Since 2001.1.6
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.

Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano


 人間は、市場に対し冷たい。
 市場には、神が、宿っていて、市場は万能であり、市場に全てを委ねれば、全て解決してくれるという、市場万能主義、市場原理主義にせよ。諸悪の根元は、市場であり、市場には悪魔が潜んでいるという、市場否定派にせよ。いずれにせよ。結果的には、市場に冷淡になる。つまりは、何もしないか、全てを否定する。どっちにしても、人力の及ぶ処でなくなってしまう。

 特に、最近は、市場万能主義的な思想が、横行している。何でもかんでも、市場経済に委ねてしまえばいい。問題は解決する。民営化論争がその典型である。極端な話、警察も軍隊も民営化してしまえばいいと言わんばかりである。

 この様な暴論の背後には、市場を経済の全てだという錯覚がある。しかし、市場は、経済構造の一部にすぎない。しかし、重要な働きをもった一部である。だから、市場の働きや動きを無視して良いとは言わない。しかし、市場が全体だとも言わないのである。オール・オア・ナッシング的な発想を戒めるのである。
 そうかと思えば、一昔前は、規制、規制と市場はがんじがらめされた。酷い時は、左翼思想によって諸悪の根元は、市場にあると否定された。なにも、市場を否定したのは、共産主義者ばかりではない。多くの宗教家だって、全体主義者や共同体主義者だって否定している。

 市場がなぜ必要なのかというのは、経済的価値は、相対的かつ、変動的基準だと言う事である。絶対的で固定的基準が当てはまらない。故に、経済的価値基準は、絶えず、調整し続けなければならず。そのための場が、恒久的に必要とされているという点である。
 市場を否定するのは、この経済的価値の本質を見落としているからである。そして、だからこそ、市場に求められるのは、この働き、機能なのである。つまり、市場は機能的なのである。

 産業は、生産と消費の過程に生じる。故に、産業は、過程である。その過程の節目に市場は介在する。市場が介在しない産業を非市場型産業と言い、その典型が行政サービスである。しかし、それは、市場が介在しないだけで経済的本質は、同じである。
 過程は、構造によって支えられている。つまり、構造的に産業は維持されているのである。故に、産業は構造的存在である。

 市場は安定を好まない。産業は、安定を望んでいる。この関係は、機能と構造の関係から来る。市場は、働きが重要な要素であり、産業は、構造が重要な要素だからである。
 機能は、安定を望まない。構造は、安定を求める。なぜなら、機能は、働きであり、構造は、関係だからである。そのうえ、機能と構造は、補完的関係にある。相反しながら、お互いを必要としている関係が、機能と構造である。
 このことは、経済政策に重要な要素である。つまり、市場を重視する政策をとるか、産業を重視する政策をとるか、その方針によってとるべく施策は、百八十度違うものになるからである。
 また、市場は、現象に現れ、産業は、構造に現れる。市場を重視すれば、経済は、現象的なものに移り、産業を重視すれば、経済は、構造的なものに見える。しかし、経済の実相は、働きと関係の均衡の上に成り立っている。故に、大切なのは、バランスである。
 
 市場が、なぜ必要なのか。このことを考える時、重要なのは、市場の働きである。
 そして、市場の働きを知るためには、市場に働く法則を明らかにし、経済構造の中における市場の働きを分析し、その上で、市場の構造を明らかにして、それらに基づく市場の位置付けをする事なのである。
 市場の働きが解れば、市場を神のように崇めたり、悪魔のように怖れることはなくなる。市場一つの機構なのである。経済という仕組みの部品にすぎないのである。
 

A プロローグ