機能主義


期間損益におけるフローとストック

 期間損益が確立される過程でフローとストックが分離された。フローとストックの部分が分離されることによってフローの部分とストックの部分が乖離したのである。
 そして、フローとストックが分離されることによっていろいろな問題が引き起こされている。

 ストックとフローの違いは、流動性の違いである。つまり、期間損益における単位期間を境にしてストックとフローは区分される。その一定の期間において現金に換算しうるか、否かの問題なのである。その時点に開ける貨幣価値を実現するためには、何等かの取引が成立しなければならない。それが市場経済の原則なのである。つまり、流動性というのは、取引を前提として成り立っている。

 流動性と固定性は、なにも、貨幣的分野だけの問題とは限らない。人事でも、物流でも、重要な問題である。それが、ストックとフローの問題になる。

 フロー、即ち、期間損益とは、現時点における貨幣価値を実現した収益と現時点における貨幣価値として発生した費用との差額である。ストックというのは、未実現利益、即ち、潜在的価値である。期間損益が実現できない時は、ストックの潜在価値を顕現化することによって利益を補完する。潜在的価値とは、取引が前提とされていない。つまり、ストックというのは、将来、取引が予定されている財を指して言うのである。
 期間損益は、本来は、長期的均衡の上に成り立つものであり、短期的には、不均衡に陥ることがよくある。

 債務超過というのは、債権の水準と債務の水準の均衡が崩れた状態である。債務の水準と債権の水準は、元々、相対的な水準であるから、一定の水準に保たれているわけではない。一般に資本は、資産価値、債権価値が、債務を上回った状態で均衡するが、その意味では、債務超過状態は、資本が均衡するのと同程度あり得るのである。それを予防しているのが、時間的価値である。

 ストックとフローの乖離とは、ストックの動きとフローの動きが必ずしも連動せず自律的な動きを見せる場合があるという事である。むろん、これは、現象面からの話で、ストックとフローは、構造的に結びついており、現象面では、ここ自律して見える運動でも、実際は、何等かの作用を相互に及ぼしあっている。重要なのは、その仕組みを割り出すことである。
 不良債権は、債務と債権の不均衡が原因である。債務と債権の不均衡は、必ずしも、経営上の問題によって引き起こされるのではない。
 為替や原油価格、地価の高騰、株価の下落などのような外部要因によって引き起こされることがある。ストックとフローの不均衡が経済の不均衡を招く原因となっている。その様な変動からいかに市場や企業を守るかが、政府の重要な課題である。

 ストックデフレとフローインフレ、ストックインフレとフローデフレ、ストックデフレとフローデフレ、ストックインフレとフローインフレの組み合わせがある。

 ストックとフローは、相関関係にある。故に、ストックとフローとの動きは、相対的に見るべきなのである。
 バブルは、フローに対しストックが異常に高騰した時に起こる。フローとストックが乖離した頂点で逆にストックの収縮が始まる。ストックインフレから、ストックデフレへと転換するのである。
 ストックが膨張する時、資産効果が、フローに影響を与えるが、それは、一種の躁である。根拠はない。ストックが収縮する時、逆資産効果が現れ、それが経済の土台にダメージを与える。それは津波のようなものである。

 潜在的価値とは、ストック部分にある。現金価値というのは、流動性がなければ形成されない。故に、ストックから現在価値を引き出すためには、ストック部分を流動化する必要がある。それが債権と債務を生み出すのである。

 潜在的価値は、市場に現れてはじめて効用を発揮する。故に、成熟した市場においては金融技術が発達するのである。しかし、それにも限界がある。収益に結びつかない限り、市場に現れた効用も利益に結びつかないからである。

 収益の水準、技術の水準、為替の水準などに関数であり、費用水準は、為替の水準、原油に代表される原材料の水準、在庫の水準、物価の水準などの関数である。
 この様な収益や費用は、内部要因だけに左右されるのではなく、むしろ外部要因左右される部分が多くある。

 先ず、収益水準は、頭打ちになる。それに対し、費用水準は、物価上昇分、上昇し続ける。その上昇分を補うために、資産価値の上昇部分は、表面化させる。その為に、資産水準が上昇する。しかし、資産水準の上昇は、未実現利益であるから、現金収入の裏付けがない。その為に、債務水準が上昇する。債務水準が上昇すると資産の上昇分で収益の不足分を補填できなくなる。その結果、債務超過状態に陥るのである。そうすると金融機関は、融資を渋るようになる。この様にして実体経済に資金が廻らなくなる。
 そうなると、金融機関は、金融市場で利益を上げようと画策する。

 また、家計でも所得水準に対し、経費の水準が上昇する。また、不動産や耐久消費財の需要が高まり、同時に、借金の技術が向上する。その為に、家計も借金による収支を前提として組まれるようになる。一度、負債が組み込まれると借入を前提とした生活になる。そして、月々の返済が、可処分所得を圧迫しだす。失業や急な出費などで所得が減るととたんに生計が成り立たなくなり、借金に依存した家計に陥る。

 肝心なのは、適正な収益水準と所得水準が維持されることを前提としており、しかもこの水準は、時間的価値を前提としていなければならない。そのうえで、企業も家計も投資水準を考慮しなければならない。

 収益の水準は、価格の水準である。
 最も危険なのは、価格水準の乱高下である。価格水準というのは、飛行機で言えば、気圧のようなものである。エアーポケットのようなところに落ち込むと乗客が危険な状態になる。乱急流にもまれて安定して飛行ができなくなる危険性がある。
 価格の乱高下は、経営の安定を著しく損なう上に、資金の供給を危うくする。適正な価格維持こそ重要なのである。

 価格に関しては、ただ安ければいいと言う認識がメディアを中心にある。安売りが全て悪いとは言わないが、以上に安い価格というのは、それなりの理由がある。不当な廉売は、市場の規律を乱す原因となる。目玉商品として、原価を割って販売されれば、製造元の信用を著しく傷つけることにもなる。また、長い目で見れば結局消費者にツケが廻されることにもなる。
 それもこれも、適正な価格という発想が欠如している。その為に、乱売合戦に陥り、適正な価格が維持できないという事態を招く。何でもかんでも競争させればいいと言うのは短絡的な発想である。安ければいいと言うのは、あまりに単純すぎる。

 適正な価格が維持されていれば利益は上がるのである。なぜ、適正な価格を維持しようとすると咎められるのであろうか。利益が確保されなければ、雇用も維持されないのである。また、税金も集まらなくなる。儲けることは悪い事ではない。ただ、不正な行為をして儲けることは不正義である。
 適正な価格水準が維持できないから企業も、家計も、財政も、赤字などと言う事態が起こるのである。企業は、適正な利益を維持することによって雇用を守り、取引業者に適正な対価を支払い、金利を支払い、納税をすることができるのである。
 利益が維持できなくなれば、人員の削減、下請け苛めなどが起こり、赤字になれば不良債券化し、納税もできなくなる。

 債務が増大して債権の流動性を圧迫し、その為に、資金が循環しなくなった場合は、収益を維持して利益で、債務を解消する必要がある。その為には、競争を抑制して、収益の水準を維持する必要がある。ただ、価格を強権的に維持しようとすると市場が機能しなくなるから、市場の側に価格を維持できる仕組みや規制を組み込む必要があるのである。

 適正な価格というのは、その商品に費やされた労働量に比例した価格である。つまり、適正な分配を可能とする額である。

 また、収益や費用の水準は、市場間、国家間の比較が重要である。そして、それに応じて、適正な処置がとられるべきなのである。市場は全てを決定付ける場ではない。また、過重に市場に対し期待すべきでもない。

 この様な利益水準は、企業の内部要因だけでは均衡しない。それ故に、潜在的価値をいかに流動化し、収益に組み込むのかが重要な要素となる。

 フローとストックが分離されることによって自前の資金、資産によるのと借金をした場合とでは、本質的な差が生じにくくなった。
 借金をしても自前でもフロー上は変わらない。むしろ資金を多く集めた者の方が初期投資が大きい分だけ優位に立てる。そうなると重要なのは、資金を多く集めることであり、資金を多く集めた者が有利になる。償却資産は、費用となるし、非償却資産は、損益上、金利部分しか現れてこないからである。
 そうなると、借金をした方が商売上、優位に立てる。故に、借金儂たものが勝つのである。しかし、借金をすると、その後、返済に追われるようになる。

 ストックとフローが分離される以前、即ち、近代会計制度が成立する以前は、自分の土地に店を建て、残りの現金の範囲内で商品を仕入れ、細々と商売をしていた。また、原材料を仕入れてきて家内で製造できる仕事をやってきたのである。しかし、資金が集められるようになると初期投資に資金を投入することが可能となった。そこから、大量生産時代が到来するのである。

 ローンが発達したから生活が豊かになった。それは、経費の後払いによって効用を先に受け取ることが可能となったからである。しかし、それは、借金に生計が支配されることを意味する。債務というのは、両刃の刃みたいなものである。







                    


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