場の理念



為替(変換の場)


 今や子供でも円高や、円安という言葉を知っている。それほど為替問題は、我々の生活に密着してきた。
 個人事業者や自営業者でも為替の問題に無関心ではいられなくなった。また、日用雑貨の値段も為替の変動に敏感に反応する。好例が、ガソリン価格である。ガソリンの価格は、毎日、あるいは、一日の内に何度も、その日の為替の変動や原油価格に連動して動いている。まことに、景気の良し、悪しも、為替に左右されると言っていい。

 国民の生活は、為替に左右されている。そのことは、誰もが、知っている。常識である。しかし、それでありながら、為替がどの様な仕組みで動いているのかは、以外と知られていない。

 多くの人は、ドルや円という貨幣があるというふうに考えがちであるが、そうではなく、貨幣の中に、ドルという要素、円という要素、言い換えれば、ドルという単位、円という単位があるのである。つまり、ドルや円というのは、貨幣の尺度の単位に過ぎない。貨幣そのものを指して言うわけではない。
 貨幣という機能は、ドルであろうと円であろうと基本的には変わらない。つまり、貨幣としての連続性は保たれているのである。貨幣とは、その時点における貨幣価値を示す物である。
 ただ、通貨圏に応じて尺度が変化するだけである。即ち、貨幣は、一つの通貨圏の境界線を超えるとその単位が変化する。通貨圏の境界線は、物理的空間に必ずしも拘束されていない。通貨圏の境界線は、何等かの装置、あるいは、機関である。
 貨幣が姿を換えるという事である。つまり、通貨圏によって装いが変わってしまうのである。
 通貨圏というのは、一つの通貨単位が作り出す領域である。
 通貨の単位の変換の仕方は、国家間の取り決められている。実際の貨幣単位の変換は当事者間で予め設定された取り決めに従って行われる。自然に、通貨単位の変換の仕方が決まるわけでもなく、単位の変換、即ち、両替がされるわけでもない。
 両替は、即ち、貨幣単位の変換は、予め、国家間、あるいは国際間で決められた場所で、これもまた予め決められた機関が行う。
 ただ、実際に支払手段を行使する時は、物としての貨幣、即ち、紙幣やコインを必要とする。つまり、実意の取引は、現金、及び、現金に相当する代替物を媒体とする。現金というのは、その時点における現金価値を実現した物、あるいは、表象した物である。つまり、財の現在的貨幣価値を実体化した物、具現化した物が現金である。
 そして、現金を両替するためには、国家や通貨を管理する機関は、決済に必要なだけのそれぞれの通貨圏に通用する現金、つまり、紙幣やコインを準備しておく必要がある。それが外貨準備金である。
 決済に必要なだけの現金を用意するためには、自国の通貨の価値を保証する物を予め担保しておく必要がある。金本位制の時代は、この担保する物は、金であった。つまり、金本位時代においては、金は、その国、あるいは、通貨圏の通貨の単位を規定する実体的基準であった。金本位制が崩壊した今日、金に変わるのが、基軸通貨である。現在は、基軸通貨とされているのは、アメリカドルである。アメリカドルは、かつては、兌換紙幣、即ち、金にリンク、結び付けられていたが、1971年8月15日のニクソンショックによって金との結びつきが失われた。この日は、きしくも日本の終戦記念日であった。
 その結果、貨幣は、金という基準を失ったのである。貨幣は、国家に対する請求権を失い交換のための媒介物、あるいは、情報でしかなくなった。つまり、貨幣単位は、通貨圏間の相対的貨幣価値を示していることになる。
 各国が金本位制から離脱し、金という外貨の裏付けを失った為に、外貨準備金は、基軸通貨に依存することとなる。つまり、アメリカの経常赤字は、必然的帰結なのである。
 この事は、基軸通貨国は、基軸通貨を国際市場に必要なだけ流通させることを意味する。そして、国際通貨の管理は、基軸通貨国の通貨政策に直結することを意味するのである。以後の通貨、政策は、基軸通貨国が主となり、国際市場で公益をする国は、基軸通貨国の通貨政策に従わなければならなくなる。
 金本位制時代は、貨幣の単位は、金によって保障されていた。それに対して、金という裏付けを失った貨幣は、基軸通貨によってその単位を保障されることになる。これは、貨幣が貨幣の価値を決めると言う事になり、これでは、循環論法におちいる。(「貨幣の経済学」岩村 充著 集英社)そこで貨幣単位の実質的価値は、為替相場で決まることになる。それが変動相場制である。
 金本制度下では、金の価値によって通貨の流量は制御され、結果的に物価は、抑制されることになる。変動相場制では、各国間の通貨の流量や物価は、為替相場によって抑制されることになる。つまり、物から仕組みに制御の在り方が変化したと言える。

 固定相場制も一種類ではなく、変動相場制も一種類ではない。固定相場制と変動相場制の折衷的な制度や期間限定的な制度もあるのである。何れにしても、どの様な為替の制度を採用するかは、政治的な問題である。

 金本位制度と為替の固定相場制は、密接に結びついている。貨幣制度と為替制度は一体的に考えていく必要がある。

 重要なのは、通貨が、国際市場においてどの様に循環し、どの様な役割を果たしているかである。そして、その基盤である金融制度の役割と働きであり、金融制度をどの様に構築するかである。

 市場が国際化するに従って通貨制度や通貨政策も連動するようになる。つまり、通貨を制御するためには、国際協力が不可欠であり、国際機関の設置が避けて通れなくなるのである。

 ここに基軸通貨国の役割と機能、責任があり、基軸通貨国の国際市場における位置付けが決められる。

 そして、中長期的に見ると相場を決する重要な基準は、水準である。
 問題となる水準は、国内と国外との水準の変動である。水準の要素には、金利水準、経済成長率の水準、物価水準、雇用水準、所得水準、生産水準、消費水準、貯蓄水準、生活水準などがある。内外の水準の差が為替相場を動かしている要因である。
 また、為替の水準を制約する水準は、経常収支の水準、資本収支の水準、財政収支の水準、外貨準備高の水準、金利水準などが重要になる。

 ただ直接的に為替相場を動かしているのは、ディーラーやトレーダーと言った人間で在り、多分にその時の相場心理に影響されている。

 為替取引を構成する取引には、経常取引と資本取引がある。
 経常取引とは、貿易取引とサービス取引、所得収支、経常移転収支を合算したものである。

 為替の働きは、作用、反作用の関係の典型的な例である。つまり、一つの運動は、二つの方向が反対で、同量の作用を引き起こす。そして、為替の作用、反作用の働きは、内と外との方向性を基本とする。そして、この作用が貨幣単位を制御することになるのである。

 基本的に為替取引はゼロサム取引である。つまり、為替取引で生じる価値の総和はゼロになる事が前提である。この点は、非常に重要である。
 為替市場を構成する資本取引、経常取引、外貨準備金、財政、金融政策は、ゼロサム取引であるが故に、不可分に結び付けられている。

 日本の外貨準備金は、アメリカの国債を担保していると言っていい国債本位制度のようなものである。
 また、アメリカの経常赤字は、日本や中国の資本取引によって補完されていると言ってもいい。

 基軸通貨国と、被基軸通貨国とは、持ちつ持たれつの関係にある。つまり、基軸通貨国と被基軸通貨国とは、外貨準備金や資本において表裏の関係にある。
 基軸通貨国は、自国の通貨を国際市場に行き渡らせるために、経常収支を赤字にしておかなければならず。経常収支を赤字に保つためには、自国の通貨を高めに誘導する必要がある。それは、自国の産業が他国の産業に対し、競争力において不利に作用させることを意味する。つまり、絶えず余剰資金を市場に供給し続ける必要がある。それは、国家の負債を大きくすることが前提となり、財政収支を赤字にせざるを得なくなる。
 生産拠点を失った国内の産業は、必然的に、消費型産業に移行せざるをえなくなる。つまり、国も国民も借金に依存せざるを得ない体制になるのである。借金が出来るうちは良いが、負債の残高が臨界点に達した時、一機に破綻するのである。所謂、カタストロフィである。借金をするためには、担保するものが前提となる。

 仕組みによって為替制度を支えるとしたら、特定の国に偏った形の市場は、市場に何等かの歪みを生じさせる。それは、極端な形、消費国と生産国といった分裂を引き起こす結果を招くことになる。

 特定の国が、基軸通貨を担う体制は、過渡的なものであり、変則的な体制である。輸出と輸入は、本来偏りがなく、均衡した状態が良好なのであり、極端に、輸出や輸入、どちらかに偏った状態が恒常化すれば、その国の経済体制も輸出型、輸入型、あるいは、消費型、生産型と言った偏った形態が定着することになる。また、経常収支にせよ、資本収支にせよ、財政にせよ、不均衡な形が常態化する。つまり、経常赤字が慢性化した国と経常黒字が慢性化した国と分裂してしまうことになる。それは、その国の消費活動にも影響を与えることになる。
 歪みは、拡がる一方となり、経常赤字や財政赤字が、臨界点に達したところで破滅的な崩壊を引き起こすことになる。

 また、市場の歪みは、通貨の過剰流動性を招きやすい。実物経済が成り立たなくなれば、金融によって利益を上げようとするからである。
 資金の歪んだ流れは、いろいろな部位に資金の滞留や澱みを生じさせる。その滞留した箇所や淀んだところから金融制度は腐敗していくのである。

 為替相場を決定する要因は、通貨の流れである。
 市場取引は、基本的にゼロサムで均衡している。利益を生むのは、空間的差、時間的差である。例えば、買った場所や時間と売った場所と時間の差である。空間的な差とは、地理的な差以外に通貨圏の違いもある。先物取引というのは、時間的な差によって生じる市場である。
 この様な空間的な差や時間的な差が通貨の流れを生み出す。通貨の流れというのは、均衡に向かって流れる。即ち、空間的な差を解消する状態に向かう性質がある。水が高きから低きに流れるように、また、熱が均衡状態に向かうように(エントロピーの増大)、均衡状態に向けた流れが生じる。市場を放置すると市場の活力は均衡状態に収束する。故に、絶えず、何等かの差を生みだして、市場を活性化する必要が生じる。そが、企業や会計制度のような経済装置である。

 また、経済は、市場が成熟するにつれて、内的の水準、即ち、所得水準や生活水準、労働水準が均衡してくる。一方が、一方に低所得や低生活水準を抑えつけておかないと市場間の格差は解消される方向に向く。しかし、無理に抑えつけようとしても、市場の歪みは拡大するだけである。
 それは、格差によって成り立っている体制を解消させる方向の圧力として働く。つまり、市場は、対等な関係の上で成り立つように出来ているのである。

 それらの歪みを強制的に固定化しようとすると、歪みにかかる働きは、経常収支や資本収支、財政収支に圧縮される、潜在的なエネルギーが蓄積されていくのである。

 現代、先進国の経済は、後発した国々の成長エネルギーに支えられている。しかし、それは、先進国と後発国との格差を是正しようとする圧力からなっている事を忘れてはならない。いわば、先進国に対する後発国のバネ、反発力なのである。
 先進国が常に優位に立とうとすれば、その圧力は先進国を圧倒する方向に向く。その点をよく理解し、今後の国際関係の在り方を構想していかないと、世界は、破局に向かっていくことになる。

 成熟した国際関係は、交易相手国の通貨を外貨準備として適正な量持ち合い、経常収支や資本収支、財政収支が均衡した関係を保てる状態である。つまり、特定の国家が基軸通貨国として為替制度を支えるのではなく。世界が一つの仕組みとして機能した状態である。つまり、世界の国々が対等な関係で、経済体制を構築していくことが求められているのである。

 通貨を国際市場で安定的に運用しようとしたら、国際的な決済機関、決済制度が前提となる。故に、為替を調整するためには、国際機関が必要となる。
 国際機関の機能は、一つは、政府の機能、もう一つは、中央銀行の機能の二つが必要となる。

 政府の機能は、司法、立法、行政の三権があり、それぞれを独立した機関が担う分立型と、統一型がある。
 また、中央銀行にも政府機関が兼務する型と、FRBのように、各国、あるいは、地域や経済力に応じた代表者による委員会型、または、国家間の取り決め、条約に基づいて、調停を行う調整機関型がある。

 基盤は、国家を基盤とする考え方や世界を幾つかの地域に分割し、分割された個々の地域を基盤とする考え方、出資率のようなものに応じた考え方などがある。

 何れにも一長一短があり、これが絶対という機関の形態はない。その時の国際情勢や経済情勢に合わせて柔軟な体制を敷くことが肝心である。

 国際為替制度を考える上での根本は、通貨の問題である。通貨、即ち、現在の表象貨幣の源、素は、国債だとも言える。国際通貨制度を確立するためには、国債が鍵を握っていると思われる。例えば、各国の国債を国際機関に拠出し、それを資本として世界紙幣を発行すると言った具合にである。何れにしても、現代の市場は、債務と債権を基盤としている。




                    


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