益は急速に悪化した。
これが金利に関してバブル崩壊後に際立って起こったことである。




バブル時には地価の上昇によって実需が消え失せてしまった。今回は、資産価値の大幅な下落によって資金が実物市場に流れなくなった。いずれにしても資産価値が一定の限界を超えて乱高下すると資金の出口をふさいで資金が実物市場に流れなくなってしまう。
問題点は、そこにある。

資金の流れは負債によって制御されている。



経済を実質的に動かしているのは、資金の働きである。
なぜ、バブルが起きたのか、それは円高によって費用が増加しているのに、本業での収益が思うように上がらなくなってきた。それで財テクがはやり、株や土地に資金が流れたことに起因する。地価の上昇によって収益以外の収入、即ち、負債が増大した。地価の上昇が頂点を極めると急速に地価が暴落し、地価を担保に調達されてきた資金が窄(すぼ)んだのである。

長期資金と売り上げの相関関係を見ると1960年~1999年までは、強い相関関係がみられる。
それが1991年~2013年を見てみると相関関係が失われ、逆相関関係さえ表れている。

全業種 1961年~1999年
売上原価 売上高 流動負債(一兆円) 固定負債(一兆円)
売上原価 1.00
売上高 1.00 1.00
流動負債(一兆円) 0.99 0.99 1.00
固定負債(一兆円) 0.95 0.95 0.97 1.00

1991年~2013年
売上原価 売上高 流動負債(一兆円) 固定負債(一兆円)
売上原価 1.00
売上高 0.99 1.00
流動負債(一兆円) -0.18 -0.26 1.00
固定負債(一兆円) -0.40 -0.42 0.36 1.00

売上と固定負債との関係を1960年~1999年の散布図と回帰直線に現すと1991年に壁に衝突したように折れ曲がっている。
1991年以降、売上が上がっても借入金は減っているのである。

1960年~1999年 散布図と回帰直線


1991から2013年までの散布図を見るとまるでループしているようにすら見える。売上が上昇している時に固定負債が減少し、収益が下がっている時に固定負債が増加しているという現象さえ起きている。

1991年~2013年


経済は歴史的現象である。


経済は、歴史的現象であり、一局面をとらえて普遍化できないし、また、個別に取り上げても真の原因は掴めない。

経済的事象は、連鎖的事象である。現時点の経済現象は、一つ前の時代に制約を受け、次の時代の前提となる。時間の制約だけでなく地理的な影響も受ける。経済は孤立した事象ではない。

一つ一つの時代には、それぞれの時代を性格づける出来事があり、その時代時代の特徴がある。

1950年代半ばから70年代前半を高度成長期、70年代半ばから80年代までを安定成長期、80年代以降をバブル崩壊後とすると平均実質成長率は、1960年代は、10.4%、70年代5.2%、80年代は4.4%、90年代1.5%、2000年代は、0.6%と段階的に低下してきている。




60年代に10.4%を記録した高度成長も70年代に入ると5.2%と急落する。
高度成長時代が終焉し現代経済の素地を作ったのが、70年代にあるとすると、その70年代の冒頭にあった出来事がニクソンショックである。つまり、ニクソンショックが今日の経済の根底にあると考えられる。

ニクソンショックの後、列島改造、そして、オイルショック、それに続く狂乱物価が、今の日本を方向づけたと言える。
実際高度成長の終焉が成長を前提とした経済体質を徐々に変えていったのである。
1965年に一年だけ発行された特例国債、いわゆる赤字国債も1975年に再発行されて以来1989年まで発行され続け1990年に臨時特性国債を除く赤字国債の発行はゼロになったのに1994年に再発行されるようになり今日にまで至っている。

高度成長が終焉し、低成長期に経済が入ると本業以外での収益を求めて事業の多角化が叫ばれた。プラザ合意後、その多角化もうまく軌道に乗らなくなると財テクがはやり、それがバブルの誘因ともなった。バブルが崩壊すると次は規制緩和の大合唱が起こり、財務体質の強化とフリーキャッシュフローの範囲内の投資が推奨されるようになる。
今になると本業以外の財テクに走った経営者は、馬鹿扱いだが、バブル華やかかりし頃は財テクをやらない経営者の方が馬鹿扱いだったのである。個々の企業の経営は、個々の企業の都合、思惑だけで決する事ではないという点だけは忘れてはならない。
企業経営は、時代背景を反映したものなのである。

注意しなければならないのは、個々の企業の経費削減や財務体質の強化が、一斉に行われれば、市場全体は縮小均衡へと向かうという事である。

そして、それは個々の企業の力ではどうにもならない力が働いているのである。

また、80年代は、行革と民営化の時代でもある。
規制緩和と民営化の流れは、80年代に準備され90年代に顕在化したともいえる。
ただ、それにしてもなぜ民営化をすべきなのか。また、公営と民営のどこが違うのかは明らかにされていない。
民営の方がサービスがいいとか、効率がいいというだけでなぜ、民営化にするとサービスが向上し、効率が良くなるのか、なぜ民営化をする必要があるのか、その点は明らかにされているとはいえない。

民営と公営の違いでまず気が付くのは、民営が期間損益に基づき公営は現金主義に基づいているという点である。


総所得、総生産、総支出


名目GDPと実質GDPの差を見ても2000年が我が国経済の重要な分岐点である事が見て取れる。
一体何が2000年に起こり、どの様な政策がとられたかを明らかにする必要がある。

2000年以降名目と実質GDPも鰐が口を開いたような状態になっている。

 

2000年に何が起こったかを検証する際、カギを握っているのがバブルである。80年代は、バブルが形成された時代、90年代は、バブルが崩壊した時代、2000年以降は、バブル崩壊後の世界と位置付ける事ができる。


一体バブルというのは何だったらだろう



一体バブルとは何だったのか。そういう思いに駆られている日本人は、多くいると思う。
バブル崩壊後、25年以上もたった2015年現在になってもバブルの後遺症に引きずられ、未だに日本経済は立ち直れずにいる。立ち直れないどころか長期低迷の底にあえいでいる。

東京23区の土地でアメリカ全土の土地が買えると言われ。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と煽てられて浮かれ、踊り狂っていたのは何だったのだろう。今、日本は、長引く不況の底に沈んでいる。

バブルという現象は、日本だけでなく、歴史的に見ても世界中で度々起こっていて、その都度、世界経済を激震させている。

日本は、20世紀の最後にバブルに見舞われ、四半世紀を経た今日でも立ち直れずに不況に苦しんでいる。

80年代50%前後だった欠損法人がバブル崩壊後は、急速に上昇し、2000年代に入ると70%を超えるようになってしまった。

バブルの背景には、為替の変動、地価や株式の高騰、赤字国債、公共投資、税政、金融政策、貿易摩擦、資本、会計、間接金融から直接金融へ、規制緩和等、いくつかの要素が複雑に絡み合っている。
だからこそ、バブルとは何だったのかを簡単に解き明かすことはできない。しかし、バブルの本性を見極めない限り日本経済の明日はない。

バブルが発生する過程、バブル華やかりしき頃、バブル崩壊後、それぞれの年代を区切ってバブルとは何だったのかを検証しないかぎり、真の日本の再建は出来ない。




国税庁

80年代50%を前後していた欠損法人が90年代には、70%まで上昇し、2000年以降は、70%近くを横ばいしていた。それがリーマンショックを切っ掛けにして70%を超えてしまった。

企業が欠損率や特別損失が急上昇し始めるのは、バブル崩壊後である。

    
国税庁

利益を平準化したいという誘惑



企業経営者は、なるべく利益を平準化したいという動機が働く。

利益を平準化しようとすること自体が悪い事をしているように非難する者を見掛けるが、利益を平準化しようとすること自体が悪いわけではない。ただ、利益を平準化したいという動機が高まって違法行為まで行うものが出てきたら問題になるのである。

利益を平準化するというのは、収入や支出を平準化したいという動機に基づいている。
支出は、確実にしたいのに、収入は外的環境によって不確かな事である。どうにかして収入を安定したい。そう考えること自体、悪い事ではない。第一、収入が一定しないと計画的な生活をおくる事ができないのである。
計画的な生活をしたいという事の裏には、計画的な支出をしたいという動機が隠されている。計画的な支出をしたいという思いは、予測可能な生活したいという思いが元にあるのである。
一寸先が闇では安心して生活ができないのである。

もう一つ重要な動機は、安心して金を貸し借りする事ができない事にある。将来の収入を約束する事ができないからである。
近代社会は、借金を基にして成り立っている。借金とは、将来の収入を担保することで成立する。
市場取引では、表面に現れた金銭取引の裏には貸し借りが存在している。この点を理解しないと利益を平準化、ひいては、現金収支を平準化したいという動機は理解できない。

なぜ、利益を平準化しようという動機が働くのか、第一に、資金の流出を防ぎたいと思うからである。もう一つは、不測の事態に備えたいという事である。三つめは、収益、収入が流動的なのに対して、費用、支出は、固定的だからである。また、収益や収入が不確かなに対して、費用や支出は確定的だからである。特に、借入金に対する支出は待ったなしである。
だから、確かで固定的な費用、支出の動きに不確かで変動的な収益や収入を合わせたいとも経営者は考える。
更に、企業が継続を前提とし、事業や設備にはライフサイクルがあり、好不調は、一定の周期がある。事業や設備のライフサイクルに備えたいからである。
儲かった時は、利益を何らかの資源に置き換え、損が出た時に、過去に蓄積した資源を生かす。設備は一定期間たつと劣化し、あるいは、陳腐化する。劣化したり、陳腐化した設備の更新のための資金を蓄えておきたい。
人も人生がある。家を建てるにせよ、子を育てるにせよ、借金をするにせよ、所得に基づいて生計を立てている者は、安定した収入を求めるのである。そのために、人件費は下方硬直的になる。好不況や企業業績に合わせて人件費を変動する事は難しいのである。
これらの内的、外的要因によって経営者は利益を平準化したいという強い動機を持つのである。

利益を平準化しようとすると、収益がいい時に資産を買って、収益が悪化した時に、含み益を吐き出そうとする。それらは特別損益上に現れる。故に、特別損益を調べると過去の痕跡が見えてくる。

    
法人企業統計      財務省


一時的に資金が必要となる時、また、含み損を清算する場合、収益が不足した場合などの処理は特別損益に現れる。
会計というのは、収益、利益を平準化する事で費用や負債を安定させるためにあると言える。すなわち、企業というのは、不安定な収入を整流する装置なのである。


バブルというのはいつ頃なのか


出来事を検証するためには、検証しようとしている出来事を定義する必要がある。
この場合の定義は要件定義でなければならない。

先ず、出来事には、期間があり、その期間を特定するためには、起点、頂点、終点を定義する必要がある。
そして、出来事の特徴や性格を定義することで、出来事を識別する必要がある。
バブルは、頂点を境にして前半をバブルの生成発展期と後半をバブル崩壊期と区分する事ができる。

バブルを性格づけるのは、資産価値の異常な上昇である。
故に、資産価値動向をみるとバブルの頂点を特定する事は比較的容易であるが、起点と終点をどこにするかは、バブルというものをどのようにとらえるかによって違ってくる。

バブル・バブルというけれど、一体、いつ頃を指してバブル経済というのであろうか。

1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間を、景気動向指数(CI)上は、バブル景気を指していると考えられている。

一般にバブルの頂点は、株式でいえば、日経平均株価については、1989年12月29日の大納会に終値の最高値38,915円87銭をつけたのをピークとし、地価は、大都市圏では、1991年秋口から、地方では1992年頃にピークをつけたとみられている。

1989年5月から1年3カ月の間に5回の利上げが実施され、2.5%だった公定歩合は6%台まで引き上げられ。マネーサプライの増加率は、1990年には11.7%、1901年には3.6%、1992年には0.6%となっている。

政府と日銀は、日銀の公定歩合の急激な引き上げに続き、不動産の総量規制、地価税の創設、固定資産税の課税強化、土地取引きの届け出制、特別土地保有税の見直し、譲渡所得の課税強化、土地取得金利分の損益通算繰り入れを認めないなどの対策を打ち出しバブル潰しに奔走することになる。

1986年に始まったバブル景気は、その結果、1989年の大納会を境にバブルは終焉したと考えられる。


バブルの何が問題なのか。


バブル崩壊後、二十年以上にもわたり国民総所得は、五百兆円前後を横ばいしている。要するに、二十年以上も日本の所得は増加していない事になる。
総所得の実体は、付加価値である。つまり、付加価値が全く増加していない状態が続いているのである。
付加価値を増やさない限り総所得は上昇しないのである。

ここで注意しなければならないのは、付加価値とは基本的に何を意味するのかである。
所得の増加は、付加価値の発生による。付加価値は、構成する要素は、金利、地価、人件費、減価償却費、利益である。すなわち付加価値の実体は時間価値であり。付加価値を生み出しているのは、投資と費用と利益である。

付加価値の代表的なものは金利である。金利は、バブル崩壊後低下し続け、ゼロ金利、マイナス金利にまで至っている。この事は、所得が伸び悩んでいる原因を暗示している。
金利がゼロというのは何を意味しているのか。少し利益を載せて資金を右から左に流すだけである程度、儲ける事が出来てしまうのである。これでは付加価値が成立する余地がなくなってしまう。
付加価値の本質は時間価値である。時間が価値を生み出す事で付加価値は発生していると言える。ゼロ金利では、付加価値は形成されないのである。

ゼロ金利が意味するところは何か。金利がゼロという事は、時間価値がゼロという事を意味すると同時に、付加価値が限りなくゼロに近づいている事も意味する。それは、利益率にも影響を及ぼす事になる。

金利があれば、金利を上回る付加価値を生み出そうという動機が生じる。しかし、金利が限りなゼロに近ければ、リスクなしでも「お金」を右から左に流すだけで利益が生じるのである。これでは付加価値は増えない。付加価値が増えなければ、結果的に総所得も増えないのである。

なぜ、このような、事態に陥ってしまったのか。
バブルの発生した原因とバブル潰しに取った施策が深くかかわっている。

総所得が増えないなぞを明らかにする必要がある。
そのためには、付加価値がなぜ増えないのか。それを解明する必要がある。
なぜ付加価値は増えないのか。
考えうる原因の一つが資産価値の下落、特に地価の下落がある。
もう一つは、収益力の低下である。

円高不況を前提として考える



大前提は、円高不況である。円高は、本業の競争力を奪い収益力の低下させた。それによる低金利政策が長引き、バブルの形成を促した。バブルが明らかになると一転してバブル潰しに走り、高金利政策、土地に対する貸出規制を行った。

バブル崩壊は、高金利、土地取引の規制によって資産価値が一気に下落し、含み益を担保にして資金調達をしていた民間企業や個人を直撃した。
地価の下落は、含み損の発生させるまで至っている。2016年の現時点でも地価の上昇は抑制されている。

強引な不良資産処理が資産価値を急速に低下させ企業の資金調達力を低下させたのである。
規制強化と規制緩和、貸出規制の強化、土地取引の規制強化がもたらしたのは、資産価値の低下である。その結果、地価の実勢価格と簿価との乖離し、担保力の低下した事で外部からの資金調達が困難になった点がある。
金融機関に対する自己資本規制や土地に対する貸出規制、行政の監視強化は、金融機関の貸し出しを抑制し、民間企業の外部からの資金調達をさらに困難にした。投資は著しく抑制された。この状態は、二十年を過ぎた今日まで続いている。
外部からの資金調達ができなくなった見返りに、内部から資金を調達せざるを得なくなった。この傾向は、2000年を境に顕著となる。
そして、内部資金調達の原資は、第一に、収益の拡大。第二に、経費の削減、、第三に、減価償却費であるそして、第四に、資産の取り崩しである。

ところが、バブル崩壊後、企業の経営に追い打ちをかけたのが円高である。
収益という観点からすると円高による海外での競争力の低下、規制緩和による過当競争で収益力の低下が収益の拡大を阻んだ。
円高は、相対的に海外に対して人件費の上昇を意味する事を忘れてはならない。

経費削減、特に、人件費の削減がされた。それによって個人所得は抑制された。

地価の低位横ばいによって企業の外部資金調達が抑制された。
企業の投資が抑制された結果、金融機関の預貸率が低下した。金融機関は、預貸率の低下を国債によって補っている。

長引き不況によって企業の投資を抑制し、経費の削減に走った。経費の削減は、企業や個人の所得を低下させ、さらに、不況を深化させた。

これらの要素が総所得を横ばい状態に落ち込ませているのであり、公共投資を増やしたり、金利を下げても根本的構造を変えない限り、総所得の増加には結びつかない。やみくもに資金の供給量だけを増やせば、むしろ、財政の破たんや金融機関の国債への依存度を深めるだけで、民間投資の増加には結びつかない。

バブル形成からバブル崩壊に至るまでの施策は何を目的として取られたのかよくわからない。





三つの時代に分けて考えてみる。



現在の日本経済の状況を明らかにするためには、バブル景気の影響を無視することはできない。

日本経済の現状を知るためには、バブルがなぜ発生したか、そして、バブルはなぜはじけたのか。そして、バブル崩壊後なぜ日本経済は、低迷を続けているのかを明らかにする必要がある。

バブルが、1990年をピークに崩壊している事を前提とするならば、その前後の10年間に何が起こったのかを明らかにする必要がある。

1980年~1990年、1990年から2000年、2000年~2010年と区切ってそれぞれの時代を見てみるとバブルが発生し、崩壊するまでの軌跡が浮き上がってくる。

1971年ニクソンショック、79年第二次オイルショック、90年バブル崩壊、99年同時多発テロと戦後経済を振り返ってみると、経済は、10年おきに何らかの大きな節目を迎えているように思える。
それ故に、70年代、80年代、90年代という区分が成立するのだろう。

そして、70年代、80年代とそれぞれの年代を詳細に見てみると、それぞれの時代には、それぞれの時代を決定づける幾つかのイベント、要因がある事が解る。


    


例えば、名目的国民総生産は、80年初頭は250兆円前後から始まり、80年代は右肩あかせりを維持したことが見て取れる。それが90年代に入ると450兆円から500兆円にかけて徐々に減速し、終盤は、横ばい状態になる。2000年代は、500兆円前後でほぼ横ばい状態が続いた。それが10年代にかけて一段下げ、13年にかけてそのまま横ばい状態に陥ている。

この様に、名目的総生産は、10年を周期に一定の傾向を見せている。
この様な傾向の背後に何が潜んでいる、どの様なメカニズムが働いているのか、それを解明していくのである。

全体の流れを通して見てみる。



全体の流れを見てみるとバブルの影響が長期に亘って色濃く影を落としている事が見て取れる。もう一点、リーマンショックが想像以上に経済に影響を与えているのが解る。その他には、ニクソンショックやオイルショック等の影響が考えられる。
いずれにしても、石油価格と為替の変動が経済の変動には、重要な役割を果たしている事は明らかである。
これらの要因は、それまでの経済の状況や有り様を根底から変えてしまっている。
ただ、バブルにせよ、リーマンショックにせよその事象だけで起こっているのではない事が見て取れる。
つまり、バブルにせよ、リーマンショックにせよ個別、或いは、一過性の事象ではなく。
いろいろな要素が複雑に絡み合って発生しているのである。

バブルやリーマンショックはどのような構造によって引き起こされたのか。
また、バブルやリーマンショックの背後でお金の流れはどのような動きをしたのか。
また、期間損益上、どの様な動きがあったのか。
為替や原油価格の動向がどこに、どの勘定科目に、また、キャッシュフローのどこに、どのように連動したのか。
それらを項目を追って見ていきたとい思う。

バブルやリーマンショックが発生した背景を浮き上がらせる事が真の実体を理解し、対策を立てる上で欠かせない事柄なのである。

資産合計(総資産)と売上高の相関関係を見てみると、1990年を境に大きく変質しているのが読み取れる。1990年は、バブルが崩壊した年である。

総資産と売上の関係は、1961年~2013年を通期で見ると強い相関関係が見て取れる。

1961~2013


1961年から1989年までを見ても強い相関関係がみられる。

1961~1989


90年代に入ると相関関係は急速に失われていく。21世紀になると規則性すら認められなくなる。

1990~1999


2000年から2002年までは総資産も売り上げも共に下げて、反転して2003年~2006年まで共に上昇に転じている。上げ下げは別にして総資産・売り上げが同じ動きをしている。
2009年にリーマンショックが起こり総資産が売り上げを上回り総資産回転率が1回転を切った。リーマンショックによって売上高は減少したのに、総資産は、増加し続けたからである。

2000~2013



何が経済変動を引き起こしているのか



明らかにしなければならないのは、何が直接的原因、引き金となって、経済変動を引き起こしたのか。そして、経済変動を引き起こした要因が、何に対して、どの様な影響を及ぼしたのか。次に、その時、どの様な施策、対策が実行されたか。その結果、どの様な状況の変化が生じたのか。変化が起こる以前と、変化の後でどの様な構造的な変化が起こったかである。
個別の対象や事象だけ見ていたら、全体が見えなくなる。また、経済の変化以上にその時とられた施策、対策の影響が及ぼす影響の方が重大である場合が多い。硬直的で教条的な考えに囚われて、変動の要因に対する客観的な判断を欠くと変化を引き起こした要因以上にその時施行した施策が重大な影響を及ぼす事が往々にしてある。病気が原因でなく、医師の誤診が原因で病状を悪化させ、死に至る事もあるのである。
赤字とか、産業の再編というのは、個別企業の問題以上にその企業が所属する産業全体の地殻変動、構造的変化に起因している場合が多い。そして、その多くは、個々の企業の独自の対応だけでは克服できない事柄なのである。
企業倒産でも、市場の状況、例えば成長拡大している市場と成熟期にある市場では、様相が百八十度違う。拡大成長段階にある市場での倒産は、拡大均衡下での倒産である。それに対して、成熟期の市場における倒産は、縮小均衡下での倒産である。前提が先ず違うのである。
一見、個々の企業の存亡、再編のように見えるが実際は、生活水準の変化や雇用、価値観、人口等の社会的変化が潜んでいる場合が多い。そして、それは人々の人生に深く関わっているのである。
歴史を見ないと経済の本質は理解できない。戦争の真の原因は経済的要因である。

石油価格の動向や為替の変動、金利の動向、その時々の金融政策などが、個々の産業や企業にどの様な影響を与えたのかを検証する必要がある。

特に、注目しなければならないのは、お金が流れる経路である。

個々の産業や個々の企業を分析した時に、多くの場合、指摘されるのが過当競争による収益の悪化である。
あらゆる産業で収益の悪化や利益率の低下が見られるというのに、個別の企業の経営責任にばかり帰した所で問題の解決にはならない。また、特定の企業の収益だけが上がったからと言って他の企業の経営努力不足を責めてばかりいてもはじまらない。問題は、国民が経済に何を期待しているかである。不当な行為によって利益を上げている企業を手本にしろというのは、不当な行為を正当化する事である。
過当競争による収益の悪化が、経済不振の原因だというのに、更に競争を促すために規制を緩和しろという論法を私は理解できない。過当競争が原因だというのならば、競争を抑制する施策をとるべきであり、その為の規制緩和なら意味がわかる。規制の中には、無意味な競争を促す規制もあるからである。

経済の目的は利益を上げる事にあるわけではなく。人を生かす事である。人を生かすために、利益を上げる必要があると言うだけである。
人はパンのために生きているのではない。生きる為にパンを必要としているのである。


経済の実体は、実物にある。


経済の根拠となる数値には、三種類ある。
一つが、「お金」を表す数値である。もう一つは、「物」の量を現す数値である。そして、「人」を表す数値である。

「お金」を表す数値は自然数であり、上に開いている、すなわち、無限である。
物の量を現す数値は実数であり、閉じている。すなわち有限である。
人は、自然数であり、閉じている。

貨幣価値は、「お金」の単位と物の単位の積として表される。

実際の経済の実体は、実物にある事を忘れてはならない。
故に、経済の実体を知る上では、物の動きを解明する必要がある。

バブルで地価が上昇したからと言って土地が増えたわけではない。
ただ、地価が上昇したことによって実需が影響を受けたことは事実である。
経済の実体の裏付けをとるためには、着工件数はどうだったか、販売戸数の推移等を調べる必要がある。

「お金」でいう「収入」と「支出」と「貯蓄」は、物では、「生産」と「消費」と「在庫」である。
人は、「生産人口」、「労働人口」、「失業者」である。
故に、実際の経済は、生産量と消費量、在庫量が重要となる。
また、生産の根拠としては生産力、消費の根拠としては、人口等が基数となる。

この「お金」と物との関係から需要と供給は決まる。

生産力は、設備の量と操業度によって導き出される。

物には物固有の性格がある。例えば石油は、装置産業であり、連産品だという性格を持つし、食料の多くは、生鮮品であり、短いサイクルで消費される。また、消耗品、耐久品、必需品、贅沢品、無形、有形といったそのものが固有に持つ性格がある。

また、物の量は有限であるから、占有率が重要となる。
基本的には、経済の仕組みは、分配を目的とした仕組みなのである。

これらの物の性格が人の性格と合わさって経済の実体を構成する事となる。


バブル崩壊の背景にあるもの



プラザ合意がバブル経済の引き金原因だとしても売り上げや売上原価の数字だけ見ているとプラザ合意前後の傾向には大きな差があるわけではない。
明確なのは、バブル崩壊後売上高も売上原価も横ばい状態に陥ったという点にある。
この様な変化は、経済成長率を見ると如実に表れている。

 

売上高、売上原価を見ていると大きな変化は窺い知る事がなかなか出来ないが経済成長率には、如実に表れいている。
成長率は、80年代は波打っている。90年代に入ると急速に低下をしはじめ、21世紀になる定位に横ばいしている。また、2008年のリーマンショック時にには、マイナスにまで落ち込んでいる。



営業利益や経常利益だけを見ていても収益力の変化はなかなか読み取れない。
しかし、視点を変えて資産と利益との関係を見てみると、収益力の低下が見て取れ。

注意しなければならないのは、利益率が低下しているという点と総資本利益率と売上高利益率が接近しているという事である。
これは、総資本と売上高が接近している事を意味する。つまり、投入した資産をうまく活用できずに売り上げが伸び悩んでいるのである
言い換えるとそれだけ企業の収益力が低下してきているのであり、資産の回転率が悪くなっている、資産効率の低下している事を意味している

営業利益、経常利益とも85年~86年にかけて横ばいし、低下しかけていたが、86年の後半から急速に回復しバブル景気に突入していっている。

 

プラザ合意が原因でバブルが起こったように見えるが、むしろ、オイルショック、それよりもっと遡ってニクソンショックに端を発していると考えた方が良いのかもしれない。つまり、高度成長期が終焉し、ひたすらに前に向かって走って行けば儲かると言った時だが終わり。本業の収益が思うようにあげられなくなった時に、プラザ合意による円高不況が襲ったと考えるべきなのである。つまり、バブル発生の種は、ニクソンショックの時点で蒔かれていたのである。

経済の成長率は、ニクソンショック、第一次オイルショック、第二次オイルショック、円高不況、バブルの発生と、崩壊、リーマンショックと衝撃を受ける度に、低下し、それにつれて市場も産業も荒廃してきた。また、経済的な出来事は、その都度、政争の具に使われ、経済の衰退を加速してきたのである。

円安から円高、円高から円安、円安から円高に大きく振れる度に円安に弱い産業、円高に弱い産業がその時々の状況によって淘汰され、結局、円高に強い産業も円安に強い産業も共に衰退してしまった。

政治は、経済的な出来事によって起こる衝撃を弱め、産業をある程度保護する施策をとる必要がある。
産業構造は一律一様ではないのである。

ニクソンショック、オイルショック以後日本の企業は、本業では収益が上げられない状況にあるというのは、変わっていないのである。
この点にメスを入れないかぎり、日本経済は回復できない。



バブル発生の背景



高度成長期に10%以上あった成長率が70年代には、5%代に、80年代には、4%代に、90年代には、1%代、2000年以降は、1%も切って、更にマイナスへと落ち込んでしまった。本業では利益が上げられない。それが前提で本業以外、手っ取り早く言えば株や土地の投機で利益を上げようと財テクに走ったのである。本業ですら利益が上げられない中で財テクをした所で上手くいくはずがない。山一証券が破綻した後、開示された資料では、飛ばしのような違法行為が横行していたとある。兎に角、最大の問題は収益力の低下である。
高度成長期のようなやり方では、思ったような収益が上げられなくなってきたのである。だからといって馬鹿の一つ覚えに、規制緩和、競争、均整緩和、競争でもあるまい。
成長率の低下は、バブル期も衰えていない。一見好景気に見えるバブル期も実際には、本業では利益が上げられない状態だったのである。企業が間接金融から、直接金融に転換しはじめ、貸し先に金融機関は苦慮していた最中に全般的に収益が悪化した事で金融機関は、不動産業に目を付ける事となる。この様な悪条件が重なった事からバブルは発せいした。

華々しいバブルの陰で日本経済の本業の収益力の低下は、確実に進んでいたのである。今日の日本の状況は、バブルの後遺症はあるが、それ以上に日本経済の根本的な問題が隠されている。表面に現れる現象だけでなく、その土台にあって表面に現れる現象を引き起こしている仕組み、構造を明かにしない限り、抜本的解決はできないのである。
根本は、日本経済は本業で利益を上げられなくなったという点である。そして、多くの企業が財テクに走った。財テクが出来ない経営者は、無能のレッテルさえ貼られた。
それに追い打ちをかけ方のが相続税対策である。都心の一等地に家を構えている者は、高額の相続税がかかる。ある意味で貧乏人の資産家が沢山輩出したのである。その結果がバブルである。そして、バブル後に生じたのが空き地である。

重要な事は、高度成長時代が終わり、経済が成熟してきたという事である。経済が成熟したという事は、量の経済から質の経済へと転換すべきだったのである。
大量生産、大量販売、大量消費、使い捨てから、多品種少量生産、高級、高価、高品質、機械から手作り、既製品から受注品へと転換する事によって量から質へと転換することで労働の質も上げ、付加価値を高めるような経済体制への転換を促すべきだったのである。いい品を大切に使い込む。
量から質への転換点をしなければならない時に、規制を緩和し、競争を激化し、安売りを奨励したためにまた、安価で大量、使い捨て中心の経済に後戻りしてしまったのである。しかし、高度成長時代とは根本が違う。経済は成熟し、市場は飽和状態なのである。結果的に市場は縮小均衡型へと転換してしまった。

戦後の経済は、焼け跡から始まった。多くの人は、住む家もなく、とりあえず雨露を防げればいいとバラックを建て、住宅難を解消する目的で公団住宅といった大量生産型住宅が普及した。高度成長期には木材資源が逼迫した事で品質のいい木造住宅が減少し、モルタルや合板の家が増え。多くの大工や職人によって支えられていた伝統的工法が廃れ、粗製乱造の家が増えて腕のいい職人が減少した。
70年代にプレハブ住宅が普及し、鉄骨、鉄筋コンクリートの家が増加する一方で伝統的工法はますます廃れていくことになる。
バブル期には、土地や建物は投機の対象となり、見た目は豪華だが生活感のない家が建てられた。
家の建て方は合理化された半面、腕のいい職人の育たなくなり、欠陥住宅やシックハウスが社会問題にもなっているのである。
少子高齢化が叫ばれる今日、空き室が増える一方で金余り現象によるアパート、マンションブームが起こっている。その一方でホームレスや独居老人の孤独死などが話題になる。バブルの時に立てた内は売るに売れず、相続する人もいないで荒れ果てていると言われる。
我々は何のために家を建てるのか。金のために家を建てるわけではない。よりよい人生を送るためである。それなのに今は金でしか家の問題は片づけられない。
新築、新製品ではなく、一生使えるもの。孫子の代まで残せる家を建て、手入れをして磨き込んでいく。それが我々の父祖が教え伝えてきた事だったはずである。父祖が残してくれた形見を大切にして孫子に伝えていく。
今、我々が宝物として大切にしている物は、自分たちの先祖が長い年月をかけて代々伝え残してくれてきた遺産である。
住宅政策は、都市計画に基づいて長い年月をかけて築き上げていくものである。のヨーロッパ歴史ある年は、何百年もの風雪に耐えて今日まで住環境を守ってきた。日本は戦後、何の規制も受けずに、自分勝手に住宅を建ててきた。一軒一軒の家のデザインは斬新でも全体としてチグハグでまとまりのない街にしてしまった。
阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など災害が起こるたびに、日本の住環境のもろさも露呈してきた。ただ景気対策としてのみ公共投資をしてきたつけが回ってきたのである。
確かに、バブル形成と崩壊のきっかけになったのは、オイルショックやプラザ合意のようなことかもしれないが、それは根源的な原因とは言い切れない。バブルを形成し、崩壊させる真の原因は、経済が成長期から成熟期に移行する過程で成熟した経済に適合する仕組みを構築できなかったことによるのだ。
結局、バブルを生み出したのは、経済が本来の目的を見失い。ただ、目先の利益のみを追い求めるようになったことなのである。

どんな街にしたいのか、どんな家族にしたいのか、どんな一生を送りたいのか。それを忘れたら、本当に価値ある物など見いだせないし、本当に欲しい家など建てられないのである。

収益構造


収益は、所得の源泉である。
総所得は、収益の動向によって変化する。
故に、総所得の動向を解析するためには、何によって収益が変動したかを解明する必要がある。

収益は、売り上げである。
売り上げは、数量と単価の積である。
すなわち、売上は、数量要因と貨幣要因からなる。

すなわち、収益の変動は、数量要因と貨幣要因のいずれか、あるいは、双方から引き起こされる。
市場の規模は、数量が一定ならば単価によって、単価が一定ならば数量によって測られる。
市場の拡大は、主として数量要因によって促進される。
単価は、需要と供給の関係から導き出される。

収益の資金源は、可処分所得である。


企業法人統計

生産労働の推移と総所得の推移の関連性を正しく理解する事が、所得の働きを理解する上では不可欠である。
経済成長というが何をもって経済成長というのか。単に総所得の拡大だけが成長を意味しているわけではない。
大切なのは、所得の質であり、量であり、密度である。質と量と密度は、一人ひとりの所得の量であり、質であり、密度を無視しては成り立たない。しかも、所得は相対的なものである。
故に、何に対してどれくらいの価値を持っているか抜きに所得の質は語れない。

例えば、快適で交通の便がいい家を求めるのか、単に高価な家を是とするのかである。高価だから美味しいのか、新鮮なものだから美味しいのか、愛する人が作った手料理だから美味しいのか。今は、ただ価格だけででしか味の評価ができないように思える。それで、真の味を理解していると言えるのであろうか。

経済を考えるうえで、生産量だけを問題にすべきなのではない。何を我々は必要としているのか。生産性よりも必要性の方がより経済にとって重要なのである。

所得の質は、労働の質を反映したものである。労働の質は、人口構成が重要なカギを握っている。


(出典)総務省「国勢調査」及び「人口推計」、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来
推計人口(平成24年1月推計):出生中位・死亡中位推計」(各年10月1日現在人口)、
厚生労働省「人口動態統計」

総人口の頂点は、2010年、1億2千800万人だが、生産労働人口の頂点は、それよりも早い1995年に8700万人で頂点に達している。これは、バブル崩壊後の直後である。国民総所得も横ばい状態に陥っていった。総所得と生産労働人口が横ばいになったことは、まったく無縁ではないと考えられる。

95年は、また、「規制緩和推進計画」によって11分野1000項目にわたる規制が緩和された年でもある。

費用構造



費用構造で顕著なのは、支払利息がバブルを頂点にして急速に下がったという点である。
この点は、経済の本質が変わったことを意味している。
一番重要なのは、負債と実質的資産価値が乖離してしまった事である。それは名目と実質のかい離を意味している。

一般管理は、バブル崩壊まで右肩上がりに上昇し、バブル崩壊後、横ばい状態に陥る。

 

雇用者報酬が96年を頂点にして低下し始め、それに合わせるように家計から企業へと所得配分が重点を移している。
では、企業は、利益を貯め込んでいるのか。上辺だけを見ている学者や評論家の中には、時折、有力な政治家まで、民間企業は利益を貯め込んでいるのだから、それを他に回せなどと発言している人もいるが、民間企業は無意味に利益を蓄積しているわけではない。利益を貯め込んでいるように見えるかもしれないが、利益など貯め込めはしないのである。
大体、企業は、利益を貯め込んでも、消費や投資に回さなければ何の意味もないのである。企業は、利益を貯め込んでいるのではなく、過去の債務を返済するために余剰の所得を回しているのである。そのために、総所得は増えないのである。
つまり、資金は、過去の投資を清算されるために使われ、将来の生産のためには使われていないのである。
法人とは言うけれど、企業と個人とは本質が違うのである。

 
国民経済計算書 内閣府

減価償却費は過去の投資の後始末みたい事である。
しかも、減価償却費は名目的費用であり、固定費である。
ただ、ここに裏がある。減価償却費の処理は、絶対的な事ではない。任意な事である。計算方法も1つではない。
計上しなくても、変更する事も可能なのである。利益操作の最たることである。
なぜならば、減価償却費はキャッシュの裏付けがない事になっている。
しかし、実際は、投資時点で支出がある。ただ、その支出を借入金や出資によって補っているのである。
ところがその借入金の支出が正式には計上されないのである。
つまり、減価償却費というのは、本来借入金の返済に充てられるべき部分なのである。
だから、簡易な長期資金の返済力は、減価償却費と税引き後利益の和で長期借入金の残高を割った値によって測られるのである。
この点を注意しながら減価償却費の推移は検討しなければならない。
適正な減価償却費の処理がなされていなければ、総資産に影響が出るし、負債の残高も膨らむ。利益にも歪が出るのである。
減価償却費というのは、現金収支を平準化するために考案されたのである。
現金収支を平準化する事で、資産と負債の均衡を長期間にわたって保つ事が可能となるのである。

減価償却費は、1990年バブルが崩壊すると横ばい状態に陥る。減価償却費は、内部金融と言われる。つまり、減価償却費は支出を伴っていない費用とみなされるから、その分、外部資金の調達をしなくてもいいと考えられているからである。しかし、見落としてはならないのは、その裏側で、長期借入金の元本の返済に充てられているのである。



利益構造


利益とは何か。利益は何の目的によって計算されるのか。その点を正しく理解していないと、利益の果たす働きを評価する事はできない。
ところが、ただひたすら利益を目的にして追及している経営者が後を断たない。そういう経営者は、重大な局面において致命的な間違いを犯す。利益だけを追求しても経営の真の目的を実現する事はできない。

利益を計算する方程式や前提条件、背景、仕組みにこそ利益の本質が隠されている。
なぜ、利益を計算する必要があるのか。

利益の根本は、費用対効果を表す事である。
つまり、収益と費用との関係から利益は導き出される。
この点は、収益とは何か、費用とは何か、収益と収入、費用と支出はどこが違うのかがかかわってくる。
現金残高だけでは、お金の働きが見えてこないからこそ収益と費用、利益の関係が、人為的に設定されたのである。
それが、利益は意見と言われる由来である。

利益を計算する方程式には、二つある。一つは、損益から計算する仕方。もう一つは、貸借から計算する仕方である。
いずれもそれなりの目的がある。どちらが正しくて、どちらが間違っているかが問題なのではない。なぜ、そのような二つの計算の仕方があるのか。それぞれは何を目的としているかが重要なのである。

利益は、2004年を境にして営業利益と経常利益が逆転している。それだけ支払利息が削減され、むしろ、金融損益がプラスに転じたことを意味する。

利益は、直接支出に結び付いているわけではない。なぜならば、収益にも、費用にも現金収支を直接反映した数値だとは限らないからである。
現金主義が現金の授受を前提としているのに対して期間損益は、基本的に発生主義であり、実現主義である。

現金売り上げがどれくらい占めているか



現金売上が売上全体のどの部分に働いているのか、現金支出が費用のどの部分に働いているのかをまず解明しておく必要がある。

費用は、付加価値でもある。
付加価値は費用でもある。

付加価値とは、経済主体が新たに生み出し、すなわち、付加した価値である。
この付加価値が経済活動の基礎となる。つまり、一般に、経済活動というのは、いかに新たな価値を本来の価値に付け加えたか、付加したかによって測られると考えるからである。

1990年バブル崩壊後、まったくと言って付加価値は、減りもしなければ、増えてもいない。
これが経済が停滞している主たる原因である。

実際に使用される付加価値の考え方には二種類ある。一つは、減価償却費を含むもので粗付加価値という。もう一つは、減価償却費を含まないものいい。減価償却費を含まないものを純付加価値という。
なぜ減価償却費が問題になるのかというと、減価償却費は、本来、他企業から購入した固定資産の減価分を費用計上した値であり。固定資産は他企業が生み出した価値であるために、その減価償却費も材料費と同じように付加価値には含めない方が付加価値の考え方を正確に反映していると考えられるからである。ただ、粗付加価値を使っている他企業と比較する上で都合がいいので、実務上は粗付加価値が使用され場合が多い。
もう一つ重要なのは、減価償却費というのは、現実の取引に基づいて導き出された値ではないという点である。つまり、費用そのものに現金の裏付けがない。帳簿上の費用だという点である。
この事は、期間損益と現金収支をかい離させる原因となる。

それ故に、実際的な支出と結びつけて考える際は、減価償却費は、清算する必要がある。
法人企業統計も純付加価値の立場をとっている。
ただ、減価償却費は、過去の設備投資と費用、利益とを結びつけて考える上では避けて通れない。
現在の利益の考え方の基礎を構成する重要な概念の一つであることに間違いはない。

 
企業法人統計

一人当たりの付加価値を見るとよりはっきりとした傾向が見て取れる。2000年に入って多少波があるように見えるが、一人当たりの付加価値を見るとバブル崩壊後、まったく付加価値が生み出せないでいる事がわかる。


法人企業統計

営業純益は、営業利益から支払利息等を引いた値である。
営業純益は、1975年6000億円ほどマイナスしている。それは、営業利益を支払利息が6000億円上回ったからである。
70年代は、営業利益に相当する支払利息が発生していたことになる。
支払利息は、金融機関の収益源である。その支払利息が1990年をピークにして大幅に下がり続けている。それは、営業純益の改善に結びついている半面、金融機関の収益を圧迫する要因である事を見落としてはならない。

また、支払利息が減った分、営業純益が上昇する。営業純益の上昇は、内部資金になって借入金の返済の原資となる。それは、金融機関の貸付金を減らす事にもなり、預貸率を悪化させる要因となる。

バブル崩壊後、金融業界の再編が進み、1989年末、都市銀行13行、信託銀行7行、長期信用銀行3行、地方銀行64行、第二地方銀行、68行あったのが、2015年3月末には、都市銀行4行、信託銀行3行、旧長期信用銀行2行、地方銀行64行、第二地方銀行41行までに集約された。


法人企業統計


支払利息が減少しただけ営業純益が上昇している。金融が金融としての働きが難しくなっている。

付加価値で重要なのは配分である。
つまりは、何によって新たな価値が付加されたかが肝心なのである。

貸借構造

総資産に占める純資産、固定負債、流動負債の比率を見ると1998年頃から純資産の割合が上昇し、財務体質が強化されているように一見見える。
ROE、ROAを重視する経営を近年求められるようになってきたが、円高不況、バブル崩壊と不況になると簡単に利益を確保することが相対的に難しくなってきた。また、規制緩和によって過当競争になり、収益を確保することが難しくなった。
この様な状況下で手っ取り早くROAをよくするには、、総資産を圧縮することである。総資産を圧縮するための手段としては、借入金を減らす事である。借入金を減らすためには、新規投資を控え、経費を削減する事である。そこで、経費を削減し利益を確保する一方で、極力新規投資を控えて借入金を増やさず、総資産利益率を高めようとする傾向が強くなった。
80年から2000年にかけて流動資産や流動負債の比率が低下し、逆に固定資産、固定負債の増加につながっているのがわかる。
故に、単純に財務内容が好転したという事を意味しているわけではない。
問題は、総資産を圧縮するのは良いとしても総資産を圧縮することで将来への投資がなされたかどうか、資産内容が事業を継続していくうえで適切であるか否かである。
将来への投資とは、何に対してどのような意思で投資がなされたかが重要なのである。

 

縮小均衡なのか、拡大均衡なのかは、単純に資産の構成を見るだけでは分からない。資産合計の絶対額の推移を見てみる必要がある。
1995年頃から2004年頃にかけて資産合計は、増加するどころか減少している。
資産合計が縮小している過程で自己資本率が上昇するのは、償却が進むと同時に借入金が返済されていることを意味する。
それは、産業全体が収縮していることを表しているのである。



時代によって相関関係は変化する。


貸借関係の働きの変化を理解するためには、個々の要素の相関関係の時代ごとの変化を読み取る必要がある。

全業種 1961年~2013年
固定資産 流動資産 固定負債 流動負債 純資産 資産合計 減価償却費計 売上高 投資CF 財務CF
固定資産 1.00
流動資産 0.92 1.00
固定負債 0.98 0.96 1.00
流動負債 0.89 0.99 0.95 1.00
純資産 0.96 0.83 0.89 0.77 1.00
資産合計 0.99 0.98 0.99 0.96 0.92 1.00
減価償却費計 0.97 0.97 0.99 0.96 0.88 0.99 1.00
売上高 0.93 0.99 0.96 0.99 0.84 0.97 0.98 1.00
投資CF -0.53 -0.60 -0.55 -0.59 -0.50 -0.57 -0.54 -0.57 1.00
財務CF -0.57 -0.26 -0.45 -0.23 -0.62 -0.44 -0.45 -0.31 0.06 1.00

60年代から70年代にかけて貸借を構成する全ての要素、更に、売上高や減価償却費は相関関数が1、即ち、直線的な強い関係によって結びついていた。また、財務キャッシュフローや投資キャッシュフローも貸借程ではないが売上高と相関関係があった事が認められる。
投資キャッシュフローが逆相関なのは、投資は、支出として負として表示されるからである。即ち、負の値として現れるのは、投資が実行されている事を意味する。

全業種 1961年~1980年
固定資産 流動資産 固定負債 流動負債 純資産 資産合計 減価償却費計 売上高 投資CF 財務CF
固定資産 1.00
流動資産 1.00 1.00
固定負債 1.00 1.00 1.00
流動負債 1.00 1.00 1.00 1.00
純資産 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00
資産合計 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00
減価償却費計 1.00 1.00 0.99 1.00 1.00 1.00 1.00
売上高 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 0.99 1.00
投資CF -0.83 -0.84 -0.84 -0.84 -0.83 -0.84 -0.85 -0.81 1.00
財務CF 0.73 0.76 0.73 0.76 0.75 0.75 0.76 0.73 -0.87 1.00

80年代から90年代にかけて売上高と固定資産、固定負債との相関関係、また、流動資産、流動負債と固定資産、固定負債との相関関係から薄れ始めてくる。
財務キャッシュフロー、投資キャッシュフローは、急速に相関関係が薄れてくる。また、財務キャッシュフローは正の相関関係から負の相関関係と変質し始める。
特に、固定資産と財務キャッシュフロー、投資キャッシュフローと財務キャッシュフローは負の相関関係が認められる。

80年代から90年代は、バブルが発生し、崩壊するまでの期間と言っていい。

1980年~1999年
固定資産 流動資産 固定負債 流動負債 純資産 資産合計 減価償却費計 売上高 投資CF 財務CF
固定資産 1.00
流動資産 0.91 1.00
固定負債 1.00 0.93 1.00
流動負債 0.94 0.99 0.96 1.00
純資産 0.99 0.94 0.99 0.96 1.00
資産合計 0.98 0.97 0.99 0.98 0.99 1.00
減価償却費計 0.99 0.96 0.99 0.98 0.99 1.00 1.00
売上高 0.94 0.99 0.96 0.99 0.97 0.98 0.98 1.00
投資CF -0.24 -0.50 -0.28 -0.42 -0.37 -0.35 -0.32 -0.43 1.00
財務CF -0.52 -0.13 -0.46 -0.23 -0.40 -0.37 -0.40 -0.23 -0.58 1.00

相関関係は、バブル崩壊後もある程度は維持されてきた。相関関係が完全に喪失するのは、むしろ21紀に入ってからである。

21世紀になると売上と資産、負債との相関関係が弱くなっていく。それは、90年代を境にして、資産と負債の構成比率が大きく変化したことが影響していると考えられる。
また、一時逆相関関係に陥っていた財務キャッシュフローが正の相関関係へと回復してくる。

2000年~2013年
固定資産 流動資産 固定負債 流動負債 純資産 資産合計 減価償却費計 売上高 投資CF 財務CF
固定資産 1.00
流動資産 0.87 1.00
固定負債 0.75 0.50 1.00
流動負債 -0.27 0.11 -0.23 1.00
純資産 0.95 0.91 0.53 -0.30 1.00
資産合計 0.98 0.95 0.67 -0.12 0.96 1.00
減価償却費計 -0.57 -0.38 -0.50 0.31 -0.51 -0.51 1.00
売上高 0.05 0.39 -0.28 0.50 0.18 0.20 0.60 1.00
投資CF -0.17 -0.27 -0.19 -0.56 -0.06 -0.22 0.24 0.05 1.00
財務CF 0.39 0.46 0.37 -0.08 0.40 0.43 -0.27 0.03 0.13 1.00

注目しなければならないのは、売上と固定負債が、2000年代に入ると弱いとはいえ逆相関関係に陥っている事である。すなわち、収益と反比例して固定負債の減少がみられる事を意味する。つまり、収益の多くが固定負債の返済に向けられているという事である。
また、流動資産と流動資産の相関関係が失われ、流動負債と固定負債が逆相関関係に変質していることがわかる。

1960~2013


バブルは一般に1986年12月から1992年までと考えられる。1960年からバブルが崩壊する直前の1989年までの相関関係の推移を見てみると回帰直線として概ね直線的に表す事ができる。1960年から1989にかけては、流動資産と固定負債の間には強い相関関係がみられたのである。

1960~1989


地価は、91年秋口に首都圏で、92年になって地方でピークを付けたとみられる。
1991年まで安定していた流動負債と固定負債の相関関係に92年に綻びが生じ、バブルが崩壊し96年あたりから乱れ始め98年~2000年にかけて決定的な転機が訪れた事が読み取れる。

1990~2013


散布図を見ると以下にバブル崩壊後混乱を極めたかがよくわかる。バブル崩壊の混乱は、その後、2013年現在でも後を引いているのである。

全業種
90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
固定負債 353 390 427 426 463 464 444 457 484 463 429 420 410 402 412 412 417 383 443 446 455 463 413 450
流動負債 570 584 578 602 590 627 603 596 576 535 544 509 486 480 489 527 517 517 484 496 476 494 486 502
法人企業統計 単位一兆円

キャッシュフローとライフサイクル



キャシュフローの働きを理解するには、企業や商品のライフサイクルとキャッシュフローの動きを重ね合わせるのは有効な手段である。
この様な取り組み方は、産業にも当て嵌める事が可能だと考える。

むろん、個々の企業や商品のライフサイクルと経済や産業のキャッシュフローの働きは共通した部分もあるが、基本的に自ずから違う。ただ、一つの考え方としてキャッシュフローの働きを解明するための手段としては有効だと自分は考える。
キャッシュフローの働きを明らかにするた為に必要な事は、個々の局面における「お金」の働きを正しく理解する事である。

営業キャッシュフローは、日常の現金収支、すなわち、短期的「お金」の働きを表し、売買取引を基本としている。
投資キャッシュフローは、生産手段に対する現金収支を表し、長期的「お金」の働きを示し、基本的には貸し借りに基づいている。
財務キャッシュフローは、お金の過不足を調節する働きを示し、投資キャッシュフローと同様、貸し借りに基づいている。
経済全体から見て営業キャッシュフローそのものは、「お金」の供給量を増やしたり、減らしたりはしない。なぜならば、営業キャッシュフローは、売買取引を基礎としているからである。
「お金」の流通量は、「お金」の供給量と回転数の積である。つまり、「お金」の流通量を増やすためには、供給量を増やすか、回転数を増やすかしかない。供給量を増やす取引が貸し借りであり、回転数を増やす取引が売り買いである。そして、営業キャシュフロート、投資キャッシュフローを結びつけているのが財務キャッシュフローである。

「お金」は使えばなくなるのにである。故に、絶えず補給し続けなければならない。しかし、だからと言ってやみくもに「お金」を供給すればいいという訳ではない。
問題は、どの時点で、どの様な手段によって「お金」を補給するかなのである。
重要なのは、供給量が少ないのか。回転数が悪いのかを見極める必要がある。

血液の流れが悪いからと言って血液を輸血すれば、血液の循環がよくなるかというとそういう訳ではない。大量に失血した時とか、血液が不足している場合は違うが、一般的には不必要に大量な輸血をすることは有害でしかない。

発展段階、成長過程に応じて「お金」の流れが変わるのは、容易に想像がつく。
故に、ライフサイクルとキャッシュフローの位相とを重ね合わせる事は有効な手段だと私は考えるのである。

ミシシッピー大学デキンソン博士によると企業のライフサイクルは、創生期、成長期、成熟期、淘汰期、衰退期の5段階に分けられる。

そして、5段階に3つのキャッシュフローのプラスマイナスを合わせる以下のようになる。

一国の経済や新たな産業が勃興する時は、基本的には投資キャッシュフローが先行する。故に、投資キャッシュフローは負の値をとる。勘違いしてはならないのは、負の値というのは、支出を意味しているのであり、是非、善悪の相を表しているわけではない。
勃興期では、市場が整備されていないために、資金の回収が遅れ一般に新たな市場に資金が不足する事になる。この資金の不足を融資や借り入れ、すなわち、財務キャッシュフローによって補わなければならないのが創生期の位相である。
適切な資金供給がなされなければ資金不足に陥り、不況になるし、過剰に「お金」が供給されると景気は過熱し、インフレーションを引き起こす。

経済や産業が離陸段階、成長段階に入ると売買取引が活発になり、営業キャッシュフローは、正の値をとるようになる。投資は、引き続きされるが、徐々に資金投資から更新投資、再投資、改装等の傾向を高めていき徐々に減少していく。
営業キャッシュフローや投資キャッシュフローに伴って財務キャッシュフローも縮小していく。

市場や産業、経済が成熟期してくると営業キャッシュフローによって過去の支出の残債を賄うようになる。ただし、景気全般は低調になる。すなわち、変化が乏しくなるのである。

さらに、成熟度が進むと過去の投資によって利益が出るようになり、新規の投資活動が減少する。新規の投資が減少し、生産手段に投入した資金が回収される方向に流れ始めると、市場に流れる資金の量が減少し始める。この様にして生じた資金の流通量の不足を補う形で公共投資が行われるようになるが、市場の拡大が望めなければ、税収も伸びないから財政は悪化する。
また、新規の資金需要が失われることで、財務活動が低調になり、「お金」が金融市場に滞るようになる。

この様な状態をどのようにとらえるかである。
客観的に考えると必ずしも成熟期とは悪い状態ではないはずである。問題なのは、十分な資金の量が市場に流れにくくなることである。それによってデフレーションに陥りやすくなる。市場が不活性になるのである。解決しなければならないのは、市場に流通するお金が不足してくるという点と、円滑な循環を促す事である。

単純に経済が不活性化しているという現象だけとらえて是々非々を論じても問題の解決にはならない。何が悪くてどうすればいいのかが問題なのである。
しかし、創生、発展、成長、拡大期を前提とした従来の経済学では、この状態を悪いと認識し、成熟した状態を打破しようとする。しかし、打破したところで創生期や成長期に戻れるという保証はどこにもない。むしろ、市場の仕組みそのものを破壊してしまいかねない。
今の政治家や経済学者は、無理に、市場を創生期、成長期に戻そうとする。しかし、成熟期というのは、相である。ただ、状態を創生期、成長期に戻せば問題が解決されるという訳ではない。





企業や商品が示す様相は、一国の経済や産業にも見られる。現在の経済は、創生期、発展期ばかりに照準を合わせているが、成熟期にさしかかった経済を創生期や成長期と同じように扱えば、淘汰、衰退へと向かって行ってしまう。淘汰、衰退に至らないようにするのが、経済政策である。

90年を境に日本の財務キャッシュフローは、急速に冷え込み成熟期の様相を呈するようになった。
すなわち、デキンソン博士の分類に基づくと成長期からバブル崩壊によって急速に成熟期に突入したと言える。

この状態を先ず受け止める必要がある。そのうえで、経済を構成する個々の要素の効用を高める事を考える必要がある。
もう成長できないから駄目だとか、新しい技術革新ができなければだめになる、競争がなければ進歩しないとか決めつけるべきではない。
現実に、成長しない、技術革新が望めない分野にこそ多くの経済的効用が隠されているのである。
コモディティ産業に否定的な意見があるが、コモディティ産業によって生計を立てている人々は大勢いるのである。また、コモディティ産業だからこそ多くの雇用を生み出し。見ようによっては、産業はコモディティ化に向かっていると言えるのである。
成長、発展、拡大だけが経済の様相ではない。停滞、成熟、縮小もまた様相の一つである。
大切なのは、個々の様相に適した施策を打ち出す事ができるかである。

量から質へ



一般に、市場や経済が成熟して来たら量から質への転換を図るような施策をとるべきなのである。つまり、質が維持されるような施策である。

例えば、エネルギー政策ならば、低価格よりも省エネルギー、エネルギーの効率化、エネルギ技術の革新、エネルギー源の多様化、資源保護、エネルギーの安全性の確保等を重視した施策に転換していくことである。

ところが現在の政府は、真逆な施策をとろうとしている。規制を緩和し、品質やサービスより価格を重視し、作業の無人化を促進し、品質の標準化を奨励した。その結果、低価格競争に火が付き、市場は荒廃し、寡占か、独占化が進み、質より、量が求められるような展開になりつつあるのである。

成長とか、発展なんて言うと聞こえはいいが、成長や発展は、変化を意味する。変化とは、不安定や破壊をも意味する。それに対して、成熟とか、停滞は、平穏を意味する。平穏は、安心安定、堅実、継続をも意味するのである。確かに、平穏さだけでは、世の中は硬直し、やがては、衰退の道をたどる。だからこそ、適度な変化も必要である。だからと言って過去へ遡ればいいというのは、飛躍である。
大切なのは、いかに生きるかである。経済の本質は生活にあるのである。

注意しなければならないのは、企業は、最終消費者ではないという事である。
よく企業は、利益を貯め込んでいるという批判があるが、企業は、単に、利益を貯め込んでもそれを最終支出として支出する事は、原則的にできないのである。確かに、企業を私物化してという批判もあるにはあるが、企業というのは、生産手段の一部であって最終消費者にはなりえない。企業の利益を特定の個人や家族が私物化する事は、現在の市場経済では本来違法なのである。



時代の動きをキャッシュフローで見ると



キャッシュフローというのは、読んで字のごとく、キャッシュ、現金、および、現金同等物の流れである。
市場経済を動かしているのは、「お金」である。それ故に、「お金」の流れを観察すると経済を実際に動かしているのは何かが見えてくる。

営業キャッシュフローというのは、日々の経済活動にかかわる現金収支の動きを表している。
財務キャッシュフローは、「お金」の過不足を補う現金収支を表している。
投資キャッシュフローは、何らかの投資、すなわち、生産手段に対する現金収支を表している。生産手段に対する支出の回収は長期にわたるため、長期的資金に働きを意味する。

市場取引は、売りと買い、貸しと借りによって成り立っている。
営業キャッシュフローは、売りと買いにかかわる現金の動きを表し、投資キャッシュフローと財務キャッシュフローは貸し借りにかかわる現金の出入りを表していると考えられる。

キャッシュフローを見て顕著なのは、財務キャッシュフローの異常な動きである。
89年~90年にかけて急伸し、頂点に達した後、今度は逆に急落し、93年にはマイナスに転じている。
89年~90年というのはバブル経済が頂点に達した時である。
明らかに、バブル崩壊後日本経済の構造が変化したのである。

急落した財務キャッシュフローに対して営業キャッシュフローは、90年代に入ると徐々に減速し、横ばい状態に陥っていく。
営業キャッシュフローは、日々の経済活動の基盤をなしている。
日々の生活を成り立たせている部分が営業キャッシュフローだと言えない事もない。

この様な構造的変化が、経済に対してどのような影響を及ぼしているのか。
また、なぜ、どの様な原因によってこのような状態、すなわち、財務キャッシュフローが急落するような事態を招いたかを明らかにする必要がある。

企業経営では、財務キャッシュフローと投資キャッシュフローが負の値でも、営業キャッシュフローの値が正であれば問題がないとされる。それは企業が成熟してきた証拠だとされるからである。つまり、通常の営業活動で、金融費用や投資にかかわる支出を賄っていると考えられるからである。
しかし、経済全体でみると必ずしもいい状態とは言えない。成長や発展が止まり停滞状態に陥っている状態をいうからである。

営業活動が定常的活動だとすれば投資活動は、明日への活力と言える。適正な投資活動が促されないと経済は活力を失っていくことになる。



問題は、なぜ、何によってこのような状態、すなわち、投資が抑制されるような状態に陥ったかである。

損益として表面に現れる数値は、全般的な傾向は現しても急激な変動を必ずしも捕捉しているとは限らない。
しかし、損益の背後に隠されている現金の動きは、市場の変動の影響を受けて反映して、各々の時代背景や性格をよく表している。

現金の動きで注意しなければならない点は、短期資金と長期資金が2004年に入れ替わっている事である。

営業キャッシュフロー、即ち、経常的なキャッシュフローは、10年周期で水準を上げながら一定の水準を保ってきたように見える。
それに対して、財務キャッシュフロー、投資キャッシュフローは激しい動きをしている。バブルが発生した80年代から90年代初頭に掛けて営業キャッシュフローを上回っていた財務キャッシュフローは、バブルがはじけると営業キャッシュフローを下回るようになり、2000年代は、営業キャシュフローの範囲内に収まる様に動いている。

73年10月、第4次中東戦争をきっかけにして第1次オイルショックが起きる。第1次オイルショックが始まると同時に、営業キャッシュフローが上昇し、反対に財務キャッシュフローは減少する。それが第2次オイルショックをキッカケにして逆転し、営業キャッシュフローは下落し、財務キャッシュフローは上昇をする。しかし、翌年には、営業キャッシュフローが財務キャッシュフローを上回り、85年のプラザ合意後円高不況まで続く。

    
法人企業統計      財務省

バブルが崩壊すると一気に財務キャッシュフローは暴落して、今日まで至っている。
キャッシュフローの様相は、成長型から成熟型へと移行する。

  
法人企業統計      財務省

投資CFと財務CFと相関関係の推移


投資キャッシュフロ、財務キャッシュフローと中期借入金、ソフトウェアを除く設備投資、土地(簿価)、減価償却費の増減の相関関係を比較してみて見ると1961年~2013年を通期で見ると全体的に相関関係がないように見える。
しかし、それを20年間隔で刻んでみると時代的背景が色濃く反映している事がよく見て取れる。

1961~2013
長期借入金 ソフトウェアを除く設備投資 土地 減価償却費増減 投資CF 財務CF
長期借入金 1.00
ソフトウェアを除く設備投資 0.29 1.00
土地 0.73 0.63 1.00
減価償却費増減 0.54 0.41 0.50 1.00
投資CF -0.23 -0.61 -0.36 -0.38 1.00
財務CF 0.83 -0.06 0.64 0.36 0.06 1.00

60年代から70年代にかけて土地と設備投資、減価償却費が強く相関関係によって結ばれていたのがよくわかる。
また、財務キャッシュフローとも正の相関関係があるのに対して投資キャッシュフローは強い負の相関関係だったことが見て取れる。

1961~1979
長期借入金 ソフトウェアを除く設備投資 土地 減価償却費増減 投資CF 財務CF
長期借入金 1.00
ソフトウェアを除く設備投資 0.50 1.00
土地 0.74 0.85 1.00
減価償却費増減 0.64 0.89 0.92 1.00
投資CF -0.78 -0.85 -0.88 -0.90 1.00
財務CF 0.84 0.82 0.89 0.82 -0.87 1

80年代に入ってくると全体的に相関関係が緩くなってくることがわかる。ただ基盤的な部分は踏襲しているのが見て取れる。ただ、土地と減価償却費の増減との関係が薄くなっている事を注意する必要がある。むろん土地と減価償却費とは直接的な関係はない事だけは留意しておかなければならない。

1980~1999
長期借入金 ソフトウェアを除く設備投資 土地 減価償却費増減 投資CF 財務CF
長期借入金 1.00
ソフトウェアを除く設備投資 0.38 1.00
土地 0.70 0.85 1.00
減価償却費増減 0.73 0.57 0.77 1.00
投資CF -0.75 -0.59 -0.84 -0.65 1.00
財務CF 0.93 0.18 0.55 0.68 -0.58 1.00

21世紀になってバブルが崩壊すると、全面的に相関関係が崩れたことが読み取れる。
ただ特筆すべきなのは、財務キャッシュフローと土地の相関関係が強くなった事である。
また、バブル崩壊以前は、強かった長期借入金と財務キャッシュフローの相関関係がバブル崩壊後はかなり低下した事も留意しておく必要がある。

2000~2013
長期借入金 ソフトウェアを除く設備投資 土地 減価償却費増減 投資CF 財務CF
長期借入金 1.00
ソフトウェアを除く設備投資 -0.15 1.00
土地 0.37 -0.37 1.00
減価償却費増減 0.25 -0.28 -0.16 1.00
投資CF 0.16 -0.22 0.15 -0.18 1.00
財務CF 0.63 -0.34 0.91 0.06 0.13 1.00



キャッシュフローは、利益を基として計算される。


キャッシュフローは、利益を基として計算される。
利益とキャッシュとは違う。

よく言われるのは、利益は指標であり、キャッシュは事実だという事である。
キャッシュは事実で誤魔化しようがないという人もいる。そうなると利益など必要ない。キャッシュフローさえわかればいいなどという極論も出てくる。

利益を計算する目的は目的で別にある。
なぜ、利益を計算し、それを融資したり、投資するための根拠とすべきなのか。それを正しく理解する必要がある。

会計制度というのは、「お金」の働きを用途別に明らかにすることで単位期間内における「お金」の働きを測るためにせていされた仕組みである。単位期間の「お金」の働きを損益という尺度で測り、その結果を利益として表すのである。利益は、単位期間内における「お金」の働きを示した指標である。この様なお金の働きは、単なる「お金」の出納だけでは測ることができない。
ただ利益は、科目の定義や設定の仕方によって変化する。それ故に、客観的な値としてキャッシュフローによって裏付ける必要があるのである。


    
法人企業統計      財務省

キャッシュフローで重要となるのは、長期資金と短期資金の働きである。


お金の流れで重要な事は、長期資金の働きと短期資金の働きである。
形式的には、長期資金は、期間損益上、貸借に反映し、短期資金の働きは、損益に反映されることが原則である。
また、機能的に見ると長期資金は、投資に結び付き、短期資金は、運転資金に結び付いている。

預金は、金融機関から見ると有利子負債である。


    
国民経済計算書  内閣府

投資にかかわる資金の働き


投資にかかわる資金の働きは、生産手段にかかわる資金である。
キャッシュフローでは、投資キャッシュフローに区分され、固定資産の増減として表される。
ただ、投資にかかわる資金の流れは、固定資産の増減だけでなく。借入金の増減、減価償却費がある。

投資は、事業計画、資金計画と一体となって決定される。
つまり、投資の背景には必ず長期資金の流れがある。

投資は、生産手段に対してなされるものを前提としている。
つまり、生産計画や販売計画、費用等が当然検討される。
設備投資のようなものだけで成り立っているわけではないから、固定資産の増減だけでは、投資の効果は、割り出せない。


運転資本


短期的資金の働きには、運転資金の働きがある。
運転資本は、基本的には、短期借入金に対応している。

運転資本は、営業キャッシュフローの過不足を補う働きがある。
営業キャッシュフローは、営業活動の正味の資金収支、現金収支を表していると言える。
つまり、むき出しの実質的活動である。
故に、それを補う形の運転資本を見れば経営主体の経営実態をあからさまできる。

運転資金が変動する要因にはいろいろある。その中で、経済の状況や業界の構造によって派生する変動には特に注意する必要がある。

運転資金が像する原因には、運転資金の種類には、売掛金や買掛金のサイトの差などから生じる経常的な運転資金の増加、事業や市場の拡大に伴う増加運転資金、逆に事業や市場の縮小に伴って一時的に増加する減産運転資金、季節変動による季節運転資金、決算賞与資金から生じる決算賞与資金、設備購入の未払いから派生する運転資金、また、赤字によって生じる運転資金の増加、財務構成を是正などから生じる長期運転資金などである。

90年から運転資本は、急速に減少し92年に短期借入金と運転資金はクロスしている。運転資金と短期借入金は、常に対称的な動きをしている事が見て取れる。

短期借入金は、80年代、90年代は一定の水準を保っていたが、バブルが崩壊すると急速に減少して92年にはマイナスにまで落ち込んでいる。

運転資本の増減と短期借入金の増減
    
法人企業統計      財務省




経済の成長をどう見るか。


経済成長を考える場合基礎となるのは総所得である。
企業という視点に立つと、売上だが、売上だけを見ても実質的成長を図ることができない。
そこで用いられるのが売り上げと資産との比率から回転率を導き出す事である。
総資産回転率は、80年代から90年代にかけて限りなく1回転に近づいている。それだけ総資本の効率が落ちていると言える。
リーマンショック後は、1回転すらできない状態にある。

見方を変えるとフローの比率よりストックの比率の方が大きくなったともいえる。


   
法人企業統計      財務省

長期借入金の返済は表に現れない。


固定資産、長期借入金、減価償却費の相関関係を全業種で見てみる。

1960~2013
長期借入金 減価償却費計 固定資産 土地
長期借入金 1.00
減価償却費計 0.98 1.00
固定資産 0.96 0.97 1.00
土地 0.97 0.97 1.00 1.00

1960年~2013年を通期で見てみると長期借入金、減価償却費、固定資産は、強い相関関係によって結ばれている事が見て取れる。

1960~1979
長期借入金 減価償却費計 固定資産 土地
長期借入金 1.00
減価償却費計 0.99 1.00
固定資産 1.00 1.00 1.00
土地 1.00 0.99 1.00 1.00

1980~1999
長期借入金 減価償却費計 固定資産 土地
長期借入金 1.00
減価償却費計 0.99 1.00
固定資産 0.99 0.99 1.00
土地 0.99 0.98 1.00 1.00

バブルが崩壊するまでは、長期借入金、減価償却費、固定資産は、強い相関関係によって結ばれていた。

2000~2013
長期借入金 減価償却費計 固定資産 土地
長期借入金 1.00
減価償却費計 -0.47 1.00
固定資産 0.57 -0.57 1.00
土地 0.77 -0.67 0.88 1.00

バブル最大の問題は、相関関係を断ち切り経済主体、ひいては市場の構造を破壊してしまった事である。

長期借入金の返済は、会計上どこにも計上されない。
長期資金の働きは、表に現れてこない長期借入金の返済が大きく影響を及ぼしている。

何によって、長期借入金の返済資金を調達しているのか。それが経済の動向を占う上で重要な要件となる。
長期借入金の原資は、一つは、税引き後利益である。次に、減価償却費、第三に、借入金である。
ただ、注意しなければならないのは、税引き後利益は、利益処分に相当するが、利益処分の科目には、長期借入金の返済という科目は存在しないという点である。借入金の返済は、内部留保という形で、計上せざるを得ないのである。
また、減価償却費も借入金の返済額のすべてを賄う訳にはいかないという事である。特に、固定資産の多くの部分を占める土地は、非償却資産である。
この様な点を鑑みると十分な利益を確保できないと借入金は、新たな借入金によって補填せざるを得なくなる。
そうなると新たな借入金を何によって担保するのか、それは地価である。

バブル崩壊が深刻な影響を与えたのは、地価の下落であり、2016年の今日でも資産価値の下落の影響から逃れられないでいる。
この点を見ないで、短期的な、あるいは、フローの局面だけを見て経済の動向を判断しようとしたら重大な過ちを犯す事になる。

地価の急激な下落は、土地に投資をしなかった企業の資金の調達力まで低下させたのである。地価の下落は、借入金の返済を補うための借り換えの為に必要な担保力をも極端に低下させた。それが、新規投資どころか健全な更新投資まで抑制させたのである。
そして、企業は、低下した担保力を補うために、収益の大半を借入金の返済に向けざるを得なくなった。

長期借入金の需給は、バブルが発生した1986年から順調に伸びていたのが、バブル崩壊後急速に減少しているのが見て取れる。
減価償却費は、右肩上がりで上昇していたのがバブル崩壊後横ばい状態に陥っている。
これは、バブル崩壊後、利益を投資に向けずに借入金の返済に向けたことを意味している。

「お金」を借りないのではなくて、借りられないのである。投資の減少は、所得全体を圧縮させている。


    
法人企業統計      財務省

バブルの何が問題なのか。


バブル経済の何が問題なのか。それは、市場を構成する要素間の相関関係が喪失した事である。
例えば地価と固定資産との相関関係は、バブル崩壊する前の1974年~1989年までの相関関係は正で強かった。

1974~1989


それが、1990年~2000年、つまり、バブルが崩壊してから1999年に至るまで逆相関関係を示すようになる。
注目すべき点は、バブル崩壊後も固定資産が増え続けた点である。

1990~1999


2000年以降は、相関関係そのものが失われてしまっている。
2000年以降2005年まで一方的に加工し、2005年に反転し、急速に上昇したが2008年のリーマンショックで急転して再び下降した。ただ、固定資産は横ばい状態である。

2000~2013


これまで見てきてたようにバブル崩壊後、それまで市場を制御してきた相関関係が破綻した。

相関関係が成り立たなくなるという事は、相関関係を前提とした指標が成り立たなくなることを意味し、それは、従来の論理が通用しなくなったことを意味する。
つまり、バブル崩壊以降の市場は、それまでの論理からすると非論理的な空間に陥ったのである。こうなると従来の指標に基づく分析は意味を持たなくなる。

相関関係を喪失するという事は、経済政策や経営の合理性、整合性を損なう事である。個々の要素の相関関係が薄れれば、経済や経営から脈絡がなくなってしまう。

相関関係を喪失させたのは、金融緩和と急激な金融引き締め、そして、ゼロ金利。地価の暴騰と暴落。為替の急激な上昇。過度の規制緩和と過当競争である。

大体、前提条件が変わったというのに、従前の論理に固執し、それでありながら帳尻合わせ、小手先の施策で切り抜けようとしたことがそもそもの間違いである。

高度成長が終わった八十年代から前提条件が変わったのである。
どの様に前提条件が変わったかというと第一に、市場の変化。多くの市場が過飽和状態になったという事である。第二に、産業が成熟したという事、それによって産業構造が変化したという事である。第三に消費の変化である。消費が成熟し、量から質へと転換してきたと言う点である。第四に、人口構成の変化である。第五に、所得の向上と人件費の高騰である。第六に、財政赤字と社会資本の充実。第七に、為替の変動である。

これらの前提条件の変化を鑑みると、市場構造や産業構造をそれまでの高度成長を前提とした体制から成熟型市場、産業へと切り替えていくことなのである。

成長から縮小均衡へ



日本は、1990年、縮小均衡への道を政策的に選んだ。それはデータを見れば明らかである。

1990年に1兆4千億円合った資金運用がリーマンショック直後の2009年には、3800億円にまで減少している。
更に重要なのは、内部資金か外部資金かだが、バブル崩壊後日本は、ずっと内部調達が外部調達を上回り、外部資金は、2000年には980億円マイナスするとそれ以後、リーマンショックの直後の2009年に1300億円を記録した以外は、ずっとマイナスしている。
リーマンショック時に外部資金が一時的にプラスしたのは、それだけ資金繰りが逼迫し、内部資金だけでは対応しきれなかった証左である。2009年の資金調達額は、先に述べたように3800億円なのである。

資金の流れは、それまで外部資金調達が主だったのが、1991年を境に大きく内部調達に傾いている。1991年に投資に対する根本的な在り方が変化したのである。それがその後の日本経済を変質させた。
2000年には、外部資金調達は、マイナスに落ち込んでいる。
1988年(「「法人企業統計」「全業種」「全規模」合計)に103兆円だった利益剰余金は、1998年に131兆円と28兆円程度の伸びしかなかったのが、次の十年後の2009年には、269兆円と倍増している。
その間の売上高は、1988年131兆円、1998年138兆円、2008年137兆円と横ばい状態である。
投資の結果であると有形固定資産残高は、1988年、283兆円、1989年318兆円、1998年498兆円、2009年459兆円と1999年と2009年を比較しても39兆円減少しているのである。
それに対して負債は、1988年356兆円、1998年499兆円、2009年384兆円となっている。ピーク時の1995年の509円から見て、2012年316兆円と153兆円も減少している。
それは、企業がフローの内部留保(純利益-配当金)と減価償却の範囲内でしか投資をせず、浮いた分を借入金の返済に充てていたからである。借入金を返済する為にコスト削減に努め、一見、財務体質は改善されたように見えるが、経営的には厳しい状態に置かれている事が窺われる。
それが総所得全体に対する下げ圧力として働き、結果的に売上が横ばいなのに内部留保を積み上げてきたのである。
民間企業の投資意欲が減退しているのではなく、資産価値が下落した為に、担保価値が減少し、資金調達力が衰えた結果である。

 
法人企業統計      財務省


規制緩和とは



市場は一つではない。複数の独立した市場が組み合わさって全体を構成している。部分を構成する市場は、一律一様ではなく、それぞれが固有の仕組みを持っている。また、部分を構成する市場も調達、製造、物流、販売等、いくつかの階層から成り立っており、その階層ごとに個々独立した市場を構成している。また、市場は、発展段階によって様相を変える。さらに、市場は、海外などの他の市場の影響もうける。

個々の市場は、歴史、地域性、立地条件、文化、宗教、環境(為替、原材料価格の動向、技術革新、労働条件、風俗習慣等)、貿易環境、経済制度、政治体制等の下部構造の上に成り立っている。

この様な部分を構成する市場は、それぞれのおかれている位置や状況、発展段階に応じて仕組みを変えなければならない。その仕組みの原理を担っているのが規制である。

故に、商品の性格、市場の発展段階、外的環境などによって規制を変えていく必要がある。規制緩和とは、この様な市場の要請に基づいて行われる事であるが、その前提となるのは必要性である。

緩和すべき市場もあるが、反対に、規制を強化すべき市場もある。
規制を強化すべき部分もあれば、規制を緩和すべき部分もある。

ただ、所得が停滞し始めた時期と、ひたすら規制を緩和し始めた時期が重なっているというのも事実なのである。
この事実を真摯に受け止めるべき時なのではないのか。
理屈、理論が優先されて事実を蔑ろにするのは、不合理な事である。

なぜ規制を緩和するのか、その目的は、なぜ、規制するのかという目的と表裏をなしている。なぜならば、規制を緩和する目的と規制をする目的は同じだからである。
規制を緩和するのも、規制をするのも、その目的は、適正な価格を実現する事にある。
特定の人間に利益を供与する事でもなければ、低価格を実現する事でも、競争を煽りことでもない。
適正な価格とは、適正な費用を負担したうえで、環境の変化に対応する事の出来る利益を上げる事、そのうえで、消費者の負担を最小限に抑える事を実現した価格である。

水が欲しくなれば蛇口を緩めればいい。しかし、水が必要でなくなったら、蛇口を絞めればいい。蛇口を緩めっぱなしにしたら、水は垂れ流しになる。大切なのは、水が必要か否かであって蛇口を緩めるか、否かではないはずである。
だとしたら、検討すべきなのは、何に、どれだけ水が必要なのかである。
水を出しっぱなしにすれば、欲しい時にいつでも水が手に入るというのは経済の本質を理解していない。
規制も同様である。必要ならば規制を緩和すべきだが、不必要に緩和する事はない。規制を緩和するならば、緩和する理由と目的をまず明確にすべきなのである。そのためには、緩和する事によってどのような状態にしたいのか、それを明確に示す必要がある。

例えば、外食で提供される料理を工場生産で大量生産し、低価格を実現する為に、味を均一化、サービスを標準化する事を望んでいるのかである。それ以前に、なぜ、外食をする必要があるのか。何のために外食する事を望んでいるかである。その点を見落としたら、規制を緩和する意味がなくなる。なぜならば、経済は生きるための活動だからである。その根本に、人はなぜ、何のために生きているのかという問いかけがなければならないのである。

規制緩和は万能薬ではない。



規制緩和によって飛躍的に技術革新をしたのが、通信情報産業である。反対に市場が荒廃してしまったのは、石油産業である。
この様に規制緩和は万能薬ではない。
技術革新のある高付加価値産業である通信、情報産業と装置産業で、消費の差別化の難しい石油業界とを一緒くたにするわけにはいかないのである。

いまだかつて市場で完全に公正な競争など実現された験しなどない。大体、すべてを同じ条件にしてしまったら、競争は成り立たない。市場参加者は、同じ前提条件で競争することが不可能だからである。

全てのスポーツを一つのルールで統一する事は不可能である。
サッカーも野球もテニスもゴルフも全てを一つのルールに統一しようとするのは乱暴である。同じように一つのルールですべての市場を統一する事は少なくとも現時点ではできない。何でもかんでも統一、一般化、普遍化しようとするのは、科学主義の悪弊の一つである。

市場は、適正な価格を実現する事を目的としているのであり、公平な分配を実現する事を目的とした場であり、低価格を実現する事や競わせることを目的とした場ではない。そして、会計は、市場の働きを監視するため基準を提供する仕組みなのである。
会計基準ありきは、速度計に合わせて車を作るようなものである。速度計は、安全かつ、快適な運転をするための手段であって、車を作る目的ではない。

市場は正直に反応しているのである。個々の事象をとやかく言うよりも生起した事象をに対して適正な規制がされていたかどうかが問題なのである。適切な規制がされていればリーマンショックのような出来事は防げたはずである。

なぜ規制をしないと価格戦争に陥るのか。それは、収益構造に原因がある。
収益構造は、基本的に利益と費用からなる。費用は不必要な事、削除すべき事だという費用に対する間違った認識が、一番の問題である。これが価格や規制に対する歪んだ考えを生み出している。
費用を否定したら市場経済は成り立たない。なぜならば、費用こそが分配を担っているからである。
費用こそ付加価値なのである。
収益と費用は、現金収支を平準化する目的で設定された概念である。
利益は、収益と費用の均衡を測るための尺度であり、相対的なものであり、経営実態を正しく反映するためには、経営が置かれている状況に応じて変更されるものである。
故に、利益は、状況に合わせて操作する事を前提としている。利益操作が許されないのは、正しく状況を反映できない事象に限ってである。なぜならば、それは費用の性格が一定ではなく、環境や尺度によって変化するからである。
また、費用の認識の仕方によって正しい経営がなされなくなる危険性があるからである。
ただ留意すべきなのは、期間損益は、元々現金収支を平準化する目的で作られたという点である。
問題は費用の性格である。費用は、原価などの変動費と管理費などの固定費からなる。
固定費を構成するのは、主として人件費と減価償却費、支払金利である。
しかし、減価償却費という費用に支出としての実体はない。
厳密にいうと実体がないわけではないが、減価償却費という勘定自体が支出と直接的に結びついているわけではない。
減価償却費は、過去の投資の後処理という性格がある。原価償却費というのは本来、設備投資、すなわち固定資産にかかる支出を根拠としている。しかし、減価償却費が計上される気に減価償却費に相当する支出はない。
固定資産を根拠とした費用と人件費のような固定的費用が集まって固定費を形成する。費用は、固定費と変動費から成り立っている。この固定費を構成する費用の核となる部分にこの減価償却費がある。これが、単価を流動的にする要因の一つとなる。
もう一つ重要なのは、現在の損益計算では、この固定を超えると利益が計上されてくるという点である。一定の売上まで至らないと利益が上がらない事を意味する。それが売上至上主義に結びつく。売上は、数量と単価の積であるから、数量を上げるか、単価を上げるかしかない。
つまり、操業度、販売量が利益を決めるのである。
量販すればするほど、早く損益分岐点を超え利益を上げる事ができるという点にある。そのために、部分として利益を犠牲にしても全体の利益を追求しようとして勢い低価格戦争に陥るという事であり、低価格戦争に陥っても単年度の帳尻を合わせる事ができる。
だから、一度価格戦争に陥ると収拾がチーつかなくなるのである。
もう一点、市場で人々は、理性的な行動をとらないし、取れないという事である。市場は、闘争の場であり、学者や評論家が考えるような合理的な競争の場ではない。市場は戦場なのである。一度戦いが始まれば、相手の息の根を止めるまで戦い抜く。なぜならば、規制のない争いは無法な行為であり、どちらかが倒されなければ決着がつかないからである。

こういうことを学者、評論家、会計士はわかっていない。だから彼らは経営者にらはなれないのである。

一度、低価格戦争に火が付くと、抑制が利かなくなり、泥沼と化し、市場は荒廃し、最終的には、寡占独占に陥る。

利益を上げる事は悪いように思える。
会計は、適正な利益を上げさせることが目的なのであって会計の整合性や低価格を実現させることは二義的な事である。学者や会計士、評論家には経営はできない。

また、市場は、生産財を分配する場であるとともに、「お金」を分配する場でもある。
「お金」は、物が流れる経路を伝わって分配もされるのである。
表面的価格ばかりに注目していると、「お金」の流れる経路を見落とす事になる。
ただ、中間経路を削減すればいいというのは、「お金」の経路を見落としてしまっている。

市場は消費者だけ成り立っているわけではないし、生産者だけ成り立っているわけでもない。どちらかの利益を代表するだけでは偏りが生じる。

生産者は消費者であり、消費者は生産者でもある。
単純に消費者が喜ぶからと言って低価格を実現する事は、生産者の立場を否定する事であり、生産効率や生産者の都合だけで余剰利益を上げるのも許されない。だから均衡なのである。



消費経済


消費と生産は、経済の両輪である事を忘れてはならない。ところが今の経済は、生産者側の立場でしか経済をとらえようとしていない。消費という視点は、蔑ろにされている。だから、経済が停滞している理由が明らかにできないのである。
今の為政者は、物や「お金」がジャボジャボに市場に供給されれば経済はうまく回ると考えている節がある。
しかし、ただ闇雲にものを生産すればいいという訳できない

満腹していたらいくら美味しい料理を目の前に出されたとしても食欲はわかない。逆に、腹を空かせていれば美味しく感じるものである。

現代経済は、生産中心経済である。消費は、あくまでも補完的な事と見なされている。
しかし、現実の経済は、消費によって引っ張られているのである。
景気の長期停滞や景気を制御できない最大の原因は、消費の働きを軽視しているからである。

特に、消費の質が問題なのである。
生産主導である経済だから、生産の効率性を第一に考える。そして、生産の効率はあくまでも量に置かれ質がないがしろにされてきた。それが大量生産、大量販売、大量消費、低価格である。

しかし、経済は、本来成熟するにしたがって高付加価値、即ち、多品種少量生産、省力化へと向かうべきなのである。そして、それは、少子高齢化にも相俟っているのである。

経済は、市場が成熟するにしたがって量から質への転換を計るべきなのである。ところが現代の経済は、量から質への転換に失敗した。経済を量から質へと転換させるためには、消費が重要な役割を担っている。
つまり、高級化なのである。
人は、餓えている時は、とにかく腹を満たす事を優先させる。しかし、ある程度余裕が生まれたら、味にこだわるようになる。そして、そこに文化が生じるのである。

現代日本人は、餓えから解放された。なのに、人々の食卓は貧困であるように思える。
早くて、安いばかりが優先されて味や食安全はどこかに置き忘れられているように思える。
また、家庭料理は廃れ、外食ばかりが持て囃されている。その外食もファーストフード、コンビニと簡易な物が好まれる様ようになってきたむ。おふくろの味といった手間暇をかけて作られる家庭料理は嫌厭されているのである。反面テレビではグルメ番組ばかり安直にもてはやされている。一方で資源保護が叫ばれているのに、もう一方で飽食、無駄使いが奨励されているのである。
我々が子供の頃は、食べ物がなく。それこそ飢え死にした判事が社会問題にすらなった。食べ物を残す事は罪悪だとされ、コメ一粒でも残すと「お百姓さんが汗水たらして働いて作った尊い物を残すとは何事か」と叱られたものである。
ところが現代は、無駄に作って大量に捨てている。本当に日本人は豊かになったと言えるのだろうか。
この様な社会にしてしまったのは、不必要に競争を煽り、規制を緩和し、過当競争、寡占状態に市場を追い込んだからである。
競争の意味を正しく理解していないからこの様な事態にしてしまったのである。

1950年後半、三種の神器と言われたのが白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫である。それが60年代半ばになると3C、即ち、カラーテレビ、自動車、クーラーに変化した。
高度成長時代は、技術革新によって生活環境は目紛るしく変わった。それによって消費の質も変化し続けたのである。その変化が高度成長を支えてきたという側面がある。

今日、大企業と言われる企業も、最初から大資本をバックに持たずに、ホンダやパナソニック、ソニーの様に町工場から発展した企業も多くある。それは、初期投資が今日より大きくなくハードルがそれだけ低かったともいえる。


消費の変遷


戦後経済の変遷を十年ごとに区切っってみると戦後の経済成長に重ね合わせてみる事ができる。

主戦直後の50年代は、戦争からの復興経済と言える続く60年代は、高度成長時代、70年代は、オイルショックと低成長時代、80年代は、円高不況とバブル形成、90年代バブルの崩壊、2000年代は、リーマンショックと各時代を画する出来事があった。

バブルというと好景気をイメージするが、経済成長率が鈍化しているという基調に変わりはなかったのである。

消費は、投資と消費の均衡の上に成り立っている。
そして、投資と消費の均衡が経済の根底を形成しているのである。

家計の投資行為の主役は住宅投資である。
住宅投資は、経済における投資の働きを最も代表していると言える。
住宅投資に対する基本的な考え方は月額の支払額に還元される。そして、第一に、月額の支払額を比較対照する相手は、賃貸住宅である。つまり、ローンで家を購入した場合の月々の返済額と賃貸料である。第二に、住宅にかかる費用の総額である。
第三に支払能力である。
持ち家は、購入費のみでなく維持費が加算される。また、費用が固定的でもある。ただし、持ち家は、ローンを返済し終わると土地と家が財産として手元に残る。財産はキャピタル・ゲインが期待できる。

資金を調達して、例えば、借金をして投資をする。それを月々の収入の中から返済をする。これが資本主義経済の基本的形である。借金と投資は、表裏の関係にある。そして、借金と貯金も裏腹の関係にある。

市場取引には、必ず反対方向に働く事象がある。
貨幣経済には、常に「お金」の流れと反対方向の流れがある。
故に、「お金」の流れと反対方向に働く仕事を理解すれば、「お金」の働きは明らかになる。



家計所得・収入


実質的な個人所得の上限は物理的な制限があり、相対的に決まる。なぜならば、所得は分配の手段であり、分配の対象となる生産物は有限だからである。
それに対して名目的な個人所得には上限はない。名目的所得は限りなく引き上げる事が可能なのである。
実質的所得と名目的所得の違いを念頭に置いて所得に係る問題は考える必要がある。

家計収入の中心をなす雇用者報酬は、97年を境に減少を始めている。
家計所得の割合は、94年前後からすでに減少している。それを補うように伸びているのが企業所得である。
企業は、最終消費者にはならない。つまり、それだけ消費が圧迫されていることを意味している。

雇用者報酬というのは、経営者側から見ると人件費という費用だが、雇用者から見ると生活費である。また、市場から見ると収入であり、支出の原資である。働き手から見ると自分の働きに対する対価であり、評価である。徴税者から見れば課税対象である。
この様に、雇用者報酬とは一律一様には語れない。
単純に同一労働、同一賃金と割り切るわけにはいかない。
相手は人間なのである。

人それぞれには人それぞれの都合がある。独身者もいれば、既婚者もいる。子だくさんの家族もいる。介護を必要としている親がいる者もいれば、共稼ぎをしている者もいる。子供だって乳飲み子がいる者もいれば受験生の子供を持つ親もいる。
持ち家の者もいれば、借家の者もいる。借金を抱えている者もいれば、借金のない人もいる。
失業中の人もいれば、資産家の人もいる。病気療養中の人もいる。
人それぞれの事情があって一律に収入を支給するわけにはいかないのである。

所得というのは、人それぞれの事情を反映したものにならざるを得ないのである。

 
国民経済計算   内閣府

そしてまた、経費を削減するという裏には、雇用、すなわち、所得を削減するという意味がある事を忘れてはならない。
総所得は、市場の規模の上限を制約する。

何事も収入が基礎となるのである。すなわち、支出は、収入の範囲内に制約される。
総収入は、総支出を制約する。

ただし、収入は、所得に限定されるのではなく、貸し借りによって増やす事が可能である。

家計消費支出





資金の流れは、最終的には、消費者の手にわたり、日常の売買取引に使用されることで分配を実現する。
つまり、所得は、消費支出に反映されることで目的を達成される。

家計が生産手段として労働を提供する処を出発点にして、家計消費支出に結実する事によって完了する。
それが市場経済の根本的原理である。

競争は原理にはなりえない。規制緩和も絶対ではない。競争も規制緩和も手段に過ぎないのである。

企業が不当に利益を貯め込んでいるから、それを、社会に還元すべきだという間違った意見を時折耳にする。
気を付けてもらいたいのは、企業は、最終消費者ではないという事である。最終的消費者ではない企業がいくら利益を貯め込んでいるように見えても、実際利益など貯め込みようもない。利益は、調達手段であって運用先にはなれない。
しかも、いくら儲けても企業は、それを私的に使う事は許されないのである。内部留保などというから誤解を受けるので、内部留保と言ってもそれは資金の調達源を指示した概念に過ぎず、実際に何らかの現金を指しているわけではない。入り口にはなりえても出口にはなれないのである。出口は利益処分として表される。
企業は、単に、利益を貯め込んでもそれを最終支出として支出する事は、原則的にできないのである。確かに、企業を私物化してという批判もあるにはあるが、企業というのは、生産手段の一部であって最終消費者にはなりえない。企業の利益を特定の個人や家族が私物化する事は、現在の市場経済では本来違法なのである。
最終的に景気の動向を担っているのは、根源的所得者であり、最終的消費者である家計の現金収支なのである。
そして、その内訳が、消費取引か、金融取引かなのである。
その意味で家計の可処分所得の動向こそ最も肝心な事なのである。


国民経済計算書  内閣府

最終的に経済の動向に決定的な働きをするのが支出である。
支出は、所得の制約を受ける。なぜならば、支出は、所得の範囲内で賄われなければならないからである。その所得の範囲の上限を上げる効果があるのが、借金である。借入金は、所得の範囲の上限を上げる。ただ、制約を緩和すると言って無制限ではない。
借入金は、返済額によって所得の範囲を制約する。すなわち、借入金は、金利と元本の返済額によって所得の範囲を特定するのである。
借金というのは、一定の規則を持った支出と一定の期間、すなわち時間軸との積を表している。
元本の返済額は、固定的であるから、所得から固定的費用を控除した部分が自由に使える部分、すなわち可処分所得なのである。
そして、支出は、固定的支出と可処分所得からなり。
固定的支出には、公的支出と金融支出がある。
固定的支出は流動性がない。流動性があるのは可処分所得で可処分所得が小さくなると消費は減退をする。

キーワードとなるのは、所得、支出、借入金、固定的支出、可処分所得、流動性である。
借金には、梃の働き、レバレッジ効果が働く。

支出の方向性を決めるのは、家計である。



家計の投資


一般に投資というと、公共投資、設備投資のような大規模投資が主であるように受け取られがちである。
しかし、経済的な投資の半分を担っているのは、家計の投資である。

そして、家計の投資の中心をなすのは、住宅投資である。住宅投資の裏側には、住宅ローン、即ち、家計の借入金がある。家計の借り入れは住宅ローンだでなく。自動車や家電といった物にまで拡大している。
借入金は、フローを形成せずに金融市場にとどまる事になる。借入金が金融市場にとどまる事によって長期資金、即ち、通貨の供給量は調整される。
実物市場に資金が供給されるのは、消費支出においてである。借金の返済、消費に回されなかった支出は、預金として金融市場に回される。
この様にして借入金と預金が長期資金の底辺を構成するようになる。

預金は、一般には、貯蓄、預入金のように思われているが、金融機関から見れば借金である。金融機関から見て借金というのは、家計から見ると貸付金、即ち、投資である。

2016年末の家計の金融資産は、1800兆円だとされる。つまり、家計から金融機関に1800兆円の貸付金がある事になる。

  
日本銀行

注目すべきは、保険・年金・定型保証の比率が2000年以降年々拡大している事である。保険・年金・定型保証が拡大するのに反比例するように、債務証券、株式等、投資信託受益証券等の比率が圧縮されている。

バブルが崩壊するとそれまで資金不足だった非金融法人が資金余剰部門になり、家計部門は、相対的に資金の余剰幅が圧縮されている。それに対して一般政府が資金不足部門となって資金の借り手となっている。
注意しなくてはならないのは、非金融法人企業は、自ら望んで資金余剰部門になっているわけではないという事である。資金が金融機関から調達できないから結果的に資金余剰部門にならざるを得なくなっているだけなのである。
なぜ、金融機関から資金調達ができないかというと地価の下落によって担保力が低下したからである。

その証拠にリーマンショックが起こる直前の2004年から2007年までの間、ミニバブルと言われて地価が上昇しはじめると総所得も売り上げも、外部からの資金調達一時的に上昇するのである。それが地価の下落とリーマンショックが重なってまた、総所得も売り上げも、外部からの資金調達も横ばい状態に戻ってしまう。

部門別資金の過不足 1980~2015 100億円
  
日本銀行

注意すべきなのは、1987年から1991年まで一般政府が資金の余剰主体だったと言う点である。1987年から1991年はハプル崩壊までのバブル形成時だと言う点である。
バブルが崩壊するとそれまで資金不足主体だった民間企業が余剰主体の主役となり、財政が不足主体の主役へと転じたと言う点である。資金の借り手が一般政府と海外部門しかいなくなったことを意味する。それが深刻なのである。

市場における貸し借りは均衡している。故に、個々の要素がどれくらい赤字か、黒字かをを問題にしても仕方がない。
重要なのは、全体の幅であり、赤字主体と黒字主体の相対的関係である。


経済は、アルゴリズムの問題である



経済は、究極的には、論理、アルゴリズムの問題である。
経済現象は、自然現象とは違う。人間の社会があって人間の営みを前提として成り立っている。それは人為的な事、人工的な事である。それは自然になる事ではなく。人間の意志が働き、人間の都合によって成り立っている事である。
故に、経済は論理的な事なのである。人が人の論理を否定し、神の意志に委ねるのは、単なる責任回避に過ぎない。経済的災害は、人災であって天災ではない。
本来、「お金」は自然界には存在しない。人が生み出したものである。だから「お金」に振り回されるのは自業自得である。

貨幣経済は、「お金」の出入り、即ち、収入と支出によって動かされている。収入は、労働(生産)に基づく収入、所有に基づく収入、借入に基づく収入の三つの要素によって構成される。支出は、消費に対する支出、投資に対する支出、貯蓄(貸付)に対する支出の三つの要素からなる。
所得は、労働と所有に基づく収入です。故に、収入という観点から見ると所得の水準と借入金の水準の関係が経済の状態を制約する。水準とは、平均であり、分散であり、分布である。

経済の状態を決めるのは、借金の水準と所得の水準の関係である。
これは、家計も、財政も、企業も変わりない。借金と所得の水準を決めるのは、投資と消費、貯蓄である。

収入と支出は表裏をなす。収入と支出は、常に均衡している必要がある。つまり、収入が拡大すれば支出も拡大する。
支出が拡大すれば、収入を拡大する必要がある。その過不足を補う役割を果たしているのが貸し借りである。
ただし、所得と消費に対する支出は一致しているとは限らない。常に過不足が生じている。

収入には、労働によるものと所有によるものと借入がある。支出は、投資と消費と貯蓄からなる。
貨幣経済が成立する以前は、収入を構成する要素は、労働力、生産物、「お金」からなっていたが、貨幣経済が成立した以降は、収入は、主として「お金」である。

所得の拡大が鈍化すると支出は収縮せざるを得なくなる。気を付けなければならないのは、所得の範囲と支出の範囲は違うという点である。

支出には性格があり、その性格によって景気は左右される。支出の性格とは、大別すると生存するために不可欠な支出と自己実現のための支出の二つである。そして、二つの要素の比率が経済の在り様を制約する。

これが前提である。

貧困は、収入と支出の偏りによって生じる。支出は、収入の範囲内で制約される。収入を支出が上回れば経済破綻する。収入の基本は、労働に基づくものと所有に基づくものである。労働に基づく収入と所有に基づく収入が不足した場合に、借金をする。

企業は、資金を借りてきて活用することを基本としている。一定額の負債を常に蓄えている事で、企業は、資金を循環させる役割を担っている。企業が借り入れをしなくなりと市場に流通する資金は抑制され、場合によっては減少する。

負債が過剰になれば、基本的には、資金の流通量が増えてインフレーションを引き起こし、負債が減少するとデフレーションになる。
今問題なのは、名目的な負債が増加しているのに、投資に活用される実質的な負債が増えず、市場に資金が供給されない事である。

多くの人は余剰資金を持っている。その余剰資金がベースマネーを形成していく。ベースマネーは、投資に回され、それがストックを形成して長期資金の働きと源泉となる。
ベースマネーは、資金の流通量を制約する。

経済の本質とは何か



経済の基本は、線形である。直線的な事である。その線形的関係が組み合わさり、掛け合って経済の基本式は出来上がる。

現実の経済は、お金の動きの対極に人と物の関係が隠されている。
貨幣経済では、人と物の経済的働きはお金の動きとして現れる。

そして、人と物の働きを表す方程式を表すと以下のようになる。

人口×一人当たり消費量=生産量+海外からの交易-在庫量
生産量=生産労働×一人当たり生産量

消費も生産も人口の関数となる。長期的には、人口と生産量は変数である。短期的に見れば、一人当たりの消費量や生産量をどの様に設定するかがカギを握っており、その根本は人に対する思想、人生観である。
経済は、人と物の求めに沿うようにしなければならない。「お金」の流れに沿うようにしても経済の目的は果たせないのである。

現代人は、経済を「金」の問題だと錯覚している。だから、景気対策や公共投資も「お金」の事ばかり問題にして「お金」が何に使われたかを見落としている。だから、経済は良くならない。

経済の本質は、生きるための活動である。人が生きていくために何が必要なのか。また、自己実現をするためには何が必要なのか。肝心なのは、「お金」の使い道である。何を目的として、何に投資されたかが問題なのであって、どれくらい「お金」を使ったかが問題なのである。
戦前の日本は、軍事費が昭和十二年には、70%近くまで上昇し、以後終戦まで70%を超える高水準を保ち続けた。

1875~1945


戦後の日本は、景気が悪くなると公共投資によって景気を良くしようと試みてきた。問題は、その使い道である。景気対策が優先して公共投資の使い道が議論にされることは、あまりなかった。
財政は、本来国家構想に基づいて作られるべきものである。
家計を考えればわかる。家計は、意味もなく家を建てたり、物を買ったりはしない。必要に応じて計画的に実施されるものである。特に、収入を考えずに闇雲に借金を重ねれば、たちまち「お金」のやり繰りができなくなり、最悪の場合破産してしまう。使い道も考えずに無駄遣いをしたり、借金をしたりはしない。
企業も同じである。重要なのは、「お金」の使い道であって、収入を得る事ではない。収益を考えずに借金や融資を募ればそれは詐欺である。
経済で重要なのは、どれくらい儲けたかということ以上に、何に使ったかが重要となるのである。ところが景気対策としての公共投資は、使い道よりもどれくらい使ったかが重視される。「金」の多寡ばかりが問題とされて使い道に対してはいい加減なのである。だから財政が破綻する。回収の見込みもなく、効用も明らかでない事に景気対策というだけで多額の投資がされるからである。

財政、公共事業の根源は都市計画にあると私は考える。

公共投資というのは、軍事も含め国家構想の基に目的を明確にし、計画的に実施されるべき事であり、景気対策としてのみ考えるのは危険な事である。重要なのは必要性であるが、何が、誰に、なぜ必要なのかが問題なのである。景気対策というのならば、金を誰がどうして必要しているのかという事のみに帰結してしまう。そうなると住民が必要としていない道路だのダムだのに無駄に資金が投入されることになる。
公共投資の根本には、どの様な国を作るかの構想がなければならないのである。
軍のために国があるわけではなく。外敵から国家、国民を守るために軍があるのである。それを忘れた時、軍のための国家に変質するのである。






  


       

このホームページはリンク・フリーです
ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2015.4.22 Keiichirou Koyano