貨幣経済


企業活動と貨幣

 利益は、人を騙して不当に得られるものを指しているのではない。利益を上げることは、企業経営にとって大前提である。適正な利益を確保できなくなれば、企業経営は継続が不可能になるからである。ところが、多くの経済政策は、適正な利益を上げることは悪い事であると言わんばかりの施策が多く見受けられる。

 例えば、競争を原理化する思想である。
 最近の経済政策には、錯覚があると思われる。競争の原理を働かせ、効率化をすれば、景気が良くなると決め付けているようである。しかし、生産性を高め、効率を上げることが必ずしも景気を良くするとは限らない。好例が、雇用の問題である。生産性を高め、効率を上げるために、合理化、機械化をすれば必然的に雇用が悪化する。雇用の悪化は、景気を悪くする要因の一つである。
 景気を良くするためには、企業経営の健全性を取り戻すことなのである。企業経営の目的は、適正な利潤を上げる事であり、効率化にあるわけではない。元々、バブル後に景気が悪くなったのは、企業の健全さが損なわれ、適正な利潤を上げる事が出来なくなったことであるが、その最も重大な原因は、不良債権にあることは衆知のことである。不良債権は、バブルによる資産価格の上昇と急激な下落にある。それによる資金繰りの悪化が背景にあるのである。企業経営を効率化すれば、解決できるという問題ではない。バブルがなぜおこり、また、なぜ崩壊したかの原因と、その前後の企業の収益状況を見ないと真の原因は掴めない。
 元々、適正な利潤を上げる事が必要な条件なのであり、効率化も、合理化も手段に過ぎない。景気を良くしたいのならば、企業の収益を良くすることである。その為には、収益構造を明らかにする必要がある。

 バブル前に多くの企業が財テクに走った理由は、本業が儲からなくなったからである。なぜ、本業で儲からなくなったか、その原因を明らかにしない限り、企業経営は健全化できない。故に、本当の景気回復も出来ないのである。

 企業経営に関しては、多くの誤った認識がある。良い例が、儲かった中から費用が決められるという発想である。

 収益が費用を決めるのではなく、費用は、費用それ自体の要素によって決まる。つまり、収益の中から費用を捻出するわけではないのである。費用は、それ自体に内部構造によって決まると言う事である。安易に収益と費用を結び付け連動させてしまうと、費用が下方硬直的なものになる。逆に、収益によって費用が振り回されてしまう。また、収益も周囲の状況の変化や環境の変化を反映することが出来なくなる。周囲の変化や前提条件が違っても同じ利益を要求すると言う事か起こる。

 労働で言えば、収益が所得を生み出すのではなく。労働が所得を生じさせているのだと言う事になる。適正な利潤をあげられるかどうかは、収益と所得、つまり、人件費が見合っているかどうかである。

 適正な収益が計れなければ、費用も賄えなくなるのである。簡単な原理である。費用に見合った収益が得られなくなったから利益が上げられなくなったのである。その原因の大きな要因は為替の変動である。円高によって費用が変動した。その変動に見合った収益があげられなければ、利益は確保できないのである。

 つまり、内的費用は外的な所得に転化しているのである。そして、この転化が、経営活動の本質であり、利益は、その結果に過ぎないのである。同様なことは、外的な売上は、内的な仕入れに転化する。内的な売上は、外的な仕入れに転化し、最終的には、消費者によって消費される。この連鎖的な活動か経済の本質なのである。利益は、その副産物に過ぎない。

 紙幣は、それが成立した時点で債権と債務を派生させる。つまり、債権と債務と貨幣価値が同時に発生するのである。紙幣は、現金の一形態であり、紙幣を現金と置き換えても良い。

 現金とは、貨幣価値を表象した物である。仕訳というのは、現金の動きを基本としている。即ち、現金を調達して、経営活動によって貨幣価値を増殖し、再度、現金に還元する過程である。その過程で分配機能を発揮することである。

 収益は、企業内部から見ると売上高、外部から見ると費用である。内部から見て売掛金は、取引相手から見れば買掛金なのである。受取手形は、支払手形に対応する。この様に、内と外では、正反対の取り方がされる。この様に、貨幣は、貨幣価値を創造すると同時に、正と負の作用を引き起こす。この正と負の作用が複式簿記の基礎となり、また、会計制度の基礎となる。また、貨幣制度の基本的原則となる。

 基本的に、負債、資本、収益が収入を意味し、資産と費用が支出を意味する。資産と費用を分けるのは、速度の問題である。
 負債や資本の減少は資金の流出である。負債と資本、収益の増加は、資金の流入を意味し、逆に資産や費用の増加は、資金の流出であり、資産の減少は資金の流入である。これが重要なのである。
 同じ資金の流入でも負債や資本の増加は、債務の増加を意味し、収益は、所得の増加を意味する。逆に、資金の流出でも資産は債権の増加、費用は消費の増加を意味する。

 資金というのは、どんな手段で調達してきても、調達してきた時点では、債務なのである。ただ、債務を一つは負債と名付け、もう一つは、資本と名付けているに過ぎない。利益は、資本に取り込まれる過程で投資家に対する債務となる。故、投資家に対して報告する義務が生じる。報告するための仕組みが会計制度ある。
 そして、その債務が債権を生じさせる。

 紙幣は、負の価値を正の価値に返還する手段であった。ところが、単式簿記では、負の価値が潜在化し、正の価値のみが顕在化する結果を時として招く。その為に、負としての働きを制御できなくなるとが往々にしてある。それ故に、会計制度では基本的に複式簿記を採用するのである。
 
 企業活動とは、貨幣価値を実現するための過程なのである。仕訳はそれを表現している。現金というのは、貨幣価値を実現する直前の姿である。故に、仕訳の基本は常に現金である。そして、貨幣価値を実現する過程であるから、貨幣価値を実現するための速度が重要となる。それが流動性である。この流動性は、必ずしも時計的時間をそしているとは限らない。

 なぜ、元金が分離され、元金は、負債に、利子は費用に仕分けられるのか。負債と収益がなぜ、同じ側に仕分けられ、収益と費用が同じ側に仕分けられるのか。
 それは、仕訳を考えればわかる。会計の仕訳の仕組みは、貨幣価値と財と取引関係からなる。
 貨幣価値を直接的に表現しているのは、現金である。現金とは、貨幣価値を実現した物であり、貨幣価値そのものである。反対側に仕分けられるのは、貨幣価値が指し示す実体である。
 仕訳は、この現金を基礎にして仕分けられる。日本の会計制度の特徴の一つである伝票制度で言えば、入金伝票と、出金伝票である。それに、振替伝票である。これに、売上伝票、仕入れ伝票を加えたものもある。何れにしても現金の動きが、会計制度の実務的中核である帳簿を決定付けていることがわかる。
 つまり、現金、現金が指し示す実体、そして、仕分ける基準が資産、負債、資本、収益と費用の別を生んでいるのである。

 現金と現金が指し示す物と取引である。この作用反作用の関係が、仕訳、及び複式簿記を成り立たせているのである。
 むろん、現金が関わらない仕訳もあるが、それは、過程的取引であり、最終的には、現金として貨幣価値を実現する取引に変換される。

 資産と費用は、貨幣価値を実現したものであり、負債と収益は、貨幣価値を実現する権利である。
 貨幣価値を実現する権利を得てからそれを実現するまでの過程が経営活動である。貨幣価値を実現するまでに一定の時間を要する、その時間が価値を生み出すのである。

 静的というのは、本来、時間の影響を排除したところに成立する事象を指して言う。位置を示す概念である。つまり、静的というのは、時間に対して陰の作用である。それに対し、動的というのは、運動、即ち、時間による変化を指す。つまり、動的というのは、時間に対して陽の作用である。
 会計上は、損益は動的活動、貸借は静的活動と区分される。ところが、静的活動であるべき、貸借が内部運動によって価値の変動を引き起こす。それが会計を引いては、貨幣経済を不安定なものにしているのである。それ故に、従来は、取得原価主義を採用してきた。

 問題は、内部運動、価値の変動である。なぜ、内部運動が生じ、それはどの様な仕組みに基づくのかである。

 変化が予測できる部分と予測できない部分がある。元金は、予測できるが金利は、予測できない。なぜ、元金と金利とを分離して仕訳をし、それを別々の処に計上する必要があるのか。そこに期間損益の秘密が隠されている。

 変化する部分、変化して良い部分、変化させる部分と変化しない部分、変化してはいけない部分、変化させない部分がある。
 変化というのは、時間価値を内包している。つまり、何等かの運動である。仕組みの中で可動して良い部分と悪い部分のことを指す。ただ、運動というのは、相対的な物である。何が何に対して変化しているのかが重要になる。
 それこそが会計上の仕組みである。

 重要な事は、利益というのは、収益−費用という単純な公式で出せる様なものとは違うと言う事である。貨幣は、それが紙幣という表象貨幣として成立すると貨幣は、債権としての働きと、債務としての働き、そして、貨幣価値としての働きを発揮するようになる。そして、それぞれが時間価値を内包することによって資産、費用と負債と収益として区分されるようになった。そして、資産と負債、収益と費用との差が資本と利益という形で表現されることになる。

 経営活動というのは、基本的に債権と債務の均衡の上に成り立っている。収益というのは、債務が債権化する過程における時間的価値が生み出す価値である。

 更に、もう一つ忘れてはならないのは、資本がそれ自体商品価値を持ち、流動性を持っているという点である。それが資本主義の本質でもある。

 最近の企業合併では、優良な企業が危機に陥った企業を救済合併するという構図が成り立たなくなった。むしろ、新興のIT企業が老舗のテレビ局に攻勢を仕掛けると言った、窮鼠猫を噛む的な、劣勢の企業が優勢の企業に合併を仕掛けるという事が頻繁に起こる時代である。この様な現象を引き起こしているのは、株式時価総額である。つまり、資本が独自に商品価値を持っていることに由来している。

 資本には、負債が変質したものという性格があることを忘れてはならない。投資という行為は、基本的に融資と共通した性格と効果がある。

 そして、負債や資本の対極にあるのが資産であり、その媒体は資金なのである。つまり、資金を核にして、資産と負債、資本が形成される。

 負債と資本の決定的な違いは、負債というのは、債務者が責任を持って債権者に対して返済することを法的な義務づけられているのに対し、資本は、基本的に返済が義務づけられていないという点にある。

 そして、証券と言う事である。
 紙幣は、それまでの貨幣とは明らかに違う性格を持っている。つまり、貨幣そのものは、固有の価値を持っていないで、価値を表象しているだけだと言う事である。紙幣には、証券としての性格があることを忘れてはならない。
 株式こそ、資本を証券化し、商品化することによって流動性を持たせたものである。

 ゴルフの会員権とリゾートクラブの会員権の違いが好例である。前者は、市場が成立しているが故に、価値を持つ。市場が成立することによってゴルフ会員権には、流動性が生まれ、資産価値が認められるようになったのである。逆に言えば流動性のない資産は、価値が認められない。厳密に言うと貨幣価値が認められない。なぜならば、貨幣は交換価値だからである。

 資本は、貨幣的側面と財としての側面を持つ。また、資産と負債という二面性を持つのである。
 そして、企業活動というのは、単純に費用対効果だけに現れるのではなく。資産や負債、資本の循環活動としても現れるのであり、企業間の相互作用によって経済的価値は絶え間なく生み出されるのである。

 この点を理解しないと儲ける仕組みは構築できない。いくら効率化しても、それは、数値上のことであり、景気は良くならないのである。況や、競争を促しても経済は良くならないのである。





                    


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