金融とは、貨幣的市場の基盤を形成する産業である。
 金融というのは、「お金」を融通するという意味である。「お金」とは貨幣である。
 貨幣経済が成立するためには、貨幣市場のが確立されていなければならない。貨幣経済が成立する要件は、第一に、貨幣の存在である。第二に、貨幣が社会に万遍なく浸透していることである。第三に、貨幣の価値が確立され、保証されていることである。第四に、貨幣の流通していることである。貨幣が流通しているという事は、貨幣が循環していることでもある。第五に、貨幣に基づく取り引きの存在である。つまり、貨幣が機能していることである。
 これらを司るのが金融機関である。つまり、貨幣経済の心臓、循環系統が金融機関である。

 産業としての金融を定義すると、金融とは、貨幣を生産し、市場に流通、管理する産業である。

 そして、金融の基本的機能は、余剰の資金を持っている主体から資金を調達し、資金が不足している主体へ融通することである。この事を金融を考える時忘れてはならない。
 金融危機になると往々に資金が不足している主体から資金を回収し、資金が余っている主体に資金を供給するといった逆転現象が起こる。この様な逆転現象が市場や経済を麻痺させるのである。銀行は、晴れた時に傘を貸し、雨が降ると傘を取り上げるといわれる由縁である。それは、金融の仕組みに金融本来の機能を阻害する要素があるからである。

 その金融本来の機能を阻害する要素は、金融を成り立たせている貨幣価値の規格にある。市場経済における貨幣価値の規格は、価格である。貨幣市場における貨幣価値の規格を担うのは、会計制度である。会計制度によって価格を決定する過程、仕組みに歪みがあると金融機関は機能しなくなる。

 貨幣経済の循環システムを制御する金融機関の業務は、貨幣に関わる業務全般を指して言う。
 貨幣に関わる機能とは、第一に、貨幣の供給、第二に、貨幣の回収、第三に、貨幣の貸し借り、即ち、融通、第四に、貨幣の流通の管理、第五に、貨幣の貯蔵。第六に、貨幣の量、需給の調整、第七に、貨幣の両替、変換がある。
 これらの機能を果たす上で、信用の創出、貸与、保証、維持、管理、監視等の業務が派生する。時間価値の創造がある。信用とは、貨幣価値の信認を与えることによって成立する。
 貨幣の働きに基づく業務には、第一に、貨幣の生産。紙幣の発券。第二に、決済。清算。第三に、両替。第三に、為替。第四に、貸し付け。融資。第五に、投資、運用等の業務がある。
 これらを実際に行うのが決済の仕組みである。

 近代貨幣制度は、信用制度である。故にも金融の要は信用にある。金融業界は、貨幣に対する信認がなければ成り立たなくなる。

 現代社会は、歴史的産物である。歴史を理解しないと現在生起している現象の根因を理解することはできない。貨幣の機能を明らかにするためには、貨幣の生成期の歴史的背景を調べることが有効である。
 特に、紙幣の起源となった物には、手形、債権、証券、預金、金の預かり証、借金、国債保証書、担保などがある。そして、これらは、紙幣の性格を形成した。

 要するに、紙幣は、何等かの債権や債務を基とした証券なのである。

 金融業界というのは、この様な貨幣、特に、表象貨幣が普及してからは、紙幣を取り扱う産業と言っていい。

 紙幣というのは、紙に書かれた証文に過ぎない。では、紙に書かれた証文は、即、貨幣として効力を発揮するのかというとそうではない。ただの紙切れに過ぎない紙幣が効力を発揮するためには、幾つかの条件がある。

 紙幣が効力を発揮する条件とは、第一に、市場を構成する全ての人が紙幣を貨幣だと認識する必要がある。貨幣というのは、即ち、交換手段だと言う事である。第二に、紙幣の貨幣価値を信認する必要がある。第三に、紙幣に交換手段としての強制力を持たせる必要がある。第四に、紙幣の使用方法を市場を構成する人に周知しておくことが前提となる。 紙幣が貨幣として機能するためには、以上のことが前提として備わっていなければならない。
 それが、紙幣を発行、発券する場合の前提条件であり、この前提条件によって紙幣の発行の仕組みは制約を受けるのである。
 制約とは、先ず、紙幣の発行機関に関する制約である。次ぎに、紙幣の発行手段に関する制約である。

 特に、紙幣が表示する貨幣価値の信認に対する制約が重要となる。なぜならば、紙幣は、それ自体、厳密にいえば、貨幣としての素材は紙であり、印刷物としての価値しか持っていないからである。その為に、紙幣は実物貨幣と違い、何等かの権力によって強制力が働かないと実効力を持たない、ただの紙切れに過ぎなくなるのである。
 逆に紙幣の貨幣価値が、市場の貨幣価値の水準を規制するようになる。故に、紙幣の貨幣価値の維持が金融政策上、重要な課題の一つとなるのである。

 通貨の流れには、方向と量と力と速度がある。流れの方向は、債務と債権の働きによって決まる。また、財の流れと逆方向に流れる。

 金融業界の商品は、貨幣である。そして、金融機関は、金融市場を形成、管理する。
 故に、産業としての金融の商品特性は貨幣特性である。

 貨幣の商品特性は、先ず耐久性が高いことである。また、貨幣経済体制下では必需品である。貨幣は、保存ができる。貨幣は保存ができる上に貯蓄された物自体が貨幣価値を創出する。貨幣は、希少なものではなく、普及品である。外形は、固体、物、素材は貴金属及び紙である。しかし、現在は無形な情報に変質しつつある。貨幣そのものは、金属加工品、或いは印刷物だが、貨幣価値の創造は、信用取引による。用途は、物と物との交換の媒体、取り引きの決済である。

 次ぎに、貨幣の価格特性が問題となる。
 貨幣の原材料は、信用である。その信用の裏付けは、かつては、金であった。今日では、国力と外貨の準備量である。いずれにせよ、貨幣の信用の裏付けは、信用という抽象的なものに変わりはない。
 信用は、貸し付けによって生じる。つまり、借金である。不思議に思われるかも知れないが、今日の貨幣価値は借金によって生まれる。

 貨幣の商品価値は、金利によって決まる。

 預金は、預り金と認識するのか、借金と認識するかによって違ってくる。借金だとすれば、運用し、運用益を上げる事は責務である。発想の転換が求められる。 
 よく考えてみれば、マイナス金利の方が正統的なのである。例えば、人に物を預けた時や、コインロッカーや貸金庫を思い浮かべればいい。
 倉庫業の場合、物を預かれば、預かり賃をとる。そして、預かり料が収益の源である。ところが、金融機関は、お金を預かっているのに、預けた人間にお金を払う。それは、お金を預かるという行為の持つ意味が違うのである。厳密にいえば、お金を預かるのではなく。借りるのである。

 預金というが、実際は、「お金」を預かっているのではなく。借入、即ち、預金者から見ると銀行に「お金」を融資、貸し付けているのである。この点に、「お金」と言う商品の特殊性がある。金融機関は、融資を受けている以上、資金を運用して収益をあげなければならない。つまり、金融機関は、ただ金を集めて預かっていればいいわけではないのである。預金量が多いという事は、それだけ借金も多い金融機関だと言えるのである。

 金融制度が確立されることによって巨額の資金が調達することが可能となった。反面、負債残高が大きくなり、その償却に長時間を要するようになったのである。

 金融業というのは、「お金」を仕入れてそれを市場で運用し、その運用益によって収益をあげているのである。

 そう考えると金融機関というのは、一種のエネルギー会社のようなものとも言える。つまり、貨幣という媒体を循環する事によって便益を計るのが業務であって、貨幣という物を作って売るという産業とは異質だという事である。金融というのは、金融制度という仕組みの上に成り立っている産業といえる。この事は、産業構造の在り方を制約している。
 この点を理解しておかないと金融制度は理解できない。

 次ぎに、金融という産業の構造である。産業を考える上では、産業を構成する要素とその働きを明らかにする必要がある。

 金融の仕組みは、貨幣の管理を目的とし、貨幣の生産、発行、供給、分配、流通、調整、循環、貨幣価値の増殖が金融機関の主たる働きである。金融の働きを発揮するためには、それぞれの局面、次元ではたらく機関や手段が必要となる。
 即ち、貨幣を生産する機関と手段、貨幣を発行する機関と手段、貨幣を供給する機関と手段、貨幣を分配する機関と手段、貨幣を流通する機関と手段、貨幣を調整する機関と手段、貨幣を循環させる機関と手段、貨幣価値を増殖する機関と手段である。そして、彼等の機関は監視し制御する機関と手段である。
 金融政策とは、金融制度を構成する金融機関や要素に対して働きかけて貨幣の動きを適正に制御する事である。
 金融の仕組みは、これらの働きを通じて取り引きの決済を司り、貨幣的市場と物的市場、人的市場とを仲介するのが基本的な役割である。
 貨幣がこれらの働きを発揮するためには、貨幣は、絶えず市場を万遍なく循環している必要がある。貨幣の身のような循環機能は、貨幣の供給、分配、流通、回収という働きが必要となる。
 金融機関は、貨幣の流れを管理することを通じて物価や景気の安定、産業の育成発展、国民生活の維持を計るのが役割である。

 市場は、取り引きの集合である。市場を構成する個々の取り引きを開始し、完了させるのが決済である。そして、その決済の実現させるのが決済の仕組みである。決済とは、取り引きを通じて市場と金融とを結び付ける行為である。決済制度は、金融制度の根幹をなす仕組みである。

 金融の単位の範囲は、貨幣単位によって決まる。金融の単位は、金融の範囲を画定する。貨幣の単位によって単位貨幣の市場の範囲が決まる。市場の範囲が画定することによって単位貨幣が効力を発揮する範囲が限定される。単位貨幣毎に市場が形成される事によって内部貨幣と外部貨幣が生じる。内部貨幣とは、内部流通貨幣でもある。この内部貨幣と外部貨幣との変換、調整の役割も金融機関には求められる。

 貨幣の生産、供給機能を働かせるためには、生産、発券、発行主体の存在が前提となる。生産、発行、発券主体は、貨幣の製造元である。
 貨幣の生産者、発行者には、第一に、政府、第二に、中央銀行、第三に、中央銀行以外の金融機関、第四に、軍や中央政府以外の政府機関、第五に、それ以外の権力機関などである。

 次ぎに、発行手段である。過去において紙幣の発行手段としては、第一に、預かり証がある。第二に、借用書がある。第三に、貸付書がある。第四に、証券がある。第六に、約束手形がある。第七に、荷為替がある。これらの手段は、紙幣の性格を形成している。

 日本の中央銀行である日本銀行では、金地金、現金は資産であるのに対し、銀行券は負債である。それは、日本では、銀行券は、金の預かり証という前提に基づくからである。またここで注意すべきなのは、コインの扱いであるが、コインは、政府発行貨幣なのである。つまり、現実に政府発行貨幣は存在するのである。

 その次ぎに供給手段である。貨幣は、市場に供給されてはじめて効力を発揮する。しかし、供給手段によっては、貨幣の効力は限定的なものになる。

 紙幣の供給手段には、第一に、銀行券。第二、政府券がある。銀行券というのは、信用取引、即ち、貸借取り引きに基づく。

 紙幣の供給機関としては、第一に、政府、第二に、中央銀行、第三に、中央銀行以外の金融機関、第四に、軍や中央政府以外の政府機関、第五に、それ以外の権力機関などが単独で或いは、複数の機関が連携して行う。

 現在は、一般に中央銀行が銀行の中枢、センター機能を持たせることによって金融の仕組みが構築されている。中央銀行は、紙幣の発券を独占している場合が多い。先ずなぜこの様な中央銀行を中心とした体制が敷かれるようになったかを考えてみる必要がある。

 中央銀行は、近代貨幣制度の要である。紙幣の価値を維持するために、中央銀行は機能していると言っても過言ではない。

 中央銀行を成立し政府と分業をさせた重要な要因として通貨の循環と信認の問題が上げられる。

 資本市場にも発行市場と流通市場とがある。資本市場のように供給装置と回収装置を分離独立させる考え方が成り立たないわけではない。ただ、その場合でも全体としての構造が前提となる。
 また、金融市場というのは、循環を前提としている上に、通貨の量と水準を調整する必要がある。その為には、金融市場の構造を機能的に捉える必要がある。

 政府が直接、貨幣を発行する権限を持つ制度も可能である。現実に、実物貨幣の時代には、よく見られた形態であり、また、有効であった。
 ただし、貨幣が紙幣が中心になり、実物貨幣から表象貨幣中心の仕組みに変化してくると、政府が通貨を直接供給する仕組みでは、通貨の循環や流通量を制御するのが難しくなる。
 政府が直接、貨幣を発行した場合、発行した貨幣の量だけ流通することとなると言う点である。貨幣を発行するだけでは、貨幣の流れを一方通行なものになる。何等かの回収機関がなければ、貨幣は循環しない。政府が、貨幣を回収する名目は税である。しかし、政府が税収を前提として貨幣を発行した場合でないと税と貨幣の供給は連動しない。
 貨幣が循環していないと通貨の流量を制御する事が困難になる。

 なぜ、税が必要なのか。税制度に依らなければならないのか。それは、第一に、貨幣を社会に循環させる必要性からである。それは、貨幣の供給と回収の仕組みによる。
 もう一つ重要なのは、紙幣の貨幣価値の信認を保つためである。貨幣価値の信認を保つためには、通貨の流量を管理する必要がある。それは、貨幣価値は相対的な価値であり、市場の規模と通貨の流量によって貨幣価値の水準が保たれているからである。

 税金というと取られることばかりが思い浮かぶが、税金で重要なのは使い道である。税の問題を考える時、税の徴収ばかりを問題にするが、徴収だけでなく税の分配も重要なのである。徴収と分配という一連の流れによって貨幣は環流する。つまり、徴収と分配は、貨幣の循環運動を促進するのである。

 貨幣経済では、物価を安定させるためには、通貨の流量を管理、制御する必要がある。
 よって物価を安定させるためには、通貨の流通量を制御するための何等かの仕組みが必要となるのである。そして、通貨の供給と流量を管理する仕組みが金融制度である。

 金融機関の役割の一つに物価の安定がある。物価を安定させる金融機関の第一の働きは、貨幣の供給とその流通量の管理である。

 また、物価を安定させるためには、貨幣の信認が前提となる。

 貨幣の流れが循環しないと貨幣の流通する範囲が限定的となる。貨幣の流通する範囲が限定的となると貨幣を市場に浸透させるのが難しくなる。
 貨幣が市場に浸透しいないでその流通している部分や範囲が限定的なものであると貨幣の信認にも制限が生じる。
 それでも、実物貨幣のように貨幣の素材そのものが価値を持つ場合は、良いが、不兌換紙幣のように、貨幣が実質的価値を持たない場合は、紙幣の信認を得るのが難しい。

 物価の安定という点からも貨幣は循環している必要がある。
 貨幣の循環を促し、供給量を制御するためには、政府が直接通貨を発行する仕組みではなく。通貨を発行する主体を政府以外の主体においた方が機能的になる。そこから中央銀行は発生し、また、そこに中央銀行の役割機能が隠されている。

 つまり、中央銀行に紙幣の発券の権限を集中、独占させることは、通貨の流量を制御させることが、主たる目的なのである。

 余談だが、紙幣の信認を得るためには、貨幣価値の裏付けが必要となる。その為に、紙幣の価値の根拠は金が想定されていた。つまりも金を担保とした制度が金本位制なのである。金を担保としない不兌換紙幣制度では、国家権力による裏付けのない紙幣の貨幣価値は不安定なものにならざるをえないのである。

 また、貨幣経済が確立されるためには、貨幣だけが公認された交換手段である必要がある。
 不兌換紙幣は、国家権力以外なんの裏付けもない。この様な貨幣が、交換手段として働くためには、何等かの強制力が必要となる。言い換えると貨幣は、交換手段としての強制力を持たないと機能しないとも言える。
 その為には、貨幣は、国家が正式に承認した唯一の交換手段だと言える。逆に言うと国家が承認した交換手段を貨幣というとも言える。それが近代貨幣経済における貨幣の定義である。
 そして、この様な貨幣の性格から、発券主体は、統一され。今日の中央銀行方式が確立されたのである。

 また、この様な金融の在り方は、内部貨幣と外部貨幣とを生み出した。国家は統一的な貨幣制度を前提として、一つの貨幣制度が一つの貨幣制度を生み出す。その一つの貨幣単位の内部で働く貨幣を貨幣単位の内部から見て内部貨幣と言い。貨幣単位の外部で働く貨幣をその貨幣単位の範囲の内部から見て外部貨幣という。
 貨幣には、内部貨幣と外部貨幣がある。内部貨幣とは、内部流通貨幣でもある。
 内部貨幣と外部貨幣との変換の仕組みを外国為替制度という。

 金融業を構成する経営主体には、どの様な物があるのか、金融機関を分類する必要がある。

 金融機関の分類の一つに資金源によるものがある。金融機関の資金源は、第一に、預金。第二に、社債。第三に借入がある。普通銀行は、預金を資金源とした金融機関である。

 金融機関が発行する社債の一種の借入である。故に、預金と社債の違いは、対象と取引条件の違いである。借入金という資金の本質は変わらない。

 その他に、金融機関を分類する基準としては、目的による分類がある。また、期間による分類がある。機関というのは、長期資金融資を基盤としているか、短期資金を基盤としているのかの違いである。その他には、対象による分類がある。対象による分類の問題点は、消費者金融が金融として認識されていない。
 この様な分類は、金融機関の性格を反映している。

 金融制度の基幹は、銀行である。銀行は、中央銀行と普通銀行が中核を為している。中央銀行は、主として貨幣の発行と供給、回収を基幹業務とし、それを土台として決済制度を取り仕切っている。普通銀行は、不特定多数から資金を調達し、それを中央銀行に環流させると同時に、資金が不足している経済主体に資金を供給している。

 また、貨幣の分配を担うのは、銀行や企業である。特に銀行は、家計から預金と言う形で資金を集め、企業への貸出によって貨幣を循環させる役割を担っている。銀行間の資金を融通し合うのが短期金融市場である。

 現実に、金融危機が発生したのは、短期金融市場において資金の流れが止まったことも一因である。

 金融市場の心臓部を担うのが中央銀行で、サブプライム問題で信用収縮が起こり、短期金融市場で貨幣の動きが止まった時、各国の中央銀行は協調して資金を銀行に直接供給した。

 金融の働きの最も重要なものは、取り引きの決済である。市場は取り引き集合体である。市場を形成する取り引きを完了する決済業務は、市場の基盤業務である。それを取り仕切っているのが金融制度である。
 金融機関は、決済制度によって実物市場に結びついている。決済制度は、貨幣の流通と循環を仕切っている。

 家計から預金という形で資金を集め、それを融資、投資という形で経営主体へ供給をする。それは時間軸を貨幣価値に加えることによって成り立っている。

 金融というのは、土台、基盤は、借金である。つまりも合理的な借金が可能な状態である。そして、それは安定して、また、一定の所得に依って裏付けられている。

 最終的には、金融は、所得の時間的構造と負債の時間的構造との整合性を高めている。そして、所得と負債とが適合することによって生産活動は安定しているのである。

 貨幣の循環器系の末端は、家計であり、その意味で金融の末端は消費者金融である。それでありながら消費者金融の体制が確立されていない。一方で無法状態でありながら、他方で現実にそぐわない規制に縛られている。

 次ぎに近代金融業の成り立ちを考えてみる。

 日本の金融業の始まりは両替屋と質屋だと言われている。両替屋というように銀行業の始まりは、両替と為替である。両替や為替は、内部貨幣と外部貨幣を変換する仕組み、装置である。
 そして、質屋は、俗に言う金貸し、高利貸しである。

 気を付けなければならないのは、つい最近まで、多くの国や宗教は、金利を取ることは罪だとしていることである。現に、今でも、イスラム教では、金利を取ることは、原則、罪である。

 今の世の中は、自然淘汰とか言って、企業を殺すことばかりを考えている。あたかも儲けることは悪いことだと言わんばかりに囃し立てる。だから、どんどん企業は、潰れ、或いは、巨大なグループに呑み込まれていく。
 その為に、企業の多くは癌化し、社会全体に害毒を流すようになる。良質の企業も悪質化していくのである。その上、景気が悪くなるとすぐ犯人探しをはじめ、責任逃れをしようとする。
 腕が痛いからと言って腕を責めるのは、お門違いである。景気の悪い時は、企業は病気なのである。病気の原因を見つけて治癒することが本来あるべき姿なのである。
 金融というのは、経済における循環系のようなものである。資金を社会の隅々まで循環させるのが役割である。

 利益を最終的な目的基準としてしまうと経済を構成する個々の要素の必要性が忘れられてしまう危険性がある。
 資金の供給と回収が金融機関の主たる役割であって産業の選別にあるわけではない。
 腕に血が流れなくなったからといって、腕が不必要なわけではない。その為に、腕が壊死をすることの方が問題なのである。血が流れなくなったからと言って腕を切り落としてしまえというのはあまりに乱暴な話である。血流がなくなったというのは、現象であり、結果である。つまり、病気である。病気が悪いのであり、病気になったことが悪いのではない。

 金融の仕組みというのは、所得の配分の仕組みだとも言える。そして、所得の配分の仕組みというのは、所得が余っているところから所得が不足しているところへ資金を廻すことに意義があることを忘れてはならない。

 必要な資金を、必要なところに、必要な時に供給する。それが、金融機関の使命である。その使命があるから、金融に携わるものの道徳が保てる。しかし、その使命感を失えば金融機関はただの金貸しに過ぎなくなる。

 かつての銀行員は、謹厳実直の代名詞のようであった。仕事も用心深く、慎重なタイプが多かった。昨今のような投機的な行為は、厳に御法度だった。
 銀行員の価値観が変化したのは、銀行の業務の体質や収益構造、利益の質が変化したことによる。以前のような経営や仕事の仕方では、利益が上げられなくなってきたことに起因する。つまり、真面目にやっていたら、やってられないのである。
 産業の変質は、そこで働く者の意識や道徳まで変質させてしまう。

参考

(教えて!にちぎん http://www.boj.or.jp/oshiete/outline/01401005.htm)
Q.   銀行券が日本銀行のバランスシート上、負債となっているのはなぜですか?
A.  日本銀行が設立された当初、日本銀行の発行する銀行券は、金や銀との交換が保証されていました。こうした制度の下で、日本銀行は、銀行券の保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀行券発行高に相当する金や銀を準備として保有しておくことが義務付けられていました。このような銀行券は、いわば日本銀行が振り出す「債務証書」のようなものだと言えます。このため、日本銀行は、金や銀をバランスシートの資産に計上し、発行した銀行券を負債として計上しました。

 その後、金や銀の保有義務は撤廃されました。一方で、銀行券の価値の安定については、「日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべきである」という考え方がとられるようになってきました。こうした意味で、銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない「債務証書」のようなものであるという性格に変わりがなく、引き続き負債に計上しています。このような取扱いは、米国や英国の中央銀行など、主要中央銀行において一般的となっています。



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