5.会計と数学

5-5 資産の性格

資産の基礎


 株価の暴落が恐慌の前触れ現象だと言われたり、地価の暴騰がバブルの原因であり、又、地価の低迷がバブル崩壊後の日本経済の足枷になっているされたり、サブプライム問題がリーマンショックの引き金を引いたと言われてる様に、資産価値の動向は、景気に甚大な影響を与えている。
 又、この事は、資産の持つ性格をよく表している。

 株価や不動産の相場が暴落した際、なぜ、金融を緩和し、資金を市場に供給する必要があるのか。それは、資産価値が下落することで、収益に関係なく、長期資金の回収圧力が高まる事を防ぐためである。
 金融機関の多くは、資産の暴落を理由にして資金の回収を計る傾向がある。一般に資産が崩落した場合、資産価値が下落した事によって担保価値を割り込んだことが資金の回収の動機だとされる。故に、この様な例は、不良債権として処理される。しかし、現実は、資産の問題ではなく、不良債務の問題なのである。つまり、債権価値、或いは、資産価値というのは、実体的価値であり、投機的価値をいうわけではないからである。
 資産が担保割れしたとしても収益が確保されていれば、返済に問題がある訳ではない。要するに借入金の担保が保証されていないだけなのである。それだけでの理由で、収益が確保されているような事業からも資金を回収しようとする。そのために健全な収益を上げている企業でも破産に追いやられてしまう場合がある。それが、一度に大量に発生すれば、恐慌のような現象を引き起こすのである。

 資産は、資金調達の裏付けとしての働きがある。それは、資産は、実体があるからである。資産は、資金の流れを背後で支えているのである。それ故に、資産価値の変動は、資金の流れに重大な影響を与えるのである。

 全ての経済的破綻は、資産の急激な膨張と収縮による。なぜならば、資産の変動は外的要因に支配されているからである。資産の変動は、内部取引によって調整が出来ない。だから、資産の急激な膨張や収縮は、経済破綻に結びつくのである。言い替えれば、資産の急激な変動を調整することが出来れば、景気の変動による経済破綻を防ぐことが可能となる。

 市場経済は、会計原理によって動いている。そして、市場現象は、取引の連鎖とよって現れる。取引は、物と金との交換によって成立する。その物の部分を担っているのが資産である。物とは、実体のある存在である。

 資産は、負債や資本の対極に位置し、収益の対偶に位置し、費用と同列にある。この位置は、資産の性格にも影響している。
 負債の対極に位置する資産は、負の資産とも言われる。

 経済現象も経営現象も期間損益からすると資産と負債、資本の増減運動として表される。
 これらの増減運動を引き起こすのは、取引である。

 取引にもいろいろな形がある。しかし、現実の取引に現れる取引の形は、それほど沢山あるわけではない。それを如実に表しているのが日本の伝票の体系である。
 現実に現れてくる取引の形が限られているのならば、取引の持つ働きを理解する上では、頻度の多い取引に注目してみる事は経済現象を理解する上で有効である。
 日本の伝票制度には、三伝票制、五伝票制がある。三伝票制は、入金伝票、出金伝票、振替伝票の三つの伝票から構成され、五伝票は、入金伝票、出金伝票、売上伝票、仕入れ伝票、売上伝票の五つの伝票からなる。このことは、会計制度の本質を端的に現している。
 すなわち、会計制度の土台は、現金の入りと出にあり、それを補完する形で、他の取引がある。さらに、現金の動きの次に、売りと仕入れが会計の基礎を為しているという事である。この入金と出金を売り上げと仕入れに転換する事で現金主義から期間損益主義への変換がされているのである。

 資産は、金融資産、固定資産、投資からなる。金融資産は、流動資産とも言い、最も現金に近い資産を言う。金融資産は、資金の循環によって生じる。又、資金を循環する働きのある資産である。
 金融資産は、景気の変動による劣化が少ない事から資金の調達力を増幅する働きがある。
 固定資産は、生産手段であり、将来の収益の源となり、また、費用の塊である。
 投資は、収益力を補強する働きがある。
 投資には、在庫投資、設備投資、資本投資がある。

 100の現金を持っていたとして、その現金を預金し、預金を担保にして、100の借入をして、また、100の現金を手に入れる。そうすると借方に200が生じ、この200の資産は、単純に考える100の担保価値を生じる。この担保価値によって100の現金を借りると最初の元金と合わせて200の資産と負債が生じる。この操作を繰り返すと無限に資産を増やす事ができる。反面、同量の負債が積み上がっていく。これが俗に言う梃子の原理、レバレッジ効果である。お金を使わない内は、資産は、減らない。ただ、金利がかかる。金利以上の収益が上げられないと損失が積み上がるのである。このことを考慮しなければ、少ない元手で、莫大な資金を調達する事が可能なのである。これは、財政も家計も同様である。

 この現金を現金以外の資産に置き換え、それを収益に結びつけるところから今日の事業は始まる。

 資産とは、単位期間を越えて貨幣価値の働きを及ぼす勘定であり、尚かつ、実物勘定を元とする勘定の集合である。

 資産は、単位期間内に消費されずに残っている実体か決済を準備している権利の残高を言う。つまり、何等かの実体に裏付けられた対象を言う。つまり、消費や決済を前提とした会計的対象と言う事になる。
 効用を費やす以前の実体や権利を言う。
 資産は何等かの実物、実体と結びついている。その実物、実体は、固有の貨幣価値を形成する場合がある。例えば、土地や株には、相場があり、簿価とは別の価格を形成する。それが時価である。この簿価と時価の乖離は、資産を評価する上で、重大な問題となる。

 資産価値は、貨幣価値に還元される。貨幣価値は、自然数の集合である。自然数は無次元の量である。
 帳簿上の資産価値は、取引を元にした貨幣価値である。資産価値は、実物の裏付けがあったとしても個々の物が持つ属性とは無関係である。
 例えば、設備を例にとると設備の性能やデザインは、資産価値には含まれないのである。

 資産は、貨幣性資産と非貨幣性資産に分類される。非貨幣性資産は、費用性資産と非償却資産に分類される。

 貨幣性資産は、支払を準備するための資産、支払手段としての資産である。故に、ある程度の流動性の高さが要求される。

 費用性資産は、費用の塊だと言っていい。費用性資産には、棚卸資産、償却資産、繰延資産である。

 資産と費用との違いは、単位期間内に費消されるか、決済されるか、否かにある。つまり、資産と費用は同根同質の性質を持っているのである。

 単位期間内に消費されずに残っている、或いは、決済を準備している権利という点が費用と資産を区分する基準なのである。
 つまり、費用と資産とを区分する本質的な差はない。費用に計上するか、資産に計上するかは、ある程度の裁量の範囲内の事象である。

 収益が資産の対偶に位置すると言う事は、資産の働きを考える上で重要な鍵を握っている。
 費用は、収益に直接的に貢献し、資産は間接的に貢献していると言える。

 資産は、現金を支払った代償として受け取った効用、或いは、将来現金を受け取る権利である。

 資産は、将来、収益に転換する権利を有する勘定である。それが、資産が収益の対偶に位置する由縁である。

 資産は、本来、収益を得る為の生産手段である。しかし、資産は実物であるために、資金を調達する為の手段ともなりうる。

 資金の裏付けとなる資産は、担保性資産と非担保性資産にも区分される。

 また、資産を流動性と固定性に区分する基準は、時間にある。時間の単位とは単位期間を指して言う。単位期間を基準にして長期と短期の区分する。

 現金、売上債権、有価証券、棚卸資産、固定資産の並びは、流動性の高い順の並びである。この事をみてもフィージビリティ(換金可能性)、即ち、流動性の重要性が理解できる。

 また、流動性は、産業によっても違ってくる。そして、流動性と固定性の比率が産業の基礎構造、下部構造を形成する。
 産業の特性をみる上では、流動資産と固定資産の割合、比率は、重要となる。

 電力業界のように、固定性資産の比重の高い産業は、貸借対照表において固定性配列法という特殊な配列を採用する場合もあるのである。

 経済にとって重要なのは、貨幣が流通することによって生み出される価値の量と貨幣その物の流通量である。貨幣その物の流通量とは、現金の流通量である。

 マネーサプライ上における通貨の定義は、M1、M2、M3、広義流動性である。
 M1とは、 現金通貨と預金通貨を合計し、そこから調査対象金融機関保有の小切手・手形を差し引いたものを言う。 対象金融機関は日本銀行(代理店預け金等)、国内銀行(ゆうちょ銀行を含む)、外国銀行在日支店、信金中央金庫、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫、その他金融機関(全国信用協同組合連合会、信用組合、労働金庫連合会、労働金庫、信用農業協同組合連合会、農業協同組合、信用漁業協同組合連合会、漁業協同組合)である。
 現金通貨 = 銀行券発行高 + 貨幣流通高
 預金通貨 = 要求払預金(当座、普通、貯蓄、通知、別段、納税準備) - 調査対象金融機関の保有小切手・手形
 M2とは、 現金通貨と国内銀行等に預けられた預金を合計したもの。対象金融機関は日本銀行、ゆうちょ銀行以外の国内銀行、外国銀行在日支店、信金中央金庫、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫である。
 M3とは、M1 + 準通貨 + CD(譲渡性預金)である。対象金融機関はM1と同じ。
 準通貨 = 定期預金 + 据置貯金 + 定期積金 + 外貨預金
 広義流動性とは、M3 + 金銭の信託 + 投資信託 + 金融債 + 銀行発行普通社債 + 金融機関発行CP + 国債 + 外債である。対象金融機関はM3のものに加えて国内銀行信託勘定、中央政府、保険会社等、外債発行機関である。

 大切なのは、現金の流れである。現金の流れや流れる道筋をどう穿ち、或いは確認するかが経済政策を立案する上での鍵を握っているのである。

 会計の原点は、現金収支、即ち、収入と支出である。
 収入とは、物や用役を渡す変わりに対価として現金を受け取ることである。支出とは、逆に、物や用役を受け取る変わりに現金を支払うことである。
 収支関係は、現金と物や用役の交換によって成立する。現金と物や用役との関係は取引によって成立する。取引には、市場取引と相対取引がある。市場経済は、取引の連鎖として現れる。
 故に、会計の基本は取引にあり、取引とは、基本的には物と用役の交換を意味している。この事は、物と貨幣の別を会計上に生じさせるのである。物を根拠とした勘定科目が実物勘定で、貨幣を根拠とした科目が名目勘定である。そして、資産は実物勘定である。

 現金とは、第一に、交換手段である。交換手段であるから、流動性の基礎となる。第二に、決済手段である。第三に、貨幣単位の指標である。故に数値性へと発展する。

 現金とは、現時点での貨幣価値を実現した物であり、主として貨幣を指す。ただ、貨幣価値が喪失した際、煙草のような日用品が貨幣の代替的役割を果たす場合がある。

 会計における現金とは、紙幣、硬貨などの通貨。通貨代用証券を言う。
 通貨代用証券とは、他人の振り出した小切手、送金小切手支払期日の来た国債、地方債、社債などの利札。株式配当金領収書。外国通貨やトラベラーズチェックである。

 ただ、現金収支を基本としている限り、即時的な取引の効果しか測定できない。つまり、時間の働きを認識できないのである。
 それ故に、期間損益主義では、単位期間を設定し、時間軸を取引に加えることで、時間の働きを顕現化するのである。つまり、単位期間を基準にして、長期短期、固定性と流動性の概念を会計の概念に組み込む目的が期間損益にはある。

 現金収支を基礎としているという点は、現在の会計制度にも影響を与えている。即ち、貸方を収入項目、借方を支出項目として基本的に性格付けをすることが可能である。資産は、支出項目の残高と見なす事も可能なのである。

 現金収支は、不安定であり、不確実な要素が多い。

 期間損益計算の目的は、第一に、収益を一定化させることで、費用を均等化し、又、長期借入金を可能とすることである。つまり、収入の乱れを調整し、支払を安定化させることに期間損益の働きがある。

 又、期間損益計算のもう一つの目的は、費用対効果を測定することである。
 費用は、単に、生産性や競争からだけ設定されるべき事象ではない。費用を決定する重要な要素には、社会的分配という要素があるのである。なぜならば、費用は、付加価値を生み出す元だからである。

 資金を調達する為の手段としての資産の働きは、第一に、長期的資金を担保する事、第二に、運転資金を担保する事、第三に、資金の不足を補填するため裏付けである。

 負債に対応しているのは収益であって資産ではない。資産は、収益や資金の不足を補い、また、支払い能力を保証し、負債を担保しているのである。

 資産は投機の対象ではない。投資は、事業に対して為されるものであり、キャピタルゲイン得る為にされる行為ではない。
 投資の対象は、本来事業なのである。投資から事業が抜け落ちてしまったら投資の本質が変わってしまう。投資は、馬券を買うのと意味が違うのである。馬券を買うように資金を投じるのは、賭け事であって投資ではない。

 利益は、指標である。故に、利益が上がらない、即ち、損失が発生したからと言って即会社が潰れるわけではない。それを前提として会計の基準は設定されている。利益を絶対視するのは危険である。
 利益の概念には、純利益と包括利益がある。近年、包括利益を重視する傾向が高まっている。しかし、包括利益は、期間損益という主旨から逸脱する危険性があることを留意しておく必要がある。
 元々、包括利益という概念を導入する動機は、実物経済から適正な収入を確保することが困難になったことがあげられる。
 包括利益は、未実現利益を含んでいる。
 利益は、現金取引と直接結びつくことによって確定する。未実現利益は、現金取引と直接結びついているわけではない。
 未実現損益をなぜ、明らかにする必要があるかというと、長期的資金は、資産を担保して調達される部分があるからである。
 しかし、未実現損益は、原則として顕現していない。それが、投資家や金融機関に情報の非対称性をもたらしているからである。

 故に、資産の基本的性質は、ボラティリティ(価格変動性)とフィージビリティ(換金可能性)である。ボラティリティ(価格変動性)とフィージビリティ(換金可能性)は、流動性に発展する。
 価格の変動性と換金可能性が重要な資産は、変動の幅と大きさが重要な要素となる。

 未実現利益を表に出すべきだという議論がある。
 しかし、未実現利益は、現実の取引によって利益が確定しているわけではない。あくまでも仮想の利益である。例えば、地価が簿価より高い、含み資産があると言ってもその対象となる不動産は、借入金に担保されている場合が多い上に、土地を売って清算するにしても借入金の返済や税金に充当される部分が大きく、実際の自分が手にする現金は思いの外少ないのである。
 また、地価や株価が下落すると損ばかりが表に出ることにもなりかねない。
 この様な利益を実際の利益と同等に扱うのは無理がある。
 だからこそ、従来の会計は、実際の取引を前提とした歴史的原価を会計的根拠としてきたのである。

 資産は貨幣価値に還元されて表現される。
 貨幣価値は、自然数を普遍集合とする集合である。
 故に、資産価値も自然数を普遍集合とする集合である。

 資産は、会計の部分集合である。
 資産は、借方の部分集合である。

 借方には資産の増加、負債の減少、資本の減少、費用の発生が含まれる。
 貸方には、資産の減少、負債の増加、資本の増加、収益の発生が含まれる。

 流動資産、固定資産、繰延資産は資産の部分集合である。

 現金等及び現金相当物、売上債権、有価証券、棚卸資産は、流動資産の部分集合である。

 現金と預金は市場に対する働きが違う。現金は、基本的に決済のための準備であるのに対し、預金は、投資という側面を持つ。又、預金は金利の働きを考慮する必要がある。

 会計報告は、貨幣価値によって表される。しかし、会計主体の手持ち資金は現金勘定の残高に過ぎない。例えば資本金と言っても資本に計上されている金額の現金があるわけではないのである。会計報告に記載されている金額は、経営活動の結果生じた貨幣価値を表しているのである。もし支払義務が生じたならば、支払に必要な額の現金をその都度、準備する必要があるのである。それが資金繰りであり、資金繰りがつかなければ、いくら黒字でも会計主体は倒産するのである。逆に、赤字でも資金が廻れば経営を継続することが可能なのである。つまり、経済主体は、資金が廻ること事で存続してるのである。

 売上債権は、重要な信用取引である。景気の動向を予測し、或いは誘導する為には、信用取引の効用と働きを理解する必要がある。

 売上債権は、収益に対応し、買入債権は、費用に対応する。売上債権と買入債権の差額は、運転資金になる。運転資金が不足すると短期借入金が増える。

 棚卸資産、即ち、在庫は、費用性資産である。

 原価計算は、棚卸資産に影響する。

 在庫は、費用に関わる資産である。費用のどの部分に在庫は関わるかというと原価である。在庫の評価や残高は、原価を大きく左右し、利益に重大な影響を及ぼす。在庫の有り様によっては、黒字にも、赤字にもなるのである。
 故に、在庫の評価方法は、重大な会計基準である。

 固定資産には、償却資産と非償却資産がある。

 償却資産は費用性資産である。
 償却資産は、費用と固定負債(長期借入金の元本)に働き、利益の増減に影響する。

 固定資産の内訳を分析すると生産手段が解る。即ち、設備投資の内容が解る。設備投資は、事業の初期設定、初期投資を意味する。
 設備投資は、景気の長期周期を形成する。つまり、経済の大きなうねりを形成するのが設備投資である。

 固定資産や在庫資産の資産価値には、実物としての価値がある。
 実物としての価値を資産は有するためには、資産は、物としての価値を合わせて持つ。そのために、資産は、簿記上の価値と実物価値とが乖離する性質を持つ。

 実物価値は常に変動している。

 設備投資と在庫投資は、長期、中期の周期を生み出していると見なされている。すなわち、資産は、景気の周期や状態を予測する上で重要な要素なのである。

 資産の象徴は資金の流れる方向を決定付ける。
 総資産が拡大すれば、資金は、投資の側に流れ、総資産が縮小すれば、資金は回収の側に流れる。

 経済政策を立てる場合注意すべきなのは、資産と資金の関係である。資産のどの部分にどの様に働きかけると資金の流れにどの様な影響がでるのか、それを見極めることが肝腎なのである。

 医学では、症状に基づいて診断を下し、診断結果によって治療方法を決める。そして、経過を監視しながら治療法を変えていくのである。ところが経済では、インフレーション、デフレーションといった簡単な診断に基づいて一律に施策を決めようとする。それでは、市場を制御する事は不可能である。

 脳卒中で倒れた人間に、大量の輸血をしたらどうなるか解るであろう。血液の循環が悪ければ血液の循環をよくすることを考えるべきなのである。

 景気の動向は、市場の規律にかかっている。
 株の下落が資産のどの部分に影響し、それがどの様な作用を及ぼすのか。土地の下落が資産のどの部分に影響し、どの様な作用を及ぼすのか。サブプライムは、資産のどの部分に影響し、どの様な作用を及ぼすのか。それを解き明かし、及ぼす作用に対して対策を講じることが、市場の規律を保つことなのである。

 貧乏人の資産家と言う存在がある。土地や預金は持っているが、所得が少なく、生活費は切りつめている。逆に、借金はあるが所得は、多く、支出も多いという金持ちもいる。
 それが資産なのである。資産は財産とは違う、対極に必ず負債がある。資産と負債が釣り合うことで、貨幣経済は成り立っている。その点を見誤ると資産と負債の平衡が失われ、転倒するのである。




債権と債務



 経済を動かす力は、歪みによってもたらされる。エネルギーは、歪みによってもたらされる。歪みは、差である。即ち、経済を動かす力は格差である。
 経済を動かす格差によってもたらされる。
 バブルも不況も、この経済的な歪みによって引き起こされる現象である。又、格差が蓄積されると経済の歪みが大きくなり、貧困や階級を生み出す原因となる。貧困とは、所得の偏りによって生じる認識である。
 競争は、現象であってエネルギー源ではない。働きが現れた結果である。
 歪みは、差によって生じる。差は、正との働き、即ち、プラスの働きと負の働き、即ち、マイナスのはたきの均衡として認識される。
 お金にもプラスの働きとマイナスの働きがある。プラスの働きから資産が生まれ、マイナスの働きから負債が生じる。
 格差は、経済を動かす原動力である。しかし、格差が大きくなりすぎると経済を動かす力を制御する事ができなくなる。

 資産があるという事は、それに釣り合う負債か資本があるという事を意味し、負債があるという事は、それに見合う資産があるという事を会計上は意味している。この事が正しく理解されていないのである。
 気をつけなければならないのは、資産と財産とは違うと言う事である。帳簿に資産と計上されていない財産は、いかに価値があっても帳簿上は無価値である。又、帳簿に計上されている価値が資産価値を示す。帳簿に記載されている価値以上の価値があろうと、又、逆になかろうと会計上は問題ないのである。
 不良債権というのは、一般には、資産価値が帳簿上に記載されている値より減価した資産を言う。しかし、これは明らかに誤謬である。いくら、帳簿に記載されている価値より減価したとしてもそれが経営活動に活用、或いは貢献している限りは、資産としての価値がないわけではない。それを言うならば、担保価値が減じたという事であるから、不良債務である。しかし、だからといって不良債務だというのも間違いである。なぜならば、不良債務というのは、返済が滞った場合に言われることであり、返済が滞る原因は、収入にあるからである。一つ重要な事は、借入金の元本の返済は、損益上には現れないと言う点である。ただ、重要なのは、債務が不良であるか、否かは、収益の問題、或いは、キャッシュフローの観点から判断すべき事であり、資産価値が減少した事を根拠とすべきではない。
 それは住宅ローンを考えれば明らかである。たとえ、住宅価格が下がったと言っても月々の返済をしていれば、借入金全額を一括的に返済しろとは言えないはずである。
 それが昨今の金融機関の悪質さなのである。金融機関は、本来事業を評価すべきなのに事業評価を自分達ができないから担保主義に走っているだけなのである。その結果、長期的問題を短期的問題にすり替えて優良な企業を潰しているのである。

 資産というのは、債権を実体化した勘定であり、会計的概念である。この点が資産と財産の違いである。資産は会計上の概念であるのに対し、財産は一般的な概念である。
 債権という概念は会計上の取引によって生じる。気をつけなければならないのは、同じ取引でも会計上の取引と一般的な取引とは違うという点である。
 債権という概念は、会計上の取引によって生じる。会計上の取引によって生じるのは、債権だけではなく、債務も、同時に、同量、生じる。これが複式簿記の原則である。故に、債権と債務の総和は、同値である。

 また、債権というのは、物の実質価値を意味し、債務は、名目価値を意味する。

 利益は、債務である。資本も債務である。更に、収益も債務である。つまり、債務に属するのは、負債、資本、収益、そして、利益である。
 資本も利益も支払準備のための原資である。

 単位期間内に償却される債権を費用と言い、債務を収益という。単位期間を越えて償却される債権を資産と言い、決済される債務を負債という。これが期間損益の原則である。

 例えば、人件費は、役務、用役を請求することのできる債権、或いは債権の結果である。人件費に関わる債務は収益にある。

 債権は変動的であるのに対し、債務は固定的である。債権は実質的であるのに対し、債務は名目的である。

 資産価値というのは、絶対的な値ではなく、相対的、構造的な値である。即ち、前提条件や設定条件によって変わる認識上の値なのである。この点を理解しておかないと資産価値の意味や働きを見間違うことになる。
 不良債権、不良債権と昨今問題視するが、何を基準にして不良債権とするのか、その根拠を明らかにしないで、問題視している場合が多い。
 資産価値を測る尺度としては、取得時の価値を根拠とする考え方(所得原価主義)、取引相場(時価主義)を根拠とする考えた、収益水準を基準とする考え方(収益還元方式)等がある。又、その他に、清算価値を根拠とする考え方などもある。
 この様に、資産価値というのは一律には断定できないのである。土地は一物五価などとも言われている。

 債権を実体化した資産は、流動的であり、債務を名目化した負債は固定的である。資産は実物的で、負債は名目的である。故に、資産は、自由に関わり、負債は、平等に関わる。

 債権と債務の内的、外的均衡が会計空間を成立させ、尚かつ、会計制度を維持しているのである。

 実質と名目の乖離を少なくするためには、債務を流動化する必要がある。債務を流動化すると為には、債務を資産化する技術が必要となる。つまり、名目的な債務を実体化することである。言い替えると証券化とは、借金を証券、証書という物に置き換える手続、操作を言うのである。それは見えるか(見えない権利を見える物、証書にする手段)の一種である。その典型が紙幣である。

 債務を資産化するためには、債務を譲渡可能にする必要がある。それが債務の証券化という技術である。株式も債務を資産化する技術の一種である。

 負債を資産化し、流動性を持たせようとするのである。負債を資産化し、流動化させる技術とは、例えば、証券化である。証券化も借金の技術の一つである。

 資産は、負の負債である。負債は、負の資産といえる。

 金融機関にとって預金は債務である。発券機関にとって紙幣は債務である。そして、債務は債権の元である。故に、資本は元本のである。
 又、債権は債務の末である。債務は因で債権は結果である。

 企業の基盤は、想像以上に脆弱で不安定なのである。それは、企業基盤を実態的に裏付けている資産価値が表に現れていない上に、流動的だからである。
 経済の実体とは何か。それは物である。物を表しているのが資産勘定である。しかし、物を物として、即ち、数量として表現したら貸借は均衡しない。故に、貨幣価値に換算して計上される。計上される数字は、原価主義においては、過去の取引実績に基づく名目的価値である。物の実体価格、即ち、時価ではない。なぜならば、時価は常に、変動し、定まらず、流動的だからである。
 資産の名目的価値と実体的価値は常に乖離している。名目的価値は固定的であるのに対し、実体的価値は変動的なのである。その乖離が、色々な経済現象を引き起こし、企業経営を根底から揺さぶっている。
 又、名目的価値は内的要因に影響され、実体的価値は、外的要因によって動かされている。

 借り手と貸し手、売り手と買い手があって取引は成り立つ。それが複式簿記的社会の大前提である。この事から、複式簿記では必ず反対勘定を設定することが必要要件とされる。しかし、それは複式簿記上の前提であって必ずしも絶対的要件というわけではない。現に、単式簿記においては、必ずしも反対勘定がなければならないと言うわけではない。そして、単式簿記の典型が、現金出納帳である。
 つまり、複式簿記を基盤とした会計制度では、反対勘定があることをあたかも自明な命題のようにするが、それは、あくまでも相対的な命題なのである。
 例えば、複式簿記上において、自前の資産は、どの様に処理するのかである。結局、反対勘定を設定することによって計上されることになる。

 取り付け騒動とは、預金の一斉引き出しという側面以外に、銀行側から見ると長期借入金の一括返済要求とも受け取れるのである。

 貨幣の流れは、債権と債務を発生させる。債権と債務は、貨幣が流れることによって生じる名目的価値である。債務は、負債として、名目的貨幣価値を発生させ、債権は、資産として、名目的物的価値を形成する。

 債権と債務が一組で認識される。故に、今、資産を遺そうとしたら負債を相続しなければならなくなる。故に、資産を相続しようと思えば、金利という費用と元本返済という負債を負わなければならなくなるのである。

資産の性格



 資産価値には、第一に時価価値がある。第二に、原価価値。第三に、清算価値。第四に、担保価値。第五に、法定価値。第六に、帳簿上の価値がある。これらの価値は、各々、資産の種類によっても計算の仕方が違ってくる。
 例えば、株のような有価証券の時価は、相場によって決まるが、相場自体が変動的であるから、どの時点の価格を想定するかによって大きく違ってくる。相場によって違いがでるというのは、不動産も同様である。
 原価価値は、在庫では、在庫の評価によって違ってくる。
 法定価値は、税制上の課税所得の基準となる不動産の路線価などがある。
 清算価値も更新価値や再調達価値と言った考え方や市場で実際に処分した場合を想定した値。実際に処分した場合は、購入価格を差し引いた実質利益を指す場合もある。スクラップを想定した場合は、マイナス価値となる。
 この様に、資産価値を一律に捉えることはできない。不良債権と言っても何処に基準を置いて何を根拠として言っているのかを明らかにしない限り、一概に言えないのである。

 資産価値とは何か。資産価値は、市場価値でもある。資産価値は、財産価値とは違う。財産というのは、それ単独でも価値が成り立っている。しかし、資産は、資産単独では成り立っていない。資産の対極には、必ず、負債か、資本が存在するのである。
 資産は債権価値であり、債権価値は、債務価値と一対で成り立っていることを忘れてはならない。資産があるという事は、他方にそれに釣り合う債務があることを意味する。この債務と資産価値が釣り合わなくなるといろいろな障害、不都合が生じるのである。

 絵画のような芸術品を例にとって考えてみよう。芸術品はどんなに素晴らしい作品でも、市場で取り引きされていなければ、資産価値はゼロである。先ず、資産価値というのは、市場で取引されたことの有無が前提条件となって成立する。そして、次ぎに、取引内容が帳簿に計上されて記録されることが前提となる。市場で取り引きされていなければ、資産価値はないのである。そして、市場で取り引きされた価格がその作品の資産価値となる。資産価値というのは、芸術品の質とは関係ない。資産価値は、市場によって決められるのである。この点を勘違いしてはいけない。芸術的であるかどうかと資産価値とは無縁なのである。又、資産価値の性格を決めるのは、その作品が再販できるかどうかもある。つまり、再販市場、中古市場があるかないかにも左右される。再販市場がない品は、芸術作品と見なされず。美術工芸品、消耗品として処理されてしまうのである。つまり、資産価値というのは会計上の価値にしか過ぎない。

 先祖代々引き継がれた土地は、資産価値はどうなるのか。この様な土地の資産価値も簿価が問題となる。取引された実績のない土地は、資産価値はない。資産価値が問題とされるのは、取引される場合と、担保される場合、そして、相続の時である。
 要は、取引をされていなくても相続する場合には資産価値は表に現れてくる。厳密に言うと、この場合の土地の価値は、資産価値と言うより、財産価値である。相続する時に財産価値が表に現れるのは、税金が課せられるからである。この様な財産は、三代、続けて相続できない仕組みにされているとされている。
 問題なのは、その土地で生活している場合である。それでも税金は払わなければならない。お金で税金を払えなければ、土地を売ってお金にするしかない。それが財産である。

 資産というのは、長期的資金を運用した結果、或いは、長期借入金の裏付けという性格を持つ。
 この様にしてみると資産は、長期的資金の動向を左右する働きがあることが解る。ただ、資産価値は、資金の需要、必要性とは、無関係なところで変動している。それが企業収益、ひいては、景気に微妙な影響を与えているのである。

 資金の性格は、時間や働きによって決まる。資金の性格が、資産と費用の性格を規制し、遺産の性格が負債や資本の性格を規制する。例えば、設備や在庫は、長期的な資金の流れによって性格付けられ、費用は、短期的な資金の流れによって性格付けられる。これらの資金の流れは、景気に長期短期の周期をもたらす。
 借金も財産の一種だという考え方がある。実際、借金は、財産的な働きを持つ。逆に考えると借金は、負の預金であり、預金は、負の借金である。資産と負債は、表裏の関係にある。

 資産とは、本来、債権の元、根拠を指し示す勘定である。帳簿上の資産価値とその根拠となる実物の価値とは別である。帳簿上の資産価値は、取引実績に基づく簿価である。例えば所有する土地の資産価値は、その土地を手に入れたときの取引価格である。現在の土地の実勢価格、時価を表しているわけではない。
 不良債権と言われる資産も帳簿上は、債務と均衡しているのである。

 勘定と言うのは絶対的かというと必ずしも絶対的とは言い切れない。その例が預金である。資産というのは、本来は債権を示す。故に、一般には預金は、資産に属していると考えられている。しかし、銀行では、預金は債務である。

 預金というのは、企業にとっては資産である。又、家計に追いも資産である。しかし、銀行にとって預金は、借入である。
 預金が融資に変移し、融資が預金に変移する。銀行にとって預金は負債であり、負債である預金が融資されることによって資産となる。預金と貸付金は表裏一体である。この様な変移、転移が経済の動きを形作っていくのである。

 預金と貸付金の差額、及び、預金金利と貸付金利の差額が金融機関の収益の基となる。そうなると重要なのは、貸付金の性格である。貸付金の性格は、貸付先によって異なる。貸付先は、第一に、国内の対象か国外の対象かの違いがある。第二に、金融機関向けと非金融機関向けがある。第三に、非金融機関の対象には、家計、民間企業、国家を含んだ公共機関の三つがある。

 変動は、一定な部分との関係によって捉えなければその働きを理解することはできない。
 好例が、損益と費用の関係である。変動費と固定費の関係によって損益構造は、形作られる。

 投資が利益に結びつく、或いは、資産を換金化するのには、一定の時間が必要である。その間資金が寝てしまう。その期間いかにつなぎ資金を調達していくか。その為に期間損益が必要とされたのである。
 近代経済では、時間差が決定的な働きをする。

 資金の性格は、時間や働きによって決まる。資金の性格が、資産と費用の性格を規制し、資産の性格が負債や資本の性格を規制する。

 例えば、設備や在庫は、長期的な資金の流れによって性格付けられ、費用は、短期的な資金の流れによって性格付けられる。これらの資金の流れは、景気に長期短期の周期をもたらす。
 資産と負債は、表裏の関係にあり、相互に感応し合う。負債は、負の預金であり、預金は、負の負債である。


長期資金、短期資金の働き


 資金は、収支を形作り、収支は、資金の働きを長期、短期に区分されることによって損益を形成する。

 資金の長期的働き、短期的働きに差がある以上、長期的、短期的資金の働きを考慮して計画的な経済運営が求められる。
 計画にも二種類ある。一つは、統制的計画であり、もう一つは、構造的計画である。前者が結果を重視するのに対して、後者は状況や環境に対する適合、効率を重視する。統制的計画は、前決めで確定的、硬直的な計画なのに対して、構造計画は、人と物、金、時間を効率的に組み立てることを目的としている。統制的計画は、予め結果を設定するが、構造的計画は、予測に基づいて要素、要因を組み立てる。
 一般に、計画経済や国家予算は、前者を言う。それに対して、プロジェクトの様な計画は後者を言う。
 これからは、期間損益、収支予測に基づく構造的計画が経済政策の根幹に位置すべきなのである。
 その為にも長期、短期の資金の働きを明らかにしておく必要がある。

 長期的、短期的資金の働きを知るためには、資産、費用、負債、資本、収益と資金との関係を明らかにする必要がある。
 長期的資金と短期的な資金の働きの関係は、資産と費用の比率に現れる。
 資産は、長期的周期の資金の流れを形成し、費用は短期的周期の資金の流れを形成する。長期的周期の資金は、ストックを短期的周期の資金は、フローを形成し、その比率が、通貨の流量と水準を決める。資産に対する投資によって資金を市場に放出し、収益によって資金を回収する。通貨回転が市場に実質貨幣価値の総量を規制し、回転数が停滞したり、低下すると貨幣の流通量が低下する。
 長期的資金は、市場に流動する資金の水準を示す指標である。長期的資金は、換金化できる速度によって流動性が測られる。
 故に、流動資産と固定資産の比率を明らかにし、貨幣性資産と非貨幣性資産との比率、及び、金融資産と非金融資産の比率、費用性資産と非償却資産との比率を明らかにする。
 貨幣性資産とは、市場取引を経由せずに直接、決済に用いることの可能な資産を言う。即ち、支払準備のために経営主体内部に滞留している資産を言う。それに対して、非貨幣性資産とは、一旦市場取引を経由しないと決済に用いることができない資産を言う。
 金融資産とは、実体的市場に投資されるための準備資金であり、実体的資産との比率が重要となる。
 費用性資産は、長期的資金の回収状況に対する指標であるが、貨幣的裏付けを持っていない。長期的資金の回収状況は、負債勘定の差額としてしか表現されない。
 長期的資金の流れの効率を知るためには、長期借入金÷(減価償却費+税引き後利益)が指標となる。
 会計の構造による働きによって現金の流れる方向を精査し、制御する事が求められる。
 注意しなければならないのは、売上と言えども必ずしも現金収入が同時に伴うとはかぎらない。つまり、期間損益と収支の関係を正しく理解しないと貨幣の短期の働きと、長期の働きの性格の違いを明らかにできない。

 債務の解消の手段は、決済、清算、償却がある。

 債務の清算は、収入を原資として処置するのが原則である。
 収入を得る手段は、働くか、物を売るか、金を借りるかである。働くというのは人の問題である。つまり、人、物、金の何によるかの問題である。ただ、金を借りても借金、即ち、新たな債務は残る。要は、金で金の解決をはかっても抜本的な解決にはならないのである。
 債務の解消は、人と物によってしか最終的にはできないのである。

 継続を前提とした企業、事業体は、経営、事業が継続しているかぎり、帳簿上の数字が生きている事を前提とするのが原則である。故に、清算を前提とすべきではない。清算が前提となるのは、期間損益上、費用対効果が合わなくなった場合である。その場合は、費用構造の問題が重要となる。
 この点で注意すべきなのは、資産価格がどう変動しようと帳簿上は、債権と債務は均衡しているという事である。元来、債権と債務は、単位期間内で処理すべき勘定ではなく。長期的な観点で処理すべき勘定だという点である。一時的に資産価値が下落したからと言って長期的資金の回収に金融機関が走れば、経済の根幹は破壊されてしまう。債権の動向は、長期的観点から償却すべきであり、短期的な視点、即ち、単位期間内に処理しようとすれば、資金計画、資金繰りが破綻し、経営に齟齬をきたすことになる。

 資産価値と収益の変動は、予測がつかない。負債と費用の変動は、ある程度計算ができる。故に、経済施策や経営計画は、計算ができる負債と費用を基にして構想を立てるのである。

 債権価値の決定的要因は、外的要因であり、内的な要因ではない。実質的資産価値を決めるのは、例えば、土地や商品在庫であれば相場や売上である。相場や売上は、市場によって決まるのであり、内的要因、即ち、経営内部の決定によって決まるわけではない。
 それに対して、負債は、約定によって予め定められている。この債権と債務の差が、企業を経営していく上で重要な意味を持つ。つまり、債権価値は不確実であるのに対して、債務は確定しているのである。

 また、債権価値は、収益とは、直接的な関わりがないのに、収益の影響を直接的に受ける。
 なぜならば、営業収益が不足すれば、負債を増やすか、債権を換金するか、いずれかの手段で資金を調達する必要が生じるからである。
 資金を調達しようとした場合、或いは、資産を流動化しようとした場合、売却するにせよ、担保にするにせよ、その時点での価値、即ち、時価が問題となるからである。取り引き時の資産価値と時価とが乖離していた場合、未実現損益が発生していると見なされる。その未実現損益をどの様に処理するかによって期間収益が違ってくるのである。

 金融機関というのは、長期、短期の資金の動きを調整するのが役割である。それは、貸借関係と損益関係に反映される。
 短期の問題は、短期の問題として処理し、長期の問題は、長期的観点から解決すべきなのである。長期、短期の資金の働きの違いを理解するためには、事業の性格と貸借構造、損益構造を理解しておく必要がある。

 借金が悪いわけではない。借金が返せないことが悪いのである。返済が滞るから問題なのである。借金の返済の原資は、収入にある。債務の解消は、収益の向上にある。むろん、余剰利益は、社会に還元すべきである。しかし、今のように不必要に競争を煽り、過当競争を招くことを良しとしているかぎり、景気は良くならない。
 現在の経済危機の幾つかは、ある意味で金融機関が招いた危機だとも言える。金融機関の役割は、長期、短期の資金を調整することにある。そして、単位期間内の問題は、損益上で解決し、単位期間を越える問題は貸借に振り分けるべきなのである。処が、今の金融機関は、長期的資金需要を損益に持ち込み、債務に問題が生じたとして単位期間内の資金繰りを乱している。これでは、金融機関は、経済を破綻させる為に働いているようなものである。
 現今の金融危機は、バブルに際しては、無原則に貸出を増やし、バブル崩壊後は、なりふりかまわず長期資金を回収したことに一因がある。
 金融危機の際、返済が滞っていないのに、担保価値が割れたと言って長期資金の回収に多くの金融機関が走った。この様な行為は明確に背信行為であり、契約違反である。そして、それが経済の底割れを誘い、景気の長期低迷を招いたのである。
 収益が悪化しているのならば、収益の悪化している原因を問題とすべきなのである。収益も悪化していないのに、担保価値が劣化していると資金の回収に走るのは犯罪行為に近い。

 資産は長期的な資金の働きに連動している。故に、短期的な資金の変動に一喜一憂することなく、資産の性格を正しく理解することが重要なのである。
 その上で、短期的問題、構造的な収益の悪化に対しては、どの様に対処していくべきなのかは、金融と産業が、一体となって取り組んでいくべきなのである。

 金融機関は、経済における自分達の役割をよく理解し、冷静、且つ、責任ある行動が求められていることを肝に銘じておくべきである。


資産と収益


 債務と債権とは均衡している。債権の対極には債務がある。今日、資産は、何等かの債務を背景として成り立っているのである。
 だから、借金が悪いわけではない。借金が返せなくなるから問題なのである。 
 借金の返済の原資は、収入にある。収益が悪化しているのならば、収益の悪化している原因を問題とすべきなのである。故に、借金の返済が滞ったら収入を考えるべきなのである。
 収入は、働くか、物を売るか、金を借りるかのいずれかである。金を借りるのは、結局は、金で金を処理することであり、債務の延長を意味している。
 故に、債務を解消する手段は、働くか、物を売るかしかない。つまりは、人か、物かによって債務は清算されるのである。そして、働くか、物を売るかによって得た貨幣価値が収益である。その対価が費用である。費用が収益を上回ると債務は解消されずに債務残高が累積していく。

 最終的には,資金の問題な還元される。即ち、事業が継承できるか否かは、支払い力の問題になり、資金の調達力が問題となる。貨幣経済では、資金が決済できなくなれば、経済活動は破綻するのである。金が続くかぎり、つまり、資金繰りがつくかぎり、事業は継承されていくのである。
 資金の調達は、企業では、収益と借入や増資である。つまり、収益力と担保力の問題に還元される。収益がたりない時は、借入金や資本金によって補う。
 財政では、資金の供給力の問題である。通貨の流通量と財の流通量,および、担税力が制約となる。資金の供給量は、税収と借入金、事業収益による。
 家計では、所得と貯蓄,財産である。

 収益も悪化していないのに、担保価値が劣化していると資金の回収に走るのは犯罪行為に近い。
 金融危機の際、返済が滞っていないのに、担保価値が割れたと言って長期資金の回収に多くの金融機関が走った。この様な行為は明確に背信行為であり、契約違反である。そして、それが経済の底割れを誘ったのである。

 又、国家財政に置き換えると、行政費用が国家収益を上回ることで債務残高が累積していく事が財政における根本的問題なのである。

 期間損益から経済に与える影響を読みとるためには、資金の流れ、キャッシュフローに置き換える必要がある。経済の変動は、収入と支出の時間的ズレに起因すると言われているからである。

 収入には、一定の形がある。形は時間によって決まる。即ち、不定期の周期による収入と定期的収入の二つがある。定期的な収入には、日単位、週単位、月単位、半年単位、年単位、複数年単位の周期がある。更に細かく言うと一日の動きにも午前、午後による周期がある。又、一生を単位とする収入もある。
 例えば、月給取りの収入は、月に一回と年に二回、月単位と半期単位の二つによって構成される。この様な収入の形は、結果的に、支出の形を規制する。

 収入は、月に一度、年にすると十二回支給される。さらに、年に一度、一生に一度という収入もあり、これらの収入に基づいて生活設計、人生設計がされる。
 収入は、生活費、借金の返済、地代家賃、預金などに分配される。この様な支出が経済の動向を決めている。
 長期的支出には、結婚資金、家の建設資金、出産育児資金、教育資金、老後の資金などがある。

 資金調達、即ち、収入という局面からみると負債と資本と収益が問題となる。負債と資本は、長期的周期の資金の流れを規制し、収入は短期的資金の流れを規制する。負債と資本は、資産と連動し、或いは費用に還元される。収入は、負債や資本に連動し、費用に還元される。
 収益の分配という局面からは、労働分配率と装備率、利益率が問題となる。

 財政問題では、国債の資本化も視野に入れる必要がある。

 公共投資が経済対策として有効なのは、公共投資が長期的資金の働きを生むからである。

 一般に、預金は資産だと考えられているが、金融機関では、預金は負債勘定で処理される。また、銀行券も中央銀行では負債勘定である。これが何を意味するのか、ここに貨幣経済の秘密を解く鍵が隠されている。

 貨幣は、流れていると言うより、厳密に言うと充たされているといった方が妥当であり、一定の水準に保たれることによって一定の働きを維持しているといった方が良い。資産価値が急速に低下するとこの水準が保てなくなるのである。

 固定的な部分が安定していてはじめても経済は落ち着く。そして、固定的な部分の効率化が計られて経済は効率化されるのである。その固定的な部分が不安定なのが今日の経済を混乱させている元凶なのである。
 経済が安定しない原因の一つは、株価の変動や為替の変動と言った一時的変動や短期の変動によって長期的資金の働きが影響を受けることである。
 短期的な変動によって長期的な資金の働きが影響を受けないようにする仕組みを構築しないかぎり、経済の安定は得られない。

 近代経済は、収益や所得、費用が一定化、標準化されることによって安定、発展してきたのである。収益や所得が一定化されることによって信用制度が確立され、長期負債に依る資金調達が可能となったのである。これは企業経営のみならず、家計や財政も然りである。

 そして、長期的資金の流れと働きが資産と負債を形成してきた。

 家計で言えば、住宅ローンのような長期借入金と可処分所得の関係に見られる。ただ注意しなければならないのは、家計の基礎は、現金主義だという点である。

 収益や所得、費用を一定化する過程で、長期的資金の流れと短期的資金の流れが区分され、資本が形成されてきた。また、長期的展望が立ち、計画性が保たれたのである。

 ところが、経済が国際化することによって収益、所得、費用を一定に保つことが困難になってきたのである。特に、一時的な変動が長期的な資金の流れを悪くしていることが問題なのである。長期的な資金の働きと短期的な資金の働きを明確にし、長期、短期の資金の働きに応じた施策や仕組みを構築することが要求されているのである。

 バブルが崩壊し、資産価値の水準が極端に低下していて、その結果として景気が低迷している時、強引に不良債権を処理させるべきなのか。
 景気の低迷によって収益が上がらないと言うのは、短期的資金の働きの問題である。その時に、長期資金を回収すれば、企業経営は破綻してしまう。景気の低迷による収益の悪化は、損益上の問題である。そして、その背景に資産価値の下落による資金調達の圧迫がある。この様な時に、一斉に不良債権の処理に走れば資産価値の下落に拍車をかけ資金調達を阻害し、収益を圧迫する結果を招くだけである。
 問題は収益の悪化であり、収益を悪化させている要因を改善することに精力を集中させるべきなのである。
 日本の為政者は、バブル崩壊後、規制緩和を推し進め、金利を高めに誘導して投資を抑制し、不良債権の処理を強引に推しすするようとした。
 この様な状況の時に規制を緩和し、競争を激化させることは収益を圧迫させることであり、又、不良債権の処理を強引に推し進めることは、資産価値の低下を招くだけである。
 それが景気構造の基盤を傷つけてしまったのである。

 不良債権を強引に処理すれば不良債務が残されるだけである。不良債務が増えれば、自ずと不良債権が増える。
 不良債権が問題だというならば、不良債権が発生して原因を問題とすべきなのである。結果ばかりを問題にして原因を明らかにしなければ、処方、対策は立てられない。不良債権も最初から不良債権だったわけではない。最初から損をするつもりで債権を購入する者はいないのである。又、最初から不良債権であることを承知していて売りつけられたとしたら、それは詐欺、ペテンである。債権が不良化した要因が重要なのである。
 不良債権を優良債権に変える方策を為政者は採るべきなのである。その為には、為政者は、企業を必要悪のように見ないで、企業が経済において果たしている機能、役割を正しく理解する必要がある。その為には、収益を上げる事が鍵を握っているのである。

 働いている者も、取引相手も、消費者も、国家も、利益の恩恵に浴しているというのに、利益を目の仇にしている。その報いを結局は受ける羽目になるのである。
 儲けることを悪いように言うが、市場経済体制では、企業が収益をあげないことには、経済は機能しなくなるのである。なぜならば、企業は、貨幣や物を、働きに応じて分配する仲介、中継機関だからである。適正な収益を企業が保てなくなれば、忽ち、分配に支障が生じる。

資産は財産を基とした概念である。


 資産は、財産を素とした概念である。ただし、資産と財産は、本質的に違う。財産というのは、それ自体で成り立つ、現金主義的な概念である。
 それに対し、資産は、相手勘定としてその資産を形成するために必要な資金の出所を明らかにしなければ成り立たない。
 言い方を変えると資産という概念は、債務という概念の対極として生じた概念であり、純粋に会計的概念だと言う事である。

 財産は、所有するだけならば債務は生じない。
 それに対して、資産は、必ず調達資金の源が明記されなければならない。そして、資産は、所有することで債務が発生する。それが財産と決定的に違う点である。
 会計的な概念が成立する以前ならば、財産を持てば悠々自適の生活が保証された。財産は、債務を形成しないのである。借金は、借金、財産は財産である。故に、財産目録と貸借対照表は異質な物なのである。資産を持つことは、対極に債務が発生するのである。
 また、財産は私有物として考えられもした。しかし、企業は、私有物を所有することを許さない。企業は公的機関なのである。資産は。最終的には社会に還元されるべき物なのである。

 資産を持つことは、同時に、対極として債務を負うことを意味し、資産が計上された瞬間、私的所有が否定され、資産は公有物に転化するのである。

 現金主義に従う場合は、換金できない資産を計上する必要はないが、期間損益主義に従うと換金できない資産まで計上しなければならなくなる。

 企業は私的私有を許されないと言う点から見ると、元来、資本主義というのは、社会主義的な要素を持つ思想なのである。

 この様な資産に対する考え方が確立されることによって企業は公器となるのである。この点に対してまだまだ誤解があると思われる。企業は公器なのであり、公器である企業は、私的所有を前提とした財産や現金を蓄えにくい仕組みが確立されているのである。

 生産手段以外の資産を持つことは、企業経営に余計な負荷がかかるような仕組みになっている。資産価値は、会計上、負の価値を計上することによって相殺されるからである。借方と貸方は複式簿記上において均衡している。つまり、会計上、企業経営は、ゼロサムな事象なのである。
 実際の資産が帳簿価格に対して何万倍の価値を持っていたとしても原価主義に基づけば、取得価格において帳簿上は均衡している。この点は、時価なら時価評価した時点の価値で均衡するように操作される。時価評価が問題なのは、仮想的取引を前提とするために、実際の現金の動きが派生しないと言う点である。その点を充分に留意する必要がある。ただ、会計上の数値は、原価主義、時価主義、いずれにしても、ある時点における債権価値を、意味して、会計上の数値において借方、貸方は均衡しているのである。

 貨幣は、交換手段、分配手段としての働き以外に、権利としての働きがある。そして、権利としての働きが債権と債務を派生させるのである。

 負債によって資産は長期的な費用負担を負うこととなる。そして、されは長期的な資金の潜在的な資金の流失を意味する。この様な目に見えない形で蓄積するのである。そして、ある日突然に不良債権として表面化する。又、費用で言えば人件費に関連した費用も累積する性格を持っている。だから、新興企業は、競争力がある。つまり、企業にとって継続は、必ずしも良い結果を招くとはかぎらない。

資産の潜在的価値。


 資産は、潜在的価値を形成する。

 資産価値とは、帳簿に記載された名目的価値である。実際に対象となる物が持つ実質的価値ではない。資産価値の原則は、当該資産が取引をした時点における取引価格である。それが原価主義である。

 会計の本質は、損益計算だと言う事を忘れてはならない。つまり、期間損益を計算するために会計は成立したと言っていい。
 ここで注意すべきなのは、損益は均衡しているという事である。必然的に貸借も均衡している。これは、実際に均衡しているというのではなく。計算上均衡しているのである。
 損益上均衡しているという事は、誰かが、損をすれば、誰かが得をする仕組みである。しかし、それは期間損益上のことである。実際には、生産物は生産され、そして、消費されている。
 そうなると利益とは何かである。現代人は、利益に振り回されている。しかし、利益は、会計計算上計上される数値であり、貨幣的な実態があるわけではない。利益を計上したからといって利益に相当する現金があるとはかぎらないのである。
 この事は、資産に対して決定的な意味を持つ。帳簿上に計上されている資産価値と実際の資産価値が一致するとはかぎらないのである。つまり、資産価値とは、取引実績を本にして計上された数値だと言う事である。

 資産価値は、取引によって生じる。即ち、資産価値は、取引によって確定するのである。問題は、取引によって決定る価値は確定した値ではないという事である。言い換えると資産価値の実勢価値は、取引が成立した時点からすぐに変動し始めるという事である。つまり、資産価値は変数だという事である。故に、会計では、取引の一時点によって資産価値を確定している。
 それに対して名目価値は不変である。それに対して実体価値、資産価値は、取引の状態によって変動する変数なのである。

 そのために、取引が成立した時点からすぐに,名目価値と実体価値が乖離することになる。
 それが会計上の含み益や含み損を生み出すことになる。しかも、含み益も含み損も一定しているわけではない。

 資産価値が上昇している時は、潜在的な価値を増加させ、資産価値が下降している時は、潜在的価値を減少させる。
 それがバブルといわれる現象の伏線となる。

 資産価値の上昇と下降は、潜在的価値を成立させる。この様な資産価値の上昇、下降による潜在価値の増減は、会計上表面に表れてこない。

 よく不良債権が問題になるが、実際は、不良債権の背後には、不良債務問題が隠されているのである。

 名目的価値は、資金の調達を意味し、実体価値は、資金の運用を意味する。そして、名目的価値は、債務を,実体的価値は、債権を形成する。
 債務は、返済義務を意味し、債権は、担保価値を提供する。

 期間損益主義は、費用対効果の測定を通じて適正な一定期間における企業価値の評価を目的とするが、資産価値の乱高下は、資金の調達力の影響を与えることによって期間損益に間接的に作用することになる。

 貨幣経済における経済行動は、最終的には,資金の問題な還元される。お金が回っている間は、経営は、継承される。しかし、お金が回らなくなると事業は継続できなくなる。つまるところ、事業が継承できるか否かは、支払い力の問題になり、資金の調達力が問題となる。貨幣経済では、資金が決済できなくなれば、経済活動は破綻するのである。金が続くかぎり、つまり、資金繰りがつくかぎり、事業は継承されていくのである。
 資金の調達は、企業では、収益と借入や増資である。収益がたりない時は、借入金や資本金によって補う。借入金や資本金を担保するのは、資産である。つまり、経営は、収益力と担保力の問題に還元されるのである。
 また、財政では、資金の供給力の問題である。通貨の流通量と財の流通量,および、担税力が制約となる。資金の供給量は、税収と借入金、事業収益による。借入金とは、国債を意味する。
 家計では、所得と貯蓄,財産である。失業をして所得が途絶えると保険を頼るか、貯金を取り崩すか、資産を売り食いするかしかないのである。

 名目価値と実体価値の乖離は、税制にも重要な問題点を発生させている。
 一つは、未実現利益への課税である。未実現利益とは、資産価値は取引によって成立するのに、時価会計にすると取引もないのに利益が計上されてその分、税金が派生するという問題である。
 もう一つは、長期借入金は費用計上されないのに、資産の売買益は、収益に計上され課税されるという事である。

 何のために、税を課すのかである。税を課す目的は、一つは、行政経費を賄うことである。第二に、所得の再分配によって分配の公平を実現するためである。第三に、社会資本の整備である。第四に、市場取引の捕捉し、通貨の流量を調整する事である。第五に、余剰利益の抑制である。

 以上の点を鑑みると、法人税は、極力、少なくすべきである。なぜならば、法人は公的機関であり、本来、私的所有物ではないからである。また、法人は、現金を貯蓄することが困難な構造となっている。結局、過剰な税は長期的資金に蓄積されてしまうのである。

 又、企業会計は、期間損益主義を基盤としているのに対し、財務や家計は、現金主義会計を基盤としている。即ち、企業会計と財務、家計は、制度的に不連続なのである。税制の働きは、貨幣の回収と循環にある。現金の流れを直接投影しているわけではない期間損益は現金の流れね量を反映しづらい。その点から見ても法人税は、貨幣の流れる量を捕捉するのにはむいていない。
 問題なのは、公と私が曖昧な部分である。公的機関としての企業の性格から見ても私的な所得と見なされる部分は課税されるべきである。

 なぜ、税金が必要とされるのか。それは貨幣の発行量を制御するためである。
 貨幣を回収する必要がなければ税金は必要とされない。税制も中央銀行制度も貨幣を循環させるために、必要とされる。



資産はとらえどころがない


 資産というのは、とらえどころのない科目なのである。資産は名目的価値と実質的価値がの二つの価値があることがそれを証明している。資産価値というのは、変動的な価値であり、原価であろうと、時価であろうと、いずれにしても会計上に現れている数値はある時点を捉えて計測された数値だからである。
 資産価値はとらえどころがない。それでいて資金の流れに対して潜在的な影響力を及ぼしている科目なのである。それは、資金調達の際、資産が担保されからである。しかも、収益が悪化し、借入資金を担保しなければならない状態に置いては、資産価値が劣化している場合が多い。それが資金上、色々な不都合を生じさせるのである。

 資産とは貸方に位置する勘定である。
 資金の流れる方向は、消費と投資、貯蓄である。貯蓄は、間接的投資だとも言える。故に、基本的に資金は、消費と投資に流れる。
 この様な資金の流れが長期資金と短期資金の違いを生じさせる。

 資産とは、物と債権からなる。負債の価値は固定的であり、表面に表れた価値と原則的に一致いているのに対し、資産の価値は、固定的ではなく、表示されている価値と一致していない物が多い。資産価値は変動的で流動的である。資産価値は、名目的価値と実質的な価値が乖離していて、名目的な働きと実質的な働きの差によって前提条件の変化に従って肯定的作用と否定的な作用、積極的作用と消極的作用、正と負の働きをする。
 資産は、基本的に物としての実体を持ち、通常、正の作用、即ち、現金化の働きがある。 

 資産は、ある意味で貨幣が流れた残像である。信用乗数と言っても貨幣が流れた残像に過ぎない。重要なのは、実際の貨幣の流量である。

 資産、即ち、債権を構成する要素には、使用価値と交換価値がある。交換価値は、流動性の問題である。
 不良債権問題を考える場合、資産、債権の質が劣化したことが原因なのか、それとも、流動性が悪化したことが原因なのかを見極める必要がある。
 例えば、不動産を例にとると問題となっている土地、資産価値が低下した土地の利用価値や使用価値が低下したのか、それとも、土地が売れなくなったのが原因なのか、その点が重要なのである。
 また、不良債権と言うが、本当に不良債権の問題なのか、実際は、不良債務の問題なのかも明らかにしなければならない。債権の対極には、債務があるのであり、債権と債務は一組で考える必要がある。資産価値が下落した、不良債権を安直に処分すると裏付けのない債務、借金だけが取り残される例も生じる。
 又、使用価値のある資産、稼働中の資産でありながら、交換価値が低下している資産もある。その様な資産を流動性がないという理由だけで処分させるのは、角を撓めて牛を殺すような行為である。
 不動産や設備のような固定資産は、長期的な均衡を前提とした資産であり、表裏をなす債務との関係で評価すべき対象なのである。それを短期的な価格の変動によって判断すれば、破綻するのは必定である。
 更に、問題の本質はフローにあるのか、ストックにあるのも重要なことである。
 不況期には、資産価値も収益も悪化する。業績が悪化した場合でも、それが、ストック部分に原因があるのか、フロー部分に原因があるのかによって対策も違ってくる。
 その場合、資産価値は、一時的な低下なのか、長期的な下落なのかを見極めないで、資産価値が下落したと言うだけの理由で借入金の元本の返済を迫れば、事業の継続に支障がでることになる。最悪の場合倒産する。その様な行為は犯罪に近い。
 また、収益に影響を与えるような性格の下落なのか、収益に関係ない部分での下落なのかを明らかにする必要がある。
 収益が悪化したとしても、収益が悪化した原因を把握しなければ、対策のたてようがないのである。

 現在、家を建てようとすると、大工と建築資材、建築費の三つが必要となる。考えてみると、この三つの要素の中で大工と建築資材があれば、家を建てようと思えば建てられるのである。建築費は、絶対条件ではない。
 つまり、経済を実質的な部分で成り立たせているのは、人と物である。
 ところが現代は、「お金」がなければ家は建てられない。それが貨幣経済なのである。

 借方、貸方は、会計上均衡するような仕組みに設定されているのであり、現実に、等し

 期間損益と資金収支の関係は、何を前提としているかが重要な鍵を握っている。

 勘定は、資金と利益に対する働きによって性格付けられる。この点は資産も同じである。
いという保証はない。即ち、借方、貸方の均衡は見かけ上の均衡である。

 会計上の資産とは、資産に類別された勘定である。

 資産は、借方を正の位置とする勘定科目である。

 資産は、資産の領域では正の働きをし、資産の領域外では、負の働きをする。

 資産価値とは、取引が成立した時点に実現した価値と同等の価値があると仮定された価値である。

 資産には、物的要素、人的要素、貨幣的要素がある。

 財の残存価値を資産という。

 資産は、実質勘定である。資産は名目勘定ではない。

 実質勘定は、財としての何等かの実体を持つ。

資産の費用化



 償却には、資産の費用化、或いは、費用の資産化の二つの意味がある。
 資産を購入原価、購入価格で記録し、その上で、単位期間の費用に置換する操作である。

 資産の購入価格を元としてそれを単位期間に配分した値が減価償却費である。その値を導き出す方程式は任意である。

 減価償却という思想が確立されたのは、財の価値と貨幣価値が勘定を設定する上で未分化で資本や負債から独立していた証左である。
 つまり減価償却というのは、相手勘定として長期資金の返済が対応すべきなのである。

 減価償却費が日々の資金繰りに直接影響を与えることはない。

 実際的、実務的には、債権価値と債務価値が未分化である場合が多い。減価償却と借入金とは、連動している。しかし、同等同値ではない。それが貸借、損益の歪みの原因でもある。
 債権価値は、実質的価値であり、変動的価値である。債務価値は名目的価値で固定的価値である。

 債権は、即物的価値、即ち、財としての固有の価値を持っている。固有の価値とは、自己完結的価値であり、使用価値である。

 本来、資産は、資産価値、即ち、債権価値と債務価値、それに基づく資金計画の二つの働きから成り立っている。

 資産の費用化とは、価値の量化を意味する。

 償却は、想定された方程式に基づいて導き出される。

 資産は、金融資産、在庫資産、固定資産に分類される。更に、固定資産は、償却資産と非償却資産に分類される。
 又、貨幣資産と非貨幣資産とにも区分される。

 資産の評価には、仕入れ原価、製造原価、時価、清算原価、スクラップ、再購入価格等がある。

 事業は清算されるときにはじめて評価が定まるという宿命を負わされてしまった。

 現代経済では生産の効率化だけが問題とされている。しかし、本来、効率化とは、生産だけでなく、分配や消費の効率化も計られなければならない。そして、生産、分配、消費の相互牽制によって経済は、制御されるべきなのである。
 市場に求められる機能とは、単に、低価格を実現する事ではなく。生産と分配と消費とを均衡させることにある。

 大量生産主義は、生産の効率化を追求する事によって成立する。生産の効率化による大量生産は、大量販売、大量消費を前提としている。
 この様に偏った考え方は、経済的道徳の崩壊をもたらす。その現れが乱開発であり、環境破壊、環境汚染である。また、不景気やバブルと言った経済の不健全な状態である。

 経営実績は、内部事情だけで決まるわけではない。経営者の責任だけを問うたところで景気が改善されるわけではない。

 余剰利益は、長期資金の返済と準備金に充当されるべきなのである。本来、節税対策のために不必要な投資用資産や遊休資産に向けられるべきではない。利益が経営目的とは、無関係な資産に投資されるのは、税法に問題があるからである。長期債務の返済に充てられるべき資金に税がかかるから長期債務が累積されるのである。その為に、経営基盤が脆弱になるのである。

バブルと資産価値


 日本経済は、長期期間にわたってバブルの後遺症に苦しめられている。対応を誤れば、国家財政を破綻させ、経済に致命的な影響を与えかねない。

 我々がバブルという現象に適切に対処するためには、バブル現象の背景には、資産価値の乱高下がある。なぜ、資産価値は乱高下するのか。又、資産価値の乱高下が経済にどの様な影響を与えるのか、それを明らかにしておく必要がある。

 地価の高騰や暴落の原因が資産家の行動にあるわけではない。しかし、地価の高騰や暴落による責任は、資産家がとらされることになる。
 その原因は、第一に、地代、家賃に対する社会の認識、即ち、価値観にある。第二に、今一つは、物の貨幣価値、市場価値が物本来の働きと必ずしも一致していないと言う点にある。

 一般に不労所得を罪悪視する傾向は強い。また、経済の歪みの発生する原因の一つが不労所得に依ることは事実である。地代、家賃というのは、この不労所得の典型と見なされているからである。
 しかし、資産は、地代、家賃の原資と言うだけでなく。生活の場としての働きがあることを忘れてはならない。土地や家作を第三者に貸して収入得るという目的だけでなく、自分の生活のために供するという働きが資産にはある。又、資産は、生産手段という側面も持つ。
 いくら地価が高騰しても売ることができない。また、売買を目的として資産を所有している訳ではない人が多くいる。そう言う人達にとって資産の高騰は、必ずしも良い影響をもたらすとは限らないのである。
 資産とは利用目的によって働きが全然違うのである。
 一部の社会主義思想には、生産手段の私有を罪悪視する傾向がある。しかし、法人、私的企業に対する認識、解釈の仕方の違い、即ち、経営主体に対する捉え方に違いから生じる思想的問題である。それを敷延化して資産の所有を罪悪視するのは行きすぎである。また、その様な極端な考え方は、経済活動を阻害する原因となる事は、歴史によって証明されている。
 純粋に地価や株価の高騰が経済に与える影響を明らかにして、その対策を講じることが肝要なのである。

 物の貨幣価値とは、今日の自由経済では市場価値を意味する。市場価値は、市場取引によって定まる。
 ただ、市場取引は、必ずしも経済的な効果や社会的必要性を反映しているとは限らない。なぜならば、市場取引の基準は、需要と供給にあるからである。
 それ故に、市場は規制されなければならないのである。その基盤が会計制度の文脈にある。

 経済の歪みを生じさせる一番の原因は、経済的効果と費用とが合致していないことなのである。そして、経済的効果は、収益に反映され費用は、その範囲内に収めることを原則として期間損益は成り立っている。この期間損益の範囲外から調達されている資金が長期資金で、長期資金の調達は、資産価値の範囲内に収まることを原則として会計の仕組みは構築されている。

 会計は、単位期間内の費用対効果を測定を目的としている。それは、費用対効果が適合しなくなると経済は制御ができなくなるという前提に基づく。
 それは、公共事業や財政問題の本質でもある事を忘れてはならない。
 即ち、社会資本の資産価値が明確にされていないことが財政問題の根底にある。また、公務員の所得の費用対効果が不明な点も充分に考慮する必要がある。問題なのは、市場経済における期間損益と財政における現金主義が制度的に不整合だという点にある。

 バブル現象で見落としてはならないのは、長期資金と短期資金の働きの違いである。長期資金と短期資金の働きの違い、構造的な問題がバブル現象の背後には隠されている。

 また、バブルを引き起こす原因の一つが、物の価値と金の価値の乖離現象でもある。物本来の働きによる価値と、貨幣価値が乖離することによって物が物としての経済的効用を発揮できなくなる。それがバブル現象で最大の問題なのである。例えば、地価の高騰によって住宅の取得価格が一般庶民の所得を上回り、住宅を購入することが不可能になったり、維持できなくなるといった事態である。そのことによって住宅が住宅本来の役割を果たせなくなる。
 バブルが発生すると一方で投機目的によって人が居住していない住宅が増える反面、本当に住宅を必要としている人が家を手に入れられなくなるという事が発生するのである。
 この様なことが経済本来の在り方を歪め、経済体制を根底から突き崩してしまう危険性があるのである。
 この様なことが、経済的効果と費用との不一致を意味している。

 土地や設備のような資産価値は、一時的に支出が発生する一方で、長期間にわたって効果を持続する。つまり、資金的には、一旦多額の資金を準備しなければならないのに対し、長期にわたって効用を発揮する。その為に、期間損益では、費用を単位間に按分する事を原則とする。ただし、それは、設備のような償却資産に限っている。不動産は含まれていない。その為に、不動産かかった費用は、借入か、資本によって一時的に賄い、税引き後の利益の中から返済に充てている。それでも、企業経営に支障をきたさないのは、地価の値上がりが見込めるからである。
 つまり、地価の値上がりが見込めなくなると返済資金の為の資金繰りが窮屈になる。
 地価のような長期資金の変動は、長期的傾向によって捉え、それを単位期間という単位期間内の費用対効果のどの様に反映するかを予め設定しておく必要がある。しかし、現在の金融機関は、その配慮に欠ける。それが廻り廻って金融機関自身の廻ってきて金融危機を引き起こすのである。

 この様に、バブルが原因で引き起こされる問題には、物の価値と貨幣価値が乖離し、物本来の経済的価値を発揮できなくなると言う点と、資産価値が下落することによって適切な費用対効果の測定ができなくなり、結果的に長期資金の働きを阻害するという二点がある。
 故に、バブルによる障害を防ぐためには、バブルが発生した時に、物の働きの範囲内に資産価値を抑える事と、バブルが崩壊したときは、長期、短期(収益)に与える影響を明確に区分し、それぞれの対策を立てる事の二点が重要なのである。

 バブル崩壊後、株や土地と言った資産価格が急速に低下した。その際、政府は、資産価値が下がった土地や株を不良債権とし、金融機関に圧力をかけて、売却処理をするように促した。その結果、更に土地や株は下落し、底なし沼のような状態に陥った。その弊害から20年近く立った今でも抜けきれないでいる。本当に価値の下がった資産は不良資産だったのであろうか。しかし、問題になったのは、借入金に対する担保価値の下落なのである。それが事実だとしたら、それは不良債権ではなく。不良債務である。
 不良債権処理を促すことによって不良債権の量を増やしてしまったのでは元も子もない。問題は適正な資産価値をいかに維持するかのはずなのである。
 その意味で、ただ価値が下がったから売却してしまえと言うのは乱暴である。その資産の適正な価値なのである。
 そうなると重要なのは、必要性である。経済において、本来価値を決定する要素は、何を、どの程度必要とするのかであるはずである。金にせよ、物にせよ、労働力にせよ、多すぎても、少なすぎても処理できなくなる。つまり、均衡が重要となるのである。


       

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