現代の市場経済は、会計制度の上に立脚している。故に、会計がどの様な思想を基礎として成り立っているかを理解しないと経済を解明することはできない。この簡単な原則が理解されていない。その為に、会計のリテラシーとは全く別の次元で経済が語られている。それが経済を安定させない原因の一つである。

 現代経済は、会計制度の上に立脚している。つまり、会計的価値観によって支配されている。近代の会計的価値観の基礎は、複式簿記である。複式簿記の基盤は、発生主義である。発生主義というのは、思想である。発生主義に対応するのは、現金主義である。つまり、発生主義と現金主義は、別の思想、理念である。
 現代市場主義に属する国家の国民は、発生主義的な世界に住んでいることを前提としている。そして、この前提を確認しないと現在市場で生起する現象を理解することはできない。

 発生主義と現金主義の根本的な違いは、認識の仕方、特に、認識の時点の違いにある。取り引きをどの様に認識するかの相違である。つまり、認識上の問題である。

 市場は、取り引きの集合体である。故に、取り引きの在り方が市場の在り方を規制する。発生主義と現金主義との違いは、取り引きの認識による。

 発生主義と現金主義とでは、取り引きの始点と終点の違いがある。つまり。発生主義というのは、取り引きの始まりの時点で取り引きを認識し、現金主義というのは、取り引きの終点の時点で取り引きを認識する。
 
 投資家や金融機関から資金を調達するための手段の一つとして、また、納税の根拠として期間損益はある。利益という概念は、投資家や金融機関に対して経営実績を説明するための必要性から生じた概念である。

 産業革命を担ったのは、鉄道をはじめとする装置産業である。鉄道や、鉄鋼に代表される装置産業は、巨額に設備投資を必要とする。その為に、一方において、多くの資金を調達しなければならない必要性があるのと、もう一方では、現金収支の基づいた会計では、設備投資をした年に巨額の収支上の赤字を計上することになる。この様な産業は、本質的に、初期に投資した資金を長い時間をかけて回収することが原則である。また、会計が成立した当初は、当座企業を前提としてたが、装置産業の発達に伴って継続性が重視されるようになってきた。
 この問題を解決するために、設備投資と設備の維持にかかる資金を平準化する考え方が成立したのである。それが償却の概念であり、償却と繰延の概念が成立することに伴って期間損益が確率されたのである。
 故に、費用という概念には、償却と繰延いう概念が重要な役割を果たしている。また、償却という概念が成り立つか成り立たないかが支出と費用との違いでもある。

 発生主義は、期間損益という思想の延長線上にある。一定の期間内に取り引きの効果と費用を関連付けようとした場合、収支関係では、均衡を欠いてしまうからである。つまり、期間損益というのは、一定の期間の中で経営の成果を表現するために生み出された仕組みなのである。その為には、発生主義という思想が鍵を握っている。

 収益、利益、費用は、期間損益に基づいて成立はした概念である。そして、これらの概念は、発生主義に基づいて生み出された。
 また、資産、負債、資本なども発生主義会の概念である。つまり、期間損益は、会計制度によって成立した概念である。そして、近代会計制度は、複式簿記を土台として成り立っている。
 そして、期間損益の核となるのが利益という概念である。故に、発生主義と現金主義との違いを理解するためには、利益と言う概念の働きを理解する必要がある。

 利益という概念は、貨幣価値によって表されるが、必ずしも貨幣的実体を持つとは限らない。それは、発生主義においては、現金の授受を必ずしも伴うとは限らないからである。つまり、発生主義における取り引きの認識は、現金のやりとりに基づいていないのである。現金のやりとりに基づいた考え方を現金主義という。
 この様な期間損益は、認識の問題が重要になる。つまり、どの時点で取り引きを認識するかである。
 資金の動きと、期間損益には、関係がない。資金の動きと一定期間における経営活動とを切り離すことによって期間損益は成り立っているからである。
 故に、期間損益を理解するためには、貨幣の持つ働きと期間、即ち、時間の概念が重要になる。
 また、この会計の概念が根本となって資本主義は成立した。

 この事が何を意味するのかをしっかりと理解しておく必要がある。
 現金というのは、貨幣価値を実現した物である。つまり、現金というのは、貨幣価値を実現すると言う実体がある。それに対し、実現というのは、貨幣価値が実現したという仮定に基づくと言う事である。その為に、決済という取り引きが実際の取り引き以外に生じる。

 例えば所有という概念である。現金主義によれば、取り引きが成立した時点で、物そのものが交換される。それに対して、実現主義という場合、取り引きが成立した時点では、所有権の移転を意味する場合が多く。物の交換と言うよりも権利の交換と考えた方が妥当である。

 この点から言うと資産と財産とは、別の概念であり、現金主義で言う財産とは、何等かの価値を有する物を指して言うが、資産とは、何等かの効用を持った、物や役務を指し、その効用を権利に置き換えると債権になる。

 つまり、資産とは、現在的貨幣価値、即ち、現金を費やすことによって得た長期的な効用といえる。

 あえて言えば、費用は、一時的な効果を発揮する物や役務であるのにたいし、資産は、長期的な効用を発揮する物や役務である。そして、償却資産は、別名、費用性資産とも言い。費用化されることを前提した資産である。

 資金を費やした結果が、費用と資産である。つまり、消費されるものはを一定の期間で区分したのが資産と費用である。

 費用とは、消費である。消費というのは、貨幣価値の実現であり、価値の消滅である。そして、取り引きの完了である。
 費用の典型が人件費である。

 費用と資産とを区分する基準、期間と効用である。しかし、費用と資産とを区分する明確な基準はない。それは、実務的な観点やその対象となる物の働きによって必要に基づいて実務的に決められている。いうなれば、ルールと同じであり、恣意的、任意に決められた尺度に過ぎない。

 そして、この様な資産と費用の区分が成立することによって負債と資本の概念が形成されることになる。
 この様な負債の概念は、所謂、借金とは異質な概念である。つまり、負債とは、債務という責務、義務を象徴化した物であって実体があるわけではない。

 毎日の稼ぎを基礎とした生活から、借金を背景とした生活、即ち時間的価値を組み込んだ経済社会が発生主義的社会である。

 期間損益においては、何が費用化され、何が費用化されないかが重要な鍵を握っている。費用かされない物の典型は、非償却資産と借入金の頑本の返済である。非償却資産の典型は不動産である。この不動産と借入金の元本の返済が不良債権の素となっていることに注目する必要がある。期間損益では、資産計上と元本の返済が問題となる。

 現金主義から、発生主義への転換は、経済に対し、革命的な変化をもたらした。それは、今日の貨幣経済、市場経済、資本主義の根幹を揺るがすような出来事である。発生主義によって期間損益は、成立した。期間損益は、一定の期間の中に経営の成果を表すための仕組みである。

 現金主義では、その時点その時点で取り引きは完結しているのにたいし、発生主義は、その時点その時点では必ずしも完結しておらず、別の時点で決済をする必要がある場合が多い。

 我々は、現金という言葉を何気なく、日常的に使っている。しかし、だからといって現金の持つ意味を正しく理解しているとは限らない。いつの間にか、現金という言葉の意味を知っているつもりになっているのに過ぎない。それが、貨幣経済に対する混乱の原因となっている。

 現金というのは、貨幣価値を実現した物である。我々は、貨幣そのものを現金として捉えるが、現金というのは、本来、貨幣価値を象徴化した概念であって実体があるわけではない。その現金に実体を与えた物が貨幣である。
 かつては、貨幣そのもの、貨幣の素材そのものが価値を有していた。つまり、財宝としての貨幣である。しかし、今日、貨幣が証券化されることによって貨幣は、価値を象徴する物に変じた。それが紙幣である。そして、更に、貨幣は、物からも切り離され、情報へと変質しつつある。
 
 紙幣は、証券の一種である。故に、紙幣は、証券としての属性を持っている。また、紙幣の証券としての属性が、所謂、実物貨幣との違いでもある。
 証券を構成する要素は、第一に、紙、或いは物、第二に、権利(価値)を保証された物だと言うことである。第三に、その価値を証明されている。又は、何等かの主体、権威によってその価値が証明されている物である。第四に所有権の移転できると言うことである。この様な紙幣は信用制度を基盤として成り立っている。

 金で何でも買えるのか。貨幣価値は、全ての価値を網羅しきれるのかと言う問題がある。また、貨幣価値は、量的価値だと言う事である。量化できない、数値化できない価値は、表現できない。
 貨幣の効力範囲は、貨幣の使用目的に規制されている。

 資金は、循環した範囲内で需要を喚起する。言い換えると、需要は、資金が循環し範囲内でしか喚起されない。金融市場でしか資金が循環しなければ、金融市場内でしか需要は喚起されない。資金が周辺の市場に流れて始めて、金融市場の外部の需要を喚起できるのである。これは、公共投資や公的資金を活用する際に充分に考慮すべき点である。公共投資や公的資金を活用した時、資金が流れる範囲がどこまで及ぶかが政策の効果が及ぶ範囲だと言う事である。

 発生主義は、複式簿記に基づく。それに対して、現金主義は、現金の出納、即ち、単式簿記に基づく。
 単式簿記には、償却という思想はない。単式簿記は、現金出納が主だからである。現金収支を土台にしたものであり、現金主義に基づいているからである。

 また、複式簿記上の取り引きは、取り引きが成立した時点で債務と債権が均衡していることを前提としている。つまり、取引上は、貨幣価値によって表現されても現金が介在しているとは限らないのである。発生主義的な取り引きとは、取り引きが実現したことを仮定した上に、その取り引きを貨幣価値によって置き換えたものに過ぎないのである。これが信用と取り引きを派生される。つまり、実現主義的社会というのは、仮想的な取り引きの上に成り立つ世界なのである。

 企業には、実体がない。言うなれば、張り子の虎である。故に、資金調達の目処が立たなくなれば淘汰される。資金調達の目処の算段を付けるのが利益である。会計的に利益が見込めなくなれば、資金調達は困難になるからである。
 発生主義的な世界というのは、常に、均衡を指向する世界である。それは、個々の取り引きは、取り引きが成立した時点で均衡しているからである。つまり、熱力学的な世界であり、物理学的な空間ではなく、観念的な空間である。それ故に、観念的に空間を制御する仕組みが重要になるのである。

 この様な発生主義的市場空間が形成される目的は、財の生産と分配にある。
 財の分配と生産は、貨幣の働きに支援されることによって実現する。
 貨幣の働きは、即ち、運動は、位置と関係によって引き起こされる。位置とは、格差である。
 そして、その働きは価格に収斂する。価格を構成する要素の位置によって財の運動が規定される。
 故に、財の運動を媒介するのは、交換手段である貨幣である。価値は、貨幣の相対的な金額として表示される。
 交換手段である貨幣は、市場を構成する経済主体に万遍なく行き渡っている必要がある。また、極端な格差は、市場の円滑な分配を阻害する。故に、格差は、一定の幅に納められる必要がある。
 経済現象は、水準と位置と格差が重要な基準になる。


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発生主義・実現主義と現金主義