近代市場経済は、貨幣経済を下敷きにして成立している。市場経済が孕む問題の多くが貨幣経済に起因している。故に、市場経済を考えるにあたって、貨幣の特性について明らかにしておく必要がある。

 貨幣とは、経済的価値の尺度である。貨幣とは、市場価値を実体化したものである。貨幣とは、抽象的、観念的存在である。貨幣は、それ自体に価値があるのではなく、その価値を裏付ける実体や働きによって成立している。貨幣は、観念を対象化した物である。

 貨幣の働きは、第一に経済的価値の確定する事である。第二に、価値の普遍化・一般化する事である。
 貨幣の特性は、第一に、相対的変動的基準である事。第二に、定量的基準である事。第三に、保存ができる事。貯蓄が可能である事。第四に、運搬が可能である事。第五に、対象の経済的価値を一般化、普遍化する。第六に、自己増殖する事である。第七に、交換が可能である。第八に、貨幣価値は、国家、ないし、特定の経済ブロック固有の基準である。

 貨幣は、中央銀行の債務であり、国民の債権である。(「経済論戦の読み方」田中秀臣著 講談社現代新書)

 貨幣価値は、非線形的価値基準である。

 最近の傾向として、第一に、貨幣という実体が゛なくなり、情報化してきている。第二に、ボーダーレス化している。第三に、自己増殖する傾向が顕著になってきた。第五に通貨自身が、商品化し、価値を持ち始めている。
 相対的変動的基準である貨幣価値は、流動的である。経済的単位は、流動的で不安定である。

 貨幣が、物理的実体から乖離し、数値情報化している。そのために、貨幣の物理的特性が失われ、働きだけが、貨幣価値の実体を現す傾向が強まっている。貨幣の機能化である。

 貨幣は、分業を深化する。

 貨幣は、自己増殖をする。貨幣は、自己増殖することによって市場価値を増殖する。この属性は、貨幣固有の他の属性から派生した性格である。

 貨幣制度は、それ自体単独で存在するわけではない。貨幣的基準は、相対的な上に変動的な基準、尺度である。それが物理学的基準との決定的な差である。物理的基準は、相対的であるが、固定的な基準である。

 物理的単位と経済的単位は違う。尺度そのものが変動する。
 百年前の百メートルは、現代の百メートルは、同じでも、百年前の百円と現代の百円は違う。貨幣一単位は、金何グラムとするというような即物的、一意的に決められる性質のものではない。

 貨幣は、国家固有、ないし、特定の経済ブロック固有の基準である。このことを抜きに、貨幣の特性は語れない。また、為替制度や変動は、相対的変動的基準の特徴をよく現している。この属性は、貨幣の起源を如実に現している。つまり、貨幣というのは、人為的場に拘束されている基準だと言う事である。人為的場とは、人的空間に発生するものである。人為的空間は、契約によって成立する観念的空間である。故に、貨幣は、相対的、観念的基準なのである。

 貨幣制度によって市場は非対称化された。非対称化されたことによって市場は、物理的空間から解放されるのである。

 経済的価値は、一旦、貨幣空間に有形、無形を問わずそのものが持つ価値を写像、還元し、それから、その時点、時点の価値を、導き出すことによって確定する。つまり、その物が持つ価値を、貨幣価値にフィードバックすることによって経済的価値は、決まるのである。物理的価値のように一旦単位が、定まると一定の条件下では、一意的に対象の価値
が、定まるというのではない。

 このことは、貨幣自体に価値があるわけではない事を意味している。貨幣単独で価値の単位を形成しているわけではない。この様な単位は、全体量と対比によって決まる。貨幣単位は、経済の総量に比例的、相対的に決まる変動的基準である。

 しかし、経済量の総量を割り出したくても正確に測定する事は、不可能である。故に、市場が必要なのである。ところが、市場によって決められる価値は、市場に参加する者の思惑が働き、本来の実質的価値と実勢価格が乖離する傾向がある。市場価値の中には、希少価値がある。それは、希少だと言うだけで価値を持つ現象である。これは、需給バランスの乱れが価値を生み出している例証である。

 問題なのは、生産財の実質的価値と貨幣価値が等価ではないという事だ。言い換えれば、使用価値と交換価値が乖離しているという事である。

 経済価値の総量と通貨量(ストックとフローを含む)のバランスが価値の単位を決める。
その場合、フローよりもストックに問題が隠されている場合が多い。

 実質的な価値は、使用価値だが、貨幣が反映するのは、交換価値であり、交換価値の決定要因は、需給にある。

 経済的価値の総量と市場に流通する貨幣の総量とは、一致していない。しかも、金融商品の存在が、通貨の総量を嵩上げしている。

 貨幣の流れは、物流と逆方向の流れである。貨幣が流通することによって、逆方向の生産財の流れを生み出す。この双方向の流れが、経済の循環運動をもたらす。この循環運動を生み出すのが市場である。故に、貨幣の流通は、市場を経由して行われるのである。ここに市場の重要な働きがある。市場がなければ、貨幣の循環運動は生まれない。

 貨幣の循環運動の心臓部は、財政である。貨幣を供給するのは、中央銀行を核とした金融制度である。

 市場の生産財の価値を決めるのは、消費者である。市場ではない。市場の働きは、生産財を貨幣価値に還元することで価値を裁定し、需要と供給を調整することである。

 実物市場と貨幣市場は、本来、等価の価値を有する市場である。貨幣そのものが商品化される一方、埋没された価値、つまり、非貨幣資産の存在が実物市場と貨幣市場とを乖離させてしまっている。貨幣市場は、本来、実物市場を反映した市場、つまり、影であるべきなのに、影である貨幣が独立して、それ自体が価値を持ち、独自の市場を形成した事を意味する。このことによって影によって実体が、影響を受けるという本末の転倒した現象が引き起こされている。
 貨幣価値の総和と実物価値の総量の均衡点が一致しているのではない。このことが経済をきわめて不安定なものにしている。

 経済変動の原因を分析する際、ストック、即ち、資産の部分の膨張や収縮がフローに重大な影響を与えていることが見落とされがちである。見落とされると言うよりも因果関係が解明されずにいる。解明されても、解決策が解らない場合が多い。
 ストック、つまりは、資産の部分は、経済の土台あたる部分である。ここでの大きな変動は、経済現象を背後から揺さぶっている、いわば地殻変動である。

 いい例が財政赤字である。財政赤字は、ストックに問題がある場合が多いのである。財政も確かに、資金が回れば破綻は隠せる。
 埋没した経済的価値と、表に現れた経済価値がある。問題なのは、表に現れない埋没した経済的価値の中に負の価値が含まれていることである。この埋没した価値がストックなのである。

 貨幣制度が浸透すると、貨幣の持つ、特性や属性から副作用が発生する。その作用が、プラスに作用する場合とマイナスに作用する場合がある。いい例が、貨幣の保存性が、余剰価値の蓄積や累積をもたらし、財の不均衡を生み出すと言ったことである。

 貨幣は、富の集積を促す。貨幣の集積は、一方的な富の集積を促す。それは、貨幣が物理的特性から解放される過程で顕著に現れる。つまり、貨幣は観念的な富なのである。観念的だからこそ劣化する事がない。ただ、価値が相対的に変動するだけなのである。

 また、富の偏在は、資金の一方向への流れを生み出し、通貨の循環を阻害する。ストックの増大が、通貨のフローに予測できない現象を引き起こしたり、流量を圧迫したりするからである。

 また、貨幣を市場に供給するのは、国家である。市場に供給される通貨の総量を市場は、制御できない。貨幣を無原則に発行することは、貨幣の信任が失われる結果を招く。しかし、通貨の流量は、多分に国家の都合や政治的な影響を受けやすい。この事が、市場の安定にきわめて重大な影響を与えている。

 経済的価値は、通貨の流量に比例する。経済的価値の総量を規制することによって経済を制御する。そのために、税制度によって経済全体に網をかけておく必要があるのである。

 いずれにせよ、需給のみに基準を置いたら市場の規律は保たれない。この市場の歪みを是正する必要がある。それは、貨幣の流量を構造的に制御することである。そして、そのための機構を整備することにある。それが構造経済である。 

 市場の在り方は、相対的なものであり、一意的に決まるものではない。その時の経済情勢や状況、環境に応じて恣意的に、変動できなければ、その働きを発揮することができない。市場を放任し、放置しても、自動的に市場が軌道修正するという性格の物ではないのである。だから、市場に委ねれば全て解決されるというわけではない。

 肝心なのは、市場に求められている働きであり、それによって市場の在り方、構造も決まる。そして、それに基づいて、市場を設計し、構築するのである。市場は、自然の造形でなく、人工的な構築物であることを忘れてはならない。 


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