32、幅(ボラティリティ)




現実の世間では、物事の判断を幅で考える事が多い。

答えは一つではない。幾つかの答えの中から選ばなければならない。しかも正解はない。選択した事だけからしか結果は出ないのである。
何が正しくて何が間違っていたかは、憶測する以外にない。

人は幾つかの中から一つを選んで決定する。
ただ一つの途である。人生は、一途である。

一つを選んでも、その先は、又分かれている。
選んでも選んでも分かれ道、それが人生なのである。
来た道は一つとなり、行く路には、幅がある。

人の一生は択一的な事である。
一つの道を選んで決断しなければならない。人生は何時でも岐路に立たされている。
我々は一つの事を選択しなければならない。それは、自己が唯一の存在だからである。自分の生きる道は一つしかない。だから一生なのである。

現実の意志決定は、二者択一か多者択一である。答えが一つなんて事は滅多にないし、答えが一つなら人は悩んだりはしない。右か左か、是か否か、選択肢が多ければ多い程、人は迷い悩むものだ。
しかも、結果は、選択した事に対する事以外明らかにならない。
人は何時だって岐路に立たされる。答えが一つなんて方が少ない。だから人は迷うのである。

答えは決まっているように学校では教える。しかし、最初から答えが決まっている事なんてありはしないのである。
だから、学校教育には最初から嘘がある。
その嘘が教育を破綻させるのだ。
人は、最初から幅で考える。
だから、間違った時や失敗した時の心づもりが出来るのである。
間違いや失敗を怖れていては何もできない。
なぜなら、本当は答えなど予め用意されているわけではないのだから。

設問に対して正解は、一対一の関係にあるのではなく。

人は、曖昧模糊に問題を捉え、漠然と答えを出しているのである。
だから、怖いのだ。
幅を決めて幅の中で問題を整理しようとするのは致し方ない事である。
遊びが必要なのである。

物事の幅を見る時、単純に言えば最大値と最小値を知る事である。
最大値と最小値は、限界範囲を知る事でもある。
幅を考える時、範囲を特定する事が重要となる。
経済では範囲が重要な意味を持つ。
範囲を特定する際、鍵となるのが最大値と最小値である。

利益は幅である。費用も幅で捉える。収益も幅で考える。
問題は、利益の最大値と最小値、費用の最大値と最小値、収益の最大値と最小値である。
それぞれの最大値と最小値を引き比べる事によって経済の働きを明らかにする事が出来る。

幅は、二次元的な事である。幅は、線や面で表現できる。
幅は範囲として捉えられる。
時間軸を加えると三次元になる。

現実の事象は、時空間的に事象である。
時間を除いた次元は実体を伴っているが、時間は、空間に対して陰に働いている。
即ち、時間は、空間に対して陰な関係、即ち、表に表れないで裏で働いている。

幅で捉えると答えは一つではなくなる。即ち、一対一の対応関係でなくなる。

人間は、物事を点と点を繋ぐように考えているわけではない。
一対一の対応と言った所である程度の幅を持たせて考えているものである。
それが遊びという部分である。
現実には、ファジー、曖昧模糊として、僕然としたところで、漠然とした答えを出し決断していく。
悲観的に判断し、楽観的に決めるなんて言う発想は、典型である。

物事を、幅を持って捉えると言う事は、問題と答えが一対一に対応するという考え方が成り立たなくなる。つまり因果関係に幅が生じるのである。
論理が一対一に対応するのではなく。ぼんやりとした設問にぼんやりとした答えが対応するという関係を容認する事を意味する。それが、所謂、自然科学と社会科学の違いでもある。社会は確率統計的世界なのである。

幅というのは、言うなれば差である。

幅で物事を考える時、幅が持つ働きや意味を正確に知る事が肝心になる。
差の持つ働きや意味もわからないで、差が良いの悪いのと言ったところで始まらない。
是非、善悪の問題ではなく。働きの問題であり、働きは、前提条件や目的に応じて変化する相対的な事柄だからである。
そして、差の働きや意味を明らかにする為には、差の背後にある規則性が重要となるのである。

経済的事象においては、分散、誤差の幅が重要となる。
分散や誤差は物事の性格を現しているからである。
分散や誤差というのは、平均からの差である。
一見何の規則性もない数の集まりに見える事でも差をとってみるとそれまで隠れていた規則性が表れてくる事がある。特に、正規分布が隠されている場合が多くある。
この規則性こそが貨幣経済の本質を現している場合がある。

幅とは差によって生まれる。差は、差別とか、格差とか、差を付けるとか、あまり良い意味で使われていないような思われる。しかし、差は、経済的事象の根本である。
よく効く薬程、副作用があるものであり、何事も適度と言う事が大切なのである。
差があるから、経済は機能する。
差というのは位置づけであり、変化の軌跡を表してもいる。差がなければ、距離も、位置も、変化も、認知しようがないのである。
差は、経済的事象の根本である。

水は高きから低きに流れる。水の流れを生み出すのは高低差である。差は、運動を引き起こす誘因である。
同様に経済的事象を引き起こすのは、何らかの差である。

差を生み出すのは、歪みや偏りである。要するに経済は、どの様にして歪みや偏りを創り出し、又、解消するかの問題なのである。

利益は、収益と費用の差である。
現金残高は、収入と支出の差である。

収入と支出は、貸し借り、売買による。貸し借り、売買による貨幣的効果を調節するための指標が利益である。

利益とは差である。赤字が是か否か、黒字が是か否かと言う事を以前に、この差の持つ意味を理解しておく必要がある。そうしないと赤字が是か否か、黒字が是か否かの議論も始まらない。

重要なのは、差のもつ意味や働きである。

利益とは、収益と費用の差である。収入と支出の差ではない。この点に注意する必要がある。
費用と収益は、別次元で決められるという事が根底にある。
費用は、財の生産に関わる用役や資源を集計した値であり、収益は、売上を集計した値である。
売上は、市場価格によって決まる。市場価格は、需要と供給の関係によって定まる。
費用は、生産や販売過程で生じる支出を元として決まる。費用は生産手段や販売手段に拘束されている。
収益は、消費者の必要性に基づいている。
収益と費用では、根源が違うのである。
費用が生産者の必要性に基づいているのならば、収益は消費者の必要性に基づいている。
費用と収益を結びつけているのが利益である。
費用と収益が結びついていないと現金の流れを制御する事が出来なくなる。
現金即ち、貨幣単位は自然数であり、上方に開かれている。即ち無限なのである。それを有限な範囲の事象に置き換えるためには、収益と費用とを結びつける必要がある。
即ち、収益が上限を画定し、費用が下限を制約する。利益によって収益と費用は制御される。
収益は、収入、資金の調達手段の源泉であり、費用は、支出の源泉である。
収入の手段には、負債的手段、資本的手段と収益的手段があり、支出の手段には、投資的手段と費用的手段がある。
資本的手段は貸借の延長線上にある。
投資的手段は、資産を形成する。
収益は、名目的価値を元として、費用は、実質的価値を元としている。名目的価値とは貨幣的価値であり、実質的価値とは物的価値である。

貨幣は媒体である。アダプターやパケット

利益は、負である事が許される。
しかし、現金残高は、負の数は許されない。故に、現金残高はで問題となるのは過不足である。

利益は、収益と費用との差額である。
利益は、負である事が許されている。つまり、バランスすればいいのである。バランスというのは、均衡とか、釣り合いがとれるとか、調和しているという事である。
しかし、なぜ、収益と費用はバランスする必要があるのか。そこが問題なのである。

利益で重要なのは、赤字か、黒字かという事よりも平均は、何処で、分散はどの程度なのかである。

収支は、負にはなってはならない。
但し市場全体では収支の総和はゼロになる。
資金の不足は借金で補う。つまり、資金の追加は、貸借による。

経常収支で残高が不足した場合、交易が成り立たなくなるから、どこかから借りてこなければならない。収支と貸し借りは等しくならなければ、交易は成り立たなくなり、貨幣価値は、破綻するのである。
故に、経常収支と資本収支の総和はゼロになるのである。

収益と費用は均衡する事が前提である。

収支は、ゼロ以下にはならない。と言うよりなれない。
そうなると、収支で重要なのは偏差値であり、 ボラティリティの問題である。

経常収支で重要なのは、分布であり、偏差値である。
そして、これは資本収支とシンクロしている。

収益の基礎は、収入である。費用の基礎は支出である。
本来、収益は、資本と負債と合わさって収入を形成する。費用は、資産と合わせて支出を構成する。
つまり、どの様な手段によって収入を構成するのかによって負債、資本、収入の違いが生じ、同様に、どの様な手段で支出が生じるかによって費用が成立する。
つまり、収益と費用は、裏返しに資産と負債、資本との関係が隠されている。
収益と費用は、単純に内部取引だけで解明できる事ではない。外部取引との関係抜きには、内部取引の整合性は明らかにする事は出来ない。

内部取引と外部取引の関係を知るためには、収益と費用の関係だけでなく、収益と資産、収益と負債、資本の関係を知る必要がある。
その関係を知る手立てを握っているのが比率である。

差の働きを考える場合、比を対比する事である。
知りたいのは、絶対額か比率か。

差は比の根拠となる。

経済的事象は、絶え間なく変化している。
要するに経済を理解するというのは経済の実相を変化から読み取り、景気を制御する事につきる。
変化は運動として捉える事が出来る。
運動は連続した何らかの力の働きによって引き起こされると考える事が出来る。力の働きの方向と量が解れば、一定時間が経過した時点の位置を予測する事がある程度可能となる。一定時点の力の働きの量と方向を特定するためには、その時点における働きを数式に置き換え直線的に見えるようにする事が有効である。直線を表す数式は一次式である。つまり、変化を、連続した一次式を平均する事で変化に作用する力の働きを解析する事が可能となるのである。解析とは、対象や働きを細かく分解してその対象や働きを構造を明らかにする事である。

働きには、変動的な部分と固定的な部分がある。
変化の働きを直線的な式に置き換えないと働きの構成を明らかにする事は出来ない。
働きの構成は、量と方向に分解できる。
量と方向から働きを測定するためには、直線に置き換える必要がある。直線、即ち一次式に置き換える操作が、微積分であり、直線に置き換えた後の操作が線形代数である。

そして、その根本が差である。

変化を何によって捉えるのか。変化量によって捉えるべきか、変化率によって捉えるべきか。
変化量は、差によって求められる。
変化率は割り算によって求められる比である。











       

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