社会資本の根本は、国家思想、国家理念である。社会資本とは、国家理念、国家思想に基づいてそれを物理的に体現した物、建造物や設備である。
 例えば、行政、立法、司法を体現する行政府の建物や設備、立法府の建物や設備、裁判所の建物や設備をさす。また、義務教育を実現するための学校や設備を指す。治安や外敵や災害から国民を護るための設備も含まれる。また、国民生活の基盤である。港湾、道路、上下水道と言った設備も該当する。
 この様な社会資本は、即ち、公の構造物や設備を指して言う。そこには、公の概念が前提となり、公の概念は、国家理念や国家思想に基づく概念なのである。
 この様な社会資本の多くは、財政によって建設、運営される。故に、財政支出の重要な部分は、社会資本に費やされるのである。

 国家建設というのは、都市計画に象徴される。つまり、市民の生活空間を建設することを意味する。いわば国造りである。民主主義の制度や理念や観念による国造りだとすれば、社会資本は、物理的な意味での国造りである。
 故に、先ずどの様な国にするのか、前提となければ構築も、計画もできない。

 景気対策として、公共事業ありきというのは誤謬である。その様な公共事業は、換えって国民生活の環境を悪化させる。
 景気対策は、国家理念を前提として為されるべき事業であり、景気対策によって国家理念が歪められるのは、本末転倒である。

 社会資本の建設や運営は、公的機関が行うべきか、私的機関が行うべきかは、その事例に応じて検討すべきものである。公的な事業だから、公共機関が建設や運営をしなければならないと言うのではない。
 ただ、公共事業が民業を圧迫したり、また、収益事業として成立する事が困難である場合は公共機関が執行する方が良いという事である。しかし、その場合でも収益性を無視していいというのではない。

 昨今、民営化ばやりで、何でもかんでも民営化してしまえと言う意見がよく聞かれる。しかし、それは暴論である。国営事業、公営事業と民営事業のどこが違うのかをよく見極めた上で行うべき議論であって、民営の方が効率的だから民営化してしまえと言うのは短絡的すぎる。

 民営と公営の基本的な差は、その思想にある。民営は、先ず複式簿記による会計基準を土台とした期間損益主義であり、実現主義である。それに対し、財政は、予算に基づく均衡主義であり、現金主義、単年度主義である。当然、公共機関は、損益に疎くなる。それは基準が違うのである。その点を改めない限り、民営と公営とを比較することはできないのである。

 社会資本とは、物的基盤、物的インフラストラクチャーを指して言う。

 社会資本の建設、運営でも民間企業が担っているような事業もある。例えば、電気、ガス、石油と言ったエネルギー産業、電話、通信と言った情報通信事業、鉄道と言った交通機関などである。

 ただ交通機関でも、航空、船舶、自動車の様に、空港や港湾、道路と言った基盤事業を公共機関が担い、運用部分を民間企業が担うと言ったように公的機関と私的機関が住み分けているような産業もある。

 また教育機関のように公的機関と私的機関が混在する産業もある。

 社会資本は、社会や産業の基盤、根幹をなす部分である。国家戦略や国家の在り方を決定付ける要素でもある。それ故に、国民的合意が前提となる。

 また、国家思想、国家理念、国家戦略を物理的に実現する物という点から地政的、地理的、地勢的、地形的、地質的な要素も重要な要素となる。

 近年、社会資本の中にネットワークという思想が入り込んできた。ネットワークという思想は、単に情報ネットワークを指すのではなく。交通やエネルギーと多岐にわたっている。
 交通ネットワークで言えば、ハブ空港の建設やセンターとしての機能と言った将来にわたっての哲学や構想が重要な要素となっている。
 いずれにしても、我が国をどの様な国とするのか。国家観が土台になければ構想は描けないのである。

 社会資本は、国家財産を形成する物である。いわば子孫への遺産である。国家百年の計と言うが、何世代にもわたって建設し続けるものである。それを自分達の次第で食い潰すようなことがあったり、乱開発によって環境の悪化を招くことがあってはならない。その様なことは、国家的な犯罪であり、未来、子孫に対する背信行為である。

 景気対策の手段として公共投資を考える場合の危険性は、公共投資自体が景気対策として目的化してしまうことである。つまり、ただ公共投資をやればいいと言う事になり、公共投資の内容や目的が二の次になってしまうことである。この様な公共投資は、環境破壊のような物理的な災害を発生させたり、既得権益のような利権を生じさせたり、また、一時的な効果しか生まなかったりする。

 公共投資の本来の目的は、あくまでも社会資本の充実にある。社会資本の充実は、国民生活をよりよくするための投資である。福利厚生が目的である。

 例えば、生態系を変えたり、環境を破壊するような観光道路を国費で建設する必要があるのかという事もよく考える必要がある。それは公共の福祉どころか、公害になりかねない事である。

 公共事業は、公共の複利に役立つ事業でなければならない。その為には、公的機関と私的機関の役割分担を明確にする必要がある。
 どこから、どこまでを公が負担し、どこから私的機関が負担をするのか線引きが重要になる。
 例えば航空事業においてどこからどこまでを国や地方自治体が負担し、どこまでを航空機会社が負担するかと言ったことである。
 アメリカの自動車業界、最大手のGMが破綻したがGM再建の障害になったのは、医療保険債務である。企業の福利制度と公的福利制度の制度的な整合性は、企業や産業の競争力にも影響を与える。
 道路や港湾を作ることは産業の活性化に繋がるが、その費用負担が大きすぎると換えって企業経営を圧迫することにもなるのである。



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