経済の現状

日本経済の現状について

9 可処分所得


所得と言っても、全てが実際に使えるお金、自由になるお金だとは限らない。つまり、実際に消費に回される、実物市場に向けられる費用は一部である。所得から、税金や社会保障費のように自分が自由にできないお金を除いた取り分が、可処分所得である。

国民可処分所得は、1991年に392兆円、1992年に400兆円をつけてから2013年までほぼ400兆円前後を横ばいしている。(図9-1)

可処分所得も25年近く変わらない事になる。総枠が変わらないから問題になるのは、一般政府、家計、企業への配分である。家計の可処分所得が増えないと実質的な総所得は増えない。

国全体の可処分所得は横ばいなのに家計部門が1999年309兆円で天井を打って2013年には、288兆円でピーク時から比べて21兆円減少し、一般政府は、1997年81兆円、1999年68兆円、2009年48兆円と下げた後、2012年には、59兆円をつけ2013年には、64兆円と持ち直したものの、ピーク時から見ると17兆円減少している。それに対して企業は1998年に19兆円を付けてから順調に上昇し2004年に41兆円を付け2013年には、35兆円と98年と比較して16兆円増加している。家計部門の低迷は、雇用者所得の減少が大きく1997年に278兆円だったのが2110年には、248兆円まで落ち込み、その後持ち直してはいるが、2113年の時点で248兆円とピーク時に比べて31兆円低い水準にある。
企業は投資を抑制している為に、貯蓄投資差額は、30兆円の高水準を維持している。

民間企業は、最終消費者ではないから企業の可処分所得が増えても総所得を増やす事はない。企業が総所得を増やすのは、生産手段である設備投資と中間消費である費用を介してである。
可処分所得が横ばいなのも問題だが、それ以上に、可処分所得が民間企業に傾いて、会計がその分、可処分所得が圧縮されている事の方がより深刻なのであるいる。
民間企業は、最終消費者ではないから消費に貢献するわけではない。かといって生産手段である設備投資に資金が向けられるわけではなく。現金預金として金融機関に積み上がっている。金融機関は金融機関として貸出先がない為に、国債の買い入れに向けられる。いくら資金の供給を増やしても市場にお金が回らない。お金が市場に回らないから景気は高揚せずに税収を伸びず財政は悪化して国債が増える。日本経済はお金が逆回転をし悪循環に塡まっているのである。

総所得は付加価値である。付加価値全体が一定ならば、配分の問題となる。付加価値を構成するのは、減価償却費、営業余剰、雇用者報酬、金利、地代、家賃、税である。この中から固定費を差し引いた分が可処分所得である。
いくら雇用者所得を増やしても最終消費に結びつかなければ、営業余剰を圧迫するだけである。全体の付加価値、即ち、総所得は増加しない。

問題は、家計を支える所得がどれくらい確保されるかである。それは家計が自由に使える金でないと意味がない。
見かけ上の所得が上昇しても実質的な所得が下がっているのでは、景気はよくならないし、総所得は改善されない。

現在の財政を鑑みると増税によって民間から一般政府への所得の移転をせざるを得ないのかもしれない。しかし、それは、総所得の改善が見込めるならばと言う前提条件が満たされた場合においてである。総所得の改善が見込めなければ、結局、増税分、可処分所得を減らすだけに終わる可能性があるからである。総所得が変わらなければ、単に所得を転移しているだけで、消費や家計の可処分所得の減少によって総所得の減退を招く恐れがある。

重要なのは可処分所得である。全体として、一体どれだけの金が実質的に消費に回せるのかが鍵を握っている。増税によって家計の所得が政府に所得が転移してもそれが、結局、政府の借金の精算に使われていたら、全体の可処分所得は増えない。

税と給付との関係は、可処分所得と所得の再配分の調和が鍵を握っている。なぜならば、所得の再配分は勤労者の可処分所得を圧迫するからである。所得の再配分には、格差を是正する目的があるが、過度に再配分の率を上げると労働と報酬、労働と成果、労働と対価との関係が希薄となる。それは勤労意欲を低下させ、結果的に生産性を低下させる。

可処分所得は、狭義では、所得から税金や社会保険料を差っ引いた額であるが実際は、家賃、住宅ローンの支払いや保険料又定期預金などを差し引いた額と考えてもいい。要するに、自由になるお金がどれくらいあるかである。

住宅ローンのような借金の返済は、金融に環流し、実物市場には流れない。この点が重要なのである。
累積性のある負債は、可処分所得を減らしてしまう。

現在、1950年生まれ前後の世代を境に定年後の事情が変わってくる。
1950年生まれの世代は、退職金も年金は満額貰え、住宅ローンの支払いも定年までに済ませ、医療費も、税金も少なめであった。しかし、1950年生まれ以後の人間は、年金は減額され、介護制度だってどうなるか解らない。会社がおかしくなれば、退職金だって出るかどうかも解らない。退職金の問題は、民間だけでなく、公務員だって例外でなくなる。しかも、老後の仕事の保証もなく。退職後も住宅ローンの支払いも残る可能性がある。医療費の負担も上がり、増税が重くのし掛かる。それに家庭崩壊が追い打ちを掛ける。孤独死、高齢者倒産なんて他人事ではない。財政破綻は、弱者に重くのし掛かるのである。
問題は、所得に占める可処分所得が細くなる事である。更に追い打ちを掛けるようにエネルギー価格の上昇により、光熱費や通信費の負担が重くなる事が予測され教育費もかかるようになる。その上に環境問題が深刻化する。
ローンによる負担の増加は、現金、預金、借入金の意味や働きを変質させる。
バブルを境にして世の中は変わったのである。

政府は、96兆円の歳入の内公債が37兆円38%を占めているのに対し、歳出は、96兆円の内23兆円が国債費つまり、借入金の返済の為の費用であり、他に固定的支出である社会保障費が32兆円、地方交付税交付金等が16兆円で国債費、社会保障、地方交付税交付金等を併せると73兆円で7割を超え、実質自由に使える金は、3割に満たない。

我々は、天文学的数字になりつつある国債残高に眼を奪われがちだが、問題は、実際に使えるお金が、国債残高の割に少ないという事です。

今日、急速に、金融機関の預貸率が悪化している。信用金庫に至っては50%を切るような状況が続いている。預貸とは、保有する預金に対する貸出の比率である。預金というのは金融機関にとって借金のようなものである。つまり、借金の半分も活用されていないと言う事である。貸し出しできない部分を国債が埋めている。埋めているというのは聞こえがいいが、逆に言えば、国債が民間への貸出部分を奪っているとも言える。つまりクラウディングアウトである。この様な状態は、実物市場への金のめぐりを悪くしている。

つまり金回りの道の幅が細いのである。
多くの借金の多さばかり気にしるが、それでもお金が回っている内は、何とかしのげる。
しかし、お金が回らなくなったら借金の重さに押し潰されてしまいう
我々は汗水垂らして働いたお金で生活をすべきなのである。
江戸時代、飢饉の時に大金を抱いて餓死した商人がいると聞く。
江戸時代の飢饉は、食料の生産が滞った事も問題だが、それ以上に物量が円滑でなかったことが指摘されている。
古来、金は天下の回り物と言われてきたが、量だけ増えて金か回らなくなりつつあるのが事態を深刻にしているのである。
アメリカは、金融によって成り立っているような社会になりつつある。しかし、人々の生活を豊かにするのは生産であり、人々の暮らしである。金が人々を豊かにするのでも幸せにするのでもない。
人はパンのみに生きているわけではない。
経済は、人々の生きる為の活動と私は定義する。

つけ呑みをしたような事である。ツケで飲んでいるうちは良いけれど、ツケが溜まると払えなくなる。
消費者金融に塡まってしまって破産する人のような者である。特に、自分の所得を返済額が上回ると雪だるま式に借金が増えて自己破産一直線である。財政もしかりである。借りられるからと言って安易に借り続けると終いに払えなくなる。

昔から、金に目が眩み、或いは、楽して金を儲けようとする者が身を持ち崩すというのが通り相場である。
正直者、勤勉実直な者、真面目な者、額に汗して働く者達が馬鹿を見る、報われないような社会が成り立つはずがない。
あらゆる聖典経典、聖書が語るように、退廃し堕落した世は先がないのである。
それは神の責任ではない。人間の愚かさ故である。

悔い改めなければならない時が近づいているのである。

総所得が増えない中で税金や社会保障費が上昇し、又、物価や医療費が増えれば、生活は厳しくなり、財布の紐はきつくなる。見た目上の利益や所得をいくら増やしても実質的に使えるお金が増えないかぎり、豊かさは実感できない。

この様な状態が続けば体力のない所から潰れていく。社会が根っ子から腐り始めているのである。
苦しみ悶えている所に、ジワジワと水が上がってきているようなものである。

上っ面をいくらよくした所で、御体裁がよくなるだけで内容は伴わない。内側からよくしないかぎり日本は健全さを取り戻せないのである。

可処分所得がなくなるといわゆる金詰まり状態になり経済は破綻する。
経済的な血栓、動脈瘤の様な事態である。手足の血管をつまらせればその先が壊死してしまうし、脳を血管をつまらせれば脳梗塞を引き起こし、破裂すれば大量の出血、卒中を引き起こす。死に至る事もあるし、死に至らずとも後遺症を残す。金詰まりも似ている。

日本は放置すれば死に至る病気にかかっている。このままにしておくと国家の独立、存亡にも関わる大事である。


図9-1

 
国民経済計算書 内閣府

図9-2

財務省




       

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