経済の現状

由らしむべし知らしむべからず


自分の守るべきものが解れば、自分が何をすべきかが自ずと解る。
守るべきものは内にある。外に求めれば一生彷徨うことなる。
内にあるもの、夢、志、誇り、命、愛、道徳。
富、名誉、地位などは外にある。

若者は目覚めなければ、若い頃は、正当に評価されず、一人前の仕事を任されず。歳をとったら何の保証もなく放り出される。
だから、俺は、団塊の世代もしらけ世代も許せないんだ。若者を家畜化しているだけだ。
次の世代に何を残せるか、若者たちが、責任をもって最初から最後まで自分の手で仕事を完成できるようにする。部分ではなく全体を統制できるようにする。結束して自分たちだけで大人をあてにせずに問題が解決できるようにする。家畜の自由だはなく、真の自由を手に入れさせる。

これから、君たちがこの会社や、この国を担っていくためには、全体的な事や本当の事を知る必要がある。君たちは本当に必要なことは何一つ教えられずに大人になった。知識はバラバラにされ、断片的に教えられたにすぎないし、肝心な事は教えられていない。というより教えられる人がいない。
例えば、なぜ、属人給が廃れたのかというとそれは、フリンジベネフィトの負担に企業が耐えられなくなったからだ。フリンジベネフィトは、要は、仕事と直接かかわらない費用。交通費や福利費、その最たるものが退職金や年金、ボーナス。だから、派遣なのであり、同一労働同一賃金。要するに限りなく賃金を費用化するという思想。この点は、gafaも変わりない。むしろ、進化した。
右だって左だって変わりない。だから、第三の思想が必要。そのために半世紀かけて一人で模索した。

要するに、若者を馬鹿にしているんですよ。でも、このまま、若者たちを信頼し全てを任せなければ、後、五年もすれば本当の馬鹿になる。
そうなったらおしまいだ。
本当に馬鹿にしているよ。平均年齢が七十を超えている人達にコロナ対策とか、デジタル対応ができると思う。
確かに、頼りない。でも、総理の名前も覚えられない年寄りとどちらの方が頼りない。大体、年寄りには、先がないんだよ。もう、若者達を信じて全てを任せる以外、救いがない。
これからの時代は、若者たちの時代だし。若者達が責任を負わされるのだからね。もう年寄りは引っ込むべきだよ。
君たちも薄々感じているだろ。団塊の世代は、高額の退職金をもらい。高額な年金も貰い。実力以上の給料を長く勤めというだけでもらい。フリンジベネフィットの恩恵を受け、低い税金で、住宅ローンも払い終わり。医療費もタダ同然で…。これらが、君たちが高齢に達した時、同じように得られると思う。
与党だって、野党だって、皆、同じ。この点にメスを入れる気なんてない。なんとなく平穏無事でいられるうちは、ああだ、こうだいって若い連中に任せないで、日和見主義、事勿れ主義に徹していればいい。
そんな事いつまでも許してはおけない。だから、君たちにこの会社を委ねたい。責任は俺がとれるうちは、俺がとる。臆病にならないで挑戦してほしい。専務の下、若者たちの力を結集してほしい。
そして、未来に向かって開かれた会社に君たちの手で生まれ変わらせてほしい。そうしないと若者達から希望を奪う事になる。

俺だって昔は、半沢直樹くらいな事は政府財界の首脳に言ったこともあるよ。ただ、俺の場合は、商売の事ではなくて純粋に頭来たので、この国難の時に先の大戦で言った英霊達の事も忘れて政争に明け暮れる気かってね。半沢直樹の時と違ってそれででも当時の田中の親父も福田の親父も、中曽根さんも、渡邊美智雄さんも事を治めてくれたよ。今の政治家は志が低すぎる。
あの時は、石商の会長を長く勤めていた笹野さんがあいつは狂ったかって親父に言ったけど、その時、親父は、あいつは総理大臣も恐れない男だって言ってくれた。うれしかったね。
本心から、純粋に国を思えば通じるものだよ。ただ警察が来たことは来たけどね。覚悟を決めれば怖れる事はない。俺は匿名で訴えた事は一度もない。
大切なのはね。志を持つ事だよ。このままでいったら、魂を抜き取られ抜け殻のごとき人生を送るしかなくなるからね。至誠天に通じるという事さ。

俺は、一人だけどね。訴え続けているの。
もう、若者たちに嘘をつき続けるのはやめようって。若者たちも馬鹿ではないんだよ。
バブルの時だった、バブルが崩壊した時だって、酷い間違いを犯したし。アベノミックスだって思惑が外れたの。それをキチン認めて清算せずに小手先で糊塗しようとし続けているからかえって傷口を広げている。
自分達の過ちを認めるどころか、同じ顔ぶれで、また、同じような事をしようとしている。
若者たちを信じようよ。投げ出すのではなく。きちんと事情を伝えて彼等に任せようよ。そうすれば未来は開けるから。
新しい時代が始まるんだから。そうしないと若者たちは、誰も大人を信じなくなる。大人を信じなくなるだけならいいが、希望まで失ってしまう。まだ今なら間に合うから。
若者たちが一歩立ちできるようにしようよ。それが本音だね。
若者達だって馬鹿ではないんだよ。

今の子は、弱いという。厳しくするとすぐ辞めるという。
物事を軽く考え、深刻に考えない。だから、何でも簡単に考えている。
それは嘘だ。
我々が若者の言う事を重くとらえず、いい加減に聞くから、彼等は、それが耐えられないだけだと思う。なぜなら、我々と彼等のどこが違う。育った環境と教育が違うだけである。
彼等にとって重くて、深刻な話を軽くいい加減聞けば、彼等は、自分たちが軽く見られたと思い傷つき本心を打ち分けなくなる。それを弱いとするのは、自分たちの責任放棄である。
若者たち一人ひとりの持ち問題の中には、重くて深刻な話が沢山ある。中には、解決が難しい事もあるだろう。
その一つひとつを重く深刻に、真面目に受け止めよう。軽くいい加減な気持ちで話は聞かない。そうしないと責任を負えないし、持たせられない。

若い子たちは、言っても軽くしか受け止めてくれない。いい加減にしか聞かないと思っているから、心を開くなくなった。でも、根本の問題は、何も解決できずにモヤモヤとした状態で深く深く、心の底に沈潜し、籠ってしまっている。それは、心を弱くし、人と人との関係を作る障害となる。
先ず、話を聞こう。心を開こう。真剣に話し合おう。そうしないと心の病になる。

深刻な話は深刻に、重い話は、重く受けてめよう。
そうしないと若者たちは、本当に弱くなり、深刻な事から逃げてまわるようになる。

だから、若者たちも方針を重く受け止めてほしい。重く受け止める様にしたい。
最初から嘘があってはならない。簡単に軽く受け止めさせ、後から、重い責任を課したら、若者たちは、騙された、裏切られたと思うだろう。
だから、重大な事は重大な事として、社内外にはっきり伝えよう。
私は、社運をかけて、命をかけて君たちを受け入れ、任せるのだと。

もっと攻撃的に。もっと猛々しく。もっと獰猛に。飼いならされるな。ペットになるな。家畜の自由に甘んじるな。自分の力で自分たちのホームをつくれ、そして、守れ。

由らしむべし知らしむべからず(よらしむべししらしむべからず)
《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。
封建時代の政治原理の一つ。出典は『論語』泰伯編。「人民を従わせることはできるが,なぜ従わねばならないのか,その理由をわからせることはむずかしい」という意味である。つまり,人民は政府の法律によって動かせるかもしれないが,法律を読めない人民に法律をつくった理由を納得させることは困難である,といっているにすぎない。ところが江戸時代には,法律を出した理由など人民に教える必要はない,一方的に法律(施政方針)を守らせればよいという意味に解されて,これが政治の原理の一つとなった。

愚民政策は、形が変わっても欧米にもある。典型は、マキャベリズム。

国民国家には、市民と異邦人(かつては、奴隷もあった。)との間に権利と義務において明確な区別がある。それは現代でも。
しかも、その思想は社会の隅々にまで浸透している。その例が、正社員と派遣の違い。正社員は人としての権利が認められるが派遣にはない。会計で言う社員の意味もその表れ。一般で言う社員とは意味が違う。しかも、彼らの市民は欧米の価値観に基づいているから、自分たちで正しく解釈しないととんでもないことになる。早い話、奴隷にされる。

SNSは、若者たちの最後の牙城だよ。SNSの中なら、自分で最初から最後まで責任を持てできるし、情報の発信もできる。助け合ったり、団結することもできる。そこに、大人たちのよこしまな思惑を持ち込むべきではないよ。若者たちは自分たちでルールを作る。それができるようにね。SNSをめぐっては今いろいろな勢力が抗争を繰り広げている。だからこそ、若者たちが結束し自分たちの世界を作るべきなんだ。
会社が君たちを利用して利益を得るのではなく。君たちに利用されることで利益を得る。それでいいと思っている。たとえツバメが解体されても、君たちが次の世界の礎になってくれるなら本望だよ。その方が、専務や息子にもいいことだよ。次の時代は君たちのものだ。君たちが誇りを失い、家畜化され、植民地化され、奴隷化されていくのは見るに堪えん。騙されては駄目だよ。http://www.fujitsubame.jp/kyouiku101.html
由らしむべし知らしむべからず(よらしむべししらしむべからず)は、愚民政策の典型とされる。
今の元々は、論語が出典だが、今の中国もご存じの通り。今でも生きている。
この政策の影響を最も受けているのは、今の若者たち。今の若者たちは、無気力で無関心、大体、何をやるにしても中途半端だし、意欲も、やる気もない。責任をもって最後までやり通すだけの責任感も気力もない。厭になったらすぐに投げ出すし、意味もなく辞めてしまう。常識も礼儀もないし、仲間に対する思いやりも連帯感もないからチームワークなんてできない。無責任。
だから、仕事は任せられないとなる。こんなのは出鱈目。
若者たちは、馬鹿で、間抜けて、常識も、責任感なく、根気もないと大人達にも若者達にも思い込ませたい。
その結果、自分達で問題を解決したり、仕事を完結できなくなる。要するに、無責任、無気力、無関心は結果であって元からそうなわけではない。
自分達で、責任を持って決断したり、最後まで仕事をやり遂げたり、結束して自分達を守れなくする。国全体がそうなれば、国難に陥った時、自分達で問題を処理できなくなるから、進んで国の独立も主権も差し出す。それは、会社レベルではすでに完成段階に入っている。日本を代表と思っている企業の多くがいつの間にか、外資系に変わっている。
日本の学生のレベルは、どんどんと下がって今や韓国、中国、台湾、ベトナム、シンガポール、マレーシアなどからも追い越されつつある。
最終的に米中いずれかの植民地になっていくのだろうけど…。香港や台湾を見ればわかる。
若者たちは、一見面倒くさい事や厄介な事から解放、逃げ出せる気でいるけど、三等国に落ちたらどうなるか世界を見ればわかる。その結果で苦しむのは、若者たち。
このままでいけば今の若者たちは、良くてペット。大多数は、家畜化され、奴隷化され、愚民化され、植民地化されていく。
大切なのは、自分達で、責任をもって結束して仕事を最初から最後までやり遂げる力を身に着ける事。その為には、仕事や組織の全体像を掌握できる技術や知識を身に着ける事。これは若いうちに経験的に身に着ける以外にない。

団塊の世代というのは、日本が占領されている時に生まれ、その後、戦前の体制を全否定しつつ、反米、左翼で育った世代。それが安田講堂や浅間山荘事件でピークに達し、ベルリンの壁が崩壊した時に終焉した。三無主義世代は、それ挫折を見て育ったため日和見主義、事勿れ主義に徹した。団塊の世代は、挫折したといってもその影響力は全く衰えていない。その証拠に、今度の内閣は、しらけ世代から団塊の世代が奪還をした。
これで増々若者たちの無力感に拍車がかかる。
この点を正しく理解して自分達で進んで仕事を覚えないと奴隷化、植民地にされてしまうよ。

注意することは、学校は、一方通行だけど、会社は学校と違い、双方向だということ。
それだけに、会社と社員は連帯して責任を負わされる。社員の不正で会社は責任を負わされ、会社がつぶれれば結果的に社員も責任をとらされる。

人事権は、全ての権限に優先し権力の根源となるもの。故に、トップが固有の権限だということ理解しておいてほしい。
この点を前提とし、今後の人事について考えるように。
システムが進化した今日、人事管理は、全体を一律に管理する考え方から個別管理へと移行しつつある。これは、システムの在り方に端的に表れているが、それ以上に、労働環境や、労働条件等に決定的な変化を持たれせている。
また、若者たちの価値観の変化に適応するためには、社員一人ひとりに向き合った個別管理への意向は必須と思われる。
個別管理へ移行するためには全員が共通して守るべきことと個人の価値観を優先すべきこと明確に分ける。
例えば、過去には、たばこや飲酒、男女関係やモラル、センス、個人の趣向、趣味と言ったところまで介入する傾向があったが、個人の権利は尊重しなければならない。
全体が守ろべき事と個人として尊重しべき事を明らかにするためには、共通のルールをつくり、最低限それだけは守ることを誓わせる。ルールは皆の考えうを聞いたうえで専務が決める。
ただし、肉体的、器質的、生理的、物理的、病理的に守れないことがあればそれは、上長、あるいは、人事に申し出る。例えば、目の見えない者によく見てとか、耳の聞こえない者によく聞いてといった類。人事はT0Pと相談のうえ正当な理由がある場合はそれに対処する。それ以外は全員でルールを守らせる。
ただし、TOPは除く。それは、TOPは特例の決定権があり、無謬性が求めらるため専務を拘束すると、全体の統制がとれなくなる。基本的にTOPを信頼し、委ねる。

人事の手段は、評価、異動、教育、賞罰の四点。

給与には、四つの働きがある。一つは、費用という働き。第二に、生活費。第三に、報酬。労働に対する対価。第四に、実績に対する評価。

生活を重視したものが、属人給。報酬を重視するのが職務給。適性、能力を重視するのが職能給。実績を重視するのが業績給。
ただし、純粋の属人給、職務給、職能給、業務給はないとされないとされ、給与体系の傾向とみなしていい。

属人的部分は、基本給や手当に反映され、職務的な部分は、資格給、職務手当、昇級。職能的な部分は、役職手当、賞与、評価、昇給等。業績は賞与、歩合、報償などに反映される。

人事評価に基準は、実績、適性、能力、意欲、規律の五点で、実績は評価。適性、能力は異動、配置。意欲は、教育。規律は、賞罰に、反映させる事を原則とする。

適性には社会的、属人的適性。職業的、職務的適性。能力的適性がある。
野球で例えれば、社会人としての適性がない。野球に向いてない。投手としての適性がない。プロの水準に達していない等。

属人給というのは、年齢、勤続年数、性別、学歴、資格、家族、住所、資格、賞罰といったその人固有の属性に基づく給与をいう。履歴書、経歴書に記載されている事項と考えていい。
企業が共同体に近い性格を持ち給与が生活給であった時代に基本となっていた。ただ、今でも基本給の基礎となっている。年功序列、終身雇用の根拠である。属人給や終身雇用は日本固有のもではなく、アメリカの自動車や家電などの主力産業が、競争力を失った原因ともいわれている。
高度成長に伴って給与が報酬という性格が強くなるにしたがって職務給か職能給かの論争があったが結局は、決着がつかず。厳密な差はなく、傾向としてとらえることになる。
今日、全体を一律にとらえるのではなく、個としての一人ひとり大切にするということで業績給が台頭している。そうなると、アイデンティティをどうとるかがカギとなる。
だからこそ共鳴共感が重くなるのである。
ところが、若者たちが共鳴共感できる場がなくなってきた。それが深刻なのである。

なぜ、属人的な要素が廃れ費用化したかそれは、競争が絶対化したからだけど、そうしたのは日本人だというの考えが欧米の一部にはある。日本人が掟破りの安売り攻勢をしたから市場の規律が守れなくなった。それまで、欧米の企業も年功序列、終身雇用だった。アメリカの企業は共同体理念が強く。そのために年金が足かせになっている。
近代国家というのは市民革命のよって成立し、根本は契約。日本人は、国民は自然になると思っているが、欧米人は自分の意志で国民になる。だから自由、平等、同志愛である。国民は、憲法によって定義される。
この点を正しく理解する発揚がある。

守ってほし事。
それは、自分の能力、スキルに下駄を履かせないこと。
僕がシステムの黎明期に関わった経験をいうと、技術革新が激し時は、すぐに技術が陳腐化してしまうから、一緒に勉強し続ける覚悟ないと脱落してしまう。生半可で生き残れる世界ではない。実力、戦いの世界だ。実力が出せなければ容赦なく脱落していった。
今もあの時以上に急激な技術革新が進んでいる。信じるのは皆の実力と個性だけ。そして、能力、スキルは自己申告で身に着けたいスキルや情報、知識は申し出てくれればセミナーでも、学校でも、外注、補充も検討するから。できないことはできない、勉強、学習することがあれば学習する。挑戦したいコンテストがあればどしどし挑戦して名前を売ってくる。無理をせず、リーダーと一緒に飛躍する。要は、全て未知数なんだから、自分の力も。
経験的に、相手の力を過信するのも、見くびるのも、同じくらい危険。無理しなくてもそれぞれが、自分の力を発揮できたら必ず成功するから。とにかく、自分に正直に。

何をしに来たんだなんて言われないようにね。現状が何も変わらなければ、自分たちの存在価値がないじゃあない。自分だって、わざわざわ、ここに来た意味なんてなくなる。だからといってただ成長させればいいというのではないよね。
何をしにここに来たのか。自分なりにはっきりさせよう。


       

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