89、内的経済・外的経済


私は、市場経済には、内的経済と、外的な経済があると考えます。経済の基本は、経済主体であり、それは、共同体を意味します。生活共同体、つまり、群ですね。生活を共同する集団があって経済は成り立っていました。生活共同体には、内と外がある。
初期の経済主体は、自給自足です。だから、信頼関係だけがあった。物々交換と言うのは、共同体の外部との関係で生じます。元々共同体内部には、物々交換なんてなかった。物々交換ではなく。分配なんです。だから、経済の根本は物々交換ではなく。分配。どの様な基準で獲物を誰がわけるか。それが純粋に経済の問題です。
内的経済は、非貨幣的で、道徳的、組織的な集団でした。その痕跡が家族です。家族の内部は本来非貨幣的空間で道徳的空間、主体的、規範的空間、組織的空間、権威主義的です。それに対して外部経済と言うのは、貨幣的空間、不道徳な空間、客観的、自由な空間です。
内的な空間が信義で保たれるのに対して外的空間は法によって保たれる。だから、外部経済は、契約や法を必要としている。市場は化外な空間、つまり、共同体の境界の外にある空間。
現代の社会は、市場によって内的空間が侵略されている。自由と言うのは、基本的に不道徳なんです。不道徳な空間だから、自分の価値観が重要となる。自由なんです。市場が内的経済を侵食しているから価値観が貨幣化される。そして、家族は解体される。
高齢者に対する経済は、設備や介護制度の問題になり、家族や道徳の問題は捨てられている。それを経済だとするのは重大な間違いです。化外の経済の問題なのです。異次元なんです。

昔は、内的経済と外的経済の境界が明確に線引きされていました。自分の女房と関係するのに、金を払ったら馬鹿にされました。離婚する時は、外に出るから金を払う。内的経済は、「お金」の世界ではありません。家族の問題を金で片づけようなんてしたら不道徳だとされたのです。「お金」は、市場でしか通用しない。会社も雇用と言う事では外的ですが、内と言う意味では内的経済。ですから、会社の中では金の関係は成り立たない。人と人との関係でしか動かない。礼節が重んじられる。指導者は、指導者としての徳や人間性が求められる。それは金ではありません。人としての徳です。それが内の社会です。その境界線が段々曖昧になり、外的経済に支配され、道徳まで金銭関係に取って代わられつつある。親子、兄弟の関係も「金・金」つまりは市場、化外になりつつある。内なる世界が失われているのです。家事も外注化され、家内が家内でなくなる。内的経済は、信頼関係で成り立っています。そこでは、序列が重んじられ、主は主です。市場は対等です。金に支配される。市場に支配されれば親子兄弟の関係はありません。金の関係でしかなくなります。内(家)がなくなり、人々は、外へ放り出されてしまう。


経済の問題を自然界に求めるのは、正解だと思います。経済を人間固有のものと考えるのは、人間の傲慢さに過ぎません。自然界にこそ真の経済の原型があると考えます。そして、それこそが神の意志ですね。
自然界と言ってもそれこそ植物や、ばい菌、ウィルスの世界にも経済は、存在すると私は思うのです。
なぜならば、経済と言うのは、生きる為の活動だからです。
今の日本と言うか、市場経済は狂っています。なぜならば、人が生きるという事の意味を考えようとしないからです。
経済は、人が生きるという事の意味を考える事です。だから、経済の根本は四苦、生病老死です。
老いを考え、死を考えなければ経済は成り立つません。経済の本質は、「お金」の問題ではなく。生きる事の問題です。
猫に小判、豚に真珠と侮りますが、人は、小判の為に人を殺したり、騙したりするが、猫は、小判の為に仲間を殺したり、欺いたりはしません。人は、真珠の為に人を羨んだり、妬んだりします。しかし、豚は、真珠の為に恨んだり、妬んだりはしません。人と猫や豚、一体どちらが真の価値を知っていると言えるのでしょうか。
だからこそ、本来経済は信仰に近いものです。猿が仲間を纏めるのも、親鳥が巣立ちを促すのも、皆、純粋な経済の在り様です。
戦後の日本人に与えられたのは、家畜の自由です。野生の自由ではありません。
自分の力でいかに生きるのかを学ぶのが経済です。今、年老いると働く自由さえ奪われます。それは家畜化された証拠です。自然界で牙を失う事は、死を意味します。老いても牙を失わず、爪を研ぐ。それが経済です。経済とは生きる為の活動なのです。



       

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