47、お金


お金というと、何か多分にいかがわしさが漂う。
人生お金ではないよとか、お金は汚いとか、愛は金では買えないととか言われ。
お金には余りいい印象が持たれてはいない。
しかし、それは多分に人間の意識の問題である。

その証拠に、お金は汚いとか、人間を堕落させると言われる一方でお金は大事だとか、お金があれば何でもできるなんても言われる。
お金も蔑まれたり、崇拝されたりで、たまったものではない。

お金を産み出したのは、人の意識である。
そして、人間の意志がお金の働きを定め、効用を持たせているのである。
当然、お金の持つ弊害も人の意識が作り出したものである。

意識の問題であると同時に、お金の持つ性格にも由来する。

お金には、いかがわしさがつきまとうがそれはお金が悪いわけではない。お金の働きや性格に由来する。
第一に匿名性。第二に、貯蓄性。第三に、公平性である。

お金の性格、例えば匿名性は、お金の利便性を代表する性格であるが、同時に、災いの本でもある。お金は人を選ばないし、調達元や調達手段も問わない。これらの性格はお金の持つ利点でもある。
お金持ちであるか、否かと、人格や人間性は無縁である。
言い換えると、お金とモラルとは次元を異にしている。

性格の悪い人間や不道徳な人間でも金持ちになる事はできる。
むしろ、性格が悪かったり、道徳的でない人間の方が金儲けには適しているかもしれない。
相手の置かれている状態や相手に対する勘定などお構いなしにビジネスに徹する事ができれば、人情に脆い者よりも金を儲けられるかもしれない。金儲けに人格など関係ないのである。

又、お金は、どのような手段でお金を調達したかは問わない。お金は使う段になると公平なのである。
金をもらう方にしてみればきちんと支払をしてくれればいい。よくお金には色がついていないと言われるのは、そういう理由である。
盗んだ金であろうと、だまし取った金であろうと金は金なのである。

しかし、それだってお金に責任があるわけではない。お金を管理する人間に問題があるだけである。

だからこそ、逆に人間性が問われるのである。

お金をいかがわしい者にしているのは人間である。

お金がいかがわしくなるのは、お金が本来の目的で使用されていないからである。

経済をよくするために生きているわけではない。生きるために経済をよくするのである。
お金を儲けるために生きているわけではなく。生きるために金もうけをしている。
その点が曖昧になると、お金はいかがわしいものになる。
金のために、親や子を売り払い、自分の人生さえ売ってしまう。
お金のために生きる事が淫猥な事に堕してしまうからである。

生産効率だけが経済の指標ではない。
経済には無駄も必要である。なぜならば、経済は、分配を目的としているからである。
生産効率というのは、人的投資から設備投資へ移行する事を意味している場合が多い。これは、労働を軽視することに通じている。設備投資への移行は雇用を増やすどころか減らす効果があるからである。
支出には、生産や消費に向けた支出と金融に関連した支出がある。そして、生産や消費に向けられる支出は、所得に反映される。金融に関連した、支出は、費用に反映される。
単に支出を費用という観点からのみ見ると生産の合理化は、経済効率を高めるように見える。しかし、支出の対極に所得がある事を考えると分配という経済の根幹となる働きから見て逆の働きをしている事になる。
問題になるのは、生産や支出に対する支出と金融に対する支出と配分である。





       

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