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 消費は産業ではないと考えられていた。根本は労働なのである。
 消費的労働の最たるものは、家事労働である。家事というのは、第一に、狭義の家事。俗に言う家事、つまり、家族の世話や家族の財産の管理である。第二に、教育である。家庭内の教育は、教育と言わず、躾(しつけ)と言うが、本質は教育である。それから、第三に、出産、育児である。第四に、高齢者の介護や病人の世話である。だいごに、リクリエーション、つまり、家族の健康管理、福利厚生である。その上で、第六に、家庭内の仕来りや行事例えば、冠婚葬祭、法事なぢを準備し、取り仕切る事である。
 第一の狭義の家事とは、掃除、洗濯、炊事が基幹的業務である。

 これは、消費産業を考える時、象徴的な意味を持つ。つまり、消費産業の大部分は、家事の延長線上にあるか、家事が、外注化されることによって派生した仕事だと言う事である。

 家計は、自営業の一種である。消費労働というのは、複合的、かつ、専門的、創造的仕事であり、また、多岐にわたる。それでいて、最も市場化されていない分野である。市場化されていないことによって、経済的に評価されていない分野でもある。この事を理解しないと家事は理解できない。現代社会の問題点の多くがこの点に隠されている。

 結婚は、一つの経済単位、運命共同体を形成することに対する契約である。故に、基本的には、得られた収入、所得は、合算される。また、消費は共同で為される。家庭内において生産された物は、共有される。これが大前提である。これを前提とした上で、それぞれの持ち分を確定するのである。しかし、持ち分が最終的に確定するのは、結婚が解消された時点と相続の時点である。それまでは、一つの経済単位、共同体として一体的に見られる。それが経済的な意味での結婚である。
 亭主の収入は、亭主一人の功績、働きによるものでなはなく。夫婦家族が一体になって働いて得た収入だと言う事である。その背景には、消費のための労働も労働には違いないと言う前提である。消費にも労働があるのである。

 また、消費には、サービスという意味もある。サービスは、用役とか、用務と言う意味合いの他に、奉仕という意味合いがある。これは、消費労働の基本的性格を現している。また、それが、時として無償という意味合いにもとられがちなので、消費労働、家事が誤解されることにもなる。つまり、家事は無償、奉仕なのだと。これは、倫理的、また、ある種の思想的な意味合いでは、意義があるかもしれないが、経済的な意味はない。消費を無償というのならば、全ての労働を無償にしないと間尺(ましゃく)が合わない。では、家事を有償にしたらどうか、実際に、家事を市場価値に換算したら、とても今の収入では追いつかないだろう。その証拠に家事を全て外注したら、一般的に家庭では、夫婦とも稼ぎにしても収支が合わないだろう。家計が破綻してしまう。家計は、結婚して、経済的に一単位として見なすから成り立つのであって、単純に有償化してしまえと言うのは乱暴な話である。

 結婚というのは、子供を育て、家族を養うのに、経済的に見て、最も効率的、生産的な仕組みなのである。

 この様に、消費労働というのは、市場化しにくい、有償化しにくい産業だとも言える。有償化するためには、何等かの付加価値をつける必要がある。それが、消費産業である。この様な労働形態には、家計の他に政府支出、即ち、公務がある。つまり、行政サービスも一種の消費産業と見なすことができる。

 市場化しにくいという事で、家計も公務も市場の外にある。一口に、資本主義、市場経済、貨幣経済と言うが、経済全てが市場の原理や貨幣価値によって成り立っているわけではない。むしろ、市場の外にある外部経済が、経済全体に及ぼす影響が大きいのである。

 以上のことを考えると、消費の場とは、基本的に、家計、政府支出、サービス産業であり、消費産業の場は、これらの延長線上にある場、近傍した場である。

 標準日本産業分類で見るとM、飲食、宿泊業。N、医療、福祉。O、教育、学習支援業。P、複合サービス業。Q、サービス業。R、公務に属する産業を指して言う。

 これらの産業を見て解るのは、基本は、家事にあるという事である。そして、いかに、家事が文化的な仕事かと言う事である。ある意味で、文化は、消費にあると言っても過言ではないかもしれない。生産者と消費者、その中間に経済の実体があるのである。

 まず、狭義の家事の延長線上に、飲食、サービス業がある。また、クリーニングや清掃業も入ってくる。そして、躾の延長線上に教育や学習支援がある。学校教育もこの内に含まれる。高齢者や病人の介護、家族の健康管理は、医療、福祉に繋がる。リクレーションや趣味は、サービス業に発展する。また、スポーツ産業や芸能もしかりである。この様に、消費産業は、家事と密接に繋がっている。

 消費は、生活でもある。つまり、ライフスタイルに左右される。ライフスタイルの変化は、消費に影響を与え、産業を変革する。つまり、消費が経済を引っ張っているのである。それ故に、景気を良くしようとしたり、経済を発展させようとしたら、ライフスタイル、消費の在り方を変えることである。それが、ファッションやアパレル産業の常套手段である。つまり、新しい市場、マーケットを開拓するのである。このように、消費は、需要の源であり、経済、産業の根源、基盤である。

 共産主義が上手く機能しなかった原因の一つが、この消費者の軽視、市場の不在がある。供給側さえ良くすれば、自ずと消費は規制されると考えたのである。しかし、消費は多様である。一律にはできないのである。

 消費は、その社会の文化、倫理、規範によって規制される。故に、消費は文化なのである。消費は、文化的活動なのである。消費の軽視は、文化の軽視に繋がる。芸術やスポーツは、消費の志向、趣向によって決まる。

 食文化の違いは、消費に現れる。消費に現れた、食文化は、産業の在り方を決める。即ち、食文化の違いは、食品産業の違いとなるのである。経済の在り方を変化させるためには、文化を変える必要がある。
 文化に現在、最も、影響を与えているのは、メディアである。メディアは、文化に影響を与えることによって消費の志向を変えているのである。メディアが、ライフスタイルの影響を与えることで経済の在り方をリードしている局面が多く見られるようになってきた。いずれにしても、消費の在り方は、産業を方向性を決めるのである。

 メディアが今日のような力を発揮する以前は、宗教や権力者、教育が文化に力を発揮してきた。今日でも、宗教が強い国では、この傾向は変わらない。思想や信条は、文化に強い力を発揮する。そして、経済の発展にも宗教や権力、教育は指導的な力を発揮してきたのである。

 そして、この様な傾向が最も、現れるのが消費の場である。

 消費の場は、最も川下に位置する。その下には、広大な消費の海が拡がっている。しかし、見方を変えると消費は、経済の源とも言える。

 政治体制、宗教、教育、食文化、ファッションそれらが集約されたのが消費の場である。
 消費は、生活実態を最も反映している。経済は、生活である。故に、消費の実態は、経済の実態を最も反映していると言える。

 消費というのは、経済の本質を最も端的に現しているとも言える。我々は、産業というと、物を創造する生業、生産に携わる仕事を思い浮かべる。広く考えても、商売を含めるぐらいである。しかし、最も広範囲に、かつ、あらゆる分野を網羅しているのは、実は、労働市場と消費である。つまり、労働市場や消費を理解しないと経済を真に理解したと言えないのである。

 

消費の場