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 国家百年の計という言葉がある。国家百年の計という言葉が示すように、国家は、百年、二百年かけて建設し続けていくものである。

 伊勢神宮は、公共事業に対する一つの在り方を示している。伊勢神宮は、定期的に遷宮を繰り返している。
 定期的に遷宮を繰り返すことによって雇用と技術の継承を図ることが可能となる。

 古代の公共事業は、ある種の宗教性を帯びている。それは、公共事業の性格に由来すると考えられる。
 公共事業の性格の第一に、公共性である。第二は、神聖性である。第三に、不経済だという事。収益性がとぼしい事業。第四に、継続的な事業だと言う点。第五に、多くの資金を要すること。第六に、多くの人手を必要とする事業だと言う事である。つまり、公共事業というのは、公の利益のために、神聖で、国民的な事業、貨幣には変えがたい事業であり、多くの事業が永続的で、多くの人手と資金を必要とする事業だと言う事である。
 つまり、公共事業というのは、かつては、奉仕活動の一つだったのである。

 我々は、公共事業を考える時、国家の役割と言う事、また、国家構想を常に前提として思い描く必要がある。そして、国が直接、事業をすべきなのか。それとも、外部の機関に委託すべきなのかが、重要なのである。
 公共事業とは、公的機関が行う事業である。公共機関の行う事業とは、公共、社会資本や公共財への投資行為なのである。公共投資という言葉が示すように、政府とは、本来の投資機関の一つだともいえる。そして、その財源は、税金と公共投資による収益なのである。財政における資本は、この税金と利益によって賄われている。国家が収益を上げる事の意義はそこにある。
 そこで重要なのは、税とは何か。税は国家収益なのか。それとも、国民の国に対する投資、融資(預金)なのか、税、本来の機能をどう認識するかである。むろん、税の機能は、単純に公共事業にだけ還元されるものではない。所得の再分配と言った税制度そのものの持つ機能もある。しかし、公共事業に限って考えると、税の機能というのは、ある意味で、収益でもあり、ある意味で投資である。そう考えると、国家が収益性を持つべきではないと言うのはおかしな考え方である。それは、収益に対する間違った認識、それも、どちらかというと経済的な基準ではなく、金を儲けることは悪いことだというような倫理的な認識によるのである。

 公共事業の目的は、景気対策や雇用対策ではない。公共事業は、景気や雇用に効果はあるが、それはあくまでも副次的な効果であって主たる目的ではない。景気対策や雇用対策を主とした目的にすると公共事業は、主客を転倒する危険性がある。

 現代日本の都市は、無秩序、無計画の権化である。日本に美しい町並みを期待するのは愚かなことなのであろうか。
 現代の日本都市が無秩序、無計画になるのは、大元の構想、思想が欠如しているからである。かつて、著名な評論家が無思想の思想という珍妙なことを言いだしたことがある。無思想は、無思想なのである。無思想の思想と言うだけで何も考えがないと言われてもおかしくはない。
 しかし、この様な同義反復的、循環論法的な考え方は、世に蔓延している。それは、根本にある自分の思想を明らかにできないからである。つまり、自分の思想を構成する前提条件が確立していない証拠なのである。

 公共事業を立案するにあたって重要なのは、国民経済における国家の役割である。経済における国家の役割、機能が明らかでないから、国家経済が定まらないのである。つまり、国家は、何を建設し、どの様な事業をすべきかが明らかにならない。
 その根本は、国家目的であり、建国の理念、国家構想である。

 ただ、道を作ればいいとわけにはいかない。闇雲に橋を架ければいいと言うのも乱暴だ。環境や影響を考えずに干拓事業を行えば、弊害が生じるのは解りきったことである。意味もなく鉄道を敷いて、採算がとれないと言うのも馬鹿げている。ダムを造れば、それによって水没する地域や川下の地域に影響がでるのも明らかである。他県に空港があるから空港を作るべきだというのも危ういことである。
 況や、景気が悪いから、道路を作ろうというのは、本末転倒である。

 公共事業の根本は、国家、社会への奉仕事業である。つまり、国家目的を体現した事業である。公共事業は、国家その物と言っても過言ではない。そして、子孫の繁栄の礎である。その点を忘れてはならない。

 先ず公共事業の性格とそれ性格が経済に与える影響を解明すべきなのである。

 公共事業には、一時的な事業と継続的な事業がある。
 公共事業は、長期にわたって巨額な投資を継続的に行うことを意味する。この性質は、利権や既得権を発生させやすい。
 ある特定の事業者の便宜を計るためだけに、あるいは、雇用を創出するためだけに公共投資を行うのは、経済的な影響や環境的影響、社会的影響からしても危険な行為である。

 しかし、長期にわたって行う事業の場合、その事業をあてにして生計を立てる者も生じる。その事実は、無視すべきではない。
 一つ一つの事業が自己完結的な事業だとそれ事業に従事していた者の生活や生活設計がかなり不安定なものになりがちである。それでは、必要な人材の確保もままならないのである。生活に充分な保証が為されないと、所得の安定も得られない。
 企業経営の重要な役割の一つに所得の平準化がある。所得が平準化されることによって借金の技術が発展し、普及した。
 所得の多寡よりも所得の安定の方が望ましい。借入条件も所得の安定にある。一時的に高額の所得を得たとしても続かなければ意味がない。
 つまり、働く者の雇用と所得の平準化は、公共投資の重要な役割の一つである。

 確かに、人手がかかる上に、多額の資金を必要としている上に、利益にあまり影響を受けないとしたら景気対策としては有効であり、尚かつ、多くの選択肢を公共事業は、持っている。だからこそ、その内容が重要になるのである。否応なく、景気に影響を与えるからである。しかし、その場合でも費用と効果は見極める必要がある。
 公共事業を景気対策に利用しようとした場合、直接、低所得者に資金を供給するような方策を採ることが有効なのである。つまり、目的を明確にして、集中的に投下することが重要なのである。
 不景気の時は、公共事業だと闇雲に資金を投入しても、必ずしも効果があるとは限らない。むしろ、逆効果になることもある。
 重要なのは、公共投資をする前提である。その前提とは、公共事業本来の目的と現在の状況、そして、公共投資を行う目的や期待する効果を明らかにすることである。

 公共事業の会計は、基本的に現金主義である。そして、単年度均衡主義である。その為に、長期の利益計画や事業計画が立てにくい。一度、予算を立てる、予算に拘泥するようになる。しかも、歳入予算より、歳出予算の方がより確実で予測がしやすい。それでいて、予算は一度立ててしまうと変更がしにくい。それは、予算は、手続によるからである。しかも、歳入が予算を上回るとは限らないで歳出は下方硬直的なのである。

 その為に、公務員は、資金繰りを最初から考慮していない。それが、公共事業の不採算性の源であり、問題の原点なのである。収入の範囲内で支出を抑えようと言う努力をしなければ、収支など均衡しようがないのである。家計にも見られるが、与えられた条件の範囲内で物事を処理していこうという意思が働かなければ、最初から経営は破綻しているのである。やり繰りがうまくいかないのではなくて、やり繰りを最初から考えていないのである。

 国民国家にとって国家経済における国家の役割というのは、国民、一人一人の生活の安定と将来に対する備えである。その根本は、国民生活に必要な財の生産、及び確保、いざという時のための蓄え、貯蔵である。そして、経済の役割は、所得を得るための労働と生活に必要な財の分配にある。それを媒介する手段が貨幣なのである。生活があって貨幣が成り立つのであって、貨幣のために生活があるわけではない。生きる為に必要だから貨幣があるのであって、貨幣の為に生きているわけではない。金のために人生を棒に振るのは馬鹿げたことである。貨幣的理由で生きられない人間が続出するのは、おかしな現象である。経済的原因で自殺者が増える社会は、社会の根本が歪んでいるのである。
 猫に小判と言うが、猫は小判のために、人を殺したり、自殺したりはしない。人間は、猫は、物の価値が解らないと馬鹿にするが、物の真の価値を理解していないのは、猫であろうか、人間だろうか。

 最近の災害には、人災という側面もある。津波や地震、台風がある度に、杜撰な手抜き工事が問題となる。また、多くの災害は、過去の歴史や経験によってある程度は予知できる。むろん、地震が起こる時間を正確に予知することは、現代のところかなり難しい。ただ、過去にあった災害の記録や経験から地震に対する備えをすることは可能である。ある程度予知されることに無防備でいることは、人災だと決め付けられても致し方ない。
 公共事業には、国防や防災という側面もある。古代中国にも大河を制する者は、国家を制するという例えがある。事実、治水工事は、最も大切な国家事業の一つである。地震国の日本でも、地震に対する備えや研究は、公共事業の中でも重要な課題の一つである。
 しかし、重要であればあるほど、利権に結びやすい。防災は、国民の生命や財産を護ることである。手を抜くことは、道義的にも許されない。

 公共事業というのは、後世に伝えるべき資産である。また、国民の感性の問題でもある。構成、我々の子孫に馬鹿にされるような物を残すことは、我々の精神、良識を疑われることを意味する。
 逆に、我々は、祖先からの多くの遺産を引き継いでいる。それを後世に伝えていくのも我々の責務、公共事業の一つである。
 我々の子孫に荒廃した世界、資源不足や公害を残すことは、我々のエゴに過ぎない。
 

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