同じ金融業でもかつては、銀行と証券ではその性格に天と地ほどの差がある。それは、よく言えば謹厳実直、悪く言うと保守的と言われる銀行員とよく言えば挑戦的、悪く言うと無謀、冒険的と言われる証券マンの性格にもよく現れている。
 この様な違いから、アメリカにおいては、1933年にに成立したグラス・スティーガル法によって銀行と証券との兼業が禁じられていた。しかし、一連の規制緩和の中で兼業や兼職禁止の規定は、1999年の金融制度改革法(「グラム・ビーチ・ブライリー法」)によって改定された。
 この改訂が2008年の金融危機の下地を作ったともいわれている。
 グラス・スティーガル法は、銀行と証券業との間に儲けられた防火壁、業務隔壁、ファイア・ウォールであった。それは、1929年の株の暴落による大恐慌に対する反省から生まれた規制である。しかし、規制は邪魔だという論理によって1999年に改訂された。そして、その十年後に金融危機は訪れたのである。
 規制には、規制が成立した時の状況や思想がある。その状況や思想を良く検討しなければ規制の是非は断定できない。しかも規制は、個々独立して存在するわけではなく。関連した法規や制度、経済環境と複雑に結びつき、絡み合って成立している。一つの規制の改廃は、関連した法規や制度、経済にも影響を及ぼすのである。規制は、全体としての仕組みの部分なのである。

 金融を規制するためには、金融の働きと目的を明確にし、金融の仕組みや制度を明らかにしていく必要がある。金融の規制は、金融制度が有効の機能することを目的としているのである。

 作用には、常に、反対の作用が隠されている。プラスには、マイナスの、入には、出の、陰には、陽の作用が働く。この反対の作用が及ぼす影響を常に明らかにしながら対策を立てる必要がある。

 市場とは、取引の集合体と見なしても良い。市場は、取り引きによって成立している。

 一つの取引には、反対取引がある。
 貸出は、相対に借入がある。そして、借入の額は、貸出の額と等しい。貸出と借入が一組になって取引は成立する。そして、取引の時点で成立する貨幣価値が現金である。
 貸付金は、借入金でもある。つまり、金融機関の貸出金は、融資され側から見ると借入金になるのである。借入金、即ち、債務であり、負債である。この負債の相対にあるのが資産である。この借入金の延長線上にある資産の質が問題なのである。
 債権は、債務がある。債権とは、反対側に債務がある事を意味する。

 債権、債務関係は、取り引きの成立によって借り手側は、貸し手側双方に発生し、取り引きが成立した時点では均衡している。

 取引を成立させる要件は、取り引きの時間と場所、取り引きの当事者、取り引きの条件、そして、その取り引きによって生じる貨幣価値である。取引によって成立、実現する貨幣価値が確定する。市場取引によって確定した貨幣価値に基づいて債権、債務関係が生じる。
  取り引きが成立する為には、債権者と債務者の存在が前提となる。つまり、債権者、債務者のおかれている状況や前提を確認する必要がある。その上で債権者と債務者の関係である。関係とは、双方の権利と義務、権限と責任関係を意味する。権利と義務、権限と責任は、作用反作用の関係にある。つまり、同じ働きが立場の違いによって権利と義務、権限と責任を構成しているのである。確認するのは、前提条件と双方の力関係である。この関係によって最終的な決裁者と範囲が画定される。最終的な帰結は、債権者主義(ノンリコース)によるのか、債務者主義(リコース)によるのか、つまり、思想上の問題である。
 貸し手側には、第一に、資金源。調達先、調達手段。第二に、貸し出し条件、担保するものが設定される。借り手側、債務者側には、第一に、返済の在り方。第二に、使途と資産が発生する。仕訳上は、貸出側、借り手側の第一の要件は貸方、つまり、調達側に記載され、貸出側、借り手側の第二の要件は、借方に記載される。
 この四つの要素の相互関連の在り方、契約上の条件や制約によって不良債権は定義されるべきものであり、一概に、資産価値が低下したことだけを指すわけではない。資産価値が何に関連されているか、また、何に対して劣化しているかが不良債権を処理する上で、重要なのである。

 借り手側、貸して側、双方に債権、債務という二つの要素、合計で四つの要素が絡み合って取り引きは構成される。四つの要素どう関連付けられ、また、相互どの様に影響、作用を及ぼしあっているかが重要になる。
 例えば、貸出の前提条件の変化に返済の在り方がどう影響しているかである。

 これらの要件に対し、どの様な施策、規制がされるかによって実質的与信の量の増減や資金の流れの方向が変化する。表立っては、関連付けられていないか、一部の関連づけで終わってしまっている。

 これらの四つ要件を関連付けるためには、四つの要件のどこに視点を置くべきかが鍵を握る。

 貸し手側である金融機関から見ると第一に、貸出資金の質の問題がある。第二に、貸出の前提条件の問題がある。借り手側から見ると、第一に、返済の在り方がある。第二に、使途の性格の問題がある。

 資金の質とは、資金の信頼性である。信頼性は、第一に、資金源である。資金源には、収益、負債、資本がある。第二に、資金に対する制約条件である。制約条件は、第一に、収益力の変化。第二に、返済を必要とするかどうか。返済を必要とした場合、返済条件。第三に、資本規制である。
 貸出の前提条件とは、第一に、何を担保とするかである。担保とするものには、第一に、将来の収入。第二に、担保した物の名目的価値。第三に、担保した物の実質的価値である。貸出の前提条件の第二は、貸し出した時点での状況である。貸し出した時点での状況、前提条件とは、金利動向、相手の信用力、保証、保険等である。
 返済の在り方とは、第一に、月々の返済額である。第二に、返済期間である。第三に、元本と金利の関係である。第四に、返済不能に陥った時の処理の仕方である。これらは、契約内容の根本でもある。
 第四に、使途の目的と対象である。使途の目的とは、第一に、使途が消費に向けられる物なのか、資産に向けられる物なのかである。消費に向けられる物ならば、消費によって得られる効果や代償である。資産に向けられれば、資産の実質的価値である。そして、使途の対象とは、最終消費者なのか、投資なのかである。

 資金源と貸し出し条件が連動しているとは限らない。また、担保している物と返済条件が結び付けられているとも限らない。貸し出し条件と返済の在り方が結び付けられていない場合が多い。担保と資産価値が最初から結び付けられて条件が設定されているとも限らない。どこかの関係が途切れれば、取り引き全体の構造が破綻する危険性がある。また、権限と責任の均衡が保たれなくなる可能性もある。それが不良債権問題を複雑にしているのである。

 借り手側では、第一には、返済計画の当否。支払のための原資がどうなっているかである。第二に、使途の効果である。つまり、使途が消費に向けられればその結果がどう収益に結び付けられたか(コストパフォーマンス)であり、資産に向けられれば資産の実質価値である。
 貸し手側では、第一に、貸出条件や貸出前提の変化。何を担保し、その担保の状態がどうなっているかである。第二に、貸出資金の制約条件の変化である。例えば、預金ならば、預金量の変化。また、借入ならば借入条件、規制の変化(自己資本率規制)等である。

 貸出の前提条件が変わっているのに、返済方法、返済の在り方が変わらない。景気の悪化によって収益が落ちているのに、返済額に変更がない。もっとひどい場合は、収入が減って資金繰りがつかない相手に、資金の提供を拒んだり(貸し渋り)、返済条件を厳しくしたり、無理矢理資金を回収する(貸し剥がし)。その結果、潰れなくて良い企業が潰れたり、また、社会的に潰してはならない企業が淘汰されたりする。

 また、物価が高騰し、資金繰りが困難になることが解っている時期に、監督官庁が資金動向を厳しく監視すれば、勢い、金融機関は、資金を絞らなくなる。この様なことは、政策の誤謬である。

 こうなると金融や監督官庁の本来の働き、目的とは何かと言う事が問われる。
 不良債権の構造を分析する。前提条件は、地価や株価が大幅に下落している。景気は、後退期にあることを前提とする。
 第一に、資金の質の問題がある。これは、貸出側の貸借対照表の貸方に表れる。
 銀行の貸出資金は、預金を基盤としている。預金とは、何か。預金は、銀行にとって借入金である。この点を忘れてはならない。つまり、預金には、金利がつくと言う事である。その為に、預金を運用しなければ、銀行は成り立たない。
 預金は、小口の預金者の資金を集めたものである。また、預金は、いつでも引き出せるものでなければならない。故に、銀行は、預金が、いつ引き出されてもいいように準備しておく事が義務づけられている。
 預金を圧縮することは原則できない。その為に、貸出金が劣化した場合は、資本金が圧縮される。圧縮された資本を補填する手段として増資がある。不良債権が深刻化した時に金融機関に国が資本注入した理由は、この銀行の性質による。
 第二に、貸出条件、前提の変化である。
 貸出資金は、貸し手側の貸借対照表の借方に表れる。貸出の多くは、不動産を担保にして長期の貸出が多い。長期の貸出は、元本の部分を指し。基本的には、回収は、長期に分割して返済をする性格の長期債権である。貸出金は、約定によって拘束されている。
 増資された場合、増資によって資金は、増える。ただし、国債のような物によって増資された場合は、現金が増えるのではなく。有価証券が増えるのである。そのままでは貸出に廻す原資は、増えない。
 また、現金で支払われたとしてもそのまま貸出資金に廻されるのではなく。不良債権の清算に廻される場合が多い。不良債権の清算とは、債権の決済である。
 バブルの時やサブプライムローンは、土地や株の値上がりを前提として担保を設定された。それが、地価や株が暴落した時、問題を引き起こしたのである。
 対策は、貸出条件の見直しである。
 第三に、借り手側の返済の在り方である。支払は、可処分所得の範囲内に設定されるのが一般である。その為には、一定、又は、安定した収入があることが前提とされる。
 借り手側は、景気が後退している場合は、収益力が低下している。つまり、返済の資金繰りが厳しい状態にある。この様な場合の対策は、返済方法の変更であるが、景気や地価の動向と返済の在り方は連動していない場合が多い。
 サブプーライムローンの多くが当初の返済額を低く抑えていた。その為に、返済額が上昇した段階で破綻してしまった。
 第四に、使途の状況である。使途は、本来、収益源であり、また、担保される資産でなければならない。それが借入の裏付けとなるからである。資産の場合、取り引きが成立した時点の価値に基づくのか。それとも、時価、現在的価値に基づくのか。将来的価値に基づくのかによって債権の評価が違ってくる。
 要するに、評価の問題であり、事業観の問題である。
 不良債権は、多くが不動産や株であり、地価の上昇や株価の上昇を前提とした物件が多い。相場が著しく劣化している場合が想定される。しかも短期的には損失は回復できず塩漬け状態にあると見られる。しかし、長期的に見ると簿価に水準までは回復する可能性がある。問題は、担保価値であるが、これは金融機関との相対取引であるために、財務諸表上には表れてこない簿外取り引きである。本来は、返済が滞らない限り、表面には表れてこない。
 対策は、資産の長期的な対策である。

 元々サブプライム問題の背景には、銀行が低収益構造に変質したことがある。銀行の低収益かは、実業の低収益化した事がある。競争が激化し、収益が悪化した時に、価格破壊を仕掛ける者が出ると市場は、壊滅的な打撃を受ける。
 低収益化した産業から資金を引き揚げ、回収した資金をより高収益の投資先、市場に廻そうとした。それが金融市場である。

 我々は、借入金というと銀行の融資を思い浮かべるが、銀行の借入の大半は、預金である。銀行にとって借入の大半が預金だと言う事が重要な働きをする。
 近代資本主義の特徴の一つは、小口の資金を大量に調達することが可能となったことである。その一つが株式による資本である。預金もこの小口の資金集めの一端を担っている。初期の頃の銀行が担保したのは、主に、国債であった。それが小口資金に変質した事によって国債によるデフォルトの心配はなくなったが、取り付け騒ぎによる急激な資金の流失が脅威となったのである。また、預金の持つ性格が銀行の貸し出しの性格付けにも影響を持つようになった。

 不良債権というのは、貸し手側から見ると、回収が困難な債権を意味する。不良債権を借り手側から見ると返済が困難な債務である。つまり、不良債務である。

 不良債権を発生させている原因は、貸付金の劣化である。

 不良債権、債務で重要になるのは、何によって企業は、成り立っているのかである。企業を成り立たせているのは、資金の流れである。
 不良債権、不良債務が問題になるのは、資金の調達が困難になるからである。
 資金が調達できなければ、企業経営は継続できなくなる。逆に言えば、何等かの形で資金を調達できれば企業は継続できる。資金の供給を断たれると、企業は、存続できなくなる。その意味では、企業は生き物なのである。

 実際には、金利に対する支払い能力、収益力ではなく。元本に対する返済能力、担保力を問題にされるのである。

 問題は、貸付金の質の低下にある。
 貸付金の質の低下は、借入金の質の低下を意味する。借入金の質の低下とは、借入によって実現した価値の劣化である。借入によって実現した価値の劣化とは、借入によって得た生産手段が生み出す所得の減少と借入によって獲得した現在的価値の低下である。つまり、借入金の質の低下は、収益の悪化と資産の劣化に原因がある。
 収益の悪化と資産の劣化は、収益と資産の質に依拠している。

 貸付金、即ち、投融資には、経常投資と資本投資とがある。

 金融機関によって貸付金は、経常投資と資本投資へと振り分けられるのである。そして、貸付金の劣化の原因は、経常投資と資本投資の双方に見られる。しかし、経常投資と資本投資では、その原因となる要素に違いがある。必然的にその結果が及ぼす効果にも相違が生じる。

 経常投資は、生産手段に対する投資と費用からなる。経常投資は、収益に還元される。収益は、企業のおける経済活動の源とみなされる。

 企業の経営活動は資金によって成り立っていると言える。どんな形にせよ、必要な資金を調達することが出来れば企業は経営活動を継続できる。資金調達、言い換えると、資金を生み出しているのは、融資と、投資と収益である事を忘れてはならない。

 その中で収益は、企業が、経営活動によって生み出す価値である。収益は、費用と利益からなる。

 費用は、固定費、変動費からなる。また、原材料費、人件費、その他、経費からなる。費用は利益の元になる部分であり。収益は、費用に利益を加算したものである。

 貸付金の劣化の原因の一つは、レパレッジにある。

 借入金にサブプライムローンや証券が含まれている。サブプライムの問題は、地価の下落によってサブプライムローンの回収力が低下したことと、サブプライムを証券化したことによってリスクが増幅され、かつ拡大した点にある。
 サブプライムの貸し倒れがどれくらいあり、しかも、レパレッジをどれくらい効かせているかがハッキリしないことが問題なのである。

 実質的資産価値が重要になる。つまり、実物経済との接点をどこに求めるかが鍵を握っているのである。

 貸付金の劣化を招いているのは、資金の回収圧力である。資金の回収圧力の原因は、収益の悪化と資産価値の劣化である。

 例えば住宅ローンの構造であるが、第一に、住宅ローンの貨幣価値総額、第二に、住宅ローンの資産、第三に、住宅ローンの負債からなる。
 住宅ローンそのものの構造は、元本と金利からなる。住宅メーンの名目的価値は、この元本と金利を足したものである。
住宅ローンを成立させている要素は、支払い能力と返済計画である。支払い能力は、住宅ローンの持つ資産価値と債務者の将来の収入を意味する。返済計画は、返済期間と月々の返済予定額を基礎として計算される。
 
 住宅ローンの資産というのは、住宅の持つ価値、土地と建物の価値である。住宅ローンの負債というのは、元本と金利と期間からなる。

 住宅の持つ価値は、地価の相場によって決まる。つまり、市場価格である。将来の収入は、債務者の所得と財産に依存する。

 返済額は、その時点時点における貨幣価値の実現を意味する。そして、返済額は、債権と債務の性格を反映する。
 返済額は、基本的に取引が成立した時点での負債額を基礎として算出される。つまり、返済額は、債権から切り離されたところで決定される。返済額の根拠は、債務者の支払い能力に依拠するのではなく。取引が成立した時点での借り手側から見て借入額、貸し手側から見て貸付額、融資額を基礎とするのである。そして、金利も基本的に取引が成立した時点における貨幣価値を基礎として算出される。
 さらに、返済額は、金利の動向によって連動して決まる。
 返済額は、地価の相場や景気、所得に連動していない。つまり、支払い能力は根拠とはされない。企業収益が悪化しても、また、失業して収入がなくなってもそれらは、原則として返済額の算出において考慮、斟酌されないことになっている。それが、借金の決まりであり、仕組みである。
 その為に、借り手側の都合に関係なく月々の返済が滞ると返済圧力が強まる。また、元本を保証しているのは、資産価値であり、主に、土地の価格である。の為に、地価の下落は、元本の返済圧力として作用する。しかも、元本の返済は、損益上も貸借上にも表れてこない。つまり、表面に表れない資金の流れである。資金繰り倒産の一番の原因でもある。

 債務の元となる負債は、固い数値として表現される。それに対し、債権の元である資産は、日々変動している。故に、資産の変動は、債務を梃子とした働きをする。資産価値が上昇しているときは、新たな信用を生み出す基礎となるが、資産価値が下降し始めるととたんに返済圧力して、また、回収圧力として作用する。それが資産効果、あるいは、逆資産効果と言われる現象である。 

 借入先の資産が拡大しているときは、資金を生み。資産が劣化すると回収圧力として作用する。回収圧力が極端に強まると資金が市場から吸い上げられ、流動性が枯渇してしまう。いくら市場に資金を供給しても資金が流れなくなるのである。

 重要なのは資金の量よりも資金の流れる方向である。資金の流れが回収される方向に向かうと資金の流通は阻害され、貸出が抑制されることによって新たな信用も創出されなくなる。

 金融機関は、輸血を必要としている病人から自分を生かすために、血を抜くような非道を平然と行うようになった。しかし、その様な行為をせざるを得ないような状況、環境に追い込んだのは、経済政策や現在の市場の仕組みである。
 故に、大切なのは、政策の目的と施策、そして、規制の整合性を採ることなのである。



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