なぜ、経営分析をするのか。ほとんどの人間が経営分析の目的をわかっていない。目的もわからないままに、ただ、闇雲に指標に基づいて、経営分析をしている。
 経営分析というのは、健康診断みたいなもので、その企業の状態を見て、診断をし、もし、病気が見つかれば、早期に治療をすることが目的である。企業の状態を正確に、判断するためには、何のために、何を調べればいいのかを特定していく必要があるのである。
 大体、経営診断を行うには、会社の機構や成長過程にある程度、基づかなければならない。それなのに、ただ部分や一断面ばかり見て、会社を成立させてきた経緯や基礎にまったく無理解な人間が多い。その為に、高齢な人間に若者のようなことを要求したかと思うと、まだ生まれたばかりの赤ん坊に、成人の仕事を期待したりするような事が起こるのである。それでは、健康を維持するどころか、企業を殺してしまう。
 かと思うと、財産目当てとか、保険金目当ての人間がやるような経営分析を平気でやり、企業を利用するだけ利用して、基礎体力まで奪い、生き肝を抜くようなモラルも良心もかけらもない者までいる。ここまでくると犯罪である。

 学校で会計学を学んだ人の中には、会計上の数字は、たった一つしかなく、絶対的な数値であるように錯覚している人が結構いる。そう言う人にとって会計数字は、一つしかないことになる。しかし、現実の実務においては、同じ会社の決算でも決算数字はいくらでもある。別に粉飾をしているわけではない。会計上に表される数値は、相対的なものであり、前提とする条件によっていくらでも変わるのである。元々会計というものはそう言う性格なのである。
 しかも、損益、貸借上に現れる数字は、認識の問題であり、貨幣的な実体があるわけではない。キャッシュフローも同様である。決算書を分析する時は、その点を誤解してはならない。

 企業経営にとって利益は不可欠な要件である。しかし、企業を経営する目的は、利益を上げることかと言われれば、それだけではないとしか言えない。むしろ、利益は一つの指標に過ぎない。なぜならば、利益が上がらなければ、企業は存続し得ないかというと、そうとばかりは、言えないからである。

 赤字の企業は、駄目で、黒字の企業は安全であると思いこんでいる者が結構いる。それも、経営のことがわからない人間ならまだしも、金融機関の人間のように、経営のプロのような人間までもがそう思い込んでいる節がある。しかし、経営というのはそれほど単純ではない。赤字にも黒字にも、それなりの原因がある。必ずしも黒字だから安全だというわけではないし、どんな優良企業でも、一時的に赤字になる時はいくらでもある。

 利潤は、経営において、目標とはなりえても、経営上の目的にはなりえない。経営の目的は、事業であり、利潤は、指標に過ぎないからである。
 必ずしも利潤が上がらなければ、企業が存続できないと言うわけではない。赤字企業でも経営が継続している企業はいくらでもある。では、会計上においてなぜ、利潤が目的となるのかと言えば、資金調達をすることが必要だからである。資金が廻らなくなれば、企業経営は継続することができない。期間利益が上がらない企業は、資金調達が困難になるからである。だから、利潤を上げる必要があるのである。
 公営企業のように、赤字でも資金が廻れば、利潤は関係ないことになる。反対に、資金収支が合わなければ、いくら利益が上がっていても倒産してしまう。極端な話し、資金を調達するために、期間利益を計上する必要があるのである。だからこそ、経営者は、資金繰りに汲々とするのである。必然的に経営者は、資金を重視するようになる。

 金を貸した者は、貸した金を返済されれば、問題ないのであるし、投資家は、投資した資金が回収されればいいわけで、商品を販売した者は、代金を払ってもらえればいいのである。要は、貸した金が返済できるか、投資した資金を回収できるか、商品の代金を支払ってもらえるか、働いた分の賃金をもらえるかを知るために、計算するために、会計制度があるのである。

 ただ、資金を調達する上で、企業が自前で調達できるのが、収益だと言う事である。その収益を基礎にして算出されるのが、利益なのである。そこに利益の重要性があり、利益の意義・必要性がある。

 営業キャッシュフローが足りていれば、資金調達をする必要がない。短期の運転資金がなければ、新規に借入を起こす必要がないのである。
 流動性を問題にする時は、当座の資金を必要とする部分である。ところが金融機関が重視する流動性比率というのは、単純に流動性資産と、流動性負債を比較したに過ぎない。この様な比率をよくしようと思えば、売掛金を増やし、買掛金を減らせばいい。なんて言う事はないツケ売りを増やして現金買いをすればいいのである。これでは換えって経営は悪化する。典型的な教科書的指標に過ぎない。
 要は、資金が何に対応しているかが、重要なのである。最近は、減価償却費+利益と固定資産とが均衡しているかを見る傾向がある。いずれにしても企業自体と資金の流れをいかに結び付けるかが重要なのである。

 この様な目的から鑑(かんが)みて経営分析の目的とは何かを考えなければ意味がない。杓子定規に考えて、利益が上がっていないからと言って資金の供給が止まってしまったら、それは、会計本来の目的に反するどころか、害毒になる。

 損益は、損益なのである。例え、損益上赤字だとしても資金が、廻っていれば、会社は存続できる。それに対して、資金収支が不足すれば、忽(たちま)ち、企業は破産するのである。

 それ故に、経営者は、資金調達を重視するし、その為に、投資家や、金融機関にたいして説明を要するのである。

 なぜ、どこに、経営者や金融機関は、不動産や有価証券にに価値を見出すかと言うと不動産や有価証券は、非償却資産であるということである。つまり、減価償却費として費用計上されない上に損益上には金利負担としてしか計上されないという事である。しかも流動性がある。故に、担保価値が生じると言う事である。つまり、資金の裏付けになる。それに対し、償却資産、即ち、費用性資産は、減価償却費として費用計上される上に、流動性がない。故に、資金の裏付けにならない。では、費用性資産は、資金を生み出さないかというと収益という経営活動を通じて資金を生み出していく。
 この点は、重要である。非償却資産というのは、融資を受けるときの担保としての働きがあり、費用性資金は、収益のを生み出す為の生産手段なのである。

 資金流れと資産、負債、資本との関係、収益と費用の関わりを結び付けて考えないと経営の実体はわからない。また、資金の流れと実際の財の流れは、経済現象を引き起こす要因でもある。故に、資産、負債、資本、指して、収益と費用、それぞれの座標軸、更に、時間軸を加えて経営活動多面的に分析する必要がある。

 また、資金の流れには、その企業の成長段階軌跡が反映される。
 草創期や成長期には、投資を回収することを第一目標として売上規模とシェアを重視した政策を各企業はとる。この状況下では、過当競争が生じる。飽和状態になると市場の拡大がたいして期待できなくなり、基本的に更新需要、買い換え需要が主となる。そうなると、規模よりも生産性や効率性を重視するようになる。又、市場は、寡占、独占的方向へ向かう。
 更に、市場は、草創期、成長期には拡大するが、成熟期に至ると飽和状態になるという様に、市場も発展と衰退の波を繰り返している。

 経済にせよ、経営にせよ、実際的、直接的に影響を与えているのは、資金の動き、流れである。それ故に、キャッシュフローが重要になってくる。又、経営や経済に現れてくる周期や波、波動は、資金需要の波が原因である事が推測される。

 この様に、経営分析には、構造的、多次元的(資産、負債、資本、収益、費用、時間等)分析や成長の段階による分析が必要なのである。

 決算書の構造を見たからと言って企業経営の実体がわかるわけではない。なぜならば、決算書の構造はあくまでも会計上の問題であって必ずしもビジネスの構造を表しているわけではないからである。
 一番問題なのは、現在の経営分析は、ゴーイングコンサーンの原則に立っていないという事である。企業は、継続性を前提としているというのに、単年度における一断面だけを問題にして経営の善し悪しを判断しようとしている。

 会計は、元々、当座的事業を基本として成り立ってきた。つまり、一つの事業、一つの仕事を基本にして一回、一回、清算していく事を前提として成立してきたのである。近代会計が成立した当初は、一つの航海を単位として損益計算がなされていたからである。それを事業の継続を前提として一定の期間で損益を計算するつまり、期間損益計算に置き換えたところから、ある意味で近代企業は、始まったと言える。故に、一定の期間で損益を割り出そうとするために、会計制度には、いろいろな細工が施されているのである。その好例が、減価償却制度であり、経過勘定であり、仮払勘定である。これらは、必然的に決算整理勘定として現れてくる。
 しかし、本来、収支も損益も単年度では均衡しない。一定の周期で均衡する性格のものなのである。
 それ故に、経営分析をする際、時間の概念、特に、経過が非常に重要になってくる。
 そのことを近代会計を成立させてきた英米は、理解しているからこそ、民間の機関によって帰納法的に会計基準を導き出すのである。つまり、会計情報は、何等かの原則や法則によって演繹法的に導き出されるものではなく。当事者が必要や目的に応じて導き出すものだという思想が徹底しているのである。経営分析も、当然、こういった考え方、思想を下敷きにすべきものである。
 ところが、日本の経営分析は、表面に現れた単年度の数字ばかりに拘泥して、その背後にある企業実体を見ようとしない。しかも、それが現実の経済、市場の場で融資や投資、取引のための判断基準とされる。その為に、企業活動が不自然に歪められるのである。

 取引の相関関係が重要となる。取引を構成する要素は、資産、負債、資本、、収益、費用の増減である。要素間の増減関係が会計制度の基本的な仕組み、機構である。

 分析の項目は、第一に、安定性、第二に、生産性、効率性、第三に、収益性・採算性、第四に、成長性、第五に、付加価値分析、第六に、キャッシュフロー分析、第七に、投資効率分析である。
 これらの経営項目によって経営状態を知るためには、水準と方向性、量・率が重要である。

 それ故に、分析の基本は、第一に、推移分析、第二に、比較・対比分析、第三に、相関分析、第四に、比率分析、第五に、実数分析である。推移分析によって方向性を比較・対比分析によって水準を、相関分析によって水準を、比率分析によって率を知るのである。また、比率分析に対応するのが実数分析である。比率分析に対応するのが実数分析であり、これは推移分析や対比分析と組み合わせてなされる場合が多い。比率分析も同様である。

 経営を実際に分析する際、重要になる要素は、回転と比率である。これは、経済運動の根本が回転であり、分配であることに起因している。即ち、回転と比率は、循環運動と分配運動を意味している。特に、生産性や効率性を分析する時には、回転率が重要となる。
 また、回転率が重要なのは、それが負債と関係してくるからである。
 
 経営分析の指標としては、第一に、安定性・安全性の指標として、自己資本比率、有利子負債、有利子負債依存度、有利子負債金利、負債比率・D/Eレシオ、金融収支、インタレスト・カバレッジ・レシオ、売上高純金利負担率、流動比率、当座比率、手元流動性比率、固定比率、固定長期適合率、売上債権対買入債務比率などが上げられる。第二に、生産性・効率性の指標としては、使用総資本回転率(総資産回転率)、有形固定資産回転率、自己資本回転率、売上債権回転月数、棚卸資産回転月数、製品・商品回転月数、従業員一人あたり売上高、従業員一人あたり人件費、労働装備率、従業員一人あたり経常利益、設備投資などがある。第三に、収益性・採算性は、売上高原価率、売上高販売管理比率、売上高人権比率、売上高広告宣伝率、売上高研究開発費率、限界利益率、売上高変動比率、売上高固定比率、損益分岐点売上高、損益分岐点比率、安全余裕度などがある。第四に、成長性には、増収率、営業増益率、経常増益率、売上総利益率(粗利益率)、売上高営業利益率、売上高経常利益率、売上高当期純利益率、EDITDAマージン、海外売上高比率、自己資本当期純利益率(ROE)、使用総資本事業利益率(ROA)、投下資本利益率(ROIC)、EVA、投融資利回りなどがある。第五に、付加価値分析としては、付加価値率、労働生産性、労働分配率、資本分配率、租税分配率。設備投資効率などがある。第六に、キャッシュフロー分析には、キャッシュフローマージン、運転資本、フリーキャッシュフロー、フリーキャッシュフロー対売上高比率、キャッシュフロー版インタレスト・カバレッジ・レシオ、営業キャッシュフロー対流動負債比率、営業キャッシュフロー対長期負債比率、営業キャッシュフロー対設備投資比率、営業キャッシュフロー対投資比率などがある。そして、第七に、投資効率を見る指標としては、EPS、PER、PBR、一株あたり営業キャッシュフロー、PGFR、配当利回り、EV/EBITDA倍率、PSR、M&Aレシオ、配当性向、総還元性向、自己資本配当率(DOE)、内部留保率、支払配当金対営業キャッシュフロー比率等がある。

 付加価値の計算法には、控除法と加算法がある。

 損益分岐点分析は、単なる経営分析と言うだけでなく。広く経営政策にも活用されている。
 損益分岐点で重要なのは、固定費と変動費の比率と固定の構成である。それは、償却という概念に関わっているからである。
 固定費の構成の中では、人件費の比率と設備費並びに償却費の比率が重要となる。
 そして、これらは、産業の特性の基礎を形成する。更に、初期投資額の規模や運転資金の多寡に反映されるからである。
 産業革命は、この損益分岐点を構造的に変化させた。そして、この変化を促したのが会計制度である。それ故に、会計制度の在り方は、産業の基礎構造を決定付ける役割を果たしているのである。
 損益分岐点分析は、単に経営効率を図る尺度としてだけでなく。産業の在り方を決定付ける重要な要素が含まれているのである。

 経営分析をする上で、先ず、問題となるのは、なぜ、経営分析をするのか、つまり、経営分析の目的である。何の目的のために、安定性を知る必要性があるのか。また、生産性や収益性を知る必要が、成長性を知る事が必要なのかである。それによって経営分析に対する基本的な考え方だけでなく、実際の作業も変わってくるからである。
 経営分析の目的は、経営分析をする主体、当事者によっても違ってくる。例えば、融資するために分析を必要とする者や機関は、支払い能力や債権の安全性に関心があるであろうし、投資家は、企業の将来性や配当原資が気になるであろう。取引先にしてみれば、企業の将来性や成長性、与信限度額が重要になる。
 この様に当事者には、利害関係があり、その点を充分に考慮した上で、経営分析の目的を考察する必要がある。そうすると、第一にくるのが、融資目的であろう。第二に、投資目的。第三に取引目的・与信目的。第四に、経営目的、管理目的。第五に、企業買収、M&A目的。第六に、徴税目的の六点になる。第四の目的以外は、外部の人間の目的である。
 又、支払い能力と言う事でも、その担保する物、即ち、ストックを重視する考え方と事業の内容、つまり、フローを重視する考え方に別れる。この違いは、バブル崩壊後の金融機関の融資姿勢に端的に現れている。こうなると経営分析の視点が、目的によってずいぶんと違うことに気が付くだろう。

 金融機関は、この支払い能力によって正常先、要注意先、破綻懸念先、実質破綻先、破綻先の与信区分をしている。この与信区分に対する経営分析の基準は、実質的な融資基準であるから、実際的に重大な影響力を持っている。経営分析と言ってもこの様に実務的な強制力、拘束力を持つものもあるのである。

 貨幣経済で問題なのは、実数、即ち、実際の物の数量が忘れられている、消えていることなのである。この事は、経営分析にも言える。

 経営分析の目的とは、最終的に何が知りたいかである。与信調査とか、投資のためとか、教科書的には、それでいいが、それでは経営の実体は見えてこない。問題は、経営の実体はどこにあるのかである。それが、わからなければ、後はお題目に過ぎない。
 数値情報の裏に隠された実体が問題なのである。それは、健康診断と同じである。数値情報に惑わされて、その裏側にあるその人自身の心身の状態が見えなくなったら意味ないのである。
 数値情報だけで経営実態を見ずに、貸し剥がしや取引の停止をして、あたら優良な企業を潰してしまったら、経営分析は、弊害でしかない。
 そこに実数分析の必要性がある。経営というのは、現実であり、実物経済の上に成り立っているのである。貨幣経済だけが全てではない。人材というのは人であって貨幣価値によって表現しきれる物ではないのである。

 最近は、M&Aが盛んになり企業価値の算出も分析の重要な項目の一つになってきた。また、バブル崩壊後では、銀行による企業の格付けという目的も新たに加わった。むろん、金融機関は、それまでも企業の与信調査をしてきてはいる。ただ、それが、バブル崩壊後制度的に、厳格なったのである。

 ただ、比較しても基準値が決まっていなければ意味がない。問題は、その基準値であるが、財務諸表上に現れてくる数字は、その前提や会計方針によっても違ってくる。又、経営の仕組み、会計のしくみがわからないと状況を把握することができない。単純に、指標ばかりを頼っていたら企業の実態は解明されないのである。

 いずれにしても、キャッシュフローが重要な要素となってきたことは、忘れてはならない。

 会計とは、資金調達のための技術であるともいえる。なぜならば、究極的には資金が廻れば、赤字でも経営は、継続できるからである。逆に、資金が廻らなくなれば収益が上がっていても倒産する。
 資金調達には、収益と借入と資本がある。収益とは、基本的には営業収益、即ち、売上である。ただ、売上だけでなく、資産の売却によっても収益は上げられる。借入とは、負債を指し、資本とは、投資を指す。それ故に、経営分析は、顧客、及び、金融機関、投資家、取引先に向けたものになるのである。

 基本的には資金を融通し合っているだけなのである。資金が続けば、企業は継続できる。資金が続かなくなればいくら儲かっていても企業は続けられなくなるのである。黒字倒産も起こりうるのである。資金が供給され続けるかどうかが、鍵を握っている。そう考えるとある意味で資金が続くかどうかを分析すればいい。

 収入源は、一つは、収益(売上、営業外収益)である。もう一つは、借入である。今一つは、投資である。この三つが続けば、経営は継続できるのである。
 収益は、一つは営業収益、もう一つは、営業外収益、今一つは、資産の売買益のような特別収益である。

 この点を重視して長期負債を減価償却費と税引き後利益を足したもので割って借入金の返済能力を簡易に見る方法もある。実際に、実務の現場ではよく用いられている。

 経営を分析するとき注意しなければならないのは、会計的現実は、損益と貸借の均衡、フローとストックのバランスの上に成り立っていると言う点である。そして、損益と貸借、フローとストックは単年度では均衡しないのである。同様に、収支、キャッシュフローも単年度では均衡しない。この事を大前提としていないと、市場経済、貨幣経済の絡繰(からく)りは理解できない。

 企業の寿命三十年説というのがあるが、これも、資金の需要の周期と無縁ではない。つまり、資金収支は、一定ではなく。その企業の成長過程や外部環境によって違うと言う事である。そして、資金の循環過程が企業業績に重大な影響を与えており、フローとストックが均衡しなくなると企業は、継続できなくなるのである。この均衡は、長中期的な問題であり、単年度の中における資金循環にも現れる。
 利益は、悪だというのではない。単年度収支は均衡できないから利益が必要なのである。

 企業の創業期には、巨額な投資を必要とし、その為に資金を調達しなければならない。キャッシュフローで言うと、営業キャッシュフーフローも投資キャッシュフローもマイナスで、財務キャッシュフローだけがプラスという状態である。そして、成長期にこの資金を回収しながら、次の設備更新の時のために、内部に留保、溜め込んでおく必要がある。営業キャッシュフローがプラスに転じ、投資キャッシュフローは、マイナスか若干プラス、又、財務キャッシュフローがマイナスと言った状態である。
 この様に、企業経営上にかいて、キャッシュ、資金は、中長期に均衡させるべきものであって、単年度に均衡させるものではない。ただ、資金は、常に、企業内部に準備されていなければならない。期間損益は、それを前提としている。この点を考慮に入れて企業業績は考える必要がある。利益の必要性もまた、企業業績が単年度で均衡しない。利益を内部に留保するのは、単に金を搾取(さくしゅ)しているわけではなく、企業収益が一定しているわけではない上、常に資金を内部に準備しておく必要があるからである。企業は、資金の供給が止められた瞬間、破綻するのである。
 会計上に計上される利益は、一つの見解であって、何等かの貨幣的な裏付けがあるのではない。ただ、どれくらい儲かっているのか、業績や企業の実態はどうなっているのかを知るための指標に過ぎない。それは、企業が継続、ゴーイング・コンサーンを前提とし、成立させるための算段に過ぎないのである。

 その上で、企業を成り立たせているのは、キャッシュ、即ち、資金である事を考えてみることが重要なのである。つまり、企業を実際に動かしている活力は、資金なのである。資金力は、流動性によって測られる。
 故に、換金のしやすさによって流動性は測られる。だから、最終的には、キャッシュ・フローが大切になってくる。

 企業経営には、リスクが伴う。大体、経営は、リスクをとることによって成り立っている。そのリスクが利益や資本を必要とさせているのである。

 このリスクと利益に対する考え方の差が、民間企業と公共事業の違いでもある。つまり、民間企業というのは、リスクと企業経営が直接的に結びついている。リスクを認識しながらそれに対する回避行動をとらなければ、経営は、破綻するからである。それに対し、公営企業は、リスクを認識しても、必ずしも回避行動には結びつかない。それは、公営機関の場合、実質的に破綻したとしても公的資金や税金によって補填が効くからである。むしろ、公営事業は、一種のボランティアであり、金儲けを主として考えていないと思い込んでいるからである。かれらは、それをモラルハザードだと認識していない。最初からモラルに相当する部分がないのである。

 経営上のリスクで、特に、注意を必要とするのは、経済的に予測できない支出、出費、損失である。まことに一寸先は闇である。あらかじめ予測の付くリスクは、そのリスクに対する備えをすることが可能であるが、突発的に発生するリスクは、企業の命運を左右する大事である。そのリスクに対する対処の仕方を誤れば、最悪の場合、企業は破産してしまう。過去においても、オイルショックや為替の変動、地震といった災害に行くたびも見舞われている。それでなくても、経営者の不慮の事故や災害などもある。可能な限り、リスクを事前に予測し、対策を立てておく必要もある。又、その点も経営を分析する上で重要な要素となる。そして、リスクに対して、どれ程耐えられるかは、蓄えによって違ってくる。

 リスクの全てを捕捉することはできない。将来起こることの全てを予測するのは、不可能である。確実に利益が上げられるという保証はない。この世は不確実なのである。だからこそ利益や資本が必要なのである。

 借入金、借金というのは、元本と金利からなる。そして、元本は、貸借に反映され、金利、利息は、損益に反映される。ここが問題なのである。資金の収支上、借金の返済は、大きな部分を占めている。しかし、損益上に現れるのは、金融費用、即ち、利息部分だけなのである。

 また、負債を分析する時、元本と利息の扱いが違うことを念頭に置いておく必要がある。借入の内、長期負債の元本に該当する部分に対応しているのは、固定資産の部分である。固定資産の内訳は、非償却資産と償却資産である。元本の返済には、減価償却費と利益が充てられる。問題なのは、償却の速度と返済の速度は必ずしも一致していない。大体において、償却の速度の方が返済の速度より早いのが一般的である。返済が終わるまで、償却が終わった部分はどうするのか、それは、現金、預金に溜め込まれ、貯蓄される。

 また、資本、即ち、純資産は、清算価値である。つまり、企業を生産した時の資本は、投資家の取り分を純資産というのである。投資家の持ち分というのは、企業を清算した時の投資家の取り分を指して言うのである。つまり、資本というのは、会社を清算した後の残高を指して言うのである。

 純資産率がある一定の数値を下回ると負債の返済が滞り、資金が廻らなくなる。最悪の場合、負債が雪だるま式にふくれあがり、返済不能に陥る。財政も同じである。

 利益率も同様である。ある一定の数値を下回ると、支払が滞り、資金が廻らなくなる。そして仕入れができなくなり、商売が成り立たなくなる。

 産業分析においては、個々の業界の資産構造も、その前提を明確にし、設定すれば、共通した部分が多い。資産構造は、資金の流れを生み出す根源である。又、その背景には、実物経済が隠されている。経済の構造を分析する上で不可欠な要素である。

 経営分析というのは、単純に企業業績を分析するという意味合いだけでなく。実務的、実際的な役割がある。また、それが経済を考え、予測する上でも重大な示唆を持っているのである。経済を実際的に動かしているのは、家計であり、企業であり、財政である。中でも、企業は、市場経済を支配する中心的要素である。幾つかの企業を調べれば、その時点での経済の状態、産業、業界の状態も明らかにする事ができるのである。

 日本人は、粉飾というと犯罪だと頭から決め付ける。では一体、粉飾か、粉飾でないのかをどこで見極めるというのであろうか。
 大多数の人は、その辺のことを明確できない。会計上の答えは、一つしかなくて、それに違反したら全て不正、粉飾だと決め付けているように見える。しかし、そもそも会計というのは、投資家や債権者に企業の実情や経営の実体を説明することが目的であり、利益そのものが創られた概念に過ぎない。根本は認識の問題である。視点や、条件、基準を変えればいかようにもなる性格のものである。逆に言えば、自分達に都合の良いようにルールを変えたり、解釈することも可能なのである。その辺を日本人は理解していない。反対に、会計制度の根幹を造ってきた国の人間はよく理解しているのである。
 利益は、元々、仮想、創造されたものなのである。また、利益計算から導き出される純資産、即ち、資本も同様である。利益や純資産には、金銭的実体も、裏付けもない。なぜ、利益は仮想、創造されたのかと言えば、収支では、投資家や資本家に経営の実体を説明できないからである。事業には、資金が必要である。先ず事業を始めるにあたっては、投資資金が必要となり、事業を続けるにあたっては運転資金が必要である。その事業を事業家が個人的に賄うには限界がある。利益という概念が確立されたことによって継続的事業のために、資金が調達できるようになったのである。つまり、利益は、事業を継続するのに必要な資金を投資家から調達するために作り出された概念なのである。
 減価償却の仕方が良い例である。日本では、確定決算主義に基づいてるために、結局、税制の基準に従わざるをえなくなる。その為に、償却期間が実情に粗ないこと場合が多々見受けられる。しかし、英米では、減価償却の仕方は、民間で実情に併せて決めてかまわないのである。また、本来日本でも許されているのである。
 利益は、操作することが可能であり、また、常に操作されてきた。利益を操作することによって企業は、継続存続できたのである。何が、粉飾なのかと言えば、それは予め決められたルールに従ったかという点と事実に基づいているかという点である。では、予め決められていないことに能動的、積極的に関わって良いかというと、英米では、当然、関わるべきだという発想になる。英米には、「やってはならない事は書いてあるが、やっていいことは書いてない。」と言われている。肝心なのは、投資家や債権者に経営の実情をわかりやすく、正確に説明することであり、実情にそぐわない、例えば、税制上の償却期間と言ったもので基準があれば、実情に即した処理方法に(例えば、在庫の処理方法の会計方針の変更と言ったこと)、適正な手続きに従って処理することは、違法な行為ではないのである。
 日本人は、何等かの権威や権力が定めた基準にその根拠を求めるが、何等かの権威や権力は、粉飾の是非を判断するための必然性を持たないのである。つまり、粉飾か否かの判断は、債権者や投資家に対してなされるものであり、しかも、それは、投資家や債権者の利害から生じるからである。会計上の操作をし、それが、権力者が決めた基準に該当しなくても、投資家や債権者の利害に一致していれば問題ないのである。だからこそ、英米では、会計基準は民間で決める事にしているのである。減価償却の仕方が好例である。要は、投資家や、債権者に不利益を蒙らせるか、否かである。杓子定規に捉えて、継続できる企業を潰してしまうのは本義ではない。角を撓めて牛を殺してはならない。


参考文献
「財務指標の読み方・活かし方がわかる本」山崎政昌著 かんき出版
「企業財務情報の解釈と利用」神森 智・大成利広・鈴木芳美著 同文館


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