会計は、近代市場経済、近代貨幣経済、資本主義経済の文法、リテラシーである。ある意味で会計思想の延長線上に資本主義があると言っても過言ではない。それでありながら、会計が現代の経済学の根本に据えられたことはない。それが経済を実体から乖離させてしまう原因となっている。

 エンロン問題、ワールドコム事件、また、サブプライム問題といった会計的な事件が、実体的な経済を揺るがすこともある。この点を軽視すべきではない。経済は、現実の世界を反映した現象であり、仮定や想定の範囲で制御できるような対象ではない。

 会計規制で重要なのは、認識の問題である。認識の問題では、認識の時間と場所、主体、そして、認識の仕方が重要な要素となる。そして、それぞれの要素をどの様に定義、制約するかが課題となるのである。

 会計基準の変更が景気に重大な影響を及ぼすことがある。
 日本では、税効果会計の処理を巡って銀行と行政が対立し、結局、金融業界の再編、銀行間の大型合併に発展した。
 サブプライム問題に端を発した2008年の金融危機の際は、金融商品の時価基準が問題になった。
 この様に会計基準や処理の仕方は、経済に重大な影響を及ぼすことが多々ある。と言うよりも、会計は、市場経済、貨幣経済のリテラシーである。必然的に会計処理の変更は、経済の状況を変化させる。それなのに、経済学の世界では、会計の問題は軽んじられている。それが経済の問題の本質を曖昧にしているのである。

 会計制度は、資本主義社会、市場経済社会、貨幣経済社会において基盤となる社会的な機能を持ちながら、社会的な機能を前提として構築されているわけではない。一部の利害関係者に対する説明責任だけを目的として作られている。その為には、会計の社会的機能は、あまり重視していない。例えば、利害関係者に対し、期間損益や利益について説明する事は要求されるが、期間損益や利益が社会にどの様な意味や働きをして、影響を与えるかについては、あまり、検討されない。かなりの部分がご都合主義に基づいている。つまり、いかに説明するかが、重要なのであって、説明される側は、誤魔化されないようにする点にばかり注意が向いている。しかし、期間損益は、元来、会計的概念に過ぎない。つまり、会計的基準であり、利益を説明することよりも利益の持つ意義が重要なのである。利益の持つ意義とは、利益の社会的働きである。

 現在の会計は、企業の利害関係者に対する説明責任を元としている。利害関係者とは、基本的に、投資家、債権者、徴税者をさす。その他に、従業員や取引業者、消費者を含む場合がある。しかし、基本的には、会計制度が想定している説明責任の対象は、投資家と債権者と徴税者である。それは、会計情報に前提としている方の構成を見れば明らかである。会計情報を前提として制定されている法は、日本では、金融商品取締法、商法、税法である。彼等は、利益の配分を受ける者達である。

 そのために会計で問題なのは、現代の会計制度が利益や収益を管理する目的で構築されていないという点である。現代の会計制度は、企業を監視し、債権を確保する目的で設定されている。その為に、市場は、企業が利益や収益を上げられない仕組みに陥りやすいのである。

 会計の歴史は、それほど古くない。会計の歴史は、資本主義発展の歴史と重なり合っている。

 市場経済が行き着くところは、企業は誰のものかに尽きる。それは、資本主義という形態が、所有権と経営権の分離によって成立したからである。ただ、所有権という概念は、まだ明確にされているわけではない。漠然と経験的に所有という概念を捉えているに過ぎない。
 所有という概念を構成する要素は、第一に、所有者である。第二に、所有する対象、ものである。第三に、所有するという行為によってどの様な権利が発生するかである。第四に、所有することによってどの様な義務が発生するかである。第五に、所有を構成する前提条件である。第六に、所有の物理的、時間的、空間的範囲である。
 企業は、誰のものか。即ち、企業の所有者は誰かという事が重要になる。この点に関し、会計は、明確に定義をしているわけではない。ただ、制度上、資本という概念によって括っている。つまり、資本を支配する者が、経営主体の所有者だと言うことを前提とし、資本を支配するものは資本家だとしているのが資本主義である。つまり、資本家の定義を株主だと厳密に規定はしていない。資本を支配するのが国家でも、従業員でも、債権者でも、社会でも良いのである。しかし、それによって資本主義の形態在り方にも違いが生じる。
 次ぎに問題となるのは、経営主体とは何かである。経営主体とは、共同体を指すのか、それとも、組織、機関を指すのか、資産、財産と言った物的な対象、即ち、生産手段を指すのか、それとも会計情報が指し示す実体を意味するのかである。
 現代社会というのは、所有権の継続には制限、制約をすべきだという思想が主流である。それは、自由主義、社会主義を問わずである。結局、行き着くところ、方向性は、自由主義も社会主義も所有権は、最終的には公に帰すべきだとする点で一致している。しかし、これは思想である。思想であることを前提とすべきなのである。

 会計制度自体が、ある種の規制そのものである。
 規制は、合目的的な仕組みである。個々の条文や規定を取り上げてその是非をとても意味がない。規制というのは、ある目的に基づいた全体があり、個々の条文や規定は、全体を構成する部分に過ぎないのである。
 また、規制の目的は、前提にある。前提は、現実の経済状態、情勢に依拠し、導き出される。

 反対方向に働く作用を検討する必要がある。良い働きには、悪い働きも同時に作用していると考えるべきなのである。前に進むためには、後ろ向きに働く力が作用しているのである。

 特に、複式簿記を基盤としている会計制度では、二元的な認識を基準にしている。

 金融不安が生じると不良債権の問題が深刻になる。しかし、不良債権が問題だとしながら、不良債権に対する認識が確定しない。不良債権に対する認識が固まっていなければ、不良債権の処理に対する対策を決めようがない。対策を決めるどころか、何が問題なのか判然としていないからである。

 例えば、借入に対極には、貸出がある。経済主体内部では、借入は、債務を形成し、貸出は、債権を形成する。同時に借入は、借り入れた側の内部において債権化され、貸出側の内部では債務に変換される。借り入れた側は、その内部変換によって資産を形成する。その資産の生み出す価値の変化と借り入れたとはの債務の構造と均衡によって貸借関係は形成される。そして、借りた側の債権、債務、貸し出した側の債権と債務の関係が、経済主体の基盤を形成するのである。
 住宅ローンを借りて住宅を購入したと仮定した場合、住宅を購入した側は、住宅の市場価値と住宅ローンの返済義務を形成する。資金を提供した側は、住宅ローンを受け取る権利と住宅ローンの資金の調達義務が生じる。そして、住宅ローンが成立した時点において取引によって生じた貨幣価値が確定する。この取引は、取引によって生じた貨幣価値が清算され、解消されることによって終了する。取引を終了させる行為が決済である。
 この過程で何等かの支障が生じた場合、取引は不良なものとなり、資産は不良債権化するのである。しかし、問題は、不良債権とされた資産にだけあるのではなく。四つの要素、全てに生じているのである。

 それ故に、不良債権処理は、慎重を期す必要がある。先ず、何をもって、つまり、何を基準にして不良債権とするのかである。
 そこには、市場取引の構造がある。
 市場は、取引によって成り立っている。市場とは、取引の集合体と見なしても良い。取引を成立させる要件は、取り引きの時間と場所、取り引きの当事者、取り引きの条件、そして、その取り引きによって生じる貨幣価値である。取引によって成立、実現する貨幣価値が確定する。市場取引によって確定した貨幣価値に基づいて債権、債務関係が生じる。

 不良債権の前提には、債権者と債務者の存在が前提となる。つまり、債権者、債務者のおかれている状況や前提を確認する必要がある。その上で債権者と債務者の関係である。関係とは、双方の権利と義務、権限と責任関係を意味する。権利と義務、権限と責任は、作用反作用の関係にある。つまり、同じ働きが立場の違いによって権利と義務、権限と責任を構成しているのである。確認するのは、前提条件と双方の力関係である。この関係によって最終的な決裁者と範囲が画定される。最終的な帰結は、債権者主義(ノンリコース)によるのか、債務者主義(リコース)によるのか、つまり、思想上の問題である。
 貸し手側には、第一に、資金源。調達先、調達手段。第二に、貸し出し条件、担保するものが設定される。借り手側、債務者側には、第一に、返済の在り方。第二に、使途と資産が発生する。仕訳上は、貸出側、借り手側の第一の要件は貸方、つまり、調達側に記載され、貸出側、借り手側の第二の要件は、借方に記載される。
 この四つの要素の相互関連の在り方、契約上の条件や制約によって不良債権は定義されるべきものであり、一概に、資産価値が低下したことだけを指すわけではない。資産価値が何に関連されているか、また、何に対して劣化しているかが不良債権を処理する上で、重要なのである。

 資金の質とは、資金の信頼性である。信頼性は、第一に、資金源である。資金源には、収益、負債、資本がある。第二に、資金に対する制約条件である。制約条件は、第一に、収益力の変化。第二に、返済を必要とするかどうか。返済を必要とした場合、返済条件。第三に、資本規制である。
 貸出の前提条件とは、第一に、何を担保とするかである。担保とするものには、第一に、将来の収入。第二に、担保した物の名目的価値。第三に、担保した物の実質的価値である。貸出の前提条件の第二は、貸し出した時点での状況である。貸し出した時点での状況、前提条件とは、金利動向、相手の信用力、保証、保険等である。
 返済の在り方とは、第一に、月々の返済額である。第二に、返済期間である。第三に、元本と金利の関係である。第四に、返済不能に陥った時の処理の仕方である。これらは、契約内容の根本でもある。
 第四に、使途の目的と対象である。使途の目的とは、第一に、使途が消費に向けられる物なのか、資産に向けられる物なのかである。消費に向けられる物ならば、消費によって得られる効果や代償である。資産に向けられれば、資産の実質的価値である。そして、使途の対象とは、最終消費者なのか、投資なのかである。

 四つの要素どう関連付けられ、また、相互どの様に影響、作用を及ぼしあっているかが重要になる。

 一つの作用をもう一方の逆の観点から見直しと、債権の問題は、債務という問題からも捉え直す必要がある事に気がつく。
 また、債権や債務を考える上では、名目的な物と実質的な物との両面から捉えることも重要である。
 経済的事象には、名目的な表現と実質的な表現がある。名目的な表現とは、外形的な表現である。それに対し、実質的というのは、内容的な表現である。
 名目的価値は、固定的、あるいは、不変的な絶対額として表現される。それに対し、実質的というのは、流動的、あるいは、変動的な相対額として表現される。つまり、名目的価値は、唯一なものであり、実質的価値は、多様なものとなる。
 不良債権というのは、資産と負債の名目的な価値と実質的価値が乖離している状態によって引き起こされるのである。つまり、不良債権というのは、債権者から見た場合であり、債務者から見ると不良債務を意味するのである。
 債権は、資産を形成し、債務は、負債を構成する。不良債権を分析する場合、資産の構造と負債の構造を分析する必要がある。
 資産の名目的価値は、取得原価である。そして、実質的価値は、時価である。また、資産は、資金を調達した時点で名目的価値によって担保される。
 この資産に対応するのが、負債、あるいは、資本である。負債の名目的価値は、元本である。そして、実質的価値は、返済額である。返済額は、返済総額と実際の返済計画の二つがある。また、資本の実質的価値は、株価と配当を合算したものである。しかし、実際には、株価と配当は区分して計られる。
 名目的価値が実質的価値を上回っている場合、未実現利益、含み益がある。それに対し、名目的価値を実質的価値が上回ると未実現損失、つまり含み損が発生する。含み損がある資産を不良債権というのである。
 どの様な状況を前提とするかによって採るべき政策は、制約される。
 市場が拡大し、経済が成長している状況では、実質的価値は、名目的価値を上回って表現される。それに対して、市場が収縮し、経済が成熟してくると実質的価値は、名目価値に対し、基本的に下回って表現される。
 会計上は、名目的表現を原則としている。それに対し、資金の流れは、実質的表現を重んじる。
 資産は、会計上、名目的に表現されるが、資金的には、実質的な計測される。即ち、担保価値を基礎として測られる。それに対して、負債は、原則、名目的価値と実質的価値が一体である。
 負債の構造は、元本と金利となり、返済額は、元本の部分と金利の部分から成る。ただし、元本の部分の返済額は、貸借上も損益上も現れない。資産価値は、貸借上も損益上も名目的な価値しか、本来、表現されない。そして、資金は、資産は、実質的部分を、負債は名目的な部分を基礎としている。
 これが前提である。
 不良債権で問題になるのは、負債で言えば、元本の部分であり、資産で言えば、担保の部分なのである。
 市場が拡大すると元本の部分が拡大するから、調達力が高まり、一転して市場が縮小すると元本の部分が圧縮され、返済圧力が高まる。
 しかも、資金の調達力は、資産の担保力を裏付けとしているために、市場が拡大し始めても資産の担保力が回復しないかぎり、新たな資金調達は阻害されることになるのである。また、銀行は、貸し渋っているのではなく。担保に基礎を置いている限り、貸したくても貸せない状況に陥るのである。この場合、収益に基準をおいて事業を捉え直す必要がある。つまり、担保還元法から収益還元法に基準を変える必要があるのである。

 不良債権というのは、貸し手側から見ると、回収が困難な債権を意味する。不良債権を借り手側から見ると返済が困難な債務である。つまり、不良債務である。

 不良債権、債務で重要になるのは、何によって企業は、成り立っているのかである。企業を成り立たせているのは、資金の流れである。
 不良債権、不良債務が問題になるのは、資金の調達が困難になるからである。
 資金が調達できなければ、企業経営は継続できなくなる。逆に言えば、何等かの形で資金を調達できれば企業は継続できる。資金の供給を断たれると、企業は、存続できなくなる。その意味では、企業は生き物なのである。

 実際には、金利に対する支払い能力、収益力ではなく。元本に対する返済能力、担保力を問題にされるのである。

 重要なのは、前提が変わっていることである。資金を調達した時点において何を前提としたかである。本来、事業は、事業収益を前提として資金を調達している。故に、貸借は、名目的価値を前提として取引が成立するのである。状況が変化したからと言って名目的基準を実質的基準に切り替えるのは、ルール違反である。

 返済、回収というのは、現在的価値の解消を意味する。つまり、負債の返済は、信用の解消、信用収縮を意味するのである。金融市場の内部運動である。
 よく儲けはどこへ消えたという人がいるが、それは、利益というものを理解していないが故の発言である。利益というのは、現金化されて始めて実現する。それまでは、通常、債権と債務という形で保持されている。債権が収縮すれば必然的に債務も収縮し、その間に得た利益も解消されてしまう仕組みになっているのである。
 つまり、決済というのは、債権と債務の解消を意味するのであり、それは、信用収縮を意味し、現金価値の減少を意味するのである。

 決済とは。取引の完結を意味する。取引の完結とは、貨幣価値の実現と信用力の消滅を意味する。言い換えると、信用は、取引の過程で生じ、取引の終了、即ち、決済によって解消されるのである。
 良い例が、紙幣である。紙幣は、発行元に、回収されるとその効力が消滅するのである。この事は、紙幣の回収は、信用の収縮を促していることを意味しているのである。

 不良債権を構成するのは、資産担保価値、即ち、名目的価値である。
 故に、収益の見通しが立った時点で、この資産価値の修復を画策する必要がある。しかし、資産価値の修復は簡単にはいかない。なぜならは、資産価値は、外部要因だからである。
 資産担保価値を修復する必要がある。名目的価値の変動は、経営者にとって不可抗力である場合がほとんどである。しかも、名目的価値はリセットする事が原則的にできない。結局、名目的価値が回復するのを待つしかない。

 名目的価値と、実質的価値は、常に乖離している。そして、名目的価値が実質的価値の乖離は、資金に流れに影響を与えている。実質的価値が名目的価値を上回っている時は、資金の調達力が向上する。実質的価値が名目的価値を下回ると返済圧力がかかる。

 市場が拡大、発展している時は、名目的価値を上回るように実質的価値が形成される。しかし、成熟期になると実質的価値が名目的価値を下回るようになる。
 それを資金の流れから見ると市場が拡大成長している時は、資金は、調達側に流れ、市場が縮小すると資金は、返済側に流れる。それが、企業の資金調達を絶えず圧迫するようになるのである。
 また、名目的価値は、蓄積、累積する傾向がある。その為に、慢性的な債務超過に陥りやすいのである。
 この様な状況を打開するには、何等かの形で名目的価値を解消する方策を準備する必要がある。

 株で、何億円、儲けたと言ってもそれを現金でもっているわけではない。通常、株という債権で所有している。儲けは、株を売って現金化した時に実現する。株を売れば、株価は下がる。株が下がれば、必然的にそれまでの儲けも解消されてしまうのである。

 先ず収益を確保できるようにするのが先決である。次ぎに、資金の流れを見る。指して長期的展望に立って事業観を確立する必要があるのである。
 その為には、確固たる基準を確立することが優先されるべき事なのである。

 不良債権というのは、貸し手側から見ると、回収が困難な債権を意味する。不良債権を借り手側から見ると返済が困難な債務である。つまり、不良債務である。

 不良債権、債務で重要になるのは、何によって企業は、成り立っているのかである。企業を成り立たせているのは、資金の流れである。
 不良債権、不良債務が問題になるのは、資金の調達が困難になるからである。
 資金が調達できなければ、企業経営は継続できなくなる。逆に言えば、何等かの形で資金を調達できれば企業は継続できる。資金の供給を断たれると、企業は、存続できなくなる。その意味では、企業は生き物なのである。

 実際には、金利に対する支払い能力、収益力ではなく。元本に対する返済能力、担保力を問題にされるのである。

 格付け会社は、自分が付けた格付けに制約されて、身動きが出来なくなってしまった。格付けに対する自由度を制約されているという事である。
 2008年のリーマンの破綻で露見したのは、企業の格付けは、誰のために、誰がしているのかと言うこと、つまり成立前提、前提条件が曖昧だと言う事である。
 同じ様なことは、会計にも言える。会計を司る者は、自らが設定した基準、原則によって自らの行動が制約されてしまっているという事である。また、自らの立場が自分の行動を制約し、公正さを保てなくなっているという事である。それは、実験によって法則その物を変えてしまうことに等しい。本末が転倒しているのである。
 なぜ、この様な逆転現象が起こるのかというと会計の基盤を為す思想が原理が明らかにされていないことである。結局、利害がある者が勝手に制度をいじくり廻していることに問題の本質があるのである。

 基本的に経済的規範というのは、非道徳的なものである。勘違いしてはならないのは、経済的規範というのは、不道徳だと言っているのではない。道徳とは、直接関わり合っていないという事である。つまり、表された数値、貨幣価値が問題なのであり。どの様な手段で、また、どの様にしてその結果があられたかは、基本的に会計上は問題としていないという事である。この点は、税も同様である。
 例えば、経費として表された人件費の多寡は、問題とされても、労働条件は問題としていない。金が儲かっていればいいので、儲けの手段は、基本的に問わないのである。

 それを補うのは、道徳とか、信用とか、また、法である。
 会計上で、道徳的な問題を勘案しても無力である。経済上において一番重要な徳目は、信用であって、信用以外の徳目は、違う次元において守られなければならないのである。

 非道徳的だからと言って何を遣っても許されるとか、道徳はいらないといっているのではない。会計上、税制上において反映されないと言っているのである。逆にだからこそ、会計以外の次元で道徳や倫理が求められるのである。

(参考)

繰り延べ税金資産、上場企業、取り崩し相次ぐ、業績悪化で損失膨らむ。(日本経済新聞2009/1/7)

 業績悪化を受け、企業が将来支払うべき税金の前払い分ともいえる「繰り延べ税金資産」を取り崩す動きが相次いでいる。パイオニアが二〇〇九年三月末までに約百億円以上を取り崩すほか、正興電機製作所も〇八年十二月末で約十億円を取り崩し、最終赤字が拡大する見込み。昨年から企業業績が急速に悪化し「同資産の取り崩しから損失が膨らむ傾向が広がる可能性もある」(大手監査法人会計士)という。

 パイオニアは昨年三月末に約六百四十億円あった繰り延べ税金資産を九月末に約百億円取り崩した。プラズマテレビの事業構造改革費用が重いうえ、自動車販売の不振で車載機器事業が減速し、早期の利益回復が見込みにくくなったため。今期末にも一定額を取り崩す見込み。「会計士から指摘される可能性がある分を計画に織り込んだ」(岡安秀喜常務)。

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