G−5 金融政策

 金融政策の当事者に求められるのは、消防士の役割なのか、それとも、ボイラーマンの役割なのかである。災害というのは、起こってから対処しても遅いのである。金融危機というのは、一種の災害である。それも人災の一つである。故に、当然、為政者に求められるのは、後者の役割である。
 第一、金融危機というのは、自然災害とは違う。経済の仕組みは人工的な産物なのである。人間が作りだした仕組みなのであるから、その制御に人間が責任を負うのは、当然のことなのである。
 万が一、事故が起こった場合も人間が善処しなければならない。それは神の責任でも、自然の責任はないのである。人間の為せる業によるのである。
 何れにしても、金融がどの様な機構、仕組みによって動いているかを明らかにする必要がある。
 そして、どの様な状態が異常なのか、また、危険な状態なのかを知り。その上で、市場の状態を制御する装置や監視する装置を市場に組み込み、異常事態への対処を予め想定しておくことである。

 金融政策を講じる時は、金融の仕組みを熟知している必要がある。

 金融の仕組みは、貨幣の管理を目的とし、貨幣の生産、発行、供給、分配、流通、調整、循環、貨幣価値の増殖が金融機関の主たる働きである。金融の働きを発揮するためには、それぞれの局面、次元ではたらく機関や手段が必要となる。
 即ち、貨幣を生産する機関と手段、貨幣を発行する機関と手段、貨幣を供給する機関と手段、貨幣を分配する機関と手段、貨幣を流通する機関と手段、貨幣を調整する機関と手段、貨幣を循環させる機関と手段、貨幣価値を増殖する機関と手段である。そして、彼等の機関は監視し制御する機関と手段である。
 金融政策とは、金融制度を構成する金融機関や要素に対して働きかけて貨幣の動きを適正に制御する事である。
 金融の仕組みは、これらの働きを通じて取り引きの決済を司り、貨幣的市場と物的市場、人的市場とを仲介するのが基本的な役割である。
 貨幣がこれらの働きを発揮するためには、貨幣は、絶えず市場を万遍なく循環している必要がある。貨幣の身のような循環機能は、貨幣の供給、分配、流通、回収という働きが必要となる。
 金融機関は、貨幣の流れを管理することを通じて物価や景気の安定、産業の育成発展、国民生活の維持を計るのが役割である。

 市場は、取り引きの集合である。市場を構成する個々の取り引きを開始し、完了させるのが決済である。そして、その決済の実現させるのが決済の仕組みである。決済制度は、金融制度の根幹をなす仕組みである。

 紙幣というのは、紙に書かれた証文に過ぎない。では、紙に書かれた証文は、即、貨幣として効力を発揮するのかというとそうではない。ただの紙切れに過ぎない紙幣が効力を発揮するためには、幾つかの条件がある。

 紙幣が効力を発揮する条件とは、第一に、市場を構成する全ての人が紙幣を貨幣だと認識する必要がある。貨幣というのは、即ち、交換手段だと言う事である。第二に、紙幣の貨幣価値を信認する必要がある。第三に、紙幣に交換手段としての強制力を持たせる必要がある。第四に、紙幣の使用方法を市場を構成する人に周知しておくことが前提となる。 紙幣が貨幣として機能するためには、以上のことが前提として備わっていなければならない。
 それが、紙幣を発行、発券する場合の前提条件であり、この前提条件によって紙幣の発行の仕組みは制約を受けるのである。
 制約とは、先ず、紙幣の発行機関に関する制約である。次ぎに、紙幣の発行手段に関する制約である。

 特に、紙幣が表示する貨幣価値の信認に対する制約が重要となる。なぜならば、紙幣は、それ自体、厳密にいえば、貨幣としての素材は紙であり、印刷物としての価値しか持っていないからである。その為に、紙幣は実物貨幣と違い、何等かの権力によって強制力が働かないと実効力を持たない、ただの紙切れに過ぎなくなるのである。
 逆に紙幣の貨幣価値が、市場の貨幣価値の水準を規制するようになる。故に、紙幣の貨幣価値の維持が金融政策上、重要な課題の一つとなるのである。

 この事からも解るように金融政策の基本は、貨幣価値の水準と貨幣の流通量の制御である。
 金融制度の働きには、貨幣の変換という役割もある。金融の単位の範囲は、貨幣単位によって決まる。金融の単位は、金融の範囲を画定する。貨幣の単位によって単位貨幣の市場の範囲が決まる。市場の範囲が画定することによって単位貨幣が効力を発揮する範囲が限定される。単位貨幣毎に市場が形成される事によって内部貨幣と外部貨幣が生じる。内部貨幣とは、内部流通貨幣でもある。この内部貨幣と外部貨幣との変換、調整の役割も金融機関には求められる。そして、内部貨幣と外部貨幣の貨幣価値の調整が内外の産業に対し重大な影響を及ぼすのである。

 金融政策はいたって単純である。しかし、単純だと言って侮ってはいけない。単純だからこそ、より慎重にならざるをえないのである。

 要するに、経済政策は、水準(レベル)を調整するか、流量(フロー)を調節するか、在庫(ストック)を調整するかである。
 金融政策でいえば、水準というのは、金利、公定歩合の調整であり、流量とは、公開市場操作であり、在庫とは、支払準備操作である。

 貨幣は投入した以上には増えない。なぜならば、貨幣を発券する権限は、発券銀行にしかないからである。貨幣は、増殖しないが、貨幣価値は増殖する。貨幣価値を増殖するのは、時間と信用である。

 実物貨幣の時代は、貨幣は、その時点その時点の決済の手段であった。しかし、信用貨幣の時代になると、貨幣価値には、時間軸が加わり、信用を創造するようになった。信用を創造することによって貨幣価値を何倍にも増殖することが可能となったのである。

 資金が投入され、時間価値が信用によって加えられる貨幣価値が増殖される。貨幣が核となって信用価値を生み出している。その鍵は時間にある。

 なぜ、税が必要なのか。また、政府が直接紙幣を発行しない方が良いのか。貨幣は、循環させる必要があるからである。税をなくし、紙幣を政府が直接発行することは、貨幣を、一方通行的に垂れ流すことを意味する。それでは、紙幣を回収する術がなくなると同時に、貨幣の量の制限がなくなる。それは、貨幣価値の相対性を失わせると同時に、貨幣の政府による信認を失わせる結果になるからである。限界がないという事は、価値がないというのと同じなのである。
 貨幣制度においては、発券と同じくらい回収も重要な意味がある。回収とは、決済を意味するからである。そして、この信用の創出と決済という機能を果たすのが金融制度である。

 金本位制から離れ貨幣が不兌換紙幣になり金による制約は受けなくなったが、税収という制約はある。

 通貨量は、収入と借入を基盤としているから抑制できるのである。政府紙幣のように税にも借入も基盤としていないような貨幣は、抑制することができない。

 金融政策を立案するためには、実際の資金の流れとその流れを生み出す仕組みを、明らかにする必要がある。
 資金の流れには、方向がある。その方向とは、入りと出、インとアウトから生じる。資金の入りと出が、寄せては返す波を生み出すのである。
 資金の流れは、投資と返済によって作り出される。投資と返済が、投資圧力と返済圧力を生み出すのである。投資は、信用を拡大する働きがあり、返済は、信用を収縮する働きがある。つまり、投資は資金を供給し、返済は、資金を回収する。
 投資というのは、基本的に初期に集中する。通常、その後、中長期にわたって一定額を返済をしていく。つまり、投資が集中する時は、資金の流動性が過剰になり、返済が重なる時は、流動性が不足する。
 時折、この波が重なることがある。一斉に投資をしたかと思うと、一斉に回収に向かう。特に、短期資金と長期資金の動きの整合性が崩れると資金の流れは停滞する。
 資金の流れが景気の変動に適合した動きをすれば問題はない。しかし、景気の流れに資金の流れが逆行することがある。
 景気が過熱すると一斉に借り入れたかと思うと不景気になったとたんに一斉に返済する。この様な資金の変動が、津波のような資金の流れを時として生み出し、金融制度を破綻させてしまうのである。

 返済能力は、収入に規制される。収入から返済額を差し引いた部分しか市場に流通しない。返済額は、消費を抑制する効果がある。

 貨幣経済の根幹を形成しているのは、決済制度である。資金の流れを生み出す仕組みは、この決済制度にある。
 故に、金融に問題が生じた時、真っ先に点検しなければならないのは、決済制度の齟齬である。金融政策は、この決済制度に対する影響を第一に考えて行われる必要がある。

 また、金融政策を考えるには、第一に金融制度の機構、第二に、金融機関の機能を知る必要がある。資金の流れとその流れを生み出す仕組みを知り、金融の形と働きを知る事である。

 返済、回収というのは、現在的価値の解消を意味する。つまり、負債の返済は、信用の解消、信用収縮を意味するのである。金融市場の内部運動である。
 よく儲けはどこへ消えたという人がいるが、それは、利益というものを理解していないが故の発言である。利益というのは、現金化されて始めて実現する。それまでは、通常、債権と債務という形で保持されている。債権が収縮すれば必然的に債務も収縮し、その間に得た利益も解消されてしまう仕組みになっているのである。
 つまり、決済というのは、債権と債務の解消を意味するのであり、それは、信用収縮を意味し、現金価値の減少を意味するのである。

 人は、儲かった時の話は、するが、損した時の話は、あまりしたがらないものである。逆に、あまり儲けすぎると隠したがりもする。株や土地で、何億円、大儲けをしたという話は、よく聞くが、その儲けがどこへ行ったのかの話はあまり明らかにされない。儲けたと言っても一般には、換金化するわけではない。株という債権で所有している。儲けは、株を売って現金化した時に実現する。また、運用しないと目減りする。かといって、株を売れば、株価は下がる。ゆえに、現金化しないで債権のまま保持するである。債権であれば、株が下がれば、必然的にそれまでの儲けも相殺されてしまうのである。かえって債務だけが残ることすらある。

 よく儲けはどこへ消えたという人がいるが、それは、利益というものを理解していないが故の発言である。
 利益というのは、現金化されて始めて実現する。それまでは、通常、債権と債務という形で保持されている。債権が収縮すれば必然的に債務も収縮し、その間に得た利益も解消されてしまう仕組みになっているのである。
 決済とは、現在的貨幣価値を実現して、債権、債務関係を解消することである。返済、回収というのは、現在的価値の解消を意味する。故に、決済は、返済をもって完了する。つまり、負債の返済は、信用の解消、信用収縮を意味するのである。金融市場の内部運動である。
 つまり、決済というのは、債権と債務の解消を意味するのであり、それは、信用収縮を意味し、現金価値の減少を意味するのである。
 儲けは、泡のように膨らみ、また、萎むのである。

 決済制度は、金融制度の基盤を為す。金融制度は、中央銀行が発券した通貨を流通するための仕組みである。中央銀行は、決済制度の中枢を形成している。故に、金融政策の中枢を中央銀行は担っている。
 金融政策を担っているのは、中央銀行だけではない。行政府も経済政策や規制などを通じて金融政策を担っている。つまり、金融政策の発信拠点は、中央銀行と行政府の二カ所になる。

 土地や株で、何億円、儲けたと言っても、それを、換金し、現金でもっているわけではない。通常、株という債権で所有している。
 儲けは、株を売って現金化した時に実現する。株を売れば、株価は下がる。株が下がれば、必然的にそれまでの儲けも解消されてしまうのである。つまり、儲けたと言っても実際は、未実現利益であって、決済が完了しているわけではない。
 また、儲けが確定するとそれに対して、新たな債権、債務関係が発生する。良い例が、税金である。儲け、即、利益とはいかないのである。

 決済とは。取引の完結を意味する。取引の完結とは、貨幣価値の実現と信用力の消滅を意味する。言い換えると、信用は、取引の過程で生じ、取引の終了、即ち、決済によって解消されるのである。
 良い例が、紙幣である。紙幣は、発行元に、回収されるとその効力が消滅するのである。この事は、紙幣の回収は、信用の収縮を促していることを意味しているのである。

 金融危機は、信用危機でもある。つまり、信用制度が揺らぐことである。その揺らぎがなぜ生じるのかである。
 先ず金融というのは、投資、融資とその回収、返済の繰り返しである。その過程で信用が生じる。問題は、投資、融資の時期と回収、返済の時期が交互に来ると言う事である。

 もう一つの前提は、金融機関にとって預金というのは、負債だという事である。預金には、預金金利がかかる。それ故に、金融機関は、ただ金を集めればいいと言うわけには行かないのである。
 金利は時間的価値である。少なくとも一定の期間内に金利と経費(手数料)に相当する運用益を稼ぎ出さなければならないのである。それが伏線にある。

 金融機関は、資金を集めてそれを運用することが基本的な機能である。
 言い換えると資金運用は、金融機関の宿命みたいなものである。資金を運用し、利鞘を稼ぐ為には、一定の貸出残高を維持することが、金融機関では、必要条件となる。

 資産、負債、資本、収益、費用の中で一番固い数字は、負債なのである。つまり、負債を梃子にして会計制度は成り立っているとも言える。

 俗に言う不良債権は、銀行側からみると不良貸出を意味する。借り手側からみると債権の劣化から生じる不良債務をも意味する。つまり、資産価値の下落によって債務負担が過剰になり、銀行の貸出資産の劣化する事を意味する。この仕組み、構造を理解しないと金融危機の本質は理解されない。

 問題は、貸出先とその貸出の保証である。所謂バブルによる金融危機は、この貸出先に問題があるのである。つまり、日本のバブルを引き起こした元凶は、不動産や株式に対する投資資金なのである。投資が投機に変質したことによるのである。
 これらの投資は、レパレッジ効果によって本来の資金や担保価値を何倍、何十倍にも膨らませてものなのである。
 なぜ、この様なことになったのか。その第一の原因は、銀行にとって優良な貸出先が見いだせなくなったことが第一の原因となる。つまり、実物市場に対する貸出が減退した為に、金融技術を発達させて金融市場や資本市場、不動産市場に新しい貸出先を開拓したのである。金融技術は、資産価値を何重にも膨張させることを意味する。
 膨張させた資産価値は、裏付けに乏しい為に、一度崩壊すると回収することが不可能になる。その分のツケを実体経済に廻すことによって実体経済が崩壊する。それが金融危機の構図である。

 資本の劣化と言って何を基準にして査定するのか。株価の時価総額を指して言うのか。純資産額を言うのか。はたまた、資本金を言うのか。純資産額を算出するにしても資産を何によって算定するのか。時価なのか、簿価に従うのか。つまり、資本の劣化というのも会計概念に左右される概念なのである。いうなれば、思想である。

 銀行に資本を直接注入する事は、劣化した資産を下支えをする効果はある。しかし、それが債務の圧縮に繋がるわけではない。

 負債が圧縮されずに、資産が収縮されるから銀行は、貸出業務に支障が生じるのである。つまり、資金の供出が出来なくなるのである。
 資本を注入しただけでは、資産が収縮した部分を補填することは出来てもそれを資金の供給、信用の創造、即ち、貸出に結び付けることは出来ない。
 銀行の債務は、基本的に預金である。預金は、不特定多数からの預り金である。この様な性格の預金を単純に圧縮することは、基本的に不可能である。
 しかも、これらの預り金は、常に、取り付け、引き出しの対象である。無理をすれば取り付け騒ぎを引き起こす原因となる。つまり、債務を圧縮することは不可能である。
 根本的に銀行の財務内容、貸借対照表を綺麗にするためには、劣化した資産を修復する以外にないのである。
 その為には、いかに優良な貸出先を創出するかにかかっている。しかし、元来、優良な貸出先が減ったから、所謂、投機筋に資金を大量に供与したのである。投機筋への貸出が焦げ付いたからと言って、おいそれと、優良な貸出先が見つかるという保証はないのである。

 借金は返済を前提としているとは言え、中には、返されては困る借金があるのである。それを無理に回収しようとすれば、信用制度を土台から破壊してしまう。
 特に、レバレッジを前提とした市場において強引な資金の回収を強行することは、金融市場にとって自殺行為である。この点をよく考えて市場の仕組みを構築する必要がある。
 その基本的機能が恒常的な仕組みの中に組み込まれてこそ金融危機は、回避されるようになるのである。

 経済の実体は、物的、あるいは、人的市場にある。金融市場は、あくまでも物的、人的市場を成り立たせる基盤的な市場である。ただ、金融市場の特殊性は、貨幣経済下において物的、人的市場が貨幣市場を介さなければ成り立たないのに、貨幣市場は、貨幣市場だけで成り立ってしまうことである。

 何が、地価や株価の異常な高騰を招き。何が地価や株の下落を招くのか。その仕組みを知る事が重要なのである。

 水が高来から低きに流れるように、資金は、市場価値や時間価値が高いところへ流れる傾向がある。

 第一の前提、市場が成熟してくると資金の回収段階にはいる。つまり、投資から返済へ転じる。第二の前提、市場が成熟期にはいると時間的価値の格差が縮小する。
 これらの前提によって実物市場の収益は、均衡状態に陥り、収益力は低下する。

 実体経済が成熟期に入り、資金の回収段階になると、実業は収益が低下する。実業から金融へと、資金が逆流し、実業が収益があがれなくなり、金融市場は、回収した資金を運用することによって収益をあげるようになる。

 実業における収益力が低下すると実物市場から金融市場に、また、実業から金融へ資金が吸い上げられる現象が起こる。

 これらの事を鑑みると金融危機が発生する際には、何等かの予兆がある。例えば、土地や株、債権の異常な高騰である。それは、丁度、ボイラーを空だきした状態に似ている。市場が異常な高温状態になるのである。
 金融危機は、異常な高温状態によって膨張した市場が何かのキッカケによって破裂することによって起こる。そして、市場は急速に冷却し、それまで市場に対して膨張圧力として働いていた要素が反転して収縮圧力へと働く要素に転じるのである。

 何が地価や株の下落を招くのか。下落圧力として働くのかである。
 一つは、不良債権の処理が考えられる。皮肉なことであるが、不良債権を処理すれば、地価や株価が下がって不良債権が増える。何をもって不良債権とするのか。それは、簿価に対し時価が低い場合である。しかし、簿価と時価との差は何を意味するのか。それは、未実現損益と担保価値の増減を意味している。
 未実現損益も担保価値の増減も直接期間損益には関係ない。未実現利益や担保価値の増減が直接影響する要素があるとしたらそれは、資金調達力と支払い能力である。つまり、本来、未実現損益も担保価値も損益上に顕在化しない数値である。損益上に顕在化しないのに、資金調達や支払い能力に潜在的に働いている。それが厄介なのである。つまり、表面に現れないけれど、企業の死命を制する資金に直接的な作用を及ぼしている。それが未実現損益と担保価値なのである。
 第二点は、負債の返済圧力である。負債から派生する支出には、金利支払いと元本の返済がある。負債による返済圧力は、主として元本の返済による。金利は、費用として認識されるが、元本は、負債の減少でしかないからである。不良債権が発生すると金融機関は、資金の回収を計るようになる。その回収の対象となる部分は、元本にあたる部分である。この返済金額は、損益上に現れてこない。つまり、収益や利益には直接かかわらないのである。しかし、資金繰りや与信力を極端に悪化させる原因となる。それが、土地や債権に対する新たな投資を抑制することになるのである。また、資金繰りの悪化は、手持ちの不動産や債権を売って資金を調達しようとするために、不動産や債権にとっては売り圧力となる。
 第三に、資本、純資産の劣化による圧力である。金融機関の株式時価総額は、バブル期130兆円にまで達していたが、その後一時、10兆円まで低下した。また、同様に株式市場における時価総額の銀行シェアも20%強から6%まで下落した。(「銀行 第2版」野崎浩成著 日経文庫)純資産の劣化は、資金調達力の弱体を意味する。銀行以外の企業では、与信力の低下でもある。資金力が低下すれば必然的に資産に対する売り圧力になる。

 返済圧力は単純ではない。よく逆資産効果と言われるが、その意味を正しく理解しているとは限らない。
 逆資産効果を引き起こすのは、長期借入金である。長期借入金がなぜ、逆資産効果を引き起こすかである。逆資産効果を考える上では、減価償却費が鍵を握っている。減価償却費というのは、資金流出のない費用という見方があるが、これは間違いである。減価償却費は、資金の流出を伴っている。
 ただ、その資金流出が期間損益の費用という形で認識されないと言うだけである。つまり、減価償却費の相対勘定、即ち、実際に費用流出を伴う勘定が認識されていないと言うだけである。では、その相対勘定は何かというと、資本勘定と負債勘定である。即ち、減価償却費として処理されている取引は、直接、負債勘定や資本勘定から差し引かれていることを意味する。これが、会計上、資金の動きを見えにくくしているの原因である。
 即ち、減価償却に対応するのは、長期資金の動きである。つまり、基本は、長期借入金の元本の部分であり、資本である。長期借入金の元本というのは、負債と見なされるが限りなく資本に近い性格を持っている。翻ってみると資本というのは、長期借入金の元本が変質した部分とも言える。この長期借入金が負債の基幹を形成し、負債の性格を規定している。 長期借入金がなぜ、資本化したのかと言うところに鍵がある。借り手側からみると、返済することが出来なくなった負債、あるいは、貸し手側からみると返済されては困る負債が滞留し、資本化したとも言えるのである。金融危機になるとこの負債の曖昧な部分が企業活動に対して負の作用を及ぼす。それが返済圧力である。

 また、償却資産は、費用性資産を意味する。つまり、費用の塊だという見方もできるのである。資産と費用の中間にある灰色の部分という意味である。これは、資本の別の側面も意味する。資本の相対勘定が固定資産だからである。

 バブルやバブル崩壊によって引き起こされる金融危機は、経済政策も金融機関も経済予測によって期待された事とは、全く反した行動をとり続けた事が原因である。それは、金融機関にとっての短期的利益と経済状況とが相反していたことが原因なのである。
 目先の利益に囚われて、大局観を見失い。自分達の果たすべき役割を忘れているのである。
 全体が異常に昂揚している時に、自分だけが醒めた行動するのは難しい。また、みすみす目先の利益を逃すことにもなる。全体が一時的でも高収益を上げている時に、手堅い収益をあげても市場から評価されずに苦境に立たされることもある。
 短期的と雖も財務内容が悪化している顧客に資金を融通するのには勇気がいる。しかし、長期的にみて有望ならば、また、その産業が社会にとって不可欠ならば、あえて、その勇気を持つ必要がある。それが金融本来の在り方である。

 業績が悪いから資金が不足し、融資を依頼するのである。業績が悪いからと言う理由だけで融資を断るのならば金融機関は、不必要である。問題は、長期的展望であり、事業観である。また、国家や地域社会に対するビジョン、構想である。
 業績が良ければいらないというのに無理矢理貸し付け、業績が悪くなったと言って資金を回収されたら企業も産業も成り立たない。現に、バブルの時は、おつきあいだと言って無理矢理借金をさせられて土地を買わされ。バブルが弾けたら、不良債権だと言って貸し剥がしにあった経営者が続出した。サブプライムも同じ土壌の上で発生したのである。これは、金融機関のモラルの問題である。根本に志がない。

 金融政策の是非を問うならば、根本に国家観が必要である。その時その時の経済情勢は、結果にすぎない。
 どんな政策にも良い反応と悪い反応がある。重要なのは、どちらの反応が決定的な作用を及ぼすかである。
 また、どんな政策にも、良い方に作用する部分と悪い方に作用する部分がある。良い方に作用する部分に対しどの様な施策をすべきか。悪い作用をする部分にどの様な対策を講じるかが問題なのである。
 危険なのは、一つの方向に傾くことである。何よりも大切なのは、均衡であって、一つの方向への偏りは、全体の働きを制御できなくしてしまう。その典型がバブルという現象である。
 一つの政策は、相反する二つの作用を発生させる。と言うよりも、一つの運動の働きを認識するためには、相反する二つの働きを想定する必要がある。つまり、位置も運動も関係も相反する二つの働きによって相対化され認識される。
 運動で言えば押すと引く、上がると下がる、増えると減る。位置で言えば高いと低い。関係で言えば引力と斥力である。運動を認識するための前提であり、経済的働きは特に認識によって発生する力、働きだからである。
 金利が好例である。金利を上げることの利点、弊害を正しく見極めることが重要なのである。そして、それが有利になる業界と不利に働く業界に対して、各々どの様な対策を採るかが重要になる。政策を一律に考えるのは見識がなさ過ぎる。

 当たり前なことだが、良い時は良いのであって悪い時は、悪いのである。そして、悪い時にこそ、資金を必要としているのであり、良い時は、資金は、集まってくるのである。企業が資金を必要としているから融資をするのであり、資金を必要としていないときに融資をしても意味がないのである。その当たり前なことが金融機関は解っていない。
 解っていないから、表面的な決算数字だけを問題にするのである。そして、黒字でなければ融資をしない。だから、中小企業は無理をして数字を作るようになるのである。事業をどう評価するかが肝心なのである。

 企業の社会的役割というのは、いわば、使命である。当然、企業には社会的責任がある。その社会的責任が経営者の倫理観を形成すしなければならないのである。その倫理観が失われた。それが金融危機の背景にある。モラルハザードの問題である。
 しかし、倫理観は、倫理観に従って行動することが可能な環境を前提としている。倫理観に従って行動する者が、倫理観に従ったが故に破滅する。つまり、正直者が馬鹿をみるような状況では、モラルハザードは抑止できないのである。
 金融政策の根本には、金融の役割がある。それは、金融機関の使命でもあり、社会的責任でもある。金融機関の経営者からその自覚が失われ、倫理観が喪失した時、金融危機は、準備されるのである。

参考

(教えて!にちぎん http://www.boj.or.jp/oshiete/outline/01401005.htm)
Q.   銀行券が日本銀行のバランスシート上、負債となっているのはなぜですか?
A.  日本銀行が設立された当初、日本銀行の発行する銀行券は、金や銀との交換が保証されていました。こうした制度の下で、日本銀行は、銀行券の保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀行券発行高に相当する金や銀を準備として保有しておくことが義務付けられていました。このような銀行券は、いわば日本銀行が振り出す「債務証書」のようなものだと言えます。このため、日本銀行は、金や銀をバランスシートの資産に計上し、発行した銀行券を負債として計上しました。

 その後、金や銀の保有義務は撤廃されました。一方で、銀行券の価値の安定については、「日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべきである」という考え方がとられるようになってきました。こうした意味で、銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない「債務証書」のようなものであるという性格に変わりがなく、引き続き負債に計上しています。このような取扱いは、米国や英国の中央銀行など、主要中央銀行において一般的となっています。

 

産業政策

Since 2001.1.6
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano