産業は、基本的に経営主体の集合体である。それも単なる集合体ではなく、構造体である。この構造体を単一的に支配しようと言うのが独占である。国家が独占的体制を敷くのが国家独占体制であり、共産主義体制がその典型である。

 独占の問題点というのは、機構の単一化による交換価値の絶対化にある。経済というのは、本来相対的なものである。その相対的な世界に、絶対的な基準を持ち込めば、社会制度が硬直化し、適応性を失う。また、評価が固定的なものとなり、階級制度が生じる土壌を形成する。それは格差の膠着化であり、差別を生み出すの素因となる。故に独占は避けなければならない。
 独占の弊害は、旧社会主義国を見れば解る。しかし、だからといって旧社会主義国の在り方全てを否定するのはおかしい。旧社会主義国の弊害の原因の多くは、国家独占体制にある。その点をよく見極める必要がある。

 なぜ、どうして独占は、悪いのか。民主的ではないのか。何でもそうだが、日本人は、悪い事は悪いみたいな意味のない決めつけをする傾向がある。せいぜい言ってアメリカが悪いと言うから悪いとか、欧米では民主的でないと言っているし、民主的でないことは悪い事だと言うからと行った類の事しか言えない。しかし、独占はなぜ、悪いのか、その点を明らかにする必要がある。

 多くの人は、市場の独占と言った経済的問題を道義的な問題として捉えるが、市場の独占の是非は、市場機能の適正化の問題であって、道義的問題ではない。
 独占禁止法を道義的な問題にすり替えて考える者もいるが、それでは、独占禁止法の本質、真意を理解することができなくなる。独占禁止法を正しく理解するためには、市場の機能をどの様に捉え、何を期待するかにかかっている。

 独禁法というのは、市場の競争力を一定な状態に保つことを目的としている。
 市場の規律とは、市場の機能、働きによる。故に、市場の期待される働きが先ず問題となる。市場に期待される働きは、基本的に財の分配である。財の公平な分配をするために、市場に期待される機能には二つあり、一つは、需要と供給の均衡である。もう一つが、市場価値、即ち、交換価値、貨幣価値の裁定である。この機能を阻害する要素が、第一に私的独占であり。第二に、不当廉売。第三に、不当な協定である。

 そして、不当廉売には、差別的価格設定がある。差別的価格設定は、特定の商品価格を安く設定する場合と、特定の地域の価格を安く設定する場合、特定の顧客に対する価格を安く設定する場合などがある。

 不当な協定というのは、公正な競争を阻害する協定を指して言い、手段としてはカルテルが考えられる。ただ、カルテルが全て悪いというのではなく。公正な競争を成り立たせるための前提条件によって違ってくるまである。つまり、カルテルの是非は、市場の置かれている状況や環境によって変わる相対的なものなのである。

 先ず重要なことは、市場の働きを維持するための、公正な競争とは何かを明らかにする必要がある。市場原理主義者の中には、市場を絶対視し、無原則な競争を奨励する者がいるが、もともと、ルールのない競争は、競争ではなく闘争なのである。最初から成り立たないのである。そして、公正な競争を成り立たせているのは、前提である。生まれたばかりの子供と成人が競争しても、それを公正な競争とは言わないように、明らかに差がある者同士の争いは、競争として成り立たない。電力や鉄道、石油産業のように巨額の資金を必要とする産業は、前提とすべき条件を整えない限り、公正な競争は成立しない。それは、場合によっては、虐待にちかいものになりかねない。
 それ故に、公正な競争を成立させるための前提条件は何かが重要となってくる上に、それは産業毎に差があるのである。

 プロ野球リーグのチームが唯一つになったら、試合は成り立たなくなり、リーグそのものが成り立たなくなる。では、二チームではどうだろうか。この様に、一つの経営主体が、一つの市場を独占したら試合が成り立たなくなる。また、二チームでも、リーグ戦は盛り上がらなく、顧客を増やすことはできない。かといって、一リーグ何百ものチームがあったら、リーグは混乱状態になるだろう。規律など望みようがない。だからといって自由な競争にまかせて適当にチームを決めていたら、アマチアなら良いが、プロとしたら経済的に成り立たなくなる。ある一定のチーム数を決める必要がある。ならばどれくらいが適正なチーム数なのであろうか。また、一定のチーム数を保つためにどうすべきなのか。そこが問題なのである。それに一定の基準を持ち込んだのが独占禁止法なのである。

 独占というのは、構造的なものである。
 市場の独占は、何も、全ての段階、全ての次元において市場を独占する必要はない。石油業界で言えば、開発、生産を押さえたOPEC、流通、精製部分を押さえたメジャー、また、販売分野によるカルテルとそれぞれの位相において独占的体制を敷いた例もある。しかし、いずれの場合もそれらが有効に機能した時期は短く、自然に、又は、施政者によって解体させられたり、ないし、自然に消滅し、また、効力を減退していった。
 しかし、企業は、常に市場の独占を実現しようとする性向を持つ。なぜならば、企業は、常に市場において勝ち抜くことを要求されているからである。そして、市場の原理は競争の原理ではなく、闘争の原理であり、弱肉強食、自然淘汰の原則が働いているからである。敗者は市場から淘汰されるのである。それが、市場原理主義者の欺瞞である。つまり、敗者は淘汰され、放置すれば、必然的に市場は、寡占・独占状態に陥るのである。

 経営主体が何等かの形で集団化していく連係の形態には、水平的繋がりと垂直的繋がりがある。水平的繋がりとは、同業者を横断的に結びつけていく形態である。垂直的結びつきというのは、異業種を縦断的に、機能的に結びつけていく形態である。

 水平的な繋がりを持つ独占体制には、カルテル、トラストがある。水平的繋がりというのは、同業者間が連合、あるいは、一体となって市場を独占する体制を言う。
 カルテルというのは、同業者が販売領域や価格、供給量に対して密約や協定を結んで共同行為を行うことであり、事実上、市場を一社で支配するのと同様の効果をもたらす行為を指して言う。

 シンジケートというのはカルテルがより深化した形式である。シンジケートで有名なのは、ダイヤモンドのシンジケートで、「デ・ビアス社」(オッペンハイマー財閥)である。

 トラストは、同業者間で、協定や提携に依らず、吸収、合併という資本的手段によって市場を一社で独占する体制である。つまり、カルテルを資本によってより深化させた体制である。

 また、垂直的繋がりを持つ体制にコングロマリットとコンツェルンがある。コングロマリットというのは、異業種の独立した企業が結合して形成される企業集団であり、コンツェルンは、コングロマリットがより資本的に深化し、持株会社のような中核企業で一体的に結合した企業集団である。コンツェルンは、最も集中度が高い企業集団とみなすことができる。日本では、財閥解体以前の三井、三菱、住友などが代表的なコンツェルンである。
 コンツェルン、コングロマリットを同義的に捉える考え方もあるが、コンツェルンは、財閥的意味合いが強く、同族的支配のために、形成された企業集団と考える。

 独占禁止法の精神は、市場の競争をフェアなものにすることにあると言われる。では、フェアとは何か。実はそこが問題なのである。その解釈が曖昧だからこそ、独占禁止法の精神をあやふやなものになる。その時々の背景によって解釈も違ってくる。独占禁止法というのは、本来極めて思想的なものである。その点をよく理解しておく必要がある。

 株の持ち合いがアンフェアだと言うが、その根拠はどこにあるのだろうか。大体、フェア、アンフェアと言うが、日本は、常に、アンフェアな競争を強いられてきたのである。

 独占に対して規制することは、市場に対する最も強い政治介入である。政治介入を排し、市場の自由な競争力原理に委ねることを提唱する者が、最も強い介入を招くというパラドクスを引き起こす。

 独占禁止法の本来の目的は、市場の規律を保つことである。規律を保つためには、企業分割のような強権を発動することもある。それが独占禁止法である。
 しかも、市場が国際化し、多国籍企業が活躍する今日、独占禁止法は、国家観の国際紛争を引き起こしかねない問題なのである。ただ、独占は、悪いと決め付けるのではなく。その点を充分に留意して独占というものを考える必要がある。





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産業構造と独占