人間が、細胞の塊であるように、産業は、いわば企業の塊、企業集団である。企業集団の有り様、営みが、経済全体の有り様を決めていく。企業集団は、離合集散を繰り返す。その過程で、産業や経済構造は形成されていく。故に、企業集団の全体像とそれが形成されていく過程が重要な意味を持つ。

 企業集団には、人的な要素、物的な要素、そして、貨幣経済体制下では、貨幣(金)的要素がある。そして、それぞれが独自の次元場を構成し、それぞれの繋がりを形成している。

 企業集団には、第一に、全体と部分、第二に、連結と個別、第三に、統合と分割、第四に、結合と分離、第五に、集合と離散、第六に、集中と分散、第七に、求心力と遠心力、第八に、集権と分権と言った相反する要素がある。また、これらの要素は、企業集団の構造に関わる問題である。即ち、中心を持った、又は、明らかな、集団なのか、中心を欠いた集団になのか、中心があれば、それはどんな機能を持っているのか、集団を構成する要素はどの様な機能を持っているかと言った問題である。
 ある意味で、企業集団は、センター、中心の有り様でその性格が決まる。中心の有り様とは、中心の機能、形体などの事を言う。

 その前に、企業集団の全体とは何かが問題となる。それは、企業集団の定義に結びつく。企業集団を認識する時、第一に、全体と部分との関係や範囲を特定する必要がある。個々の部分を捕捉することは比較的容易いが、全体像を掴むのは難しい。そこに、抜け穴がある。小異を捨てて大同につくではなく。全体の問題点を部分に分散することによって隠し込むのである。
 企業の多くは、企業が成長する過程で、企業の実態は、企業集団へと移行した。企業が環境の変化に適応しながら、上手に資金調達をしようとすると企業を機能的に幾つかに分割した方が効率や都合が良いからである。そうなると個別企業の実績だけ見ても企業業績を正しく評価することが困難となる。そこで、個別決算から、連結決算の流れが生じたのである。

1999年にはじまった会計ビックバンによって本格的に個別会計から連結会計に移行がはじまった。個別から連結に、これは、企業実体を個別に見るのではなく、一つの集団、グループとして認識していこうという現れである。そこで、第二に、企業グループの実体を明らかにするためには、連結と個別の関係を定義する必要がある。

 現在、日本の会計制度は、個別から連結へと向かっている。一連の会計制度の改革に基づく物であり、国際会計基準に合わせた動きである。世界の会計制度は、連結が主流なのである。では、連結という概念の客観的基準が、確立されているのかというと必ずしも明確にされているわけではない。なぜならば、連結の領域の定義が困難だからである。例えて言えば、資本関係が希薄だと言っても、人的な面、株の所有者から見ると関係が濃い企業もあれば、資本関係はあるが、事業や取引上、あまり影響力を持たない場合もある。
 連結会計制度に移行する時、多くの会社が連結外しを画策し、不良債権などの隠蔽を測った。その為に、外形的な判断基準では、真の企業集団の実体がハッキリしないと言うことで、実質的な連結関係を重視しようと言う傾向が強くなった。しかし、今度は、実質的な連結関係を確定しようとすると、どうしても主観的判断が入り込むことになる。そこに連結決算の難しさがある。結局、ある程度の主観的判断を差し挟まざるをえなくなる。

 企業集団は、その形成の過程で統合と分割を繰り返す。第三に、統合の仕方と分割の仕方が重要な鍵を握る。最近、合併や分割、M&Aが経営戦略の前面に出てきた。それは、経営の統合や分割の過程でいろいろな旨みが生じたからである。統合には、人的・組織的統合、物的・業務的統合、資本的統合などがある。分割にも、人的・組織的分割、物的分割、資本的分割がある。

 そして、統合と分割は、結合と分離の仕方が鍵を握る。故に、結合と分離の仕方を明らかにする必要がある。結合には、人的結合、物的結合、資本的結合の別がある。

 最近、いろいろな業界で業界の再編が進んである。企業間の合従連衡が盛んになってきたのである。それも、国家の枠組みを超え、必然的に企業の多国籍化が進んでいる。第五に重要な鍵を握るのが企業の集合と離散である。集合と離散の在り方によっては、国際経済のみならず、国際社会そのものが変質する可能性がある。それは、国際的国家力学の問題である。

 また、企業集団内部で見ると企業集団の集団を構成する分野、要素の集中度と分散度に関わる。第六に、集中と分散が問題となる。

 集中と分散は、企業集団の持つ求心力は何か、そして、拡大していこうとする遠心力は何かによって決まる。それ故に、第七に、求心力と遠心力が重要となる。

 そして、集中と分散が制度化されると集権的体制か、分権的体制かに収斂していく。最終的に、集権と分権のどちらが是か非かの問題になる。
 それは、中心の在り方を規定する。
 
 グループの特性は、中心の外形や実体に反映される。つまり、中心は何かである。核となる対象によって系列集団か、金融集団か、同族集団かと言った性格が形作られる。また、中心が果たす機能によっても企業集団の結びつきの強固さや行動の連携度が変わってくる。

 グループの中心を担っているのが、会議か、組織か、また、資本なのかによって違う。また、資本も、同族的なものか、持株会社、機関的なものかによっても違ってくる。

 戦後の企業集団、旧財閥と称される企業集団は、金融機関を中核として、所謂、社長会のような協会的会議による緩い結合状態だったと思われる。ただ、株の持ち合いによってお互いの連結を強めてはいたが、所謂、司令塔のような機関によって統制された企業集団ではなかった。それは、戦後の財閥解体により純粋持株会社が禁止されたことにも影響されている。

 戦後、形成された企業集団には、松下幸之助やトヨタ、ホンダのようにカリスマ的指導者に統制された集団もある。ただ、いずれも特定の分野で力を発揮し、かつての財閥のような総合的、統合的な企業集団ではなかった。

 今日、企業集団の核となる機関は、企業グループを全体を統制するような意思決定センターから、投資を主体とした投資センター、インベストメントセンターへと変貌しつつある。

 企業集団には、第一に、持ち株会社のような中核、センター機能によるピラミッド型の集団。第二に、何等かの連絡会のような会議体によって束ねられる寡頭型の集団。第三に、ネットワーク型の集団。第四に、資本提携や業務提携のような契約型による集団とに分類される。

 この様な企業集団の形体は、企業集団を形成する企業間のつながりの仕方、形体による。例えば、センターをもったツリー構造やネット構造である。

 持株会社にも人的持株会社(純粋持株会社)、物的持株会社(事業持株会社)、金的持株会社(金融持株会社)などがあり、企業集団を形成する際にどの様な形体を持つかが、重要となる。

 企業集団の性格は、資本、取引、業務、機能、同業者といった企業を結び付ける媒体によっても性格付けられる。資本関係だけで企業集団の全貌を掴むことは難しい。たとえば、特定の企業の仕事だけで事業をしている下請け会社などをどう扱うかは、微妙な問題である。



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