87、金融の働き


一番の問題は、金融機関の存在意義が問われているのに、その点に誰も気が付いていないという事です。
金融機関の働きの第一は、金融機関は、資金の過不足を融通して資金を市場に融通する事。第二に、金利によって時間価値を生み出し、資金の動きを促す事。第三に、金利によって付加価値を生み出して分配を実現する事です。
金融のこの三つの働きを基礎として自由市場は成り立っているのです。金融機関の存在意義は、この三つの働きにあり。また、この三つの働きを否定したら、自由市場そのものが成り立たなくなります。この点を学者も為政者も理解していない。だから金融を、金利を軽視できるのです。
ゼロ金利は、金融の三つの働きを否定する事です。つまり、市場経済、貨幣経済を否定する事です。そして、利鞘が収益の基盤である金融機関の存立をも否定してしまう。しかし、金融の三つの働きは、市場経済の基盤です。
金融の三つの働きを否定されたら、金融機関は単なる金貸しに堕してしまいます。要は、金融機関を金貸し業程度にしか、為政者も政治家も考えていない証拠です。
いずれにせよ、ゼロ金利と言うのは、金融機関に携わる者にとって屈辱以外の何ものでもないのです。
ゼロ金利にしなければならない環境を作ったというのがそもそも間違いなのです。

現在の経済の諸問題の根本にあるのは、金融が機能しなくなったことで、実物市場に資金が流れなくなっている事です。

経済は、均衡によって維持されています。水平的均衡、垂直的均衡、部門間の均衡、そして、時間的均衡、この四つの働きが四次元の空間を形成します。
市場経済を動かしているのは、部門間の資金の過不足によります。基本的に家計部門と民間法人部門の短期的では、交互に資金不足部門と余剰部門とを入れ替わらせるようにします。
通常は、財政部門は、中立的、即ち、均衡した上に置かれるようにし、資金を供給する時に財政部門を資金不足部門とするよう調節し。財政部門は、期間損益(プライマリーバランス)を視座に入れて運用します。
そして、金融部門は、裏方として中立的立場を維持するように制御し。金融部門が資金余剰部門、資金不足部門として表面に現れるようでは資金繰りが上手くいっていない事になります。財政と金融は、表裏一体となって資金循環の中枢として機能するようにします。
海外部門は、国際分業の観点に立って経常収支と資本収支が均衡するように調節する。海外部門は、水平的均衡を保つ部門でもあります。
絶対に赤字は悪いと決めつけるのではなく。資金と損益の関係をよく見て判断するように心がけるべきでなのです。

今の経済学者や政治家の悪いところは、経済の現場、現実を見ない事です。
バブルの時もバブルが崩壊した時も現場の経営者の意見を聞こうともしなかった。
今の財政は、不良債権を抱えながら収益を上げる事でなんとか財務内容をよくしようと悪戦苦闘している企業と何ら変わりません。
裏に深刻な債務があるのに、非生産部門や無駄な投資が多い。年金や社会保険破綻、いわば退職金倒産が囁かれている企業だというのに、福利厚生への支出だのが多い。やたらに働く者の権利ばかりを重視する。今、日本は労働不足で困っているというのにです。
本来、民間企業では、このような事態になれば、リストラをし、不要な遊休資産を処分して経営の実質をよくしようとするものですが、我が国の為政者は、臭いものには蓋をしろで、現実から目を背けているようにしか見えません。
自分の地位を守るために、あえて困難な問題に挑もうともしない。
本当にこの国をよくしたいのか。この国のために命を懸けられるのか。私は、そう問いかけたい。

テーブルの上をいくら綺麗に見せかけてもテーブルの下に食べかすを捨てているようなものです。表面ばかり取り繕っても裏へ廻れば腐りきっている。帳尻ばかり併せても根本問題を放置していたら物事は悪化するだけです。

バブルの時と現在は似ています。第一に、市場が飽和状態で収益力の低下している。
第二に、為替の変動が経済を揺るがす原因となっている。第三に低金利です。第四に、原油価格の高騰。第五に貿易摩擦の激化。これらは経済の波乱の前兆です。
バブル時の前提条件、第一に、高度成長の終焉。第二、ニクソンショックよって円高基調がつられプラザ合意で加速された。第三に、二度のオイルショックでコストが増大した。第四に、ブラックマンデーで金融引き締めが出来なかった。

ただ、バブルの時と決定的な違いは、国だけでなく日本銀行も巨額な債務を抱え込んでいるという事と金融機関の預貸率が著しく悪い。そして、人口の減少です。
次にバブルの時と同じ過ちを繰り返せば取り返しがつかない。亡国的な行為ですが、結局それだけではとどまらないで世界経済を巻き込み戦争の道を拓きかねない。

バブル潰しとは言えど、均衡が破れる程の水準に至っているのに資産暴落を食い止める政策がとられなかった事が大きい。
資産収縮が始まった時、確かに、表面だって不良債権を問題とされた企業もありましたが、水面下で不良債権化した資産をどうしようもなく抱え込んだ企業が大多数だったのです。だからこそ外部資金調達が細り、それが金融機関を直撃したし、財政にも悪影響を及ぼしたのです。

人は、経済的災害を自然災害の様には見てくれない。飛行機事故だってパイロットの責任に全てを負わせない。なのに、経済が破綻すると全ての責任を経営者に帰そうとする。それでは、経済的災害も事故も未然には、防げない。

津波のように押し寄せて瞬く間の内に経済の根底を突き崩していった。一つひとつは、小さな債務が寄り集まって大きなうねりになったのである。根本にあるのは、驕りと思い上がりと傲慢。
環境の急激な変化の中で多くの金融マンは、呻吟し、のたうち、方向性を見失った。それを金融マン一人ひとりの責任に帰すのは酷です。そして、金融マンの誇りだけは捨てさせてはならない。

バブル崩壊後に起こった事をどの様に総括していくのか。山一、東芝、パナソニック、オリンパス。個々の企業や銀行に起こった事をつぶさに見ても物事の本質は見えてきません。しかし、その背後にあるのは、急激な資産の膨張とその後に起こった資産の収縮です。この原因を解明しない限り、個々の組織の問題や個人の問題を取り上げても根本的な対策を立てる事はできません。
ほぼ全ての企業が急激な資産収縮によって資金調達力が低下したのです。そして、一時避難的にとった施策が、結局、恒久的な事になり、不良債権へと変質していった。
その過程で不良債権に係った人間は、そのほとんどが破滅していたのです。
その為に、今に至るまで真実を語ろうとせず、見て見ぬ振りをしてきた。それがいよいよ抜き差しならないところにまで行きつつある。
何が怖いかと言うと現在の財政は、かつての山一の飛ばしのように問題を先送りにし、不良債権化しているという事です。
困った事にいくら収益を改善しても根本的な問題に向かい合わないといつか破裂してしまうという事です。
なぜ、資産膨張が発生し、なぜ、資産収縮が起こったのか。そして、資産膨張と資産収縮が経済にどのような影響を及ぼしたのか。そして、将来にどの様な禍根を残したのか。この点を解明する以外にはありません。

収益が悪化したら不採算部門や債務を切り離ししかありません。東芝の際も収益部門である東芝メモリーを売却する事で財務の健全性を確保したのです。
債務を付け替えるしかないように思えます。その上で、同時に優良な貸付先を生み出す事です。その根本的な部分は、高齢化と少子化です。高齢化や少子化に合わせて量から質への経済へと転換させる事です。その為には、商業、小売りと言って伝統的な産業が適正な収益があげられるように規制していく事です。そうする事で地域の中小金融機関の息を吹き返さす。

多くの人は、変化に目を奪われますが、経済の趨勢を決めるのは、縁の下の力持ち、水面下で経済の基礎的部分を支えている産業です。今の日本は、土台から腐ってきています。だから、高齢者の生きる場所がない。
メガバンクは、高齢者の市場を掘り起こして長期的な安定を築く事です。
その為には、年金と医療保険の民営化が下地となる。
基礎構造の根本的な問題であり、その根っこには、ストックとフローの関係が隠されています。この問題を解決しなければいくらフローで帳尻を合わせても病巣が切除されていなければ再発します。ストックとフローの関係、枠組みを変えない限り、問題は解決できません。
要は、国の債務を民間に付け替えるしかないのです。
その手段として増税、インフレーション、歳出の削減がありますがいずれもフローの問題です。残されているのは、直接的に財政の債務を民間に付け替えるしかない。究極的な手段です。

経済は、生活空間を作る事です。生活空間の経済なんて欺瞞です。今の経済に対する議論には、生活感がない。要するに現実感がないのです。高齢者問題でも「お金」や物の問題が優先していて人の問題が疎かにされている。どんな施設にするか、どんな制度にするかばかりが議論されていてどんな人生を送るべきか、いかに、老後の人生を充実したものにするかが忘れられている。

国民国家の根本は国民です。国をよくするという事は、国民一人ひとりの生活、そして、人生をより良いものにすることです。その根本的な議論を忘れたら虚しい。
パンのために生きているのではない。生きる為にパンが必要なのです。
「お金」のために生きているのではありません。生きる為に「お金」が必要なのです。
猫に小判、豚に真珠と言いますが、猫は小判のために仲間を殺したりはしない。豚は、真珠のために仲間と争ったりはしない。ならば、人と猫、人と豚、いずれの方が小判や真珠の真の価値を知っていると言えるでしょう。

人としての本義は、世のため人のために働く事です。
この国を何が何でも守り抜くそれだけです。



       

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