19、デフレーションのメカニズム


インフレーションやデフレーションと言った経済現象を引き起こす要因には、人の要因、物の要因、金の要因がある。

インフレーションやデフレーションといった経済現象の人の要因は、所得、人口、消費である。
所得を更に詳しく見ると所得の調達手段と運用手段に分けられる。
物の要素から見ると生産手段と生産量、需給の問題である。
金の要素からすると資金の供給手段と回収手段、流通量の問題である。

お金は、交換手段、分配手段、測定手段である。
資金の供給手段と循環手段は、売り買いと貸し借りである。

経済の基本は分配だから比率が重要となる。

経済は、景気として現れる。景気の動向を予測する為には、一人当たりの所得の平均と分布、生産手段の稼働率と消費量、資金の供給手段と回収手段、そして、通貨の流量、収益構造に現れる取引量と負債の水準である。これらを資金の流れる方向を見定めながら調節することなのである。

経済現象の人の要因の第一は、所得にある。第二の要因は、消費である。第三の要因は、人口である。

インフレーションやデフレーションの第一の要因は、所得によって引き起こされる。所得の拡大と縮小がデフレーションの原因となるのである。
一人当たりの所得が消費を生み、消費が生産手段を制約するからである。

生産された物の量とそれを必要とする人の量、そして、その交換に必要なお金の量、この三つの量が調和するようにするのが経済の仕組みである。市場は競争の場ではなく、分配の場である。

注意しなければならないのは、インフレーションもデフレーションも貨幣的な事象だと言う点である。貨幣がなければ、即ち、物々交換の世界では、インフレーションもデフレーションも起こりようもないのである。
インフレーションやデフレーションを引き起こす要因には、人的要因や物的要因、貨幣的要因がある。しかし、貨幣がなければ、インフレーションもデフレーションも起こらないのである。人的、物的要因だけでは、インフレーションもデフレーションも起こらない。
故に、貨幣の働きをどう捉えるかによって経済の根本的なあり方は変わる。

貨幣経済には幾つかの前提がある。
貨幣経済が成立するためには、貨幣が有効な働きをするための前提が揃っていなければならない。
その前提とは、第一に、貨幣に対する信認がなければならない。
第二に、貨幣が社会に満遍なく行き渡っていなければならない。
第三に、貨幣の供給手段が確立されていなければならない。
第四に、貨幣を循環させる仕組みがなければならない。
第五に、貨幣を回収する手段が確立されていなければならない。
第六に、貨幣体系が確立されていなければならないという六点である。

貨幣経済を定着させるためには、通貨が社会に満遍なく行き渡っている必要がある。その為に、貨幣は、当初は貨幣そのものに何らかの価値がある素材を基本としていた。そして、貨幣がある程度市場に出回ったら、今度は全ての人が貨幣を使わなければ生活が成り立たないようにする必要がある。その為の有効の手段が税制度である。

税の金納は、生産財を一旦、換金しなければならなくなり、ひいては、貨幣を市場に浸透させる働きがある。

通貨を市場に満遍なく行き渡らされる貨幣的手段としては、所得が最も有効である。
それ故に、貨幣経済を成立するためには、所得として貨幣が満遍なく分配される施策を行う事や仕組みを確立しておく事が前提となる。貨幣が市場に浸透したら今度は公共投資をして需要を喚起する必要がある。需要を喚起する為には、公共投資を行う事が最も効果的なのである。

ただ、いずれにしても貨幣経済が確立されるための前提は、所得にある。つまり、お金で報酬が支払われ、支払われたお金で市場から生活に必要な資源を調達すると言う仕組みが確立する事ではじめて貨幣制度は成立するのである。
故に、貨幣制度の根源は所得だといえるのである。

所得の根源は、生産手段と私的所有権にある。人的生産手段は労働であり、労働の対価として所得は発生する。
又、地代家賃のような所得は、私的所有権によって発生する。

インフレーションやデフレーションは、流通する人の要素や物の要素、お金の要素の不均衡によって生じる。つまり、人や物や金の過不足が原因となる。人に対して物が不足してる時に過剰にお金が流れればインフレーションが起こる。単純に言えばそういう事である。特に、過渡期には、インフレーションやデフレーションは起こりやすい。

通貨を市場に満遍なく行き渡らせる過程で所得は拡大するが所得の拡大に対して生産物の供給が追いつかないとインフレーションが起こる。
貨幣経済を成立させるためには、先ず、どの様な手段で市場にお金を行き渡らせるかにある。その効果的手段の一つが公共投資である。公共投資以外には、補助金や社会福祉策のような所得の再配分がある。
デフレーションはもう少し複雑な過程をたどる。ただ物が過剰に供給されれば、直ちに物価が下落するとは限らない。物が過剰と言うだけでなく、いろいろな要素が複雑に作用する事で、デフレーションは引き起こされる。

デフレーションでは、負の勘定、即ち、負債、収益、名目勘定の働きが重要となる。市場が成熟し、物不足が解消されると今度は、物と貨幣が過剰に流通するようになる。その状態で過当競争を放置すると利益は喪失し、企業収益が圧迫されて、所得が減少する方向に向かう。所得が減少すると所得を対象とした税収も落ち込む。これらが生産手段を抑制する。これらが相乗的に作用して経済が冷え込むのである。
又、一旦、市場が収縮し始めると負の勘定、即ち、名目的勘定の働きが、実質的勘定の働きより強くなり、物価に対して下方圧力を強める。つまり、収益が上がっても回収圧力が強くて市場への通貨の供給を抑制し、所得を圧迫する。それがデフレーションを更に昂進するのである。

経済は、場に働く力と組織や制度、法とといった構造的な働き、そして、個々の主体、部分、単位の働きの三つの働きによって成り立っている。

場の力の源泉は、第一に名目的価値と実質的価値の相互作用がある。第二に、フローとストックの相互作用がある。これらの相互作用を生み出すのは、資産、負債、収益、費用の相互作用と収入と支出、即ち、資金の流れの働きである。

場に働く力は、名目的価値と実質的価値の関係から生じる。名目的価値と実質的価値の相互作用が場の力の性格を決めている。

経済を構成する要素には、人の要素、物の要素、金の要素がある。実質的価値は、物の要素を反映した事であり、名目的価値は、貨幣的要素を反映した事である。

実質的価値がある一定の限界を超えて収縮すると負の圧力が強くなって投資が抑制されるようになる。
競争を抑制して収益を向上させないとこの様な状況は脱却できない。

以前は大手スーパーが下町に進出するのは容易ではなかった。それはコンビニでも言える。
その理由は、下町の人間にとってスーパーは、自分のお客にならないからという事である。お互い様というか、持ちつ持たれつという関係が過去の商店街では生きていた。だから商店街は存続できたのである。
以前は、売るだけの関係、買うだけの関係は成り立たなかったのである。
売り買いという相互関係があって取引は成り立つのである。
その相互関係が崩れれば経済は均衡を失う。

協定や提携が一概に悪いと決めつけるのは早計である。何を競うかの問題である。
競うとなると量的な側面ばかりが強調されるが、本来は、質的な側面でこそ競い合うべきなのである。
価格ばかりで競争すれば利益は失われてしまう。

重要なのは、資金の流れがどの部分にどの様な作用をすることが場にどの様な働きをもたらすかである。

補助金を出すだけでは収益に貢献するわけではない。故に、補助金は直接的に赤字を脱却させるための方策としては不適切である。

会計では、実質的価値は、資産、費用に分類される。名目的価値は、負債、資本、収益に分類される。利益は資本に蓄積される。
名目と実質の違いは、名目的価値とは、貨幣としての価値しか持たない事象をさし、実質的価値とは、物としての実体を持つ事象の持つ価値を言う。

名目的価値は、表面に現れた価値と実体的な価値が一致している、のに対して実質的価値は、表面に現れた価値と実体的の価値が一致していない場合がある。例えば、地価は、会計上計上される価値と実際に取引されている価格とは必ずしも一致しているわけではない。地価のように実体的価値と帳簿上の価値が違う事象を実質的価値がある物とする。

また、ストックとフローは、流動性の問題でもある。
会計上、ストックに属するのは、資産と負債、資本である。フローに属するのは、収益と費用である。

実質的価値には、フローとストックがある。実質的価値は、フローの部分では名目的価値と基本的に一致している。問題は、ストックの部分で実質的価値は、実体と乖離しているという点である。
そして、ストックの部分の実質的価値と名目的価値との差が資金の流れる方向を定めるのである。

市場が収縮した場合、費用に対して収益が相対的に低下する。そうすると個々の経営主体は、収益を向上させるか、費用を削減しようとする。

この調整がフローの部分、即ち、収益と費用の間だけで行われれば、一時的な調整で終わる。しかし、この調整がフローの部分だけでは調節がきかなくなるとストックの部分、即ち、資産を換金化するか、資産を担保して負債を増やす事で不足した資金を調達しようとする。資産を換金化する事は収益に反映し、借入金を増やす事は、負債を増やす事になる。

人の要因は、所得として、物の要因は物価として、金の要因は利益、或いは、金利として現れる。

景気の動向を測定する指標として利益と物価の水準は有効である。

景気の指標は物価水準であり、物価は、需要と供給、通貨の流量の均衡点だからである。
消費と生産は、需要と供給の根拠となる。
景気は、生産手段、生産料だけで決まるわけではない。

インフレーションになるか、デフレーションになるかは、利益の設定の仕方、利益の目的、利益に対する考え方によって変わってくる。
なぜならば、利益に対する考え方は、収益や費用、資産や負債に対する考え方によって決まるからである。
そして、それは費用対効果をどう認識するかの問題でもある。
費用や負債を負の勘定だとして頭から否定していたら経済の抜本的な施策は打てない。

不良債権を売却して損を計上しても借入金の元本の返済は解決していない。借入金は、負債勘定であり、名目勘定である。不良債権というのは、裏側に不良債務が隠されている。不良債権が処理されても不良債務は取り残されている。
不良債権は売却されたとしても含みが失われた上に借入金の返済がキャッシュフローを圧迫し続ける。その為に、新規投資が抑制される。この借入金の元本は利益から賄われる。
この様な事態が市場全体で起こると市場は収縮を始め景気は逆回転を始める。それがデフレーションである。市場全体に下げ圧力が働き出すのである。
大体、不良債権が表面化する時は、収益が悪化している場合が多い。その為に、不良債権を処理と収益の悪化は相乗的に働くのである。
そうなると、不良債務は一括で処理することは難しい。資金は返済計画によって長期的に処理されるのである。
それでなくとも、収益が好転しても必ずしもキャッシュフローが良くなるとは限らない。利益と借入金、そして、税との関係がキャッシュフローを圧迫し、資金繰りを苦しくする場合があるからである。
だから、キャッシュフローの観点から検証しないと不良債権の処理の痕跡は、検証できない。キャッシュフローが大切だと言われるのである。
お金は手段である。しかし、最終的に困らされるのはお金の問題である。逆にお金の問題だからこそ難しいのである。

資金調達の手段は、売り買いと貸し借りである。売り買いは収益を形成し、貸し借りは負債と資本を形成する。
借入金の元本の返済の一部は税引き後の利益が当たられるが、利益や内部留保を否定的に考え、その全てを経営主体の外部に流失させてしまうと元本の一部は返済原資を奪われ累積する。この様な負荷は、企業の体力や競争力を奪い、所得の水準を抑制し、市場を収縮させる。これが、先進国病の病巣である。
利益や内部留保を一意的に否定してしまうと負債は、抑制を失って増大する。
負債の増大は、金利負担となって収益を圧迫し、また、投資を抑制する。
又、金融政策を制約して、財政の柔軟性を奪う。

利益を全て還元してしまうと借入金の返済原資の一部を失う。その為に、負の部分が集積されてしまう。なぜならば、借入金の返済原資が確保されなければ、負債は減少せず、かえって増殖するからである。
負債は、金利によって増殖するのである。

この様な弊害に備えるために、利益があるのである。
利益や内部留保を全て外部に還元したら負債が増殖する。
利益が示すのは、費用対効果だけでなく、売上と借入の比率、生産手段と消費の比率などがある。

さらに、利益の経済的効用を測る基準として、所得と物価の平均と分散は重要な意味がある。
利益と所得と物価が均衡するように経済を誘導する必要があるのである。

株式の持ち合いや安定株主の存在の何処が悪いのか。
取引は博打ではなく。経済は勝負事ではないのである。変わって言い部分と変わってはならない部分をどう見定めるかが重要なのであって硬直的な思考はかえって経済を混乱させるだけである。

デフレーション期でもインフレーション期でも競争一点張りなのは短絡的すぎる。産業には産業毎に成長段階や市場の状況、産業構造が違う。個々の産業がおかれた、市場の状況、成長段階、産業構造に応じて争を促す政策を採るか、競争を抑制する政策を採るかは、産業毎に決めるべきなのである。
経済は勝負事ではない。生きる為の活動である。
博打を煽り、一部の人間だけが成功できるような仕組みは、人の人としての倫理観まで狂わせてしまう。
謹厳実直、真面目で正直な人間が報われないような社会の仕組みはどこかに欠陥があるのである。
一律に競争さえさせておけば万事上手く収まると考えるのは、楽天的すぎる。
かつて銀行員というと謹厳実直で融通の利かないというような見られていた。今はばくち打ちのようにすら見られている。
それが社会全体の倫理観すらおかしくしているのである。

正と負、黒字と赤字は一定の振幅によって安定するのであって黒字でも赤字でも偏りがあると累積してしまうのである。






       

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