規  制
構造的規制

 構造的規制とは、社会の構造的部分に複合的、即ち、構造的な対策をする。その一環としての規制を指して言う。
 病気の治療法にも、内科的な処方と外科的な処方の二種類がある。ただ、何れにしても現象として現れた症状だけで診断を下すわけではない。一応、症状を基、参考として、検査の計画を立ててから診断に移る。その際、症状に応じて応急的処置を講じるのである。ところが、経済政策には、この分別がない。故に、どうしても対処療法的な処置で終わってしまう場合が多い。
 喉元過ぎれば、何とやらと言う事である。
 その為に、結局、何度も同じ事、同じ病を繰り返すことになるのである。

 何が原因なのかを見極める必要がある。資金が流れないことに原因しているのか。資金量が少ないことが原因なのか。需要がないことが原因なのか。供給力がないことが問題なのか。生産に支障をきたしているのか。
 そして、例えば、生産に支障をきたしているのならば何が原因なのか。原材料が不足しているのか。原材料の価格が高騰しているのか。技術がないのか。需要に生産が追いついていないのか。人手不足なのか。在庫が不足しているのか。価格に問題があるのか。為替の変動が原因しているのか。流通、交通に不都合が生じたのか。何等かの災害によるのか。災害も天災なのか、何等かの事故か、それとも戦争や革命の様な人災なのか。それとも人為的、作為的な思惑が働いているのか。
 それによって採るべき施策も違ってくる。

 経済の病を治すためには、抜本的な施策が不可欠である。その為には、先ず経済の仕組みを知る必要がある。経済の仕組みは基本的に合目的的なものである。人間が生み出した者である。だとしたら、先ず、なぜ、人間は、経済を、また、市場を必要としたのか、その目的から明らかにする必要がある。

 病気の診断もただ、一意的な症状だけ見て行われるわけではない。体温や血圧、尿検査、レントゲン検査など、複数の検査結果を組み合わせて行われる。

 会計制度を基盤とした市場経済は、会計的利潤を前提とした経済体制である。故に、経済主体、即ち、企業、家計、財政が利益を上げられることが必要要件である。企業、家計、財政が利潤を追求できる仕組みが成立してる事が大前提となる。利益は、搾取であり、悪だでは成り立たないのである。

 規制には、前提がある。経済政策は、本来、合目的的な施策である。故に、その前提に基づいてどの様な効果を狙った施策なのかを構造的に明らかにする必要がある。

 前提には状況的前提と構造的前提がある。状況的前提というのは、対象となるものが置かれている状況を言う。経済的状況で言えば、物価の上昇率とか、金利、為替の動向と言った情報である。それに対して、構造的前提とは、対象となるものがおかれている基盤的前提をいう。例えば、政治体制や経済体制、法制度や会計制度のようなものである。即ち、状況的前提とは、変動要因であり、構造的前提とは、固定的要因である。

 現在の経済の構造で重要なのは、固定部分と変動部分の区分である。ただし、何を固定とするか、何を変動とするかは、相対的な概念であり、何を基準にするかを決定することに伴って決まる。
 固定と変動とを区分する基準は、第一に、時間、周期である。長期的な部分を固定的とし、短期的部分を変動的とする。第二に、変化の度合いである。変化の度合いは差によって測られる。変化の度合いとは、基準に対する率と幅として現れる。第三に、フローとストック。流動性である。つまり、現金化の速度である。現金化の速度とは、貨幣価値の実現するための時間を言う。第四に、分母と、分子である。何を基準にして、何を導き出すかである。第五に、相関関係である。つまり、何に対して、何が連動しているかである。関係である。第六に、元と付加価値である。
 固定と変動の違いが意味するのは第一に、静と動である。第二に、位置と運動である。、第三に、回転である。 第四に、安定と不安定である。第五に、定型と不定形である。第六に、保証と損得である。第七に、不動と可動。変化の度合いである。変化とは、動きである。何等かの基準に対する比率と指標である。
 固定と変動を科目によってみると、第一に、貸借と損益である。第二に、資金の運用は、総資産と費用に区分される。第三に、資金の調達は、総資本と収益に区分される。第四に、総資産は、固定資産と、流動資産に区分される。第五に、総負債は、固定負債と、流動負債に別れる。第六に、借入金は、長期借入金と短期借入金に区分される。第七に、収益は、定収入と不定期収入に別れる。第八に、収益は、費用と利益に区分される。第九に、負債は、元本と金利からなる。第十に、純資産は、資本と配当からなる。第十一に、費用は、固定費と変動費に区分される。第十二に、資産と利益に区分される。第十三に、収入は、定収入と不定期収入、臨時収入に別れる。第十四に、可処分所得と不可処分所得に別れる。第十五に、貯蓄と消費に区分される。
 この様に、経済を構成する要素には、不動的か、可動的か決定的な要素となる。

 経済現象は、この固定的部分と変動的部分の割合と関係によって引き起こされる。重要なのは、経済現象は、固定的な部分に依拠しているのか、変動的部分に依拠しているかである。

 問題点が固定的な部分で起こっているのか、変動的な部分の問題なのか。例えば、貸借情の問題か、損益上の問題かを見極めることが重要である。その場合、注意すべきなのは、一見して流動性の問題に見えても、実際の原因は、ポジション、位置付けの問題であったりすることがあることである。

 現在の経済は、予測の上に成り立っている。予測に基づいて、予定や計画、予算を立て実績、実際に出た結果と照らし合わせて予定を変更、修正、管理する。それが経済活動の基本である。
 つまり、予測や想定に基づいて意思決定や準備がされる事が前提となる。そうなると予測の精度が重要となる。予測をの精度を高めるためには、確実なことと不確実なことを見極めることが大事なのである。
 確実な事というのは、当たり前な事柄、普段は、無自覚な事象が多い。例えば暦や日没時間、自然の法則、法律、組織の規約のようなものである。また、枠組みの多くも予め設定されている。
 現代社会においては、不確実なことを過剰に評価する傾向がある。重要なことは、予測を立てる上で必要な要素の大多数は、確実なことである。ただ、成否を握る部分に不確実な要素が多く含まれていると言うだけである。確実だと思われることをより確実なものとしておかないと土台から成功は期せないことを忘れてはならない。

 予測を基盤とした社会で一番に問題になるのは、予測不能な状態や予測不能な状態を作り出す仕組みである。だからこそ、規制が必要とされるのである。

 多くの事業は、始まる前は、楽観的に考え、現実に始めると悲観的になるがちである。捕らぬ狸の皮算用ではないが、商売を始める前は、バラ色の未来を描き。いざ商売を始めるとこんな筈ではなかったとすぐに壁にぶち当たって挫折するのが通例である。しかし、現実とは、始めに考えるほど甘くはないが、絶望するほど厳しくもないものである。要は、どこまで現実を直視し、状況や環境に適合できるかによっているのである。

 市場は、拡大と縮小を繰り返している。それに合わせて市場は、構造的な変化も繰り返している。また、市場には、人的な市場、物的な市場、貨幣的な市場があるが、それぞれ独自の運動をしていると見なして良い。それを結び付けているのは、存在物である。
 経済主体は、市場と均衡することが常に求められている。つまり、経営に要求されるのは、市場の拡大と縮小に合わせて均衡できる構造をも構築することなのである。現代の経済構造で問題なのは、この様に拡大と縮小を繰り返す市場に均衡できる仕組みが経済主体にも、市場にもないことである。
 現代経済体制は、常に拡大均衡を前提として成り立っている。それ故に、市場が縮小均衡に向かうととたんに、市場は機能不全状態に陥るのである。

 経済の構造的歪みの原因は、拡大均衡から縮小均衡へ、あるいは、縮小均衡から拡大均衡への変換点において発生する場合が多く見られる。つまり、経済構造の変化が、恐慌やバブルと言った経済現象、経済的災害を引き起こす一因と考えられるのである。
 市場が拡大しているときのインフレーションと市場が縮小しているときのインフレーションでは、同じインフレーションでも、原因が違う。拡大均衡から縮小均衡に変化する段階で、拡大均衡の時と同じ、仕組みや施策を採っていると逆効果になるの場合が多い。拡大均衡時の施策と縮小均衡時の施策とは、表に顕れている現象が同じでも、正反対なものなのである。

 経済の構造的な変化というのは、一朝一夕に来るものではない。変化には時間がかかる。故に、何等かの予兆があるはずである。そして、その予兆を的確に見抜いて構造的な対策を立てる必要があるのである。
 構造的な変化に対応するためには、構造的な施策、構造的な規制が必要とされる。

 市場は、取引によって成り立っている。故に、経済の歪みは、取引を通して現れる。故に、取引によって成立する経済構造を点検すれば経済の歪みの原因は明らかになる。

 市場経済において重要な原則は、経済現象を成立させている個々の取引は、その取引が成立した時点において均衡しているという事である。つまり、一つの取引には、必ず反対取引が生じることを意味している。反対取引は、相対取引とも見なす事が出来る。取引と反対取引は作用、反作用の関係にある。そして、取引と反対取引は、相対していて、一対一の関係にある。方程式である。
 また、取引の内容、構造は、非対称なのである。そして、市場の歪みは非対称性から生じる。そして、取引と反対取引は、取引が成立した時点において同量の貨幣価値を有する。それが、取引の均衡を意味する。取引が成立した時点で、同量の貨幣価値を実現する。それが現金価値である。
 取引の構造が非対称であるという事は、取引と反対取引、または相対取引は、各々、別個の価値を形成し、時間的な変化も独立しているという事である。ただし、取引と相対取引は、それぞれ独自の価値構造を形成するが、それぞれが実現した貨幣価値によって関連付けられる。そして、決済によって取引は終了する。決済とは、貨幣価値を実現し、清算することを意味する。つまり、取引と相対取引の関係は、各々が貨幣価値を実現し、清算した時点で解消される。
 例えば、商品は、仕入れた時点で債権と債務が生じる。債権は、販売によって貨幣価値を実現し、債務は支払によって貨幣価値を実現する。その実現された貨幣価値を清算することによって売上利益が確定する。そして、取引は、決済されて終了する。
 
 取引、相対取引の時間の経過に基づく構造的変化の差が利益を生むのである。つまり、構造に歪みがあると利益は生まれない。かえって損失が生じる。

 これが会計、基盤である複式簿記の基準でもある。故に、市場経済の原則でもある。
 そして、この事は、一つの事象に対して必ず相対する事象を想定していることを意味する。

 収益は、費用と利益の構造からなる。その相対する構造に時間軸を加えることによって時間的価値が生じる。時間的価値は、利益、金利、配当、地代、家賃等である。

 市場の機能は、公正な競争によって成り立っていると市場原理主義者は主張する。それでは、公正な競争とは何か。公正な競争は、同一の競争条件が実現しなければ成立しないはずである。
 良い例は、人件費である。人件費というのは、費用の中でも大きな部分を占め、競争力を重大な影響を及ぼす要素である。
 しかし、人件費を構成する要因は、多様であり、競争条件は、一律だと仮定するのは乱暴に過ぎる。
 大体、費用には、名目的なものと実質的ものがある。名目的というのは金額に現れた費用である。そして、価格に反映する人件費は名目的な部分である。名目的人件費をだけで、競争条件を捉えるのは危険である。人件費というのは、生活条件や物価、労働条件が織り込まれたものだからである。
 実質的な人件費というのは、人件費の持つ実際的な価値の総額を指して言う。実質的な人件費とは、労働者に対して支払われた実際的な費用を言う。
 名目人件費と実質的な人件費が一致するというのは稀である。なぜならば、人件費には、労働の対価という側面だけでなくいたような側面を持つからである。人件費は、第一に、労働に対する対価、つまり、コストである。第二に、人件費は、所得だと言う点である。つまり、人件費は、生活の糧である。第三に、労働に対する評価でもある。
 つまり、人件費は、一律の条件で決められているわけではない。産業の空洞化が叫ばれる背景に、人件費の問題が大きく影響していることは、衆知の事実である。人件費が安い地域で生産を行えばそれだけ費用を低く抑えることが可能なのである。しかし、人件費が安いという理由が、労働条件にあるとしたら、それは問題である。つまり、人件費が安いのではなく。労働条件が悪いところに生産拠点を移しているにすぎないからである。
 人件費を低く抑えるためには、一つは、労働条件の問題がある。もう一つは、費用の負担を企業が負うのか、公が負うのかの問題もある。例えば、医療保険や年金を国家が負担している場合と私企業に負担させている場合では、当然、名目的賃金は違ってくる。また、国家間には、為替の変動の影響がある。公正な競争力は、名目的だけではなく、実質的な面からも捉えないと実現しない。
 故に、競争条件を一律に扱うことは出来ないのである。一律に扱うことは、公害や貧困、劣悪の労働条件を輸出することにもなりかねないのである。
 経済的要因は、政治的な要因でもあり、社会的な要因でもあり、文化的な要因でもあり、制度的な要因でもあり、思想的要因でもある。
 公正な競争を実現する事は、公正な社会を実現する必要があるのである。

 産業は、個々の経営主体、企業の集合によって成り立っている。企業は、貨幣的存在である。つまり、貨幣価値を基盤として成り立っている。今日の貨幣経済のリテラシーは、会計制度である。産業を構成する経営主体、企業は、会計上の利潤を追求する事によって成立している。会計上の利潤は、収益によって成り立っている。収益は、利益と費用の階層構造を成している。この階層構造が、基本的に産業構造を表している。
 費用構造は、産業構造の断層を表している。さらに、費用構造は、分配構造でもある。分配には、内的分配と外的分配があり、それぞれ、範囲と構造が重要になる。

 費用は、第一に、固定費と変動費。第二に、直接費と間接費。第三に、材料費(仕入れ)、労務費、一般管理費。第四に、売上原価、販売費・一般管理費、支払利息、税金、資本に分類される。
 第一の固定費と変動費は、経営活動の関連した構造を表し。損益分岐点構造を明らかにする。損益分岐は、企業だけではなく、産業にも当て嵌まる。
 第二の、直接費と間接費は、製品の製造や販売との関係の構造を表す。
 第三の、材料費と労務費と経費は、費用の形態、性格からの分類である。
 第四の、売上原価、販売費・一般管理費、支払利息、税金、資本コストは、分配構造を表している。即ち、売上原価は、仕入先への分配であり、販売費・一般管理費は、取引業者、従業員への分配、支払利息は、債務者への分配、税金は、国家や公的機関への分配、配当等、資本コストは、株主、投資家への分配を意味する。

 規制は、保護主義であり、市場の自由度を奪うという議論がある。

 一頃、ウィンブルドン現象という言葉が流行った。英国が金融ビックバンによって金融が自由化された結果、多くの金融機関が外国資本の傘下に入ったことを、テニスのウィンブルドンにおいて、外人選手に席巻されたことにあやかって言うのである。

 ウィンブルドン現象は、良い意味でも、悪い意味でも使われる。そして、それはたぶん、両者の言い分とも妥当なのであろう。市場を開放することには、利点もあるが、当然、弊害も生じるのである。

 市場を開放したり、規制を緩和する場合は、それなりの覚悟が必要である。市場を開放したり、規制を緩和したりした後にこんな筈ではなかったと言ったところではじまらない。後の祭り、取り返しのつかない事態が起こることが多い。ただ、規制緩和は、流行だとか、自由競争は原理だというような甘い考えで行うべきではない。市場に対する明確な考え方や構想があって出来ることである。

 競争にもゴルフ型と野球型がある。ゴルフ型というのは、個人競技で、プレーヤー個人にハンディーが付けられ、尚かつ、スコアは、自己申告を原則としている。それに対し、野球型というのは、チームプレーで、何等かのリーグがあり、そこに登録された者を基準とする。基本的には、リーグ内においては、ハンディーは与えられない。

 保護主義というのと規制というのは本質的に違う。ただ、保護主義的な規制があるだけである。保護主義的規制というのは、保護主義を目的とした規制である。規制は、個々の企業や産業を保護する目的だけに制定されるものであってはならない。市場の機能を守るために制定されるべきものなのである。ただ、保護だけを目的とした規制は排除すべきだが、市場や産業は保護されなければならないものである。
 ここで紛らわしいのは、保護主義とで言う保護と市場の保護とは必ずしも一致していない。保護主義の保護というのは、保護だけを目的とし市場を閉ざすようなものをいうのであり、市場の保護は、市場の機能を守るためにされるものである。



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