76、統計とは(統計を考える)


確率・統計は、歴史的な背景が重要な意義を持つ。


確率や統計が合目的的な事だとすると確率や統計が確立された歴史的背景が重要となる。

歴史的に見て統計を始める動機は正確に徴税する為とか、戦争の準備のためとか、人口はどれくらいいるのか、一体どれくらいの資源があるのかといった生臭い事なのである。そして、統計の目的は、時の権力者と深く結びついてきた。この点をよくよく理解しないと統計の意味は理解できない。統計は、実利的な目的によって生まれ、発展してきたのである。
真理の探究とか、法則の発見とか純粋の学術的動機ではない。

統計は、長い歴史があると言われている。
統計の語源がラテン語の「status」(国家・状態)だと言われるように、統計は、為政者の徴税や兵役のための資料の作成というところから始まっていると言われる。
それに対して、確率は若い学問である。しかも、その動機は賭け事だと言われる。
もう一つ忘れてはならないのは、近代統計が科学の発達に伴って成立したと言う点である。
これらの事は、統計と確率の性格の違いを端的に表している。

確率や統計の目的を、それぞれの主体から見た場合、行政的目的、実務的目的、科学的目的に分類する事が出来る。確率や統計の目的は、その性格上、実利的動機に基づくものである。つまり、行政や経済に関わるところから統計は発達してきた。その為に、母集団のとなるは、主として、社会集団である。近年に入ると遺伝学や疫学研究の基礎資料として統計は用いられるようになり、自然現象をも含まれるようになってきた。また、確率は、その性格上経済的事象に重きを置いている。
これらが、行政的目的、科学的目的、実務的目的の基となっている。

そもそも統計は、数字の成立と深く関わり合っている。数の成立の延長線上に統計があると言ってもいい。
数が成立するのは、数の働きである数えるとか、測るという作用による。
そして、この数えるとか、測るという働きこそ統計を成り立たせている働きだからである。
まず統計の働きは、数えるとか測るという事を基礎としている。
更にこの数えるとか測るという働きを実体と結びつけることでかすは成り立っている。この数えるとか、測るという働きが何らかの対象に結び付く事で数の概念も統計という概念も成立した。

統計とは、何らかの集合を前提として成り立っている。これは数の概念が確率した動機と深くかかわっている。人は、獲物や収穫物を数えたり、家畜の数を照合し、確認し、分類し、比較し、人数を数え、そして、獲物や収穫物を分配した。
数えたり、測量したり、照合したり、比較したり、確認したり、配分する行為は統計の根本とも共通している。数が生まれた時から集合と統計は深くかかわっていたのである。
我々は、普通に物事を過去の経験から売上だの天気だの予測したり、また、その予測に基づいて計画を立てたりしている。
何も高度な統計的概念や技術を使わなくても統計的な発想、アルゴリズムに基づいて暮らしているのである。
つまり、数も統計も日用的概念である。なにも特別な概念ではなく。現在でも日常的に使われている。その日常的な考え方を数学的に洗練したのが統計であり、確率である。
数を数えたり、簡単な計算が出来なければ社会では生きていけない。子供だって高度な言語を使いこなす以前に簡単な計算はできるようになる。そして、簡単な計算こそ統計の基礎なのである。九九は必須でもある。
読み書きそろばんというように、数学は、本来、実用によって成立したのである。
昔は、役に立たない事は意味がないとまでされた。そのような実用性を超越したところで近代数学は成り立ってきた。しかし、数学が実用性を失ったわけではない。ただ、一見役に立たないような部分から近代数学は、派生し、発達したために、まるで数学には実用性がないかの如く誤解されてしまっている。
しかし、数学はあらゆる分野で活躍し、人の役に立っているのである。
簡単な計算だから程度が低いという事はない。抽象的で難しいから高等数学だというのは偏見である。
統計は、経済の礎であり、数学の礎である。決して統計は数学の異端でも特殊な分野でもない。むしろ統計こそが、数学の本道だと言っても過言ではない。

統計は、数の性格に強く影響しているし、同時に、数の属性の影響下にもある。
統計の根本は、実態から数を抽出し対象を数値として表現する事である。
これは数が対象から数という属性を抽象化するという事に通じている。

数を数える事や測る事で数の集合ができる。その集合と集合を結び付ける事によって統計は成立している。

故に、統計は数論や集合論、群論を基本としている。
統計の基本は、まず自然数だと言う点であり、離散数だと言う点である。また、十進法を基礎としている。
基本は、自然数であり、離散数であるが、目的や対象によっては、実数や連続数を用いる場合もある。
重要なのは、自分が調べようとしている対象や目的に合わせて数の体系を選択すればいいのである。
統計における数の単位も実態に即して任意に決められる。それは、統計が常に何らかの実体を根拠としているからである。

数は、確認する、対象を調べる、対象を数える手段として成立した。
統計は、実態を調べて数値に置き換えるという事が根本である。
数が成立した過程は、統計が根本的に持つ実態を調査するとい事と合致している。

統計が実態を知るという事に重点があり、確率は、未来を予測すると言う点に重点がある。そして、これらの点をの上に近代統計は、実証のための手段として発達してきたのである。第一に、対象の実状、実態を知る。第二に、不確かな現実から未来を予測する。第三に、実験や観測に基づいて導き出された仮説を実証するというのが確率統計の目的であり、それが統計や確率の枠組みの前提となるのである。
そして、これらに共通する目的が意思決定なのである。つまり、確率、統計は意思決定のための手段だと言える。

要するに、統計や確率の目的は、実態を明らかにして、将来を予測し、適切な判断を下す事にある。

統計で一番用いられるのは足し算である。次に掛け算や割り算、そして、引き算である。つまり、集計である。高等数学に類するものはあまり使われない。だから、数学の専門家たちからは高尚なものとして見られてこなかった。しかし、簡単な技術にこそ数学の深淵は隠されている。万人が、それこそ子供ですら使いこなせることだからこそ、数学は、限りなく力を発揮できるのである。

数の概念というのは、本来多彩で自由に設定できる性格のものなのである。決め事に囚われると数学は見えてこないし、厭になる。数学は、万人に開かれた事なのである。誰でも自由に問題提起できるところに科学の本質はあり、その手段としての数学の醍醐味がある。高等数学だけが数学なのではなく。むしろ、四則の演算、自然数こそ数学の本質が隠されていると言ってもいい。数学は、一部の専門家が独占できるようなものではない。

客観性を信奉するのは一種の宗教である。客観性を重んじるあまり、そこに人に介在を認めようとしなくなるのは、行き過ぎである。所詮、数学も人が生み出した事なのである。

また、数学が一種の経典のようになってきた。かつてのピタゴラス教団のように、数学の持つ厳格性と規則性に魅せられた人々は、数学を必要以上に崇め神の領域にまで引き上げようとしている。しかし、数学も所詮、人間が生み出した事なのである。人間は神を越える事はできない。数学に絶対性を求めるのは愚かな事である。



ベイズ統計
確率と統計
確率と統計(教育)



参照
「道具としてのベイズ統計」 涌井良幸著 日本実業出版


       

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