機能主義


重要なのは機能である


 重要なのは、働き、機能である。
 財政を例にとると財政で一番大切なのは、財政の働き、機能である。財政赤字を問題とするとき、最初に考えなければならないのは、国家経済における財政の働きであり、財政赤字が問題となるのは、財政の働きの障害となる部分においてである。赤字だから悪いというわけではない。

 経済政策を立案し、執行する際には、何に問題があるのか。どこに問題があるのかを見極める必要がある。闇雲に、ただ無原則、無目的にやればいいというものではない。
 生産力に問題があるのか。供給力に問題があるのか。消費に問題があるのか。物流に問題があるのか。交通に問題があるのか。通貨量に問題があるのか。ストックに問題があるのか。
 そして、その問題点が、経済全体にどの様な働き、作用を及ぼしているのかを明らかにする必要がある。その為には、その働きの前提、基盤となる経済構造を解明しておかなければならない。

 例えば公共投資である。景気対策として、とりあえず何でも良いからやればいいと言うのではない。先ず、公共投資の働きが何かを明らかにする必要がある。公共投資の機能は、その目的に規制される。問題は、公共投資の目的にあるのである。
 公共事業の機能は、根本は、公共投資をなぜするのかである。つまり、公共事業の目的である。

 注意しなければならないのは、景気対策として、最初から公共投資ありきではない。景気対策だけを目的とした、金をばらまくことだけを目的とした公共事業は、事業計画なしに、事業を興すことである。公共事業の根本は、その事業の必要性である。

 財政の機能、働きが重要だと言っても、公共投資の目的を景気対策としていいかと言うことがある。景気対策というのは、副次的な効果である。公共投資には、公共投資本来の目的がなければならない。それは、社会資本の充実であり、防災であり、国防であり、国家の建設である。その本来の目的を達成するために、公共投資はあるのである。闇雲に投資をして良いというものではない、況や、既得権益を維持するための公共事業は、国家的犯罪と言っても過言ではない。

 公共投資は、その事業が果たす社会的機能を前提とし、その上で、事業の持つ経済的効果を図るべきなのである。ところが現在の公共投資は、ただ経済理論に忠実なだけで、事業の目的に関しても、働きに関しても曖昧である。
 失業対策というのならば、雇用を創出することによって必要な所得を生み出すことに目的がある。その為に公共事業を活用するのならば、貨幣を万遍なく浸透させることが目的なのである。それならば、それで、直接、低所得者に資金を供給するような方策を採ることが有効である。

 また、中小企業に対する施策は、運転資金が不足しているのならば運転資金に対する融資制度と言った目的に応じた形で資金を供給することが重要である。

 大前提は貨幣で言えば、量ではなくて、貨幣の働きである。貨幣が機能しなくなるから量が問題となるのである。それ故に、貨幣の働きを知る事が重要となる。そして、なぜ、財政赤字が大きくなると貨幣が機能しなくなるのか。何が貨幣を機能させなくなるのかを明らかにする必要があるのである。
 むろん絶対額を無視していいと言っているのではない。ただ、重要なのは、貨幣の機能、働きであり、その働きを犠牲にしてまで、帳尻を合わせようとするのは、本末の転倒だというのである。

 その為には、貨幣とは何か。貨幣の目的とは何かを明らかにすることである。
 貨幣価値とは、交換価値である。また、貨幣価値は、公の権威によって信認されている事によってその働きが発揮される。もう一つ重要なのは、貨幣には、流動性がある事である。つまり、譲渡が可能である事である。

 貨幣とは、公に信認された貨幣価値、交換価値を持ち、しかも譲渡が可能だと言う事である。

 例えば、財政赤字が問題となっているが、その場合、多くの識者が問題とするのは、絶対額である。つまり、財政赤字の量である。
 しかし、量が問題になるのは、過剰な財政赤字によって貨幣その働きをしなくなるからであって財政赤字そのものを悪いといっているわけではない。つまり、貨幣が機能しなくなることを問題としているのである。

 財政を問題とする時、財政赤字の額ばかりが問題とされる。財政の目的や働きが二の次になる。しかし、重要なのは、財政の働きである。
 また、財政を問題にする場合でも最初に、景気対策や公共事業ありきで、その公共事業をやる必要性や内容がそっちのけにされている場合が多い。だから、場当たり的な事業ばかりになるのである。

 先ず最大の問題点は、財政においては、期間損益が成り立っていないという事である。つまり、財政赤字は、損益の範疇では捉えられないという事である。財政赤字は、あくまでも、収支の問題であって損益上の問題ではない。
 つまり、市場経済から見て、赤字か否かは解らないと言うことである。儲かっているか、儲かっていないかがわからないのである。ただ、収支が合っていないから、不足した資金を借金で賄っていると言っているのに過ぎないのである。

 国債を考える場合、貨幣の働き、機能が重要になるのである。そして、その機能を損なわないようにするためには、どうすればいいのかが、最大の問題点なのである。この点を見落とすと財政赤字に対する対策を誤ることになる。

 財政は、費用対効果という尺度で経済を捉えていない。収入と支出という視点だけで捉えているのである。市場経済の原則に従うというのならば、先ず、これを改める必要がある。
 何が、資産で、何が、負債で、何が、資本で、何が収益で、何が費用かを区分する必要がある。その上で、収益の範囲内に費用を収めるためには、どうすべきなのかを考えるべきなのである。

 借金で考えるならば、元本は、負債であり、金利は、費用なのである。そして、負債が何に対応しているのか、債務には、本来何等かの債権が対応しているはずである。過去においては、国債は、常に、何等かの税によって担保されていたのである。それが欧米の近代税法を築き上げて要因である。

 プライマリーバランスと言うが、要は、利払いを借金で賄うようになると借金は、雪だるま式に増えるから、利払いの原資は何かを問題としているという事なのである。利払いが借金で賄われているかいないかは、何によって金利が支払われているかが問題なのである。
利払いの原資は何かである。

 税収は収益と見なせるかというと、反対給付を必要としないと言う点からして収益と言うよりも資本と同じ働きをしていると見ていい。また、税の多くの部分が、所得の再分配に用いられるという観点からしても、単純に収益としてみなすわけにはいかない。
 むしろ、国家収益という観点からすれば、収益事業を考えるべきなのである。そして、税は単純に消費するのではなく。社会資本への投資として捉える必要がある。
 収益を罪悪視するのは、それこそ前世紀の遺物である。

 また、国家には、資本に相当すべき部分がない。これは、本来資本とは何かという本質的問題でもある。我々は、資本を単純に考えすぎる。資本の在り方によって経済体制も変化することを忘れてはならない。

 国家財政も、公益事業も、収益があげられない。それは、最初から収益が念頭にないから当然なのである。つまり、利益という思想に国家財政も、公益事業も基づいていないのである。それでは、赤字になるのも当然、と言うよりも、今、本当に赤字かどうかもわからないのである。では、民営化すれば黒字化するか、それも甚だ疑問である。多くの民間企業も赤字なのである。また、黒字倒産と言う事もあり得る。なぜなのか、それは一つは、現在の経済が利益の持つ意味を知らないからである。利益は、結果ではなくて、目標なのである。つまり、企業も、国家も、家計も利益がなければ成り立たないのである。だから、経済が目指すべき体制というのは、企業も、国家も、家計も利益を上げられる体制なのである。利益を搾取だと決め付けているような体制では、市場経済は、上手く機能しない。また、利益を正しく評価し、資金を供給できる体制でなければならない。キャッシュフローばやりであるが、キャッシュフローというのは、あくまでも資金の過不足を表したものである。経済的効果を現したものではない。ある意味で企業業績が悪化するのは、資金が不足したことが原因だとも言えるのである。こうなると何が原因で、何が結果かわからない。資金が不足して、企業業績が悪化している時に、企業業績が悪化していることを理由にして資金の供給を止めるのは、病状の悪化を原因にして輸血や投薬を止めるような事である。それは、金融当事者が自分達の役割を理解していないことを意味する。助からないと判断したから、医療行為を止めるというのは、それは、モラルの問題であり、技術の問題ではない。
 ただ、何よりも、利益とは何かについての認識が確立されていないのが、最大の問題なのである。

 損益というのは、利益と損失を均衡させることである。損が出たから悪いというのではない。

 利益に求められのは、緊急時や不況の際に備えた蓄え、設備の更新や新規投資の時の資金、元手、元本の返済資金である。

 企業の重要な役割の一つに所得の平準化にある。所得の平準化とは、所得を定収入化する事である。収益には、波がある。その波に合わせると所得にも波が生じ、不安定なものになる。

 貨幣の効用は、労働と分配を仲介することにある。その貨幣の働きが重要なのであり、その貨幣の働きを最大限に発揮させる仕組みを構築すべきにのである。
 利益は、その様な仕組みを構築する上での一つの指針である。






                    


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