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革命幻想

 天命、革(あらた)まる。革命の語源である。革命という言葉は、必ずしも暴力革命のみを指すわけではない。禅譲という平和な政権を理想とする思想もある。しかし、現代人の多くが抱く革命のイメージは、暴力革命である。
 つまり、革命というのは、暴力をもって政権を奪取することである。

 民衆や国家は、時としてその凶暴な側面を現す。それは、普段は、穏やかな自然が、嵐や地震にとなって猛威を振るうのと似ている。民主主義も始まりは、凶暴な暴力による事を忘れてはならない。

 革命によって作られた民主主義国家は、暴力をその中核のどこかに内包している。つまり、革命によって作られた国家は、国家の中枢のどこかに暴力装置を備えている。この事実は、頭の片隅に置いて忘れてはならない。

 時として、国家は、凶暴な牙をむき出す。我々は、この獰猛な生き物を、よく飼い慣らさなければならない。さもないと、自らの破滅を招くのである。

 現代人の中には、ある種の革命幻想がある。フランス革命やアメリカ独立戦争、明治維新、ロシア革命と現代という時代の幕開けが、革命によって彩られているからである。

 この様な幻想は、革命志向的な精神を醸成する。つまり、暴力革命に依ってしか世の中は変えられないという革新である。この様な精神をもった集団は、革命を引き起こすことだけを目的とするようになる。

 革命をテーゼとしている集団にとって、革命は、究極的な手段であり、目的なのである。彼等にとって革命は、起こるものではなく、起こすものなのである。

革命前提

 革命の前提となるのは、革命的状況である。つまり、革命に依ってしか世の中が変わらない状況こそが、革命的状況である。

 革命的状況というのは、国家が、その機能を失い、統制のとれなくなった混乱状況を指す。つまり、無政府主義的状況である。この様な、無秩序な状況を打破する過程で革命は、引き起こされる。

 革命を必要とするのは、国家が、国家として機能しなくなった時である。国家が、国家として機能しなくなるのは、国家が、国民の生命と財産を保障できなくなったときである。国家は、その機能を果たせなくなっると国民にとって最大の脅威となる。その時、革命的な状況が訪れるのである。それ以外の時は、革命的手段は正当性がない。

 問題は、革命的状況を創り出すのか、想定するのか、前提とするのかである。革命的状況を創り出そうとするのか、ただ、想定するだけなのか、そのスタンスの違いによって、その後の在り方は、全然違ったものになる。革命的状況というのは、国民にとってかなり酷い環境である。できれば、革命的状況は、避けたいと考えるのが良識ある者の態度である。革命的状況を創り出していうのは、それ自体、無法である。

 革命的状況になる前提がある。革命的状況は、国家の信任が失われる事によって引き起こされる。そして、革命に依ってしか、国家の政権の委譲ができない時、革命は起こる。しかし、この状況下で起こるのは、革命だけではない。

 革命によってしか政権交代が行われない条件とは、第一に、権力側が圧倒的な力を一方的に持っている。第二に、言論の自由が保証されていない。第三に、平和的手段によって権力の移行を保証するための手続きが確立されていない。第四に、人民が抑圧された環境にある。第五に、一部の特権階級に政治権力が集中している。第六に、政治的、経済的、社会的差別が存在する。
 この様な、条件下においては、暴力をもってしか自分達の主張を実現することはできない。暴力革命が許容される前提である。

革命志向

 しかし、革命志向の集団は、この様な前提条件を無視して、革命的状況を引き起こそうとする。つまり、そのときの政権を挑発して、革命的状況を創り出し、暴力をもって政権を奪取しようとするのである。

 革命志向の集団は、革命的状況にするのであって、革命的状況になるのではない。つまり、世の中に混乱を引き起こし、革命的状況を創り出すのである。

 まず、政治権力を挑発して抑圧的、強権的体制を敷かせる。次に、無法地帯を創り出して、混乱や争乱を引き起こす。混乱や争乱を増幅し、無法地帯を拡大していく。国家を無政府主義的な状況にしたうえで、大規模な暴動を扇動して、革命を引き起こす。

 テロや犯罪、メディアの操作を通じてモラルや秩序を混乱させ、社会的な慣習や文化をないがしろにし、人間関係の根本、家族の絆を断ち切っていく。言論界の人間は、自分の行為を正しいと確信している。彼等は、自己の世界でき独裁者なのだ。怖れるものは何もない。世の乱れを嘆きながら、世の中を破滅させることに加担していることに気がついていない。

 明確に意志をもって世の中を混乱させる者よりも質が悪いのは、自覚もなしに、世の中を混乱におとしめる者達、言論の自由の名の下に、言論の自由を破壊する者。子供達のヒーローとなって子供達のモラルを失わせる者達。彼等こそ、最も危険な人物なのだ。

 若者は、規制の秩序や押し付けに反発をする。無頼な輩や無法者にあこがれる。それが自立する為の過程だしても、未熟さ故につけ入れられる隙はいくらでもある。彼等は、煽動され、国家を無秩序や堕落の加担をさせられる。世の中は、退廃化し、権力は先鋭化していく。その先にあるのは、真の革命だろうか。

 大人達の無責任な行動が、さらに状況を悪化させていく。こうして、革命的状況は、醸成していくのである。

革命に際して

 抑圧された集団は、時として凶暴になる。そして、そのエネルギーは、最終的には、抑圧者に向かっていく。そのエネルギーに乗じて革命を引き起こそうとするのである。

 革命志向の集団は、初期の段階では、無政府主義者と連携する。しかし、彼等の目的は、無政府主義者の目的とは違う。最終的に自分達が政権を奪取し、世の中の仕組みを根本から変えてしまうことである。彼等にとって重要なのは、統制である。
 故に、彼等は、どのような混乱にも、争乱にも統制を、失わないような強固な、組織を維持しようと務める。

 無秩序や混乱が支配した世界では、統制のとれた少数者が、政権を奪取することができるからである。

 現実の世界は、革命志向の集団の目論見通りになるとは限らない。むしろ、抑圧的で強権的な独裁体制だけが温存される危険性の方が高い。混乱の争乱だけをもたらすだけで終わることもある。残されるのは、果てしない憎しみと諍い。権力者だけが、悪いのではない。世の中を変えようと志向したものが引き起こしたこともあるのだ。
 また、革命志向の集団というものは、その本来が統制力に依存した少数者である。独裁的で強権的な体質を本質的に内包しているのである。政権を奪取した瞬間から独裁的政権になる可能性の方が高い。

 問題なのは、革命志向でない組織である。彼等は、あまりにも、常識や良識に囚われすぎる。そのために、正義が行われなくなる。 
 革命的状況下では、良識や常識が通用しない事を自覚しなければならない。無秩序で、混乱した状況下では、力しか頼れない事を知るべきである。革命的状況では、正義は力なのである。
 革命的状況下では、非常な判断が要求される。毅然とした勇気ある決断こそが、要求されている事を忘れてはならない。迅速に、的確な判断をし、断固として実行したものだけが生き残れる。一種の躊躇は、命取りになる。

 よく訓練をされ、統制のとれた組織を準備しておく必要がある。そして、何よりも理想と信念が大切である。まちがっても、偽りや欺瞞があってはならない。人民に対する献身的な愛が必要なのだ。

 なにが、大切なのか。それは、人民の幸福であり、繁栄であり、平和である。何が欠けているのか、それは、愛である。民衆は、身構えなければならない。自分達は、何から何を、命をかけて、守らなければならないのか。なにが、大切なのかを、忘れてはならない。