69、貧困とは何か。


貧しさとは何か、それは経済の本質的問題である。
貧しさを解明する事は、経済を解明する事でもある。

貧しさの基準の裏側に、豊かさとは何かという問いが隠されている。
そして、豊かさこそ経済が本来追求する基準なのである。

貧困とは何か。なぜ、貧困が生じるのか。なぜ貧しくなるのか。それは、豊かになる事と裏腹の事である。
豊になるというのはどういうことか。
金持ちになる事と、豊かになる事は同じことなのだろうか。

かつて、バブルの時代、自分の周りには、資産家の貧乏人がいくらでもいた。
資産家と金持ちとは同じ意味ではないのだろうか。

世界的な金持ちが最貧国と言われる国にいたりもする。逆に、豊かだと言われる国にも貧困問題はある。それは、経済の本質が分配であり、貧困というのは、相対的な事だという事を意味している。

貧しさの基準とは何か。貧困問題、貧困問題と、経済問題で貧困を一番に取り上げる人が多いわりに、改まって貧困とは何かという事を問われたら、明確に答えられる人は少ない。貧困の定義そのものが、曖昧なのである。

金持ちとは何か。
資産家と金持ちは、違う。バブルの時代、資産家の貧乏人はいくらでもいた。つまり、資産価値が上昇して資産家にはなったが、所得が少なく、資産を売る事もできない。だから、資産家になった途端生活が苦しくなる。そんな資産家の貧乏人もいたのである。
しかも、相続税が払えなくて何もかも没収されたり、自殺したり踏んだり蹴ったりである。こうなると資産家になるのも考えものである。

逆に、収入は沢山あるのに、資産を全然持たない者もいる。所得は沢山あっても、貸家に住んで、借金だらけという人も中にいる。

豊かさの基準は、必ずしも金持ちだとは限らない。
生活水準の問題がある。
物価が高ければ、いくら他国より所得が高くても豊かさは実感できない。

金持ちという言葉が、金満家という言葉が象徴するように豊かさを「お金」の問題だと思い違いしてしまっている。
それが経済の本質を見誤らせているのである。

本来、豊かさというのは、「お金」とは関係ない事である。いくら「お金」があってもかつての共産主義国のように市場がなかったり、市場が機能してなければ、使い道がない。宝の持ち腐れである。また、いくら買いたくても市場に出回っていなければ、お金は何の価値もない。
交換する仕組みや交換する物があって「お金」は、「お金」として機能する事ができる。配給制度のように交換が制限されていたり、必要とする時に、交換できなければ、「お金」は貯める意味がない。

この様な社会では、金持ちだからと言って豊にはなれない。豊というのならば、必要とする物が必要な時、必要なだけ手に入る状態を言う。

豊かさの基準は、故に、物にある。つまり生活水準である。
確かに、全員が貧しいという状況は豊かとはいえない。しかし、いくら所得が高くても、それ以上に、物価が異常に高ければ豊かとはいえない。

極端に貧しい人たちがいる国こそ、極端な金持ちが出現する可能性がある。
極端な格差が貧困を生むのか。貧困によって格差が生まれるのか。いずれにしても富の配分に欠陥があるから貧困層が生まれるのは明白である。

貧困というのは、社会的生産の配分が少ない事に起因する。分配の仕組みに貧困の原因は隠されている。
先ず、社会的な生産力がなければ豊かになれない。また、生産物の配分が偏っていたら、貧困はなくならない。
お金は、分配のための手段だという事を忘れてはならない。

分配の仕組みが正常に機能しているかどうかは、貧しさ基準、裏返すと豊かさの基準となる。
それは、生産財をいかに配分するかの問題であり、貨幣的な現象ではない。目先の貨幣的な現象に目を奪われると配分の仕組みが見えなくなる。「お金」は配分のための手段に過ぎないのである。

経済には、いくつかの景気の波がある。その波には、各々に波を構成する要因がある。景気の変動は、多分に構造的な事である。
そして、この景気の波をいかに制御するかが、経済政策の要諦なのである。

例えば住宅のような30年、40年、事情によっては半永久的な寿命を持つ財もあれば生鮮食品の様に日々消費されていく財もある。
また、技術革新が激しい財もあれば、全く変化のない財もある。

なぜならば、経済は、本来分配の問題だからであり、いくら、利益を上げても実質的な裏付けがなければ、経済の実体に影響を及ぼさないからである。
経済の実質は、費用と資産にある。収益、負債、資本は名目的な事象なのである。
いくらレバレッジを上げて資金を調達しても運用において実体が伴わなければ、実物経済には変わらない。
費用と借金をいかに制御するかが、経済政策の鍵を握っている。

いくら金融機関が利益を上げても、実物経済の停滞は防げない。


単純に経費を削減すれば景気が良くなると考えるのは、短絡的すぎる。


技術革新が期待できないが、生活にとって必需品である産業の収益をいかに確保するかが重要なのである。






       

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