市場は、交易の場である。
  
 市場は、産業を網羅しているわけではない。経済構造の一部を支配しているにすぎない。市場は、産業と産業、生産者と消費者の接合部分に発生する場である。産業や生産者の中には、市場を介さないで直接、生産財やサービスを提供する産業がある。市場を介さないで直接サービスを提供する産業を非市場型産業という。非市場型産業の代表は、家計と財政である。非市場型産業の原型は、自給自足の共同体である。市場は、自給自足の共同体の限界点で派生する。

 国家にせよ、本来、社会基盤は、共同体に依拠している。故に、共同体の基礎となる家計や財政が、主体なのである。市場は、外部収入として内的生産に対する補助的なものであった。それが、市場経済、貨幣経済が発達したことによって、内的生産と外的収入の立場が入れ替わったのである。

 非市場型産業の規模は、市場型産業に比べても遜色ない。ただ、貨幣経済が浸透した社会では、貨幣に換算されない産業は、表面化しないのである。つまり、貨幣経済や市場経済に支配された世界では、貨幣や市場に現れない産業は、評価されないのである。しかし、評価されないだけでその働きは、存在している。評価されていないだけなのである。

 市場は、貨幣的場である、金融市場と人的場である労働市場と、物的場である商品市場の三つの場からなる。金融市場は、貨幣価値の調整、貨幣の流通と管理、信用システムと決済機構の働きがある。労働市場は、所得の分配が主たる働きである。商品市場は、物流や交易、サービスの提供が主たる働きである。また、金融市場は、財政と市場との交流の場でもある。労働市場は、非市場経済と市場経済、双方にまたがって共通の地盤を与えている。更に、商品市場は、一つの共通の場を持つのではなく、商品毎に独立した市場を形成する。そして、商品市場は、市場を成立させている個々の産業の特性を、濃厚に反映する場であり、産業の特性や歴史による固有の構造や形態がある。

 貨幣は、財政と金融市場を通じて市場に供給される。

 労働は、所得として貨幣に換算されて、労働市場を通じて家計へと分配される。貨幣は、商品市場を通じて、商品に変換する権利である。この権利は、保留し、蓄積できる。
 国民の総生産と総所得は、表裏を為す関係にある。ただし、総所得は、経済価値の総量を意味するのではない。市場に出回る経済所得の総量を意味するのであり、市場に出回らない、経済量は含まれていない。市場に出回らない価値は、非市場型産業が生み出す価値を意味するが、財政は、労働市場を通じて所得化されるために含まれる。現実に市場に出回れない価値とは、市場に放出されていない資産と家計を指す。

 市場では、個人は、自己の利益を追求する。自己の利益の根源は、各人の幸せ、満足である。つまり、市場は、個人の功利的理由によって動かされる場である。故に、市場の原理は、功利主義的なものである。また、近代的市場は、貨幣的価値によって動く。故に、市場の原動力は、功利主義的、金銭的動機である。これを、どう思うか。倫理的価値観で考えれば、市場の動きは読めない。それ故に、倫理観を重視する者にとって市場の動きは、不可思議であり、人によっては、許し難いものに見える。しかし、それは、物理学的法則でも同じである。いくら、地球が動く事が、倫理上、許し難い事であっても、視点によっては、地球は動いているのである。相対的ではあるが・・・。

 経済問題を検討する時、絶対的な基準で判断してはならない。倫理的基準、宗教的基準は、普遍的、絶対的基準である。倫理的基準を経済現象や自然現象に当てはめようとすれば、矛盾する。それは、二者択一的問題ではなく。異質、異次元の問題なのである。
 経済を分析する時、物理学的現象と同じレベルで分析する愚を犯してはならない。物理学的基準は、相対的固定的基準であるのに対し、経済学的基準は、相対的変動的基準だからである。

 物理学的尺度、長さでも重さでも一度基準を決めれば、世界どこへ行っても共通です。ところが、経済的尺度はそうはいかない。長さや重さは、単位を特定して百だと言えば、今も昔も、西でも東でも百だが、経済的尺度は、同じ百でも時間や場所が違えば違ってしまう。物理学属性がそのもの自体の属性であるのに対し、経済的属性は、そのもの自体が持つ属性ではないのである。それ故に、市場が必要なのである。

 市場は理性で動くわけではない。市場を動かす力の源は、むしろ、功利主義的なものである。市場には、市場心理のような力が働いている。この市場心理は、思惑や不合理な期待と言った個人的感性が下敷きになっている。

 市場は、理性的な話し合いの場というよりも闘争の場、ゲームやスポーツの場に近い。市場では、合理的な判断よりも、功利的判断の方が力を往々にして持つ。市場の動きは、経済的合理精神で説明するより、集団心理で説明した方が説得力が強い場合が多い。それは、市場を動かす力が心理的な力だからである。市場経済を考察する時、充分にこの点を留意しておく必要がある。

 この様な現象は、証券市場に典型的に現れる。株式相場は、企業業績や実体からかけ離れたところで形成され、その企業の実体で変えてしまう事すらあるのである。

 市場には、限界がある。生産財その物が持つ価値と市場価値とは、乖離している。その乖離を是正しようとする為に、市場は、制御装置、仕組みや構造が重要なのである。この様な、市場の限界を前提として経済構造は、設計されなければならない。


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