39、エントロピー



経済は、エントロピーの問題である。



経済的事象は、熱力学的現象や統計力学的現象に似ている。
要は、エントロピーの問題である。

カルノーサイクル、ボルツマンの関係式に鍵が隠されているのかもしれない。

経済というのは、人工の産物であるという前提を忘れてはならない。
経済は人為的な差によって動かされている。
畑は、何も手入れもせずに放置すれば自然状態にすぐに戻っていく。
市場も同じである。何もせずに放置すれば無秩序な状態に戻る。

家は、建てた時が最善な状態である。建てた時から建物は、劣化して一定の年月で建て替えの時期を迎える。故に、建物には減価償却費が適用される。むろん、建物が劣化しないで減価償却費が定擁されない国もある。しかし、建物や設備は、建てた時からエントロピーが増大するのである。

それがエントロピーが増大するという事である。

閉じた系で不可逆的過程が生じると必ずエントロピーは増大する。
閉じた系における不可逆的過程は、エントロピーが増大するように進行する。

エントロピーは、時間の不可逆性と深く関わっている。

貨幣制度は閉じられた系であるのに対して、物流は、開かれた系である。
市場は、貨幣制度という閉じられた系と物という開かれた系が重なり合う事によって成り立っている。
但し、市場の基礎を構成しているのは、貨幣の仕組みである。
つまり、市場は、貨幣に対して閉じられている。

開かれた系によって可逆的な過程を導入しないと市場のエントロピーは増加するように進行する。

投資が一巡した時から、収益は減少していく。経済的事象が不可逆的である限りエントロピーは増大する。

ゼロ和均衡は、ゼロに収束する様に設定されている。
経済価値は、全体では一定である。

経済の骨格となるのは、水平的均衡と垂直的均衡である。
水平的均衡というのは、経済主体間の均衡である。
即ち、家計、民間企業、財政、経常収支は均衡する。
又、経常収支、資本収支は世界市場に置いては均衡する。つまり、プラス・マイナス・ゼロである。
また、経常収支を構成する要素(貿易収支、サービス収支、所得収支、経常移転収支、投資収支)も水平的に均衡している。
垂直的均衡というのは、個々の経済主体において経常収支と資本収支は、均衡する。

働きは、財政は現金の供給と回収、金融機関は、資金の循環を、経常収支は、市場の規模を、民間企業は、生産規模を家計は、所得と消費を画定している。

日常的な活動、生産や消費といった事は何も変わっていないのに、物価が急激に上がったり、下がったり、不況になったり、景気が良くなったりするのは、失業したりするのは、お金が原因である。
インフレーションもデフレーションも経済の問題は、貨幣経済下では貨幣の振る舞いによって引き起こされているのである。
お金が原因だから、現在の経済を動かす力には、必要性より、欲求、欲望の方が強く働いている。

経済を動かしているのは、現金の流れである。
市場経済の仕組みは、現金が流れる事で動くように設定されている。
故に、経済の仕組みを構成する個々の主体は、一定の現金を所有している事が前提となる。
即ち、現金残高を正の自然数に保つ事が前提となる。
また同時に個々の主体は放置すれば、常に、資金不足に陥るような仕組みになっている。故に、個々の主体は絶えず資金を調達し、供給しなければならない仕組みになっている。

経済的効果を計る指標は二つある。
一つは、現金主義による指標であり、もう一つは、期間損益主義による指標である。
どちらも収支を均衡させる事を目的としている。

現金主義は、実体的問題であるのに対し、期間損益は認識の問題である。
故に、現金の流れや残高は現実であるのに対し、利益は、想定上の結果である。

我々は、利益に騙されているのである。
市場を動かす原理は、従来教えられてきた事より、ずっと単純で、簡単な事である。

経済の問題を突き詰めていくと、現金の過不足をどう解消するかに要約されるのである。
資金の過不足はどの様にして生じるのか。資金の動きを制約するのは、資金の必要性、資金の運用、資金の調達手段である。
必要性は、必要資金を考えれば解る。必要資金は、第一に、運転資金、第二に、返済資金、第三に、新規投資資金、第四に、更新投資資金の四つがある。
調達手段には、第一に、収益的手段、第二に、負債的手段、第三に、資本的手段がある。資本的手段の中には、資産の売却と言った資産の資金化も含まれる。
支出的手段は、第一に、消費、第二に、借金の返済、第三に、投資、第四に、税などの公的支出、第五に、現預金である。

現金収支もゼロ和である。
収支は、長期的に見るとゼロに向かう。即ち、閉ざされた市場では、収支過程は、エントロピーが増大する方向に進行する。

資金は支出に制約を受ける。
故に、資金の過不足の調整は、支出を基礎として計画される必要がある。

現金は市場取引によって市場に流通する。
取引の基本は売り買いと貸し借りしかない。

売った物と受け取った金。買った物と支払った金。物と金は、同価値だけ逆方向に流れる。この流れが貨幣価値を確定する。

通貨の流れは、債権と債務を生じさせる。
何もしなければ、債権と債務は蓄積する。
債権債務の増減は、通貨の流れる方向と量によって決まる。
未決済の場合、通貨は、市場の方向に流れれば、債権と債務は、増加し、決済されて回収側に流れれば、債権と債務は減少する。

収支を平準化し資金不足を起こさないように仕組みを設定し、運用する事が可能となるように会計の仕組みは設定されていなければならない。
収支は市場全体の総和はゼロである。収支に残高が生じるのは、時間差と経済主体間の差による。

経済主体の多くは、慢性的に資金不足の状態に置かれている。故に、収入が途絶えるとすぐに経済的に破綻してしまう。

資金の過不足の要因は、現金残高を正の自然数に保つ事を前提として長期借入金の元本の返済と損益とを比較すると判る。

資金不足は、最初、返済資金不足、および、運転資金不足として現れる。運転資金不足は短期資金の不足であり、長期資金の元本の返済資金不足である。
故に、根本的資金不足は元本の返済資金を基礎として考えれば解る。

建物や機械・設備は、減価償却資産だが、土地、不動産は、非減価償却資産である。
非減価償却資産を借入で賄った場合、借入金の処理は、簿外で処理する以外にない。その原資は、利益処分の求める事になる。但し、利益処分においても借入金の元本の返済額は計上されない。それが内部留保の本性である。故に、内部留保として計上する事になる。借入金に依存せず資本に依ったとしても、資本比率は高くても、期間損益上には反映されない。
経済主体の働きの本質は、期間損益に求められる。経済を活性化させる為には、収益を向上させ、資金効率を高める以外似ないのである。

資金収支と利益の乖離を生じさせる原因の一つが非減価償却費の部分である。この部分は、費用計上されない上に、多くが借入金に依存している。又、含み益として借入金の担保となる。
但し、含み損益は、未実現損益であり、含み益は、状況が変われば含み損になり、不良債権を形成する。
不良債権は、不良債務であり、不良債務が名目的価値であるのに対し、不良債権は実質的価値である。この点も、企業経営を不安定にする要因である。

経常的収入だけに頼っていたら長期借入金の返済と期間収入との間に差が生じ、資金不足を引き起こす。
経常的収入以外に借入金による収入や資産の売却と言った資本的手段を講じないと資金不足を招き、経営的に破綻する。

長期借入金の返済資金は、収益的手段、資本的手段、負債的手段によって調達される。
資金調達は、資本的手段や負債的手段は、補助的手段であり、最終的には、収益的手段を主として賄われる事を前提としている。

収入の定収入化と借金が資金を平準化する為の代表的手段である。
定収入は、借入金の担保となる。
収入の手段は、報酬、賃料、金利、資産の売却、借金、贈与である。

長期借入金の元本の返済が大きいと経常的支出に対して経常的な収入が不足する。
そのまま計上すると利益に時間的な偏りが生じる。その為偏りを是正する為に投資資金を一定期間に按分し、費用に計上する事を容認した。それが減価償却という思想である。しかし、資金計画と償却の計算は、別である。
経常的収入だけに頼っていたら長期借入金の返済と期間収入との間に差が生じ、資金不足を引き起こす。
利益が計上できても資金不足になる場合が生じる。その様にして生じた資金不足の部分は収益的手段、資本的手段、負債的手段で補うのである。
収益的手段の指標の一つが利益である。

資金不足になると、経済は成り立たなくなり破産する。
資金不足を起こさない為には、資金の流れと働きを正確に認識する必要がある。
資金の過不足をどう調整するかの問題であり、資金が不足した時、どこから、どの様に、何時、補給するかが予め明らかにしておく必要があるのである。
その為には、資金の流れと資金の流れの働きを明らかにする必要がある。
資金の流れと資金の流れの働きを計測する為の指標が利益である。

経済的均衡とエントロピー



また、市場全体では経済主体の収支はゼロ和で均衡している。また、世界全体では経常収支と資本収支はゼロ和で均衡している。個々の主体の内部では経常収支と資本収支もゼロ和で均衡している。これが前提条件である。

もう一つの前提は、市場経済には、期間損益主義に基づく基準と現金主義に基づく基準の二つが存在する。

市場全体における経済価値の総量はゼロである。これをゼロ和均衡という。
ゼロ和均衡には、水平的均衡と垂直的均衡がある。
水平的均衡とは、経済主体間の均衡を意味し、垂直的均衡とは、収支取引と資本取引の均衡を意味する。

均衡には、時間的均衡と空間的均衡がある。
時間的均衡とは、単位期間の範囲内で均衡させる事を言い、空間的均衡とは、経済主体間で均衡させる事を言う。

ゼロ和均衡というのは、黒字の主体があれば、赤字の主体が生じるし、赤字の主体が生じれば、黒字の主体が生じる。全てを黒字にする事も赤字にする事も出来ない。
問題となるのは、どの主体をどの時点でどの程度黒字、或いは、赤字にするかであり、黒字と赤字を恒久的に一定とした場合、一方的に債権と債務が集積する事になる。
故に、一定の振幅で振動しないかぎり、格差は拡大する。

損益主義による取引は、売り買いと貸し借りの二つの作用である。
売買取引と貸借取引の基本的違いは、所有権による。
貸し借りにも物の貸し借りとお金による貸し借りがある。
所有権の転移が伴う取引は、売買取引であり、所有権の転移を貸借取引である。
所有権の転移が伴う取引、即ち、売買取引は資産を形成する。
売買取引が有利か、貸借取引が有利かは、資本所得が有利か、勤労所得の方が有利かによる。つまり、借りた方が得か、買った方が得かである。
買った方が得だと思えば、買うし、借りた方が得だと思えば借りる。それはフローが生み出す所得の方をストックが生み出す所得の方が上回れば買うし、逆ならば借りる。

これは資産と負債、資本、収益の基本的な関係、力関係を形作る。

取引の基本は、売買と貸借であるのに対して、現金の流れは入出金にある。物流は、受渡である。

物の貸し借りというのは、物そのものを直接的に貸し借りする場合と、お金を借りて物を買うのか野違いである。
手持ちの所得の範囲内で買うのには限界がある。金を借りてでも買う事で投資の幅が広がる。

貸借取引は、債権と債務を派生させる。貸借は一定期間に清算されないと蓄積する。
債権債務は、金利の本となる。
債務が増大すると、時間価値が蓄積し付加価値は増大する。付加価値が増加すると利益は圧迫される。

一定内の期間で時間価値の量が安定しないと債務が蓄積して市場全体の均衡が保てなくなり、市場は債権と債務を均衡させようと働きが生じる。それが、市場環境の急激な変動を引き起こすのである。

経常収支が黒字だからとしても必ずしも良い状態とは限らない。黒字の対極にある赤字との関係から黒字の働きを明らかにする必要がある。その上で、黒字で得た資金が何処に向けられるかが問題なのである。

赤字は悪いではなくて、赤字の何処が悪いのかが問題なのである。それ以前に赤字自体が本当に悪い事なのかである。ゼロ和では、赤字には対極に黒字があり、赤字が悪いとしたら、黒字も悪いという事になる。
赤字が単に悪ければ黒字も悪いのである。赤字が悪いとか、黒字が悪いのではなく、一定の単位期間内で均衡できないような赤字や黒字が悪いのである。

経済運動の基本は、回転運動であり、振動だと言う事を忘れてはならない。
振動を前提としないと一定の状態が累積することになる。
赤字国は、赤字を累積し、黒字国は黒字を一方向的に累積することを前提としなければならなくなる。
もし均衡を前提とするならば、経済の状態を赤字と黒字の間を緩やかに振動するように設定すべきなのである。

表面的に全ての主体が黒字に見えたりするのは、現金主義と期間損益主義が混在しているからである。

期間損益主義による赤字と黒字、現金主義による赤字と黒字は、意味が違う。大体現金主義では赤字は許されない。
期間損益主義は、費用対効果を測定する事を目的とし、現金主義は、現金の残高を一定に保つ事を目的としている。
費用を基礎として収益の状態を測るのが期間損益である。

利益は、投資家や金融機関が、資金を供給するかしないかの目安となる基準に過ぎない。
利益は決定的な指標ではあるが、利益を絶対視すると経済の実体を見失う危険性がある。
利益の持つ構造と意味を正しく理解する必要がある。

経済の均衡を考える場合、利益が赤字であるかどうかではなく、
利益の水準、利益の平均値の推移、平均値からの距離が問題となるのである。
利益が何処を基準にしてどれくらいの振幅で振動しているかが重要となる。

外部取引は対称取引である。内部取引は、非対称取引である。
外部取引の対称性と内部取引の非対称性が利益を生み出す。

内部取引の非対称性は時間価値による。
時間価値は付加価値を形成する。
付加価値は費用の根源である。
利益は、収益と費用の差であるから付加価値の増加は、利益を圧迫する。

期間損益主義は資金の流れを平準化する事を目的として設定されている。
そして、資金の流れを平準化する手段として設定されたのが減価償却と負債、そして、利益である。
期間損益では、経常的な支出は経常的な収入によって賄われる事を前提としている。
その場合、投資によって生じた長期的な資金を期間的な働きに配分する事によって平準化する。それが減価償却費である。

利益は、費用対効果によって計られる。効果は、収益として表現される。
故に、利益は、収益と費用の差である。
費用とは、生産や販売に関わると想定される資源として対する対価を言う。
収益とは、生産財を販売した時の対価である。
単位当たりの販売価格を単価という。単価は、費用によって決まるのではなく、市場取引によって決まる。市場取引においては、消費者の必要性が最大の要素となる。
消費者の支出は、所得の範囲内に制限される。
単位当たり支出される費用には、生産や販売する時に全体的に一定にかかる資源と生産財の単位当たりに支出される資源とがある。全体に一定にかかる費用を固定費とし個別にかかる費用を変動費とする。注意しなければならないのは、全体では固定的にかかる費用も単価としてみると変数となる。

資金不足がどの様な要因によってどの様に生じるのか、その原因を把握し対策を立てる為には、長期的資金の動向が鍵を握っている。資金不足は、短期的には収益の減退か、費用の高騰によって引き起こされる。
特に、投資資金の動向が、景気全体に影響を与えている。
資金の動向は、長期負債の返済額が根底にある。長期資金の返済額の原資は、利益と減価償却費であるが、利益と現償却費の和が長期借入金の返済額を下回ると負債を増やすか、資本を増やすかしかなくなる。いずれにしても総資本の増加をもたらす。

実質的価値とは、実体的物の価値をいい、名目的価値とは金銭的価値を言う。

資産や費用が実質的価値を形成するのに対し、負債や資本、収益は名目的価値を形成する。

貨幣経済では、名目的価値が基礎となる。
故に、貨幣経済では、負債が経済の前提を設定する。

名目的価値は、名目値、絶対値であり。差が重要となり。実質的価値は、実値であり相対値であり。比率が重要となる。

自由経済の本質は、働きに応じて通貨を分配し、生活に必要な財を市場から通貨によって調達することで公正な分配を実現する体制である。自由経済を成立させる為には、効率的な生産体制と効率的な市場が前提となる。

自由経済を形成させるためには、初期条件を設定しておく事が必要となる。
最初の設定によって市場経済の働きや状態は制約される。
経済の常態として均衡を前提とするか、均衡を前提としないかを先ず定める必要がある。均衡を前提としたら、負、即ち、赤字になる事を怖れてはならない。均衡を前提としない場合は、歪みを解消する手段を予め想定しておかなければならない。
一方向の運動のみを是としたら、運動は、直線的なものになるからである。正の事象が累積すれば、他方で負の事象が累積する。

重要なのは、資金の環流が経済の仕組みを動かしているという事である。
故に、資金が余っている所からいかにして資金が不足している箇所に資金を環流させるかが、重要となってくる。
経常収支と資本収支の関係、構造を解明することである。

市場経済では、先に資金を分配し、その後、市場から資源を調達してくると言う順番となる。

資金が欠乏した地域には、容易に資金の環流が起こらない。
なぜならば、資金源となる生産手段が毀損している場合が多いからである。
その為に、資金を集めるための資源がない。この様な状態に陥ると資源は、流出する一方になってしまい資金の環流が起こらなくなる。

この様な地域には、生産性を伴う資金を環流させる施策をとる必要がある。
生産性を伴う資金というのは、実物市場に対する投資である。
資金を環流させる手段には、投資、貸与、贈与などがある。問題は生産性を伴う資金の環流が必要なのであるから、基本的には実物投資が最も効果的である。

生産性を伴う資金の流れとは、付加価値を生み出す資源、生産手段に結びつく資金の流れを言う。

実物投資というのは、例えば、余剰の資金を有する国や企業が連合して何らかの事業を資金が不足している地域で興すことである。

貨幣経済は、初期投資によって前提が設定される。

初期投資額と減価償却費は名目的に最初に設定される。
故に、初期投資は、経済の前提となる。
初期投資額は、一定期間内に一定量を売り上げる事を前提として設定されてしまう。
それは予め名目的支出が決められてしまう事になる。
名目的支出は資金計画に反映される。反対に実質的収入は、推測の域を出ない。

電力のような巨額の初期投資を必要とする事業は、一定期間の収益が見込めないと資金を調達する事が出来ない。それでは事業そのものが最初から成り立たなくなるのである。この様な事業は、名目的価値、即ち、負債が基本となる。

利益と金利は時間価値を形成する。故に、金利と利益とは密接に影響を及ぼしている。
利益は実質的価値から派生し、金利は名目的価値から派生する。

資金の流れを基礎として考えた場合、資金不足になる段階が重要になる。
資金不足の最大の問題は、借入金の原資を失う事にある。
先ず第一に、費用を収益が下回った場合、収益に基づく資金だけでは、慢性的な資金不足を引き起こす事になる。それが損益上の赤字の問題点である。そうなると収益的手段によらずに資金を調達せざるをえなくなる。収益的手段以外というと資産の売却、負債的手段と、資本的手段である。
次に、減価償却費を割り込むような状態になると更新投資や新規投資が難しくなる。
この様な状態が社会に蔓延すると総投資が減少する中で、総負債が増大する。それは金利負担を大きくし、景気全体を押し下げてしまう。資金の流れが停滞するようになり、資金の働きが減退するのである。

長期資金の状態は、減価償却費と利益の和から長期借入金の返済額を引いた差によって測られる。

返済資金は、減価償却費と利益によってまかなわれる。減価償却費と利益を足しても不足する場合は、資本的手段か負債的手段を用いる事になる。負債的手段を講じると負債は増大する。

生産的活動から付加価値が生み出せなくなれば、所得収支が縮小し、資本収支が増大する。
負債が増大する事によって付加価値の比重が人件費から金利へ移動するからである。

見かけ上の費用を操作すれば、利益は調整できる。なぜならば、費用も利益も収支を基礎としているわけではないからである。しかも、長期借入金の返済が表に現れないからである。その為に、長期的資金の流れが捕捉できないでいる。

費用の中には、収入を伴わない費用も含まれている。
その代表が減価償却費である。減価償却費は、長期資金の返済原資である。

忘れてはならないのは、収益によって長期借入金を上回る資金が調達できなくなれば、投資に回せる資金が収益によって調達できなくなるという事である。それは経済成長を抑制することになる。

見かけ上の利益と資金収支とは、直接連動しているわけではない。資金不足であろうと利益を上げる事は出来るのである。逆に、赤字であろうと資金を余剰に持つ事も出来るのである。

収益は、費用と利益からなる。
収益は、生産財の集合であり、売上単価を集計した値である。
費用は、変動費と固定費からなる。

収益は、単価に分割できる。単価は、変動費と固定費からなる。
固定は、一般管理費、製造経費、人件費からなる。

無原則な競争に委ねると価格は、人件費、製造経費、一般管理費の順で削減され、限りなく変動費、追加費用に収斂する。

価格が変動費に収斂してしまうと収益が付加価値を生まない状態になる。この様な状態に陥ると付加価値が増えずに債務だけが増加する。付加価値が増えずに債務だけが増える状態は、勤労所得から資本所得へ所得の主軸が移行することを意味する。

また、価格競争は、生産財のデザインとか、性能と言った質的エントロピーも増加させ、価値を価格に収斂してしまう。

価格が変動費に収斂してしまうと収益が付加価値を生まない状態になる。
この様な状態に陥ると付加価値が増えずに債務だけが増加する。

見た目は、利益は上がるのに、資金が不足し、債務が増加すると言う状態に陥る事になる。しかも、利益が計上されれば、納税資金も流出する。

また、利益が上がるのは、費用を削減する事に依るから、雇用は減退し、総所得の中味も勤労所得から資本所得へ比重が移る。
市場全体がこの状態に陥ると実物市場に資金が回らなくなる。

実質的な資金の働きという観点からすれば可処分所得の働きが一番重要なのである。実際に仕事をするのは、可処分所得の量である。支出が可処分所得を上回れば、家計であろうが、民間企業であろうが、財政であろうが借金をしなければならなくなる。

適正価格の維持という思想を捨て、全てを価格競争に集約した結果である。安ければいいというのではない。高すぎるのも問題である。如何に適正な価格を維持するかの問題である。

公正な取り引きというのは、買い手にのみ有利でなければならないという事を意味しない。
情報の非対称性から、買い手の情報不足を指摘する者がいるが、それは、情報の開示を促せばいいだけである。
単に規制を撤廃し、競争を促せば良いというのは短絡的すぎる。競争を絶対視するのは危険な事である。
独占禁止法の精神は、不当に競争を妨げる行為を禁止する事だけでなく、過当競争をも抑制する事にある。公正な取引を維持するという目的と精神である。何でもかんでも安くすればいいというのは、かえって公正な取引を阻害する要因である。
大切なのは、適正に価格を維持する事である。適正であるか、否かを中立的立場で判定する事が政府に求められているのである。放置すれば良いというのは無責任である。
所得の再配分によって格差を是正し、公正な競争を維持するのも政府の役割である。
いずれにしても市場経済を維持し、安定させる為には、適正価格を維持し、適正な収益を保てるようにする事である。

注意しなければならないのは、経済活動に対して自己資本比率は、資金が回っているかぎり決定的な要素にはならない。
経済の仕組みを動かしているのは、資金の動きだからである。
資金の動きに直接関わらないかぎり、資本や負債は、表面的には、決定的な要素にはならないのであり、負債や資本は、資金の動きに直接関わらないかぎり表面的には問題とならない。問題は、負債や資本の働きは陰、潜在的な部分で働いているという点である。
無借金経営と言っても収益に還元されないかぎり力にはならない。収益は資金を自分で資金を生み出す力の源なのである。
利益が重視されるのは、損益は、費用対効果を目的としているからである。
誤解があると思うが、期間損益の目的というのは、あくまでも単位期間内の費用対効果を測定する事である。資金と生産財の動きを制御する事でも、分配の効率を高める事でもない。

エントロピーが増大すると付加価値が失われる。



一番問題なのは、収益力が低下すると付加価値が失われる。付加価値の喪失は、時間価値の喪失を意味する。
付加価値は、金利と利益と償却と人件費からなる。付加価値が減少すると必然的に雇用と所得が圧迫される。

付加価値が圧迫されると負債が拡大し、可処分所得を圧迫する。
更に、利益は計上できても慢性的に資金不足する状態に陥る。

費用対効果を見る場合、費用の構成や働きが重要なのであるが、収益に費用が占める割合は、費用の働きを認識する事は出来ない。
費用対効果の実体は、率だけを見ても、絶対額の推移を合わせてみないかぎり判らないのである。利益率は改善されても一人当たりの所得は改善されていない場合もある。量ばかりでなく質や内容も見なければ働きは判らない。

短期的に見ると資金の過不足は、収益的手段によって調節されるべきだが長期的に見た場合、資本的手段と、負債的手段である。
故に、長期的資金の働きの基調となるのは、長期借り入り金の返済計画、資金計画である。ところが、この長期的資金の動きが現在の仕組みでは顕在化して居らず潜在的働きな為、直接的に制御する事を難しくしている。
経常的収入だけに頼っていたら長期借入金の返済と期間収入との間に差が生じ、資金不足を引き起こす。
資金の過不足の基調を知る為には、長期的資金の構造を明らかにしておく必要があるのである。
特に、長期的資金の働きにおいては名目的価値の動きと実質的価値の動きが重要な要因となる。

減価償却と長期資金の動きとは、一致していない。
償却がすんでも借入金の返済は終わっていない場合がある。その様な場合、利益は過大に計上される。その結果、利益は計上されても資金は不足する。反面、利益が過大に計上される為に納税負担も相対的に高まる。
この様な状況では、投資力は著しく低下する。

収益の減少が問題なのは、資金の調達力を失うからである。
資金力の現象は、新規投資資金、更新資金、減価償却費、人件費、製造経費、販売費、一般管理費と削減されていき、最後に変動費に収斂される。収益が圧迫されると真っ先に投資資金が枯渇するのである。

収益のエントロピーが増大し、限りなく価格が変動費に収束していくと、付加価値が失われていく。付加価値が失われるという事は、時間価値が喪失する事である。時間価値は、利益、金利、償却費、人件費(個人所得)等である。時間価値の喪失は、投資を抑制する働きがある。投資が抑制されると実物市場に資金が資金が流れなくなり、勤労所得から資本所得へと所得の比重の移動を促す。その結果、経済が実態から乖離し、資本の動きによって景気は不安定となるのである。又、雇用も所得も減退し、市場は冷え込むのである。
収益を安定させ、資金の流れとの整合性をとれる施策をとる以外、景気を浮揚させる手段はない。

付加価値が失われると資金は、実物市場に流れにくくなる。
実物市場に資金が流れ難い状態の時に過剰に資金を供給すると、資金は、資本市場に向かい、資産勘定と負債勘定を膨張させる。それがバブルという現象を引き起こす。
資産勘定と負債勘定が拡大する事で、所得と資本収入に偏りが生じる。この偏りは、所得格差の原因となり、景気を不均衡な状態にする。

市場の容量にも問題がある。実物市場は有限である。有限である市場の容量には限界がある。市場が飽和状態は状態になると生産力に抑制がかかる。
市場の容量が有限であるのに対して貨幣価値は、上方に無限に開かれている。資本市場は、上方に開いている。資金が過剰に市場に供給されると有限である実物市場と無限である資本市場は乖離してしまう。

実質的価値を名目的価値に合わせることは出来ても、名目的価値を実質的価値に合わせることは出来ない。なぜならば、名目的価値は、固定的であるのに対して、実質的価値は変動的だからである。

かつて日本の企業は、収益力が低下すると含み益を担保として借入金によって資金を調達した。バブルが崩壊するとこれが逆転し、企業の資金調達力を著しく削減した。含み損益は未実現損益である。この点を忘れてはならない。
収益力の低下は、投資力を低下させる。

景気が悪いからと言って資金を無理やり市場に大量に供給する事にも危険性がある。
実物的市場に資金が大量に流れ込むと急激なインフレーションを引き起こす可能性がある。
実質市場を均衡させるのは、物と金の需給関係の調和である。
故に、貨幣の供給量の拡大は、状況に良く確認した上で慎重にしなければならない。

全ての産業にとって技術革新や成長が絶対前提ではないという事である。
為政者が、あらゆる産業を一括りにして、ただ規制緩和、規制緩和とがなり立て、それで事足りると短絡的に考える事が恐ろしいのである。個々の産業には、各々に特性も環境も違うのである。これは大前提である。
それぞれの産業が置かれている状況を鑑み、きめ細かな施策をとる事が肝要なのである。

現金の流れが経済の仕組みを動かしていて、期間損益主義に限界があるとしたら、現金主義に依れば良いと考えがちであるが、現金主義には、現金主義の限界があり、それ故に、期間損益主義が成立したのである。

家計にも、財政にも通ずる事だが、現金主義の問題点は、お金の流れと全体を構成する部分の働きとか結びついていない事である。
その為に、全体の働きと部分の働きとを関連づけて測定する事ができなず。全体と部分との働きの整合性がとれずに全体を一体的に制御する事を不可能にしている。

例えば、収入は、収入、支出は支出と収入と個々の働きが単独で働いて収入と支出が関連づけられて機能しているわけではないのである。故に、収入によって支出を、支出によって収入を相互に制御する仕組みが出来ない。
経済の仕組みの全体を構成する部分は、本来多元的であり単能的にとらえきれない。
生産と労働、労働と報酬、収益と報償、投資と回収手段と各々の要素が複雑に影響し合って全体の働きを制御している。それらを結びつける働きをしているのが現金の流れである。それ故に、お金が回らなくなると経済の仕組みは、成り立たなくなるのである。

貨幣経済における仕組みは、お金の動きによって全体を動かす仕組みである。
つまり、貨幣経済の仕組みは、お金の動きと仕組みを構成する部分とが相互に何らかの関係によって結びつけられる事で全体を制御している。個々の部分がお金の動きによって結びつけられていないと全体して機能する事は出来ない。
お金の動きによって個々の部分の働きを関連づけ、それによって全体を制御する事を可能とする為には、反対給付や対価によって個々の部分を資金を流れを結びつける必要がある。
公共投資は、反対給付や対価を原則として前提としていない。その為に、全体と部分が経済的効用という面では結びついていない。
即ち、公共事業は一方向の働きしかなく、双方向の働きが効かないのである。
公共事業では、相互作用、相互牽制という働きは期待できない。
つまり、やってもやらなくても基本的には、報酬や評価には結びつかないのである。
支出は支出として使い放しとなり、収入は収入として一方的に徴収される仕組みである。

報酬、成果、労働がお金によって結びつけられて居らず、必然的に学習機能、フィードバック機能は働かない。その為に、お金の働きを解析する事も出来ない。つまり、指示、命令、規則以外の因果関係が成り立たないのである。

仮に、お客様の人数に関係なく、報酬が決められるとしたら、料理人は、なるべく客が少ない方が経済的に得である。それでは、安くて、美味しい料理を作ろうという動機は失われる。生産性が向上するはずがないのである。

生産と支出、支出と生産との因果関係が成り立たない。当然、労働と成果、成果と報酬とも結びついていない。ゆえに、経済的に組織を制御する仕組みがないのである。だから、全体は弛緩し、無原則に自己増殖を繰り返す。状況に合わせて組織を適合させようとしても仕組みも働きもない。官僚的組織では、逸脱した行動をとる事自体組織の規範に違反する行為になるし、元々、評価する基準も存在しないのである。官僚組織というのは経済性を持たない、経済的フィードバック機能を持たない組織なのである。
組織をお金によって制御する事が不可能なのである。
生産性に対する動機付けがされないから、生産性や効率を追求したくても追求する為の手段が形成されないのである。
収入と支出は別の次元の出来事であって帳尻を合わせる場合のみ問題となる。しかも、貨幣の発行権を持っているから、帳尻が合わなければ国債を発行し、或いは、貨幣を発行すれば良いという事になる。

お金はあるだけ使い、又、予算を立てたら予算どおりに使い切るしか、経済性はない。
経営に対して誰一人責任をとれる体制ではないのである。
民間で言えば放漫経営と言う事になる。

全体は、収益と費用と利益の関係によって個々の部分の働きを、労働と報酬、成果と労働、成果と報酬というように結びつける事によって全体と部分の働きの整合性、統一性を測っていくのである。

要素を関連づける事によって費用対効果を測定する必要がある。
しかし、現金主義では費用と効果を結びつける事が出来ない。
経済の仕組みは一つの情報系である。情報系としての統一的な体系を持っている事が前提となる。
個々の要素が有機的に結びついていないと情報系としての機能を果たす事が出来ない。

生産、労働、所得は、全体を構成する人によって一体的な働きとして機能している。
人は、生産者であり、消費者であり、労働者なのである。
人は、売り手であり、買い手であり、貸し手であり、借り手なのである。

生産者は生産者であると同時に消費者である。その相互作用によって生産と消費の一体性を保つのである。
費用対効果を測定する為には、費用がどの様な事象と結びつき、関係づけられているかを明らかにする事である。
全体を構成する個々の要素が相互に結びつけられていなければ、全体の働きを統一的に制御する事は不可能である。自動車が制御できるのは、タイヤとエンジン、ブレーキ、ハンドル、メーターと言った部分が相互に結びついられて全体を構成しているからである。タイヤもエンジンも、ブレーキもアクセルも個々バラバラに動いていて相互が関連づけられていなければ、運転手は、自動車を制御する事は出来ない。

又、公共投資では、投資と回収手段とが結びつけられていない。つまり、公共投資は、反対給付や見返りを前提としていないのである。公共投資は、収益を前提としていない投資なのである。
投資と回収手段が結びつけられていなければ、投資は単なる支出でしかなく、経済的効果は期待できなくなる。
借入金の返済計画も元々収益という思想がないから収益に関連づけられて計画されているわけではない。
必要な時に、必要な額を必要なだけ借り、決められた時に決められただけ返済しているのに過ぎない。足りなければ、借り換えしているだけである。

税は税で受益者との関係が不明瞭であり、経済的な効果を明らかに出来なくなる。

現金主義が見直され、巷間、キャッシュフローが流行っている。しかし、資金の流れだけをとらえても資金の働きは理解できない。資金の流れによって生じる作用は多元的な働きであり、個々の要素を関連づける事によって成り立っている。一意的に決まる事ではない。言い換えると個々の要素の働きは、個々の要素を結びつけて考えないと見えてこないのである。
現金の働きは、現金主義だけでも期間損益主義だけでも解明できない。必要に応じて双方の働きを参照する必要があるのである。

現金主義である財政は、個々の要素と現金の動きが結びつけられていない為に、全体の収支を統御する事が出来ない状態に置かれている。

現金主義に基づく財政は、最初から全体としての制御や統制が不可能な仕組みなのである。

人件費というのは、単に費用という働きをしているだけではない。人件費は所得の働きもあり、生活費の原資としての働きもあり、消費の源であり、労働に対する評価としての働き、生産に対する対価としての働き等もあるのである。費用だからと言って単純に削減していったら費用以外の働きが発揮させられなくなる。

単能である現金主義によって市場を制御する事は不可能である。
故に、複式簿記が成立したのである。
現金主義を土台にした公共投資によって市場を活性化させるのには限界がある。
公共投資の多くは生産性に乏しいからである。
それは、公共事業が収益を前提としていないからである。その為に、公共事業では、経済的効用を測定する事か出来ないのである。
生産性のない投資は、資金の好循環を起こさないからである。
生産性は再生産力によって測られる。再生産があったとしても一時的な効果しかない投資は、恒常的な資金の循環を引き起こさないのである。

重要なのは、経済主体の事をどう考え、位置づけるかである。
経済主体は、絶えず成長し続けると言う事を前提とすべきなのか。それとも継続を重視すべきなのか。投資を主たる業務と考えるのか。分配に重きを置くのか。世襲的な主体とするのか。労働と生産とを報酬によって結びつける機関とするのか。共同体とするのか。生産拠点とするのか。
経済主体の役割や位置づけをどうするのかによって経済の有り様は違ってくる。そして、経済主体こそ、経済の原因となる存在なのである。

貨幣経済というのは、現金の流れによってどの様な効用をもたらすかによって決まるのである。
大切なのは、現金の流れでも、利益でもない。どの様な効用、働きを期待するかなのである。
その点を間違うと経済は、私利私欲の為に利用される事になる。
根本あるのは、どの様な社会を、どの様な生き方を、人々が望んでいるかなのである。
自分達が望んでいる事を経済によって実現できると人々が信じた時、経済は人々の希望の星となるのである。

重要な事は、適正な収益をいかに維持し、資金効率を高めるかである。
単純に利益のみを追求するだけでは、経済に与える費用対効果を正しく把握する事は出来ない。


格差とエントロピー


格差も、エントロピーが増大する。
格差も放置すればエントロピーが増大し、最終的に格差を解消するには、戦争や革命、ハイパーインフレ、大恐慌等と言った暴力的な手段に依らなければならなくなる。

資本の蓄積には、構造的に不可逆的な傾向がある。
一定の境界値を超えると資本は一方的に蓄積される傾向がある。
資本は蓄積されると階層を形成する。階層は、階級を生み出す。
階級は不労所得の根源となる。

経済の問題は、如何に格差を解消するかに集約されるとも言える。

格差は硬直化すると社会に階層を生む。階層は永続的な貧困や差別の原因となる。貧困や差別は、経済の仕組みの破綻をも意味する。なぜならば、経済の仕組みとは分配の仕組みそのものだからである。貧困も差別の分配構造の歪みによって生じる事象なのである。この事は、経済の仕組みを考える上で忘れてはならない。
貧困や差別は、格差を放置すれば不可逆的に形成される。それもエントロピーの問題である。

最初は、格差は、結果である。しかし、結果である格差も世襲化され、硬直化されると社会の枠組みとなり、経済のみならず社会全体を支配するだけの影響力を持つようになる。

格差の拡大は、結果であって原因ではない。
結果にのみ対処しても一時凌ぎは出来ても抜本的な解決は難しい。
むろん格差が格差を生むと言う事はある。しかし、最初から格差ありきでは解決にはならない。
注意いしなければならないのは、格差を生み出し、硬直化してしまう仕組みにある。

付加価値が失われた状態で競争を焚き付け、或いは、一部の産業の成長を促せば、格差は拡大する。なぜならば、格差は、分配構造の歪みが原因となって拡大するからである。

格差を一定の範囲内に留めようとするならば、資金の円滑な流れを生み出し、新陳代謝が保たれるような仕組みを維持する事こそ肝要なのである。

今の経済は、人として生きるという視点を失っているように思える。
利益が上がれは、競争力をつけばと言うばかりで社会の中で生きている人達の生活という視点を欠いている。
いくら利益が上がっても、競争力がついても生きていけないのならば生きる為の活動という経済本来の目的から逸脱してしまう。
大切なのは、人々を人として生かす事である。

正方形や長方形、正三角形、円等と言った幾何学紋様の多くは人為的に作られる事である。
経済というのは幾何学的な事象であり、自然科学的事象ではない。
正方形や真円に近い事象というのは、自然の世界では希である。現実の世界というのは、大体に歪んだり、凸凹していたりする物である。ところが、それを真四角な枠やまん丸な枠に無理矢理嵌め込もうとする。それで上手くいかなくなってあっちこっちを斬り捨ててしまう。
経済というのは人工的な構造物である。その点を忘れたら、経済の働きを理解する事は出来ない。
経済は人工の構造物である事による限界と、また、利点を併せ持っているのである。
経済の法則を自然の法則のように扱う事は出来ない。最初から経済は、自然にはない枠組みの範囲内の出来事なのである。だからこそ、経済の仕組みを自分達に適合するように組み替える事も出来るのである。

今の日本人の自由は、家畜の自由である。
飼い慣らされて、自分の力で生きるという術を失っている。
ゆとりなどと言う教育も、受験戦争という教育もなぜ、何の為に教育をするのかという視点を欠いたら何の意味もない。
大切なのは、人として生きていく為の術を身につかせる事である。
家畜は、いくら身の安全が保証され、守られているとしてもそれは飼い主の都合で如かない。
自分の力で生きていく事が出来なければ、結局、肥った豚となって食卓に供されるだけである。
それを真の自由だというのか。それを自由だと思い込んでいるのは、真の自由人ではなく、ただのお人好しに過ぎない。
激動の時代を生き残る為には、日本人は、野生の自由を取り戻さなければならない。

人は、自分が作り上げた幻想の中でのたうち回っている。人が人らしく生きる為にどうしたらいいのか。
そこにこそ、経済の仕組みを解く鍵が隠されているのである。






       

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