76、統計とは(統計を考える)


確率・統計とは



人は、明日もまた今日と同じように、日が昇ると信じて生きている。明日、今日と同じように日が昇らないのではと心配していたら、頭がおかしくなる。明日、定まった時間に日が昇る、今日と同じように新たな生活が始まると信じられるから安心して生きていけるのである。
人は、少なくとも一日先、二日先、三日先、一週間先、一か月先、半年先、一年先ぐらいは予測がつくと思っている。
来年も、再来年も、今日と変わらない事を前提として、勉強したり、食事をしたり、仕事をしたりしている。
しかし、一度、病気をしたり、大怪我をしたりして働けなくなったり、失業したりしたら生活は一変してしまう。

2016年のアメリカ大統領選では、大方の世論調査の結果を裏切って、トランプ大統領が誕生した。イギリスのEU離脱等、最近、統計分析が大外れするような事態が多発して世論調査の信憑性が問われている。
では、統計は当てにならないかというとそうとも言い切れない。国政選挙で開票が始まるとすぐに当確が出され、近年では、大きく外れたという事はあまり聞かない。それなりに統計や確率の手法は確立されていると言える。

統計や確率が学問として確立されてからまだ日は浅い。しかし、統計、確率的な発想は、今に始まった事ではない。有史以前からある。

古くは、関東大震災、近年では、1995年、阪神淡路大震災、2011年3月11日の東日本大震災、2016年熊本地震といった地震、や津波、台風や洪水といった災害はそれまでの生活を一変させてしまう。
また、戦争は、人々の日常生活を根底から覆してしまう。
作物の作柄は天候に左右され、干ばつや飢饉の被害をもたらす。
恐慌や不景気は、人々の生活を破綻させてしてしまう。

地震は予知できるとして、巨額の資金が投じられてきたが、いまだに地震予知がされたことはない。

私事でも、病気や大怪我をして働けなくなれば忽ち生活が成り立たなくなるし、失業をして収入が断たれれば家族を路頭に迷わす事になる。一寸先は闇というけれど、未来というより、明日の事も何の予測がつかなかったら、気が変になる。だから、過去の経験に照らし合わせて将来を予測するというのは、生きていくため不可欠な事である。先を考えるなんて人間だけでなく、動物だってやっている事である。
つまり、統計的発想というのは、動物的本能だと言っても過言ではない。

勘違いしてはならない。統計や確率が出した結論は、百%正しいとか、当たると言っているわけではない。むしろ、百%正しいとか、当たるというのは確率・統計にはならない。百%正しいわけでも、当たるわけでもないという前提で確率統計は成り立っているのである。確からしさを数値として表したのが統計であり、確率である。
要するに、未来は不確かで、曖昧だという事が前提なのである。だから、いくばくとも確からしい事を知りたいという動機が確率や統計を成り立たせているのである。

平和で健康でいる時は、平穏な日々を当たり前のようにして生活しているが、それがいかに脆弱な均衡の上に成り立っているかを多くの人は知っている。

統計や確率が対象としている事象は切実で、深刻な事なのである。

統計や確率が発達する以前は、人々は、占いや予言に頼っていた。それは過去の事ではなく。現在でも予言や占いは人々の生活の中に浸透しているし、時折、予言によって社会が振り回されたりもしている。

統計と予言の違いは、統計や確率は、確からしさを数値で表しているという事である。百%正しいとか、当たるというのは、いわゆる予言であり、神の摂理を言うのである。そこが、統計や確率と予言や摂理との違いである。
百%正しいとか、当たると言われたら、信じるか信じないかしかでしかなくなる。
統計や確率は、人間の力の限界を前提としているのであり、絶対的だと言っているのではない。ところが、勘違いをした科学者や政治家は、統計や確率を絶対化しようとしている。人間は神にはなれないのである。明日の事などわからない。わからないが、わからないからどうでもいいと言ってしまえば、お終いである。わからないなりに何か手がかりをつかもうというのが統計であり確率である。

人々は、いかに未来は不確かで危ういものであるかを知っている。
だから、保険制度が発達したのである。そして、保険制度こそ、統計の根源であり、精華である。

統計や確率が発達したのは、不確かな未来を見通し、来るべき災難に対処する事が人々にとった喫緊の問題だったからである。

統計、確率とは、推計学である。
統計、確率以外の数学が、断定的、確定的なのに対して、統計や確率は、不確定で、予測、推測の上に成り立っている。答えも一定していない。選択された前提や根拠に、解法等によって答えも違ってくる。
重要なのは、答えの信憑性である。故に、検定が重視される。

統計、確率は、推計が可能な事象に限られている。
推計ができない事は、統計や確率の対象にはならない。



ベイズ統計
確率と統計
確率と統計(教育)



参照
「道具としてのベイズ統計」 涌井良幸著 日本実業出版


       

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