為替(国際金融)の仕組み


 最近は、募金活動が盛んになっている。私が子供の頃は、災害時に、古着や保存食と言った援助物資を送ったものだが、今は、金を送った方が喜ばれる。極端な場合は、受取を拒否される。
 神様に対するお布施や賽銭も「お金」である。医療費をお金でなく、つい最近まで物で払っていたこともあった。
 街で倒れている人を見てもまず「お金」である。「お金」がなければ医療も受けられない。「お金」がない時代は、まず、助けることが先決だったのである。
 結婚の引き出物や葬式のお返しも最近は、物でなく。カタログから選ぶようになってきている。むろん、お祝儀や香典は「お金」であることが常識である。心を込めて贈答品を選ぶなどという事は野暮なのである。花嫁も、花嫁道具ではなく、持参金が重要になる。つまり、「金」「金」「金」の世の中なのである。

 市場経済を前提とした貨幣経済下では、先ず貨幣を手に入れることが前提となる。市場経済を前提とした貨幣経済下では、貨幣を手に入れなければ、何もできないのである。
 人助けや助け合い、救援、援助ですら、「お金」がなければできない。それが市場経済を前提とした貨幣経済の原則なのである。
 物の価値が稀薄となっているのである。物の価値が稀薄になればなるほど貨幣価値の重要性が高まる。また、物の価値の本質が失われていくことにもなる。しかも、その貨幣単位が統一されていないのである。なぜ、貨幣単位が統一されずに、また、統一されないことによってどの様な弊害が生じているのか。それが為替の問題の本質である。

 為替の仕組みとは、この「お金」の交換に関する仕組みである。

 貨幣は、物と物との交換を仲介するために成立した。交換をするためには、何等かの基準が必要である。その基準が貨幣単位である。

 長さや重さ、時間には、統一的な単位がある。
 我々は、物理的単位を何気なく使っている。あたかも、物理的単位は、所与の物であり、自明な基準であると受け止めている。
この様な物理的単位もかつては、国毎に違っていた。国どころか、鯨尺という例を見ても解るように、同じ国の中でも地域や産業が違うと単位も違ったのである。現代でも、メートルではなく、ヤードを基準とするスポーツもある。
 長さや重さ、熱さの単位が各国マチマチだと不都合、不便だという事で世界の科学者が集まって1875年にメートル条約を締結し、MKSA系に単位を統一する事に決めたのである。

 物理的単位は、この様に統一された基準を持つ。それに対し、物と物とを交換する基準である貨幣単位には、統一された、共通の単位は設定されていない。つまり、貨幣単位は、共有されていないのである。
 つまり、経済の世界では、まだ統一的な空間が構成されていない。それが大前提である。

 一つの単位は、一つの空間を成立させる。

 為替の本来の意味は、時間的、空間的に離れた地点での取引を決済するための仕組みである。
 貨幣がつくり出す空間が一つであれば、即ち、貨幣単位が一つであれば、貨幣と貨幣の交換は必要とされない。貨幣空間が複数あるから、必然的に、貨幣と貨幣の交換が必要となるのである。
 この事は、貨幣空間の内と外との空間の存在をも前提とする。

 故に、ここの貨幣単位が形成する通貨圏の内部では、その通貨圏でしか通用しない貨幣が沢山ある。その為に、貨幣と貨幣とを交換しなければ経済行為が成立しないのである。
 つまり、交換を役割とした貨幣を交換するための仕組みが為替制度なのである。

 為替というのは、通貨と通貨を変換、置換、交換することである。なぜ、通貨と通貨を変換する必要があるのかというと、複数の通貨が流通しているからである。

 為替を考えると経済の相対性、取引の作用反作用、市場が集合体である点、価値の均衡などといった経済の根幹にあたる部分が明確になる。
 貨幣活動には、双方向の働きがある。交易活動、特に通貨圏間の取引は、如実にこの事実を現している。

 新聞紙上でよく円高、円高と騒がれる。しかし、円は、単独で安かったり、高かったりするわけではない。円は何に対して高いか安いか、必ず相手が存在するのである。そして、円が高くなれば相手は必ず安くなり、円が安くなれば必ず相手は、高くなる。その相手によって円高の効果も違ってくるのである。一般に、円高と言えば基軸通貨である米ドルに対して割高か、否かの問題である。しかし、円の対象となる通貨は、米ドルだけではない。経済的効果を知るためには、米ドルだけでなく、他の通貨に対しても相対的にどの様な動きを示しているかを知る必要がある。

 市場は、集合体だとという事が為替制度を見ると解る。為替市場は、一つの市場で構成されているわけではない。少なくとも単位貨幣の数だけ市場があり、その市場における貨幣価値を調節するために、為替という機構があるのである。
 国際通貨市場が単一ではなく、全体を統御する何等かの仕組みを前提とし、その仕組みが国際為替制度だとすると、為替制度の役割は、通貨圏間の調節機能と国際金融制度全体の統制制御にあると考えられる。

 複数の通貨を調節する仕組みとして為替制度を捉えると、為替の問題は、貨幣価値の基準と単位をいかに調整するかの問題といえる。

 物理的単位には、統一的な単位が定義、設定されているが、経済的単位である貨幣単位には、統一的、単一的単位が設定されていない。

 一口で、貨幣と言っても貨幣には、いろいろな種類がある。例えば、発券者の違いによっても第一に、政府が直に発行する政府発行券。第二に、中央銀行が発行する中央銀行銀行券、第三に、民間銀行が発行する銀行券、第四に、軍や地方自治体、郵便局の様な中央政府以外の公共機関が発行する軍票や紙幣。第五に、民間企業やして企業が発行する記念金貨や商品券のような物も広義では、疑似貨幣といえる。この様に紙幣にはいろいろな種類がある。
 貨幣、中でも、紙幣の発行機関が通貨の流通を制御している。通貨を管理しているのが通貨当局である。
 貨幣の発行権を持つ機関、通貨当局をどこに設定するかは、貨幣制度、通貨制度においては、重要な意味を持つ。貨幣や通貨の働きを決定付けることにもなるからである。
 通貨の発行権は、国家の主権、即ち、独立に関わる大事でもある。
 帝国主義時代においては、植民地や衛星国、従属国は、通貨の発行権を与えられていない例が多く見受けられた。
 その場合、統治国の通貨を用いるか、或いは、代用する事になる。また、通貨の発行権が与えられていたとしても通貨政策は独自に決められない仕組みを強要されている場合や統治国もある。
 この様に、通貨の発行権が市場の内部に設定されているとは限らないのである。

 通貨を発行し、管理する権利と徴税権は、国家の経済主権の根幹である。
 通貨がリンクされている制度と外部の通貨を代用するのとでは本質が違う。たとえ、通貨がリンクされていても紙幣の発行権、主体を失っているわけではない。
 通貨の発行権を失うことは、主権、独立の一部を侵されることであり、通貨の流量や金融政策の自主性、主体性を失うことになる。

 今日では、紙幣は、原則的に政府発行券と中央銀行銀行券を指す場合が多い。
 更に、貨幣は、貨幣が流通する範囲によって通貨圏が構成される。国債通貨市場には、複数の通貨圏があり、通貨圏毎に基準通貨、単位通貨が設定されている。原則的に、一つの通貨圏は、一つの通貨単位によって形成される。ただし、今日では、ユーロのような複数の通貨圏にまたがっている通貨も成立しつつある。

 貨幣の単位が、長さや重さと言った物理的単位と違うのは、交換価値という観念的な単位であると同時に、単位それ自体で成り立っていないという点にある。つまり、貨幣単位というのは単一な単位ではなく。複数の独立した基準、単位によって成り立っているという事である。

 市場に流通している単位貨幣を通貨という。通貨は、一種類ではない。通貨は複数ある。通貨は、単位であり、基準であり、制度である。通貨は、金融制度を基盤にして成り立っている。通貨制度と金融制度は不可分な関係にある。故に、通貨制度の数だけ金融制度がある。また、金融制度は、貨幣市場の基盤である。つまり、金融制度の数だけ貨幣市場がある。

 複数の単位通貨間の価値の変動を調節するためには、単位通貨を調節する基軸が必要とされる。何を基軸とするかが為替制度の性格を決定付けるのである。

 先にも述べたが物理的単位には、統一的な単位が定義、設定されているが、経済的単位である貨幣単位には、統一的、単一的単位が設定されていない。それが問題なのである。つまり、何を基本的尺度とするかが、為替制度の決定的な課題となる。

 決済の仕組みを構築するためには、柱となる基軸が必要となる。その基軸は、金や通貨のような基準に求めるべきか、何等かの装置に求めるかによって為替制度の根本が違ってくる。

 為替制度の目的は、通貨圏間の調節機能と国際金融制度全体の統制制御にあると言える。

 為替制度の目的から為替制度の構築するために重要な要件は、決済の仕組みと決済をするための原資を何にするかである。

 為替制度は、貨幣価値を決定するために何を基軸とするか。貨幣価値を、誰が、どの様に決定するのか(決済手段)。決済のための通貨準備や実物(例えば、金)準備をも意味する。貨幣価値を確定するためにとられる手段、また、調整するための手段にはどの様な手段があるか。つまり、貨幣価値が決定するまでの過程が重要となる。

 貨幣価値の決定手段、即ち、「お金」の値段の決め方が大切になる。「お金」の値段の決定手段には、第一に、市場取引、市場の相場による手段。第二に、当事者間の協議、協定に基づくやり方。第三に、他の通貨や実物に結び付けて決める手段。第四に、何等かの制度によって決めるやり方。(この場合は、通貨連合や通貨バスケットのようなものも含む。)第五に、他の主体に従属的に決める手段。第六に、通貨そのものを他の主体の通貨で代用するやり方などがある。

 貨幣価値の調整手段には、政府による手段と中央銀行による手段がある。政府による手段は、景気対策など、直接的な手段が多いのに対し、中央銀行による手段は、金利による施策のような間接的な手段が多い。
 政府による手段には、公共投資や物価対策、格差の是正のような政策的手段と規制の強化、逆に、規制の緩和、税制改正や税率の変更のような制度的な手段がある。また、施策の手段としては、国債の発行による貨幣の供給を増やすような入り口に対する手段と福祉施策による再分配策の様な出口に対する手段がある。
 中央銀行が執れる手段には、金利による貨幣の価値に対する手段や通貨の流通量に対する手段、また、外貨準備高の操作(市場介入)といったストックに対する手段がある。

 為替制度が有効に機能するか、否かは、実体経済とどこで、どの様にして、何に結びついていくかによって決まるのである。それは、決済に必要な経済的価値の裏付けとして何を準備するかに関わっている。世界の通貨当局が保有している準備資産の内訳は、IMFの準備ポジション、SDR、外貨準備、金などである。

 決済のための原資とは、経常取引にせよ、資本取引にせよ、決済をするためには、相手国の通貨に両替する必要がある。その為には、相手国の通貨、或いは、決済に必要な価値を代替する物や通貨が必要とされる。それが外貨準備である。
 ドル通貨圏にある財を円通貨圏に居住する物が購入しようとした場合、一旦、円をドルに両替しなければならない。円をドルの両替するというのは、円でドルを買うというのと同じ取引である。この取引が成立するためには、両替を仲介する機関がドルを準備しておく必要がある。ドルや円の過不足を補う勘定が外貨準備である。その原資をどの何で、どの様に賄うかが、外貨準備制度である。

 この外貨準備を基軸通貨によるのが基軸通貨制度であり、金のような物によって行うのが金本位制である。そして、SDRの様な国際通貨によるのが国際通貨制度である。

 債権国の存在は、債務国の存在を示唆する。債権国と債務国の関係で重要なのは、偏りの問題である。
 現在、アメリカは基軸通貨国として経常赤字を拡大しながら、国際収支をファイナンスしている。その関係が持続的であるか否かが問題なのである。経常赤字を拡大し続けることは、国内の生産力を犠牲にし続けていることを意味する。国内の生産力を犠牲にするという事は、生産拠点を失うことであり、とりもなおさず、国内の雇用、労働拠点を犠牲にすることに繋がる。それを可能としているのは、過去に蓄えた資産によるのである。その蓄えた物がなくなれば生産拠点を犠牲にしてしまうと、容易には、生産力を回復できなくなる。
 国際収支上の債務というのは、国家の負債だと言う事を念頭に置いておく必要がある。
 基軸通貨によって外貨準備を賄うという仕組みは、基軸通貨国は、自国の通貨を国際市場に供給し続けることを意味する。それは、恒常的な経常赤字を続けることにもなりかねない。経常赤字を恒常的に続けることは、国家としての生産力、体力を消耗することであり、結果的に国力の衰退を招きかねない。
 国際収支は、基本的に均衡することを前提とした制度であるべきなのである。その為には、国際的な機関による決済制度とそれに基づく国際通貨の存在が前提となる。それが国際通貨制度である。

 為替制度が成り立つ為には、幾つかの前提条件がある。
 為替制度が成り立つためには、第一に、複数の貨幣基準、即ち、貨幣単位が存在する事が前提となる。単一の通貨制度の範囲内では、為替という機能は必要とされない。
 第二に、通貨圏の存在を前提とし、通貨圏が貨幣単位を形成する。通貨圏には範囲がある。通貨圏とは、一つの貨幣的市場を形成する。
 第三に、単位貨幣間で一対一の関係(例えば、円とドル、ドルとユーロ等)においては、時点時点で価値は、常に、均衡している。即ち、価値の総体は、ゼロサムである。そして、二国間の通貨の単位の関係は、逆数である。
 重要なのは、市場と市場とを関連付けているのは取引だという点である。即ち、取引の有り様によって為替の有り様も変化すると言う事である。

 為替制度を成り立たせている前提条件と目的を鑑みると、為替制度を成立させる為に必要な要件は、第一に、発行権の所在。第二に、貨幣を市場に流通させる仕組み。第三に、貨幣の流通量を制御する仕組み。第四に、貨幣価値の決定手段、決済手段を制定、改廃する国際機関や市場の存在。第五に、決済の基準となる物や貨幣。第六に、決済に必要な物や貨幣の準備。第七に、取引の有り様を規制する仕方である。

 貨幣価値の決定手段、即ち、「お金」の値段の決め方が大切になる。「お金」の値段の決定手段には、第一に、市場取引、市場の相場による手段。第二に、当事者間の協議、協定に基づくやり方。第三に、他の通貨や実物に結び付けて決める手段。第四に、何等かの制度によって決めるやり方。(この場合は、通貨連合や通貨バスケットのようなものも含む。)第五に、他の主体に従属的に決める手段。第六に、通貨そのものを他の主体の通貨で代用するやり方などがある。

 貨幣価値の調整手段には、政府による手段と中央銀行による手段がある。政府による手段は、景気対策など、直接的な手段が多いのに対し、中央銀行による手段は、金利による施策のような間接的な手段が多い。
 政府による手段には、公共投資や物価対策、格差の是正のような政策的手段と規制の強化、逆に、規制の緩和、税制改正や税率の変更のような制度的な手段がある。また、施策の手段としては、国債の発行による貨幣の供給を増やすような入り口に対する手段と福祉施策による再分配策の様な出口に対する手段がある。
 中央銀行が執れる手段には、金利による貨幣の価値に対する手段や通貨の流通量に対する手段、また、外貨準備高の操作(市場介入)といったストックに対する手段がある。

 「お金」の機能の本質は交換にある。交換の媒介として貨幣は生まれた。この交換という機能が為替制度の本質でもある。
 市場は、交易の場である。交易は、交流、交換である。市場取引は交易によって成り立っている。交易というのは、最初は、物々交換だったのである。物と物と直接交換している段階では、貨幣は必要とされず、成立しない。この時代の貨幣は、存在したとしても主として儀礼的な物として用いられた。つまり、貨幣本来の働きは確立されていない。交易は、専ら、物と物との直接的交換によって為されていた。
 次ぎに、実物貨幣が出現した。貝殻とっいた希少品が貨幣として用いられた。それが金属(計量)貨幣になり、鋳造貨幣になる。鋳造貨幣の代表は、金貨、銀貨、銅貨である。そして、それが金銀本位制となり、金本位制へと発展する。金本位制も金貨本位制、金地金本位制、金為替本位制と発展し、不兌換紙幣制へと移行する。金本位制度は、紙幣制度の前段階に発生する。
 為替制度は、これら貨幣制度の変遷の過程で形成されてきたのである。
 国際市場は、一つの通貨によって統一されているわけではない。国際市場には複数の通貨制度が混在し、それぞれが固有の通貨圏を形成している。
 これらの通貨を調整するために、為替制度が必要とされるのである。

 為替の仕組みには、固定制度と変動制度がある。
 固定制度には、金銀本位制度、金本位制のように何等かの実物に貨幣価値を結び付けることによって貨幣価値の安定を計る制度がある。
 また、実物の変わりに通貨を基準とする制度がある。例えば、ドル本位制度である。ただし、この場合も金のような何等かの実物の価値を裏付けとする必要がある。
 また、他国の通貨を自国の通貨として使用する制度もある。他には、複数の国が、単一の通貨を使用する通貨同盟制度がある。また、基軸通貨に自国の為替相場を固定する、又は、実質的な固定するカレンシーボード制度がある。
 固定制度の中でもある一定の幅の中で調整される管理フロート制がある。管理フロート制には、複数の通貨にたいして自国の通貨を連動する通貨バスケット制度や基軸通貨に、特に、ドルに自国の通貨を釘付けする基軸通貨ペッグ制度、複数の通貨に自国の通貨を固定するバスケットペッグ制度などがある。
 変動相場制度には、経済情勢に応じて自国の平価を調整するアジャスタブル・ペッグ制、クローリング制などがある。また、為替の変動に一定の許容幅をもたせてその範囲で政策を決定するターゲット・ゾーン制などがある。
 
 市場は、集合体である。無数の市場が組合わさって全体の市場は形成されている。その典型が、国際金融市場である。
 なぜ、市場は、一つではないのかというと市場を成立させているのは、生活だからである。生活は、その生活を成り立たせている集団、共同体の持つ固有の行動規範を土台にして成り立っている。生活を成り立たせている社会的集団や共同体によって生活圏が構成される。市場は、生活圏を基礎にした形成される。生活圏は、地域や風俗習慣、信仰によって違ってくる。故に、市場は、生活圏の数だけ在るとも言える。そして、それぞれの生活圏の隙間を埋める部分にも市場が生まれる。
 この様に、市場は、単一ではなく。集合体なのである。

 為替制度によって明らかなのは、市場は、集合体だと言う点である。市場は一つではない。少なくとも単位貨幣の数だけ市場があり、その市場における貨幣価値を調節するために、為替という機構がある。

 市場が集合体であり、個々の市場が独立しているという事によっていろいろな問題が起こる。好例が石油価格の高騰である。石油価格は、何度が石油ショックと呼ばれるような現象を引き起こしている。
 中でも、2008年の石油価格の高騰は、小さな市場に投機資金が大量に流入したことも原因の一つである。

 為替相場というのは、貨幣の価格であり、貨幣の価格は、何をどれだけ輸入し、何をどれだけ輸出したのかに収斂する。その根源にあるのは国際取引である。そして、国内で、何をどれだけ生産し、国民に、どれだけ分配したかによって決まる。それは、取引の量を見れば明らかになるのである。

 為替相場に影響を与えるのは、第一に、各国の通貨制度、金融制度といった制度の問題、制度の違いの問題である。第二に、各国の金利、金融政策と言った政策の問題、また、政策の違いの問題である。中でも制度上の問題は、為替の長期的な変動に決定的な働きを及ぼす。

 もう一つ大切なのは、取引の存在である。取引が存在しなければ、貨幣価値は成立しない。取引を成立させている場が市場である。故に、市場が存在しなければ、為替制度も必要とされない。
 為替取引は、基準通貨間の、即ち、通貨圏間の取引によって発生する。複数の通貨圏間にまたがる取引が存在しなければ為替の仕組みは、必要とされない。通貨圏をまたがる取引があるという事は、通貨圏をまたがる決済があることを意味する。その決済の必要上、為替取引は生じる。その決済の土台となるのが、国際金融制度である。つまり、国際金融制度とは、交易を成り立たせるための通貨の管理、変換、調整装置だと言える。
 また、国際金融制度が成り立つためには、貨幣制度、通貨制度が前提となる。金融制度や為替制度は、その前提となる貨幣制度、通貨制度によって規制、制約を受けるのである。故に、貨幣制度、通貨制度の有り様が前提条件となる。更に、貨幣や通貨を制御する操作基準である会計制度の原則の上に、今日の金融や為替制度は成立している。

 為替制度を制御し、機能させるのは、取引による働きである。通貨圏間の取引がなければ国際為替制度自体が必要とされず、成立しないのである。
 また、国内、国外の取引によって成立した経済的価値が貨幣価値を決定付けるのである。故に、取引の結果が為替制度に決定的な作用を及ぼすのである。

 為替制度を決定付ける要素の一つに取引がある。取引は、取引が成立した時点では、常に均衡している。故に、国際収支の全ての項目の和は、常にも均衡、即ち、ゼロになる。(「国際金融入門」岩田規久男著 岩波新書)

 為替制度を成立させているのは、国際取引、国際交易、貿易であることを忘れてはならない。根本は、通貨圏間をまたがる取引なのである。その取引を成り立たせるために、国際為替制度がある。国際為替制度のために、国際交易があるわけではないのである。重要なのは、自由貿易体制を保護することが為替制度の重要な役割の一つなのである。この点を念頭に置いて、国際収支を鑑みる必要がある。
 ここ通貨圏の市場を保護することによって取引を成立させるために、為替制度があるのである。為替制度を保護するために、市場が破壊され、取引が成り立たなくなるとしたら、それは本末を転倒している。

 為替取引の結果を記載したのが国際収支である。国際収支は、複式簿記によることが原則とする。そして、居住者と非居住者の取引を前提条件とし成り立っている。(「国際金融の仕組み」秦 忠夫・本田敬吉著 有斐閣アルマ)

 国際収支上の取引は、複式簿記に準じて決められる。故に、常に取引には、反対取引があり、その総和は均衡している。その為に、国際収支の総和は、零になる。

 国際収支上において赤字、赤字と言うが、それは、経常収支上の赤字を言うのであり、国際収支の総和は、常に、均衡、即ち、零なのである。

 国際収支は、常に、均衡しており、国際収支の総和は、零である。この事を忘れてはならない。経常収支が赤字でも資本収支は黒字となる。経常収支と資本収支の均衡とその構成が重要なのであり、その意味において取引の持つ意味や働きを理解する必要がある。

 国際収支取引には、資本取引と経常取引、そして、外貨準備取引がある。資本取引と経常取引、外貨準備取引の和は、ゼロになる。式で表すと経常収支+資本取引+外貨準備増減+誤差脱漏=0である。

 国際金融市場の中で重要な役割を果たしている取引の一つに裁定取引がある。裁定取引には、空間的な歪みに対する取引と時間的歪みに対する取引、そして、通貨間の歪みに働く取引がある。

 通貨間で働く裁定取引とは、基軸通貨との相対的価値と、第三国の通貨との相対的価値を裁定するように働く取引である。
 通貨間に圧力が働く。この圧力が通貨価値の一方向への急激な変動を抑止している。この圧力が働かなくなると貨幣価値は、一方向に暴走する。

 この様な通貨間に働く圧力は、各国間の交易の状況によって生み出される。つまり、為替の動向には、国際交易の力学的関係が複合的作用しているのである。

 重要なことは、為替取引というのは、双方向の働き流れを持つという点である。この双方向の動き、働きが均衡することによって為替市場は成り立っている。一方通行的な流れでなく。また、一つの方向に偏って働きでも、国際為替市場は成立しなくなる。

 ヘッジは、反対取引によってリスクを緩和する目的の取引である。ヘッジ取引によって同調的な動きを、同じ方向の動きを経済主体がとれば、かえってリスクを増幅する。特に金融機関が主導的に行えば、金融危機を招くことになる。

 経常的取引と資本取引の違いは、時間価値の差として現れる。
 取引が成立するとその時点での貨幣価値が実現すると同時に、同量の債権と債務が生じる。経常的取引は、その時点時点における決済のやりとりとして処理される取引であるのに対して、資本取引は、貸借関係として処理される取引である。

 物的取引、人的取引、貨幣的取引がある。物的取引とは、交易をいう。人的取引とは、雇用やサービス取引をいう。貨幣的取引とは、資本取引をいう。

 資本取引は、実物市場に雇用を生み出さない。実物市場に雇用を生み出さないという事は、生産的産業の衰退をもたらすと同時に、実物的市場で働く労働者に所得を通じた通貨が分配されなくなることを意味する。それが深刻なのは、国内の産業を荒廃させる事である。

 市場取引というのは、貨幣のやりとりを仲介にして交換を実現する事である。取引が行われることによってその時点での貨幣価値が実現し、債権と債務が発生することを意味する。その時点での貨幣価値は、貨幣、即ち、現金のやりとりによって実現する。
 為替市場で成立する債権と債務関係は、対外債務と、対外債権だと言う事である。つまり、内と外との関係を基礎としているのである。それは、内なる空間と外なる空間が存在しなければならず、内と外とを成立させる空間の存在を前提としているのである。
 そして、その関係を成立させているのは、市場内部のここの経済主体だと言う事である。
 対外債務は国の借金だという捉え方があるが、国の借金と言うよりも経済主体の負債が集積した債務だと言うことである。

 債権というのは、将来、貨幣や財を受け取る権利を言う。債務というのは、将来、貨幣や財を支払う責務がある。この様な債権や債務の権利や責務は、国家が法によって保証している。法によって保証するというのは、法によって強要、強制することを意味する。この様な強制力は、国際市場にも働かなければならない。そこに国際法と、国際的権力の存在が前提となる。それは、悪い事ではない。

 経済が成熟し、市場が最も成果を享受するはずの社会でありながら、なぜ、貧困化していくのか。それは、経済の目的や在り方を誤解しているからである。

 経常赤字と言う事は、資本黒字を前提としている。資本黒字というのは、通貨圏内部の金融取引を前提としている。金融取引というのは、金融資産を介して貨幣の不足を補う取引であり、それ自体が生産的な取引ではない。生産的な行為ではないという事は、基本的には、実体的産業に雇用を創出し名手と言う事を意味する。また、その素となる通貨、資金は外部に依存した取引である。
 実物市場に資金・通貨が流れ込まずに、貨幣的市場に資金・通貨が滞留している状態である場合が多い。

 国際収支が黒字になると、よく内需拡大が言われる。しかし、内需を拡大すれば国際収支が均衡するのかというとそれは別である。国内の市場が必要としていないのに、需要を拡大しても意味がない。それよりも国民生活、生活水準の向上とそれに伴う所得の問題なのである。つまり、輸出と輸入の均衡でしかない。

 経常収支というのは、輸入と輸出の差である。経常収支が赤字では、国内の輸出産業が、国内、国外での競争力を失い、成り立たなくなってしまう。経常収支の赤字は、産業の空洞化の原因であり、結果である。

 国内の人件費や物価が上昇したからといって人件費や物価が安い海外に生産拠点を移転し、収益を向上させたとしても、国内の国民所得を増やし、景気を良くすることには結びつかない。かえって、国内の産業の空洞化を招き、雇用の機会を奪うだけである。
 経済の目的は、国民生活の向上である。国民生活の基盤が所得であれば、経済が成長発展すれば所得の上昇を招くのは必然的帰結である。なぜならば、生活か水準の向上が経済成長の目的だからである。生産拠点を移転した先の人件費の上昇率が高ければ、いつかは、同じ水準に達する。

: つまり、国内の生産力が鍵を握っており、所得と労働の質と価格によって決まるのである。いくら国際収支が改善できたとしても、つまり、経常収支がよくなったとしても国内の所得や生産力が改善されなければ、意味がない。重要なのは、国際収支が国民生活にいかに貢献したかなのである。

 生産力を持たない社会は、従属的な社会にならざるをえない。自らが実体的なものを何も生み出せないからである。その様な社会は、他の社会に寄生するか、搾取することによってしか生存できなくなる。経常赤字の問題点は、そこにある。つまり、借金に依存した社会にならざるをえない。しかも、その借金というのは、過去に蓄えた物でしかないと言うことである。それは、純粋に実物産業に対する投資によって賄われているわけではない。
 基軸通貨国の持つ深刻な問題がそこにある。国際市場で基軸通貨国としての役割を果たそうとすれば、国際社会に外貨準備として自国の通貨を供給し続けなければならないからである。それは、慢性的な経常赤字を続けることを意味する。慢性的な経常赤字を賄うためには、借金をし続ける必要がある。それは通貨圏内の産業を衰退させる結果を招くのである。
 その解決手段は、国際的な機関によって為替市場を統御する以外にないのである。

 為替市場において、貨幣価値を決定付ける要素は、取引である。取引が実体ある物か否かが重要な鍵を握る。取引の背後に生産的に活動がなければ、その取引は、実体的な経済の是正する働きに結びつかないのである。
 実体的な取引というのは、経常取引である。経常的な取引こそ、国内の物価や生活水準に影響し、通貨圏間にある歪みを是正する一番の要素である。

 国際為替市場は、貨幣の動きとして現れるが、貨幣市場の動きだけを観察してみても理解できない。その貨幣市場の背後にある人的市場や物的市場の動きと結び付けて考える必要がある。
 それは、貨幣は、本来、経済的価値を測る尺度であり、その対極に物や人が生み出す価値があるからである。そして、物や人が生み出す価値こそが本源的な価値だからである。物や人が生みだした価値によって物と物と交換を促すのが貨幣である。故に、物と「お金」即ち、貨幣とは、逆方向に流れる。そして、この貨幣と物の流れが市場の活動の源となるのである。

 貨幣の変遷を見て明らかなように、鉱物資源や石油、穀物といった生活や産業に必要な物資と密接に結びつくことによって貨幣価値は確立してきたのである。それは、貨幣価値が生活圏に密着している事の証左である。そして、その様な実体的価値の中から貨幣の裏付けとなる物も発生してきた。その好例が金本位制である。
 金本位のように直接的に貨幣価値に結びつかなくても、オイルショック時の石油のように貨幣価値の変動に決定的な働きをする物資もある。いずれにしても、貨幣価値は、本来、実物価値に結びつくことによって形成される基準、尺度である。また、そこに介在しているのは取引である。
 つまり、国際収支で重要なのは、ここの取引が国民生活にどの様な影響を及ぼしたかなのである。

 各通貨圏では、市場の状況や構造に違いがある。例えば産油国と石油の多く輸入しなければならない日本とでは、交易の条件が違う。一方通行の通貨の流れでは交易は成り立たなくなる。なぜならば国際収支の総和は、均衡しているからである。

 国内の生産力は、生産のために費やす消費量、即ち費用による。費用の中でも分配に直接影響を与える所得の水準に行き着く。所得は、労働の質と量と価格による。そして、所得の水準は、生活に反映され、その市場の物価を構成する。

 個々の市場取引は、資金の調達力と消費の関係によっている。そして、資金の調達力は所得から求められ所得は、生産力に依存している。反面の消費は生活力に基づいている。

 根本は、生活水準である。ある一定の生活水準を達成する方向に経済は向かう。その生活水準を達成する為には、一定の所得を獲得することが前提となり、また、所得が消費の性向を決める。それが物価に反映されるのである。労働費と物価が交易の水準を画定し、為替相場は安定する。

 結局、国内市場の購買力の問題であり、国民一人一人の所得の水準とバラツキが重要となるのである。
 貨幣価値を決定する基本的要素は、国民生活と民度が重要な役割を果たしているのである。ただ数字だけ追っていては、経済の実体を理解することは困難である。要するに、国民が何を必要としていて、どれくらい満たされているかの問題なのである。

 労働費の違いが市場間の格差を生んでいることになる。
 故に、労働条件や労働環境といった前提条件を均質化し、労働の量と単価を平準化した上で生活条件や生活水準を統一される方向に向かう。そして、労働費が一定になった時、国際市場は確立される。根本は、人的市場なのである。
 最終的に問題になるのは、一番重要なことは、国民人一人の生活水準である。国民一人一人の生活がよくならない限り、真の繁栄はあり得ないのである。
 企業の収益がよくなったとしてもそれによって多くの仲間が職を失い、或いは生活に苦しむとしたら、いかに、強国になってとしても、その為に多くの国民の生命財産が犠牲となったら、真の繁栄とは言えない。
 いくら企業が繁栄しても、金持ちが増えた、贅沢品に満たされたとしても、それによって事業に成功した、国が豊かになったとは言えないのである。

 勤労なき繁栄は、かえって毒である。

 経済の仕組みの目的とは、収益や生産性を高めることにあるわけではない。収益や生産性を高めることは手段であり、目的ではない。経済の仕組みの目的は、社会に必要な財を生産し、それを社会の隅々にまで分配することにある。市場は、その為の装置に過ぎない。
 金融危機に際し、投資銀行の経営者の常識外れの高収入が問題となった。利益や収益をあげても所得が極端に偏れば、結局、経済の効率を悪くする。実物市場から資金が排除されることが問題なのである。

 収益中心、生産中心の社会、経済から、より生活に密着した社会、経済構造へと変化させない限り、市場が成熟すればするほど社会は貧困化していくことになる。




                    


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