72、経済の基盤は費用にある



現代社会では、金儲けばかりを重視し、「お金」の使い方は、いい加減とは言わないまでも軽視しがちである。経済を活性化するためには、何でもかんでも金を使えばいいと思っている節がある。そのくせ、なにかというと経費削減である。費用というのは無駄使いで、「お金」を使うの罪悪であるかのごとく言われてしまう。
「お金」は、使わなければ効力を発揮しない。「お金」は、市場に流通することで効力を発揮するのである。ただ、「お金」を貯め込んだけでは、「お金」は、何の役にも立たないのである。金融機関に預ければ別であるが…。いずれにしても「お金」は使わなければ働かない。

お金の働きは、「お金」の出入りによって発揮される。「お金」は使わなければ効力を発揮しないのである。

その国の経済は、何に、どのくらい、どの様、いつ支出するかで決まる。
今の経済学者は、「お金」をただ使えばいいと思っている節がある。
何に「お金」を使うかで経済の在り様は違ってくる。
「お金」を何に使えばいいか、そこが問題なのである。

何に「お金」を使うのか。何に「お金」の使い道を集中させるのかは、産業政策の根幹である。

経済は、支出によって成り立っている。
支出の働きは、費用にとして示される。
収益には明細はないが費用には、明細が示される。
それだけ、「お金」は、何に、いつ、どれくらい、どの様に使われたかが重要なのである。なのに、経済学でも経営学でも儲け方ばかり問題にされて使い方は問題にされない。しかし、一番肝心なのは、「お金」の使い道なのである。

経済は費用によって決まると言っても過言ではない。

費用の問題は、一企業の問題にとどまらず。経済全体に影響する事なのである。

中でも「お金」を何に対して使うかが問題となる。

何に対してお金を使うように誘導するのか。それによって経済の在り様は変わってくる。
機械に対してお金を使う様にするのか、人に対してお金を使わせるのか、サービスに対してお金を使うようにするのか。工業製品にお金を使わせるか。それがその国の経済の在り様をきめる。
経済の在り様は、何もせず放っておけばできる様な事ではない。

市場も会社も国も仕組みなのである。
会社は組織なのである。

また、我々は、進化を追求する事を目的とするのか、安定を求めるべきかも明確にしなければならない。
今日の経済の混乱は、政策の誤謬と消費者不在の生産者側に偏った政策によるのである。

成長や進歩のみを追い求める経済でいいのか。
成熟した経済下では、成長より安定を求めるべきではないのか。

生産性ばかり追求し、必要性に基づかない経済、必要性をあえて無視した経済が今日の経済である。
それがあらゆる分野で過剰なものを生み出している。そしてその結果、無駄遣いを奨励しているのである。
満腹してもまだ満ち足りない。

仮に、進化を前提とした経済政策をとるにしても進化の正しい意味を知る必要がある。
経済成長は、付加価値の拡大による。
持続的に経済成長を維持するためには、付加価値をひたすら拡大し続ける必要がある。

持続的な経済成長を前提とすると言いながら、採用されている政策は、付加価値を圧縮させる政策である。錯誤しているのである。

収益は、不確かな事であり、計画が立てられない。故に、予測するしかない。不確かな事に基づいて確かな事を計画しなければならない。それが経営状態を不安定にするのである。
何が不確実なのか、それは、収益は買い手があって決まる事であり、買う買わないの決定権は買い手の側にあるからである。
つまり、収益を決めるのは外部要因なのである。

収益を決定づける要因は、市場にある。経営にとって一番根幹にあたる収益が不確かなのである。それが経済を不確かな事にする最大の原因である。

継続的な成長を前提としたら絶え間ない技術革新と継続的な新規投資を前提としなければならない。
つまり、拡大成長している分野でしか適正な利益が上げられなくなる。
常に、競争をし、技術革新をしている産業以外に成長の可能性がなくなるからである。
技術が成熟し、新規投資が望めない産業は、成熟しているというだけの理由で衰退せざるをえないのである。

収益は、外的要因としては、市場の規模、市場の状態、市場の段階などの影響を受ける。
市場の状態とは、競争的な市場化、寡占独占的な市場か。市場の段階は、成長段階か成熟段階かなどを言う。
内的要因には、資金力、開発、人材、シェア、財務体質、組織構造、販売体制などである。

収益は、費用に比べて不確実で変動が激しい。
また収益の性格には、余り差がないように考えがちだが、産業の構造によって収益にも違いが生じる。この様な差は主として費用の性格に左右される。

収益の性格は、産業毎に違う。商業と工業では違うし、農業、漁業のような生鮮食料を扱う産業、林業や鉱工業の様に原材料に係る産業と工業も違う。また、生産方式や工程によっても違う。
工業にも、受注産業、組み立て工業、装置産業でも収益の性格は違ってくる。装置産業と連産品産業とでは違ってくる。
また、成長段階期にある産業か、成熟段階にある産業化によっても違ってくる。
判断を誤れば産業全体を狂わせ構造不況業種のような状態に追いやってしまう。
この様な産業の特性を無視して一律の金融政策や財政政策によって景気を制御しようというのは乱暴な話である。また、規制を緩和し、競争さえさせておけば、自然に調和した状態になるというのも一種の信仰の類に過ぎない。市場も産業の特性や商品の特性によって個々独自の構造を持っているのである。

現代社会はなんでも過剰に生産し、市場を物に溢れさせていればいいという思想に支配されている。それが乱開発や乱獲、環境破壊といった問題を引き起こしている。必要性という思想が欠如しているのである。その結果、過剰設備、過剰負債、過剰生産、過剰雇用といった余剰な部分をどう処理するかそれが深刻なのである。
大漁貧乏という言葉があるように余剰な生産は、不足しているのとは違った意味で問題なのである。

付加価値の意味するところは、金利、利益、地代家賃、配当、人件費、減価償却費、租税である。利益、金利、地代家賃、配当は時間価値を形成し、人件費は所得を減価償却費は設備投資を租税は公共事業、公共投資を背景としている。
物価の上昇人件費の上昇も時間価値を形成する。

では付加価値を増やせば景気は好転するかというとそうとばかりは言えない。
付加価値を構成する何に資金を供給するか、即ち、「お金」を使うかによっても違いが生じる。
人に「お金」を使うか、機械・設備に「お金」を使うか。

総所得は、バブル崩壊後1990年初頭から横這い状態である。
全体が変化しなくなったら占有率の変化の働きが大きくなる。
要するに、何に対してどれくらい使ったか。経済の本質は分配であるから、全体の伸びは、物と人と金が調和していれば、総量の増加を意味していて、全体の伸びがなければ、配分が一番の問題となるのである。

公共投資も前提条件によって効果が変わってくる。
インフラが未整備な時代は、公共投資が大きな効果を発揮するが、インフラが整備された後は、公共投資は、それ程、浸透しなくなるし、波及効果も期待できなくなる。

所得の拡大を図るためには、人件費を伸ばさなければならない。しかし、現在の経済政策は、人への投資を圧縮させ機械への投資を促すものである。それでは、いくら付加価値が拡大しても支出は拡大しない。
機械化や合理化は、利益や減価償却費を増やす事で付加価値を拡大するかもしれないが、それは見せかけの成長でしかない。
経費は削減できたとしても雇用には何ら貢献していないどころか失業を増やし、所得を圧迫しているのである。
費用の働きを正しく見極める必要がある。

現代の経済では、費用は、厄介者、悪もの扱いで、費用は無駄だからと、ひたすら、削減すればいいと考えられている。
それは、費用が果たしている経済的働きを全面否定しているような事である。費用には、費用の効能があるのである。
費用こそ、経済の要である。確かに、無駄な費用もあるが、不可欠な費用もある。最たるものは、保安や環境保護、安全、衛生、資源保護などの費用である。利益のためにとこれらの費用を削減すれば、事故や、公害、資源の枯渇、水害や火災などの災害を引き起こす原因となる。
また、めったやたらと人件費を削減すれば、雇用問題を引き起こすし、総所得の減少の原因ともなる。
AI、IT、ロボット化、無人化がはやっている。人はで費用がかかる。一番の費用は、人件費だと費用を目の仇にするが。何でもかんでも、機械化、ロボット化して、競争力を高めればいいというのは、かえって経済の衰弱を招く。

手間暇という言葉があるが、手間暇かけるから意味がある事を忘れてはならない。全てをインターネットで直接的に取引してしまうと、かえって不経済な事になる事がある。手間暇をかけたり、費用をかける事はすべて無駄だからと手間暇や費用を省いてしまうと経済が成り立たなくなることもあるのである。

「お金」を使うのが悪いわけではない。肝心なのは、「お金」の使い道である。「お金」の使い道を誤るから、経済が歪んでしまうのである。
「お金」の使い道でまず考えなければならないのが投資である。投資は、金額が大きく、長期間にわたって資金が拘束される性格がある。資金が拘束されている間効力が発揮できるかどうかが問題になるのである。
次にいえるのは、人に対する「お金」の使い方である。どの部分を機械化し、どの部分を人力がになうのか。それが経済の趨勢を決めるのである。

結局、最終的に求められるのは、「お金」の儲け方ではなくて使い道なのである。



       

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