経済の現状

終わりに(バブルの構造)


終わりに、実際日本経済に何が起こっているのかを考えてみたい。

経済の仕組みが正常に機能しなくなった状態を観察すると経済の仕組みが本来あるべき姿、働きが見えてくる。その意味では、バブルの発生と崩壊、そして崩壊後に起こった事を子細に点検すると経済の仕組みのあるべく姿が見えてくる。そして、何が経済をおかしくしたのか、その原因も明らかにする事が出来る。それは、経済を制御する為に必要な要件も明らかにしてくれる。

経済の仕組みは、生きていくために必要な資源を必要としている人に満遍なく必要とするだけ分配する事にある。
即ち、経済の基礎的問題とは、人々が生きていくうえで必要な物は、何か。そして、人々が必要とする財をいかに効率よく必要なだけ生産できるか。生産した財を必要な応じて必要としている人に必要なだけ供給できるか。分配された物をいかに無駄なく消費し、あるいは、継続的に使用する為に必要な、又は、非常な時に供出できるだけの資源を保存できるかである。

救いは、人々の生活を安定させ平和な暮らしを実現する以外にない。

家のない人が増える一方で、空き家、空室が増加する。飽食の結果、多くの食料が無駄に廃棄されているのに、他方に、他の国には、飢えに苦しむ人がいる投機や博打に巨額の資金が使われている一方でその日その日の暮らしに必要な「お金」さえ不足している人もいる
この様な事は経済の仕組みが正常に機能していない証拠である。

以上の点を鑑みると、今の日本経済は、正常に機能していないように見える。
少子高齢化が叫ばれて、住宅需要が低下するのが予測されているのに、高層マンションのブームが起こったり。金余りと言いながら、「お金」がなくて生活に窮している人が大勢いる。
一見豊かになったように見えながら、定職につけずに貧困にあえいでいる層が広がっている。
高齢化、高齢化と言われながら、高齢者の医療負担が大きくなり、年金制度が危機に瀕し、独居老人や孤独死が増えている。また、増税によって国民負担が増えている。この様な事を考えると経済の仕組みがどこかおかしくなっていると言わざるを得ない。

日本経済の仕組みが正常に機能していないとしたら、何が経済を正常に機能させないのか、それが問題なのである。経済を正常に機能させていないのは、経済の仕組みなのか、制度の問題なのか、市場の構造なのか、政策の間違いなのか。それを検証して、採るべき政策を明らかにしていきたい。

経済は、大きく流れが転化する場所がある。それが転換点、潮目、分岐点等と言われる。それまで拡大、上昇方向に流れていたのが、一転して縮小、下降局面に転じたりする。大体、十年に一度は、転換点があると考えられる。
一度、変化が始まるとある段階から加速度がつく。変かは、始めは処女の如く、最後は脱兎の如くなる。
市場全体の流れの方向を見極める事が鍵を握る。同時に、分岐点転換点をいち早く察知する事が、決断をするうえで大切なのである。

資金の流れ資金の過不足の状態、そして、資金の働きの整合性をどの様にとるかが問題なのである。
景気や物価、収益、所得と言った経済を左右する要素は一体何に反応するか。それが鍵を握っている。
変化を見極めるためには、変化の形と変化を構成する要素の構造を明らかにする事である。その上で操作する事が可能な変数か、それとも、操作する事が出来ない変数かを確認する。

金利は、かつては、非常に簡単に動かせた。景気がよくなれば金利を上げて景気を引き締め、景気が悪くなったら金利を引き下げて景気に活力を持たせる。ただ、それだけの話である。しかし、今日では、それほど単純に金利を操作すればいいという訳にはいかなくなった。なににしろ、ゼロ金利なのである。
何が、金利の働きを変化させたかが重要である。どの様な出来事や政策に何が反応したかを見極める事である。

結果は、複雑でも、根源にある基本的操作は、単純である。不易、変異、簡易。上げ下げであり、入出力である。つまり、上げ下げ、あるいは、入出力によって操作ができる要素を見つける事である。いずれにしても二値論理、即ち、是か非か、真か偽か、善か悪か、イエスか、ノーか二つに一つとして組み立てていく事である。
管理可能か否か定常的な流れか非定常的な流れかを見極めるのである。

いずれにしても景気の状態を予測するには、経済量を明らかにする必要がある。しかし、それが問題なのである。経済量を測るのは、難しい。何よりも経済量の実体は何かを定義するのが困難だからである。

第一に、経済量の実体は「お金」では測れない。経済活動とは生きる為の活動だからである。経済量の実体とは、国民が生きるためには、必要な資源の量を言う。基本的に人と物の関係の上で成り立っている。人と物とを仲介する働きをしているのが「お金」であり。「お金」は、従属的な要素なのである
問題は、生きるとは何か。生きる為の活動とは何を指すのかである。生きるという事の意味には、大きく分けて二つある。生物学的な意味での生きるという事と、人として生きるという意味である。
どちらを基準とするかによって実体的経済量は、違ってくる。経済量の実体は、生きていくために必要な最低限の資源の量と生産力、供給力の間にある。なぜならば、生産量や供給力が生きる為に必要な量を下回ったら経済は、実質的に成り立たなくなるからである。
全ての国民が生きていくために必要な量が経済量の下限を構成する。そして、生産力、供給力が経済量の上限となる。実質的な経済量は、必要量と生産力、供給力の間にある。

景気の変動、特に、物価の動向を見定めようとした時、経済量をどの様に測定するかが鍵を握る。全人口が生きていくために必要な資源が基礎となって経済は成り立っている。その分配の手段が「お金」なのである。

「お金」で重要なのは、流動性である。流動性が失われれば、「お金」は、分配の働きが機能不全に陥るからである。
いくら「お金」を市場に供給しても金融市場に「お金」が実物市場に流れなければ市場は機能不全に陥る。なぜならば、経済の根本は、国民に適正な量の資源を配分する事だからである。「お金」の働きは、人と物との関係の上に成り立っている。

市場は、市場取引を通じて生産と消費を結び付け経済量を制御する仕組みである。付加価値を生み出すのは、市場取引である。故に、公共投資や税、補助金、給付金の様に市場取引を通さない「お金」の流れ、資金移動は、付加価値を生まない。
また、生産活動と消費活動との結びつきが失われたら、生産活動に対する動機付けもできなくなる。必然的に消費によって生産を制御する事が不可能になる。「お金」がないなら「お金」をばら撒けばいいというのは短絡的である。経済の仕組みは、生産、分配、消費、貯蓄が個々独立して機能しているのでは、相互に関連しながら機能しているのである。

人と物は有限であり、物を人に適正に配分する為の手段が「お金」なのである。生産と消費を結び付けている場が市場である。故に、市場における「お金」の流通量が価格を蹴っている。「お金」は、尺度・基準に過ぎない。それも絶対的な基準ではなく。相対的な基準である。相対的な基準だから流通量が重要なのである。
つまり、人と物の関係に従って「お金」の流通量は二義的に決まるのである。
生産力に余力があり、資源が市場に溢れている。市場が飽和状態な時は、物価は極端に上昇しないが、品不足な状態の時に過剰に資金が市場に供給されていれば、物価は上昇する。

経済量の実体は、人と物の関係の上に成り立っているが、分配を実現する手段は、「お金」である。
故に、経済では、人と物が説明変数となり、「お金」が目的変数となる。

バブルから何を学ぶのか


過去から何を学ぶのか。それは、バブルと言う現象を事前に予知して予防するか、仮に、防げないとしても、被害を最小限に抑える手立てを事前に準備しておく事である。
災害があったとしてもその被害を最小限にとどめる為には、災害の兆しをいち早く察知し、それに備える事である。
過去の事例から学ぶのは災害の兆しをいかに捉えるかである。

一つは、事前の災害の実体を把握し、予防策を講じる。バブルによる被害を最小限にしたければ、究極的には、バブルを起こさせない事である。
災害を予知し、災害に備える。災害への備えは、災害を回避するための対策、災害が起きた時に対する対策、災害の後の後始末である。
過去に起こったパブルから我々が学ぶの以上の事柄である。

先ず、バブルの兆しを読み解く事である。災害や病気は、後から考えると何らかの兆しに気が付くものである。その兆しを忘れないで、記憶しておく事が災害から身を守る一番の近道である。しかし、人は、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、なるべく厭な事は、忘れたいものである。その為に同じ過ちを何度も犯す。

兆しと言うのは、何らかの異常値偏りである。異常値を見つけるためには、何が正常なのかを定義し異常値を規定しておく必要がある。ゼロ金利は、明らかに異常な事であるが、長期に渡れば感覚が麻痺してしまう。そして、それが正常値であるような錯覚が生じる。この様な錯誤は、是正するのが難しい。まず、原点に帰って何が正常で何が異常かを見極める事なのである。それがバブルから学ぶことである。

バブルは人災である。なぜならば、バブルと言うのは、経済的現象であり、経済は、人為的行為に基づくからである。これを忘れてはならない。
故にも自然現象と違い人為的に防ごうとすれば防げるのである。バブルが防げないとしたら、それは人間の愚かさである。戦争も同じ

与えられたデータから我々が学び取るのは、推測と予測である。
推測とは、与えられた限られた情報から背後にある法則や規則、仕組み、個々の要因の関係を推し量ることを言う。
予測とは、与えられた限られた情報から将来起こる現象や状況を推し量る事である。推測も予測も限られた情報から何らかの自体を推し量るという点は共通している。問題は、推測が時間が陰に働く、つまり、静的であるのに対して、予測は、時間が陽に作用している。即ち、静的だという事である。

バブルから何を推測するのか。それは、なぜバブルが起こり、バブルの何が問題なのか。そして、バブルと言う現象に遭遇した時、どの様な行動、対処すべきなのか。
何を予測すべきなのか、また、なぜ予測する必要があるのか。されは、将来、バブルと言う現象は、再発する可能性があるかを明らかにする事である。また、バブル現象が起こるとしたら、いつ、どのようにして起こるのかを予め知っておき、バブルが起きた時に間違った行動をとらないようにする事である。

バブルは貨幣的現象であり、市場的現象である。バブルは貨幣や市場がなければ起こらない。故に、貨幣の働き市場の仕組みを明らかにする必要がある。

市場経済は、資金移動、すなわち、「お金」の流れによって動いている。

資金の移動は、資金の過不足によって起こる。
資金の過不足によって生じる落差が資金の流れを作り出すのである。
「お金」の過不足は、手持ちのお金の残高収入支出の関係によって生じる。そして、残高不足を補うように資金は移動する。
資金移動を起こす手段は、売買、貸借、贈与、徴税である。この中で、贈与、徴税以外は、双方向の働きを持つ。経済的効用は決済によって発揮される。決済は、取引によって成立する。貸し借りは、贈与、徴税は、資金移転を意味する。経済的効用は、売り買いによって発揮され、資金移転は支払い、決済を準備する。
資金移動は、出し手と受け手の存在が前提となり、取引全体の働きの総和は、ゼロとなる。つまり、売り買い、貸し借りは均衡している。

物を購入する、手に入れるためには、「お金」がなければならない。しかし、最初から「お金」があるわけではない。故に、最初は、「お金」を借りてくる必要がある。「お金」を借りる、即ち、貸借が生じた時、経済空間に「お金」の過不足が生じる。貸借によって生じた「お金」の揺らぎ、過不足が貨幣の働きを生み出し、市場を形成するである。
売り買いによって「お金」は生み出されるのではなく。貸し借りによって「お金」は生み出されるのである。

「お金」の効用は、基本的に決済によって発揮される。即ち、物を売って得られる収入と物を購入する時に払われる支出によるそして、収入と支出に時間の働きを加えたのが期間損益である。
収入は、物を売たり、労働を提供したりして得られる収入(所得、収益)だけでなく、借金をする事で得られる収入、地代家賃、配当、金利等から得られる収入、贈与される事で得られる収入、徴税による収入がある。また、違法行為による収入もあるが、違法行為による収入は、犯罪として扱われ、正式な経済行為としては認められていない。所得や報酬として得られる収入以外の収入は資金移転とされる。
支出には、消費の為の支出の他に、生産したり、販売する為に費やされる費用がある。また、借金の返済の為の支出、設備投資や住宅投資等の投資の為の支出、納税の為の支出などがある。
収入と支出が資金の過不足の原因となる。

貸借、贈与、徴税は、支払いを準備する。
経済の働きは、収入と支出の過不足として現れる。収入と支出の過不足は、貸借によって補填され、貸借にに残高として蓄積される。貸借の残高が支払準備高となる。
貸借、贈与、税は、支払い、決済を準備するのであり、資金移転を意味し、経済的効用は発揮されない。この様な資金の流れは資金移転である。資金移転は、基本的に「お金」の効用を発揮しないとされる。

期間損益が表に現れる資金の流れならば、資金移転は、裏で経済を支えている資金の流れである。

資金移転は、特に、貸借は、お金の効用を発揮させはしないが、経済活動を継続する為に、決定的な働きをしている。決済用の資金を準備できなければ、経済主体は、信用を失い破産する、つまり、経済活動が継続できなくなるのである。
補助金や給付金も資金移転を意味する。

バブルの形成と崩壊において表面に現れてこない資金の流れ、即ち、資金移動が決定的な働きをしている。
資金移動の怖さは、水面下、表面に現れない部分で経済主体の継続、即ち、生命を断つ事である。企業が倒産するのは、直接的原因は、資金移動であり、収益の影響は大きいにしても直接的な原因ではないという事を忘れてはならない。
経済主体が破産するのは、不渡りによる。そして、借金をしていなければ、不渡りはださないのである。

資金を補填されて一時的に資金繰りが出来ても、収益が回復しなければ、いずれは、資金繰りに行き詰まる。一時的な資金補填は、かえって資金繰りを圧迫する原因となる。

バブル崩壊や災害時、収益が低下した際に資金援助、補填をする例がある。しかし、このような資金補助策は、注意する必要がある。資金補填は、多くの場合、繋ぎ資金を無担保、低金利で行う事が多いが、借入金、貸付金は資金移動である事を忘れてはならない。借りた「お金」は、収入の中から返済していく事になる。その場合、返済金は、費用として計上されない。つまり、損益上に現れない支出なのである。収益がたとえ回復したとしても、損益上に計上されていない部分でそれまでの支出以上の支出が恒常的に発生する事になる。例えは、利益率が回復したとしても資金繰りは窮屈になるのである。つまり、援助る目的で行われた施策がかえって障害、仇となる危険性がある。

税も資金移転の一種である事を忘れてはならない。税の重要なのは、使い道である。税金は、反対給付が明確でない分、費用対効果、経済性が軽視される事が多い。景気対策と言う名目で使用目的が明確でない支出が増える事もある。
例えば、高等教育の学費の無償化である。基本的に教育費は、義務教育の様に国民が一様に受ける教育と、高等教育や専門教育の様に受益者が限られる教育がある。
前者の場合、国民が一様に利益を得るのであるから税金で負担する事は間違いではない。しかし、専門学校や大学のような教育まで税金で一様に無償化するのは、財政負担を意味もなく増やす事になる。義務教育は、国民として最低身に着けておかなければならない、知識や技術、教養を国民が一様に身につかせる事を目的とした教育である。それに対して、高等教育、専門教育は、社会に出て役に立つ知識や技術を身に着ける処である。故に、高等教育や専門教育、特に大学は、向学心によって成り立っている。一人ひとりの自覚と意志がなければ無意味である。ただ、卒業証書が欲しいというだけでは、価値がない。大学教育や専門教育は、受益者負担が原則である。そうしないと経済効果が期待できない。
確かに、教育が一部の特権階級に限られるのを防ぐ意味で学費を補填するのは意味がある。しかし、向学心もなく、学習意欲もない者の学費迄論道を見る必要はない。かえって有害なだけである。費用対効果が最初から釣り合わないのである。一様に学費を無償化するのは、間違いである。無償化すると言っても税金で費用は賄われるのである。結局、家計の負担を財政に転化しているだけの結果に終わる。

資本主義経済は、市場を通じ、収益と費用を要にして生産と消費を調整し、分配を実現する体制、仕組みである。
借金、補助金、給付金、税金は資金移転である。支払いを準備する行為である。
借金、補助金、給付金、税金に過度に依存するようになったら資本主義経済とは言えない。また、市場も本来の機能を果たせなくなる。なぜならば、市場を通して需給の調節ができなくなるからである。生産は、生産。消費は消費と独立してしまい。生産と消費の脈絡が失われてしまう。
生産と消費の脈略が途絶えると消費によって生産を制御する事が難しくなる価格が機能しなくなるからである。

お金が廻れば、経済主体は、経営を継続する事が可能である。逆に、「お金」が廻らなくなる、資金繰りがつかなくなるといくら収益があっても経営は、継続できなくなる。例え、利益が上げられなくても資金繰りがつけば企業は存続できる。しかし、経済効果を発揮するのは、収益である。この点をはき違えると経済の仕組みが正常に機能しなくなる。例え、儲からない、つまり、経済的な効果が見込めなくとも「お金」さえ回っていればいいという考え方に陥るからである。
故に、補助金や給付金、負債の働きを知る必要があるのである。

市場は、生産活動と消費活動を関連付ける事で、生産を制御する仕組みである。負債の目的は、資金移動、支払いを準備する事にある。借金も収入、貸付は、支出、借金の返済も支出である事を忘れてはならない。ただ貸借に基づく現金収支は、損益上には現れない。借入金や税金を直接、消費に結び付けても付加価値は生まない。生産活動とは結びつかないのである。貸借依拠するのは、生産活動と消費活動の関係を断つ事になる。
基本的に家計は、資金余剰主体であり、民間企業は、資金不足主体である。財政と金融が差の均衡を保つようにふるまうのが本来の姿である。それが現在は、民間企業が資金余剰主体に転化し、財政が一方的に資金不足主体である。
現在、コロナウィルス対策として給付金や補助金が検討されている。間違ってはいけないのは、現在でも家計と民間企業は、資金余剰主体である。それに対して一般政府は資金不足主体。言い換えると補助金や給付金は、資金不足主体から資金余剰主体に資金を転移することを意味する。現在問題なのは、経済活動が抑制されている事で、収益、所得が極端に減少している事なのである。その為に、部分的に、一時的に生産が停滞し、資金の流動性が低下している。
しかし、やがては、経済も原状に復帰する。
その時、生産力の低下によって品不足になっている状態で、過剰な資金が蓄えられけているとしたら…。重要なのは、資金の過不足の状態と資金の流れ、そして、資金の働きの整合性である。

資金の過不足や「お金」の流れによって経済の仕組みが動くという事は、要するに経済の仕組みは、差によって動かされていることを意味するのである。差と言っても極端な差は、かえって、「お金」の流れの障害となる。適度な差をいかに作り出し、維持するかが、経済を制御する為の鍵となるのである。
差には、価格差や所得差、地域差等があるが、特に重要なのは、時間差である。

「お金」の過不足を貸借によって融通し合う事で補填する行為を金融と言う。
金融行為には、金利と言う費用が掛かる。金利は、時間価値を形成する。時間価値は、付加価値を生み出す。

「お金」は、経済主体間で交換、移動しながら、経済の仕組みを動かしている。経済主体、その働きによって集まり、経済部門を構成する。経済部門には、家計、一般政府、非金融法人企業、金融機関、対家計民間非営利団体、海外部門などがある。

「お金」の収支、過不足が貨幣空間を生み出し、形成していく。

「お金」の流れは、労働から得られる所得による生産主体(非金融法人企業、一般政府、金融機関、対家計民間非営利団体)から消費主体(家計)、そして、消費主体から生産主体への流れ。非金融法人企業には、売上、一般政府には、税、金融機関には、金利や預金、対家計非営利団体には募金として支出される。家計から支出された「お金」は、生産主体の収益、収入となる。
その他に、生産主体間の流れがある。生産主体間の流れには、非金融法人企業間の売買、貸借。非金融法人企業と金融機関との貸借。金融機関と一般政府との貸借、税。非金融法人企業との売買、貸借、税などがある。

市場経済を成長、発展させるのは、付加価値である。付加価値は、生産活動によって生まれる。生産活動は、営利事業によって営まれる。故に、非営利事業からは付加価値は生れない。つまり、非営利事業は、経済成長には寄与しない。

営業余剰と言う言葉が示すように、付加価値、時間価値と言うのは、基本的に余剰なのである。余剰なのであるから、効率性が高まれば必然的に圧縮される運命にある。利益や所得、金利、税は、何らかの規制によってはじめて維持される。そして、利益や金利、所得は、規制の在り方によって配分が決まるのである。
問題は、規制にあるのではなく。規制の背後にある規制の目的や考え方である。規制をなくせというのも一種の思想である。それもかなり偏って思想だと言える。


時系列データ分析の実際



時系列データの分析の意義は、変化の軌跡を明らかにし、変化を引き起こす要因を知り、変化を制御可能にする事にある。
時系列分析では、先ず変化の形を見る。変化に目に見えた規則性があるかないかを直感的に把握するのである。ただ目に見えない、表面に現れない規則性もある。最初は、概観を掴むのである。

論理的に明確な命題と曖昧な命題を見分ける。曖昧な命題とは、憶測や推測に基づく事象である。論理的に明確な命題は、予め、定義されているか、合意されている事、自明な事、所与の事に基づいている命題である。
確実な事と不確実な事は何かを仕分けしておく。確実な事は事実である。不確実な事は、推測か、予測である。
何が眼に見えて、何が眼に見えないか。目に見えるのは、位置と変化である。目に見えないのは、関係である。
我々が知りたいのは関係である。明らかにしたいのは、不確実な事、曖昧な事、目に見えない事だからである。
落下であれば、物体が落下しているのと、物体の位置は目に見える。しかし、落下と言う現象の背景に働く力は見えない。力が意味するのは、関係である。
背後の場に働く力、物体と物体の間に働く力が見えないのである。
見えない関係を見えるようにする事から始める必要がある。
目に見える変化は、対応のしようがある。目に見えない変化が怖いのである。

時系列分析をする時、先ず、見るのは、変化の形である。変化の形から、何らかの規則性があるかどうかを判断する。そして、変化の背後に何が潜んでいるかを推測するのである。

変化は、位置と運動と関係によって成り立っている。位置と運動から対象間に働く関係を導き出すのである。
変化は、時間の関数である。故に、変化は、基本的な時系列となる。時間の働きが陰である場合は、静的構造を現す。静的構造は、要素間の基礎となる関係を表しているのである。

経済の変化には、変化を引き起こす要因がある。変化は、結果である。結果には、原因がある。そして、一番知りたいのは因果関係である。
時系列データ分析において先ず知りたい関係は、相関関係。相関関係が明らかになったら、一歩踏み込んで自己相関関係因果関係を探る。

位置はも静的な要因であり、運動は、動的な要因である。

場の作用による変化と構造的作用による変化、固有の作用による変化等がある。
構造的な作用には、静的な構造の作用、動的な構造の作用がある。静的構造の作用も、動的構造の作用も相対的である。

変化には、起点と始点、終点がある。気を付けなければならないのは、起点と始点は必ずしも同時点ではなく、起点と始点に差がある事がある。起点は、変化が起こった時点、現象が表に現れた時点を言う。始点は、変化を引き起こすキッカケ、作用がかかった時点を言う。例えば、水に熱を加え始めた時が始点で、泡立ち、沸騰し始めた時を起点とする。
経済的現象において始点と起点の時間差が、要因間の因果関係をわかりにくくしている。


何が変化を引き起こすのか。



変化は、時間の関数であり、運動を意味する。運動は、位置の移動として現れる。位置は空間的な位置だけを意味するのではなく、温度や価格などの位置関係を含まれる。
変化を相対的であり、対象となるものや要素の関係によって現れる。よって何が変化を引き起こすかを明らかにするためには、物と物、要素と要素の関係を解き明かす必要がある。変化は、物と物、要素と要素の関係に依存している。
物と物と、要素と要素の間に働く関係は、相関関係を意味する。因果関係は、相関関係の一種である。
我々は、変化を引き起こす要因、原因を物と物、要因と要因の間に働く、直接的な作用に囚われがちである。しかし、相関関係を作り出す働きは、直静的な力や作用とは限らない。空間や場に働く力、環境や状況の変化、法や制度による力等、間接的な働きによる変化もある。むしろ、経済全体を動かしているのは、空間や場に働く力、法や制度等の前提条件の変化等が大きい。

例えば、ボールを打つとか、蹴る、投げると言った直接的な行為によって変化を引き起こす場合、落下や流れるといた空間や場、流れ、需給といった間接的な力や圧力によって引き起こされる変化がある。
経済の変化は、直接的な力か間接的な力によるかを見極める事が重要となる。

つまり、金融政策や財政政策によって起こされた変化なのか、需給と言った市場に働く力によって引き起こされた変化なのかによって対策に違いが出てくるからである。

また、変化は、時間の関数であるから、何らかのイベント、操作、決定などが対象に影響を及ぼすのには、多少の時間かかかる。イベント、操作、決定から対象に情報が伝達されるまでの時間差が重大な結果をもたらす事がある。この様な時間差には、意思決定にかかる時間、手続きにかかる時間、物理的な運送や製造、情報伝達等にかかる時間などがある。この経過時間を十分に考慮しないと相関関係や因果関係は明らかにできない。変化は、連鎖であり、波のように伝わるのである。

相関関係、因果関係で重要となるのは順序である。順序が関係を制約する。

何らかの操作、鍵、スイッチ、引き金が、変化を引き起こす事がある。スイッチが入れられたらどの様な経路、仕組み、過程、順序、手続き、論理、即ち、アルゴリズムによって情報が伝達されていくかが重要となる。

市場経済は、市場の変化によって機能を発揮している。故に、何が市場に働く力を、どの様に変化させるのかを明らかにする事が、市場経済の変化を予測したり、対処する為には、前提条件の確認前処理として不可欠になる。前提条件の確認から予測や問題解決の始まるとなる。

市場経済において、経済の仕組みを動かしているのは、「お金」の力である。
経済は、分配の手段であり、「お金」の力によって財を生産し、「お金」によって配分され、市場から必要な財を購入する事で分配は成立する。
「お金」の効用は、市場取引(売買)によって発揮される。「お金」の過不足は、貸借によって補填される。売買は、フローを構成し、余剰な資金は、ストック(残高)として蓄積される。
故に、市場の力は貸借によって蓄えられ、売買によって発揮される。「お金」の働きを顕現化させているのが期間損益である。
経済が正常に機能しているか否かは、部門間の資金の流れと残高の偏りとして現れる。
経済実体は、部門間の資金の貸借と残高、フローを見ると明らかになる。

変化を引き起こす要因を明らかにするためには、経済量がどのような構造を持っているかを知る必要がある。
経済量は、人・物・「お金」の積である。

人の要素とは、人々の生活に根ざしている。
市場を構成する人的要素の基礎は人口の在り方である。
人口の在り方は、総人口の変化、人口の構成の変化等に現れる。

市場を構成する物的要素の基礎は、生産力である。
資金の過不足と「お金」の流れる方向、総量 等である。基本的に、位置と運動と関係によって決まるベクトルである。
投資は、将来の収益と含み資産を担保して決定される。
バブルに絡んで「お金」の変化を引き起こした要因には、為替、金利、物価、石油価格等がある。



変化の形について



変化から何を読み解くかである。
先ず、地価とか、売上とか、所得とか、総生産といった一つひとつの項目を時系列に沿ってグラフにして変化の特徴を見てみる。
先入観や偏見に囚われずに変化の形を眺めてみるのである。経済量は、変化の形をどうとらえるかが最初の課題である。

時系列分析でも述べたが、先ず変化の形を読み取り、何らかの規則性が潜んでいるかどうかを類推する。
変化の形には、規則的な部分と不規則なものがある。一般に一つの対象の変化は、規則的な部分と不規則な部分が複合している。まず、規則的な要素と不規則な要素とを分離させる。
規則性とは、一般に周期性を言う。周期性は、波動の様に一定の期間で一定の形で生起するものと、季節変動の様に一定の期間で単一に生起するものとがある。
また、短期的な変化と長期的な変化がある。
更に、生起する機関が一定なものと不規則なものがある。これらの要素が複合される事で、変化の形は、形成されていく。

形から直感的に規則性の有無を掴む。外観、外形から何らかの規則性が潜んでいるかどうかを見るのである。
変化の規則は、相関関係、線型的(比例的)な変化、周期的な変化、季節的な変化、短期的な変化、長期的な変化、一時的な変化、固有な変化等がある。

変化の規則性を見出すには、順序、反復、分岐があるかどうかを見る事である。変化に何らかの順序が見て取れるか。規則性を見出すには、繰り返しがあるか。何らかの分岐点があるかを見つける事である。順序とは後先があるかを意味している。分岐は、山と谷として現れる事もある。つまり変換点である。繰り返しを見る時、幅に注意する。

国民経済計算書では、順序が重要な意味がある。順序が見えてこないと国民経済計算書は理解できない。順序は流れを作る。順序は流れの源になる。順序は流れに沿う。

変化の滑らかさも重要である。滑らかな変化が、それともギザギザした変化か、詰まりつまりした変化か、伸び縮みのある変化か、速度が一定しているか、凸凹のある変化か、強弱がある変化かなどである。

変化には定常的変化と非定常的変化がある。

注意すべきなのは、運動の性格の変化である。一定の規則に基づいていた変化が、ある時点を境にして不規則な変化になるのは、何らかの作用が失われたか、弱まった結果だと考えられる。
相関関係が失われると無重力状態に落ちいったようなものである。
重力が働いている場と無重力な状態では、運動が違う。ロケット内部の物体は、大気圏内と大気圏外とでは、全く違った動きをする。
上昇している飛行機と水平飛行に移った飛行機とでは、重力の働きが違うのである。

変化には、規則的な変化と不規則な変化がある。
規則的な変化には、周期的な変化と周期性のない変化がある。
一定の短期的周期。
傾向(トレンド)。季節変動。
変化の性格のどこが変わったのか。

変化は時間の関数である。時間が陰に作用するか、陽に作用するかで変化の様相は全く違った形になる。


経済発展には、三段階ある。 即ち、第一段階は、生存。第二段階は、生活。第三段階は、自己実現である。そして、段階に応じて必要性も変化する。
生きる為に最低必要な資源が必要なだけ配分されているか。
その上で、人々の生活が豊かにする資源が求めるだけ配分されているか。
自己実現に必要な資源が配分されているか。


バブルとは何か


バブル崩壊後、日本は、空白の十年、二十年と言われ続け、未だに、その後遺症から抜け出せないでいる。
一体、バブルとは何だったのか。それを明らかにしないと日本経済は、以前の活況を取り戻す事はできない。
バブルの形成は、必然なのか、未必の故意だったのか。必然であるか、故意であるかによって対応の仕方も根本的に違ってくる。
当事者たちは、決して自分たちの過ちを認めようとはしない。それが、以後の政策をも狂わせている原因でもある。

バブルと言うのは、フローに対して以上にストックが膨れ上がる現象である。例えば、日常的な経費に対して土地とか株と言った金融資産が異常に膨張するような現象である。バブルの危険性は、ストックの量が、フローに必要とする資金の量を大きく上回る事で、フローが圧迫される事にある。例えば、地価の異常な上昇は、土地の実需を冷やしてしまうという様な事である。実体のない「お金」が資産価値を膨らまし、それによって実物市場に資金が流れなくなる。それがバブルの危険性である。
バブルの弊害は、バブル崩壊時に、資産の名目的価値を圧縮する事で逆資産価値、即ち、企業の資金調達力を圧迫して実物市場に「お金」が供給される事を阻害する事になる。

株価や地価の下落が経済に影響するのは、運転資本に影響する事である。多くの企業は、収益に季節がある。収益が低い期間に備えて株や土地に投資をしている場合が多い。株価の下落はその点をつかれるのである。

「お金」が本来の働から乖離し、その結果、本来の働きが出来なくなるのである。

経緯の確認


バブルが形成されてから、バブルが崩壊し、空白の十年と言われた期間を年単位、四半期単位で確認してみる。
その変化のトレンド、短期的周期変動、季節変動、不規則変動に分解する。

時間の働きが陰に作用しているか、陽に作用しているかで、変化の様相は、全く違ったものになる。

バブル崩壊までは、陽に作用していた時間価値が陰に作用するようになった。

始まりは、ニクソンショックだった。
株価が天井をついてから一年後に地価の下落に陥った。



総消費支出は、総消費量と単価との積である。
総消費量は、一人当たりの消費量の平均と総人口の積で導き出される。






       

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