G−6 会計政策


 会計で問題なのは、現代の会計制度が利益や収益を管理する目的で構築されていないという点である。現代の会計制度は、企業を監視し、債権を確保する目的で設定されている。その為に、市場は、企業が利益や収益を上げられない仕組みに陥りやすいのである。

 市場経済が成り立つためには、経営主体が収益や利益を継続的に計上し続けることが前提なのである。
 ところが、会計制度を管理する者は、経営主体が利益を上げるのに無関心である。会計制度から見ると利益は結果でしかない。会計制度が利益に貢献できるとしたら、それは、結果を開示することにだけだと決め付けている。経営主体の上げる利益に対して責任を持つのは、経営者だけであり、会計を司る者は、利益を監視する事だけが任務だというのである。
 しかし、利益は、純粋に会計的概念なのである。故に、会計制度は利益を算出する上で重大な役割を果たしている。また、適正な利益を実現するため決定的な働きを持っているのである。

 利益の幅は、一般に考えられているより、薄く、尚かつ、不安定なものである。ちょっとした環境の変化によってあっという間に消し飛んでしまう。
 しかも、物価や所得、負債は、年々上昇し、しかも下方硬直的に出来ている。企業が、利益によってこの時間的価値を、吸収し続けなければならない仕組みに市場は、なっている。企業は、成長し続けなければならないのである。
 市場の拡大が止まり、収縮に転じると競争から奪い合いに変質し、企業は、お互いに収益を食い合うことにならざるをえないのである。その結果、利益は、どんどんと圧縮されてしまうのである。
 その時に、市場の外から競争条件が違う相手が出現すれば、あっという間に市場は席巻されてしまう。

 収益が圧縮されるのは、金融市場も同じである。むしろ、金融市場の基本は利鞘、鞘取りであるから、収益が圧縮される速度は速い。そして、レパレッジを効かせている分、リスクも高くなる。

 無原則な競争が道徳観は破綻させる場合がある。土台、競争にルールがなければ、道徳など持ちようがない。最初から守るべきものがないのだからである。それは、競技ではなく、戦争である。しかし、その戦争でも、掟や協定は存在する。自然界でも掟はある。自由原理主義者の言う市場を放置すべしと言う論拠が理解できない。

 会計というのは、思想である。自由経済や近代市場経済、貨幣経済は、会計の概念の上に成り立っている。それでありながら、現代の経済学は、会計の問題を蔑ろにしている。それが、経済学を実際の経済から乖離させる原因なのである。

 現代の市場は、貨幣制度を土台にして成り立っている。市場における貨幣価値は、取引によって顕在化する。資本主義において取引を規定するのが会計である。故に、会計の在り方は、資本主義を定義し、規定する。

 市場は、非倫理的な世界である。それは、会計が、倫理体系とは別の体系だからである。だからといって人間の社会は、非倫理的であって良いと言っているわけではない。市場というのは、非倫理的に場であり、会計は、非倫理的な体系だと言っているのである。
 人間の社会全体は、倫理によって保たれている。つまり、非倫理的市場は、法や文化と言ったものによって補完される必要があることを意味している。
 よく、金儲けと道徳は違う。だから経済には道徳はいらないと言う事を平然として嘯く者がいる。しかし、それは、人間としてという視点を欠いているに過ぎない。
 市場を野放しにすると倫理は廃れてしまうのである。市場に必要とされるのは規律である。
 その為にも会計をただ単なる技術だと考えるのは危険である。会計は、目的があって成り立つ手段の一部なのである。

 複式簿記は、市場取引、貨幣取引を前提として成り立っている。取引は、貨幣を介した交換行為である。つまり、市場経済、貨幣経済の基礎は認識の問題である。
 複式簿記の原則は、作用、反作用の原則である。つまり、一つの方向の取引には、同僚の反対方向の取引が想定されると言う事である。
 一つの取引は、取引を成立させている場の内部おいて、常に、均衡している。一つ一つの取引によって実現される貨幣価値は、常に、イーブン、均等に均衡しているものとして収入と支出に仕訳される。つまり、収入と支出の貨幣価値は同量であり、その時点時点において収入と支出は相殺される。この様に貨幣価値を実現して、収入と支出を相殺する行為を決済という。
 複式簿記による計算の実際は、収入と支出に分類される。収入とは、獲得し実現した貨幣価値の原因であり、支出は、獲得し実現した貨幣価値の結果である。具体的には、貸方は、収入を意味し、現金の元となる債務や取引からなり、借方は、支出の結果を意味し、支出によって実現した財、あるいは債権と消費と現金の残高に区分され並記される。
 現金とは、実現された貨幣価値を指し示す物であり、現実には、貨幣に表示された数値が実現された貨幣価値を意味する。
 債権とは、将来の収入を保留した権利であり、貨幣的な部分と非貨幣的な部分がある。債務とは、将来の支払を留保した責務であり、これにも貨幣的な部分と非貨幣的な部分があり、非貨幣的な部分を資本という。
 作用と反作用の前提となる取引は、債権と債務、現金と言う価値を生じる。
 また、複式簿記は、基本的に加算主義、累積主義である。累積主義とは、全ての取引を加算、集計した上で、残存価値によって利益、即ち、成果を計る思想である。故に、複式簿記を基礎とする会計制度は、残高主義、即ち、差額主義である。
 この様な思想が近代市場経済や貨幣経済の基礎を構成する思想である。そして、これはあくまでも任意な思想であって自然の法則のような所与の原理ではない。

 取引は、それが成立した時点では、均衡している。故に、放置すれば、市場は、定常的状態に陥る。市場の均衡を避けるためには、人為的に格差を付けるしかない。それが規制であり、市場の仕組みである。

 簿記には、一定の周期がある。一定というのは、会計期間を一つの単位とする周期であり、任意に設定されるものである。現在の会計期間は、一年を最長とする。会計期間を基準にして会計期間を超えるものを長期といい。会計期間に収まるもの短期に区分する。

 会計政策で重要なのは認識の問題である。市場価値、貨幣価値を実現するのは貨幣を介した取引である。即ち、会計上の取引を、いつ、何によって認識するかによって利益に変化が生じる。そして、そのいつ、何によって取引を認識するのかを規定するのが会計政策である。故に、会計政策で重要なのは取引の認識の問題である。その好例が、取得原価主義か、時価主義かの問題である。

 市場では、貨幣価値は、取引によって顕在化する。取引は、市場価値と貨幣価値とを連結する役割を担っている。
 取引が成立した時点において、簿記上の価値を認識するのであるから、簿記は、取引と貨幣価値の実現を認識した時点が重要になる。

 複式簿記を形成する要素の基本的構造は、内にあって、固くて、基になる部分と外にあって、柔軟、変動的で、附加された部分の二つの部分から構成されている。例えば、負債は、金利と元本、資本は、資本と配当、収益は、費用と利益と言うようにである。また、費用は、短期的に分析すると同様に内にあって固くて基になる部分と外にあって変動的な部分に区分される。
 内にあるとは。内に所属することを意味し、外にあるとは、外に所属することを意味する。固いというのは、一定という意味でもあり、変動というのは、可変的という意味でもある。
 この一定と可変的という構造が経済に重大な働きをしている。

 付加される価値というのは、時間的な価値であり、尚かつ、外部にあって附加される価値である。付加される価値を生み出す要素は内部にあってもそれを実現するのは、外部に表出された時点である。
 附加される価値は、時間的価値である。時間的価値が減少すると附加される価値は失われる。

 負債、資本、収益は、収入の原因であり、資産や費用は、支出された結果である。収入は、外から取り込んだ現金の原因であり、債務を形成する。資質は、内から出された現金の結果であり債権を構成する。

 資本は、第一に元手という意味がある。第二に、純資産、第三に株価の時価総額という捉え方がある。

 市場は一様でも一つでもない。市場というのは、複数の場の集合体である。市場は、市場全体を構成する個々の市場の位置付けや働き、関係を理解して組み立てられなけれはせ成らない。また、個々の市場は、市場を構成する要素や取引の形態、成熟度、開放度によってもその特性に違いが生じる。しかし、その違いは、人為的に生じるものであることを忘れてはならない。それは機械の性能のようなものである。

 人的市場、物的市場、貨幣的市場を構成する要素は、各々、違う。必然的に場の働き各々違ってくる。人的な場を構成する要素は労働と分配であり、物的場を構成する要素は、生産と消費である。貨幣的市場を構成する要素は、債権と債務、貨幣の働きである。

 消化器系や呼吸器系、循環器系が同じ機構で動いていないようにである。

 我々は、世界体制、国家体制を、自由主義と社会主義というように政治思想によって区分して考えがちであるが、現実には、実際的、実務的な差の方が重大である場合が多い。
 特に、今日、欧米を中心とした世界には、二つの大きな流れがある。
 一つは、英米を中心とした世界の流れと大陸、即ち、ドイツ、フランスといったユーラシア大陸を中軸とした流れである。具体的に言うと、英米は、第一に、判例法、慣習法、即ち、コモン・ローを基盤とした世界であるのに対し、大陸は、実定法を基盤とした世界だと言う事。この事は、第二に、英米は、帰納法的世界観を基礎とし、大陸は、演繹的世界観を基礎としていることを意味する。また、第三に、英米は、普遍主義的なのに対し、大陸は、単一主義的であり、第四に、英米は、自由主義的傾向が強く。大陸は、平等主義的傾向が強い。英米は、必然的に自由貿易主義になり、大陸は、保護貿易主義的になる傾向がある。第五に、英米は、資本市場を土台として発展してきたのに対し、大陸は、金融市場を土台としている。つまり、株主、投資家保護か、債権者保護かの差になって現れる。結果的に、第六に、英米は、公開的であるのに対して、大陸は、閉鎖的になる。会計的に言うと、第七に、英米は、連結決算を重んじ、大陸は、単独決算を重んじる。同じく会計的に言うと第八に、英米は、時価会計志向であり、キャッシュフローを重視するのに対し、大陸は、取得原価主義であり、損益計算を重視する。また、第九に、英米は、会計と税の基準を切り離して捉え、会計や会計のプロに、法のことは、法のプロ(専門家)に委ねるのが基本であるが、大陸は、ドイツの「基準法」の例に見られるように、税法と会計基準を一体に考え、商法と税法、会計制度の整合性を重んじる。また、日本は、確定決算主義を採り、会計原則は、大陸型である。第十に、英米は、国際主義的であり、大陸は、国家主義的である。(「会計制度の経済学」山本昌弘著 日本評論社)
 今日、世界の潮流は、グローバルスタンダード、国際化、株主重視、資本市場重視であるから、明らかに、英米の流儀が優勢である。しかし、必ずしも英米のやり方が絶対的ではなく、結局折衷的な形で統合が進められている。我が国は、伝統的に法も会計も大陸型を範にして発展してきた。それが戦後は、アメリカ型の制度を接ぎ木するような形になり、制度自体に歪みが生じている。それが、1991年以降、バブル崩壊後、会計ビックバンのような形で押し寄せ、混乱に拍車をかけた。先ず、どの様な制度もその基礎となる思想、ビジョンを明らかにした上で、状況、折りを見て、段階的に導入しなければならない。我が国は、どの様な社会体制を採るのか、その点に関する議論が充分になされないままに導入された経緯がある。

 大陸型の制度は、保守的、閉鎖的で狭い市場の中では有効であるが、国際化がすすみ開放的で革新的、変動的市場においては、限界がある。つまり、産業がまだ幼稚で成長発展段階においては、国家、官僚機関による保護育成が有効であるのに対し、成熟期になるとかえって、それが、足枷(あしかせ)になってしまうと言う性格がある。特に、税法と会計制度が連動していることにより、逆基準性、つまり、会計基準が税法によって拘束されるという現象も現れる。
 だからといって逆に、国際化を急ぎすぎると、国内の産業が育ちきれないうちに、国内の産業基盤が整う前に、激しい国際競争に曝されることになる。産業の育成は、段階的、構造的なのである。

 また、資本市場を基盤とした場合、どうしても短期的・名目的な成果を期待されるようになる。その為に、長期的な視点、即ち、長期的な観点からの内部留保や投資が行いにくくなる。また、資本取引による事業の拡大や縮小と言った産業改革が頻繁に行われ、実体経済よりも名目的な経済が重視されるきらいが生じる。

 私的所有権を尊重するというのは建前であって、結局、資本主義でも生産手段は、公的な財であって、私的には、借り物に過ぎないと言う前提に立っている。だからこそ、事業継承や相続、同族経営に否定的なのである。
 資本主義思想では、経営主体は、機関であり、それ自体が何等かの財を所有し、蓄積する存在ではないと言う思想が根底にある。
 そして、この思想は、会計制度に色濃く反映している。清算された時に明確になるが、企業というのは、企業自体が何等かの財を所有すると言う事は、あまり意味ない事なのである。
 企業に期待されるのは、継続であり、継続することによって、市場において、一定の働きをする事なのである。その働きの一番重要な部分は、財の分配と生産、そして、雇用である。そして、この働きを継続的に維持させることが会計本来の目的なのである。

(参考)
繰り延べ税金資産、上場企業、取り崩し相次ぐ、業績悪化で損失膨らむ。(日本経済新聞2009/1/7)
 業績悪化を受け、企業が将来支払うべき税金の前払い分ともいえる「繰り延べ税金資産」を取り崩す動きが相次いでいる。パイオニアが二〇〇九年三月末までに約百億円以上を取り崩すほか、正興電機製作所も〇八年十二月末で約十億円を取り崩し、最終赤字が拡大する見込み。昨年から企業業績が急速に悪化し「同資産の取り崩しから損失が膨らむ傾向が広がる可能性もある」(大手監査法人会計士)という。

 パイオニアは昨年三月末に約六百四十億円あった繰り延べ税金資産を九月末に約百億円取り崩した。プラズマテレビの事業構造改革費用が重いうえ、自動車販売の不振で車載機器事業が減速し、早期の利益回復が見込みにくくなったため。今期末にも一定額を取り崩す見込み。「会計士から指摘される可能性がある分を計画に織り込んだ」(岡安秀喜常務)。


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