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Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano

 経済の世界では、公共投資は、景気浮揚策の決め手だと思われている。これは、基本的な過ちである。公共投資は、景気浮揚策の手段ではない。公共投資そのものに本来の目的がある。公共投資を景気浮揚策の手段だと決め付けてしまったら、公共投資は、本来の目的を喪失してしまう。それでは公共投資は、自壊してしまう。なぜならば、公共投資は、本質的に合目的的な事業だからである。

 人生の目的は、金儲けにあるわけではない。人生の目的は、幸せになることである。その為に、金を儲けるのである。金は、道具であり、手段である。道具であり、手段である金の為に、人生を棒に振る様なことは、本末転倒である。金のために人を殺すのは、愚行である。

 公共投資も同じである。国民国家における公共投資本来の目的は、国民の福利と安寧を実現する事にある。
 好例が国防である。国防に対する本来の目的は、平和の維持にある。戦争を起こすために軍隊があるわけではない。ある意味で国防の目的が平和の維持にあるというのならば、戦争が起こるは、失政の結果だとも言える。ただ戦う覚悟なくして平和を維持できるというのは、幻想である。
 軍は、使い方によっては、凶器となる。自分の身を護るためにある武器が、自分を滅ぼす物になることがある。ただ、それは、それを持つ者、使う者の心構えの問題であって、物に責任を帰すのは、愚劣である。
 軍は、金食い虫である。その目的を逸脱すれば、際限なく資金を食い潰す。
 我々は、国防というと、何でもかんでも軍隊と結び付けたがるが、国防というのは、要は、国家国民を外敵や災難から守ることを意味する。故に、防災も国防の一つである。
 国家の事業で、この国防は、主要な事業の一つであることは、間違いない。国防において重要なのは、何から、何を守るかを明確に規定することである。それによって国防の在り方も違ってくる。
 例えば、国民を護る軍と権力者、特権階級、権力者を守る軍とでは、その本質が違ってくる。当然、装備や配置も違ってくるのである。
 国防を語る時、何から、何を守るのかは、大原則となる。故に、何から何を守るのかを明確にできない国防思想というのは、無原則な思想である。

 この様に、公共投資は、投資する事業の目的や考え方によってその在り方が変わる。それを短絡的に景気浮揚策に全てを還元することはできない。

 橋や道路は、建設業者や景気対策、雇用のためにあるわけではない。国民の暮らし向きをよくするためにあるのである。
 医療制度の目的は、医者や医療、景気対策のために、あるわけではない。医療制度は、国民の健康維持のためにあるのである。

 公共投資の根本は、社会資本の充実であり、その基盤を為す国家観である。つまり、公共投資の目的は国家建設にある。この目的を抜きに公共投資を語ることはできない。

 公共事業は、本源的に合目的的な事業であり。目的が不明瞭な公共事業は、それ自体が自己矛盾な存在なのである。

 仮に、潜在需要を喚起するために、公共事業を行う事だけを目的としたら、その場合、貨幣を万遍なく浸透させることが目的なのであって公共事業そのものに目的があるわけではない。つまり、食べ物を買う金を与える事に目的があるのである。貨幣を万遍なく市場に域を鱈そる必要は、需要はあるがお金がないことが前提となる。
 その場合でも、無意味な公共事業を、殊更、増やすことは、社会的な負荷を増大させるだけである。経済行為は、社会や環境に与える影響が大きいのである。

 故に、潜在的な需要を喚起する政策を実行する場合でも公共事業その物の事業目的を明確にする必要がある。景気対策だから何をしても良いというわけには行かない。なぜならば、巨額の資金と長期間、多くの人手を必要とする以上、その影響力も甚大なものになるからである。

 また、その場合においても労働が前提となる。また、労働が生み出す財の価値が問題となる。それを無視したところに経済政策は成り立たない。穴を掘って札束を埋めるような行為は、経済的には、何の意味もない。戦争が景気を浮揚させるという考え方ほど危険な思想はない。それは、国家本来の目的を否定する事に等しい。

 公共事業は、投資額が巨額になる上、長期にわたる大事業であることが前提である。また、対象は、国民一般であることが前提である。国民一般というのは、受益者や利用者を特定できない事業だと言う事でもある。故に、財源は、税金に依存することになるのである。

 公共事業には、一時的な事業と継続的な事業がある。

 公共事業で、重要なのは、それが継続的な事業であるか。一時的な事業であるかである。また、代替が可能な事業家である。
 なぜ、それが重要なのかと言えば、雇用形態や設備投資の在り方に重要な影響を与えるからである。
 民間企業は、継続を前提としている。それに対し、建設業は、大量の雇用と設備投資を前提として成り立っている。設備を償却できなければ、また、新たな雇用を創出できなければ、大規模な建設業は経営を継続することが不可能だからである。必然的に建設業は、既得権益や利権の温床となる。問題は、それによって公共事業の本質が歪められることである。

 公共投資の根本は、国家構想であり、景気対策ではない。とのような国を造るかが、公共投資の根本である。
 最近の施策は、公共投資を景気対策の手段としてしか考えていないようにすら思える。その為に、無駄遣いが増えている。一度決めたら、明らかにおかしいと解っていても変更できない。また、利権や既得権の温床に公共事業が成ってしまう。

 公共事業によって雇用を創出したり、設備投資を喪失するのは、副次的な効果である。

 経済は、労働と分配である。故に、経済効率の第一義は、効率の良い分配にある。生産性に基づく効率は、分配効率を前提として成り立っている。
 故に、規制緩和によって雇用を減らしておいて、一方で失業対策をするのは滑稽でもある。

 規制を緩和して雇用を減らして公共事業をするくらいならば、企業の収益力を維持して雇用を確保した方が、市場経済には有効である。

 規制は、既得権益を守るようなものであってはならない。重要なのは何を実現しようとしているかである。

 公共投資の効果は、前提条件や市場の状態によって変化する。故に、不景気になったからと言って公共投資をすればいいと短絡的に考えるのは危険である。

 例えば、市場が未成熟で、不飽和な場合と市場が成熟して過飽和な状態では、公共投資の効果に違いが出る。

 大規模な公共投資によって景気の浮揚を計ろうとした場合、どの様な効果を狙って公共投資をするのかを明確にする必要がある。景気を浮揚するためという漠然とした目的によって闇雲に公共投資をするのは、病気の治療だと称して意味もなく、効用も確認しないで大量に投薬するのと同じである。病気を癒すどころか、薬によって病人を殺してしまいかねない。

 市場が不飽和な場合は、公共投資に投入された資金は、消費に向けられる。

 市場が過飽和な場合は、消費に廻されずに、貯蓄か借金の返済に廻される。借金の返済に廻される場合は、金融機関の貸出を減少させ、信用収縮を招く。他方、貯蓄に廻されると金融機関の借入を増加させ、運用圧力、投資圧力を増加させる。
 金融機関は、預金を運用する事で成り立っている。言い換えると、資金を運用しなければ成り立たない。
 優良な投資先、融資先、運用先が見つからない場合は、資金を金融市場で運用せざるを得なくなる。
 資金を運用しなければならないから金融市場で運用するというのは、同義反復(トートロジー)である。ただ運用しなければならないと言う自己目的のために、投資のための投資を行うことである。この様な行為が過剰流動性を生み出すのである。

 一概に過剰流動性がインフレーションを招くとは決め付けられない。運動をしない人間は、高血圧になりやすいと言えても、運動をしない人間は全て高血圧になるとは断言できない様にである。高血圧を引き起こすのは、いろいろな要素が複合的、構造的に引き起こすのであり、その人の体質や症状に合わせて治療法を決めるように、インフレーションに対する施策もその国の市場や状況に合わせて立てる必要がある。
 故に、一概に過剰流動性だから、インフレーションになるとは断言できない。しかし、過剰流動性は、インフレーションの要因となりうることも事実である。そして、金融市場が原因で発生する過剰流動性は、バブルの原因になりやすい。
 インフレーションは、人的市場、貨幣的市場、物的市場の相互作用によって引き起こされる。

 余剰資金が経済の質的な面に向かうか、量的な面に向かうかによってインフレの有り様も変化する。
 例えば料理のように質的な差が付けやすい財の市場に通貨が流れ込むと細分化することによって通貨を吸収することができる。しかし、コモディティ商品のように質的な差を付けにくい財の市場に急激に資金が流入すると局所的なストックインフレを引き起こす可能性が高い。

 バブルというのは、局所的なストックインフレである。原油や不動産価格、食料、貴金属価格の異常な高騰は、狭い市場の中に大量の通貨が流入したことが原因である。しかし、それは物的な市場と貨幣的市場の双方が作用していることで、過剰流動性が、即、インフレに結びつくと考えるのは、短絡的である。しかし、資金が、何等かの原因で狭い市場に急激に流入することは、局所的なインフレーション、即ち、バブルの原因になる。それは、潜在的に過剰流動性が影響していると言える。
 そして、その過剰流動性は、無原則な通貨の供給が一つの要因だといえる。故に、無原則な公共投資は、バブル現象を引き起こす危険性を孕んでいることを忘れてはならない。

 公共投資は、明確目的と長期的な展望をもって為されなければならない。しかし、国家経済において公共事業は、決定的な役割を果たしていることも忘れてはならない。故に、経済的効果を考慮に入れた上で、時々の施策を迅速に行う必要があるのである。
 そして、それが実行できるような仕組み、機構を構築することが公共投資における政策の大前提となる。

 

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