経済の現状

全ての始まりは、共鳴・共感
問題意識とは


世界を目指す会社に生まれ変わらせるですって。新しい時代を切り開くですって。業界を変えるですって。
無理。無理。頭変じゃあないの。馬鹿馬鹿しい。なんと大それたことを。何考えているんだか。狂っているよ。誰だって普通そう思いますよね。
でも、本気ですよ。皆がちょっと努力すればかなうとか、簡単に実現するような事を興そうと思っているわけではない。
三日で実現する夢は、儚い。一年で達成できる夢は、一年で醒める。僕らが目指すのは、所詮、見果てぬ夢さ。
何に心を動かされ、何に惹かれ、何に魂を震わせたのか。その大本にある存在。自分。
僕は、人生を有意義にしたければ惚れる事だと思っている。
惚れる対象には三つあると思う。一つは異性。もう一つは、指導者。もう一つは、事業。一番難しいのは、事業に惚れる事。事業とは、志すところを為す事。事業に惚れられなければ人に惚れる。人に惚れるのも難しければ異性に惚れろ。ただ何にも惚れる事のない人生は送りたくない。それは生きた事にならないから。
もっと猛々しく、もっと獰猛に、もっと攻撃的に。
我々は、人を愛する事を学ぶ前に性を教えられ。志に目覚める前に金儲けを教えられ、学問を志す前に成績で人格まで測られた。
我々が求めるのは、性でも、金儲けでも、成績でもない本当の夢だ。
目的の前に手段に囚われるな。失敗しても立ち直れれば怖くない。本当に怖いのは、一回の挫折で人生を諦めてしまう事だ。
今、我々が求めているのは、結果ではない。どんな逆境もどんな苦しみも辛さも、共に助け合い、共に泣き笑い、信じあって克服していく仲間だ。
どんなドラマだって最初に出会いがあり、共感・共鳴がある。共感のない事業なんて、魂がない。感動のない人生なんて、生きるに値しない。ホームページをリニューアルするとか、売上を向上するとか、ヒット商品を出すとか、それは手段だよ。手段は目的にはならない。
それよりもどんな稚拙でもいい、笑われてもいい。自分の言葉で語ってほしい。何を求めているのかを…。
今、無理して答えを出す必要はないさ。そして、答えを一人で出そうとしないでほしい。答えは、皆で協力して探そうよ。
考えてほしい。皆の言っている事はね。成功したら分け前をよこせ。失敗した時は責任を負えという虫のいい事。でも、僕は、それでいいと思っている。ただ、俺にも覚悟をさせてくれ。ちんけな夢に自分の全てをかける事はできない。
だから、誤魔化すのはやめてくれ。本音で話そう。見せかけの嘘程、人を傷つける物はない。
小さな嘘は人を傷つける。しかし、大きな嘘は、人に夢を持たせ、そして、やがては実現させる。それは、大きな嘘には、人々の思いが込められるからだ。
騙すなら誠心誠意騙せ。そうしたら信じてやるよと親父たちに言われて育った。後は度胸。

なぜ若者たちは怒らない。俺は腹が立ってならない。
俺が大学に入った時、学園紛争は、将に、終焉しようとしていた。
でも、俺は先輩たちに言ったんだ。あなた方は、ぶっ壊すだけぶっ壊してきた、でも、後輩たちに何一つ創造的なものは残してこなかったと。
それは今だって変わりはしない。年寄りは、若者たちの事を真剣に考えてなんかいない。
それ以来、俺は異端。誰一人認めはしない。でも、このご時世、俺はそれでいいと覚悟している。
俺は、人生をかけてけじめをつけなければならない。次の世代に例え蝋燭の灯程度の光でも、照らせたら本望だ。
若者たちは、怒りを忘れた。自分を抑える事ばかり教えられた。
怒れよ。若者を欺き、嘘で固め、自分たちの保身に汲々とするとする大人たちに。もう我慢する事はない。我慢する必要はない。我慢してはならない。
我々が求めているのは、馬鹿馬鹿しい程、途方もない、途轍もない夢さ。
だから、やれと僕は言うの。感動のない人生は糞だ。自分のない人生は生きるに値しない。
最初に嘘があっては駄目。本気で語れ。泣け。

俺はこのまま、立ち枯れ、朽ち果ててもいい。
ただ一人になっても戦う。それだけだ。
俺は、これまでだって一人で戦ってきた。
俺は匿名でなんかで主張したりはしない。炎上しようがしまいが、自分の名前で語る。それが第一歩だ。自分の名前で仕事をしろ。
年寄りに、騙されるな。誑かされるな。自分を生かせ。
なぜ、自分の成果を年寄りに差し出す必要がある。
あいつらは汚い。まるで家元制度の家元だ。
年寄り同士で称え合い。若者を排除している。茶坊主になるな。
媚び諂ったところで認めはしない。侮られ、辱められるだけだ。
なぜ、年寄りに迎合する必要がある。自分は自分だ。自分を生かすために戦え。
年寄りは、何とか、若者たちに駄目な奴、馬鹿で阿保、やる気もない、常識もない、俺たちがいなければ、何もできないと思い込ませようとしている。
やればできる。とうの昔に実力は、年寄りなんて超えている。後は少しばかりの勇気を持つ事だけだ。
自分の力を他人に採点させるな。俺は俺だ。俺は百点満点なんて求めない。俺は点数を付けられるような人生は送ってこなかった。俺のプライドがそれをさせない。
俺は部下の成功、弟子の成果を横取りするほど落ちぶれてはいない。
戦う事を怖れるな。自分に対する無理解さなど、撥ね退けろ。誰も認めてくれないと嘆く前に勝ち取れ。逆境こそチャンスと思え。失敗を恐れるな。
己を惨めにするな。誇り高くあれ。信じあえる仲間を友を求めよ。心を開け。
俺は血の一滴まで日本男児だ。ここで踏み止まってみせる。
もう年寄りが出る幕ではないんだよ。若者たちが前面に出ないとこの国の未来はなくなってしまう。皆は、薄々気が付いているはずだよ。このままでは、皆の時代になった時、廃墟しか残されていない。そうなってからでは手遅れだよ。今立ち上がるしかないんだ。
俺はこのまま、立ち枯れ、朽ち果ててもいい。
ただ、ただ、信じて任せ、身を委ねるだけだ。もう俺の時代ではない。信じる事、それが俺が皆にしてやれる唯一のことだ。

始まりは出逢い。
確かな事は、今は、何もわからないということ。
出逢いを先ず大切にしよう。
今は、始まりであって終わりではない。これから始まる。
成功を誓えるわけではない。今、誓えるのは、共に生き、運命を共にする事。
補い合い、助け合い、信じあい、分かち合う事。
心を一つにすること。
失敗や過ち、欠点、醜さ、弱さを隠したら信じあうことはできない。
虚飾は捨てよう。虚勢を張るのはよそう。本当の姿、あるがままの自分だから信じあえる。
足らないところを補い合い、助け合い、分かち合い、信じあう。
辛い時こそ信じあえる仲間が必要となる。だからこそ欠点や失敗、過ちをどこまで許せるかだ肝心なのだ。敵前逃亡をする者とは手を組めない。
苦節を共にできるか。逆境だから結束できる。
成功してから加わっても、その他大勢にしかなれない。
ホンダや松下だって町工場の時だから、ユニクロだって町の洋服屋の時に、ヨーカドーだって小さなスーパーの時に、ソフトバンクやアマゾンだって創業の時だからこそ慧眼と言えるのだ。鴻毛の軽きを持ち上げても力持ちとは言わない。出逢いこそ鍵。
共鳴・共感なくして大事業は為せない。大望を持とう。挑戦しよう。分不相応と言われても、思い上がりと言われても信じよう。笑わば笑え。
自分たちの限界に挑むのだ。自分を飾っていては耐えられない。虚飾をはぎ取らなければ

あるがままの自分をさらけ出せるかだ。あるがままの自分をさらけ出せなければ、どんな結果を出しても虚しい。自分の思いは自分で言わなければ相手には伝わらない。
自分の思いをぶつけよう。自分を抑えるのはやめよう。
自分から逃げるために集まったわけではない。自分を取り戻すために集まったのだ。自分を生かすことを考えようよ。
なぜ、我慢する。なぜ怒らない。今の若者は自分を抑える事しか教えられていない。
自分を認めようともせず、無理解で、チャンスさえ与えようともしない、力ずくで組み伏せようとする。なぜ、そんな連中に怒りをぶつけないんだ。
誇りをもって。名こそ惜しめ。自分の名前で仕事をしろ。プライドを持て。
怒りこそ問題意識の原点。
自分が何を感じるかが大切なのだ。負の感情だって何かを語る。無感情、なにも感じなくなったら人でなしだ。
悔しと感じる。妬ましく感じる。羨ましいと感じる。いやらしと感じる。疎ましと感じる。憎たらしいと感じる。汚らわしいと感じる。汚いと感じる。ずるいと感じる。嘘だと疑る。その大本にある自分の心。それを見つめよう。
一人ひとりの話に何を感じるか。感動する心を失ったら。老い衰えの始まりだ。
新鮮な心をなくした証拠だ。
共鳴共感なしに共に大事ははかれない。
年寄りはまだ、若者たちの足を引っ張る。若者たちが自分よりうまくやるのが許せないだけだ。


インターシップという映画がある。
グーグルの入社試験を描いたコメディだけど欧米のIT産業が何を求めっているかが解る。
共鳴共感こそ求められているのだ。彼らは醒めてなんていない。熱い。

先ず、問題点を共有する事です。あわてない事です。
問題点の共有は、共鳴、共感です。
先ず、リーダーの話をよく聞いてください。そして、何を感じるかです。共鳴・共感は、感じるところ、感情です。涙が出そうになるところ、共に腹が立つところ。笑ってしまうこと。悲しくなるところ。感動するところ。同情するところ。苦しくなるところ。嫌になるところ。嫌いなところ。虚しくなるところ。逃げだしたくなるところ。恥ずかしくなるところ。
そこに共鳴共感が隠されています。ですから、リーダーの話を聞くときは、なるべく、周囲の人の目を気にせず、リラックスして、素の自分を出すようにしてください。泣いても、わめいても構いませんなるべく、素の自分をさらけ出すことです。でも、無理しなくていいですよ。自然にふるまえばいいのです。
リーダーの話を聞いて何かを感じたら、それが、種火です。
この段階では、まったく、完成度なんて求めません。一つでも、二つでも、何かを感じたらそれでいいのです。
それぞれ、感じるところが違っていいのです。まず、自分が何を感じたかです。自分が感じたことを皆であっためて問題を共有化していきます。異論があってもこの段階では批判したり、否定したりしないようにしましょう。大切なのは、共鳴共感です。
人生意気に感じる。
共鳴共感できたら方向性を定め、目的を共有しましょう。
共同で問題を解決するためには、目的を、共有することです。
問題とは合目的的なことです。
目的が定まったら方針をリーダーと話し合いましょう。方針は、リーダーの決定します。
何を共有し、何を分担するか。どういう体制でいくか。それぞれの力を最大限に引き出すためどうしたらいいのか。それが一番大切なことです。そのためには心を一つにすることです。共に笑い、共に泣くそんな仲間です。どんなにぶっつかりあっても心が一つなら一体になれます。最初に嘘があったら、心を一つにできません。焦らないでください。リーダーを信じて、よく、リーダーの話を聞いてください。そして、自分をさらけ出してください。早とちりしないでください。
最初は心を通わす事です。自分を見つめる事です。自分を出す事です。恥ずかしがらないでください。恐れないでください。新し魂を生み出すのです。生み出すのです。新し魂を生み出すためには男と女は他人に見せられないところをさらけ出さなければならないのです。

僕に答えを求めないでください。僕が答えを出せるならあなた方をやったりわしない。答えがないから皆を集めたのです。
僕は、学校の先生ではない。
それと、答えで争うことはやめてください。出した答えが違うのなら確かめればいい。正解なんてどこにもない。あるとしたら自分たちで出すしかない。まあ、作るんですね。
信じる神は、みんな違うのですよ。何が正しかなんて確かめようがない。ただ、やってみて試すだけです。納得がいかなければ、いい結果が出ても拒むしかない。
リーダーが求めているのは、自分と問題を共有し、一緒に考えてくれる人ですよ。
先日もなぜ、わっかってくれないのかって悩んでいましたよ。でも、力のある人にとっては永遠のテーマですね。なぜ、解らないんだろう。
単純に馬鹿だからで片付けられればいいんですけどね。でも、突き詰めてみると意外と奥が深い。人間の愚かさは永遠のテーマですよ。馬鹿だねーて。

予め与えられた問題を、決められたように解き、用意された答えを出す。それも、限られた時間、たかだか、一時間で出せる。そんな答えは、幻想にすぎない。
そんな世の中なんてない。そんなのは学問ではない。
それを二十年間も繰り返されたら、何も考えられなくなる。
狭い水槽で育てられた魚は、大海に放たれても水槽と同じ空間から出られないという。
目に見えない境界線が自分の世界にひかれてしまう。そして、その後、境界線から飛び出すことをおびえるようにされてしまう。
教科書に書かれていることは絶対真理で疑ることは許されない。
自分たちが飼いならされていることすら自覚していない。
こんな自由は家畜の自由でしかない。
自分を解き放つしかない。
自分の頭で考え、自分の足で考え、自分の手つかみ取る。

この境界線の向こうに何があるのだろう。

全人類が、同じ答えを出すなんてありえないなんてありえない。
そんな答えは幻想にすぎない。
答えは、共有できない。共有できるのは、問題。

あなたの生き方を誰が採点できるの。満点の人生って自分のない人生。そんな人生なんてむなし。でも、むなしさを感じたとしても、どうしそうもない。だってその時は、答えをすぐに求めて。疑問の本質を考えようこともできなくなっているから。
自分が迷った時、だれが、問題を設定するの。問題があらかじめ与えられていないと答えは出せないの。その答えが正かどうかはだれが決めたの。考えてみよう。考えてみよう。
考え始めてみよう。

年寄りは、あたかも自分だけが正解を知っているかのように振舞う。嘘、嘘、全て、嘘、正解なんてはありはしないのだ。

なぜ、どうして、何が。
なぜ、自分の名前で仕事をしてはならないのか。どうしたら、生きがいのある事を見つけられるのか。なにを、自分は求めているのか。なにが、自分に求められているのか。誰に、聞いたらいいのか。

飼いならそうとしている連中は、そんな疑問を持たれたら困る。
なぜなら、若者たちは考えだすから。答えなんてあるのだろうかと。考えだすから。
自分はなにを求めているのだろうと。何が問題なんだろうと。
考えだすから。そうすると人それぞれ、違う答えを出してしまう。そうなったら、試験官は困る。自分の立場がなくなる。

問題意識を失ったら問題を設定する者の言いなりになるしかない。そして、ゾンビ化する。
そのことに若者たちが気がついたら。

若者たちに問題意識を持たれたら困る連中は、問題なんてどうだっていい。問題なんて考えるな、問題は、お前らが考える必要はないと刷り込む。そして、聖域化する。若者は、ただ、ひたすら、意味もなく問題を解く事だけに専念する。そして出題者があらかじめ定めた答えに短時間にたどり着いたものだけが評価される。設問に疑問をもつことは許されない。

しかし、問題意識を持たなければ、どんどん自分と向き合うこともできなくなり、自分を見失っていく。そして飼いならされていく。
問題意識を持たないまま年をとると疑問を持つことさえおびえるようになる。そして、自分の名前すら忘れてしまう。
若い時だからこそ問題意識を持つことができる。だから、今、問題意識に目覚める必要がらうのだ。
なぜ。なぜ。なぜ。自分は何を求めているのか。何をしようとしているのか。何を、なぜ、学ぼうとしているのか。
問題の本質は自分にある。
自分の人生に責任が持ちたければ、今、自分を取り戻すしかない。答えの中に自分を求めても無駄である。自分が何に疑問を感じたか、つまり、問題意識の中にこそ自分はあるから。
若者を飼いならそうとする者たちが何を怖れているかわかるだろ。
若者たちが自分を取り戻し、共通認識をもって結束すること。
問題意識こそ共有しよう。問題意識だから共有できる。なぜなら、自分の原点があるから。自分があるから。
何が問題か。それがすべての始まり。答えを共有するのは難しい。答えこそ、個性だから。たった一つしかない絶対真理など求めても空しい。だいたい問題すら不確かなのに答えなんて出しようがない。
出せない答えを求め続けるのは虚しく、空疎だ。

自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の心が感じたままに考えて、考えてみよう。
そうすれば、何かが、見えてくるあず。

問題点は、大本にある。問題意識は、自分の魂、心、命から発するからだ。
問題意識が共有できたらはじめて同志になれる。そこからチームワークは始まる。

戦うことです。戦うこと恐れてはなりません。
人は年をとるのです。年をとると衰える。一番輝いている時を無駄にしてはいけません。
しっかりと自分をつかみ取れる時は意外と短いのです。その時を逃したら後悔だけの人生になりますよ。年寄りはうすうす気が付いているのです。若い連中にかなわないと。それでいながら若い連中よりずっと高給をとっている。気が付いているから経験がないとか、未熟だと言って誑かしている。
嘘、全部、嘘。若者は年寄りの呪縛から自分を解放しなさい。そうしないと年寄りの怨念によって人生を台無しにされてしまいますよ。これは、ホラーですよ。
自分の名前で仕事をしなさい。自分の名前を知らしめられるのは今だけですよ。
今の、大学は、家元制度の様なもの。自分の弟子の功績を奪って何の罪悪感もない。恥知らずばかりです。遠慮はいらない。ぶつかってきなさい(笑)全力で叩き潰しますから。かなうならばですけれどね。僕も年を取った。
でも、ぼくはまだ、あきらめてはいない。戦います。

わかっていない者は、物事を複雑にする。
僕らは、常に、先生の指導されたのは、物理学は、物事を単純明快にする事。
小学生でもわかるように説明できるのが一流だという事。
とにかく、わかっている人は、わかりやすく説明してくれる。また、相手に合わせて説明してくれるけど、わかっていない人は、仮名文字使ったり、専門用語つかって相手をはぐらかそうとする。
リーダーと直接話をすればいい。
年を取ると理解力も衰えるし、行動力も鈍くなる。時間を節約したければ、間に人を交えずに直接話をする事だよ。

わかっていない奴にかぎって「お前はわかっていない」という。
「お前はわかっていない」と言う奴は、大体、自分がわかっていない。
時代は、どんどん変化している。若者は、もっと自分の感性を大切にする。
年寄りの多くは、時代の変化についていけなくなっている。
若者に、それがばれると自分の居場所がなくなると勘違いしている。
そして、楽しようとしている。何度も言うが、決断力は、収斂で身に着ける。決断は場数で決まる。決断の場数を踏めば度胸がつく。いいか、度胸は、つくものだからな。あるものではない。だから度胸試しをした。今は、女性の方が度胸がある。なぜなら、女性の方が場数を踏んでいるからだ。
今の男は、決断すべき時に逃げ回っている。だから度胸がつかない。
決断力は、場数を踏まないとつかない。決断力のない者は、度胸がない。だから冷静に判断できない。感情を制御できないから。決断もせずにただ馬齢を重ねた者は、ヒステリックに行動する。自分を抑制できなくなる。臆病になり、卑屈になる。
人徳を磨きたければ、決断しろ。

なぜ、今なのかわかるか。
決断は、感情でする。収斂で身に着けるもの。
若いうちに、責任感を持って決断しないと身につかない。決断力は、歳とともに衰えていく。
今、やらないと、責任を持って決断する事が出来なくなる。
決断できない者は、臆病になり、保身的になる。自分が決断力のない事を部下や上司に知られる事を極端に恐れるようになる。
だから、上にも、下にもいい顔をして誤魔化そうとする。そうなると組織は長期停滞に入る。
今は、国中がそういう状態。なぜ、SEの高齢化が今になって問題になるのか。それは、若者に問題があるのではなく。どんどんと若者を信頼して任せずに歳をとった側の問題なのだ。
彼等だってかつては若かった。しかし、若い時にやり残したことが多く、また、任せてもらえなかったことがあるから、いつまでも引きづっている。
人は、残念ながら歳をとる。歳をとれば力が衰える。だから何だ、これからの時代を担う若者の後見して、指導する側に回れば十分に居場所はあるのに、いつまでも、現役のつもりで自分がマウンドに立とうとするから、老害と言われるようになる。
今、やらなければ、いつまでたっても一本立ちできない。俺を当てにするな。
自分達でゼロからやればいいだろう。わからない事、できない事は率直に認めて教わればいい。ただ安易に頼る事だけはやめろ。
今までのやり方では通用しない事だけは明らかだ。後は自分達で切り拓け。答えなんてない。答えは自分達で探せ。
決断力のない奴は、飛躍する。感情をコントロールできなくなるからだ。
高所大局に立って全体を専務と伴に統制しろ。統制しろ。
自分たちの感性を信じろ。時代は変わった。時代はものすごい勢いで変化し始めている。今、決断力を身につけなければ悲惨な人生しか送れなくなるぞ。

それぞれの内に眠っている力を引き出し、秘めた力を発掘し、持てる力を存分に発揮してもらうのが、我らの望むところ。
信頼関係もなく、違いを知らないうちに、結果ばかりを求めれば、ただ、ひたすらに消耗し、互いをすり減らしていくだけ。
今は、力を溜め。原点を確認すべき時。
先ず、相手を互いによく知り、認め、信じあおう。共鳴・共感。そこに原点、根っこがある。
理屈ではない。心で感じる事だ。
忘れないでほしい。
成功した時、その果実を独占したり、我が物にしようとしたら、絆、信頼はもらくも崩れ去る。その時、原点、初心に帰ってほしい。その原点が今。
だから、不確かであいまいな事、最初から虚飾や嘘があったら、立ち帰るところ、よりどころを失う。
栄光を手にした時、苦しくて苦しくて逃げ出したくなった時、失敗し、挫折し、絶望した時、その時、思い出すべきところが原点なのである。
根っ子を大地にしっかり張る時、今がその時。しっかりと根を張れば大岩を割って天に向かって枝葉を伸ばし花を咲かせる事もできる。根が脆弱、あるいは腐ってしまえばどんな巨木も一陣の風で倒される。
だから強く強く信じあうのだ。明日を夢見て。
その為には、素の自分をさらすしかない。最初に嘘や虚飾、虚勢があってはならない。互いの弱いところ。欠点、醜いところを含めて全てを信じあい、認め合う必要があるからだ。
弱いところを偽り、過ちを認めず、隠し事があれば、信頼なんて最初から築けない。なぜなら、弱点を補い合い、過ちを正し、他人に言えないような悩みを解決する為に集ったのだから。
我々は使用人を雇うのではない。同志を募るのだ。

怒れよ。今の若者は怒りを抑えすぎる。
世の中を変革するのは、怒りだ。世の不正に対する怒り。自分を抑圧しようとする者に対する怒り。自分に対する無理解さに対する怒り。不条理に対する怒り。怒りが正しい方向に向けられた時、変革は始まる。

綺麗事と言われてたじろぐな。綺麗事で何が悪い。穢ければいいというのか。甘いと言われたっていいじゃないか。何もしない奴よりましだ。どうせダメだと最初からあきらめるな。俺達なんてと自分達を卑下するな。前を向け。胸を張れ。最初から諦めて拗ねてどうする。言いたいことを言おうよ。
解らないじゃないか。わかってないじゃないか。やってみなければ。何もわからないまま終わってしまう。

今の若者は、なぜ怒らない。皆、うすうす気が付いているじゃないか、大人たちのつけを払わされるのは自分達だと。だったら怒れよ。大人なんてあてにするなよ。未来は自分たちの手で掴み取れ。

古今東西。大事を為す者は、狂者とするのが一般なのだよ。

ドンキホーテのミュージカル、ラマンチャの男の中に、確かこんな台詞があった様に想います。

私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。
……息をひきとる仲間を両の腕に抱いたこともある。
彼らはみな、うつろな目をして、
おれはなぜこうして死んでいくのかと私に聞いていたのではない。
いままでこんな人生なんのために生きてきたのかと私に聞いていたのだ。

ああ人生自体がきちがいじみているとしたら、では一体、本当の狂気とは何か? 
本当の狂気とは。夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。

だが、一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、
あるべき姿のために戦わないことだ。

人は、ドンキホーテは狂っていると言うが、
では、この世に正常な者がいるというのだろうか。
誰が正常で誰が異常かなんて解らないじゃあないか。
この世の中の人間、皆、狂っていると言ったっておかしくない。
皆が狂っているとするのならば、許されないのは、この世の中の不正に目をつぶり、仕方がないと諦めていく狂気だと私は想う。

Life as it is. I've lived for over 40 years and I've seen life as it is. Pain. Misery. Cruelty beyond belief. I've heard all the voices of God's noblest creature. Moans from bundles of filth in the street. I've been a soldier and a slave. I've seen my comrades fall in battle or die more slowly under the lash in Africa. I've held them in my arms at the final moment. These were men who saw life as it is, yet they died despairing. No glory, no brave last words, only their eyes, filled with confusion, questioning "Why?" I do not think they were asking why they were dying, but why they had ever lived.

When life itself seems lunatic,who kows where madness lies?Parhaps to be too practical is madness.To surrender dreams-this way be madness.To seek treasure where there is only trash.
Too much sanity may be madness.And maddest of all,to see life as it is and not as it should be.

己の魂以外、己のものとなすなかれ。
現在の自分を愛さず、将来の自分を愛せ。
快楽のみを追うな。
常に先に目を向けよ。

現実社会において、
『汚れ果てし この世から 正しきを救う』なぞ、きれいごとで、
それを実行し進み続ける男なぞただの狂人。

『現実は真実の敵なり。』
事実というのは、この毎日の現実の、この現実の世界は、いつの時代も真実の敵だ。

そしてテーマソング「見果てぬ夢」

夢は稔り難く  
敵は数多なりとも       
胸に悲しみを秘めて    
我は勇みて行かん    
道は極め難く      
腕は疲れ果つとも     
遠き星をめざして      
我は歩み続けん       
これこそは我が宿命     
汚れ果てし この世から 
正しきを救うために     
如何に望み薄く 遥かなりとも
やがて いつの日か光満ちて
永遠の眠りに就く時来らん  
たとえ傷つくとも   
力ふり絞りて   
我は歩み続けん   
あの星の許へ   

To dream the impossible dream
To fight the unbeatable foe
To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go
To right the unrightable wrong
To love pure and chaste from afar
To try when your arms are too weary
To reach the unreachable star
This is my quest
To follow that star
No matter how hopeless
No matter how far
To fight for the right
Without question or pause
To be willing to march into Hell
For a heavenly cause
And I know if I'll only be true
To this glorious quest
That my heart will lie peaceful and calm
When I'm laid to my rest
And the world will be better for this
That one man, scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable star

そして、論語も狂者を讃える。

狂者の人物像を尋ねた万章に孟子は語る。
「孔子の門人子張、曾皙そして牧皮などが狂者に当たる。
彼らは志は高いが大言壮語の人だから狂と云われてる。
しかも彼らは言行不一致の処があり、いにしえの聖者を崇めてしばしば口にしていたにも拘わらず、その行いは人と親しむどころか疎んぜられていたのだ。しかしかかる狂者とも交わることが出来なければ、不義を憎む士すなわち狷士を選んだのだ」と。
万章は話題を変えて尋ね返す。
「孔子は、訪れることもなく門前を通り過ぎてしまっても、少しも気にならぬのは郷原で、彼らは徳の賊だと云っているが、郷原とは如何なる人物を指すのか」と。
孟子は答える。
「世の流れに逆らわず仲良く過ごせれば良いと、良心に背を向けたまま世に媚びて生きている輩のことだ」と。
万章は質問を続ける。
「謹厳実直と人は評し、その行いも謹厳そのものの郷原の人を、何故孔子は徳の賊だというのか」と。
孟子は答える。
「非難される程目立つこともなく、世俗に流され、濁世に迎合し、見かけは忠信、廉潔の士に似ており、世人にも好評で自身も満足しているが、その世渡りは堯舜の道からほど遠いものがある。故に徳の賊というのだ。孔子は似非なるものを憎むと云っている。それは似非なるものが本物を見失わせるからで、例えば雑草は苗と見間違うし、佞人は義の道を損なうし、口先が旨すぎると真実が見えなくなるし、鄭の音楽は正統な音楽と紛らわしいし、間色の紫色は正色の朱と紛らわしいように、郷原を憎むのは徳を乱す恐れがあるからだ。君子たる者は常に正道を目指すべきである。この正道さえ保たれれば庶民は奮い立ち、邪悪な郷原は消え去るものだ」と。
孔子云う中庸の道守る人見つけ交際するが最善出来ざれば狂者か狷者見出して交際するが次善なる策狂者とはその志し高けれど大言にして壮語なる人狷者とは度量の狭き人なれど心に守るところある人郷原は本心隠し世に媚びて生きる輩で徳の賊なり郷原は善人として評高しその真実は背徳の人孔聖は似非なるものを憎悪せり世間惑わせ徳乱すため君子たる者はひたすら常道を守り続けることが肝要常道を正しく守り続ければ庶民必ず奮起するもの
庶民らが奮い立ったら郷原の如き悪人影を潜めん。

私は、言う。ただひたすら狂えと…。
我々は、新しい事に挑戦するのだ。今までにないものを求めるのだ。だとしたら、ただひたすら狂え。先例、前例にとらわれるな。
そして、狂気こそ共有しろ。




       

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